横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の370 目久尻川源流を訪ねる⑤・相模原市相武台小付近

 前回の続きです。目久尻川の源流を極めようと小田急線の西側を探訪しました。目に見えない流れを追っかけた結果は・・・。

目久尻川源流・小田急線東
前回の帰り道、相武台前駅に向かう途中小田急線東側の目久尻川を南側から見ました。右側青色フェンスが目久尻川のフェンスです。目久尻川はフェンスから西がトンネルで小田急線を潜り西側へ抜けていると思われます。

目久尻川源流・小田急線東
南側坂の上から見た上記の遠景です。ここまで南北の台地の間を流れる目久尻川を遡ってきました。北側台地が広野台1丁目、南側台地が相武台2丁目です。つまり谷戸の奥へ向かって歩いてきたことになります。

小田急線・座間市相武台2丁目
探訪三日目は3月5日(日)晴れの日に行ってきました。
これは小田急線の西側から小田急相模原駅方面(新宿方面)を見たところです。ここは目久尻川右岸の台地の上です。右側に見える切り通しがそれをよく表しています。台地を削り線路を引いたんですね。おそらく削った土砂で谷間を埋めたのでしょう。新宿方面に向かってゆるい下り坂で下ったところに目久尻川が流れていました。谷戸の谷間です。そして左岸側の台地に向けて上り坂になります。電車に乗ってもこんなことには全く気づきませんが、こうして観察すると分かります。「目久尻川に向って下り坂、通過したら上り坂」は小田急線に並行する行幸道路(県道51号線)やその他の道についても同じことが言えます。

小田急線が通る前この辺はどんな様子だったのでしょう。今昔マップと言う便利な地図があるので参考にしました。
1896~1909(明治29~42)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)

左側が昔マップで右側は今マップです。昔マップを動かすと今マップが連動します。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「相武台前駅」と入力すると開きます。

昔マップを見てまず気付いたのは等高線です。地形が分かります。それと目久尻川から続く点線に注目しました。川の表示は点線ではないので地区境界線と見ました。「地区境界線が目久尻川」は十分にあり得る話なので現在の広野台1丁目と相武台2丁目、1丁目の境界を見較べると、なんとぴったり一致するんですよね・・・。(^σ^)

そんなことで気持ちが楽になりました。目久尻川源流は境界線をたどれば良い訳です。探訪開始です。どんなところか楽しみですね。

目久尻川源流・小田急線西
小田急線の西側にやってきました。線路の向こう側に見覚えのある竹藪があります。

目久尻川源流・小田急線西
小田急線から西方向(目久尻川上流)へ続く目久尻川跡の雰囲気がある道。右側は擁壁で相模原横山台地の縁を目久尻川が流れていたことが分かります。今は地下に暗渠が埋まっているはずです。左側が座間市相武台1丁目、右側は座間市広野台1丁目です。

目久尻川源流・行幸道路付近
小田急線から150mほどで行幸道路(前方の石垣)に突き当たります。行幸道路は小田急線と同じように谷を埋め、土を盛って均してあります。左が小田急相武台前駅方面、右は小田急相模原駅方面で、道路の上に立つと両方向とも上り坂です。ここは谷戸の谷間と分ります。
上記今昔マップ(1896~1909年)当時からこの道はありました。目久尻川両岸、道の両側は「岩がけ」記号が表示されているので当時は切り通しの道だったと思われます。
行幸道路は昭和天皇が陸軍士官学校に行幸の際(昭和12年の士官学校卒業式)、それに備えて急きょ元からあった道を整備した道で原町田駅(現JR横浜線町田駅)から通じています。

目久尻川源流・行幸道路付近
行幸道路から西側を見ました。いかにも川跡のように見える道が西の方に向っています。右側はロイヤルホストです。

目久尻川源流・行幸道路付近
迂回して川跡の道に入りその先を見ました。未舗装の道です。台地の縁を流れていたことがよく分かります。
右側は座間市広野台1丁目、左側は座間市相武台1丁目です。

目久尻川源流・行幸道路付近
行幸道路から100mほどで突き当りです。

目久尻川源流・行幸道路付近
赤色の消防ホース格納庫から北西へ入る砂利道があります。

座間市下水道管理用地の看板
砂利道に掲げてあった座間市のお知らせ看板です。
ここは下水道管理用地です。・・・座間市都市部下水道管理課
この道の地下に間違いなく暗渠が埋まっています。小田急線以西の目久尻川は「雨水下水道扱いの川」として利用されていることが分かりました。

座間市の雨水下水マンホールフタ
これは消防ホース格納庫付近の座間市雨水マンホールフタです。

座間市下水道管理用地
50mほど先に車止めがあり砂利道は終わりです。車止めの裏側に先ほど見た注意看板と同じことが書いてあります。眼前を横切る道は座間市と相模原市の境界線です。たどってきた道はまだ先へ続いています。

相模原市市相武台3丁目
相模原市に入りました。ここは相模原市南区相武台3丁目です。ちょっと先にこの道の突き当りがみえます。目の前のマンホールフタは相模原市の雨水下水マンホールフタです。

相模原市相武台3丁目
写真① 上記マンホールフタから交差する道の右方向を見ました。ここは坂の下(台地の下)です。

相模原市相武台3丁目
写真② 同左方向を見ました。ここも坂の下(台地の下)です。

相模原市相武台3丁目
写真③ 突き当りまで来ました。その先は一段高く階段が付いています。
写真①~③を見ると左右両側が台地、前方も台地の地形と分かります。今昔マップの地形図を参照するとこの辺りが谷戸の最深部(谷頭・こくとう)と思われます。以上のことからこの辺りが目久尻川が湧き出した本当の源流ではないかと推測します。

相武台第3雨水調整池
階段を上ってその先へ進みました。左手は相武台団地の相武台第3雨水調整池でした。溜めた雨水の排水を目久尻川の暗渠に接続しているかは?です。多分まったく別系統で排水していると思います。相模原市役所下水道局へ行けば機械で下水管経路図を見られるので確認は可能です。

相模原市南区・相武台小付近
相武台第3雨水調整池のはずれからその先を見ました。左は相武台小学校、右側道路奥は相武台団地です。一見してさらに標高が高い台地(相模原横山台地)と分かります。

相模原畑かん用水路の虹吹分水池に「畑地かんがい事業の碑」が立っています。その碑文の冒頭に神奈川県央相模原横山台地は、北は相模原市より南は藤沢市に至る「八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で古くから水なき台地と呼ばれた。とあります。 「其の76」。

(唐突ですがぶらタモリ調で書くとこんな感じです。↓)
いかがでしょうか皆さん。そうなんです。実は水なき台地の縁から湧き出た清水が目久尻川の始まりだったんですね・・・。
下流でも湧水を集め大きな流れとなり大地を削り土砂を運び谷戸や平野を形づくりました。

まあそんなことで、今回の探訪により目久尻川源流は座間市との境界に近い、相模原市南区の相武台小南付近と分かりました。

目久尻川源流を訪ねるシリーズ冒頭で、水道みち・用水路歩きで何回も目久尻川を渡たり断片的に知っていると書きました。
今回、河口から源流まで通しで歩きそれぞれに再会し、改めてそのことを実感しました。我ながらここ数年よく歩いていたなあと感慨もひとしおです。

今回のスタート小田急線西側の位置です。

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