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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の659 藤木川源流を訪ねる・相模原市緑区葉山島

 電車やバスを使わない散策を続けています。今回は下河原川の北側を流れる藤木川(藤木沢)源流探訪です。

相模川の固定堰・相模原市緑区葉山島
5月24日(日)、藤木川河口付近、相模川右岸堤防から見た相模川です。六脚ブロックを整然と積んだ固定堰が目立ちます。
ここより下流左岸崖下にある農業用取水施設・清水下頭首工へ導水するための施設ですね。導流堤と呼んだほうがいいかも知れません。


相模川の固定堰、導流堤
堤防の上に駐車スペースがあるので、河原に下りて接近。結構な迫力です。


藤木川河口・相模原市緑区葉山島
河原から見た藤木川の河口です。2段の落差工は高さ十分、相模川が増水しても逆流の恐れはないですね。


湘南葉山島耕地事業竣工記念碑
藤木川の河口付近に立つ湘南葉山島耕地事業竣工記念碑。
葉山島の田んぼの北の隅、南に広がる田んぼを望む位置に立っています。
昭和二十九年十月 湘南村葉山島開拓事業組合が建立。


不動明王立像と双体道祖神
記念碑隣に立つ不動明王立像と双体道祖神。双体道祖神の男神は向って左側に立つのが多いのですが、こちらはぎっちょ?


藤木川
上流へ歩いていきます。段々の落差工。真ん中の段は葉山島頭首工で取り入れた用水路トンネルの上端です。藤木川と用水路の立体交差です。


葉山島の田んぼ
上記交差点から見た葉山島の田んぼと開渠となり南、東へ向かう用水路。


県道511号線清水橋
県道511号線清水橋です。


清水橋より藤木川上流方向の眺め
清水橋から藤木川上流方向の眺め。


藤木橋より藤木川上流を望む
その上流藤木橋から上流の眺めです。


ゲンジ蛍保護区域の案内板・相模原市緑区葉山島
橋のたもとに立つゲンジ蛍保護区域の案内板です。
6月中旬から観察できるそうです。今年は暑いので早く見られそうです。もうじきですね。


藤木橋の庚申塔・相模原市緑区葉山島
橋のたもとの庚申塔です。側面に明治二巳歳年四月と刻まれています。1869年の造立です。改めて見ると庚申墳と刻んであります。墳とは何でしょうかね?初めて見ました。


藤木川・蓮葉寺交差点前
蓮葉寺交差点前の藤木川。直進すると姥石(うばいし)方面。


藤木川合流点
そのすぐ上流で左岸に合流しています。どちらも同名の藤木川(藤木沢)ですが、姥石方面は探訪済「其の290」なので左岸に合流の藤木川を遡ります。


藤木川
合流点上流、玉石護岸の藤木川です。階段で川縁に下りられます。野菜でも洗うのかな?


藤木川
圏央道手前です。道路左側が藤木川です。


藤木川
蛇行し圏央道と平行に流れる藤木川。


藤木川・圏央道下
圏央道下を流れる藤木川。


藤木川
圏央道を過ぎると急な上り勾配になります。滝のような砂防ダム。下河原川のような密林ではなく舗装道路沿いを歩けるので楽な探訪です。


藤木川
U字型の大蛇行。驚いたことに大きさが5cm位の小魚数匹の群れを見ました。砂防堰堤が続いているのにどうやって河口から遡ってきたのでしょう。不思議・・・謎です。


藤木川のイトトンボ
付近で見つけたイトトンボです。道保川探訪以来久し振り。


藤木川支流の砂防ダム
道路左側藤木川支流の砂防ダム。見事な玉石積み。下の相模川河原に行けばごろごろしているので相模川産の玉石でしょうね。砂防ダム下流は道路地下を横断して上の写真U字型蛇行部に合流しています。


藤木川の砂防ダム
その先の藤木沢橋から左手を見るとまたまた砂防ダムです。こちらは藤木川に築造した砂防ダムです。二段式で下の段に水が溜まっています。木々が茂り見通せないのが残念です。
実は藤木川の流れを見たのはこれが最後です。あっけないですね・・・山間に分け入る源流探訪はこんな終わり方が多いですね。先日の下河原川、昔を振り返れば恩曽川や道志川もそうでした。


相模野CCへ至る道
藤木沢橋を渡りその先の上り坂です。藤木川は谷を流れるので坂道を上れば上るほど藤木川から離れていくことになります。


相模野CCへ至る道
上の相模野CC前まで来て坂道を振り返りました。藤木川は右手崖下を流れているはず。しかし川音すら聞こえてきません。
ここで撤収で~す。藤木川河口まで引き返します。


黄色い花・ヘビイチゴ?  イチゴの実
河口付近で黄色い花を見つけました。ネットの図鑑で調べるとヘビイチゴが一番似ているような気がします。
黄色い花の近くにあったイチゴの実。何イチゴの実かな?

関連記事
其の290 相模原市緑区葉山島の芝桜と藤木沢の姥石
怪力山姥(やまんば)伝説の紹介。


藤木川河口の位置です。(地理院地図より)


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其の658 月夜野坂と下河原川・小河川の立体交差・相模原市緑区

 下河原川源流探訪に続いて5月17日(日)、下河原川と小河川の立体交差を見に行きました。

下河原川
前回歩いた下河原橋上流の下河原川です。この先を左折すると川沿いの林道に入りますが、道なりに直進すると急な登坂になります。


月夜野坂・相模原市緑区葉山島
この坂です。急な坂で息が切れそう。


月夜野坂の地名標柱
上り詰めた峠道に「月夜野坂」の地名標柱が立っていました。
相模原市と合併する前の城山町教育委員会が立てた標柱で「月夜野へ通じる坂なので、この名がある」とあります。なんて素敵な名前なんでしょう!ちっとも知らなかったな~。


月夜野坂・相模原市緑区葉山島
峠から見た月夜野坂の下りです。


月夜野坂・相模原市緑区葉山島
坂途中から振り返りました。標柱付近で農作業中の方に伺ったところ、こちら側から坂を上ると途中でお月さまが見えるのでこの名がついたとのこと。


月夜野坂下の小河川
これは月夜野坂下で出現した小河川です。この小河川が今日の主役です。上流側は沢沿いに道もなく藪のせいでよく見通せません。源流はすぐ近くみたいです。


月夜野坂下の小河川
小河川沿いに下っていきます。この小河川は地元の方に伺ったのですが特に名前はないそうです。以下小河川と呼びます。県道の向こう側に葉山島の田んぼが見えます。


月夜野坂下の小河川
小河川とは言え急勾配なので流路工でがっちり固めています。


葉山島の小河川
県道511号線手前です。県道を横断し葉山島の田んぼを突っ切れば相模川に合流するのですが、県道を潜った後は暗渠のまま右折し県道沿いを南流します。


葉山島の小河川
南流し県道東側で開渠となった小河川。


葉山島の小河川
東向きの流れとなり葉山島の田んぼへ向かう小河川。


葉山島の小河川
田んぼの中の南北に走る農道手前で右折し、流路は南向きに変わります。中央のU字溝は葉山島頭首工で取り入れた用水路の支線用水路です。小河川に落とさないで塩ビパイプで立体交差しているのが面白いですね。


葉山島の小河川
南へ向かう小河川。上述の立体交差は右側の田んぼへ水を配るためでした。小河川は田んぼより低いところを流れているので田んぼの排水を受け入れていると思います。


葉山島の小河川
南へ進むと前方に土手が見えます。前回歩いた下河原川左岸の土手です。改めて観察すると小河川は田んぼ水面より低い位置を流れていることがよくわかります。


葉山島の小河川と下河原川の立体交差
天井川化した下河原川の下を小河川が潜り抜けます。河川と用水路の立体交差(伏越・逆サイフォン)はよく見かけますが、河川同士の立体交差は珍しいと思います。(甲府盆地には天井川が多く見に行ったことがあります。)


下河原川・相模原市緑区葉山島
左岸土手から見た水無川状態の下河原川です。


小河川と下河原川の立体交差
少し上流側に小河川のコンクリート製水路トンネル上端が見えました。断面がU字型の伏越ではなくストレートに潜っています。河床ELが低ければU字型伏越になったと思います。


水無川状態の下河原川
立体交差部から下河原川下流を見ました。こんなところには余り立ちたくないですね。万が一山の天気が急変して鉄砲水が来たら・・・と思うとちょっと怖いです。


葉山島の小河川
下河原川を抜け南流する小河川。


葉山島の田んぼと小河川
葉山島の田んぼ西側を相模川へ向かう小河川。葉山島の田んぼ沿いに入ってからは終始田んぼより低い位置を流れ決して田んぼに水を入れることはありませんでした。結局田んぼの余水排水路としての役割を果たすため流路を南向きに変更させたと思います。自然界ではありえない人の手が入った河川同士の立体交差でした。


葉山島の田んぼと小河川
葉山島の田んぼの南端に立ちました。写真左側が小河川です。田んぼの排水や用水路の余水が流れ込んでいました。


葉山島の小河川
町田乗馬センター厩舎前から相模川へ向かう小河川。


今回のスタート、下河原橋の位置です。(地理院地図より)


其の657 下河原川源流を訪ねる・相模原市緑区葉山島

 6年振りに葉山島の田んぼを訪ね、田んぼを横断する下河原川の源流探検に行ってきました。

下河原川
下河原川河口近くの人道橋から見た上流の風景です。山が迫っています。山から運ばれた砂利が溜まり下河原川は水無川となっています。


下河原川
同、下流方向です。前方の森は相模川左岸の崖です。右岸の広い石ころ河原に駐車可能です。

現在地はこんなところです。(地理院地図より)



相模原市緑区葉山島の田んぼ
人道橋から北方向を見ると葉山島の田んぼが広がっています。中央の水路は相模川の葉山島頭首工で取り入れた用水路で、田んぼに水張りが始まっています。用水路はこちらに向かって流れています。


相模原市緑区葉山島の田んぼ
同、南方向です。用水路は下河原川を伏越(ふせこし・サイフォン)で立体交差し、田んぼに配り終えた余水は排水路から相模川に戻っていきます。


下河原川を伏越で潜る用水路
下河原川左岸伏越の吞口です。下河原川川底下を潜ります。
こうして眺めると下河原川は田んぼより高い位置を流れているように見えます。下河原川は天井川化していますね。


下河原川を伏越で潜った用水路の吐口
下河原川右岸伏越の吐口です。土手下で吹き上がっています。


マムシの注意看板・相模原市緑区葉山島
伏越吞口付近の葉山島開拓事業組合の看板。マムシが水路の中に居たそうです。これから上流へ歩くので要注意です。


県道511号線下川原橋
さて、下河原川を山の方へ遡っていきます。上流の県道511号線下河原橋です。相変わらず水無川ですが伏流水が流れていると思います。


下河原川
下河原橋より上流の眺め。右岸側にわずかに流れがあります。


下河原川・下川原橋
下河原橋から約100m上流の橋、同名の下河原橋です。流れがあり川らしくなりました。


下河原川
下河原橋より上流の眺め。左岸沿いの道をたどっています。


下河原川沿いの林道
その先で下河原川は川沿いの道から離れていくので、急な登坂手前を左折し林道へ入りました。


下河原川
その先で河原に下りてみました。両岸共蛇篭護岸で固めています。


下河原川林道沿いのイチゴの実
林道沿いの実を付けたイチゴ。目立ちます。


下河原川
左岸沿いに細い道が通じています。河口から1kmも進んでいないのに深い山の雰囲気です。


下河原川・丸太の橋
丸太を束ねた橋を渡ります。


下河原川・砂防ダム
背の低い砂防ダムがありました。倒木が目立ちます。


下河原川
また倒木。一昨年秋の強風台風の被害と思われます。


下河原川の丸太の橋
丸太の橋を渡り再び左岸沿いを歩きます。手すりは細いロープが一本のみ。


下河原川沿いの林道
上流へ続く小径。突然熊か猪が飛び出してきそうなところです。


下河原川沿いの林道
行く手にまた倒木。通れそうなので前進。行けるところまで行ってみます。小径の山側に「土砂流出防止保安林」の標識が立っていました。


下河原川の砂防ダム
二つ目の砂防ダム。一つ目より落差があります。


下河原川
足元はこんな感じ。足を踏み外し骨折でもすると大変です。


下河原川の砂防ダム
三つ目の砂防ダム。目を凝らすと左岸の小径に枯葉が積もり川の方へ傾斜しています。直近に誰も通っていない証拠です。危険が危ない!?(^σ^)
ここで撤収を決断。引き返しました。小径は砂防ダムより上流奥へ続いています。


下河原川のカキドオシ
帰り道でカキドオシを見つけました。蔓が伸びています。


過去記事と重なりましたが、今回用水路と下河原川の伏せ越し立体交差の紹介をしました。葉山島の田んぼでもう一件、河川同士の立体交差を見つけたので次回発表したいと思います。

関連記事
其の155 葉山島頭首工を訪ねる(2014/05投稿)

