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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の703 花川用水と庚申塔・神奈川県寒川町一之宮

 今回は寒川町の小動神社がらみで、花川用水(はなかわようすい)の話です。来季の用水路歩きに備え下調べに行きました。

「其の699」で小動神社の庚申塔を発表したところ地理系女子階段派のチャコさんから用水路について耳寄りな情報をいただきました。その名は「花川用水」。花川用水は小動神社付近で相模川左岸用水路から取水し西へ伸びている用水路です。

相模川左岸用水の花川用水分水ゲート
前回「其の702」で発表した相模川左岸用水の分水施設です。花川用水はここから始まります。ここは神奈川県高座郡寒川町小谷(こやと)3丁目。


花川用水・寒川町一之宮
10月27日(火)、ここは寒川町一之宮です。花川用水の資料を求めてやってきました。南部文化福祉会館の南、北から来た追分です。歩道下の暗渠の花川用水路はここで開渠になります。水路脇に案内板が立っています。


花川用水案内板・寒川町一之宮
案内板です。タイトルは花川用水(はなかわようすい)
だいぶ色あせていますが、左側に説明文があり、ピンク色の地図は江戸時代のものと思われる「花川用水絵図」です。絵図は残念ながら判読できず。説明文の内容を記します。参考になることが書いてあれば良いのですが・・・。

花川用水(はなかわようすい)
花川用水は、基幹用水路として、江戸時代から利用されています。当時は、宮山村地内に設けられた大柳堰(現在のクリーンセンター付近と考えられている)から目久尻川の水を取り、宮山村以下、小谷村、大蔵村、岡田村、中瀬村、大曲村、一之宮村、田端村と茅ヶ崎市内の萩園村の九か村に供給していました。
用水を利用するにあたって、施設の管理・運営、利害を調整した用水組合があり、江戸時代では用水を分流する堰をめぐって用水組合内部で争いが多く起こっています。当時、用水の確保がいかに重要であったかがうかがえます。
その後、昭和15年(1940)に相模川左岸用水路の一部として再編されましたが、現在も基幹用水路として利用されており、町内の多くの水田に用水を供給しています。
平成16年3月 寒川町教育委員会
 (案内板より)


花川用水・寒川町一之宮
案内板脇、花川用水下流方向です。現在は空堀ですが代掻きの頃に通水するはず。


花川用水脇の庚申塔・道祖神
案内板の裏側に嬉しいものがありましたよ!!思いもしなかった贈り物です。


花川用水脇の庚申塔
今まで見たこともないデザインの庚申塔です。大きなお猿さん(見ざる聞かざる言わざる)が並んでいます。三猿の上に文字が刻んでありますが風化していて読めません。右端の文字はかろうじて「寛文四甲辰」と読めました。家綱の治世1664年造立ですね。たぶん私が今まで水辺歩きで見た中で一番古い庚申塔だと思います。ちなみに相模原市でもっとも古い庚申塔は延宝三(1675)年造立の笠付角柱三猿像です。

花川用水のあらましが分かったので早く茅ヶ崎市萩園の終点まで歩きたいですね。今から楽しみです。通水すれば何とかたどれると思います。

花川用水案内板・庚申塔の位置です。



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