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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の727 相模原幹線用水路(大堀)を歩く・相模原市中央区

 2月20日(土)、相模原幹線用水路(大堀)を歩いてきました。
ここは昔歩いたことがありますが「冬水田んぼ」を確認するための再訪です。

相模原幹線用水路(大堀)望地隧道出口
1月25日(月)、望地弁財天を訪ねた時、相模原幹線用水路(以下大堀)に用水が流れていました。望地弁財天南側、望地隧道から出てきた用水の流れ。例年今の時期は枯葉が積もる乾いた水路なのになぜ通水しているのだろう?

数年前に「冬みず田んぼ」(冬期湛水)といって非灌漑期に水を張った海老名市の田んぼを見に行ったことがあります。相模原でも冬水田んぼを始めたのかな?散歩がてら確かめることにしました。


相模原幹線用水路(大堀)分水施設
その下流、今日の大堀の分水施設の様子です。左側が幹線用水路で右側が望地河原の水田へ向かう支線用水路です。わずかですが支線にも用水を送っています。


相模原幹線用水路(大堀)分水施設
下流側から見た大堀の分水施設。後ろの赤い屋根は望地弁財天。清水下頭首工完成記念碑も見えます。


望地河原の田んぼ
分水施設下流、南側から見た望地河原の田んぼ。支線用水路に用水が流れていますが水を張った田んぼは無いですね。


望地河原の田んぼ
支線用水路西側の田んぼ。こちらも同じように水張りはなく稲刈り後の株がそのまま残っています。海老名市の冬水田んぼの狙いは冬場の除草作業の軽減や稲わらの分解促進のためでした。


陽原段丘崖沿いの大堀と望地河原の田んぼ
こちらは分水施設下流、陽原段丘崖沿いを流れる大堀(幹線用水路)です。こちら側から下流へたどり田んぼを観察しました。


陽原段丘崖沿いの大堀と望地河原の田んぼ
大堀に橋が架かっています。橋を渡ると道は段丘崖上の望地地区へ通じています。


望地の渡し地名標柱
橋のたもとの相模原市が立てた「望地の渡し」地名標柱。

この辺りは対岸の六倉とを結ぶ渡し場がありました。そのため「六倉の渡し」とも呼ばれていましたが、上流の「久所の渡し」が開かれる以前には大山参りの人々にもよく利用されていました。
(地名標柱より)

今まで気づかなかった初めて見る地名標柱です。この辺に「望地の渡し」があったんですねー。大山参りの人達も利用したとか。今日の収穫の一つです。


大堀の上当麻隧道入口・余水排水吐き施設
大堀の上当麻隧道入口・余水排水吐き施設
陽原段丘崖下を流れる大堀に沿って歩いて行くと塩田地区の田んぼ南端にあるこの施設に至ります。ここまで歩いて望地・塩田の田んぼで冬水田んぼを実施しているところは皆無でした。
左側の施設は上当麻隧道入口ゲート。右側は大堀の余水排水吐きゲートです。大堀は上当麻隧道を潜り当麻地区の田んぼへ向かっています。水の流れを観察すると上当麻隧道入口ゲートは閉じています。下流の当麻地区の田んぼでも冬水田んぼは実施していないことが分かりました。


大堀の余水排水吐き施設
余水吐き兼排水ゲート下流の状況を見に行きました。ゲートは開いているので用水は全量相模川へ向かっています。


相模川に合流直前の大堀
相模川に合流直前の大堀余水排水の急流。用水路の面影はなく大自然の中を流れる普通の河川のようですね。


相模川に合流する大堀
相模川に合流する大堀の余水排水。ここより約4km上流、相模川左岸の清水下頭首工で取り入れた用水は田んぼに入ることなく相模川に戻って行きます。


大堀沿いの注意看板
上当麻隧道入口付近にあった相模原市の注意看板。通水時期は5月~10月と書いてあります。これが例年の通水期間です。

初めに感じた疑問、冬場になぜ通水しているのか?
大堀を普通の河川と考えると、川沿いの動植物に配慮した河川維持水として通水しているような気がします。塩田地区の大堀沿いには6月上旬にゲンジボタルが飛び交います。ゲンジボタル保護はその一つかも知れないですね。


