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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の734 大岡川分水路①日野川日野取水庭・横浜市港南区

 3月23日(火)、横浜市港南区の大岡川分水路を歩き、日野川を堰き止める水門、取水庭や水路トンネルなどを見学してきました。下流の開渠分水路まで2回に分けて発表します。


位置関係の説明は解りやすい今昔マップを参照します。
(今昔マップon the webより)

昭和59年修正版地図です。昭和56年に完成した大岡川分水路が図示されています。地図を東へ動かすと大岡川分水路の放流先・根岸湾河口まで確認できます。日野川は北流して横浜港に注いでいます。


日野川・港南橋
今日は横浜市営地下鉄・港南中央駅から探訪開始です。駅近くを大岡川支流の日野川が流れています。港南橋から日野川上流の眺めです。「大岡川分水路・日野川日野取水庭」はこの上流に在ります。


日野川・吉原橋より下流を望む
県道21号線(鎌倉街道)を南下します。その上流、吉原橋から下流の眺めです。日野川は900mほど下流で大岡川(笹下川)に合流し横浜港に注いでいます。


日野川・新吉原橋より上流を望む
その上流、新吉原橋より上流の眺めです。今日は花見を兼ねた散歩になりました。


日野川の日野水門
県道17号線高架橋を潜り寺北橋から上流を見ると水門があります。水門は今回のテーマ「日野川日野取水庭」を構成する重要な施設です。


日野川の日野水門
水門は「日野川水門」と言います。間近で見るとゲートは平常時の日野川の流れを妨げない程度まで上げてあります。大雨で日野川が洪水になるとゲートを完全に閉じ大岡川分水路へ流路変更を行います。


日野川の日野川水門
日野川水門の銘板
日野川水門と銘板です。
昭和55年11月竣工、発注者は横浜市下水道局。


日野川取水庭
日野川水門管理橋・川渡橋から見た日野川の上流です。川幅が広くなっています。大岡川分水路「日野川日野取水庭」です。


日野川・日吉橋より上流を望む
日野川水門の約150m上流の日吉橋から見た日野川上流方向です。


日野川の河川標識
神奈川県が立てた日野川の河川標識です。

二級河川 大岡川水系 ひの川  河口から9.1km
 


日野川日野取水庭
大岡川分水路・日野川取水庭
大岡川分水路・日野川取水庭
日吉橋から見た下流方向「日野川日野取水庭」です。日吉橋~日野川トンネル入口までの川幅の広い所を取水庭と呼んでいます。左側が日野川水門、右側は日野川トンネル入口方向です。大雨になり日野川水門を閉じると洪水は右側の人工河川・大岡川分水路へ流れていきます。

昨年見学した帷子川分水路には日野川水門に相当する水門はなく越流堤から洪水の約70%を分水路へ分水していました。こちらは分水路へ100%送り込んでいます。自然な河川の完全な流路変更です。途方もないことを考え実行しましたね!!驚きです。大岡川分水路は今から40年前の昭和56年に完成しました。


大岡川分水路・日野川取水庭
日野川トンネル(分水路)入口方向。分水路に架かる橋は新川渡橋。日野川水門前に水位目盛りが刻んであります。


日野川取水庭の水位目盛り
日野川水門上流側の水位目盛り。最高水位6m。


日野川取水庭
新川渡橋から見た「日野川日野取水庭」上流方向。日吉橋が見えます。


大岡川分水路・日野川トンネル入口
新川渡橋から見た大岡川分水路下流方向。日陰で見にくいですが日野川トンネルの入口が黒い口を開けています。


大岡川分水路・日野川トンネル入口
大岡川分水路日野川トンネル入口です。入口上部に「大岡川分水路日野川トンネル」の銘板が貼ってあります。

延長:1,269m 内径:8.9m  
断面図によると馬蹄型隧道です。
計画分水流量:195㎥/秒 
大岡川分水路の延長(日野川取水庭~根岸湾河口)は3,637mです。
ちなみに帷子川分水路の計画分水量は350㎥/秒でした。
(神奈川県 大岡川分水路パンフより)


大岡川分水路河川標識
日野川トンネル入口付近の大岡川分水路河川標識。

二級河川 大岡川水系 大岡川分水路  河口から3.5km

日吉橋から河口までが9.1kmでした。大岡川分水路から直接根岸湾放流により5.6kmもショートカットすることになります。


県道17号線・港南ひまわりトンネル
一通り見学したので次の施設・大岡川分水路「大岡川取水庭」を見に行きました。県道17号線・港南ひまわりトンネルを潜り東へ向かいます。次回、大岡川分水路②に続きます。

