FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の707 帷子川分水路を見てきました②・横浜市西区

 帷子川分水路トンネル入口に続いて出口側を探訪しました。

帷子川分水路
相鉄線西谷駅から横浜行きに乗り終点下車。北幸橋までやってきました。北幸橋から見た帷子川分水路下流方向です。流れはなく運河のような川です。上を走るのは首都高三ツ沢線です。
帷子川分水路建設工事は平成9年3月(1997年3月)に完成しました。(帷子川分水路パンフより)


北幸橋の親柱・帷子川分水路
北幸橋親柱に河川名・帷子川分水路。昔は派新田間川(はあらたまがわ)と呼ばれていたようですが現在の名前は帷子川分水路です。


帷子川分水路河川標識・北幸橋たもと
北幸橋たもとで帷子川分水路の河川標識を見つけました。
二級河川 帷子川水系 帷子川分水路 
河口から1.3km 神奈川県



帷子川分水路・北幸橋
北幸橋から見た帷子川分水路上流方向です。上流の旭区辺りで帷子川が洪水になると最大350㎥/秒が流れます。怖ろしいですね・・・。


帷子川分水路
左岸沿いに上流へ進むとトンネル出口が見えてきましたよ。
首都高が邪魔をしているので全体を見渡せないです。


帷子川分水路トンネル出口
首都高の橋脚を避けました。出口は水門となっています。水門全景は水面に写っています。ゲートは引き上げた開の状態です。あとで分かりますが分水路トンネル出口は水門奥にあります。


帷子川分水路トンネル出口の水門
その上流を見るため迂回して追いかけました。首都高料金所上の跨線橋から見た水門施設です。紅白の電波塔?下がそれです。


帷子川分水路トンネル上の楠町公園
その先、楠町公園入口です。あとで地図を読んで分かったのですが、帷子川分水路トンネルはこの公園地下を通っています。地下トンネルの上を公園にしたわけです。


帷子川分水路トンネル出口の水門
楠町公園から見た帷子川分水路出口の水門です。ゲートは上に引き上げてあります。私が立っているところがちょうどトンネル出口になりますね。(位置関係は下のグーグルマップが参考になります)

ところでトンネル出口に何故ゲートがあるのでしょうか?どのような状況下でゲートを閉じるのか不思議ですね~。
ブラタモリのようにピコッ!と閃かないし・・・。公園内にさりげなく作業をしている怪しいおじさんもいないし、援軍がいないので困りました。
津波や高潮が発生すると海水が河川を逆流して押し寄せることがあります。そんな際にゲートを閉じるのかな~と想像したのですが、真相はどうなんでしょうか。調べたので後述します。


楠ポンプ場
これは水路トンネル西側にある楠ポンプ場です。関連施設と思ったのですが横浜市の下水道施設でした。帷子川分水路トンネルとは無関係の施設です。


新田間川緑地
楠ポンプ場西側、いかにも旧河道っぽい広場があります。地図によると新田間川(あらたまがわ)緑地とあります。帷子川分水路の西側に位置するので派新田間川を埋め立てたものと思われます。帰りはこの道をたどって相鉄線横浜駅まで散策します。


新田間川緑地
新田間川緑地
旧河道跡はビルや駐車場になっています。それを抜けるとこのような散策路です。散策路は左へカーブしています。


新田間川緑地・新田間川終(起)点
やがて新田間橋際の新田間川に突き当たりました。埋め立て前はここで分派していたので派新田間川上流端になります。
末尾に載せた今昔マップが参考になります。


新田間川河川標識
新田間川の河川標識です。
二級河川 帷子川水系 新田間川
河口から2.0km 神奈川県



新田間橋
新田間橋です。左が下流ですが水は上流へ流れていました。海に近いのでこの辺りは感潮河川なんですね。


新田間川・旧派新田間川分派点
新田間橋から見た新田間緑道の終点。左岸に開口が見えます。派新田間川のわずかに残る痕跡です。


新田間橋下流の新田間川
新田間川
新田間橋下流の新田間川です。突き当りで右折し幸川と名前を変え400mほど先で帷子川に合流しています。高島屋の辺りが相鉄線横浜駅です。