望地・塩田田んぼの南端
おしまいにこの写真は上当麻隧道入口ゲート付近から見た下流方向です。望地・塩田地区田んぼの南端に当たるところです。大堀の余水排水は左側崖下を流れています。
大堀に気を取られていたのですが、写真をよく見ると右側から土手が伸びています。土手は望地・塩田の田んぼを守る相模川左岸堤防の南端になります。端っこと言うことは堤防の途切れ。堤防の途切れ=霞堤ですね!今頃になって気づきました。別途あらためてレポしたいと思います。


関連過去記事です。

其の266 冬の左岸用水と冬水田んぼ(2016/01投稿)
其の137 相模原幹線用水路を訪ねる①(2014/03投稿)


望地弁財天南側、望地隧道出口の位置です。



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其の726 境川金森調節池工事・東京都町田市金森

 前回訪ねた上鶴間道正山雨水調整池の対岸で東京都建設局による調節池設置工事が行われていました。

境川金森調節池工事
上鶴間道正山雨水調整池近くの仮設歩道橋から見た境川左岸の「境川金森調節池工事」の現場です。現場は背の高い防音壁で囲われています。上流の橋は金山橋。


金森調節池工事のお知らせ看板
仮設橋付近の東京都建設局の案内看板。

以下、その概要を案内板より抜粋してお伝えします。
●「境川金森調節池工事のお知らせ」
東京都では、台風や集中豪雨による水害から皆様の命と暮らしを守るため、西田スポーツ広場の地下に洪水を一時的に溜める調節池を設置します。

●施設概要
貯留量:約15万㎥
(内訳 一次貯留量:3万㎥ 二次貯留量:12万㎥)
形式:地下式(鉄筋コンクリート造り、管理棟一部は地上)
施設規模:長さ約190m、幅約90m、深さ約20m


●工事期間は2024年5月31日まで。(別の案内板より)

●完成イメージ図です。(案内板写真より)
金森調節池工事完成イメージ図
越流堤や管理棟前には境川への排水口が見えます。地下調節池上の西田スポーツ広場は高いネットで囲ってあります。

●調節池断面図(イメージ)です。(案内板写真より)
金森調節池・断面図(イメージ図)
越流堤が描かれています。入口に電柱のような棒(スクリーン)が並んでいます。帷子川分水路取水庭や鶴見川・川和遊水地にもありましたね。

図によると一次貯留槽は地下1階、二次貯留槽は地下2、3階と読めます。文字通り一次貯留槽から二次貯留槽へ流れるとすれば、洪水はまず一次貯留槽で受け止め、そこから溢れた洪水が地下2階、3階へと順次流れて行くのでしょうか。バケツに例えると水を張るときは底から溜まっていきますが、ここはバケツの上の方から水を溜める感じですね。もしそうであれば何故このようにしたか、その理由と構造が気になります。

工事完成は3年先です。調節池設置工事の進捗状況を見たいので年に一回くらいは訪ねたいと思います。

西田スポーツ広場の位置です。



飛び入りで望地弁財天付近の桜花です。
望地弁財天付近の早咲き桜
望地弁財天付近の早咲き桜
別の日、散歩の途中早咲き桜に出合いましたよ!
2月20日(土)望地弁財天付近にて。

其の725 上鶴間道正山雨水調整池・神奈川県相模原市南区

 前回の鶴金橋上流の遊水地を見た後、下流の雨水調整池を訪ねました。

境川に合流する深堀川
金山橋下流、境川右岸に合流する深堀川です。上鶴間道正山雨水調整池は深堀川河口、左岸側にあります。


上鶴間道正山雨水調整池
雨水調整池は境川と深堀川に面した角地にあります。構造は地下式で地上部は公園になっています。


上鶴間道正山雨水調整池・空気吸排気管
深堀川に近いところに逆J字型の吸排気管が2本立ち上がっています。大気に開放されていない地下構造式なので雨水の流入、排水時に必須の装置ですね。神田川・環状七号線地下調節池や、鶴見川の御廻公園地下調節池には大規模な換気塔が設置してありました。


