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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の714 陽光台雨水調整池を訪ねる・神奈川県相模原市南区

 境川の風間遊水地を訪ねたその足で陽光台雨水調整池を訪ねました。以前から一度訪ねたいと思っていたところです。

陽光台雨水調整池・相模原市南区
雨水調整池は町中でよく見かけますが、いずこもフェンスで囲われ中に入ることは出来ません。陽光台雨水調整池は公園を兼ねているので青天の日であれば中に入れます。これは南側から見た陽光台雨水調整池です。周りより低く掘られた掘込式の池です。池斜面に植えられた桜は古木となり桜の名所となっています。


「下溝古山公園・陽光台雨水調整池」施設名プレート
北側の「下溝古山公園・陽光台雨水調整池」施設名プレート。晴天時は野球やサッカーのグランドとして、雨天時は雨水調整池となります。


陽光台雨水調整池の標識
近くに掲げてあった陽光台雨水調整池の標識です。

名称:陽光台雨水調整池
所在地:相模原市南区下溝2348ほか
面積:22,350㎡(約6,761坪)
容量:36,200㎥
完成年度:昭和57年度
管理者:相模原市 連絡先:下水道保全課



私の関心は雨水がどこから入り、どこから出て行き、どこへ流れていくかです。順に巡ります。
陽光台雨水調整池
これは北東の隅にある管理用通路のスロープです。スロープ脇に鉄製観音開きの扉があり施錠されています。「危険!関係者以外立入禁止!」の警告文字。入るつもりはないのですが、中が気になります。パンチングメタル状の穴からカメラで覗いてみました。


陽光台雨水調整池・トンネル水路
中の様子です。トンネル水路ですね。水気はなく乾いています。西の方から来てこちら側、南へカーブしているので雨水は観音開き扉から調整池に流れ込みますね。穴が無数に空いているので扉が閉じていても流入すると思います。


陽光台雨水調整池・水位目盛り
これはスロープ下の水位目盛りです。H.W.L2.31m。護岸上縁は4.0mと読めるので陽光台雨水調整池の深さは4.0mです。


陽光台雨水調整池の水門
観音開き扉の西側に水門のような施設がありました。晴天なのでゲートは閉じています。この奥に町中の道路側溝から始まり⇒雨水下水管⇒幹線雨水下水道へ流れる下水道吐口がぽっかり穴をあけていると思います。


陽光台雨水調整池の水門
池の周り、地上から見た上記水門と管理橋。


陽光台雨水調整池のテレメータ
管理橋脇のテレメータ。水位データを管理者の相模原市庁舎へ送信していると思われます。

水門の役割について私なりに考えてみました。(愚考です)
雨水の流入があればゲート開、設定水位H.W.L2.31mに達したらゲート閉、つまり流入量制御をしていると思います。ゲート操作は遠隔?または職員が駆けつける?は分かりません。たぶん遠隔操作と思います。
設定水位H.W.L2.31mに達しゲートを閉じた後も大雨が止まなかったらどうなるか?町の雨水下水管マンホールから水が吹き上がり内水氾濫となりますね。幸いなことに昨年の19号台風の時にそんなニュースはなかったですね。良かったです~。


陽光台雨水調整池の空気抜孔
逆J字型の鉄パイプ。これは何でしょう?トンネル水路の上に立っているのでトンネル水路の空気抜孔と思います。雨水流入時に排気、貯留した雨水の排水時に吸気するんでしょうね。

神田川・環状七号線地下調節池御廻公園調節池にはもっと大規模な空気抜孔(換気塔)が設置してあります。


陽光台雨水調整池
水門と観音開き扉の位置関係です。グリーンの円が水門、黄色の円が観音開き扉。赤い矢印は水位目盛りです。


陽光台雨水調整池
これはグランド周囲の溝と桝です。


陽光台雨水調整池・排水ゲート
溝はグランド南西隅のこの施設に繋がっています。位置からするとこの施設は排水ゲートですね。ゲートは常時閉の状態で、開にするのは排水時のみと思います。


