FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の644 鹿沼公園の鹿沼を見てきました・相模原市中央区

 深堀川の源流、大沼・小沼は相模原台地のいわゆる宙水(ちゅうみず)の沼です。近くの鹿沼公園の鹿沼は宙水の面影を残すと言われているので見に行きました。


鹿沼公園・相模原市中央区鹿沼台
JR横浜線淵野辺駅近くの鹿沼公園です。


鹿沼公園の鹿沼
鹿沼公園の鹿沼
これが鹿沼です。沼というより公園内に整備された池です。鹿沼は南北に細長い池で画像一枚に収まりません。この画像は池の南側です。訪れたのは3月21日(土)、桜花は満開ちょっと前です。


鹿沼公園の鹿沼
池の中ほど。水門があります。


鹿沼公園の鹿沼
池の北側です。北、中、南側の池は柵で仕切ってあります。
水辺に葦のような植物が生えビオトープのような風景を想像していた人には拍子抜けかも知れないです。


鹿沼公園の鹿沼
鹿沼公園の鹿沼
園内の生き物は鯉、亀、コブハクチョウなど。


鹿沼公園の鹿沼地名標柱
相模原市が立てた鹿沼の地名標柱です。
ここにあった沼を「かぬま」といいました。巨人、でいらぼっちの足跡が沼になったという言い伝えがあります・・・
(地名標柱より)

公園入口に「でいらぼっち」の案内板がありました。
むかし、でいらぼっちという巨人が、富士山を背負って相模野にやって来ました。あまり重いので大山に腰を下ろし一息入れて出かけようとしましたが、富士山に根が生えたようで持ち上がりませんでした。その時踏ん張った足跡が、この鹿沼と三百メートル東にあった菖蒲沼といわれています。でいらぼっちというのは大太郎法師のなまったものといわれ、このような巨人伝説は全国的に分布しています。
(鹿沼公園案内板より)


「でいらぼっち伝説伝承地」案内板
これは別の「でいらぼっち伝説伝承地」案内板です。大沼・小沼の名前も見えます。


今昔マップです。(今昔マップon the webより)

今昔マップ(1917~1924年)を開くと、当時の鹿沼は現在の鹿沼公園全体の広さがあり、荒地記号が表示してあります。窪地に顔を出した宙水の湿地だったと思われます。
(1944~1954年)になると現在の鹿沼の形が表示されるので鹿沼公園の整備に合わせて作られた池のような気がします。


鹿沼公園の鹿沼へ注ぐせせらぎ
私的には池の水がどこからきてどこへ流れていくかに関心があります。池の底、周りから湧き出しているかもしれませんが、写真のように池の北側にせせらぎがあります。すぐ上流にコンクリート桝がありそこから湧き出しています。元々が宙水の沼なので地下水は豊富なはず。地下水をポンプでくみ上げていると思います。

鹿沼公園の鹿沼へ注ぐせせらぎ
せせらぎの下流です。樋で導水し池に落としています。


鹿沼公園の鹿沼・排水口
これは池の南側にある排水口です。ポンプで汲み上げた分がここから流出するので池の水位は一定に保たれています。排水口から先どこへ流れていくのか、雨水下水道と思いますが、ひょっとして循環させているかも知れません。


鹿沼公園の鹿沼・排水ゲート
もう一つの出口です。中ほどの池に水門がありゲートは閉まっています。たぶん掻い掘りの際に開けるのでしょう。ゲート上の開口部は何でしょう。良く分かりませんが、水面より少し上にあるので集中豪雨で急激に水位が上がった時の、ダムで言えば非常用洪水吐のようなものでしょうか・・・。


鹿沼の見学はこれくらいにして、園内の一角にD52(デゴ2)が保存展示してあったので見てきました。ほんのわずかですが鉄分を摂取しましたよ。(^σ^♪
鹿沼公園のD52235


鹿沼公園のSL D52235  鹿沼公園のSL D52235  鹿沼公園のSL D52235


鹿沼公園のSL D52235
力強い動輪。デゴ2のDはここからきているみたいですね・・・。


鹿沼公園のSL D52235案内板
案内板です。現役時代は室蘭本線、函館本線の貨物運搬で活躍。日本が敗戦で疲弊していた昭和21年生まれだそうです。
日本地力あり過ぎ!何たって戦艦大和を造る国ですからね。