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其の733 大島水場のヤツボを訪ねました・相模原市緑区

 日々神社の徳本念仏塔を見たあと横浜水道みちに戻りヤツボを見てきました。以前にも訪ねたことがあり再訪です。

横浜水道みち・相模原市緑区大島水場
相模川左岸段丘崖沿いの横浜水道みちです。道志川系の水道みちで上流へたどると青山沈殿池から道志川の鮑子取水所に至ります。左側に大島水場のヤツボ案内板、相模川散策路の道標が見えます。


大島水場のヤツボ案内板
大島水場のヤツボ案内板。相模原市登録史跡です。


相模川散策路の道標
相模川散策路の道標。水道みちは相模川散策路になっています。


大島水場のヤツボ
ヤツボは崖の中腹にあり案内板のあった場所から崖を下ります。


大島水場のヤツボ案内板
階段途中の案内板です。夏場はマムちゃんに注意。


大島水場のヤツボ
玉石積みに囲われたヤツボです。奥の方、御神水の位置から泉が湧き出しています。


大島水場のヤツボの説明板
ヤツボの案内板です。

「ヤツボ」とは湧水を溜めた場所で、昔から地域の人々によって飲料の取水や洗い場として利用されてきました。相模川を臨む崖沿いには湧水地が数多くあり、大島地区から田名地区にかけては「ヤツボ」が10か所以上確認されていましたが、現在その多くは枯渇し、見ることのできる場所も限られています。 
(案内板より)


大島水場のヤツボ地名標柱
相模原市が立てたヤツボの地名標柱です。


龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
地名標柱の脇に祠があり石造物が祀ってあります。

龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
祠脇にあった案内板です。

龍蛇神(りゅうだじん)(龍蛇信仰の神)
勺に食いついた龍蛇石像の由来
その昔、文久年代中頃1861年2月19日から1864年2月20日 3年間
目を患う行者が、湧き水(ヤツボ)で目を洗い滝に打たれて修業し療治した。又七の長男である米吉は、滝わきで大きな水車を動力に、精米所を営んでいた。行者は米吉の家を宿に修業、感謝の意で龍蛇神の石像を置かせてほしいと、土岐の地権者米吉に依頼し、滝の脇に置かせてもらった。
 (案内板より)


大島水場のヤツボ
ヤツボから相模川へ向かうせせらぎ(右側の水路)。


↓は2012年に訪ねた時の記事です。龍蛇神の説明文が少し変わりました。

其の38 横浜水道みち短信 (2012/09投稿)


大島水場のヤツボの位置です。


其の732 日々神社の徳本念仏塔・相模原市緑区大島

 3月14日(日)、横浜水道みちから足を延ばし日々神社の徳本念仏塔を見に行きました。

日々神社一の鳥居
横浜水道みちから県道48号線に入りました。県道に面した日々神社一の鳥居。


日々神社・相模原市緑区大島
参道を200mほど進むと日々神社に到着です。


日々神社の水舎(みずや)
鳥居をくぐり神域に入りました。右手の水舎(みずや)です。


日々神社・相模原市緑区大島
日々神社・相模原市緑区大島
拝殿は切妻造り平入の神明造りと呼ばれる形式です。左側の大木は御神木の楠です。参拝者はスーパーやコンビニレジ前のように間隔に注意せねばなりません。


日々神社・相模原市緑区大島
その奥の玉垣で囲われた本殿です。

案内板より日々神社御由緒を記します。
●御祭神 伊邪那岐命、天照皇大御神
●創建年代は不詳 保元二年、寛文五年、元禄元年、明治七年に再建。
かつては「日之宮」と称したが明治二年に「日々神社」と社号を改め、明治六年国幣中社寒川神社付属社に列せられ明治六年十二月に村社となった。
  (案内板より抜粋)


日々神社の徳本念仏塔
本殿の北側、お目当ての徳本念仏塔です。独特の書体の六字名号「南無阿弥陀仏」が刻まれています。

相模原市登録有形民俗文化財
大島日々神社の徳本念仏塔(文政三年)
徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の書を求め念仏塔を建てました。元は県道沿いにありました。  相模原市教育委員会
  (案内板より)

