横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の372 旧国鉄西寒川駅跡を訪ねる・神奈川県寒川町

 前回で終えた目久尻川源流を訪ねるシリーズの一回目は相模川合流点(目久尻川河口)からスタートしました。JR相模線寒川駅から河口へ向かう途中、西寒川駅跡を見つけました。かつて相模線に支線があり今は廃線になっていることを初めて知り興味を持ちました。3月16日(木)晴れ、改めて探訪しました。

「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑
八角広場に建てられた「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑です。初めて碑を見た時は「えっ、こんなところに駅が?!」とびっくり。碑にはこんなことが刻まれています。

旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡の碑
ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま台地に深く根差した縁に世界の平和を願い国土の安穏を祈る。
建立 相廠会及び協力企業  昭和63年春
  (碑文より)

碑文から戦時中は西寒川駅が海軍工廠で働く人たちの足として、また寒川町HPによると戦後は跡地が工業団地となり昭和35年工業団地で働く人たちのため旅客輸送を再開し(一日4往復)、昭和59年3月 西寒川支線廃止まで通勤客を運んでいたことが分かります。

八角広場の西寒川支線跡
碑の北側に線路が遺されています。広場内の案内板によると八角広場は旧国鉄西寒川駅跡地で西寒川支線跡地を利用して昭和60年から整備した一之宮緑道の南端になります。北東の端は寒川神社表参道一の鳥居付近まで、延長約900mの緑道です。

寒川町一之宮の工業団地
八角広場から見た東南方向の工業団地。

1927~1939(昭和2~14)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)
西寒川支線は貨物線とあり、海軍工廠はまだなく桑畑でした。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「寒川駅」と入力すると開きます。1944~1954(昭和19~29)年に切り替えると工場が見えます。

寒川町の一之宮緑道
西寒川支線をたどってみることにしました。

寒川町の一之宮緑道
沿道に早やくもコブシの白い花が咲いていました。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
モニュメントとして車輪が置かれていました。一之宮公園丸太の広場付近。

寒川町の一之宮緑道
一之宮公園付近で線路が復活。桜が多いので花期が楽しみです。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
線路が終わったところでまたモニュメント車輪です。

寒川町の一之宮緑道
両側がカツラ並木の緑道。カツラは高さ25mにもなる落葉高木で秋になると形の良いハート形の葉っぱが美しく紅葉します。低木はドウダンツツジ。四季折々色彩の変化を楽しめそうです。

寒川町の一之宮緑道ゲート広場
一之宮緑道北東の終点(起点)県道47号線沿いゲート広場の道標。

西寒川支線跡
県道47号線を渡ると線路跡敷地が残っています。

西寒川支線跡
線路敷地右側の小道を進むとJR相模線へ出てきます。相模線のこの辺りにポイントがあったのでしょうか? 寒川駅は500mほど先にあります。
今回の廃線路探訪は短いうえに整備された緑道だったので楽な歩きでした。あっという間に終了です。

寒川神社表参道一の鳥居
県道47号線沿いゲート広場から北方を見ました。寒川神社の表参道一の鳥居です。ここから続く寒川神社の森は神奈川の美林50選に選定されています。表参道から別の目的地へ向かったので次回発表します。

八角広場の位置です。


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