3月に予定されていた運転室一般公開は武漢ウイルスのため急遽中止だそうです。子供たちにとっては残念でしたね。

スポンサーサイト



其の643 深堀川源流を訪ねる④・相模原市南区

 前回に続いて小沼付近を探索し、深堀川を見つけました。

相模原市南区県道52号線若松3交差点
きらぼし銀行から県道52号線に入り、東進すると若松3丁目交差点に至ります。三叉路を右折、旧道のバス通りへ入りました。


大山道の地名標柱
大山不動尊・相模原市南区若松2
その先、文京交差点付近の裏通りで大山道の地名標柱を見つけました。標柱の奥に石造りの大山不動尊を祀る御堂が建っています。初代の御堂は宝暦年間に大山詣での道標を兼ねて建てられました。


不動明王立像
御堂内の不動明王立像です。御堂の中は簡素です。

大山不動尊・相模原市南区若松2
御堂の下部に建立記念碑文が刻まれていました。それには、
昭和47年10月吉日に鵜野森町内自治会が建立(再建)した。
旧不動尊は宝暦年間に鵜野森村の小形善右衛門が建立。この地は大山街道に沿い西に大山阿夫利山を望み東は深堀川を廻らし、北は大沼小沼の沼沢地帯に臨むため水の利生を大山寺不動明王に祈願し合わせて道者の道標としたものである・・・

とあります。
ちなみに宝暦年間とは1751~1763年で今から270年ほど前です。探訪の手掛かりとなる深堀川、大沼、小沼の文字が刻んであります。


深堀川は今昔マップに描かれています。
(今昔マップon the webより)

西側が大沼、東側は小沼です。大沼から小沼へ流れる川筋と、小沼の東側から南方に向かう川が深堀川です。



大山不動尊と深堀川
大山不動尊周りはこんなところです。赤い円内が大山道地名標柱です。碑文にあるようにお堂の東側に暗渠があります。昔の深堀川と思います。前方を横切る道は旧道・バス通りです。
コンクリートフタのすぐ上流側は鉄板フタの暗渠ですが、数m上流で普通の道路となり地上からこれ以上窺い知ることはできません。おそらくこの辺りが小沼の東端、深堀川の流出口であったと思われます。


深堀川暗渠・相模原市南区若松2
旧道北側です。暗渠は南へ向かっています。追いかけます。


深堀川暗渠・相模原市南区文京1
旧道の南側へ続く暗渠。流路は今昔マップと一致しています。


深堀川暗渠・相模原市南区文京1
旧道より深堀川の下流を見ました。


深堀川暗渠・相模原市南区文京1
幅2mくらいのコンクリートフタの上を進みます。


深堀川暗渠・相模原市南区文京1
その先です。宅地からの雨水管が接続してあります。現在の深堀川は雨水下水道として利用されています。


深堀川暗渠・相模原市南区文京1
暗渠の終点です。所要時間は旧道から3、4分でした。


相模原市南区文京1のバス通り
暗渠終点から見た南方向です。この道は旧道文京交差点から小田急線相模大野駅へ向かうバス通りです。これより先の深堀川は開発による変貌が激しく手掛かりがないので今昔マップ上で川筋をたどるしかありません。今たどった暗渠の雨水下水道は「其の483」でたどった相模大野駅南の暗渠下水道に繋がっていると思います。


深堀川の関連過去記事です。
其の482 深堀川源流を訪ねる①・相模原市南区
其の483 深堀川源流を訪ねる②・相模原市南区
其の484 目黒川源流を訪ねる・神奈川県大和市
深堀川は大和市に入ると目黒川に名前が変わります。


今日のスタート若松3丁目の位置(中央十字線)です。

大沼、小沼の位置が分かります。

其の642 深堀川源流を訪ねる③・相模原市南区

 少し間が空きましたが深堀川源流シリーズの3回目です。
関連過去記事は末尾に載せました。

前回探訪記「其の483深堀川源流を訪ねる②」では深堀川の河口から小田急線相模大野駅の南までたどり、それより上流は下の絵と今昔マップを紹介し源流探訪に代えました。
「かつての深堀川水源地周辺の風景」
かつての深堀川水源地周辺の風景。(きづき公園案内板より)

