横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の371 目久尻川源流を訪ねる⑥・白髪弁財天社

 前回、小田急線西側の目久尻川を探訪したあと目久尻川源流の一つといわれる白髪弁財天社を訪ねました。探訪したのは3月5日(日)晴れの日です。

江戸街道・座間市広野台1丁目
村富線(県道507、50号線)を一路南下し交番前の交差点信号を右折しました。長い下り坂です。下ったところに目久尻川が流れています。
坂下から交番前交差点方向を振り返りました。この坂道は「江戸街道」と言います。ここは座間市広野台1丁目です。

江戸街道の碑
坂の途中の座間市教育委員会が立てた江戸街道の碑。
江戸へ向かう道で相武台前から芝原を通り、辰街道を越え相模原市を抜け横浜市緑区の長津田で大山街道に合流していた。 (碑文より要旨)

白髪弁財天社・座間市栗原

白髪弁財天社・座間市栗原
江戸街道南の目久尻川沿いの白髪弁財天社です。

実はここにはちょうど5年前の一月に相模原市立博物館民俗探訪会で来たことがあります。当時は社殿の改築工事中でしたが、脇を流れるシートパイル護岸の排水路のような目久尻川をよく覚えています。
5年前の探訪会資料に弁財天社についてあらましが書かれていたので抜粋して紹介します。
「弁天の 小池に始まる 目久尻川」と郷土かるたにも詠まれ、かつてここに湧水池があり、目久尻川の源流とされています。地名が示すように、小さな池があって池から湧き出る清水は絶えることがなく、各地の流れと合流して、目久尻川として流れ流域の人々の生活用水や、農業用水となって、農民の生活を支えてきました。
村の人々は、この恩恵に感謝し、池の辺りに祠を建て弁財天を祭りました。後に、養蚕の神と言われる白髪大明神を合祀し現在に至っています。
(探訪会資料「座間ふるさと探訪」より)

白髪弁財天両社の碑
境内の白髪弁財天両社之碑です。目久尻川源流について刻まれているので碑文の一部を記します。
白髪弁財天両社之碑
此の地は目久尻川上流水源地として往昔より清水が湧き小さな池がありよって小池谷の呼称あり。湧出する清水は渇することなく清流なり。流域の人々は飲料水に或いは農耕水として限りなき恩恵に浴していた。その報恩に住民は玆に白髪弁財天両社を祭りこの地区の鎮守神として古くから三月三日を例祭として式典を行って来た。しかるに昭和三十三年河川改修があり往時のおもかげはなくなり、更に近年囲辺の宅造化が進み社地の整備を迫られて来たのである。たまたま共同開発興業株式会社他三名の共同団地造成を機に好意により境内を整地し社殿を移転し玆に完成を見た。氏子一同の喜びと共に往時を回顧して記念碑をたて、いささか経緯を記して後世につたえんとする。(後略)昭和四十五年三月三日 小池地区聯合自治会
(碑文より)

白髪弁財天社・蛇の紋章

白髪弁財天社・蛇の絵
社殿棟に取り付けられた蛇の紋章と下の画像は社殿壁に描かれた蛇。

七福神中、唯一女性神で、水と財宝の神と伝えられる弁財天。弁財天の化身が蛇や龍、蛇は弁財天の遣いとも言われています。前回、明治時代の今昔マップを載せましたが、昔マップを見るとこの辺り一帯(に限らず相模原横山台地いたるところ)は桑畑でした。小池地区は養蚕が特に盛んな村だったことが窺えます。養蚕の天敵はネズミです。ネズミの天敵は蛇や猫、そこからこの神社のシンボルマークは蛇です。水の恵みに感謝し、蚕の無事な生育を願う農家の気持ちをぴったり表していますね・・・。
社殿の中には小さな石祠が二つ、石祠の前には絵に描かれたような小さな石造りの蛇が祭ってありました。

白髪弁財天社西を流れる目久尻川
白髪弁財天社西側を流れる目久尻川。「其の369」で通りました。

目久尻川源流を訪ねるシリーズの最終回は源流の一つ小池の白髪弁財天社を取り上げました。次回はまだ未探訪です。芋づる式に探訪先を展開するのがdoushigawa流なので、思いつくままどこへ飛ぶか分りません。

白髪弁財天社の位置です。




 [追記]
5年前、平成24年1月に訪ねた時に撮影した改築工事中の写真が見つかりました。完成後の三月三日に例祭を行うというお話でした。(2017/04/01追記)

白髪弁財天社・座間市栗原
白髪弁財天社(2012/01/28撮影)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://doushigawa.blog.fc2.com/tb.php/376-0699b462
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad