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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の673 多摩川水系南浅川を歩く②・東京都八王子市

 南浅川の治水施設などを見ながら下流へ歩いています。

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡

京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡  京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡
左岸遊歩道から京王電鉄御稜線(廃線)橋脚跡が見えたので寄り道です。現在の京王高尾線山田駅から終点の多摩御陵前駅へ至る御稜線廃線跡に現存する遺構です。ブラタモリで放映されたので知っていましたが、まさか南浅川探訪で出合うとは嬉しい誤算です。(^σ^) いつか廃線跡をたどってみたいですね。


南浅川・横山橋
横山橋に到着。


横山橋より南浅川下流を望む
横山橋より下流の眺め。南浅川は北東方向へ流れています。


南浅川右岸・横山橋下流
横山橋下流右岸高水敷に設けた遊歩道とサイクリングロード。その内側には高さ2m位の土手が築かれ桜並木となっています。


南浅川の床固工
2段式の床固工。左岸は高水敷の桜並木のみ。その内側に右岸のような土手はありません。


南浅川に合流する小河川
左岸に小河川が合流しています。河川の合流なので護岸は不連続となります。近年、西日本豪雨(2018年)、19号豪雨(2019年)などでバックウォーター現象による氾濫が起きています。T字型合流はバックウォーター現象が起こりやすく、Y字型が望ましいと思うのですが、ここはY字型です。小河川流域で降雨が少なく、南浅川上流部が大雨で洪水になると霞堤から小河川へ逆流し、調節池のような働きをすると思います。


南浅川の床固工
その下流、複雑な構造をした床固工。中央は魚道を兼ねていると思います。


南浅川のアオサギとダイサギ
床固工下流のアオサギとダイサギ。


南浅川・水無瀬橋上流
水無瀬橋上流左岸から南浅川上流を見たところです。サイクリングロード沿いに柵があります。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
柵の前に立つと水路跡のようなものがありました。これは何でしょうかね。


南浅川・水無瀬橋上流の水路
逆方向から見ると柵の下で行き止まりです。前方の橋は水無瀬橋です。


グーグルマップを開くと上記水路跡の上流30mほどのところ(地図中心)にもっと広い謎の水路が描かれています。しかし現地にその水路も跡地らしきものもなく狐につまされたような話です。(地図を航空写真に切り替えると何もないことが確認できます)グーグルマップに示されているからにはその根拠があるはず。

私はこの水路はかつての「霞堤」ではないかと想像しています。南浅川が洪水になった時に霞堤から水路に逆流させ、今で言う調節池の働きをさせたのではないかと。参考にした論文「江戸時代の浅川治水と八王子のまちづくり」に水無瀬橋上流に霞堤が残っているとの記述があります。たぶんこの水路を指しているのではないでしょうか。
今昔マップも開いたのですが残念ながら該当する水路はなかったです。ほんと謎の水路ですね。


南浅川・水無瀬橋
南浅川に架かる陣馬街道・水無瀬橋です。


曹洞禅宗宗格院
おしまいに石見土手を見るために千人町の曹洞禅宗宗格院を訪ねました。ここは八王子市千人町2丁目14番18号


宗格院の石見土手の遺構
境内の一角に現存する八王子市指定史跡「石見土手」です。石見土手の所在場所が分からず寺院の方に案内していただきカメラに収めました。


石見土手案内板
石見土手の案内板です。八王子宿を築いた大久保石見守長安が慶長年間に築いた堤で「石見土手」と呼ばれる。


宗格院の河西祐助知節顕彰之碑
これは石見土手案内板の隣「河西祐助知節顕彰之碑」です。寺院の方のお話によると、河西祐助知節は八王子千人同心の隊長。千人同心は江戸時代後期、北辺警備と苫小牧の開拓に当たる。それが縁で現在、八王子市と苫小牧市は姉妹都市の関係にある。

今回はここまでです。この後、JR中央本線西八王子駅へ向かいました。水無瀬橋下流から浅川合流点まではいつか歩きたいと思います。


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其の672 多摩川水系南浅川を歩く①・東京都八王子市

 梅雨の晴れ間、八王子市西部を流れる南浅川を歩きました。

JR中央本線高尾駅
今日は、JR中央本線高尾駅からスタートです。


南浅川
高尾駅から北へ向かってすぐ、甲州街道(R20)を渡ったところに南浅川が流れています。敷島橋から南浅川上流を望む。
小仏峠付近に源を発し東に流れ、八王子市元本郷町付近で浅川に合流する多摩川水系の一級河川です。