其の656 勝坂遺跡公園周辺を散策しました・相模原市南区磯部

 世間事情に合わせ電車やバスを使わない近場の探訪です。
5月9日(土)、勝坂遺跡公園周辺を散策しました。

勝坂遺跡公園周辺案内図
勝坂遺跡公園周辺の案内図です。山谷鳩川橋付近の無料駐車場からスタートしました。

地理院地図で見るとこんなところです。



勝坂遺跡公園・竪穴住居
勝坂遺跡公園竪穴住居(1号住居)案内板
初めに遺跡公園南端の竪穴住居(1号住居)と案内板です。
縄文時代中期後葉(約4700年前)
復元住居 屋根:笹葺 柱材:クリ 床:ローム土


勝坂遺跡公園・竪穴住居
勝坂遺跡公園竪穴住居(3号住居)案内板
隣に建つ竪穴住居(3号住居)です。土が被せてあります。
縄文時代中期後葉(約4700年前)
復元住居 屋根:土葺 柱材:クリ 床:ローム土
竪穴の掘削で掘り出された土の量は10tダンプで約4台分にもなる。土葺住居は密閉された屋内空間を作る特徴から保温性に優れた住居形態と言われる。寒い時期だけの「冬の家」と考えられている。 
(案内板より抜粋)

竪穴住居は台地の上にあります。台地の下を鳩川が流れています。案内図にある有鹿神社・照葉樹林・ホトケドジョウは其の539鳩川源流「有鹿の泉」を訪ねるで歩いたので今日は台地の上を散策します。


勝坂式土器発見の地
次に訪ねたのが「勝坂式土器発見の地」です。案内板のみ。
「勝坂遺跡」は縄文時代中期の典型的な集落跡。我が国の考古学上の代表的遺跡。本遺跡から出土した「勝坂式土器」は、縄文時代中期を代表する土器として全国的にその名を知られている。この土器は大正15年考古学者大山柏氏が中村忠亮氏所有の畑地を発掘調査した際に初めて発見された。 
(案内板より抜粋)


旧中村家住宅
次は、旧中村家住宅です。これは国登録有形文化財の主屋。幕末期の慶応年間に建てられた和洋折衷住宅。2階の外壁は海鼠壁。


旧中村家長屋門
旧中村家長屋門
旧中村家住宅長屋門です。桁行63尺(約19m)と長大。主屋と同時期の慶応年間(1865~1867)に建築と推定される。


旧中村家案内板
案内板です。主屋と長屋門は国登録有形文化財です。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館中です。本日は表から眺めるだけです。


石楯尾神社(いわたておじんじゃ)参道
石楯尾神社(いわたておじんじゃ)参道
次に石楯尾神社(いわたておじんじゃ)に参拝。階段は踊り場を含め121段もありました。


石楯尾神社・相模原市南区磯部
石楯尾神社本殿です。本殿の東側は米軍キャンプ座間です。


中村家水源池
おしまいに案内図に載っていない施設の紹介です。旧中村家住宅の東、山の中にありました。道路から小道が通じているので見に行きました。施設前に石碑が立っています。

中村家水源池
鉄格子の中はこんな感じです。白いものはクモの抜け殻?クモの糸も写っています。関東ローム層に掘られた素掘りの隧道です。奥行きはわかりませんが水が溜まっています。これは何のための施設でしょう。
鉄格子前の石碑に碑文が刻んでありました。タイトルは右書きで「水源池●記」と陽刻。碑文は縦書きで細かな字が陰刻してあります。(●は、私には読めない古い書体の漢字です)碑文の書き出しは「我中村家ハ代々新磯村勝坂ニ住スルガ故ニ・・・」で始まり碑の建立年は「皇紀二千六百一年春」とあります。
皇紀二千六百一年春は昭和16(1941)年だから日米開戦前です。私が生まれる前の話ですね。碑文は全文を読み取れませんが、先ほど訪れた旧中村家の先代が敷設した自家用水道(または集落の水道)の水源と推察します。

中村家の水源池を見て二つのことを連想しました。
一つは秦野市の湧水が水源の曽屋水道「其599」です。隧道入口は鉄の扉で中を見られなかったです。

もう一つは、新堀用水の胎内堀(たいないぼり・ほっこぬき)「其の645」です。胎内堀とは関東ローム層に掘られた素掘りの水路トンネルです。胎内堀は中村家の水源池隧道とそっくり同じであったろうと想像します。