上鶴間道正山雨水調整池
深堀川の道正橋から見た調整池。標識がかかっています。


上鶴間道正山雨水調整池・施設標識
調整池フェンスに掲げられた標識です。
上鶴間道正山雨水調整池
容量は815㎥と小型です。管理者は相模原市。

相模原市HPによると
深さは1.9m 排水方式は自然とあります。
地下構造式調整池ですがポンプを使わない自然流下排水の意と思います。


上鶴間道正山雨水調整池前の雨水下水管マンホールフタ
調整池前、路上の相模原市の雨水マンホールフタ。公園内道路沿いに同じマンホールフタがありました。近辺の雨水下水管が調整池に集まっています。


上鶴間道正山雨水調整池・フラップゲート
上鶴間道正山雨水調整池・フラップゲート
調整池に溜めた水はどこから排水するか確かめました。分かりづらいところですが深堀川へ放流しています。冒頭写真の深堀川河口に架かる橋の上流側で丸型フラップゲートを見つけました。「アサヒPG-AA600」とあるのでオリフィスは口径600と思われます。下の写真のように現状の深堀川水面より高位置にあるので大雨の後、自然流下で排水されます。オリフィスで貯留・排水しフラップゲートにより逆流を防止する仕組みは鶴金橋上流の遊水地と全く同じですね。


ここで調整池の貯留方式について調べたので記しておきます。

●相模原市の雨水調整池はオフサイト貯留方式
オフサイト貯留方式とは、下水道等によって雨水を集水した後でこれを貯留し、河川への流出を抑制するものです。相模原市の雨水調整池はオフサイト貯留方式が多く採用されています。
上鶴間道正山雨水調整池はこの方式です。今までに見たあざみがや・新戸・陽光台雨水調整池などもこれに該当します。
雨水は町中の道路側溝から道路地下に敷設した雨水下水管を通って雨水調整池へと流れるので日常生活の中では身近な治水施設です。集中豪雨が一気に流れ込むと河川が溢れるのでオフサイト貯留方式により一時的に調整池に溜めて徐々に河川に排水し洪水を抑制しているわけです。

●オンサイト貯留方式
一方、降った雨をその場で貯める方式はオンサイト貯留方式と呼ばれています。降雨後、学校の校庭が全面池になっているのは何故だろうと不思議に思っていました。ちゃんとした理由があったんですね。オンサイト貯留方式の好事例です。


ここは以前に深堀川源流探訪したさいに通り簡単に触れました。相模原市内の地下構造式雨水調整池はじっくり見たことがないので改めて探訪しました。


深堀川
おしまいに道正橋から見た深堀川上流です。上流はトンネル出口で自然な川ではありえない変わった風景です。この辺りの深堀川は相模原台地を貫いた人工河川(新河道)です。トンネルの反対側に深堀川右岸越流堤から洪水を取り入れる調節池があります。下に載せた地理院地図を動かすと出てきます。


参考記事 其の482 深堀川源流を訪ねる①



上鶴間道正山雨水調整池の位置です。(地理院地図より)


其の724 境川・鶴金橋上流の遊水地を訪ねる・東京都町田市金森

 2月4日(木)、お天気が良かったので東京都・神奈川県境を流れる境川を散策しました。

境川・鶴金橋上流
JR横浜線町田駅下車、近くに境川が流れています。左岸沿い「境川ゆっくりロード」(歩行者自転車専用道路)をぶらぶら下流へ歩いていくと遊水地が見えてきました。画像は境川ゆっくりロードから上流を見たところです。境川は河川改修により川幅が広くて深い直線化した川になっています。