南浅川
敷島橋より南浅川下流の眺め。今日は、下流の陣馬街道水無瀬橋まで治水施設を見ながら歩く予定です。左側の森は武蔵陵墓地(多摩御陵)の森です。


武蔵陵・多摩御陵付近案内図
武蔵陵墓地前の案内板です。初めに御陵にお参りしそれから川辺歩きをすることにしました。敷島橋から緑色ルートで御陵前に到着。車での参拝は御陵入口前の駐車場を利用できます。


武蔵陵墓地(多摩御陵)表参道
武蔵陵墓地(多摩御陵)表参道
御陵入口から入りました。表参道と参道脇の森です。


昭和天皇武蔵野陵
昭和天皇武蔵野陵
右折し新参道に入ると奥は昭和天皇武蔵野陵(むさしののみささぎ)です。その東側は寄り添うように香淳皇后の武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)です。陵の形式はどちらも上円下方。


大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)

大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)  大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)
表参道奥の大正天皇多摩御陵(たまのみささぎ)です。東側に貞明皇后の多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)があります。陵の形式はどちらも上円下方。


南浅川・古道橋付近
御陵近くの南浅川古道橋にやってきました。今日は7月19日(日)、何日ぶりだろう、久し振りの太陽光の下、子供たちは夏休みモードですね。新コロはどこへ行った?


南浅川の床固工・古道橋付近
南浅川の床固工・古道橋付近
古道橋上流の床固工。冷涼感たっぷりです。近くでセミの初鳴きを聞きました。アブラゼミよりいち早くちーちーと鳴く小型のセミです。子供の頃、名古屋ではチーチーゼミと言っていましたね。翅は桜の木肌に溶け込むような保護色でした。


南浅川の床固工・古道橋下流
古道橋下流でまた床固工です。下流の水無瀬橋まで歩いたのですが、床固工は10か所以上ありました。河床が削られるのを防ぎ河床勾配安定のために設置されるので、南浅川は急流河川であることが分かります。


南浅川橋
南浅川橋
南浅川橋まで下ってきました。見映えのする立派な橋です。
構造形式は関東大震災後の東京復興時に開発されたコンクリートラーメン橋台のコンクリートアーチ橋で、御陵参道の橋として、威厳のある形式と周辺の自然との調和を考慮した意匠が施されている。
昭和11年12月竣工 全長53.3m 幅員21.4m

(南浅川橋案内板より抜粋)
  

南浅川
南浅川橋下流の床固工と左岸高水敷遊歩道から見た対岸の様子。右岸の高水敷も遊歩道やサイクリングロードとして利用されています。その内側に一段と高い堤防が築かれ南浅川東側に開けた八王子の町を守っています。


南浅川の床固工・南浅川橋下流
その下流の床固工。堤防は総じて右岸の方が高く江戸時代に千人町、日吉町、元本郷町に築かれた石見土手の伝統が生きているような感じがします。


京王御陵線橋脚の遺構
おや!?左岸の住宅街になんか見えますよ。京王電鉄御陵線橋脚の遺構です。

途中ですが今回はここまでです。次回に続きます。


敷島橋の位置です。(地理院地図より)


其の671 アンダーパスと排水ポンプ・東京都町田市能ヶ谷

 前回の真光寺川のゴム堰跡探訪後、川沿いの道を小田急線鶴川駅へ向かいました。途中、面白いものを見つけたので番外編として取り上げます。

四阿・東京都町田市能ヶ谷
真光寺川沿いの道路に面した公園内の四阿です。ベンチが備わり休憩できます。アルミ柵で囲ってありますが四阿地下になんかあるみたいです。


排水ポンプ施設・東京都町田市能ヶ谷
中を覗くと厳重そうな扉が2枚。扉の中に何か大事な設備があるようです。


排水ポンプ施設・運転監視盤
周りを観察するとフェンス脇に「運転監視盤」がありました。
V・Aメータ、排水ポンプ×2、自家発電機、換気ファンなどの計器類が見えます。施設管理者は東京都南多摩東部建設事務所。
運転監視盤のおかげで四阿地下は東京都の排水ポンプ施設と分かりました。こんなところに排水ポンプってなんのため?どんな場面で運転するんだろう。


真光寺川左岸のアンダーパス
真光寺川左岸、四阿前の通りから南方向を見ました。小田急線の電車が真光寺川を渡っています。左が新宿方面右は鶴川駅・小田原方面。この道は小田急線と立体交差のため下り坂となっています。いわゆるアンダーパスですね。今は上々のお天気、ここに集中豪雨が降ったらどうなるでしょう? 路面に降った雨はアンダーパスに溜まり水浸しになります。排水ポンプと関係ありそうですね。(^σ^)


真光寺川左岸のアンダーパス
実際に歩いてみます。小田急線の桁下は2.5m。


真光寺川左岸のアンダーパス
最下点です。溝にグレーチングフタがしてあり、水が溜まっています。溝の下にたぶんコンクリートの大きな水槽が隠れていると思います。


真光寺川左岸のアンダーパス
南側へ通り抜けて振り返りました。以前、真光寺川源流を探訪したときに、このアンダーパスを南から北へ潜り抜けたことがあります。その時は何の考えもなくただ通り抜けただけです。
今、北側の排水ポンプ施設の存在を知り、集中豪雨によりアンダーパスが冠水したときの排水施設ではないかと見方が大きく変わりました。


真光寺川左岸のアンダーパス
これは真光寺川右岸から見た小田急線南側左岸の護岸兼アンダーパス構造物の一部です。路面の降雨に加えて、真光寺川が洪水になると護岸から水が溢れ、アンダーパス内が水浸しになる恐れもあります。上部に何やら計測機のようなものが付き配線が伸びています。アンダーパスの水位監視装置かも知れません。この位置からは見えませんが北側護岸上部に径300mmくらいのポンプ排水時の放流口と思われる開口がありました。

前述の南多摩東部建設事務所は東京都が管理する道路(都道)と河川の整備、管理、維持補修を行う部署です。真光寺川並びに川沿いの道路がその対象と思われます。アンダーパスが冠水すると排水ポンプを稼働させ地下に溜まった水を真光寺川へ排水すると思います。排水ポンプの操作は遠隔か現場か?そこまでは分かりません。

以上のような次第で、思いがけず排水ポンプ施設を見つけあれこれ想像しました。「犬も歩けば棒に当たる」、徒歩だからこその発見と、俄か見学でした。門外漢なので確信はありません。皆様はどのように感じたでしょうか。


旧真光寺川沿いに咲くオオキンケイギク
おしまいにアンダーパス付近、旧真光寺川沿いに咲くオオキンケイギクです。繁殖力旺盛で時に大群落を成すらしいです。ここは生育環境のせいでしょうかこの一株だけでした。


排水ポンプ施設(四阿)の位置です。(地理院地図より)


其の670 真光寺川のゴム堰跡・東京都町田市広袴町

 今年1月末、真光寺川源流を探訪したときに、農業用取水堰と思われるゴム堰を発見しました。武漢ウイルス禍で遅れましたが、改めて確かめに行きました。

真光寺川のゴム堰跡
7月2日(木)、農業用取水堰と推測したゴム堰の現場にやってきました。ありゃ、1月に来た時と変わっていないですね・・・。


真光寺川のゴム堰跡
本来この位置で風船のように膨らませたゴム堰から越流する水しぶきを見たかったんですけどね・・・残念至極。


酒匂堰の川久保堰
越流とはこんな感じです。「其の224 酒匂堰のゴム堰」より。
ゴム堰はゴム引布製起伏堰と言い、空気で膨らませる空気式と水を注入する水式があります。


真光寺川のゴム堰跡・取水ゲート
ゴム堰で貯めた水は取水ゲートから用水路に取り入れるわけですが、こちらは左右両岸に取水ゲートがあります。


真光寺川のゴム堰跡・右岸取水ゲート
左岸から見た右岸取水ゲート。


真光寺川のゴム堰跡・余水吐水路
今日はこの施設を見に来たので時間はたっぷり。右岸の用水路を下流へ追っかけます。右(北)側は真光寺川右岸一帯の田んぼです。ここはその田んぼの南端にあり余水排水がこの用水路に流れ込んでいます。


真光寺川右岸の田んぼ・町田市広袴町
用水路から見た北側の田んぼです。中には近辺小学校児童による稲作中の田んぼもあります。用水は田んぼの北西角から来る別系統の用水路から引いています。


真光寺川のゴム堰跡・余水吐水路右岸に放流
用水路を追っかけて行くと数メール先で左へ曲がり、また数メートルで左折、結局、真光寺川右岸へ放流していました。じゃあ左岸の取水口以下はどうなっているか? 調べると2回右折し同様に真光寺川へ戻るようになっています。
端から農業用取水堰と思い込んでいたので意外な展開です。今昔マップで確認すると昔はこれより下流に田んぼがあったのですが、今は住宅街に変遷しました。見た目取水ゲートは新しいし、すぐにでも使えるような感じです。帰り道でつらつらと考えるに、これは農業用取水堰ではなく別の目的で設置されたのでは・・・に思い至りました。