深堀川の源流は大沼で、東隣の小沼に流れ相模大野駅の方へ流れていました。大沼、小沼は相模原台地のいわゆる宙水(ちゅうみず)の沼です。JR横浜線淵野辺駅近くの鹿沼公園にその面影を残す沼が今でも残っています。
 「其の483」より。

今回は実際に大沼・小沼を歩き深堀川の遺構・痕跡を探ってきました。で、収穫は? ありましたよ! 二つの沼は都市化により埋立てられ住宅街に変遷したのであまり期待していなかったのですが、予想は外れました。


r16・相模原市南区
3月11日(水)、きょうはJR横浜線古淵駅からの歩きです。
十字型跨道橋から見たR16です。真っすぐ北西の八王子方面へ伸びています。


道端の道祖神・相模原市南区西大沼
国道を横断し南西方向へ歩いていくと緑道との交差点角に道祖神が祀ってあります。緑道は調べたら相模原畑かん用水路の東幹線大野支線跡でした。西幹線はほぼ歩き終えたのですが東幹線は未知の世界です。いつか歩きたいですね。


道端の道祖神・相模原市南区西大沼
右側が文字塔で左側は双体道祖神です。文字塔の方は上下がアンバランスで別の石像を継ぎ足したような感じです。双体道祖神は上のほうがなにやら意味ありげな形をしています。(^σ^)

道端の道祖神・相模原市南区西大沼
後ろ側に回って拝観しましたよ。道祖神の多くは村境の辻に祀られています。男女神の性的な力によって村に入る災厄を跳ねのけようとしたのでしょう。今流行りの武漢ウィルスもどうにかしてほしいです。


雑木林・相模原市南区西大沼
広い通りをぶらぶら行くと大野台小を過ぎたあたりで両側が雑木林になりました。一人で歩くのはもったいない恰好の散策路です。相模原市教育委員会の「私たちの相模原」によると、昔、相模原台地は名前の通り見渡す限りの原野だったそうです。江戸から明治期に先人が開墾して畑にするも土地がやせているので作物は育たず、養蚕、薪、薪炭つくりを始めたそうです。この雑木林は薪炭材としてクヌギ、ナラを植林した名残と思われます。


大沼神社の双体道祖神
さて、目的地の大沼神社へやって来ました。境内の片隅に道祖神が祀ってありました。先ほどと同じ文字塔と双体の二体です。男神が女神の肩に手を回し仲睦まじいですね・・・。アツアツぶりを見せつけて災厄が近づかないようにしているのでしょう。造立年は比較的新しく昭和57年12月です。大山の大山阿夫利神社下社の双体道祖神はボケ防止にご利益があるそうですよ。これだけ元気があればボケてる暇はないですね・・・。(^σ^)


大沼神社・相模原市南区
大沼神社です。

大沼神社・相模原市南区
鳥居脇の案内板です。
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
調べると天照大神がスサノヲとの誓約で生んだ三柱の女神様の一人が市杵島姫命です。弁財天大沼神社とあります。


大沼神社内・秋葉大神
火防の神様、秋葉大神も祀ってあります。


大沼神社
大沼神社
橋を渡ると本殿です。本殿の周りは堀を巡らしてあります。


深堀川は今昔マップに描かれています。
(今昔マップon the webより)

年代は1896~1909年。地図不透明度設定により現在の地図と重ねて見ることも可能です。また今昔2画面に切り替えもできます。
西側の沼が大沼で東側は小沼です。二つの沼を結ぶのが深堀川です。大沼神社は大沼の北東にあります。


東大沼2、3丁目境界の通り
現在の大沼神社の南側にテニスクラブのコートがあります。この写真はテニスクラブ前を東へ向かう通りです。今昔マップでは沼の真ん中を東西に横切っています。今昔マップにあるように沼の東の隅から一本の蛇行する川筋が描かれています。これが源流の大沼から小沼へ向かう深堀川です。