米軍キャンプ座間境界フェンス
ちょっと奥へはいるとそこから先は米軍キャンプ座間です。

其の655 再び横浜水道みちを行く・相模原市中央区

 バスや電車を使わなくても行ける格好の散策路が近場にありました。昔を思い出しながら横浜水道みちを歩いてきました。

横浜水道みち
5月7日(木)、相模田名高校付近から水道みちに入り田名中前までやってきました。県道54号線から見た横浜水道みち城山ダム方向です。


横浜水道みち・田名北小前
県道63号線田名北小前です。昔は県道を挟んでコンクリート製の空気弁室がありましたが解体撤去されました。


横浜水道みち・田名北小前
田名北小校庭前です。水道みち内に電柱が立っています。
「横浜市水道局谷ケ原-***」と一連番号が打たれています。かつて使われていた青山沈澱池・西谷浄水場間に引かれた専用通信線用です。
今回の散歩は6年前に歩いた「其の140横浜水道みちの電信柱」と全く同じコースです。


横浜水道みち・100m杭・km杭
その先の水色の百米杭(100m)と粁杭(km)です。
百米杭には120Y.W.W、粁杭には十二粁横濱市水道局と刻まれています。水源の三井用水取入所からの距離12kmを示しています。この辺りには貴重な百米杭が連続して残っています。


横浜水道みちの電柱
その先の水道みちと専用通信線電柱。今は地元自治会の防犯灯用に使われています。


横浜水道みちと100m杭
まっすぐ伸びる横浜水道みちと百米(100m)杭。

横浜水道みちの100m杭
上から見た百米(100m)杭。サイズは16cm角。119Y.W.Wと刻まれています。三井用水取入所から11900m。


横浜水道みちのアカバナユウゲショウ
城山ダムの方へ向かう横浜水道みちとアカバナユウゲショウの群生。近頃その勢力を伸ばしています。その他の草花はハルジオン、すかんぽ、ギシギシ、ナガミヒナゲシなどが目立ちました。


横浜水道みち付近のアカバナユウゲショウ白花
横浜水道みち付近のアカバナユウゲショウ白花
この日は風が強く花の撮影は無理でした。前日、水道みち近くの農道で珍しいアカバナユウゲショウの白花を見つけました。
白花は茎が緑色、アカバナの茎は赤みがあります。株元を確かめると別々の株でした。


横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みち・トロッコの歴史看板
横浜水道みちトロッコの歴史看板です。三井用水取入所から5つ目の看板です。詳しくは横浜水道創設水道導水路を参照ください。
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名

上記「横浜水道創設水道導水路」はリンク切れとなりました。右サイドバーリンクにコピー版を貼り付けました。


横浜水道みち・相模原市緑区大島古清水
県道48号線を横断すると水道みちは一般道として利用されています。ここは中央区田名から緑区大島古清水に入りました。


横浜水道みち・神沢坂
その先で台地上に敷かれた水道みちと別れ神沢坂を下ります。左側が今歩いてきた水道みちです。


神沢坂の地名標柱と相模川散策路の道標
坂途中の神沢坂の地名標柱と相模川散策路の道標。
「神沢集落から上の段に通じる坂なのでこの名があります」 
(地名標柱より) 


古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ
神沢坂地名標柱近くの古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボです。こんこんと湧き出した清水はヤツボから溢れ崖下から相模川へ流れていきます。

古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ
見上げるとヤツボの清水はこんな崖下から湧いています。

古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボ案内板
ヤツボの案内板です。湧水を溜めた泉をヤツボと言います。


神沢坂
さらに神沢坂を下っていきます。


神沢不動尊・長徳禅寺
神沢不動尊にお参りしました。窓越しに拝観すると高さ二尺ぐらいの真っ赤な火炎を背にした不動明王立像でした。右手に剣、左手に索、牙をむいた憤怒の表情です。相模原市大沢公民館HPよりによると、不動尊は、段丘崖上の上大島長徳寺・三森五堂のなかにあり。長徳寺の創建は天文5年庚申(1536年)とのことです。


神沢不動尊近くの崖崩落
そのまま一本道を下っていくと生々しい崖崩れの現場がありましたよ。露頭となり地層がはっきり見えます。

神沢不動尊近くオフロードバイク練習所?
露頭の左側は古い崩落みたいです。オフロードバイクの練習ができそうなところです。前面広場にオフロードバイクが2台駐輪していました。

さらに進むと相模川の川縁に出ますが藪漕ぎが予想されるので散策はここで切り上げました。来た道を引き返します。太陽光の下、身体のためになる散歩ができたと思います。


今回のスタート地点の地図です。(地理院地図より)


