横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の365 荒玉水道道路を歩く③・東京都中野区板橋区

 前回の続きです。1月28日(土)晴れ、中野区の野方配水塔、板橋区の大谷口配水塔を見に行きました。

野方配水塔・東京都中野区
中野通り沿い、みずのとう幼稚園側から見た野方配水塔です。昭和4年に完成した高さが33.6m鉄筋コンクリート製です。こちら側から見ると空襲時の弾丸の跡が見えるそうですが、よく分かりません。

野方配水塔・中野区水の塔公園内
中野区立水の塔公園内北側から見た野方配水塔。

野方配水塔・中野区水の塔公園内
南側から見た野方配水塔。

野方配水塔・中野区水の塔公園内
配水塔周りの柵が遺されています。

野方配水塔について現地案内板から引用します。
旧野方配水塔(国登録文化財)
野方配水塔は、荒玉水道の給水場につくられた塔でした。荒玉水道は大正12年(1923)の関東大震災後、東京市に隣接した町村の急激な都市化による水の需要に応じるため、当時の豊多摩・北豊島両郡にある13の町々が連合して設立しました。
配水塔は、ドイツで衛生工学を学び、淀橋浄水場をつくった「近代上水道の父」中島鋭治博士(1858~1925)の設計です。
着工は昭和2年(1927)で竣工は同4年です。高さは33.6m、基部の直径約18mの鉄筋コンクリート造りです。
世田谷区の喜多見で多摩川から引水し、60万人の2時間分が貯水可能と言われ昭和41年(1966)まで使われていました。その後、解体計画もありましたが、平成22年(2010)に国登録文化財となり大切に保存されています。
ドーム型の屋根が、地域の特徴ある景観を形づくり、江古田の水道タンク・水の塔・給水塔などと親しまれてきた、東京近郊都市化のシンボルです。平成26年2月 中野区教育委員会

(案内板より)
給水エリアは中野区HPによると、
世田谷区砧から多摩川の水を引いて中野・杉並・豊島・板橋・練馬・北区に水道供給をするためのものでした。とあり結構広範囲です。

なお、世田谷区弦巻に現存する渋谷町水道の双子の給水塔・駒沢給水塔も中島鋭治博士によるものです。野方配水塔に先行すること5年、大正13年に完成しました。


野方配水塔の北東に大谷口配水塔があります。中野通り(都道420号線)を道なりに歩くと自然に到達します。

中野通り・豊島区南長崎
豊島区南長崎の中野通りです。面白い標識がかかっています。

「踏切あり」の標識
拡大しました。「踏切あり」の標識です。電車が描かれた標識は見かけますが東京のど真ん中で汽車は珍しいですね・・・。前方に西武池袋線踏切があります。

千川親水公園
豊島区千川親水公園に寄りました。案内板によると保谷村で玉川上水から分水した千川上水(江戸六上水の一つ)の跡地を平成元年に公園化したそうです。

ロード大谷口と大谷口配水塔(大谷口給水所)
東京メトロ有楽町線千川駅付近を通過、都道420号線にロード大谷口の看板がかかっています。電柱がないすっきりした街並みです。前方の塔が大谷口配水塔(現大谷口給水所)です。

大谷口給水所(大谷口配水塔)

東京都水道局 大谷口給水所
ロード大谷口から見た大谷口配水塔(現大谷口給水所)と東京都水道局の表札。
昭和6年完成の旧大谷口配水塔は取り壊され、跡地に平成23年3月、旧配水塔の意匠(円筒形にドーム屋根の形)を継承した大谷口給水所が完成しました。地域のランドマークとして親しまれた旧大谷口配水塔を後世に残す東京都水道局の粋な計らいです。
新しい塔はポンプ棟(中は倉庫、監視室、電気室、地階がポンプ室)で配水池は両側地下にあり、その上は駐車場や公園になっています。 「東京都水道局のプレス発表」並びに記事内PDFを参照ください。

大谷口給水所(大谷口配水塔)
大谷口公園から見た大谷口配水塔。

大谷口給水所(大谷口配水塔)
駐車場から見た大谷口配水塔。上部は野方配水塔と全く同じデザインです。

予定通り野方配水塔・大谷口配水塔を見たので荒玉水道みち歩きはこれで終わりです。去年の暮れから埼玉県・東京都の水辺歩きが続いたので、次回は神奈川県の水辺を歩きます。

野方配水塔の位置です。
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