
南へ向かう妻田用水暗渠水路。厚木市妻田西二丁目。

小鮎川に架かる林妻橋東の交差点を渡ると南流から南東に向きを変えます。暗渠水路です。グレーチングフタのサイズは70×140cm位。フタ越しに用水の流れを確認できます。

南東向きの流れがここで南向きに変わります。上流の北西方向を見ました。グレーチングフタから中を覗くとコンクリートの柱が立っていました。柱に角落板を落とし込むための溝が切ってあったので、かつてここで堰上げし東側へ分水していたと思われます。右側の道は児童館、妻田神社方面からの道です。


妻田用水路沿い立派な門構えの屋敷の一角に記念碑が建っています。「明治天皇妻田行在所附御膳水」と刻まれています。行在所(あんざいしょ)とは天皇が行幸された時の宿泊所。

南下する妻田用水暗渠。歩道になっているので分りやすいです。ここは妻田西1-3。

R246、R129直前まで来ました。この辺りでは南東へ向かっています。

国道跨線橋より南方を望む。妻田用水は国道地下を右から左へ渡っています。

国道を渡りました。妻田用水路の上は歩道として利用されています。眼前に厚木市のマンホールフタがあります。

厚木市の都市下水マンホールフタでした。都市下水とは雨水排水路のことなのでこの辺りでは厚木市役所下水道局管理になっているようです。

南東へ向かう妻田用水。暗渠水路なので車は規制されています。

前方に見覚えのある景色が・・・。小鮎川左岸堤防です。昭和用水路が伏越で小鮎川を渡る呑口付近です。

小鮎川左岸堤防沿いの道路を左折します。道路舗装がはっきりそれを示しています。

堤防沿いの道に入りました。妻田用水は緩い下り勾配のこの道の地下を東へ向かっていると思われます。右側遊歩道地下を昭和用水が西向きに流れています。妻田用水とは逆方向の流れです。

その先青松寺前。青松寺の東側を北から来た干無川が小鮎川に合流しています。妻田用水流末のゴールは直前です。

干無川に到着しました。干無川右岸から下流方向を見ました。右側が青松寺です。右岸に追いかけてきた妻田用水が合流しています。ほんとうは干無川左岸から撮りたかったのですがフェンスがあり撮影不可。幸い妻田用水の流れがあったのでこのように確認することができました。

合流部のアップです。荻野川で取水された用水が干無川を経由し荻野川下流の小鮎川へ戻って行きます。
干無川を渡る昭和用水水路橋が見えます。その奥干無川樋管ゲートの下の水面に、小鮎川からの日が差しています。
今昔マップ(1896~1909)によると今日たどった妻田用水路沿いは明治の昔からある古い道で、用水路東側に田んぼがあったこと、今は都市化によりそれが全くなくなってしまったことが分かります。そんな中、今に残る貴重な田んぼを見ることができました。
県の資料によると白根堰の管理者は白根・中村・木売場自治会とあります。正に今日歩いた用水路沿いにある地区で、かつて用水の恩恵を受けていた旧妻田村の字名と一致します。
妻田用水の始まり、白根堰付近の地図です。(今昔マップ on the webより)
設定は1896~1909年(明治29~42年)。
大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「厚木市妻田村」と入力すると開きます。
干無川河口付近、妻田用水流末の位置です。