さて、謎の分水路トンネル出口水門なんですが、
河川管理者に照会し水門の役割を教えてもらいました。帷子川分水路トンネルの維持管理用ゲートだそうです。分水路トンネル内の点検時に、ゲートを閉めることで水の流入を防ぎます。点検以外でこのゲートを使うことはないそうです。
成程ね・・・まったく思いつかなかったです。専門家は素人には想像もつかないことに配慮して設計するんですね・・・。


帷子川分水路トンネル出口水門の位置です。



今昔マップです。(今昔マップon the webより)

帰り道で歩いた埋め立て前の派新田間川(新田間川緑地)が見られます。2画面表示、年代変更ができます。帷子川分水路の完成は平成9年(1997)です。


スポンサーサイト



其の706 帷子川分水路を見てきました①・横浜市旭区白根

 久し振りに横浜へ出かけ、帷子川の治水施設・帷子川分水路を見てきました。

相鉄線海老名駅・JR埼京線直通新宿行特急
11月18日(水)、相鉄線海老名駅です。おや?見かけない電車が止まっていますよ。行先表示は「特急 JR埼京線 直通」。表示はやがて「特急 新宿」に切り替わりました。えっ!?埼京線が海老名まで乗り入れているとは・・・。ちっとも知らなかったなぁ~。駅の案内ポスターによると2020.11.30に相鉄・JR直通線開通1周年を迎えるそうです。武漢ウイルスで引きこもりがちだったので世の中の流れに後れを取りました。海老名から武蔵小杉、渋谷方面なら便利かもしれないですね。


帷子川の学校橋
さて、本題に入ります。最寄り駅は相鉄線西谷駅です。駅から南へ道なりに坂道を下ると帷子川に出ます。帷子川に架かる学校橋です。


帷子川・学校橋より下流を望む
帷子川はこんな川です。学校橋より帷子川下流を見ました。
JR横浜駅東方1.5km位のところで横浜港に注いでいます。


帷子川・学校橋より上流を望む
同、上流の様子です。今日は好天、穏やかな流れです。帷子川分水路はこの上流に在るので川を眺めながら遡ります。


帷子川旧河道・逆田橋公園付近
左岸沿いの逆田橋公園奥に続く緑地帯です。見るからに旧河道っぽいですね。地図で確認すると帷子川の旧河道でした。旧河道は保土ヶ谷区と旭区の境界線になっています。


帷子川に合流するくぬぎ台川
新幹線手前、右岸に合流する河川があります。くぬぎ台川と言います。この川も区の境界線になっています。


帷子川の流路工・魚道
新幹線を潜り抜けたあたりの帷子川。三面をがっちりコンクリートで固めています。段々の床固工に両側は魚道でしょうか。礫を埋め込みせせらぎを作るのは酸素補給のためかも知れませんね。ヒメツルソバがコンクリの隙間で頑張っています。


帷子川ふれあい橋
その上流です。小さな堰で流れを堰き止めています。その上流及び左岸の施設が帷子川分水路の分水施設(帷子川分水路取水庭)です。上に架かる橋はふれあい橋です。


帷子川河川標識
ふれあい橋下流、左岸の帷子川河川標識。神奈川県が管理する二級河川です。
二級河川 帷子川水系 かたびらがわ
河口から8.8km 神奈川県


帷子川分水路取水庭
ふれあい橋より上流の眺め。川幅が広がり池になっています。
左岸側にコンクリートの棒(スクリーン)が行儀よく並んでいます。


帷子川分水路取水庭
帷子川分水路取水庭
帷子川分水路取水庭
右岸からの眺め。スクリーンは直径が500mmくらいありそうです。根っこや枝付きの流木、その他大型ゴミが分水路トンネル内に流入するのを防ぐためと思います。鶴見川の川和遊水地内部を見学した時に同様のスクリーンを見ました。トンネル内にゴミが詰まると分水路の役目を果たせなくなりますからね。


帷子川分水路取水庭
右岸から下流方向の眺め。ふれあい橋が見えます。川幅を広げて池にしたため相対的にふれあい橋で川幅が狭くなり、流れにくくなった洪水は左岸の越流堤(分流堰)から分水路へ流れ込むしかない・・・こんな仕掛けだと思います。