陽光台雨水調整池・排水ゲート
ここにも水位目盛りがありました。設定水位H.W.L2.31mです。排水ゲートは大雨が収まった後排水するので流入側に比べゲート巻上機は一軸のみで小さめです。次の大雨に備えて排水し、池を空っぽにします。神田川・環状七号線地下調節池を見学したときに貯留した水を二日がかりで排水する。その根拠は二日以内に再度集中豪雨が来ることはないからと学びました。こちらもたぶん同様に二日がかりで排水すると思います。


陽光台雨水調整池
排水ゲート管理橋から見た陽光台雨水調整池。桜の古木が目立ちます。昭和57年度完成ですからね。

さて、排水ゲートの先はどこへ流れていくのでしょう。相模原市HPに排水方式は自然、放流先は姥川とありました。ここは相模原台地の河岸段丘最上段、相模原段丘面の縁に位置しています。姥川は道保川、鳩川と共に中段の田名原段丘面を流れる川です。崖下の姥川に自然流下で放流するということです。その経路は地下トンネルなので窺い知ることが出来ませんが、市庁舎下水道施設課へ行き端末の下水道施設台帳平面図を開けば確認出来ます。数年前に別件で見にいったことがあります。今でも変わらず見られると思います。

今日は大晦日。武漢ウイルスに翻弄された一年でしたね。来年は辛丑(かのとうし)年、平穏な年になってほしいものです。皆さまどうぞよいお年を。


下溝古山公園・陽光台雨水調整池の位置です。


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其の713 境川の風間遊水地を訪ねる・相模原市緑区

 12月24日(木)、前回訪ねた「本郷・根岸遊水地」上流の洪水調節施設、「風間遊水地」を訪ねました。

境川の風間遊水地
所在場所は風戸橋下流境川右岸です。神奈川県HP情報では整備中とありました。その通りただいま工事の真っ最中です。
中央のコンクリートを打った白色の施設は越流堤ですね。

左岸の施設は神奈川県の水位観測所です。観測所名「風戸橋付近」
2分毎に更新する水位画像が見られます。越流堤は目と鼻の先にあるので洪水時には越流の様子を観察できますよ。


風戸橋より境川上流方向の眺め
風戸橋(かざとはし)より境川上流はこんな眺めです。


境川の風間遊水地
境川の風間遊水地
風戸橋下流、左岸から見た工事中の風間遊水地。手前は蛇行する現在の境川です。川幅が狭いですね。拡幅、護岸整備工事も合わせて行うそうです。


境川の風間遊水地
下流方向です。排水ゲートがあります。


境川の風間遊水地・排水ゲート
正面から見た排水ゲートです。


境川の風間遊水地・案内板
現地案内板に境川の概要や完成イメージ図が載っています。

境川の概要
境川は、相模原市緑区の城山湖付近にその源を発し、東京都と神奈川県の都県境を南下して町田市南端から神奈川県に入り、柏尾川等の支川を合わせて相模川に注ぐ、延長約52km、流域面積211k㎡の二級河川です。
この工事では、川幅を広げ、護岸と遊水地を整備します。
遊水地とは⇒洪水時に河川から水を取り込み、一時的に貯留し下流部の負担及び洪水被害の軽減を図る施設です。

(現地案内板より)


境川の風間遊水地・工事案内板
遊水地工事の案内板です。工期は令和3年3月31日まで。
国土強靭対策化工事と書いてあります。先日歩いた帷子川分水路越流部改修工事にも同じことが書いてありましたね。

神奈川県HPに以下の記述あり、参考までに引用します。
・整備目標流量
境川本川 神奈川県管理区間(~根岸橋)180㎥/秒
境川左岸 本郷・根岸遊水地 6㎥/秒(平成4年に供用)
境川右岸 風間遊水地 6㎥/秒(整備中)



風間遊水地の位置です。



其の712 本郷・根岸遊水地を訪ねる・相模原市緑区

 JR横浜線相原駅から始めた相原の町歩き、近くなので本郷・根岸遊水地まで足を延ばしてきました。

境川の本郷・根岸遊水地
町田街道を高尾方面へ歩いていくと左手に遊水地が見えてきます。以前、境川源流探訪「其の255」で歩いたことがあるので遊水地の存在は知っていました。当時、遊水地名称は不明でしたが調べたところ、神奈川県が設置した「本郷・根岸遊水地」と分かりました。


境川の本郷・根岸遊水地越流堤
遊水地をぐるりと巡ります。これは境川左岸の越流堤です。
越流堤下に減勢池があります。


本郷・根岸遊水地上流の境川
越流堤上流側の橋から見た境川上流方向です。


境川の本郷・根岸遊水地越流堤
右岸から見た越流堤です。

神奈川県HPに以下の記述あり、引用します。
・整備目標流量
境川本川 神奈川県管理区間(~根岸橋)180㎥/秒
境川左岸 本郷・根岸遊水地 6㎥/秒(平成4年に供用)



境川の本郷・根岸遊水地越流堤
境川右岸より越流堤越しに見た本郷・根岸遊水地。


境川の本郷・根岸遊水地
その下流です。越流堤下流で右岸の高水敷がなくなり川幅がぐっと狭まっています。洪水を越流し易くするための工夫でしょうかね。


本郷・根岸遊水地の監視機器
囲繞堤(いぎょうてい)に設置された機器。水位監視観測のためでしょうね・・・。


境川の本郷・根岸遊水地
本郷・根岸遊水地の下流側端っこです。


境川の本郷・根岸遊水地境川の排水門
コーナーには排水用の水門(ゲート)があります。


境川の本郷・根岸遊水地・操作室
排水門近く周囲堤にあった二つの建屋。ドアにゲート操作室、遠隔操作室の表示があります。遊水地周りに遊水地に関する案内板は何もなくこれが唯一の文字情報です。
「本郷・根岸遊水地」が設置されたこの場所は神奈川県相模原市緑区町屋三丁目と東京都町田市相原町にまたがっています。下流の芝溝街道根岸橋より上流は神奈川県管理区間なのでこれらは神奈川県が設置した施設です。


本郷・根岸遊水地下流の境川
本郷・根岸遊水地下流の境川。


本郷・根岸遊水地下流の境川・排水フラップゲート
左岸のフラップゲートは遊水地排水門から来た排水路の放流口です。


本郷・根岸遊水地下流の境川
その下流から遊水地方向を振り返りました。河川改修で直線化し広々とした高水敷を持つ境川。


境川・新田橋付近
その下流、新田橋より境川下流の眺め。直線化した境川が昔のまんま左から右へと大きく蛇行しています。

この辺りで町田街道に戻り開都バス停で相原駅行きのバスに乗り帰路につきました。


「本郷・根岸遊水地」の位置です。(地理院地図より)


其の711 長福寺を訪ねる・東京都町田市相原町

 引き続き相原町の町歩きです。丸山開田記念碑や真米川に次いで長福寺を訪ねました。

長福寺参道・町田市相原町
町田街道に面した長福寺参道です。


山号寺号標「曹洞宗籌國山 長福禅寺」 
山号寺号標に「曹洞宗籌國山 長福禅寺」 


長福寺山門・町田市相原町2109
長福寺山門です。文久2年(1862)完成。切妻造りの四ツ足門、用材は欅材を使用。町田市指定有形文化財です。


長福寺山門案内板
町田市教育委員会設置の長福寺山門案内板です。
所在地:町田市相原町2109


長福寺鐘楼
長福寺の手水舎
山門をくぐると左手に鐘楼と手水舎があります。


長福寺本堂・町田市相原町2109
長福寺本堂扁額
長福寺本堂と扁額です。下記案内板に詳しく書かれていますが、内容をかいつまんで記します。

曹洞宗籌國山長福寺
・寛永二年(1625年) 相原町松ヶ谷戸(現寺谷戸) の山麓に開山。
・ご本尊はお釈迦様。
・文化三年(1806年)に現在地に移築する工事に着手。
・天保六年には現在の本堂並びに庫裡の改修工事が始められ、天保十三年(1843年)に完成。



