
相鉄線西谷駅から横浜行きに乗り終点下車。北幸橋までやってきました。北幸橋から見た帷子川分水路下流方向です。流れはなく運河のような川です。上を走るのは首都高三ツ沢線です。
帷子川分水路建設工事は平成9年3月(1997年3月)に完成しました。(帷子川分水路パンフより)

北幸橋親柱に河川名・帷子川分水路。昔は派新田間川(はあらたまがわ)と呼ばれていたようですが現在の名前は帷子川分水路です。

北幸橋たもとで帷子川分水路の河川標識を見つけました。
二級河川 帷子川水系 帷子川分水路
河口から1.3km 神奈川県

北幸橋から見た帷子川分水路上流方向です。上流の旭区辺りで帷子川が洪水になると最大350㎥/秒が流れます。怖ろしいですね・・・。

左岸沿いに上流へ進むとトンネル出口が見えてきましたよ。
首都高が邪魔をしているので全体を見渡せないです。

首都高の橋脚を避けました。出口は水門となっています。水門全景は水面に写っています。ゲートは引き上げた開の状態です。あとで分かりますが分水路トンネル出口は水門奥にあります。

その上流を見るため迂回して追いかけました。首都高料金所上の跨線橋から見た水門施設です。紅白の電波塔?下がそれです。

その先、楠町公園入口です。あとで地図を読んで分かったのですが、帷子川分水路トンネルはこの公園地下を通っています。地下トンネルの上を公園にしたわけです。

楠町公園から見た帷子川分水路出口の水門です。ゲートは上に引き上げてあります。私が立っているところがちょうどトンネル出口になりますね。(位置関係は下のグーグルマップが参考になります)
ところでトンネル出口に何故ゲートがあるのでしょうか?どのような状況下でゲートを閉じるのか不思議ですね~。
ブラタモリのようにピコッ!と閃かないし・・・。公園内にさりげなく作業をしている怪しいおじさんもいないし、援軍がいないので困りました。
津波や高潮が発生すると海水が河川を逆流して押し寄せることがあります。そんな際にゲートを閉じるのかな~と想像したのですが、真相はどうなんでしょうか。調べたので後述します。

これは水路トンネル西側にある楠ポンプ場です。関連施設と思ったのですが横浜市の下水道施設でした。帷子川分水路トンネルとは無関係の施設です。

楠ポンプ場西側、いかにも旧河道っぽい広場があります。地図によると新田間川(あらたまがわ)緑地とあります。帷子川分水路の西側に位置するので派新田間川を埋め立てたものと思われます。帰りはこの道をたどって相鉄線横浜駅まで散策します。


旧河道跡はビルや駐車場になっています。それを抜けるとこのような散策路です。散策路は左へカーブしています。

やがて新田間橋際の新田間川に突き当たりました。埋め立て前はここで分派していたので派新田間川上流端になります。
末尾に載せた今昔マップが参考になります。

新田間川の河川標識です。
二級河川 帷子川水系 新田間川
河口から2.0km 神奈川県

新田間橋です。左が下流ですが水は上流へ流れていました。海に近いのでこの辺りは感潮河川なんですね。

新田間橋から見た新田間緑道の終点。左岸に開口が見えます。派新田間川のわずかに残る痕跡です。


新田間橋下流の新田間川です。突き当りで右折し幸川と名前を変え400mほど先で帷子川に合流しています。高島屋の辺りが相鉄線横浜駅です。
さて、謎の分水路トンネル出口水門なんですが、
河川管理者に照会し水門の役割を教えてもらいました。帷子川分水路トンネルの維持管理用ゲートだそうです。分水路トンネル内の点検時に、ゲートを閉めることで水の流入を防ぎます。点検以外でこのゲートを使うことはないそうです。
成程ね・・・まったく思いつかなかったです。専門家は素人には想像もつかないことに配慮して設計するんですね・・・。
帷子川分水路トンネル出口水門の位置です。
今昔マップです。(今昔マップon the webより)
帰り道で歩いた埋め立て前の派新田間川(新田間川緑地)が見られます。2画面表示、年代変更ができます。帷子川分水路の完成は平成9年(1997)です。
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