資料(帷子川分水路パンフ)によると洪水時流量配分は、510㎥/秒の洪水を分水路へ350㎥/秒、帷子川へ160㎥/秒に分けて流す(時間当たり82.1mm降水量対応)。とあります。洪水の約70%を分水路へ流し、下流域を氾濫浸水被害から守るための施設であることが分かります。
町中でよく見かける雨水調整池は時間当たり降水量50~60mmを想定した造りになっています。時間当たり82.1mm降水量は、それをはるかに上回るおそらく50年に一度あるかないかのゲリラ豪雨または台風豪雨だと思います。


帷子川分水路取水庭
ふれあい橋から見たスクリーンと分流堰ゲート。ただいま工事中です。分流堰とはいわゆる越流提のことですね。ここでは分流堰と呼んでいます。


帷子川分水路取水庭越流部改修工事
越流部を新しくする工事だそうです。(国土強靭化対策工事)


帷子川分水路河川標識
分流堰を越えた洪水は帷子川分水路に入ります。
水路沿いの河川標識です。
二級河川 帷子川水系 帷子川分水路
河口から7.2km  神奈川県



帷子川分水路・分流堰ゲート
分水路下流のR16下白根橋から見た帷子川分流堰ゲート。

帷子川分流堰ゲート
純径間:6.5m 扉高:5.2m 門数:3門
製作年月:平成3年3月
 (銘板より抜粋)

分流堰ゲートの役割は何でしょうかね。流量調節のためと想像するのですが、後述の分水路下流の水位目盛にヒントが書いてありましたよ。


帷子川分水路
R16下白根橋から見た帷子川分水路下流方向。新井川がコンクリート製の水路橋で分水路を渡っています。


新井川と帷子川分水路の立体交差
水路橋で帷子川分水路を渡る新井川です。人工河川と自然な河川の立体交差です。分水路に合流させないところが面白いです。


新井川
帷子川分水路を渡り東へ向かう新井川。この先で右カーブし帷子川に合流しています。


帷子川分水路トンネル入口
帷子川分水路トンネル入口
その下流、帷子川分水路トンネル入口です。出口は横浜駅西口近くにあります。資料(帷子川分水路パンフ)によると
トンネル延長5,320m、トンネルの形状は偏平馬蹄型、底部幅内径11.2m、高さ内径9mとなっています。


帷子川分水路の水位目盛
分水路内に刻まれた水位目盛を見つけました。最高位15mまで刻んであります。下の方7.2mに「ゲート閉水位」の文字有り。7.2mに達したら分流堰ゲートを閉じるという意味でしょうね。いずれにしても分流堰ゲートは流量調節の働きをしています。


今回はここまでです。皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。同日、帷子川分水路トンネル出口も見に行きました。次回「其の707」で発表します。

お知らせ
本記事を機に放水路・分水路がらみの過去記事を新カテゴリ「放水路・分水路」として括りました。ささやかなグランドオープンです。(^σ^♪ 

帷子川分水路取水庭の位置です。(地理院地図より)

帷子川分水路トンネルは水色破線で表示してあります。

其の705 笛吹川の治水施設/万力林と霞堤・山梨県山梨市

 10月26日(月)、笛吹川の治水施設・万力林(万力公園)の中を歩いてきました。

万力林(万力公園)霞堤
笛吹川右岸、万力林南端の霞堤です。下流の橋は根津橋。
万力林は万力公園「万葉の森」として整備され、園内には駐車場もありゆっくり散策できます。


万力林(万力公園)霞堤
根津橋に立つと霞堤はこのように見えます。右岸堤防の不連続が良く分かります。


根津橋です。
笛吹川の根津橋
笛吹川に架かる根津橋
初代の根津橋に代わり平成6年に架けられた新橋です。


初代根津橋のモニュメント
根津橋たもと、初代根津橋のモニュメントです。案内板によると山梨市出身の実業家、根津嘉一郎翁が私財を投じて大正12年に架橋。翁の偉業をたたえ根津橋と命名。


万力林(万力公園)案内板
万力林(万力公園)案内板
霞堤付近に立つ万力林についての案内板です。万力林は図のように笛吹川右岸にあります。(南北が逆になっています)。詳しく書かれていますが、その要旨を記します。画像をクリックすると拡大します。

万力林について
もし洪水時に笛吹川が氾濫した場合は、密生している松の大木の中を流れることにより、水の勢いを弱め、流木や土砂を防除するとともに下流部の開口部(霞堤)から笛吹川に戻す治水施設です。