日々神社の徳本念仏塔
右側面、下の方に「右大山」、左側面に「左ほしのや」と刻まれています。街道に立つ念仏塔は道標を兼ねていました。


日々神社の御神木楠
日々神社の御神木楠
御神木の楠「白蛇の棲まう神秘の木」です。樹齢約300年の巨木。大地をつかむ根張り、天を衝く幹枝、精気がみなぎっているようでパワーをもらえそうですね。


日々神社境内社・相模原天満宮
日々神社境内社・八坂神社、日枝神社
境内社の相模原天満宮、八坂神社、日枝神社です。


以下は日々神社へ来るときに通った横浜水道みちです。過去記事で取り上げているので簡単に。
横浜水道みち・相模原市中央区田名
田名北小付近の横浜水道みち。かつて青山沈殿池・西谷浄水場間の通信用に使われたコンクリ製の電信柱が残っています。もうすぐ彼岸の入りです。今日は上空でさえずるヒバリの初音を聴きました。


横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
トロッコの歴史看板です。風雨や日光に晒されているのに数年前と全く変わらない高品質の看板です。三井用水取入所から5番目の看板です。全26か所は右サイドバーリンク・其の718「横浜水道創設水道導水路」&トロッコの歴史看板一覧に載せました。


以下、看板写真より。看板はいろいろと教えてくれます。
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名

導水線路高座郡溝村(田名・上溝)付近
導水線路高座郡溝村(田名・上溝)付近
桑畑に敷かれたトロッコ軌道。通信用電柱が立っています。

水道創設当時の三井用水取入所  野毛山貯水池 宮内庁書陵部所蔵
左は水道創設当時の三井用水取入所、右が野毛山貯水池 宮内庁書陵部所蔵

関連過去記事です。

「其の140 横浜水道みちの電信柱」 (2014/03投稿)


タチツボスミレ
タチツボスミレが咲きました。植木鉢の隅にひとりでに生え、緑の葉っぱのまま越冬したタチツボスミレがいつのまにか開花しました。

日々神社の位置です。(地理院地図より)

横浜水道みちは青色破線で表示してあります。


其の731 望地河原相模川左岸の霞堤・相模原市中央区田名

 其の727で相模原幹線用水路(大堀)を歩いたときに霞堤に気づいたので2月28日(日)にあらためて探訪しました。

望地・塩田田んぼの南端
「其の727」に載せた霞堤の写真です。相模川左岸堤防が途切れています。


相模川左岸望地河原の霞堤
上記写真を逆方向の南側から見ました。


望地河原の田畑
霞堤から見た望地河原の広大な田畑。


城山ダム放流警告看板
霞堤に立つ城山ダム放流による増水警告看板。約10km上流に洪水調節を含む多目的ダム・城山ダムがあります。


相模川に合流する大堀の余水排水路
陽原段丘崖沿いに流れる相模原幹線用水路(大堀)の余水排水が霞堤から相模川に合流しています。


相模川左岸望地河原の霞堤
堤防上に散歩する人がいます。堤防の高さは5m位ありそうですね。


望地河原の田畑
私も上ってみました。堤防上から見た望地河原・塩田地区の田んぼや畑。東側は陽原段丘崖です。西側堤防は望地弁財天前から始まっています。その延長は約1,500m。


相模川左岸望地河原の霞堤
下を見ればハイカーが間隔をとって歩いています。新型コロナ感染予防のためでしょうね。世相を表しています。家にとじこもってばかりでは体に毒。この辺も散歩する人が増えてきました。

今昔マップです。(今昔マップon the webより)

さて、今昔マップで確認すると望地田んぼと堤防が出現するのは(1965~1968年・昭和40~43年)からで(1944~1954年・昭和19年~39年)まではただの河原でした。戦後の食糧難解消のため田んぼを開いたと読み取れます。望地弁財天社境内の「望地河原開田記念碑」は昭和29年に建立されました。その頃に完成したと思われます。


望地河原の田んぼ南端の相模川堤防を何故霞堤にしたか。私なりに考えてみました。
(1) 相模原幹線用水路(大堀)の余水排水を相模川に排水するため。堤防を左岸の崖まで繋げると排水樋管ゲートが必要になる。
(2) 万が一、望地河原の田んぼ上流部の堤防が決壊した時、堤内へ流れ込む氾濫水の排水用として。
(3) 望地河原の田畑を調節池(遊水地)として利用するため。霞堤から相模川の洪水を堤内へ逆流させ下流域の流量を低減させる。
(4) (3)については2019年に城山ダムの緊急放流が行われ相模川は洪水状態になりました。霞堤から堤内に逆流した可能性があります。霞堤付近の樹木を確認したところ引っかかった流芥は少なく大きな逆流はなかった模様。ここでは河床勾配から推測すると大きな逆流は無理な感じがします。各地点の標高は今昔マップ、地理院地図で簡単に確認できます。

