


左岸遊歩道から京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡が見えたので寄り道です。現在の京王高尾線山田駅から終点の多摩御陵前駅へ至る御稜線廃線跡に現存する遺構です。ブラタモリで放映されたので知っていましたが、まさか南浅川探訪で出合うとは嬉しい誤算です。(^σ^) いつか廃線跡をたどってみたいですね。

横山橋に到着。

横山橋より下流の眺め。南浅川は北東方向へ流れています。

横山橋下流右岸高水敷に設けた遊歩道とサイクリングロード。その内側には高さ2m位の土手が築かれ桜並木となっています。

2段式の床固工。左岸は高水敷の桜並木のみ。その内側に右岸のような土手はありません。

左岸に小河川が合流しています。河川の合流なので護岸は不連続となります。近年、西日本豪雨(2018年)、19号豪雨(2019年)などでバックウォーター現象による氾濫が起きています。T字型合流はバックウォーター現象が起こりやすく、Y字型が望ましいと思うのですが、ここはY字型です。小河川流域で降雨が少なく、南浅川上流部が大雨で洪水になると霞堤から小河川へ逆流し、調節池のような働きをすると思います。

その下流、複雑な構造をした床固工。中央は魚道を兼ねていると思います。

床固工下流のアオサギとダイサギ。

水無瀬橋上流左岸から南浅川上流を見たところです。サイクリングロード沿いに柵があります。

柵の前に立つと水路跡のようなものがありました。これは何でしょうかね。

逆方向から見ると柵の下で行き止まりです。前方の橋は水無瀬橋です。
グーグルマップを開くと上記水路跡の上流30mほどのところ(地図中心)にもっと広い謎の水路が描かれています。しかし現地にその水路も跡地らしきものもなく狐につまされたような話です。(地図を航空写真に切り替えると何もないことが確認できます)グーグルマップに示されているからにはその根拠があるはず。
私はこの水路はかつての「霞堤」ではないかと想像しています。南浅川が洪水になった時に霞堤から水路に逆流させ、今で言う調節池の働きをさせたのではないかと。参考にした論文「江戸時代の浅川治水と八王子のまちづくり」に水無瀬橋上流に霞堤が残っているとの記述があります。たぶんこの水路を指しているのではないでしょうか。
今昔マップも開いたのですが残念ながら該当する水路はなかったです。ほんと謎の水路ですね。

南浅川に架かる陣馬街道・水無瀬橋です。

おしまいに石見土手を見るために千人町の曹洞禅宗宗格院を訪ねました。ここは八王子市千人町2丁目14番18号

境内の一角に現存する八王子市指定史跡「石見土手」です。石見土手の所在場所が分からず寺院の方に案内していただきカメラに収めました。

石見土手の案内板です。八王子宿を築いた大久保石見守長安が慶長年間に築いた堤で「石見土手」と呼ばれる。

これは石見土手案内板の隣「河西祐助知節顕彰之碑」です。寺院の方のお話によると、河西祐助知節は八王子千人同心の隊長。千人同心は江戸時代後期、北辺警備と苫小牧の開拓に当たる。それが縁で現在、八王子市と苫小牧市は姉妹都市の関係にある。
今回はここまでです。この後、JR中央本線西八王子駅へ向かいました。水無瀬橋下流から浅川合流点まではいつか歩きたいと思います。
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