霞堤とは
堤防と堤防の間にすきまを作り不連続とすることにより洪水時には開口部から河川からの洪水が逆流し河川の水位を下げることや、支川の排水や内水排除を行うなどの機能がありますが、万力林の霞堤は、主に急流河川である笛吹川の洪水があふれた時、氾濫水が拡大しないように開口部から河川へ戻る役目をしています。  国土交通省 甲府河川国道事務所
 
(現地案内板より抜粋)


万力林(万力公園)霞堤
霞堤の間を流れる小河川です。上の案内図にあるようにちどり湖を発し万力林の中を流れ、私の背後で笛吹川に合流しています。今日はここからスタートして万力林を一周します。


万力林(万力公園)霞堤
上流側霞堤の端っこです。小河川は画像左側を流れています。階段があるので堤防の上に上ります。


万力林(万力公園)
笛吹川右岸堤防天端の道です。左側は万力林。


万力林(万力公園)と万力大橋
万力大橋の手前まで遡りました。近くの案内板にこんなことが記されていました。
万力林は武田信玄の頃、防水林として松を植えたと伝えられ、雁行堤防(甲州流防河法)の一部が残っている。
雁行堤防(がんこうていぼう)はうっかり見逃しました。失敗。


古今和歌集歌碑  古今和歌集歌碑
堤防上に古今和歌集で歌われた歌碑が建っていました。
しほの山 さしでの磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く  (古今和歌集 第一六三二番歌)


万力林(万力公園)付近差出堰
さらに上流へ。堤防天端の道は藪に変わりました。上流から見て笛吹川が左カーブした地点に堰があります。案内図にある差出堰です。


万力林の越流堤
堤防天端から堤内に下りると、上記藪の堤防はこのように見えます。私には笛吹川が左カーブしていることから洪水時に洪水が流入しやすい越流堤のように見えました。藪の部分は堤防が一段低くなっていると思います。


万力林の取水樋管ゲート
越流堤の上流側に農業用水と思われる取水樋管ゲートがありました。笛吹川が左カーブする直前にあるので取水しやすい位置です。上流の橋は亀甲橋。


差出堰改修記念碑
越流堤付近の差出堰改修記念碑と右側は何かの記念碑と思われますが判読できませんでした。


万力林のちどり湖
取水樋管ゲートから取り入れた用水は(画像奥から)ちどり湖に入ります。笛吹川が洪水になると右側の藪の越流堤を乗り越えた濁流が一気にここへ流れ込むと思います。


万力林ちどり湖
万力林ちどり湖
ちどり湖と水の流れ。溢れた水は万力林へ向かいます。


万力林へ向かうちどり湖の水
ちどり湖から万力林へ向かう二本の流れ。


万力林を流れる小河川

万力林(万力公園)  万力林を流れる小河川
万力林を流れる小河川。


万力林の水神様
水神様が祀ってありました。


万力林の吊り橋  万力林の分水ゲート
吊り橋や分水ゲートがありました。


万力林を流れるみどり湖の水
万力林(万力公園)のホタルの看板
豊かな流れとホタルの幼虫保護願いの看板。夏にはホタルが飛び交うみたいです。


万力林(万力公園)鹿園
鹿園がありました。


万力林(万力公園)
万力林を抜け開けた霞堤付近に戻ってきました。


万力林(万力公園)霞堤を流れる小河川
根津橋上流で笛吹川へ戻っていく小河川です。


根津橋たもと笛吹川堤防の馬頭観音像
今日の探訪記念は根津橋たもとに祀られた馬頭観音像です。
お馬さんは昔から農耕用、荷役用として大事にされてきました。


万力公園「万葉の森」では約50種類の万葉植物を見ることが出来、森の中には春夏秋それぞれの道が設定され、四季折々の花が楽しめるそうです。見逃した施設もありもう一度訪ねたいですね。

万力公園霞堤の位置です。(地理院地図より)


其の704 宝泉寺の猫ちゃんと小松城跡・相模原市緑区川尻

 相模原市内に猫ちゃんがいっぱいいるお寺があると聞き、
11月初めの好天の日に訪ねました。

宝泉寺の寺号標
参道入口寺号標。高野山真言宗 松風山 寶泉寺(ほうせんじ)。
ここは相模原市緑区川尻4562です。


宝泉寺の六地蔵
参道入口付近の六地蔵です。ふくよかで優しいお顔の菩薩様。


宝泉寺の史跡相模国小松城址の碑
傍らに「史跡 相模国 小松城址」の碑が建っています。


宝泉寺参道
参道です。西側の本堂と東側は庫裏と事務所?