其の654 バンジ谷戸のメダカ・相模原市緑区川尻

 相模原市緑区の里山・バンジ谷戸へメダカを見に行きました。

相模原市緑区川尻の里山「小松・城北」
境川水系穴川が流れる谷戸の風景です。ここは神奈川県選定の里地里山保全地区です。

バンジ谷戸の位置です。(地理院地図より)

東京都・神奈川県境を流れる境川の支流・小松川の支流が穴川です。バンジ谷戸を流れる沢は穴川に合流するので境川の源流域になります。


城山自然ふれあい広場
バンジ谷戸に入りました。穴川に合流する沢は「城山自然ふれあい水路」と呼ばれています。


城山自然ふれあい広場
ふれあい水路沿いの遊歩道を上流へ進みます。武漢ウイルスは御免なので、散策先は極力人が来ないところを選んでいます。今日は5月1日。GWの最中ですが狙い通りですね。(^σ^)


バンジ谷戸
バンジ谷戸を奥へ進んでゆくと、やがて小さな池のほとりへ出ます。


バンジ谷戸の池
池は二つあり、上流側の池に沢から水を引き込んでいます。


バンジ谷戸の池
これは下流側の池。上流の池と水路でつながっています。水面には名前も知らない水草がびっしり。幸い池のほとりにメダカを観察できそうな場所あります。


バンジ谷戸のメダカ
写っているか心配だったのですが捉えていましたよ。(^σ^♪


バンジ谷戸のメダカ
こちらは画像を拡大すると20匹くらい写っています。

先月、4月6日にたまたま神奈川県内水面試験場を見学「其648」し、メダカの勉強をしました。神奈川県内の野生のメダカの生息地はわずかに2か所だそうです(ペットとして飼われていたものが人の手により放流されたものが多い)。同じメダカでも地区により特徴があり県内では、横浜メダカ・多摩川メダカ・藤沢メダカ・厚木メダカ・逗子メダカ・三浦メダカ・酒匂川メダカに分類されています。
こちらのメダカは野生かどうか分かりませんが、穴川が流れる谷戸の田んぼや用水路に元々棲んでいたメダカであれば素晴らしいことだと思います。
ここは以前、穴川源流探訪したときに来たことがあり、メダカの存在を知っていました。メダカさんに再会できてよかったです。


バンジ谷戸案内板
池のほとりの看板です。バンジ谷戸は神奈川県・相模原市の里地里山保全等促進事業の保全活動地になっています。
神奈川県の資料によると、
里地里山(集落と農地・水路・ため池・雑木林や竹林などが一体となった地域)を保全し、多面的機能の発揮と次世代への継承を図り、県民の健康で心豊かな生活の確保に寄与することを目的とした「神奈川県里地里山の保全、再生及び活用の促進に関する条例」を平成20年4月1日に施行しました。この条例に基づき里地里山保全地域内で行われる保全活動に対して助成しています。
「相模原市城山町小松・城北」はH20.12.2保全活動地に選定。



バンジ谷戸の草花  バンジ谷戸の草花
バンジ谷戸にスミレに似た小さな花が咲いていました。名前も知らない初めての花です。若葉や花弁に白い毛が密生しています。

其の653 谷津川源流を訪ねる②・相模原市緑区

 前回の続きです。順調な展開で谷津川源流に到達しました。

谷津川の水管橋
前回訪ねた久保澤観音堂近くで水道管が谷津川を渡っています。


谷ケ原浄水場の配水池
水管橋は柵で囲われ、神奈川県企業庁水道局の注意看板がかかっています。それによると水道管は送水管路だそうです。丘の上に企業庁谷ケ原浄水場の配水池があるので、浄水場から配水池へ送水する送水管路です。一般的に配水池から一般家庭へ送る管は配水管と言い、大元の水源地から浄水場へ原水を送る管は導水管と呼ばれています。


谷津川・相模原市緑区久保沢
水管橋下流の谷津川です。ここは相模原市緑区久保沢3丁目。


若葉台団地入口
久保澤観音堂前の通りを進んでいくと若葉台団地入口交差点へ出ます。団地は高台にあるので上り坂です。足元にナガミヒナゲシが咲いています。


谷津川
坂下の交差点前を流れる谷津川。写真前方は下流方向です。
写真右上に鳥居が写っています。


谷津川
右岸沿いの坂道を上って逆方向から谷津川上流を見ました。
交差点内はトンネル水路となっています。


榛名神社鳥居
上述の鳥居です。どのような神社さんかちょっと寄り道しました。


榛名神社・相模原市緑区谷ケ原1丁目
鳥居をくぐり山道を上ったすぐのところに祠がありました。榛名神社です。脇に「榛名園」の看板が立っています。鳥居下で除草作業中の方に伺ったところこの辺りは昔、養蚕が盛んで、山の上に蚕を祀る神社さんがあったそうです。山を削り若葉台団地が出来たのでふもとのこの地へ移したそうです。


