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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の630 金町浄水場の取水塔を見てきました・葛飾区金町

 金町浄水場の取水塔が東京都水道局の小冊子「東京水道名所」に素晴らしい写真付きで紹介されています。1月6日(月)、玉川上水浅間橋から神田川佃橋の放流先を訪ねたその足で実物を見に行きました。

金町浄水場の取水塔
金町浄水場の取水塔
江戸川右岸に立つ取水塔2基です。川の表流水を取り入れ東京都水道局金町浄水場へ導水しています。
最寄駅はJR常磐線金町駅で徒歩15分くらいのところです。


金町浄水場第二取水塔  金町浄水場・第二取水塔
トンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第二取水塔です。
昭和16年完成。水利使用標識によると取水量は12.2052㎥/秒。


金町浄水場・第三取水塔  金町浄水場・第三取水塔
ドーム屋根でレンガ造りの第三取水塔。昭和39年完成。
水利使用標識によると取水量は5.33㎥/秒。
第一取水塔は、第三取水塔建設時に取り壊されたそうです。

  
東京都水道局金町浄水場
東京都水道局金町浄水場
江戸川右岸堤防上から見た金町浄水場です。

大正15年8月、当時の南葛飾、南足立、北豊島3郡の12町村を給水区域とする「江戸川上水町村組合」の施設として給水開始。昭和7年東京市に引き継がれ、平成4年度には、東京都では初めてオゾンと生物活性炭とを組み合わせた高度浄水施設の運転を始めました。
(東京都水道局・東京水道名所より)

川縁にある浄水場なので導水延長はせいぜい100~200mくらいです。多摩川の表流水を玉川上水で延々と40km余導水した淀橋浄水場とはえらい違いですね・・・。

せっかくなのですぐ近くの柴又帝釈天へお参りして帰ることにしました。
柴又帝釈天山門
柴又帝釈天山門です。


柴又帝釈天
本堂です。初詣でこみあっていました。お参りは順番待ちです。なぜか柏手を打っている人がいましたよ。


柴又帝釈天参道
参道を柴又駅方面へ。


京成金町線柴又駅
京成金町線柴又駅です。ここへは初めて来たのですがそんな気がしないです。寅さんの映画にたびたび出てくるあの駅なんですね・・・。


フウテンの寅さん像
駅前広場に雪駄ばきの寅さんがいましたよ。寅さんの視線の先にはさくらさんが。


金町浄水場取水塔の位置です。


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其の629 玉川上水下流部を歩く④・初台~四谷大木戸

 杉並区の浅間橋より下流、新宿区四谷大木戸まで、「玉川上水下流部を歩く」の最終回です。

玉川上水旧水路緑道
1月20日(月)、都営地下鉄初台駅からスタートです。地上に出たところが、玉川上水旧水路緑道です。


玉川上水旧水路緑道・伊東小橋
歩き始めてすぐ欄干と親柱が残っていました。伊東小橋と刻んであります。その昔玉川上水が流れていた動かぬ証拠ですね。


玉川上水旧水路緑道・渋谷区代々木
西新宿の超高層ビルがちらちら見えます。玉川上水路跡は砂漠の中のオアシス的存在です。


玉川上水旧水路緑道・三次橋
古びた橋がありましたよ。三次三字(みあざ)橋です。築造年は不明です。
(追記)ぶらっと遡上探索さんから正しい橋名と昭和3(1928)年完成と教えていただきました。(下のコメント欄参照)

玉川上水旧水路緑道・渋谷区代々木
緑豊かな玉川上水旧水路緑道。


玉川上水旧水路緑道わきの階段・渋谷区代々木
右手を見ると下り坂です。ここは渋谷区代々木4丁目。


玉川上水旧水路緑道・西参道と交差
途中水路敷内が駐車場として利用されていました。やがて西参道を横断。南へ下ると明治神宮です。


玉川上水旧水路緑道・地名標代々木緑道
石に刻まれた「玉川上水旧水路 代々木緑道」の地名標。


玉川上水旧水路緑道・文化学園大付近
文化学園大前に差しかかりました。


女神さまに出会いましたよ。
文化学園大前の叡智と慈愛の女神像
文化学園大前の叡智と慈愛の女神像です。ドイツのバイエルン地方の理想の女神像として語り伝えられているクニグンデ皇后像。 (案内板より)