旧深堀川河道跡
真っすぐ進んで行くとここへ出てきました。道が急に狭くなり大沼の東の端、深堀川の始まりのようなところです。電柱の住居表示は東大沼二丁目21。


深堀川旧河道
そのまま進むともっと狭い道になりました。入口に看板がかかっています。

深堀川旧河道・歩行者専用通路
歩行者専用通路になっています。これはもう深堀川旧河道に間違いないですね。(^σ^)


深堀川旧河道
その先です。左側が若松3丁目、右側が若松4丁目で旧深堀川がその境界になっていたようです。住宅街の中、車止めが目立ちます。


深堀川旧河道
似たような景色が続くので途中はカットしました。旧河道らしくくねくねと蛇行しています。旧河道跡は雨水下水道として利用されています。相模原市のアジサイの雨水マンホールフタが続きます。


深堀川旧河道?
県道52号線手前です。「国有水路用地につき一般車の通行を禁ず」の看板がかかっていました。


県道52号線・相模原市南区若松
県道52号線沿い、きらぼし銀行の脇へ出てきました。
ここまで順調に旧河道をたどったつもりですが、今昔マップと照合すると旧河道は途中、若松4丁目を東へ向かい、小沼に注いでいました。その川筋は区画整理された若松3丁目の住宅街を横断していたので痕跡は皆無です。今日はいつの間にか南東の方角に逸れてしまったようです。その道が何なのかは不明です。看板にあった国有水路用地って何でしょうか?気になりますね・・・。

以上、おしまいの方で逸れましたが大沼から小沼へ向かう深堀川の一端を垣間見ました。次回は小沼近辺を探訪します。


関連過去記事です。
其の482 深堀川源流を訪ねる①・相模原市南区
其の483 深堀川源流を訪ねる②・相模原市南区
其の484 目黒川源流を訪ねる・神奈川県大和市
深堀川は大和市に入ると目黒川に名前が変わります。


其の641 特集!相模原水道みちを行く・相模原市中央区

 その昔、相模原市が水道事業を行っていました。と言っても普通の上水道ではなく工業団地向け工業用水なんですが・・・。
その取水源は拙ブログではおなじみの鳩川です。

相模原市営工業用水道を知ったのは3年ほど前に分厚い「相模原市史現代通史編」をぱらぱらとめくった時で、過去記事でこのように呟いています。
湧水と言えば、その昔(昭和36年~62年3月まで)上溝四ツ谷地内の鳩川沿い湧水を利用した相模原市営工業用水道があったそうです。鳩川の利水施設は珍しいので取水地点に遺構があれば訪ねてみたいですね。
「其の458」(2018.02投稿)記事より。

武漢ウイルス騒動のせいで最近は不要不急の外出を避けています。近所なので3月9日(月)、13日(金)に相模原水道みちを歩いてきました。


大山工業団地
さて、前置きが長くなりましたが、JR相模線南橋本駅から相模原市営工業用水道取水地点探訪の旅に出発です。
南橋本駅からR16にやって来ました。国道北側沿いの大山工業団地です。相模原市営工業用水道はこの団地に供給するための建設事業でした。


R16・大山団地入口交差点
R16を八王子方面に進み大山団地入口交差点です。左側のビルは鹿嶋工業さんです。


相模原市工業水道給水塔の位置
跨道橋から鹿嶋工業ビルを見ました。赤色円内にかつて工業用水道の配水塔が立っていました。


相模原市工業用水道給水塔
配水塔です。鳩川で取水した工業用水をここへ貯留し工業団地へ配水していました。
円筒内径10m、高さ16m、有効貯水量200㎥。
(パンフレットに記載のデータより引用。以下同じです。)

この写真は応募する企業向けに相模原市が作成したパンフレットの表紙です。同じ写真が「相模原市史現代通史編」p393に載っています。


相模原市工業水道給水塔の位置
鹿嶋工業ビル北側道路です。配水塔はこの位置に立っていました。工業用水道事業は昭和36年~昭和62年3月まで行われ、事業廃止後跡地を道路にしたと思われます。地図を参照するとこの道は中途半端な道でこの先50mほどで突き当りです。


相模原市工業用水道位置図
参考にした相模原市工業用水道位置図です。(パンフより)
水源池、送水ポンプ所の表示があります。しかし住居表示がなく所在地はあいまいです。それを突き止めるのが最大の楽しみでした。