大堀の余水排水路
これは霞堤付近の大堀・余水排水路の様子です。城山ダム緊急放流時のものか定かではありませんが、わずかに流芥が残っています。

以下は、霞堤から望地弁天キャンプ場まで歩いたのでその様子です。
相模川河川敷・望地河原
河川敷に下りました。


相模川左岸堤防・望地河原前
相模川堤防はかなり高いです。陽原段丘崖の森が見えません。


相模川・望地河原前
河川敷からさらに川端まで下りると根固ブロックが敷きつめてあります。こうしてみると堤内の望地河原の田んぼに洪水が入ることはあるのだろうか?と思いますね。


相模川左岸堤防・相模川散策路
堤防天端を上流へ歩いています。右側のコンクリ製球体は「相模川散策路」の道標です。


相模川・愛甲郡相川町六倉
道標の対岸は愛甲郡愛川町六倉です。その昔、望地・六倉を結ぶ渡しがありました。

望地河原の田んぼ
「望地の渡し」地名標柱
望地河原の田んぼを横断する農道。東側崖上は望地地区です。突き当りの坂を上ると望地バス停に出ます。坂道の下、大堀沿いに立つ「望地の渡し」の地名標柱。


相模川左岸堤防・望地キャンプ場付近
望地弁天キャンプ場近くまで遡りました。堤防下にキャンプ場の管理事務所が見えます。左前方上流の橋は高田橋です。


望地弁天キャンプ場
望地弁天キャンプ場です。右側土手が相模川の堤防です。赤い屋根は望地弁財天。この堤防は望地弁財天前から始まっています。南は霞堤まで延長約1,500mの堤防です。


望地キャンプ場の早咲き桜
キャンプ場駐車場の早咲き桜がまだ頑張って咲いていました。今日が見納めです。2月20日に来た時より葉っぱの新芽が伸びています。

城山ダム緊急放流直後の関連記事です。

其の605 城山ダムのゲート放流(2019.10投稿)
其の607 小沢頭首工を訪ねる(2019.10投稿)

其の730 龍像寺と路傍の石仏・相模原市中央区東淵野辺

前回の続きです。参道をそのまま進み龍像寺を訪ねました。

龍像寺参道入口
木曽街道沿い龍像寺参道入口です。


曹洞宗淵源山龍像寺山号寺号標
参道入口に立つ曹洞宗 淵源山 龍像寺(えんげんさん りゅうぞうじ)山号寺号標です。


龍像寺参道
左手に龍像寺境内の森を見ながら参道を進みます。


境川旧河道・相模原市中央区東淵野辺
参道右側に堀がありましたよ。今に残る境川の旧河道跡です。


今昔マップで確認します。(今昔マップon the webより)

明治39年測図ですが当時の境川はこのように東西二本の流れが中ノ島を作っていました。年代を1975~1978年(昭和50年測図)に切り替えると現在の直線化した境川に変わります。


龍像寺参道の一石六地蔵
参道右側路傍に一石六地蔵が祀ってありました。


龍像寺山門
龍像寺山門・淵源山
龍像寺に着きました。山門に掲げられた淵源山(えんげんざん)と書かれた山号額。著名な方の揮毫と思われますが達筆すぎて読めません。


龍像寺手水舎
山門潜った右手の手水舎。

龍像寺鐘楼
山門左手の鐘楼です。


龍像寺本堂
龍像寺本堂です。


龍像寺案内板
相模原市・相模原市観光協会が立てた龍像寺案内板です。

この寺は山号を「淵源山(えんげんざん)といい、厚木市七沢にある 曹洞宗広沢寺の末寺です。
縁起によると暦応年間(1338~1341年)、境川に住んでいたという大蛇をこの地の地頭淵辺義博(ふちべよしひろ)が退治し、3体に分散した蛇体をおのおのの地に葬ってそれぞれ龍頭寺・龍像寺・龍尾寺としたと伝えられています。
その後、3寺とも荒廃してしまいましたが、弘治2年(155 6年)に巨海(こかい)和尚によってこの龍像寺だけ再興されまし た。寺宝として、この龍骨の一部と義博使用の矢じりと板碑が所蔵されています。また、墓地内には江戸時代にこの地の地頭であった岡野一族の墓があります。  相模原市・相模原市観光協会