玉川上水旧水路緑道・文化学園大前
文化学園大前の玉川上水旧水路跡。左側は甲州街道・R20です。


玉川上水旧水路緑道・レンガ造りの暗渠
その先で面白いものを見つけました。これは何でしょう。
東京都水道局案内板「玉川上水記」より抜粋引用します。
東京都水道局ではこのゆかりの地にモニュメントを建立し、玉川上水に携わった先人の偉業を末永く後世に伝えるものです。
このモニュメントは、明治時代に新宿駅構内の地下に設けられた玉川上水の煉瓦造りの暗渠をモチーフとし、当時の煉瓦を一部使用して、ほぼ原寸大で再現したものです。



玉川上水旧水路緑道・葵通り
その先で旧水路跡はT字路交差点に突き当たります。前方のビルの向こう側は新宿駅南側バスタ新宿でその下を山手線中央線など各線が走っています。


玉川上水旧水路緑道・葵橋跡
T字路交差点手前に立つ葵橋跡の地名標柱。旧水路は葵通りとなっています。


甲州街道・新宿駅南口付近
旧水路は直進していましたが、T字路を左折しR20・甲州街道に入り追いかけました。


バスタ新宿南側デッキからの眺め
これはバスタ新宿南側デッキから代々木駅方面を見たところです。玉川上水はここよりもう少し北側、甲州街道の南側を横切っていました。明治期以降は先ほど見たレンガ造りの暗渠で横断していました。立派なレンガ造りの水路トンネルが敷設されていたとは・・・今日歩いて初めて知りました。


R20・甲州街道
新宿駅東側のR20・甲州街道です。日本橋から8km。玉川上水は甲州街道沿いを四谷大木戸へ向かっていました。


玉川上水・新宿御苑新宿門前
新宿御苑新宿門前です。R20は新宿御苑トンネルに入ったので御苑沿い地上部を歩きます。


玉川上水路跡・新宿御苑北側
玉川上水路跡・新宿御苑北側
右側新宿御苑沿いのこんな道を歩いて行きます。玉川上水はここを流れていました。今昔マップを見ると右書きで玉川上水と記されています。


四谷区民センター(四谷大木戸)
やがて道は左カーブして新宿通りへ。正面の建物は四谷区民センターです。ここが玉川上水の終点で四谷大木戸です。江戸時代ここに水番所がありました。
所在地は東京都新宿区内藤町87です。
区民センター敷地内東側に案内板や記念碑が立っています。


新宿御苑大木戸門
左カーブ地点右側は新宿御苑大木戸門です。「大木戸」の文字を初めて見ました。


玉川上水案内板・四谷区民センター
区民センター内に玉川上水の案内板が掲げてありました。各地に案内板がありどこも似た内容です。他にはない「掘削によってでた土砂は掘割の両側に堤として積み上げ、桜並木などをつくり(小金井など)、当時の江戸の人々の行楽の場所となった」の記述があります。


四谷大木戸の水道碑記(すいどうのいしぶみのき)
区民センター内東側の水道碑記(すいどうのいしぶみのき)です。
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、東京都指定有形文化財(古文書)となっています。幅が230cm高さは460cmもあります。 (案内板より抜粋)

四谷大木戸跡碑
水道碑記の後ろに立つ四谷大木戸跡碑です。
昭和34年11月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して作られた記念碑。
(案内板より)

案内板によると、現在地東京都新宿区内藤町87が玉川上水水番所跡で、水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。また水番所構内には高札も立っていました。

新宿区・四谷四丁目交差点
四谷区民センター東側の四谷四丁目交差点です。案内板によると実際の大木戸の位置は案内板より約80m東の交差点のところで東京都指定旧跡に指定されています。


