初めて北堀を探訪した時と同じように栄町五丁目交差点から探訪開始です。都道169号線沿いの日野用水上堰系北堀下流方向です。この写真と次の写真は北堀を探訪した時のものです。
東光寺大根栽培地前を通りました。「東光寺大橋の碑」によると日野市栄町と新町の一帯は、東光寺とも呼ばれていたそうです。東光寺は名前が地名になるほどの寺院です。あとでお参りします。
一つ目の分水。角落しで堰上し、左岸側へ分水しています。
そのすぐ下流でも左岸側に分水しています。白色の分水ゲートが見えます。私はこのゲートに目を付けました。
歩道から見た分水ゲート。ゲート前のマンホールフタは日野市の雨水マンホールフタです。
ゲートは上から覗きこむとこんな感じで用水を取り入れています。マンホールはゴミ詰まりなど補修点検維持管理用と思われます。
ここで都道169号線を左折、東光寺へ向かう道に入り振り返りました。矢印が白色の取水ゲートです。取水した用水はこの道の地下を通って下堰へ向かっていると推測しました。
道路左側の東光寺阿弥陀堂、薬師堂前を進みます。
東光寺本堂前です。目の前のマンホールフタは日野市雨水マンホールフタです。耳を近づけると流水音が聞こえます。
坂を下って行くとここへ出ました。下堰源流探訪で通ったあの橋です。北堀で取水した用水は橋の下で下堰に合流しています。その様子は前回発表しました。なお、橋名はコンクリの橋桁に記されていますが判読不能でした。
前回載せた画像です。水しぶきを上げ階段から滝のように流れ落ちています。階段状にしたのは水中に酸素を供給し水質改善を図るためかも知れないですね。
これで上堰系の北堀から分水を受けていることを確認しました。日野用水堰から取り入れた多摩川の水が下堰にも流れていることになります。源流部の湧水量が少ないので上堰系北堀から補給する形をとったと思います。ここより下流でも北堀から分水した支線の余水排水や湧水が下堰に流入しているので日野宮神社辺りの水量のある流れが実現したと思います。
似たような話が近くにあります。同じ多摩川取水の立川用水・立川堀では途中で分水して玉川上水に補給水としてポンプ送水しています。相模川では磯部頭首工で取水した相模川右岸幹線用水路(西部用水)が途中で分水し、中津川取水の昭和用水に補給水として送水しています。
以下、下堰源流探訪した際に東光寺境内を巡ったので簡単に紹介します。
これは下堰源流部付近、墓地へ通じる門から撮影した成就院東光寺本堂です。
そこから見た田んぼと東光寺グランド。下堰源流部は田んぼとグランドの間を流れています。
境内に入ってすぐ左側、二童子を従えた不動明王座像です。不動明王は憤怒の表情です。同じ仏様なのに優しいお顔の地蔵菩薩とは好対照ですね。
東光寺本堂です。
山号院号寺号 万照山 成就院 東光寺
宗派 天台宗 ご本尊 阿弥陀如来
安産薬師として知られる東光寺薬師堂と案内板です。
(各画像はクリックすると拡大します)
阿弥陀堂です。
おしまいに大形の庚申塔です。造立年は不明ですが最近の作品と思われます。宝輪や弓などの武器を持った六臂の青面金剛に三猿と普通ですが・・・。
よく見ると青面金剛が踏みつけているのは邪鬼ではなく、なんとお猿さんです。こんなタイプは初めて見せてもらいました。お猿さんたちは楽しそうです。邪鬼役のお猿さんは満足げな表情。
白色の取水ゲートの位置です。(地理院地図より)
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