真光寺川右岸の調節池
これは1月に探訪したときに撮ったゴム堰から120mほど上流の平成橋下流右岸の親水公園です。園内の池に護岸下部から河川水を取り入れるようになっています。


真光寺川右岸の調節池
左岸から見た親水公園です。護岸下部に開口があり水位が上昇すると公園内の池に水が入るようになっています。水位上昇は大水の時に考えられますが、その際は水に親しむどころではありません。調節池として働くので、治水上役立つかもしれないですが軽微ですね。

そこで平常時に人工的に水位を上げる方法がゴム堰ダムです。親水公園内の池とゴム堰をセットで考えれば納得できます。ゴム堰付近、左右両岸の取水ゲートはゴム堰ダムの水位を一定に保つための余水吐と考えるしかないですね。まあ余水吐がなくても、放っておけばゴム堰天端から越流するんですけどね。

以上は私の勝手な推測です。なぜゴム堰・操作室を撤去したかは謎として残ります。施設の建設段階で急遽工事中止になった可能性も考えられます。ゴム堰の寿命は約40年と聞いています。一度設置すれば現在使われていてもおかしくないです。


以下は過去記事で取り上げたゴム堰設置例です。
目久尻川柏ヶ谷堰(ゴム堰)
其の312 目久尻川柏ヶ谷堰ファブリダム

境川遊水地公園・俣野堰
其の228 境川俣野堰

境川高飯堰
其の234 境川高飯堰


関連記事です。
其の224 酒匂堰のゴム堰の堰上げ見学
(2015/05投稿)
其の632 真光寺川源流を訪ねる①・東京都町田市
(2020/02投稿)


真光寺川のゴム堰跡の位置です。(地理院地図より)


其の669 片平川の熊野堰を訪ねる・川崎市麻生区

 今年3月、片平川源流探訪で見つけた農業用取水堰のその後の様子を見に行きました。

片平川
6月30日(火)、オフピーク乗車し、小田急線柿生駅下車、片平川へやってきました。片平川河口天神橋から見た上流方向です。二つ続いている落差工の上流側が目的の取水堰です。


片平川の熊野堰
右岸から見た取水堰。3月に出合った時、護岸に扇形の跡がついていたので、シリンダー式の転倒堰と見ました。田んぼへ用水を送る時期なので期待して来たんですけどね~。残念ながら転倒堰は倒伏したままです。用水を送る田んぼは一枚も残っていないのでしょう。


片平川の熊野堰
左岸から見ました。くっきりと扇形の跡がついています。上流側にスクリーン付き取水口が口を開けています。


「熊野堰跡(お熊ん堰)」の碑
右岸取水口付近、桜の根元に立つ「熊野堰跡(お熊ん堰)」の碑。片平川源流を探訪したときに、「仲堰跡」「金井原堰跡」「大堰跡」の碑を見つけたので都合四つ目の堰跡碑です。この碑は片平老人クラブが建立したもので、ゆかりの句が刻まれています。残念ながら不鮮明で読み取れず。由来書きはなかったですね。右岸にブロック作りの操作室があり、現役の取水堰と睨んでいただけに残念。


熊野堰用水路
右岸取水口付近の桝です。グレーチングフタがしてあります。かつてここから田んぼに向かって用水が流れていたはずです。堰が稼働中であれば田んぼまで歩くつもりでした。せっかくなので当時を偲んでたどってみます。


熊野堰用水路
片平川は天神橋で麻生川に合流します。麻生川右岸沿いの熊野堰用水路跡。


熊野堰用水路
その先、幅4尺くらいの暗渠フタが続きます。暗渠フタは前方の県道3号線(津久井道)手前まで続きます。そして県道を暗渠で南側へ潜り抜けていたと思われます。


麻生川
津久井道から見た麻生川下流方向です。


麻生川右岸
麻生川右岸沿いに熊野堰用水路跡らしきものは見当たりません。昔は小田急線を潜りそれより南側の田んぼに送水していたものと思われます。
この後麻生川右岸沿いを仲村橋まで歩きましたが用水路跡は発見できず。諦めて左岸沿いの道を小田急線柿生駅へ向かいました。

今昔マップを開くと田んぼが見られます。
(今昔マップon the webより)