四谷区民センターの位置(中央十字線)です。



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其の628 玉川上水下流部を歩く③・渋谷区笹塚~初台

 世田谷区大原の玉川上水緑道から渋谷区笹塚の開渠区間に入りました。

玉川上水開渠・渋谷区笹塚1丁目
稲荷橋より玉川上水下流側を見ました。ここは世田谷区から渋谷区に入り笹塚1丁目です。わずかに流れがあります。

玉川上水・渋谷区笹塚
右岸は二段の蛇篭護岸となっています。湧水を受け入れ易くするための工夫と思われます。


玉川上水開渠・京王線笹塚駅付近
水路に沿って下っていくと開渠は笹塚駅前で終わりです。流れは侵入防止柵付き暗渠に入っていきます。前方は京王線・都営地下鉄線笹塚駅です。

玉川上水歴史環境保全地域の看板
傍らに立つ「玉川上水歴史環境保全地域」の看板。


玉川上水開渠・京王線笹塚駅付近
笹塚駅前で右カーブした暗渠水路は駅南の第三号橋で開渠に戻ります。


玉川上水開渠・京王線笹塚駅付近
第三号橋より玉川上水旧水路下流を望む。

玉川上水旧水路・笹塚駅付近
玉川上水旧水路の看板です。


開渠の玉川上水旧水路
雑草もなくきれいに整備された玉川上水旧水路。


玉川上水旧水路・笹塚橋
その先、笹塚橋で開渠はおしまいです。今日の探訪で見た最後の玉川上水の流れです。この流れは終点の四谷大木戸で東京都の雨水下水管につながっているので、その行先は東京湾になります。


玉川上水緑道・世田谷区北沢
暗渠の玉川上水緑道。地図を見るとここは世田谷区北沢5丁目です。


玉川上水緑道・渋谷区大山町
その先、都道420号線大山町交差点に着きました。緑道はここで終わりと思ったらまだ先がありました。


渋谷区立玉川上水旧水路緑道
都道を東へ渡ると渋谷区大山町です。渋谷区立玉川上水旧水路緑道としてまだまだ先へ続きます。


玉川上水旧水路緑道・六條橋
緑道に入ってすぐ橋の欄干親柱が残っていました。四條橋です。この先も五條橋、六條橋等と橋跡は多数残っていましたが、主なものだけ取り上げます。


渋谷区立玉川上水旧水路緑道
渋谷区立玉川上水旧水路緑道は緑豊かなこんな道です。散策する人が多かったですね。大山町から先は大きく北向きに方向転換しています。玉川上水は武蔵野台地の尾根筋を選って開削されたので地形に合わせて大蛇行したと思うのですが、台地上を歩いているとは感じなかったですね。


渋谷区立玉川上水旧水路緑道沿いの景色
進行方向右手渋谷区西原の下り坂です。こんな風景を見ると台地上を流れる玉川上水を実感できます。(^σ^)


玉川上水旧水路緑道・相生橋
古そうな橋です。親柱に大正13年11月竣工と刻まれていました。橋の名前は相生橋。


玉川上水旧水路緑道・代々幡橋
これは新しそうな橋です。代々幡橋と言います。親柱に貼付けた銘板によると1989(平成元)年9月に渋谷区が造りました。現在は暗渠ですが、当時は開渠水路だったんですね・・・。


玉川上水旧水路緑道・山下橋
これも新しい橋で渋谷区が造った山下橋です。欄干に水車が表現されています。かつて玉川上水から引いた水で水車を回していました。渋谷区に水車小屋があったとはちょっと信じられない話ですね・・・。


渋谷区教育委員会が立てた「玉川上水跡」の案内板
西原1丁目の渋谷区教育委員会が立てた「玉川上水跡」の案内板。
「渋谷川などでは、その落水を利用して水車を動かし・・」の記述があります。


渋谷区立玉川上水旧水路緑道・渋谷区西原
渋谷区立玉川上水旧水路緑道。ここは渋谷区西原。


玉川上水旧水路緑道・渋谷区初台
西原を過ぎ初台に入りました。東へ伸びる渋谷区立玉川上水旧水路緑道。京王線上北沢駅から始めたこの日の歩きはここで切り上げ近くの初台駅へ向かいました。次回は終点の四谷大木戸に到達します。