境川・鶴金橋上流の遊水地
ゆっくりロードの内側が遊水地となっています。
掘り込式の遊水地で周囲に柵はなく歩行者は自由に出入りできます。左手前の黒いフェンスで囲った施設は排水口(吐出口)です。

この遊水地は東京都建設局が造った治水施設です。南多摩東部建設事務所HPによると容量は約15,500㎥です。


境川・鶴金橋上流の遊水地
遊水地の北側はこのように大きく蛇行していて、河川改修で直線化する前の境川旧河道を見ているかのようです。


今昔マップで確認します。(今昔マップ on the webより)

昭和50年二改版(1975~1978年)の地図です。境川は直線化されていますが旧河道も示されています。昭和41年改測(1965~1968年)に切り替えると旧河道のみの表示となります。旧鶴金橋の西側が現鶴金橋です。
昔の境川はこのように自由気ままに蛇行していました。
この遊水地は境川旧河道、河川敷を掘り込んで遊水地として活用していることが分かります。


境川・鶴金橋上流の遊水地の越流堤
境川・鶴金橋上流の遊水地の越流堤
遊水地の中に入りました。遊水地から見た境川左岸堤防・境川ゆっくりロード。上部に開口があります。34個のボックスカルバートを並べた越流堤です。境川が洪水になるとここから滝のように落下し、あっという間に広い池に変わると思います。


境川・鶴金橋上流の遊水地の排水口
スクリーン付き排水口(吐出口)です。遊水地に溜めた水の出口は唯一ここだけです。越流堤からどっと流入した洪水は、排水口サイズが越流堤に比べて極小(オリフィス)なため、遊水地に貯留することになります。川側にフラップゲートが付いているので、ここから境川の洪水が逆流することはないですね。


境川・鶴金橋上流の遊水地の越流堤、排水口
右岸から見た越流堤。下流側にフラップゲート付きの排水口(吐出口)が見えます。


境川・鶴金橋上流の遊水地のフラップゲート排水口
角型フラップゲートです。洪水になると河川水の水圧が遊水地方向にかかるのでゲートは閉の状態になります。境川の洪水が収まり川の水位が下がると貯留水の水圧が川の方向へかかるのでゲートは開となり排水されます。遊水地に貯留・排水する仕組みは、オリフィス+このようなゲートの働きと思うのですが、フラップゲートは水圧による自動開閉なので管理が楽ですね。ただしゲートに物が挟まると閉じないのでスクリーンはそれを防止するためと思います。脇にメンテ用の梯子が付いていますね。


境川旧河道・鶴金橋上流
遊水地の下流側に旧河道が残っていました。現在の境川に比べるとうんと浅いです。


境川旧河道・鶴金橋下流
こちらは鶴金橋下流のゆっくりロードから見た境川旧河道です。やはり浅い川ですね。

この遊水地は、以前境川旧河道を探訪したときに載せましたが、遊水地テーマとして改めて取り上げました。

旧河道テーマの過去記事です。

「其の249 蛇行する旧境川河道跡・鶴金橋付近」


其の723 勝源寺の青面金剛像・相模原市南区磯部勝坂

 前回「其の722」で珍しい庚申塔を取り上げました。今回は未だかつて見たこともない青色の青面金剛像の話です。

勝源寺参道・相模原市南区磯部勝坂
前回の庚申塔を見た後、近くの勝源寺(しょうげんじ)へ向かいました。曹洞宗 勝源寺参道です。
ここは相模原市南区磯部2111


勝源寺の六地蔵
山門をくぐり、参道右手の六地蔵です。


曹洞宗 勝源寺
勝源寺
階段を上ったところが本堂です。


勝源寺の聖観音像
これは本堂前の聖観音像です。台座にはあとで紹介するミニチュア像が置いてあります。後ろに青面金剛像の案内板が立っています。


勝源寺の大青面金剛王(六本庚申)
勝源寺の青面金剛像案内板
お目当ての青面金剛像は本堂内にご本尊・千手観世音菩薩と共に祀られていますが非公開で拝観できません。幸い本堂前に案内板が立っていました。