宝泉寺
手水舎と庫裏・事務所。猫ちゃんはどこかな~。と思ったら玄関前の日陰でたむろしていましたよ。


宝泉寺
宝泉寺の猫ちゃんたち
日陰で三々五々くつろぐ猫ちゃんたち。猫は寒がりかと思ったらお天気の日は日陰に入るんですね。なかにはサツキの植え込みの中にもぐっている猫ちゃんも。全部でざっと20匹くらいいます。


以下スナップです。柄はキジトラ、白黒、茶白、茶トラなど色々。
宝泉寺の猫
宝泉寺の猫

宝泉寺の猫  宝泉寺の猫

宝泉寺の猫  宝泉寺の猫

宝泉寺の猫  宝泉寺の猫
近づいても人馴れしているので逃げません。触ってもされるがまま。身をすり寄せてくる可愛い子もいます。背中や腹を撫でると体に張りがあり健康状態は優ですね。野良ちゃんと違ってその日の糧を心配することなく安寧に暮らせてほんとうに幸せな猫ちゃんたちです。
見たところ子猫は一匹もいなかったですね。猫同士の縄張りはあるのでしょうか。新参者の猫が来たらどうするのかな?宝泉寺の猫社会の生態が気になります。

あらためて見ると、どの猫も耳の先端Vカットしていないですね。避妊や去勢手術を受けていない子ばかりです。獣医の先生は二重手術を避けるために術後に目印として耳の先端をVカットします。確か雌は左耳で雄が右耳でした。数年前、雌の猫ちゃんを動物病院へ連れて行ったとき先生に教わりました。


宝泉寺・相模原市緑区川尻
本堂です。勝手な想像ですが高野山真言宗の寺院なのでご本尊は大日如来と思われます。境内に像が立っているので見て回ります。


宝泉寺・弘法大師像
台座に高野山真言宗の念仏「南無大師遍照金剛」が刻まれています。この像は真言宗開祖である巡礼姿の空海・弘法大師様ですね。

宝泉寺の烏天狗
宝泉寺の烏天狗
本堂前左右に烏天狗の像二体。本堂の守護役でしょうか?


宝泉寺本堂前の記念碑
正面に立つこの柱は何でしょう。本堂落成の文字が見えます。


宝泉寺本堂前の記念碑
下の方は猫ちゃんの爪とぎになっていますよ。柱が痩せました。


宝泉寺の石灯篭
本堂西側の宝泉寺の石灯篭 相模原市登録有形文化財です。
高さ218cmの凝灰岩製、形態は上から宝珠、笠、火袋、中台、竿、基礎の各部からなる。笠には応永十七年(1410)の銘がある。相模原市教育委員会 (現地案内板より要旨)


城山湖ハイキングコースへの道
おしまいに裏山の小松城跡を訪ねました。西側の城山湖ハイキングコースへ通じる道を上ります。山登りですよ、ふぅ~。


宝泉寺・城山湖霊園
道中右手の宝泉寺と城山湖霊園の眺め。


宝泉寺裏山の祠(小松城城址)
山頂付近唯一の建築物・祠です。祠は案内図にある櫓台の位置に鎮座しています。


小松城跡の案内板
祠の北側、城山湖ハイキングコース(金刀比羅宮参道)に立つ案内板です。(画像をクリックすると拡大します)

小松城跡
宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井大膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。空堀の規模などから室町時代から戦国時代初期の山城で、現在墓地造成により南にのびる遺構は大半が消滅しています。城山町教育委員会
 (案内板より)

宝泉寺駐車場は広いので平日なら心配無用です。猫ちゃん好きな人は癒されてください。

宝泉寺の位置です。


其の703 花川用水と庚申塔・神奈川県寒川町一之宮

 今回は寒川町の小動神社がらみで、花川用水(はなかわようすい)の話です。来季の用水路歩きに備え下調べに行きました。

「其の699」で小動神社の庚申塔を発表したところ地理系女子階段派のチャコさんから用水路について耳寄りな情報をいただきました。その名は「花川用水」。花川用水は小動神社付近で相模川左岸用水路から取水し西へ伸びている用水路です。