今回のスタート稲荷橋の位置(中央十字線)です。


其の627 玉川上水下流部を歩く②・世田谷区代田橋駅付近

 玉川上水下流部を終点の四谷大木戸目指して歩いています。下流部とは浅間橋より下流、四谷大木戸までで、延長は13kmあります。そのほとんどは暗渠ですが、一部貴重な開渠区間もあります。

R20甲州街道・代田橋駅付近
前回の続きです。和泉給水所前の甲州街道を東へ進みました。
代田橋駅付近のR20・甲州街道跨道橋から見た新宿方面です。前方右側に玉川上水開渠が残っています。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
甲州街道から見た玉川上水です。いやあ~嬉しいですね・・・。
こんな国道際に昔のまんまの玉川上水が残っていました。
右岸法面は素掘りのままです。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
左岸はレンガ積み護岸に改修されています。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
下流側から暗渠出口を見ました。流れはなく雨水の水溜りになっています。暗渠出口は、人が入らないように鉄格子付きです。


世田谷区が立てた玉川上水の案内板
世田谷区が暗渠出口上に立てた案内板です。玉川上水の由来が書いてあります。あちこちで見かけ内容はどこも大体おなじですが、「松平伊豆守信綱の家臣安松金右衛門の技術指導を受けた玉川兄弟によって、羽村から四谷大木戸まで武蔵野が掘り割られ・・・」とあり、玉川兄弟に指南役がいたことが分かりました。


左岸沿い玉川上水緑道を下流へ歩きました。
玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
玉川上水は、素掘りで開削され、承応3(1654)年に完成しました。現役の頃は清流が滔々と流れていたんでしょうね。眼前の法面は、360年以上前の風景をそのまま伝えていると思います。世界的大都市東京のど真ん中で荒廃せずによく生き残ったものです。きっと江戸の昔から上水沿線の人たちに大切にされてきたんでしょうね・・・。

玉川上水は、平成11年に東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき「玉川上水歴史環境保全地域」(羽村取水口から四ツ谷大木戸までの区間のうち開渠区間)に指定されました。(玉川上水清流の復活案内板より)


玉川上水・世田谷区代田橋駅下
上記の下流、京王線代田橋駅を潜ります。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
緑道は生活道路として使われ人道橋が架かっています。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
人道橋下流です。トンネルが口を開けています。開渠はここまでです。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近のゆずり橋
下流側に回り込むとトンネルの上にレンガ造りのアーチ橋が架かっていました。ゆずり橋と言います。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
ゆずり橋下から上流方向の眺めです。

玉川上水のレンガ・世田谷区代田橋駅付近
よく見るといろいろな色のレンガが使われています。


玉川上水・世田谷区代田橋駅付近
ゆずり橋より下流方向の眺めです。水路敷は玉川上水緑道として公園化されています。


玉川上水・大原橋
緑道を下流へ歩くと環状七号線沿いに大原橋の欄干、親柱が残っていました。


大原橋の環七を潜る地下通路
幸いにも環七を横断する緑道散策者用地下通路があったので、大回りすることなく東側へ渡ることができました。


玉川上水緑道・世田谷区大原1丁目
環七東側、世田谷区大原1丁目の玉川上水緑道。


玉川上水・稲荷橋
稲荷橋まで下ってきました。世田谷区立玉川上水緑道は稲荷橋の西側で終わっています。


玉川上水・稲荷橋で開渠復活
稲荷橋の下流側で開渠復活です。柵でフタがしてあるのでトンネル内には入れません。


玉川上水開渠・渋谷区笹塚1丁目
稲荷橋より玉川上水下流側の眺め。世田谷区から渋谷区に入り、ここは笹塚1丁目です。湧水を集めたわずかばかりの流れがあります。

途中ですが次回に続きます。

甲州街道沿い開渠の始まり地点(中央十字線)です。


其の626 玉川上水下流部を歩く①・東京都杉並区

 小平監視所東側、上水小橋から始まる玉川上水の甦った清流は、前回見たように浅間橋で終わり、その流末は神田川に合流していました。浅間橋下流の玉川上水の現在の状況を見たくなりました。そのほとんどは暗渠ですが、一部開渠が残っています。