相模原市工業用水道みち
突き当たりの先は道が南橋本駅方面へ真っすぐ伸びています。鳩川取水の用水はこの道に敷設された送水管で配水塔へ向かっていました。
取水地のポンプ室から配水塔まで延長2,937m、送水管口径300mmの石綿セメント管が使われました。


相模原市工業用水道みち
南橋本2丁目、3丁目付近の水道みち。


相模原市工業用水道みち・相模原市南橋本3
相模原市工業用水道みち・相模原市南橋本3
南橋本駅付近で大きく右カーブし相模線沿いに真南に進みます。工場や研究所など事業所が続きます。


JR相模線
茅ケ崎行きの列車が通過。平成の初めに電化され、かれこれ30年近く経過しましたが初期の4両固定編成モデルがいまだに走っています。鉄分は含まないのですがそれくらいは知っています。(^σ^)


相模原市工業用水道みち・相模原市南橋本3
生コンクリート工場手前で右折、緑道に入りました。
昔からある緑道なんですが何のための道か不思議に思っていました。水道みちならなるほどと合点がいきます。


相模原市工業用水道みち・相模原市南橋本3
緑道内にコンクリート製のパイプが露出して埋まっています。工業用水事業終了後敷設管を撤去した際に残してしまった遺構かと色めき立ったのですが、子細に観察したら電柱でした。電柱は中が空洞でパイプに見えますね。サイズも口径300mmくらいで危うくだまされるところでした。


R129・下の原交差点
延長約200mの緑道はR129までです。R129に入り国道沿いを平塚方面へ向かいます。


R129・相模原市緑区下九沢
R129道路標識
進行方向左側、坂道を下っていきます。


R129の大山道地名標柱
坂道途中の大山道地名標柱です。
大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。また、「埼玉往還」「八王子道」などとも呼ばれ、この坂は「観音苦行」と言われた難所でした。(地名標柱より)

送水管はこの歩道地下に敷設されていたと思います。


大山
坂の途中より大山の眺めです。


R129作の口交差点
坂の下、県道508号線(八王子街道)と交わる作の口交差点です。交差点を左折し県道沿いに南下します。


上溝川辺公園入口
300mほど進むと右手に車止め付き下り坂があります。上溝川辺公園進入路です。相模原市工業用水道位置図にあるように県道を右手に下りたところに水源池、送水ポンプ所等の取水施設がありました。


上溝川辺公園
上溝川辺公園入口です。案内板によると公園面積は3,500㎡あります。水源施設の敷地面積は3,752㎡なのでほぼ見合っています。


上溝川辺公園
公園は鳩川左岸沿いにあり南北に細長い公園です。これは北部。


上溝川辺公園
公園進入路南側です。


上溝川辺公園
公園の最南端です。配水塔からここまでの延長を地図上で計測すると2,803mでした。パンフには2,937mとあり若干異なります。

水源池敷地内には湧水池(60m×10m×1.8m)、ポンプピット、ポンプ室、倉庫、機械室、取水門などの施設・建屋がありました。


鳩川・上溝川辺公園
公園内から見た鳩川です。上流の橋は山谷橋です。


鳩川・上溝川辺公園
山谷橋から見た鳩川下流方向です。右カーブしているので左岸側に流れが寄り申し分ないところに取水施設が設置されたと思います。
パンフに簡単な断面図が載っています。水の流れは、川沿いの取水門、注入機、撹拌機、湧水池、ポンプ室の順となっています。


鳩川・上溝川辺公園
これは山谷橋から約200m下流の寒蓼橋(かんだてばし)から見た鳩川上流です。取水施設は前方左岸沿いにありました。


寒蓼橋より鳩川下流を望む
寒蓼橋から鳩川下流の眺めです。配水塔から寒蓼橋までの延長は地図上で計測すると2,929mで、探訪前はこの辺りに取水施設が置かれていたと推測しました。資料にある送水管延長2,937mに近いのですが、いかんせん左岸側に広い平地がないですね。現地を訪ねてここは取水施設適地ではないことが解りました。