長福寺案内板
山門前の長福寺案内板です。

曹洞宗籌國山長福寺
長福寺の歴史は古く、寛永二年(1625年)に大泉寺第十二世籌山賢察大和尚によって相原町松ヶ谷戸(現寺谷戸) の山麓に開山され、ご本尊はお釈迦様で、御朱印五石三斗とされています。
文化三年(1806年)に現在地に移築する工事に着手し、 文化九年(1812年)の伽藍移築大工事に併せて飲料水確保の横井戸・鐘堂・水屋などが整備されました。
天保六年には現在の本堂並びに庫裡の改修工事が始められ 天保十三年(1843年)に完成し、相模平野が一望できる 景観と自然環境に恵まれ、近郷有数の霊場として信徒の参詣が多かったと伝えられています。
この改修の時に江戸の絵師で狩野派の長谷川雪堤によって仏殿天井の杉板三十五枚に、獣・紫陽花・水仙など草花が色鮮やかに描かれた「格天井花丸画」は昭和四十八年に町田市指定有形文化財に指定されています。 さらに、文久元年に山門及び文殊堂の建設が進められ、文久二年(1862年)に完成いたしました。山門は欅材を使用し、唐戸上部の斜めに雨を呼ぶ雲竜の構図の雄大さが認められ、また、文殊堂は一本彫の上り竜と下り竜の柱、その他の彫刻が今では得がたい作風と認められ、ともに昭和四十八年に町田市指定有形文化財に指定されています。 「大正十二年(1923年)の関東大震災で裏山が大崩落し、本堂が前に押し出され一部に損傷がありましたが、檀信徒の奉 仕などによって修復されました。その後も寺観整備事業を進めつつ、客殿庫裡籌福堂、梵鐘再鋳、三界萬霊供養塔、昭和及び平成墓地の建設など行っております、また、教化育成の活動が盛んになり、さらに護持会の充実によって、住職と檀信徒が一丸となって法燈を守りながら地域社会の福祉向上と安寧のために努めています。合掌
平成十四年十一月十八日



長福寺の文殊堂
山門前の案内板にあった文珠堂です。柵で囲われ覆い屋で保護されています。山門を出た右側高台にあります。

長福寺文殊堂案内板
町田市指定有形文化財 長福寺文珠堂の案内板です。

長福寺文珠堂
文珠堂は、長福寺一三世弁隆和尚の代、文久二年(1862)に着手し落成した記録が明らかである。一間四面の小堂ではあるが、一重の入母屋造りで銅板葺き、軒は唐破風付の向拝をつけている。用材は欅で彫刻を多く使用し、すべての組物や柱の台輪までサヤガタ、唐草、浪に千鳥、竜および獅子などを刻み、また菊花の透し彫りを施すなど当時の建築技術と巧みな彫刻を集中させている。
2012年3月設置 町田市教育委員会


以下、文珠堂の彫り物です。
長福寺の文殊堂

長福寺の文殊堂  長福寺の文殊堂


長福寺の文殊堂・一本彫りの上り竜
向拝柱に彫られた一本彫の上り竜。

長福寺の文殊堂・一本彫りの下り竜
向拝柱に彫られた一本彫の下り竜。


長福寺の文殊堂
他の三面はシンプルです。


長福寺のレポはここまでです。
相原町の町歩き、続いて境川の遊水地を訪ねました。


長福寺の位置です。


其の710 真米川源流を訪ねる・東京都町田市相原町

 前回「其の709」の続きです。丸山開田の水源、真米川ってどんな川だろう。知らない川なので見に行きました。

境川に合流直前の真米川
真米川は東京都・神奈川県境を流れる境川の支流です。町田街道白田橋から見た境川に合流直前の真米川。


真米川河口の位置です。(地理院地図より)