上北沢駅付近R20・首都高4号線
1月13日(月)成人の日、京王線上北沢駅からすぐ近くのR20・甲州街道へやって来ました。R20から北西方向を見ました。
高架橋は首都高4号線です。前回探訪した浅間橋で地下に潜った玉川上水水路敷上に中央道・首都高4号線が建設されたので、浅間橋から首都高を東へたどると現在地に至ります。今昔マップ(右サイドバーにリンクあり)で確認できます。


玉川上水第二公園
R20、首都高の北側から東は首都高から逸れ玉川上水跡の水路敷が公園化されているので安心して歩くことが出来ます。
杉並区が東京都水道局から借り受け公園を作り、区が管理する玉川上水第二公園入口です。

玉川第二公園入口・玉川上水の変遷
杉並区が公園入口に設置した「玉川上水の変遷」です。


玉川上水第二公園
整備された玉川上水第二公園を東方向へ歩きます。公園は周りより一段高くなっています。


玉川上水第二公園・空気弁
空気弁のマンホールフタが二つ並んでいます。水路敷地下に送水管が敷設されているようです。


玉川上水第二公園・伸縮管
こんなマンホールフタもありました。伸縮管と表示あり。伸縮可とう管なら聞いたことがありますが、時節柄耐震強化した鋼管のことでしょうかね・・・。


玉川上水第三公園
散歩する人が多いです。椿には蜜を求めてメジロが飛来していました。


荒玉水道みち
荒玉水道みちと交差しました。坂を下って北へ向かう荒玉水道みち。以前歩いたことがあります「其の364」。坂の下には神田川が流れています。玉川上水は羽村からこのかたずっと台地上を選って流れてきました。標高を維持しないと43km先の四谷大木戸まで自然流下で到達しないからです。

43kmをわずか約92mの標高差を利用して水を流すように設計されており、当時の水利技術の高さがうかがえます。(100m当たりに換算すると、約21cmの標高差)
(東京都水道局 東京水道名所より)


玉川上水第三公園
玉川上水第三公園
荒玉水道交差点より東は玉川上水第三公園となります。


玉川上水に架かる小菊橋
レンガと御影石造りの橋が架かっていました。玉川上水が現役の頃からの遺構と思われます。橋の名前は小菊橋。

玉川上水に架かる小菊橋
アーチ型で玉川上水を跨いでいたみたいですね。


下高井戸3丁目・玉川上水第三公園
下高井戸3丁目の玉川上水第三公園。周りより低くなりました。


玉川上水に架かる下高井戸橋
下高井戸橋が残されていました。橋の下は塞いであります。

玉川上水に架かる下高井戸橋
下高井戸橋と親柱。現役の橋です。


玉川上水永泉寺緑地
玉川上水永泉寺緑地
下高井戸橋下流は杉並区管理の玉川上水永泉寺緑地となります。


玉川上水永泉寺緑地
玉川上水跡地らしくミニ水路が設けてありました。


首都高4号線下の玉川上水跡地
首都高下の玉川上水路敷跡。その先松原二丁目信号で駐車場に突き当たり、R20北側歩道を直進しました。


甲州街道沿いの土手
明治大学近くで左側に土手が出現しました。今昔マップを参照すると玉川上水は、この辺りでは甲州街道北側沿いを流れていました。

土手の端に「塩硝蔵地跡」案内板が立っていました。現在、明大および和田堀廟所となっているこの付近一帯は江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲、弾薬等の貯蔵庫)だったそうです。


明治大学和泉キャンパス
明治大学和泉キャンパス正門前を通りました。


明大和泉キャンパス前の玉川上水明大橋
正門右側に玉川上水に架かっていた橋が残されていましたよ。
その名も明大橋!