以上のような次第で「上溝川辺公園内にかつて取水施設があったのでは・・・」と私なりの結論に至りました。昭和62年まで使われた施設ですが相模原市役所に当時の担当部署はなく、資料も残されていないそうです。またその遺構も現存していないとのことです。唯一の資料は引用掲載したパンフのみです。
長らく温めたのですが、発表にこぎつけました。こんな行動をとるのは暇人の私くらいでしょうが、取水地点を特定できたのは成果で、自分的には大満足です。(^σ^♪ 
遺構を見つけられれば満点だったんですが、廃止後きれいさっぱり撤去したようです。

おしまいにパンフより案内文を引用して締めたいと思います。
本市工業用水道は首都圏整備計画に基き日本住宅公団が橋本大山地区に造成した工業団地に給水することを主目的に建設したものである。水源を上溝鳩川沿いの湧水に求め昭和35年5月に着工、同年12月に完成、昭和36年1月から給水を開始し給水能力は1日5,000tで現在3工場に給水している。

給水先は相模原市工業用水道位置図にあるように、
セントラル自動車、日本金属工業、山村硝子、会田鉄工所の4社でした。


最初に訪ねた給水塔の位置(中央十字線)です。


其の640 片平川源流を訪ねる・川崎市麻生区

 麻生川源流探訪で知った片平川を歩いてきました。
例によって芋づる式探訪です。(^σ^)

麻生川
最寄駅の小田急線柿生駅から片平川の河口近く、麻生川にやって来ました。右岸、桁が赤色の橋は片平川河口に架かる天神橋です。


麻生川に合流する片平川
天神橋上流側から見た麻生川右岸に合流する片平川です。今気づいたのですが、合流点に袋詰玉石工が3袋何気なく置いてあります。片平川の流れを右に振りスムーズに合流させるためなんでしょうね・・・。


河口付近の片平川
天神橋から片平川上流を見ました。落差工が二つ続いています。多摩丘陵を流下する川らしいですね。右岸護岸下にも袋詰玉石工が並べてあります。根固工として河床を護っていると思います。


片平川の落差工
天神橋から二つ目の落差工です。


片平川・天神橋上流の取水堰
近づくとこのようになっています。これは利水施設ですね。護岸壁にシリンダー式転倒堰を起立させた扇型の跡が付いています。源流探訪では利水治水施設を見るのが楽しみのひとつですが、さっそくの登場で幸先が良いですね・・・。(^σ^)


片平川の取水堰・天神橋上流
右岸に取水口がありました。転倒堰上のブロック小屋は操作室です。取り入れた用水は田んぼへ行くと思うのですが、今はシーズン外なので田植え時に行先を探りたいと思います。


片平川・川崎市麻生区片平4
片平4丁目を流れる片平川。河床はコンクリート、護岸はコンクリートブロックで固めています。


片平川水位目盛り
目盛りを見ると護岸の高さは3.5mくらいあります。


片平川・仲村通公園付近
片平仲村通公園の桜が見頃でした。赤っぽい花なので河津桜でしょうか。きょうは3月1日、総じて今年の桜は開花が早いと感じます。


中央橋上流の片平川
中央橋上流の片平川。同じ表情の川が続きます。この辺りではもう袋詰玉石工を見ることはありません。


仲堰橋より片平川上流の眺め
仲堰橋より片平川上流の眺めです。


片平川「仲堰跡」の碑
仲堰橋付近に立つ「仲堰跡」の碑。昭和54年7月造立。碑文によると、ここに仲堰と呼ぶ堰があり、5町5反歩の田んぼに送水していたそうです。堰は片平川の改修により撤去。


片平川のフロンターレ橋
フロンターレ橋。どこかで聞いたことがあると思ったらJ1のチームでした。この辺りに練習グランドがあるみたいです。

フロンターレ橋より片平川上流の眺め
フロンターレ橋より片平川上流の眺め。


「金井原堰の跡の碑」
その上流、金井原橋の「金井原堰の跡の碑」です。今は住宅街ですが、その昔は川沿いに田んぼがあったんでしょうね。

片平川「大堰跡の碑」
続いて「大堰跡の碑」。読みにくいのですが「大堰跡」と思います。


片平川
片平川
大堰跡の碑から先は未整備の小径が続きます。今の季節でよかったです。


片平川・川崎市麻生区栗木
普通の遊歩道に戻ったところで前方にトンネル出口が・・・。


片平川・川崎市麻生区
ボックスカルバート製暗渠の出口です。片平川の流れを見たのはこれが最後です。


片平川終点
暗渠の上をたどっていくと歩道上に「準用河川片平川終点」の標識が立っていました。親切ですね・・・。川崎市管理の片平川はここ(川崎市麻生区栗木203)までということです。