約1km東方に丸山開田記念碑が立っています。


境川支流真米川
地図によると延長600mほどの小河川です。河口から150mほど上流白旗橋付近から見た真米川下流方向です。


真米川に架かる白旗橋
真米川に架かる白旗橋です。


真米川に架かる白旗橋案内板
白旗橋たもとに案内板が立っていました。その昔、旧甲州街道へと通じる鎌倉古道として利用されていたそうです。

『白旗橋』
☆旧東海道から津久井を経て、旧甲州街道へと通じる鎌倉古道として利用されていたこの橋 「白旗橋」と言われています。その由来は昔沼のあったこの地に旅人が通りかかったところ、白い鳥が群れをなして戯れており、それが白い旗のように見えた。白旗は時に負け戦を意味することがあり、嫁入りする女性は、この橋を渡ってはいけないと言われた。
(真米の伝統を守る会)



真米川・東京都町田市相原町
白旗橋上流、丘陵の谷あいを流れる真米川。


真米川・東京都町田市相原町
その上流。丸山開田向け用水の取水堰遺構を発見出来れば良いのですが・・・。資料がなく取水堰の位置、用水路の経路などは皆目見当が付きません。


真米川・東京都町田市相原町
住宅街を流れる真米川。丸山開田の用水は取水堰から自然流下で送水したはず。地理院地図に描かれている等高線を相原小付近の水路から西方にたどると、ちょうどこの辺りより上流が該当します。


真米川右岸の雨水調整池
右岸側に小規模な雨水調整池がありました。こうして真米川・境川への急激な雨水の流入を抑えているんですね。


真米川・東京都町田市相原町
東京家政学院大手前で右へ曲がります。


真米川・東京都町田市相原町
右折地点から見た上流方向。


真米川・東京都町田市相原町
川沿いの道がないので迂回して追いかけます。都道506号線直前で左へ曲がっていました。流れが良く見えます。この流れは谷頭部に近いので自然に湧き出した清水を集めた流れと思われます。標高から推し測るとこの辺りに丸山開田用水路の取水堰があったとしてもおかしくないですね。


東京都町田市相原町・真米川源流
その上流です。広い駐車場奥から撮影。画像中央フェンスの先で真米川はトンネルに入ります。開渠の真米川を確認できたのはここまでです。下のグーグルマップ赤マーク位置です。左側の擁壁は雨水調整池です。


東京都町田市相原町・真米川源流雨水調整池
隣接の雨水調整池です。真米川は擁壁右側地下を流れています。雨水調整池に溜めた雨水は真米川へ放流されると思います。これより上流にもう一つ大きな雨水調整池があります。おそらくトンネルの真米川はそこまで繋がっていると思われます。
今年歩いた川崎市の片平川、相模原市の谷津川源流は同じように雨水調整池でした。良く似ていますね・・・。

残念ながら丸山開田の取水堰遺構は見つけられなかったです。昭和30年5月4日に通水した丸山開田の用水路、今から65年前です。その後の急速な都市化の波により開田した田んぼは住宅地に変遷したと思われます。神奈川県央相模横山台地に畑かん用水路の遺構が今でも数多く残っています。都市化により畑かん事業は短命に終わりました。良く似た話ですね・・・。



雨水調整池沿い、真米川トンネル出口の位置です。


御嶽社・東京都町田市相原町2188
帰り道に立ち寄った中相原会館に隣接する御嶽社です。
祭神は日本武尊と言われている。創建は正保4年(1647)。
ここは町田市相原町2188  (町田観光ガイドブックより)