相模川左岸用水の花川用水分水ゲート
前回「其の702」で発表した相模川左岸用水の分水施設です。花川用水はここから始まります。ここは神奈川県高座郡寒川町小谷(こやと)3丁目。


花川用水・寒川町一之宮
10月27日(火)、ここは寒川町一之宮です。花川用水の資料を求めてやってきました。南部文化福祉会館の南、北から来た追分です。歩道下の暗渠の花川用水路はここで開渠になります。水路脇に案内板が立っています。


花川用水案内板・寒川町一之宮
案内板です。タイトルは花川用水(はなかわようすい)
だいぶ色あせていますが、左側に説明文があり、ピンク色の地図は江戸時代のものと思われる「花川用水絵図」です。絵図は残念ながら判読できず。説明文の内容を記します。参考になることが書いてあれば良いのですが・・・。

花川用水(はなかわようすい)
花川用水は、基幹用水路として、江戸時代から利用されています。当時は、宮山村地内に設けられた大柳堰(現在のクリーンセンター付近と考えられている)から目久尻川の水を取り、宮山村以下、小谷村、大蔵村、岡田村、中瀬村、大曲村、一之宮村、田端村と茅ヶ崎市内の萩園村の九か村に供給していました。
用水を利用するにあたって、施設の管理・運営、利害を調整した用水組合があり、江戸時代では用水を分流する堰をめぐって用水組合内部で争いが多く起こっています。当時、用水の確保がいかに重要であったかがうかがえます。
その後、昭和15年(1940)に相模川左岸用水路の一部として再編されましたが、現在も基幹用水路として利用されており、町内の多くの水田に用水を供給しています。
平成16年3月 寒川町教育委員会
 (案内板より)


花川用水・寒川町一之宮
案内板脇、花川用水下流方向です。現在は空堀ですが代掻きの頃に通水するはず。


花川用水脇の庚申塔・道祖神
案内板の裏側に嬉しいものがありましたよ!!思いもしなかった贈り物です。


花川用水脇の庚申塔
今まで見たこともないデザインの庚申塔です。大きなお猿さん(見ざる聞かざる言わざる)が並んでいます。三猿の上に文字が刻んでありますが風化していて読めません。右端の文字はかろうじて「寛文四甲辰」と読めました。家綱の治世1664年造立ですね。たぶん私が今まで水辺歩きで見た中で一番古い庚申塔だと思います。ちなみに相模原市でもっとも古い庚申塔は延宝三(1675)年造立の笠付角柱三猿像です。

花川用水のあらましが分かったので早く茅ヶ崎市萩園の終点まで歩きたいですね。今から楽しみです。通水すれば何とかたどれると思います。

花川用水案内板・庚申塔の位置です。



其の702 小動田んぼの排水路・神奈川県高座郡寒川町小動

 10月11日、小動(こゆるぎ)神社へ庚申塔を見に行った際、妙な川に出くわしました。気になるので実際の状況を確かめに行きました。

寒川町小動の排水路
10月11日に撮影したこれがその川です。地図に河川名は載っていません。深い川なのでここでは排水路としておきます。川の水は写真奥の北東方向へ流れています。以下の写真も同じ日に撮った写真です。


上の排水路画像の撮影位置です。(地理院地図より)

東側の神社は小動神社です。


相模川左岸幹線用水路
状況説明のため上記から上流方向南西へたどると相模川左岸用水が北から南へ流れています。今は通水が止まり流れはありません。ここは高座郡寒川町小谷三丁目。


相模川左岸用水の花川用水分水ゲート
相模川左岸用水の支線用水路・花川用水(はなかわようすい)への分水施設です。花川用水はここから始まります。


花川用水・寒川町小谷3丁目
分水ゲートから西へ向かう花川用水。通水は止まっています。
当然ながら北側の田んぼより高位置にあります。


寒川町小谷3丁目付近の排水路
花川用水の北側を並行して流れる深い排水路。冒頭写真の上流部です。田んぼより低位置を北東向きに流れています。左岸用水を背に撮影しました。排水路は左岸用水路と立体交差しています。断面は伏越のU字型でなくストレートに北東へ抜けています。伏越の吹き上がりを見るのが楽しみで用水路歩きを始めたのですが、ここは残念ながら伏越ではありません。位置は地理院地図を参照ください。