暗渠の片平川
暗渠は北の方角に続いているので追いかけました。


暗渠の片平川
暗渠の片平川
コの字型迂回を繰り返しました。フェンスで行き止まりです。


暗渠の片平川
迂回してフェンスの向こう側です。前方に青色フェンスが立ちはだかっています。


栗木公園隣の調整池
青色フェンスの北側は広大な雨水調整池でした。暗渠はここから始まっていたんですね・・・。


栗木公園隣の調整池
調整池南側のコンクリートで囲われた施設。この中のオリフィスで雨水貯留量をコントロールしていると思います。施設周りに水溜まりがありますが、晴天なので流れはありません。

片平川の源流を確認したのでUターンです。この後小田急多摩線栗平駅まで急坂を上りました。この坂が今日の歩きで一番堪えましたよ。

片平川河口の位置(中央十字線)です。


其の639 鶴見川旧河道を歩く⑥・御廻公園調節池

 前回見たように鶴見川旧河道は四ツ木橋付近でコの字型に大蛇行していました。その下流は御廻公園調節池から水車橋の方へ蛇行しながら流れていました。今回はその跡をたどります。

恩廻公園調節池
恩廻公園調節池
鶴見川右岸の御廻公園調節池です。越流提を越えた洪水は取水庭に流れ込み除塵機を経て地下の調節池に貯留されます。洪水が収まるとポンプで左側の放流口から鶴見川に戻されます。
管理人は以前、旧河道地下トンネル内の調節池を見学したことがあります。詳しくはこちら↓をご覧ください。
其の391 恩廻公園調節池を見学しました・川崎市麻生区

恩廻公園
御廻公園調節池管理棟の南側から始まる御廻公園です。
延長約800mの旧河道を利用した公園です。


恩廻公園
進んで行くと園内にはテニスコートもあります。


恩廻公園
旧河道に合わせ公園も蛇行しています。


恩廻公園内の空気抜孔
園内に何やら施設がありますよ。想像していましたがやはりありましたね・・・。(^σ^) 実は今回の探訪でこれを確かめたかったのです。もうお分かりと思いますが空気抜孔ですね。


恩廻公園内の空気抜孔と管理立坑
その先にもう一つありました。その傍らにはやや大きめの建物が立っています。この建物は想像していなかったのですが管理立坑の出入口でした。地下の巨大地下トンネル式調節池へ昇降するための階段が設置されていると思います。


恩廻公園内の空気抜孔と管理立坑
左側がBトンネルの空気抜孔で、右側は管理立坑建屋です。最初に見たのはAトンネルの空気抜孔でした。巨大地下空間に洪水を導き、そして排水するのでどうしてもこれが必要ですね。
洪水が入るときは空気の逃げ道として、ポンプ排水のときは吸気用として必要です。こことよく似た施設「神田川・環状七号線地下調節池」では2か所の空気抜孔(換気塔)を確認しました。


恩廻公園内の空気抜孔
恩廻公園内の空気抜孔と公園の由来案内板
Bトンネル空気抜孔とその前の御廻公園調建設の由来看板。
施設の周囲はパンチングメタルで囲ってあり屋根付きです。コンクリート部分の上はグレーチングフタがしてありました。


鶴見川の水車橋
公園をそのまま進むと水車橋西詰、鶴見川右岸に出ました。


水車橋より鶴見川上流を望む
水車橋より鶴見川・真福寺川上流を望む
水車橋より鶴見川上流を望む。左岸に合流する河川は真福寺川です。いつか源流探訪したいですね・・・。(^σ^)


鶴見川・本村橋たもとの馬頭観音像
帰りは鶴見川を遡り小田急線鶴川駅まで歩きました。
きょうの探訪記念は本村橋たもとの馬頭観音像です。
天保十(1839)年十二月造立。