タチツボスミレ

タチツボスミレ  キジムシロ
榛名神社の周りでタチツボスミレを見つけました。スミレの特徴、距も捉えましたよ。(^σ^) スミレは可愛くて優しいイメージですが種を弾き飛ばしたり、種が発する物質でアリさんを引き寄せて、アリさんに運ばせるなどしたたかなところがあるそうです。Amiさんに教わったのですが非常に魅力的な草花です。黄色い花はそばに咲いていたキジムシロか、あるいはミツバツチグリ?よく見ると葉っぱが三枚なのでそっくりさんのミツバツチグリかもしれないですね。


谷津川
交差点を渡り若葉台への上り坂で見つけた谷津川。水路トンネル入口です。


谷津川
同、上流方向です。


谷津川
同、遠景です。中央に谷津川の水面が見えます。谷津川両岸に丘陵が迫り、谷戸の奥へ向かっているのが分かります。背景の山の向こう側に降った雨は境川水系の小松川に流れ込み、最後は江の島まで流れていきます。こちら側に降れば相模川なので背景の山は分水嶺ですね。


谷津川・相模原市緑区久保沢2丁目
その上流、左岸の久保沢公園から見た谷津川です。


旧町名保存碑「旧川尻字谷津の地」
久保沢公園の旧町名保存碑です。 旧川尻字谷津の地
谷津川の名は旧町名からとっていたことが分かりました。


谷津川
左岸から見た谷津川。上流にコンクリの堰堤が見えます。右岸崖上は若葉台団地です。


若葉台雨水調整池
通りを進んでいくとコンクリートの堰堤にぶつかりました。左手(南方向)へ進みます。


若葉台雨水調整池から流れ出る谷津川
堰堤の南東隅から勢いよく流れ出る谷津川の始まりです。


若葉台雨水調整池
西側斜面から見たコンクリート堰堤の内側です。

若葉台雨水調整池標識
池の周りのフェンスに標識が掲げてありました。
この施設は若葉台雨水調整池と言います。昭和49年度完成。
ここは相模原市緑区若葉台1丁目10番4号です。


若葉台雨水調整池
斜面を下るとこんな感じです。谷戸の最深部に造られた雨水調整池です。南東側の隅に排水施設があります。


若葉台雨水調整池
施設を拡大しました。四角いコンクリート内のオリフィスで流量調節をしているはずです。調整池の満杯を避けるための越流提もあります。


若葉台雨水調整池
調整池の水入口は西側のここ一か所のみです。晴れているのに管径1mくらいの管から水が流れ込んでいます。湧水と思われます。これが谷津川源流ですね・・・。雨が降ると若葉台団地内の雨水下水管からここへどっと流れ込むと思います。

今年3月に探訪した鶴見川水系の片平川の源流は雨水調整池でした。多摩川水系の三沢川源流「其の277」も谷頭部に造られた調整池が源流でした。こちらとよく似ています。

源流を確認したので踵を返し帰路につきました。諏訪森下橋までずうっと緩い下り坂なので楽な歩きです。


ツタバウンラン  ツタバウンラン
おしまいに若葉台団地内で見つけた初めて見る花です。道路側溝脇に生えていました。スミレに似た花ですが、距がなく茎は蔓性です。図鑑で調べたらツタバウンランでした。地中海原産、観賞用として大正年間に入る。


谷津川河口の位置(中央十字線)です。(地理院地図より)


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其の652 谷津川源流を訪ねる①・相模原市緑区

 相模川水系の小河川、谷津川源流を探訪しました。

相模川に合流する谷津川
小倉橋から見た相模川に合流する谷津川です。過去記事で何回も登場した拙ブログではおなじみの川ですが、まだ源流に足を踏み入れたことはありません。


谷津川河口の位置です。(地理院地図より)