御嶽社下のお地蔵様
御嶽社下、石塔の中のお地蔵様。


其の709 相原町の丸山開田記念碑・東京都町田市

 11月30日(月)、相模原駅ホームの31kmキロポストを取材した後、横浜線に乗車し二つ先の駅、相原駅で降りました。

JR横浜線相原駅
JR横浜線相原駅です。武蔵国・相模国を分ける境川を渡るとそこは東京都町田市相原町です。今日は相原町の町歩きです。


コンクリートスラブ積載のユニック車
丸山開田記念碑は西の方向なのでぶらぶらと歩いて行きます。道端にコンクリートスラブを積んだユニック車が止まっていました。側面に「都型円形用人孔中間スラブ2200用Φ600 H=300」など製品仕様らしきメモが記してあります。これは何でしょうかね。書かれている内容に興味を覚えますね・・・。


雨水下水管新設工事現場・東京都町田市相原町
雨水下水管新設工事現場・東京都町田市相原町
そこから50mほど先の交差点で交通規制をやっていました。
東京都都市づくり公社 南多摩下水道事務所の雨水下水管新設工事現場でした。むむっ!これでコンクリートスラブの意味が解りました。スラブをユニックで吊り上げ、下ろせば工事完了です。近頃はコンクリの現場打をやらないで、ボックスカルバートなどと同様工場生産品を使うのですね。眼前のコンクリート管も工場生産品みたいです。


諏訪神社・東京都町田市相原町
工事現場の北側、相原町の鎮守諏訪神社です。


諏訪神社の由緒書き案内板
養和元年(1181年)3月23日別当高岳坊長温が氏子と共に信州(長野県)下諏訪大社を丸山の地に勧請し相原山大明神と称した。
例大祭(8月第3日曜日)にはお囃子・獅子舞奉納が行われる。
丸山獅子舞は町田市指定無形民俗文化財である。

(諏訪神社の由緒、掲示板、案内板より抜粋)


丸山公会堂・町田市相原町
諏訪神社前を西へ向かい丸山公会堂に到着です。敷地の一角に立派な記念碑が立っています。


丸山開田記念碑・町田市相原町丸山公会堂内
丸山開田記念碑です。北向きに立っているのでもろに逆光です。碑に向き合ってメモしたところ、おおよそ次のようなことが刻まれています。

丸山開田記念碑
堺地区第一の耕作面積を誇りながら水田を有するもの五指にすぎず、陸稲を作っていった。昭和28年8月28日塩沢与助他廿名相計り丸山及び中村の一部約四町歩の開田を決意。同年9月東京多摩土地改良事務所、東京都農地改良課へ事業の認可伺い。昭和29年下測量、水利権を得るための活動。8月本調査、水路決定。11月12日丸山土地改良区設立認可。昭和30年1月15日丸山土地改良区設立総会。昭和30年5月4日通水、美田を開く。  
昭和38年11月吉日建立

用水の取水源、用水路経路などは刻まれてないです。参考にした「町田観光ガイドブック」117pに「真米川を堰き止め用水を造り、最盛期には開都地区の境川からもポンプで揚水して水田に供した」の記述あり、真米川が取水源と分かりました。真米川はここより西方約1km、二国橋付近で境川左岸に合流する小河川です。

町田市相原町・相原小付近の水路
丸山公会堂前の道をさらに西へ歩いていくと、右手山の方から来る水路を発見しましたよ。この辺は東西に流れる境川の左岸台地南斜面になります。昔の丸山地区向け用水路の遺構か否かは不明です。堰上げすれば東側の田んぼへ用水を送ることは可能に見えます。