勝源寺の大青面金剛王(六本庚申)
青面金剛尊(しょうめんこんごうそん)は、仏法の守護神として知られる帝釈天の使者とも言われ、病魔・災難を除く神として、また、民間に盛行した「庚申信仰」の本尊として信仰されてきました。「当山に祀られている青面金剛像は、「六本庚申」又「千体庚申」ともよばれ、養蚕に効験のある庚申様として広く信仰を集めました。現在、お像脇に納められている焼物のミニチュア像も、往時は千体あったと伝えられています。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、お像を納めました。
四月の庚申の日あたりに行われたお祭りには、露店が出され、大神楽が行われるなど、近隣はもちろん遠方からも大勢の人が参拝に訪れ、賑わいました。
ここ勝坂周辺には、庚申塔が数多く建てられており、六本庚申との深い関わりがあることがうかがわれます。

(案内板より)


勝源寺の青面金剛像
案内板にある青面金剛像です。
●名前の通り全身青色の像です。普段の水辺歩きで石造りの像は見慣れています。青色の像は初めて見せてもらいました。材質の案内がないのですが一般的な仏像と同じく木造と思われます。
●不動明王のように憤怒の相で火焔を背にしています。
●首飾りは髑髏でしょうか。
●持物は剣・ショケラ・鉾・宝輪・弓・矢と標準的。
●岩の上のふて腐れた表情の邪鬼は金剛に踏み付けられています。

養蚕の守り神としての青面金剛について以下、私なりに考えてみました。あくまでも個人的な感想です。

先日訪れた望地弁財天は養蚕の守護神として招かれました。水と財宝の神と伝えられる弁財天。弁財天の化身が蛇や龍、蛇は弁財天の遣いとも言われています。蚕の天敵はネズミ、その天敵はヘビや猫です。望地弁財天は頭上に宇賀神(人頭蛇身の福の神)を戴いていました。座間市の白髪弁財天はとぐろを巻いたヘビを社のシンボルとしています。弁財天を養蚕の守護神として祀るのは養蚕を知らない現代人にも分かりやすい話です。

勝源寺で弁財天ではなくきわめて珍しい青面金剛を養蚕の守護神としているのは何故だろう。ひょっとして勝源寺の青面金剛像にヘビが関わっているかも知れない・・・と愚考しました。そこで青面金剛像をじっくり観察した結果なんと10匹のヘビを見つけましたよ!(画像をクリックすると拡大します)

六本庚申とは六臂(腕が六本)の青面金剛像が由来ですが、剣とショケラをぶら下げた両手首に1匹ずつ。二の腕に1匹ずつの都合4匹。鉾・宝輪・弓・矢を持つその他の手首に1匹ずつで都合4匹。以上8匹のヘビが巻き付いています。一方足首を見ると左右に1匹ずつ。手足合計で10匹のヘビです。単なるヘビを象ったアクセサリーかもしれませんがこれが養蚕信仰に結び付いた所以かもしれないですね。それと青面金剛の衣に猫?か虎?も描かれています。これは強力な布陣です。ネズミはたじたじですね。(^σ^)


勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像
これは焼き物のミニチュア像です。
人々は、養蚕の始まる頃に参拝し、ミニチュアの像を借りて家に祀り、養蚕が終わるとお参りし、お像を納めました。往時は千体あったと伝えられています。 (案内板より)


勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像  勝源寺の焼き物ミニチュア庚申塔像
本堂前の聖観音像の台座に置かれたミニチュア像を見つけました。高さは20cmくらい。庚申塔のミニチュア版ですね。邪鬼を踏みつけそれぞれ武器を持ち日月も表現しています。こんな像は今までに一度も見たことがないです。


勝源寺の鐘楼
おしまいに鐘楼です。大晦日に除夜の鐘を撞いたことでしょう。


今回の探訪で鮮明なカラー写真で「青面金剛は青かった~」を実感し、初めてのミニチュア庚申塔と対面し満足感たっぷりで帰路につきました。



関連過去記事
「其の371 白髪弁財天社」


勝源寺の位置です。(地理院地図より)


