横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の469 滝川分水路を訪ねる・神奈川県藤沢市柄沢橋

 4年ほど前に横須賀水道みちを歩いた時に見つけた柄沢橋の滝川分水路をあらためて探訪しました。3月2日(金)晴れの日に行ってきました。

境川の遊行寺橋(旧大鋸橋)
小田急江ノ島線藤沢本町駅から旧東海道を歩いて境川に架かる遊行寺橋(旧大鋸橋)にやってきました。昔、江戸を発った旅人は鎌倉郡と高座郡の境界・境川に架かる遊行寺橋を渡り藤沢宿へ入りました。ここがその場所です。

広重の東海道五十三次藤澤遊行寺
広重の東海道五十三次藤澤遊行寺
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
同じ場所を広重が描いていました。大鋸橋を渡る旅人。背景の山は遊行寺。大鋸橋を渡り左へ曲がり江の島弁財天一の鳥居をくぐると江の島道です。座頭の一行は江の島へ向かっています。

江の島道道標
遊行寺橋下流の藤沢橋たもとの藤沢市指定重要文化財・江の島弁財天道標です。「江の島道」と刻まれています。

藤沢橋より遊行寺橋を望む
藤沢橋より遊行寺橋を望む。現在の境川はこんな川です。

境川に合流する滝川
さて、今回のテーマ滝川です。滝川の読みは手元の地図には滝ノ川とあるので(たきのがわ)と思われます。藤沢橋のすぐ下流で境川左岸に合流しています。滝川分水路の分水施設は0.8kmほど上流の柄沢橋にあります。

滝川
滝川はまだ歩いたことがないので柄沢橋まで川沿いに歩きました。感応院付近から滝川下流を望む。両岸、川底ともコンクリートで固めた掘込式の川です。

滝川
御幣公園前を流れる滝川。雨水側溝はなく路面に降った雨は護岸上部の開口から直接滝川へ流れ込むようになっています。

滝川
石端橋より滝川上流を望む。両岸は住宅密集地帯です。今日はお天気なので何ら問題はないのですが、滝川分水路完成前は大雨が降ると忽ち溢れ出たそうです。

滝川
ほどなく暗渠出口に到着。

横須賀水道みち・柄沢橋
そのまま直進すると横須賀水道みちに出てきました。

柄沢橋
横須賀水道みちを横断し北方向を見ると柄沢橋の欄干があります。欄干のこちら側は暗渠のため滝川の流れは見られません。

柄沢橋より滝川上流を望む
柄沢橋より開渠の滝川上流を望む。右岸側(向かって左側)が分水施設です。

滝川分水路分水施設
少し上流から見るとこのようになっています。見るからに興味をそそる施設です。右岸の護岸がずいぶんと低くなっています。
滝川が大雨で増水したときの越流堤ですね。
横須賀水道みちを探訪した時にこの施設に気づいたのですが当時は通りがかりなので河川名や誰がいつ築造しどこへ流れてくのか等詳細は全く不明でした。今回は藤沢市HPであらかじめ調べた上での探訪です。車で水道みちを歩く?人もいるようですが、車窓からは見えず水道みちを歩く者しか気づかないと思います。

滝川分水路分水施設
滝川分水路分水施設
分水施設を上流から見ました。越流した濁流は地下深く入って行きます。越流堤入口に大物ごみ除けスクリーンが見えないですね。中の様子は分りませんがゲートや除塵施設があるのでしょうか。

滝川・柄沢橋付近
分水施設から見た滝川上流方向です。

滝川分水路分水施設
横須賀水道みち沿い歩道にある大形の点検口と右岸の施設制御装置。
この地下に分水施設があり管径Φ3600mmの分水路トンネルが始まっていると思われます。
滝川分水路は藤沢市が平成21年度に築造した延長0.98kmの地下河川です。河川の流水量を増やすには河道断面を広げればいいのですが住宅密集地のためそれが不可能なため止むを得ず地下分水路トンネルを通したんですね・・・。放流先は藤沢橋より下流の御所ヶ谷橋付近の境川です。あとで見に行きました。

横須賀水道みちの海の杭(海軍境界杭・波入り) 海の杭(海軍境界杭・波入り)
これは何でしょう。せっかく横須賀水道みちに来たので少し道草をして海の杭(海軍境界杭・波入り)を探しに行きました。4年前と同じところにありましたよ。ほとんど埋もれていますが波マークがかろうじて見えます。
右側の写真は以前撮影した引地川付近の状態の良い海の杭(海軍境界杭・波入り)です。


滝川分水路放流口
御所ヶ谷橋上流、境川左岸の滝川分水路放流口です。スムースに合流させるためY字型合流です。境川の護岸は鋼矢板とブロック積の二段護岸です。

境川のオオバン
鋼矢板護岸でくつろぐオオバンです。指の形状が独特ですね。初めて見ました。水かきはないみたいです。

御所ヶ谷橋たもとの庚申塔
これは滝川分水路上の石像群の一部、庚申塔三体です。中央の像は主尊が青面金剛、三猿、日月も刻まれています。造立は元禄拾丁丑年と読取れました。1697年なので321年前です。

境川の堰跡橋
おしまいに帰り道で出合った堰跡橋(えんせきばし)です。「せきあとばし」と思ったのですが「えんせきばし」でした。

堰跡橋たもとの奥田堰碑
堰跡橋たもとの「奥田堰碑」。
碑文によると昔ここに農業用取水堰があり、その変遷は大正13年に木造の堰が造られ、昭和29年には愛知用水を見本としたコンクリート、鉄製の永久堰が造られたが昭和35年に周辺の市街化により農業用水としての使命を終えたそうです。
今昔マップで確認できます。昭和29年当時は水田マークが点在しています。都市化の波により短命に終わった相模原畑かん用水路とよく似た話ですね・・・。

柄沢橋の位置です。


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コメント

負けました。

滝川分水路、地下の何処を通っているのか地図を見ながら想像していました。今回で4度目位になるのでしょうか?青面金剛、今回のは立派ですねー。余りトロけてもせず三猿などもハッキリ見えます。残念ですが以前お知らせした元町の青面金剛より保存状態は良いようですネ。

  • 2018/03/16(金) 16:45:40 |
  • URL |
  • 地元ティー! #-
  • [ 編集 ]

Re: 負けました。

ご来訪ありがとうございます。庚申塔は使う石材の種類にもよると思います。世田谷の養善寺の庚申塔は抜群でした。主尊が青面金剛ではなくお地蔵さんです。寛文八年(1668年)造立と古いです。「其の299 丸子川を歩く」で発表しましたのでよろしければどうぞ。PCではページ右上に常設のブログ内検索から開けます。元町の庚申塔は機会があれば拝見したいです。

  • 2018/03/16(金) 21:44:53 |
  • URL |
  • doushigawa #-
  • [ 編集 ]

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