町田市相原町・相原小付近の水路
同地点から見た下流方向です。町田街道を潜り境川に合流しています。左側は相原小学校。


町田市相原町の水路・相原小付近
真米川から来た用水路の遺構かも知れないので、水路を上流へ少し追いかけてみました。相原小の先を右折し山の方へ向かう道です。


相原小付近の水路・町田市相原町
右手畑の中を東へ向けて流れる水路を発見。先ほど見た水路の上流部です。相原駅からここまで田んぼや畑はなく住宅がびっしりでしたが、ここにきて畑が残っていました。


町田市相原町の水路・相原小付近
水路は北の方から来て道路を潜っています。眼前の桝と北の方から続く暗渠水路。


町田市相原町の水路・相原小付近
すぐ先で水路は西へ曲がっています。西から流れてくる水路。


町田市相原町の水路・町田市子どもセンターぱお付近
水路沿いに追いかけます。
奥の建物は町田市子どもセンターぱお。


町田市子どもセンターぱお北側の水路
ぱおの北側を流れる水路。右側にコンクリートの桝が見えます。ぱおの右側(山側)は町田市スポーツ広場です。水源はスポーツ広場地下からの湧き水と思われます。追いかけた結果、真米川から来た用水路ではないことが分かりました。内心期待したんですけどね・・・。

碑文にあるように丸山地区へ通水する以前、五軒の農家が水田耕作をしていたので、その水源は今たどった水路かも知れないですね。


境川・町田街道開都バス停付近
境川・町田街道開都バス停付近
これは町田街道開都バス停付近の大きく蛇行する境川です。
資料に「最盛期には開都地区の境川からもポンプで揚水して水田に供した」とあるのでこの近辺の境川から取水していたと思われます。

次回は真米川を歩く予定です。

丸山公会堂の位置です。(地理院地図より)


其の708 相模原駅ホームの鉄道標識・相模原市中央区

 今回は、いつもの水辺歩きと異なりJR横浜線相模原駅ホームに立つ鉄道標識の話です。

相模原駅の鉄道標識・キロポスト
これがその標識です。エスカレータを降りたところ、八王子方面行き下り線ホームにあるのですが、線路端ならともかくホームにあるので何となく違和感を覚えます。


JR横浜線相模原駅の31kmキロポスト
標識は風景に溶け込み何も感じない人がほとんどと思います。


JR横浜線相模原駅の31kmキロポスト
三角柱に大きく31と書いてあります。材質はコンクリート製のようで固く、表面にガラス繊維が浮き出ています。表面を白色の顔料を混ぜた樹脂でコーティングした感じです。下部は黒色。

さて、この標識は何か?駅員さんに聞けばすぐ分かることなので教えてもらいましたよ。鉄分を含んだ人から見れば常識でしょうが、私はそうではないので・・・。答えは、起点からの距離を示す「キロポスト」だそうです。長年の疑問が氷解しました~。質問してよかったです。横浜線の起点は東神奈川駅、終点は八王子駅です。その間の距離42.6km。

ヤフーの路線情報・乗換案内アプリに相模原‐東神奈川と入力検索すると、
快速桜木町行き、所要時間34分、31kmと表示されましたよ!
正確ですね~ピッタリ31kmです。


JR横浜線30kmキロポスト
別の日に改めて隣り合わせのキロポストを見に行きました。
相模原駅の東1km、西門近くの線路端です。下り線側に30kmポストがありましたよ!31kmポスト地点はたまたま相模原駅ホームだったということですね。


JR横浜線30kmキロポスト
タイミングよく上り各停東神奈川行電車の通過です。横浜線の起点東神奈川駅には0kmポストがあるはず。いつか探してみたいですね。合わせて横浜線の終点八王子駅の42.6kmポストも。


旧新橋停車場のゼロ哩標識
実は私、キロポストに相当するものを以前見ていました。
忘却の彼方でしたよ。(^σ^)
旧新橋停車場プラットホーム東側の「ゼロ哩(マイル)標識」。
「其の463」より。


相模原駅の位置です。(地理院地図より)