其の722 勝坂遺跡公園付近の庚申塔二題・相模原市南区磯部

 勝坂遺跡公園付近の路傍に立つ庚申塔を訪ねました。

相模原市南区磯部の庚申塔
一つ目の庚申塔はかなり大型です。正面に「青面金剛」と刻まれています。この写真は昨年5月に勝坂遺跡公園近辺を散策したときに撮ったものです。私は当時「青面金剛」と読めず何の石像か分からず発表を躊躇っていました。最近になって相模原市立博物館HP「民俗の窓」で偶然同じ写真を見つけ庚申塔である事が分かりました。この庚申塔は県道46号線新磯小入口交差点角に立っています。


相模原市南区磯部の庚申塔
両側面に文字が刻まれていますが判読できず造立年などは不明です。


相模原市南区磯部の庚申塔
台座に彫られた「三番叟」(さんばそう)を踊る三匹のお猿さんです。三猿「見ざる・言わざる・聞かざる」はよく見かけますがこれは珍しいですね。その下に「摠村中」の文字が見えます。


庚申塔群・相模原市南区磯部
庚申塔群・相模原市南区磯部
新磯小入口交差点を西へ入ったところにこの庚申塔群があります。同じサイズの文字塔の庚申塔が34基並んでいます。上記博物館HP「民俗の窓」に紹介記事があり知りました。未だ見たこともない珍しい庚申塔なので間を置かず1月29日(金)に見に行きました。



庚申塔群・相模原市南区磯部
側面に造立年が刻まれています。
「明治五年壬申春祭」とはっきり読み取れます。明治五年壬申(みずのえさる)は1872年、今から149年前です。


新磯小入口交差点の位置です。


其の721 望地弁財天を訪ねました・相模原市中央区田名陽原

 1月25日(月)、お天気が良かったので望地弁財天を訪ねました。望地弁財天は前々回取り上げた南光寺にゆかりのある神社です。

石像物群・相模原市中央区田名陽原
南光寺参道前の里道を相模川の方へ下っていくとここへ出ます。道端に石像物が集めてあります。


石像物群・相模原市中央区田名陽原
その中の庚申塔です。正面に庚申の文字がかすかに認められ、台座にお猿さんが三匹刻まれています。造立年は文政(1818~1829)まではっきり読み取れました。今からちょうど200年前です。


望地弁天キャンプ場入口
望地弁天キャンプ場入口
ここは相模川が作った陽原(みなばら)段丘面の縁に当たります。段丘崖下、望地弁天キャンプ場に通じる道を下ります。


望地弁財天
急な坂を下ると望地弁財天の脇に出てきました。覆い屋に「望島殿」と書かれた扁額がかかっています。


望地弁財天
あらためて正面から。神明鳥居が立つ神社さんです。


望地弁天案内板
望地弁天の案内板が立っています。

望地弁天(もうちべんてん)
この弁財天は、もともとは、江島神社に安置してありましたが、明治11年(1878年)に南光寺の森恵力(もりえりき)師が養蚕鎮守のため、望地河原の一画に「望島殿(ぼうとうでん)」を設けて迎えました。しかし、明治40年(1907年)の大洪水によって社殿は流失してしまい、運び出された座像は一時、南光寺に保管されていました。その後、昭和29年の望地水田の整理に伴って現在の位置に社殿が再建され、再びここに遷座することになりました。この弁財天座像は江戸時代の制作と思われ、市の重要文化財に指定されています。 相模原市 相模原市観光協会 
 
(案内板より)