明大前・玉川上水公園
明大橋下流は杉並区が管理する玉川上水公園になっています。


玉川上水公園の大口径水管橋
奥へ進むと突然大口径の水道管が出現してびっくり。東京水道の注意看板がかかっていました。よく見ると大口径の管は上下二段構造です。上は鋼管、下はコンクリート管のように見えました。この下を掘り込式の井の頭線が通っているので水管橋で渡っているんですね。上の鋼管はどこかの浄水場からこの先の和泉給水所へ向かう送水管と思われます。下のコンクリート管は玉川上水の遺構のような気がします。


玉川上水公園内・水管橋の橋台コンクリート
井の頭線東側、玉川上水公園へ渡った水管橋を支える橋台コンクリート。大口径水道管は地下へ潜り和泉給水所へ向かっていると思います。


玉川上水公園
井の頭線東側の玉川上水跡地。明大正門前から続く玉川上水公園です。


玉川上水公園
玉川上水公園の東端です。井の頭通りに突き当たりました。
玉川上水は直進し、前方にある現在の東京水道和泉給水所構内を流れていました。


東京水道和泉給水所
井の頭通り東側の東京水道和泉給水所です。巨大な貯水タンクが2基並んでいます。


井の頭街道の石造り地名標
和泉給水所前の井の頭通りに石造りの地名標が立っています。
「井の頭街道」と刻まれています。由緒ある地名標らしく給水所のフェンスがコの字型に避けています。

参考までに和泉給水所を中心にした今昔マップです。
(今昔マップon the webより)

現在の和泉給水所地点から淀橋浄水場に向けて「新上水」が開削され玉川上水の水を導水していたことが分かります。今に残る真っすぐな「水道道路・都道431号線」が「新上水」です。四谷大木戸へ向かっていた蛇行する玉川上水もはっきりと描かれています。

現在の西新宿にあった淀橋浄水場が完成したのは明治31(1898)年。昭和40(1965)年に廃止となり東村山浄水場へ移転するまでの67年間、玉川上水は淀橋浄水場へ水道原水を運んでいました。


次回は今昔マップに載る蛇行する玉川上水路跡を歩きます。


浅間橋の位置(中央十字線)です。


其の625 甦った玉川上水の終点を訪ねる・東京都杉並区

 小平監視所東側、上水小橋から始まる「甦った清流・玉川上水」は、およそ18kmを開渠で流れ下り、浅間橋で暗渠となります。開渠の終点はどのようなところか見に行きました。

1月6日(月)、京王井の頭線久我山駅からスタートしました。
駅前を流れる堀のように深い神田川を渡り、だらだら坂を上っていきます。玉川上水は武蔵野台地の尾根伝いに自然流下で流れています。谷筋を流れる神田川とは対照的です。


玉川上水・岩崎橋
駅から500mほど歩くと玉川上水に架かる岩崎橋に到着です。岩崎橋から上流の上水小橋、小平監視所、羽村取水堰方向の眺めです。


玉川上水・岩崎橋
同、下流の浅間橋方向です。せせらぎが見えます。


玉川上水緑道案内板・岩崎橋付近
岩崎橋付近の玉川上水緑道の案内板です。桜花の時期が散策に適しているみたいです。


玉川上水案内板
同、玉川上水の案内板です。始めての来訪者でもこれを読めばたちどころに専門家になれます。こんなことも書いてありました。
玉川上水は、平成15年8月、江戸・東京の発展を支えた歴史的価値を有する土木施設・遺構として、国の史跡に指定されました。


玉川上水緑道・岩崎橋下流
左岸の玉川上水緑道に入りました。上水小橋から歩くと18kmもあるので、キセル探訪です。(^σ^♪ 
今日はほかにも行きたいところがあり、玉川上水の雰囲気をちょっとだけ味わうため、このコースを選択しました。