1983~1987年(昭和58~62年)にセットした今昔マップです。
小田急線の南側、麻生川右岸から旧真光寺川にかけて水田がありました。年代を変えると1992~1995年(平成4~7年)まで麻生川右岸沿いに水田マークが見られます。


ヒメツルソバ
これは麻生川左岸、乾いた道路面の隙間で懸命に生きる蔓性の草花。花はまばらだけど、この花は谷津川に咲いていたヒメツルソバですね。葉っぱの一部は紅葉しています。


「寛政十一年の題目塔とお召講」
おしまいに柿生駅前の「寛政十一年の題目塔とお召講」です。
案内板によると、旧6か村(麻生・片平・奈良・能ヶ谷・三輪・金井)の日蓮宗を信仰する人々によって建立された。現在でも池上本門寺の日蓮上人像にお召物を奉納する講を行っているそうです。寛政11年は西暦1799年。220年以上前から続いているんですね。


関連記事
其の640 片平川源流を訪ねる・川崎市麻生区
(2020.03投稿)


熊野堰の位置です。(地理院地図より)


其の668 江東三角地帯の治水施設・北十間川樋門③

 気がかりだった北十間川樋門のその後の様子を見に行きました。平成31年度(令和2年3月末)中にサイフォンを設置し樋門は撤去すると聞いていたので注目していました。

北十間川・東武橋
6月29日(月)、オフピーク乗車で東京スカイツリー下までやってきました。東武橋から見た北十間川樋門耐震対策工事現場東端の様子です。現場西端の樋門は後から見に行きます。


北十間川・東武橋
接近するとこんな感じです。昨年来た時、土嚢は3段積みでしたが1段積み増ししています。相変わらず仮設の蛇腹パイプから水を吐き出しています。こちら側は北十間川の東側河川です。西側河川の方が、水位が最大3.1m高いのでサイフォンで送水していることになります。仮設蛇腹パイプがいまだに稼働中ということは工期が伸びているということですね。


北十間川樋門耐震対策工事現場
東武橋上から見ました。昨年9月に来た時は土嚢ダムで堰き止めた水溜まりがあり、その水を蛇腹パイプで排水していました。今は水溜まりがなく護岸沿いの蛇腹パイプから排水しています。この蛇腹パイプはどこから来たのでしょう。後で分かりますが蛇腹パイプからの吐き出しは「排水」ではなく東側北十間川への「給水」です。

北十間川樋門について、
過去記事「其の604」から引用します。
北十間川樋門は扇橋閘門と共に江東内部河川を東西に分ける治水上重要な施設です。西側河川はA.P.±0m~+2.1mの範囲内で水位が変化する感潮河川。東側河川は人工的にA.P.-1.0mに抑えて管理する水位低下河川です。東西の落差は最大3.1mに達します。
扇橋閘門は前扉後扉があり理解しやすいのですが、こちらはどのような仕組みで落差調節するのか実際に見てみたいです。
工事完成後にまた出直します。そのさいはサイフォン施設もぜひ見たいものです。



北十間川樋門耐震対策工事現場
北十間川樋門耐震対策工事現場
東側現場入口から見た北十間川樋門耐震対策工事現場の様子。西端の北十間川樋門堤体が見えます。樋門ゲート巻上機は撤去されたみたいです。青色のポールが見えません。入口前の工事案内板によると工期は2020.9月末に訂正してありました。武漢ウイルス騒動のせいで伸びたみたいですね。


北十間川樋門耐震対策工事現場
南側から見た現場内の様子。クレーンに高性能小型水処理機ゼロシステム、AIRMANなどいろいろな設備が入っています。


北十間川樋門耐震対策工事現場
北側から見ました。先ほど見た仮設蛇腹パイプが地面を這っています。


北十間川・小梅橋
東武橋の西側に架かる小梅橋です。北十間川樋門工事現場は二つの橋の間にあります。昨年9月に来た時、この橋は工事中のため塀に囲われ近寄ることすら出来ませんでした。


北十間川樋門
小梅橋から初めて見る北十間川樋門です。東京都では船の通航ができないような小さな水門を樋門と言っています。北十間川樋門はゲートの開閉操作で隅田川の水を水質浄化用水として取り入れる取水口の役割を持っていました。現在工事中なので水が東側へ流れないように赤さび色の鋼矢板の親玉のようなパイプ・鋼管矢板で囲い封鎖しています。樋門堤体を解体撤去しその跡に護岸を築けば西側、東側の北十間川は完全に縁が切れます。