(案内板より)


淵野辺龍像寺徳本念仏塔
相模原市登録有形民俗文化財「淵野辺龍像寺徳本念仏塔」です。独特の書体で刻まれた六字名号「南無阿弥陀仏」は彫が浅いため十分に鑑賞できなかったですね。

徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の独特の書を求め念仏塔を建てました。
相模原市教育委員会
   (案内板より)


龍像寺の六面庚申塔
隣に立つ庚申塔です。六角柱の六面にそれぞれ「庚申供養塔」と刻まれています。こんなタイプもあるんですね。初めて見せてもらいました。


龍像寺参道入口
参道入口に戻りました。左手が古淵駅方面です。


木曽街道・龍像寺坂
参道入口前の道は龍像寺坂と言い坂を上ればJR横浜線古淵駅に至ります。正面三叉路角に看板が立っていますね。


古淵一本松跡の案内板
古淵一本松跡の案内板でした。

古淵一本松は、古淵と嶽之内の間で、龍像寺表参道入口の門柱にある所の坂上にあり、武州から来る木曽街道(別名 磯部街道)のかたわらに高くそびえたっていました。 大野北公民館
(案内板より)

龍像寺坂の庚申塔
案内板の陰にあるのは庚申塔ですね。うっかり見落とすところでした。先の尖った石塔に「庚申供養之塔」と彫られ正面側面下部にお猿さんが浮彫りされています。側面に刻まれた文字から道標を兼ねていたと思われます。

龍像寺坂のあるこの道は案内板に木曽街道とありましたが、家康の御尊櫃御成道(ごそんびつおなりみち)として知られています。元和三年(1617年)三月、久能山を発った一行はこの坂を下り、木曽一里塚、小野路一里塚を通り日光へと向かいました。相模原市にも一里塚があるのでいつか歩いてみたいですね。

其の729 大日堂と鹿嶋神社・神奈川県相模原市中央区古淵

 前回の境川木曽東調節池工事現場のあと古淵の寺社を巡りながらJR横浜線古淵駅まで歩きました。

境川・境川橋付近
境川木曽東調節池工事現場上流の境川。前方の橋は境川橋。


境川橋より境川上流を望む
境川橋より境川上流の眺めです。左岸側が東京都町田市、右岸側は神奈川県相模原市。この辺の境川は今でこそ直線化した広い川ですが、昔は少し上流では東西二本に分かれて流れていました。後掲の今昔マップを参照願います。


大日堂・相模原市中央区古淵
境川橋を渡り相模原市へ入りました。鹿島神社入口交差点を右折し古くからある道に入りました。初めに訪れたのは大日堂です。


大日堂案内板
相模原市・相模原市観光協会が立てた大日堂の案内板です。

このお堂は、もともとは南側の崖下にあったものを、江戸時代にこの地点に移したものと伝えられています。このお堂の由来については、地域の人々によって口々に唱えられてきた和讃(わさん)の中に伝えられています。これによると、南北朝時代にここで合戦があり、その戦死者を供養するためであることがうかがえます。この合戦とは北条時行と足利直義による建武2年(1335年)の「井出の沢(いでのさわ)の合戦」のことと考えられます。「井出の沢」とは、お堂の西側を流れていた小沢のことです。また、お堂の中の本尊は大日如来(だいにちにょらい)で、秘仏として信仰されています。  相模原市・相模原市観光協会
(案内板より)


大日堂の石仏
境内の得も言われぬ優しいお顔の仏様。一見馬頭観音像と思ったのですが・・刻まれた文字が判読できません。


鹿嶋神社・相模原市中央区古淵
鹿嶋神社・相模原市中央区古淵
次に訪れたのは鹿嶋神社です。


鹿嶋神社案内板
鹿嶋神社案内板です。

鹿嶋神社(かしまじんじゃ)
この神社はいつ創建されたかは不明ですが、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉攻めのおり祈願のために建立した言い伝えがあり、また、淵辺義博(ふちべよしひろ)の子、義喬(よしたか)が建立した言い伝えもあります。
古文書によりますと、文禄2年(1593年)に奉再建鹿嶋大明神一社一宮御修復とあり、その後、慶安3年、寛延2年、文政2年に再建した記録があり、明治34年5月22日に焼失し、同36年に再建され現在に至っています。毎年5月22日を『焼日祭』と言って祈願しています。 境内の大ケヤキは千年を経ていると言われ、根元にある石は「カナメ石」と呼 ばれ、境川のほとりにあった「田の神」とも言われています。祭神は「武甕槌神(たけみかづちのみこと)」で本殿右は「香取神社」、大ケヤキの横は「稲荷神社」を祭っています。 遠い昔より村の鎮守様として守り今日に至っています。  相模原市・相模原市観光協会 