望地弁天堂・弁財天像
これが弁財天像です。(相模原市史文化遺産編p100より)
下の相模原市教育委員会の案内板もご覧ください。


木造弁財天座像案内板
こちらは相模原市教育委員会の案内板です。

木造弁財天座像
相模原市指定重要文化財
●像高さ45.5cm 台座高さ28.5cm
●寄木造りで彩色を施し、玉眼を入れてある。
●額上には金銅透彫の火焔型宝冠をつけ、頭頂には鳥居と宇賀神を戴いています。
●八本ある腕はそれぞれ持ち物を持ち、荷葉型台座に座しています。
本像はもともと江の島の江島神社で厚い信仰を集めていましたが、明治時代の神仏分離の後、藤沢の常光寺・綾瀬の済運寺に移されました。その後、田名南光寺の住職森恵力のあっせんにより、明治11年10月田名の望地・陽原・塩田の三集落が養蚕守護のため当地に移し、安置したものです。 

(案内板より抜粋)


今昔マップです。(今昔マップon the webより)

今昔マップで当時の田名村の様子を眺めてみます。
明治39年測図の周辺の地図です。集落以外は見事に桑畑が広がっています。養蚕が盛んであったことがよく分かりますね。東西に真っすぐ伸びる横浜水道みちも描かれています。


望地河原開田記念碑
これは境内の一角に建つ「望地河原開田記念碑」です。昭和29年に望地河原開田事業組合が建立しました。


望地河原の田んぼ・相模原市中央区
相模川左岸堤防から見た現在の望地河原の田んぼです。田んぼ北側に連なる森は陽原段丘崖の森です。南光寺は段丘崖上の台地(陽原段丘面)にあります。


清水下頭首工完成記念碑
弁天堂前にもう一つ立派な記念碑が立っています。「清水下頭首工完成記念碑」で相模原用水組合連合会が昭和44年6月21日に建立しました。


望地弁天キャンプ場
望地弁天前の望地弁天キャンプ場です。今は冬季休業中(2月末まで)で閑散としています。


相模原幹線用水路(大堀)望地隧道出口
望地弁財天の東側、望地隧道出口で姿を見せた相模原幹線用水路(大堀)。ここより約4km上流相模川左岸の清水下頭首工で取り入れた農業用水路です。望地河原、塩田、当麻の田んぼを潤しています。今は冬場の非灌漑期ですがなぜか水を送っています。


せっかくなので近辺を散策しました。望地隧道入口まで簡単に紹介したいと思います。
弁天どぶ地名標柱
これは望地弁天近くの「弁天どぶ」地名標柱です。相模川本流から離れた淵や淀みは「どぶ」と呼ばれています。望地弁天近くにあるので弁天どぶ。


相模川の弁天どぶ
弁天どぶです。へらぶなの釣り堀になっています。


万平穴
弁天どぶ前、陽原段丘崖下に隧道跡があります。相模原市登録史跡「万平穴」と言い安政年間(1854~1859)に田んぼへ水を引くため陽原の中島万平が先頭に立ち掘ったと伝えられています。
今でこそ大堀が通じていますが、掘削機械がない昔、岩盤を掘るのは大変な難工事だったと思います。


弁天どぶへ流入する河川
弁天どぶへ流れ込む川です。相模原幹線用水路(大堀)の余水吐き水路になっています。向かって左側(右岸)に水が流れ込んでいます。水郷田名の町中を流れる烏山用水の流末です。大堀向けと共に清水下頭首工で取り入れた烏山用水はここから相模川へ戻っていきます。


相模原市雨水下水道吐口
この川は相模原幹線用水路(大堀)の余水吐き水路ですが相模原市の雨水下水道の放流先にもなっています。これは雨水下水の吐口施設です。


相模原市雨水下水道
台地上から陽原段丘崖に沿って降下する雨水下水道。


大堀の望地隧道入口・余水吐施設
その上流望地隧道の入口(左側の水門に銘板が貼ってあります)に到着しました。右側は大堀の余水吐き兼排水門で弁天どぶを経由して相模川へ戻っていきます。


相模原幹線用水路(大堀)
その上流です。右側の陽原段丘崖沿いに流下する大堀。


相模原幹線用水路(大堀)の関連過去記事です。
其の137 相模原幹線用水路を訪ねる①


 望地弁財天の位置です。