谷津川
県道510号線に沿って遡ります。新小倉橋下を流れる谷津川。


谷津川に架かる久保澤橋
新小倉橋上流側にアーチ橋が架かっています。久保澤橋と言います。廃橋で今は使われていません。

久保澤橋の親柱
親柱を見ると久保澤川とあります。なぜか谷津川ではないです。


相模原畑かん用水路久保澤隧道
久保澤橋から東側を見ると隧道があります。相模原畑かん用水路久保澤隧道の水路橋跡です。隧道は虹吹分水池へ向かっています。


相模原畑かん用水路久保澤隧道
谷津川右岸崖の方を見ると、やはり相模原畑かん用水路久保澤隧道の跡があります。かつて谷津川と県道を畑かん用水路の水路橋が跨いでいました。上流側起点の津久井分水池から来た水路です。

詳しくは過去記事「其の55小倉橋の畑灌水路橋」をご覧ください。水路橋撤去の様子、在りし日の水路橋の写真などを取り上げました。


谷津川
久保澤橋上流の谷津川。水路トンネルの出口です。


県道510号線
県道510号線を上っていきます。


横浜水道久保澤隧道水路橋
坂道を上っていくと水路橋があります。横浜水道道志川系・久保沢隧道の水路橋部分です。上流側は城山ダム左岸の第3接合井で、下流側は上大島接合井に向かう現役の水道原水導水路です。詳しくは上記「其の55小倉橋の畑灌水路橋」で取り上げました。


谷津川の女滝
これは横浜水道水路橋下流、谷津川の女滝です。水路橋に目が行き見落としがちです。


女瀧不動
水路橋脇の女瀧不動です。昭和6年建立。


女滝不動明王
御堂の中には火炎を背にした二体の不動明王坐像が・・・二体とは力強いですね。


谷津川
横浜水道水路橋下より谷津川上流の眺めです。


谷津川
その上流には落差工があります。女滝や落差工があり、標高が徐々に高くなっています。薄紫色の小さな花が咲いています。


ツルニチニチソウ
右岸歩行者用道路の石垣にも同じ花が咲いています。図鑑によるとツルニチニチソウですね。ヨーロッパ原産の園芸種。子供の頃は見たこともないので近年野生化したみたいですね。


「清水」の地名標柱
その先にあった「清水」の地名標柱。
この辺りは谷津川沿いに清水が湧き出ることから、この名がある。古くから久保沢、谷ヶ原、向原に住む人々の生活用水に使われてきた。(地名標柱より)

谷津川右岸の清水
標柱のそばにあった池です。手入れがされてないですが清水が湧く泉みたいですね。この辺り西側台地の上は前回訪ねた川尻石器時代遺跡があった原っぱです。石器時代の人たちも谷津川のほとりへ水を汲みに来たかもしれませんね。


谷津川
「清水」の地名標柱前で谷津川は水路トンネルとなります。
さきほど谷津川はおなじみの川と言いましたが、これより上流は未知の世界です。どのような川か、源流はどんなところか楽しみです。


アカバナユウゲショウ  シャガ
付近の道端にアカバナユウゲショウとシャガが咲いていました。


川尻バイパス
県道508号線久保沢跨道橋(川尻バイパス)を潜ります。


谷津川
川尻バイパスを潜り抜けたところが谷津川水路トンネルの入口です。トンネル上から谷津川上流を見ました。左岸にヒメツルソバが繁っています。最近ブロ友さんに教わりました。(^σ^)


谷津川
川沿いに道がないのでその先のR413から見た谷津川下流方向です。


谷津川R413上流
同、上流方向です。川沿いに道がないのでコの字迂回します。


谷津川
100mほど上流から見た谷津川下流方向です。


谷津川
同、上流方向です。右岸崖下を流れる谷津川。


相模原市緑区久保沢・久保澤観音堂前
その先、久保澤観音堂前に到着しました。


久保澤観音堂
久保澤観音堂・百体観音案内板
大正寺久保澤観音堂と百体観音案内板です。百体観音の造立目的は、先祖供養やこの地域で盛んであった養蚕祈願などだそうです。


久保澤観音堂の徳本念仏塔
独特の書体の徳本念仏塔が境内の一角にあります。相模原市の登録有形民俗文化財です。


久保澤観音堂の石仏群
久保澤観音堂参道脇の石仏群です。左奥に三猿が刻まれた庚申塔がありますが造立年は読めず。

途中ですが長くなるので今回はここまでです。源流近くまで来ていますが次回に続きます。歩いたのは4月22日(水)です。いつものように電車やバスを利用しない自粛散歩です。