 (案内板より)


鹿嶋神社の鐘楼
境内の鐘楼です。明治維新を生き抜いたんですね。


鹿嶋神社境内社の稲荷神社
鹿嶋神社境内社の稲荷神社
鹿嶋神社境内社の稲荷神社です。


鹿嶋神社境内社稲荷神社前の地神塔
稲荷神社前の地神塔です。地神は土地の神、農業の神と言われています。左側面に「天下泰平 五穀成就」と刻まれ、右側面には「嘉永三」とあり今から170年ほど前の造立です。


鹿嶋神社前の桜
鹿嶋神社前、蔵のあるお屋敷の早咲き桜。今日は2月16日、今年は開花が早い!


鹿嶋神社前の道
鹿嶋神社前の道。江戸の昔から利用されてきた歴史ある道。


かわじま坂
境川右岸台地の起伏のある道を歩いています。相模原市が立てた地名標柱によると「かわじま坂」と言います。
「かわじま坂」 この辺りは昔島のような地形だったのでこの名があります。


古淵一丁目市民緑地
坂道を下ると段丘崖下の緑地帯に出ました。「古淵一丁目市民緑地」と言います。趣のある散歩にはぴったりの道です。緑地右側を境川が流れています。


龍像寺参道入口
古淵一丁目市民緑地を過ぎると、龍像寺坂に出ます。ここは龍像寺参道入口で山号寺号標が立っています。
途中ですが今回はここまでです。


大日堂、鹿嶋神社の位置です。(今昔マップon the webより)

明治39年測図の今昔マップです。大日堂、鹿嶋神社前の道は江戸時代からある古道と思われ、北へ向かうと龍像寺参道に至ります。
地図を北方向へ動かすと東西に分かれて流れる境川が表示されます。この辺の境川は今でこそ直線化した広い川ですが昔はこのように大きく蛇行し東西に分かれて流れていました。旧河道跡は今でも残っています。

其の728 境川木曽東調節池工事・東京都町田市木曽東

 前々回の境川金森調節池工事現場の上流約4.5kmのところに東京都南多摩東部建設事務所が建設中の「境川木曽東調節池工事」現場があります。2月16日(火)に訪ねました。

境川・桧橋より上流を望む
今日はJR横浜線古淵駅からスタートです。駅から南の方向へ歩き境川・桧橋に出ました。桧橋より境川上流の眺めです。


境川左岸・境川木曽東調節池
桧橋から200mほど上流、左岸の塀で囲われたところが「境川木曽東調節池工事」現場です。


境川木曽東調節池工事現場
境川木曽東調節池工事現場
桧橋を渡り神奈川県から東京都へ入ります。町田駅前通りに面する現場出入口です。現場は近隣に配慮し背の高い防音壁で囲ってあります。


境川木曽東調節池工事案内板
「境川木曽東調節池工事」の案内板が掲げてありました。

以下案内板より概要を抜粋して記します。
●境川木曽東調節池工事その2のお知らせ
この工事は、境川流域の水害に対する安全性を早期に向上させるための地下箱式調節池(貯留量約4.9万㎥)を建設する工事です。
●概要
工事場所:町田市木曽東二丁目地内
工事概要:調節池(深度 約22m)、越流堤、放流渠等
調節池の貯留量約4.9万㎥
工期:令和2年6月11日~令和8年5月29日


●完成イメージ図です。(案内板より)
境川木曽東調節池工事完成イメージ図
越流堤があり放流渠先端のフラップゲート?が見えます。境川金森調節池と同じように多層構造です。

昨年末から今年にかけ本郷・根岸遊水地、風間遊水地、鶴金橋上流の遊水地、境川金森調節池など境川の遊水地・調節池を見て回りました。工事中は風間、境川金森に今回の境川木曽東を加えると3現場となります。境川流域は着々と治水施設整備が進められているので住民は枕を高くして寝ることができます。


境川木曽東調節池の位置です。(地理院地図より)