
前回は県道366号線、岩瀬橋まで進みました。岩瀬橋より葛西用水路下流を見たところです。左側の細い水路は上流部の田んぼへ用水を配るための葛西用水分水路、右側は葛西用水本線水路で下流部へ確実に用水を届けるための水路です。

昭和橋を過ぎると左手にお堂がありました。

窓越しに中を覗くと左右にお地蔵様、中央に蕾蓮華を手にした石仏が祀ってありました。西国三十三番 文化九壬申歳五月吉日と刻まれ1812年の造立です。

その下流、道通橋から見た葛西用水路です。分水路左岸に分水工があります。道路左側は住宅や田んぼですが周辺に用水路はありません。

左岸の分水工ですが右岸側に看板がありました。施設名は「右23分水工」。前回左岸側の分水工を紹介しましたが、これは施設名の通り右岸側の田んぼ向け分水施設です。右側には本線水路があり障害になっています。道々「右岸側の田んぼへ用水をどのようにして送っているのか」その方法を考えながら歩きました。本線水路右岸から分水すれば簡単ですが用水路の目的から外れるので、分水路左岸に分水工を設けそこから分水しています。じっくりと観察した結果、分水工は伏越の吞口桝を兼ねていると気づきました。なるほどね~と納得した次第^^。金と手間がかかっていますが原則を守るためにはこれしか方法がないのでしょう。

吞口桝から伏越で分水路、本線水路を潜った用水は本線水路右岸の吐口桝で吹き上がりそこから支線用水路へ向かっています。

そのまま下って行くと右手にフェンスで囲った大きな池が見えてきました。

池の東端、排水口の上から西方向を見ました。溜池か?または調整池か?その役割はよく分かりません。排水口を出た水路をたどると葛西用水路に接続されています。

池を出た水路は葛西用水路右岸の排水樋管ゲートに繋がっていました。葛西用水路への補給水か、逃樋のように治水が目的なのかは判断が付きません。

右岸側の支線用水路向け分水工の例をもう一つ紹介します。不動岡橋上流の「右26分水工」です。正面の分水路左岸に分水工が見えます。

真上から見た「右26分水工」(伏越吞口桝)です。分水路、本線水路を伏越で潜り右岸の吐口桝で吹き上がります。

右岸の吐口桝(右側のグレーチングフタの桝)です。

吐口桝から右岸側の田んぼへ向かう暗渠の支線用水路。

これは入谷橋下流、左岸の「左42分水工」です。

「左42分水工」の先に用水路はなく揚水機場と思われる施設があります。分水した用水は機場に入っていると思います。表札はなく名無しの権兵衛施設です。

機場そばの田んぼの一角で給水栓を見つけました。機場はパイプライン用水路の起点と思われます。


機場付近、路傍の石仏です。一石六地蔵とお地蔵様。

やぐるま街道・正蓮橋まで下ってきました。正蓮橋より葛西用水路上流を望む。

近くの石仏を訪ねました。やぐるま街道沿いの小堂です。

左端の庚申塔です。六臂の青面金剛像、邪鬼に三猿もきっちり刻まれています。造立年は不明。


右側のお地蔵様とお堂脇の馬頭観音文字塔です。


すぐ近くのお堂に庚申塔(文字塔)と馬頭観音像が祀ってありました。庚申塔は嘉永二年(1849年)、馬頭観音は天保三壬辰十一月(1832年)造立。

正蓮橋より葛西用水路下流を望む。分水路と本線水路の2連水路が続きます。
今回はここまでです。次回は午の堀川(うまのほりかわ)との立体交差です。伏越と逃樋が登場します。
今回のスタート岩瀬橋の位置です。(地理院地図より)
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