さて、妙な川と感じた訳及び今回の再探訪の目的は
(1)北側を並行して流れる目久尻川は南西方向に流れている。対して排水路は逆方向の北東方向(目久尻川の上流方向)へ流れている。地図でたどると最後はクリーンセンター西側で目久尻川に合流している。
(2)地図だけ眺めると目久尻川左岸で取水して南西方向に流れる用水路のように見える。
(3)冒頭写真の流れの向きを再確認する。
歩けばわかることなので10月27日に散歩がてら行ってきました。


排水路・寒川町小動
小動神社の北側から見た排水路上流方向。間違いなく北向きに流れていますよ。外来種のセイタカアワダチソウが繁る中、茅は負けずに頑張っています。


寒川町小動の排水路
同下流方向です。排水路らしい深い川です。


寒川町小動の田んぼ
収穫を終えたばかりの小動田んぼの風景。


寒川町小動の排水路
少し下ったところから上流方向の眺めです。深い川なのでフェンスで囲ってあります。遠くに小動神社が見えます。


小動土地改良完成記念碑
田んぼの一角に建つ小動土地改良完成記念碑。白い建物はクリーンセンターです。


寒川町小動の排水路
方向転換した排水路上流方向です。クリーンセンター付近。


寒川町小動の排水路
東から来た細い排水路。すぐ下流で追っかけて来た排水路に合流しています。左側はクリーンセンター。


寒川町小動の排水路
これは西の方から来た細い排水路。同じように排水路に合流しています。写真をクリック拡大すると相模川左岸用水が横断しているのが見えます。
地図を見ると排水路同士が十字に交差するように見えますが実態は合流です。


相模川左岸用水路・寒川水路橋
目久尻川左岸堤防から見た低地の小動田んぼを水路橋(寒川掛樋)で横断する相模川左岸用水路。上記の西から来た細い排水路は目の前の田んぼの排水施設です。


寒川町小動の排水路
目久尻川左岸堤防から見た排水路上流方向です。左側はクリーンセンター。


小動樋管ゲート
排水路の終点、小動樋管ゲートです。寒川町下水道課が管理しています。


小動樋管
小動樋管
目久尻川に合流する排水路。これで排水路の流末を確認できました。小谷三丁目から確実に勾配が取れていたんですね。目久尻川が洪水になったときは排水路への逆流回避のためゲートは閉じられると思います。絶妙のタイミングで操作するんでしょうね。


目久尻川・寒川町クリーンセンター付近
小動樋管から見た目久尻川上流と親水護岸です。


おしまいに小動土地改良完成記念碑を簡単に紹介します。
●小動土地改良完成記念碑
当地において相模川左岸用水の完成以前は用水排水問題が農業の最重要課題であった。花川用水の大柳堰は干天続きや雨期の時には水争いがあった。水田は湿田で大小不整形地が多く道路がなく農作業は困難を極めていた。昭和48年、地権者、県、町の協力により小動土地改良区が設立され、県、町などの行政機関の指導により区画整理事業に着手。
平成2年1月 面積13.8haの土地改良事業が完成した。 
(碑文より要旨)

今日歩いた排水路は湿田改良のため平成2年1月に同時に完成したと思います。専門家が測量、設計施工して今の形になったんですね。それにしても目久尻川と並行する排水路が目久尻川の上流方向へ流れそこで合流するとは・・・。今日の歩きで実際の状況が分かりすっきりしましたね。(^σ^)

似た話が厚木市にもあります。厚木市金田の牛久保用水は、一部区間が中津川に並行して中津川の上流方向へ流れています。
田んぼの区画整理、湿田解消の土地改良は厚木市三田土地改良区でも行っていて田んぼの一角に記念碑が建っています。「其の572」


今日の探訪記念です。
マルバルコウ  マルバルコウ
排水路沿いに咲いていたマルバルコウ。

アカバナユウゲショウ
排水路沿いのアカバナユウゲショウ?春はもっとピンクが強かったような気がします。

其の701 引地川の下土棚遊水地を訪ねる⑤

 工事中の下土棚遊水地へ今年も行ってきました。昨年は9月末に訪れたので丸一年ぶりです。

下土棚遊水地D池
10月20日(火)、小田急江ノ島線長後駅からの歩きです。長後街道六会橋手前の信号から見たD池の様子です。D池は深く掘削され法面はブロック護岸で覆われています。一次池に水が溜まり昨年とは一変しています。