新型コロナ武漢肺炎騒動がなかなか収まらないですね。当面は、電車やバス利用の遠出は控え、近場中心の探訪にしたいと思っています。

御廻公園調節池の位置(中央十字線)です。


其の638 鶴見川旧河道を歩く⑤・東京都町田市四ツ木橋付近

 麻生川源流を探訪したときに鶴見川旧河道を見つけました。
2月24日(月)、あらためて見に行きました。芋づる式探訪です。

鶴見川旧河道・四ツ木橋付近
2月15日(土)に見つけた鶴見川の旧河道です。一見してピーンと来ましたね・・・。場所は鶴見川に架かる四ツ木橋下流で、左岸護岸上の道路から見えます。ピーンと来たといっても流れる方向までは分からなかったのですが、後で今昔マップを確認するとこちら側が上流で前方は下流方向でした。


四ツ木橋を中心とした今昔マップです。
(今昔マップon the webより)

東流する旧鶴見川は四ツ木橋付近で北向きに大きく蛇行していたことが分かります。そして直後に東向きに曲がったところで麻生川と合流していました。


鶴見川旧河道・四ツ木橋付近
さて、同じところへ今日もやって来ました。右岸側に繁っていた樹木が手入れされすっきりしました。


四ツ木橋より鶴見川下流を望む
四ツ木橋から鶴見川下流の眺めです。左岸手前、青色フェンスが旧河道です。


四ツ木橋右岸の鶴見川旧河道
四ツ木橋を渡るとなんと右岸側にも埋め立てた旧河道が残っていましたよ。(^σ^)
フェンスで囲い砂利が敷いてあります。


鶴見川旧河道・四ツ木橋付近
右岸から旧河道を見ました。今昔マップにあるように旧河道は現在の鶴見川の位置を横断していました。現鶴見川に比べると浅い川です。おそらく埋め立てしたのでしょうね。


旧四ツ木橋
上記から見た旧河道上流方向です。ガードレールは旧四ツ木橋の跡です。右方向が現在の四ツ木橋です。


旧四ツ木橋
上流側の欄干と親柱が残されていました。

旧四ツ木橋の親柱
「四ツ木橋」の親柱です。


鶴見川旧河道跡・四ツ木橋付近
旧四ツ木橋から見た上流方向です。旧河道左右両岸はフェンスで囲われています。右カーブしたところが現在の鶴見川です。


四ツ木橋より鶴見川上流を望む
四ツ木橋より上流の眺めです。旧河道は上流から見て中央に立つ塔の辺りで右へ蛇行していました。


鶴見川旧河道跡・四ツ木橋付近
一枚目の写真の奥、四ツ木橋北側の旧河道の様子です。


鶴見川旧河道跡・四ツ木橋付近
その奥です。南側、旧河道右岸はフェンスで囲われ進入禁止です。旧河道はこの先で大きく蛇行し東へ向きを変え、直後に麻生川と合流していました。現在のホームセンターの辺りと思われます。


鶴見川旧河道跡・四ツ木橋付近
これはホームセンター屋上駐車場から東方の眺望です。中央の真四角の建物は町田市ポンプ場ですが、その左側の広場が鶴見川旧河道と思われます。ポンプ場の東で再び蛇行し南に向きを変え現在の御廻公園調節池の方へ流れていました。広場の左側は現在の麻生川。今昔マップにあるように、旧鶴見川は四ツ木橋付近からコの字型に大蛇行していました。


御廻公園調節池
鶴見川左岸から見た御廻公園調節池と、階段状の堤防は越流提です。

鶴見川の河川管理境界標識
鶴見川右岸に立つ河川管理境界標識。ここより下流は神奈川県管理。上流は東京都管理です。


鶴見川左岸の町田市ポンプ場
御廻公園調節池から見た鶴見川左岸です。白い建物は町田市ポンプ場です。鶴見川旧河道はポンプ場の東側からこちらに向かって流れていました。御廻公園調節池は神奈川県が旧河道に造った治水施設です。

次回は御廻公園調節池の地上部を下流へたどります。

鶴見川旧河道は別のところを以前にも歩いています。今回は5か所目です。(アーカイブ2017.11)
其の434 東京都町田市山崎町野津田町
其の435 東京都町田市山崎町野津田町
其の436 小田急線鶴川駅付近
其の437 町田市上小山田町