たまに水道みちを通るのも良いことで、前回発表の通り水無月園(菖蒲田)前で「道志川系統活性炭注入設備新設工事」が始まったことを知りました。

小松会病院前の道路から見た農地の中の畑かん用水路の遺構です。北の方向(用水路上流)を見たところです。南清掃工場の煙突が見えます。ここは相模原市南区麻溝台です。

上記水路管の南端はこのように歩道際(小松会病院前の東西に通じる道路)で切断されています。昔は道路をサイフォンで横断し南側の新磯野の農地へ向かっていたと思われます。

これは逆方向、北側の道路から南方(用水路下流)を見たところです。コンクリート製の水路管(セグメントパイプ)は南へ向かい東、南へと向きを変えクランク状に敷設してあります。右奥の建物が小松会病院。

セグメントパイプと塀の間を通り中の様子を観察しました。
直径1m位の円柱形の桝で南向きから東向きへ方向転換。そばに神奈川県のマーク入り境界杭が見えます。畑かん用水路の幹支線は神奈川県が工事を行いました。敷設用地は神奈川県所有のようです。

桝から東へ向かうセグメントパイプ。

桝から見た北方向のセグメントパイプ。セグメントパイプは長さが3m、外径は45cm、上部に長さ1mの長円形の開口が2か所あります。開口部は下の写真のようにサイフォン管で畑に給水するための開口です。

末端の小支線用水路から畑へ給水の様子。サイフォン管で給水しています。(相模原市史現代通史編 p289より)

ここにも神奈川県の境界杭が。桝と北側道路間。

北側道路際の円柱形の桝。これは道路下を横断したサイフォンの吐口桝(はけくちます)です。直径は約1m。

道路北側の呑口桝(のみくちます)。吐口桝と同じ形状です。

道路西側から見た呑口桝と吐口桝。道路下約1.2mに二つの桝をつなぐヒューム管が敷設されています。

呑口桝北側(上流)の様子。セグメントパイプは半ば土で埋まっています。右奥竹藪の方へ続いています。

その上流です。竹藪の北側を東西に通じる道路際に円柱形サイフォン吐口桝が残っていました。ごみ捨て場になっています。

吐口桝を背に北を見るときれいに整地された広場になっています。呑口桝は撤去されたようで見当たりません。これより上流は???です。「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」によると東西分水工の東で分水した麻溝三号線が麻溝台、新磯野まで伸びているので、これが該当する支線用水路線ではないかと思います。

小松会病院付近で見た麻溝台・新磯野土地区画整理事業予定地の看板。今日見た畑かんの遺構はこの事業の影響を受けるのでしょうか。
私は畑かん用水路水源池の津久井分水池から藤沢市円行2丁目の終点まで歩き、多数の遺構を見せてもらいましたが、今回のような原形をとどめた規模の大きい支線用水路の遺構は初めて目にしました。探せばまだまだ残っていることをあらためて認識しました。
今回も相武台歴史同好会のYさんのご支援により実現しました。ありがとうございました。
今回の参考資料です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術史」
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」
1965年3月神奈川県農政部耕地課 (相模原市立博物館蔵)
今回見たセグメントパイプの南端の位置です。
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