※各池の配置は引地川左岸側が下流に向ってD池、C池,B池の順で、右岸側がA池です。詳しくは下土棚遊水地パンフレットを参照ください。


下土棚遊水地D池
左側石垣下は長後用水の暗渠です。壊されることなく残されています。下土棚遊水地を知ったのは長後用水路を取水堰から下流へたどったのがきっかけなので注目していました。


下土棚遊水地D池・越流堤
六会橋から見たD池越流堤。一年前は工事中でした。土嚢が積んでありますが、取り除けば即供用可能と言うことでしょうか。


下土棚遊水地D池・連通管
D池、C池の境、県道22号線を潜る水路トンネル(連通管)が見えます。手前の施設は藤沢市の雨水下水管吐口ゲートです。


下土棚遊水地D池・越流堤
県道22号線下土棚大橋から見たD池越流堤。洪水が流入しやすいカーブ地点に設けてあります。


下土棚遊水地D池
県道22号線、水路トンネル(連通管)上から見たD池。左側は越流堤で正面の一次池に水が溜まっています。


下土棚遊水地C池
下土棚大橋からC池の眺め。深く掘削されています。引地川右岸のブロック護岸が真新しくなっています。


下土棚遊水地C池・連通管
中央の白い開口はC池B池を結ぶ連通管です。


下土棚遊水地C池
南側の中村橋たもと連通管付近から見たC池。


中村橋より引地川上流を望む
中村橋より引地川上流方向。右岸は改修により真新しいブロック護岸に変わりました。


中村橋より引地川下流を望む
中村橋より引地川下流の眺め。前方左カーブ地点右岸にA池越流堤が見えます。左岸側はB池です。
なお、中村橋とA池の間、右岸側で下土棚遊水地管理棟(河川管理施設)の建設工事が行われていました。


中村橋際長後用水終点
左岸中村橋際のフラップゲート。長後用水路の終点です。少し上流側へ付け替えたみたいです。


下土棚遊水地A池・越流堤
A池越流堤と減勢池。去年来た時に完成していました。


下土棚遊水地A池越流堤とB池排水ゲート
上記を拡大すると左岸中央にB池排水ゲートが見えます。D池→C池→B池と流れた水はここから引地川に戻されます。


下土棚遊水地A池
下土棚遊水地A池
A池湘南台大橋付近。法面工事が進んでいます。


下土棚遊水地A池
湘南台大橋より下流方向を見ました。A池の南端です。引地川左岸の護岸が真新しくなりました。


下土棚遊水地A池・排水ゲート
中央のA池排水ゲートは5年前初回訪問時に完成していました。左岸の護岸が真新しく改修されました。とても頑丈そうですね。
A池の南側は湘南台高校です。


引地川左岸から下土棚遊水地A池の眺め
引地川左岸からA池の眺め。引地川はかなり蛇行しています。


下土棚遊水地B池・排水ゲート
B池周囲堤から見た排水ゲートです。先ほど対岸から見ました。


下土棚遊水地B池
下土棚遊水地B池
工事中のB池。法面を整備中です。


下土棚遊水地B池北側連通管
B池北側にあるB池C池を結ぶ連通管です。


下土棚遊水地C池・弘法大師遍照金剛像
これはC池周囲堤沿い長後用水路上に立てられた像です。
正面に「天下泰平 弘法大師遍照金剛」 裏面に「明治十七年二月廿一日建てる」と刻字。フェンスで囲いがっちり守られています。壊してはいけません。罰が当たりますよ。

以上四つの池の周りを歩きました。工期は令和2年度です。来年3月末には完成しているはずです。再訪して完成後の姿を見たいですね。

関連過去記事です。

其の243 引地川の下土棚遊水地を訪ねる①(2015/09)
其の344 引地川の下土棚遊水地を訪ねる②(2016/11)
其の474 引地川の下土棚遊水地を訪ねる③(2018/04)
其の601 引地川の下土棚遊水地を訪ねる④(2019/10)


六会橋の位置です。