北十間川樋門前で立ち上がる蛇腹パイプ
樋門機能は停止中なので代わりに水質浄化用水を送るための仮設蛇腹パイプが水中から立ち上がっています。サイフォンの入口(吞口)側ですね。出口側は先ほど東武橋から観察しました。今日の狙いは、本物のサイフォン管(たぶん大口径の鋼管)が立ち上がる様子を見るためだったんですけどね・・・。それとサイフォン形成のための真空ポンプ設備なども。サイフォン管(逆U字型)の両端を水中に浸け、真空ポンプで管の中の空気を抜くと水で満たされサイフォンが形成されます。

用水路が河川と立体交差するとき伏越(ふせこし・逆サイフォン、サイフォンとも呼ばれる)で潜り抜けるケースをよく見かけますが、こちらは本物のサイフォンです。一度サイフォンが形成されると前述のように水位差があるので、電気代をかけないで自然に浄化用水を給水することができます。通水を止めるときはサイフォン破壊(空気弁で管内に空気を入れる)すればいいので簡単です。


小梅橋西側の北十間川
小梅橋から北十間川西方向の眺めです。500mほど先の源森川水門を経て隅田川とつながる感潮河川です。左側にずらりと鋼管矢板が打ち込んであります。業平橋ポンプ所再構築工事(雨水ポンプ場)現場です。


北十間川樋門と東京スカイツリー
おしまいに小梅橋より北十間川樋門と東京スカイツリーの眺めです。スカイツリーにまだ上ったことがないのですが、上る気は起きないですね。いずれにしてもここへはこの秋にもう一度来なければ・・・。

前回の記事はこちらです。
其の604 江東三角地帯の治水施設・北十間川樋門②
(2019.10投稿)

工事前の北十間川樋門の画像です。東京都江東治水事務所HPへ飛びます。
北十間川樋門


北十間川樋門の位置です。(地理院地図より)


其の667 富士塚とボックスカルバート・埼玉県寄居町用土

 都県跨ぎの移動制限が解除されたので、いの一番で寄居町へ行ってきました。今日は6月24日(水)、3月の小平市の新堀用水探訪以来丸3か月ぶりに電車に乗りました。

八高線用土駅・高崎行ワンマンカーキハ111-205
JR八高線用土駅です。JR横浜線相模原駅~八高線高麗川駅と乗り継いでやってきました。この列車はキハ111-205高崎行きワンマンカー。空いた時間帯を選んだので座れましたが、まさか運行が一時間に一本とは・・・。


道端の庚申塔
目的地は昨年9月に訪ねた用土の比例円筒分水堰です。昨年は通水が終了していたのでリベンジです。ぶらぶらと歩いていくとR254仙元前信号付近道端に庚申塔が林立。中央は高さが2m以上もある立派な文字塔です。裏面に天明二壬寅年正月と刻まれています。天明二年は徳川家治の治政1782年です。238年も前の庚申塔です。


寄居町の富士塚「仙元大日神」
ローソン寄居仙元前店前にこんもりとした塚がありました。塚の頂、富士山の形をした巨石に「仙元大日神」と大きく刻んであります。これは富士塚ですね。予期せぬ出合いです。


富士北口 鍾登山三十三度大願成就の碑
ふもとの石碑には「富士北口 鍾登山三十三度大願成就」と刻まれています。富士講の人たちが大願成就を記念して造立したと思われます。


寄居町の富士塚「仙元大日神」
後ろ側から。ローソン寄居仙元前店前、田んぼの隅にあります。


寄居町用土・比例円筒分水堰
比例円筒分水堰に到着です。がーん・・・ショックなので画像は小さめにします。昨年9月に来た時と同じでした。まさかこの時期に通水ストップとはアンラッキー。表面が乾いているのでしばらく通水していないみたいですね。


ボックスカルバート工事・用土郵便局付近
これは帰り道、用土郵便局付近で見つけたボックスカルバート施工現場です。水辺探訪では用水路や河川に施工されたボックスカルバート上をしばしば歩きますが、工事中の現場は過去に2回しか見たことがなく非常に珍しい例です。八高線に乗る直前に本日最高のお土産に出合いましたよ~。(^σ^♪ 
この川は藤治川の上流部で、地図で下流へたどると小山川となり熊谷市間々田で利根川に合流しています。
急いで用土駅へ向かいます。乗り逃すと1時間待ちですからね。

今回は円筒分水工探訪失敗の巻でした。


比例円筒分水堰の位置です。(地理院地図より)