玉川上水・上北澤分水堰
これは岩崎橋のすぐ下流で見つけた取水堰です。堤体はコンクリート製で角落の堰です。

玉川上水・上北澤分水
すぐ上流、右岸に取水口ありました。「・・澤分水」と読み取れます。案内板に「上北澤分水」と紹介してありました。玉川上水は飲料水のほか、灌漑(かんがい)用水、水車の動力としても利用されました。


玉川上水・岩崎橋、浅間橋間
甦った玉川上水の流れ。昭島市の多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水です。


玉川上水・岩崎橋、浅間橋間
玉川上水は「玉川上水歴史環境保全地域」に指定されています。保全された武蔵野雑木林が繁る玉川上水緑道を進んで行きます。


玉川上水・浅間橋
ほどなく開渠区間の終点浅間橋に到着です。清流は粗目のスクリーンに吸い込まれていきます。浅間橋はなく、現在橋名だけが残っています。


玉川上水・浅間橋
スクリーン施設を背に下流方向を見るとこんな景色です。高架橋は中央道です。目の前に水道局の点検口フタがあります。
江戸期の玉川上水はこれより13km下流の四谷大木戸まで続き、そこから石樋、木樋で江戸市中に給水していました。
これより下流、現在の玉川上水はほぼ暗渠化されています。
地図をたどると代田橋駅、笹塚駅付近に一部開渠区間があります。

さて、スクリーンから暗渠に入った清流はどこへ行くのでしょう。これより前方の暗渠区間には行ってないみたいですよ。気になるので、行き先を追いかけました。(^σ^)


神田川の月見橋
武蔵野台地の尾根伝いに流れる玉川上水から坂道を下り、井の頭線富士見ヶ丘駅付近、谷筋を流れる神田川の月見橋に出ました。


月見橋下流の神田川
月見橋下流の神田川です。川沿いを下流へたどります。東京都水道局HPによると下流の佃橋付近で合流しているそうです。

神田川と言えば「あなたと行った横丁の風呂屋♪・・・三畳一間の小さな下宿、窓の下には神田川~♪」を思い出します。が、この辺りはそんな雰囲気をみじんも感じさせないですね。それもそのはず、昭和30年代中頃とみられる「神田川」の舞台はどこかへ行ってしまったんですね・・・。

神田川の鯉
栄養の行き届いた鯉が泳いでいました。大きすぎて背中が水面から出ています。


神田川佃橋・玉川上水が合流
井の頭線高井戸駅前、佃橋まで下ってきました。右岸に水が流れ込んでいます。


神田川佃橋・玉川上水が合流
これが浅間橋で地下に潜った玉川上水の甦った清流です。上水小橋・浅間橋間18km、復活した玉川上水の清流は荒川水系の神田川に合流していました。
放流口上流側をコンクリート仕切りでガードしています。昨年の台風19号では各地でバックウォーター現象による内水氾濫被害が出ました。こちらの合流では、平常時は問題なくても、神田川が増水すると合流に支障が出るので、コンクリート仕切りはそれを避けるためと思われます。コンクリート仕切りは下流へ伸びています。合流しやすくするため、背割提の働きをしていると思います。

次回は浅間橋下流の暗渠区間一部とわずかに残る開渠区間を探訪する予定です。


浅間橋の位置(中央十字線)です。


其の624 甦った清流―玉川上水―東京都立川市

 玉川上水・小平監視所を下流へたどり、甦った清流・玉川上水と合わせて野火止用水も見てきました。

玉川上水・小平監視所下流
小平監視所の東側、玉川上水右岸から斜めに水路へ下りる道に橋が架かっています。昭和61(1986)年8月に竣工した上水小橋です。


玉川上水・上水小橋
上水小橋から上流の小平監視所方向を見ました。玉川上水は埋め立てられ、羽村取水堰からの流れは絶たれています。
向かって右側を見ると、左岸の岩から清水がこんこんと湧きだしています。


玉川上水・上水小橋の再生水放流
岩清水風にしつらえた放流装置から清水が絶え間なく流れ出ています。下水を高度処理した再生水ですが臭いは全くなく清流そのものです。


玉川上水・上水小橋
水路幅いっぱいの上水小橋を50mくらい下りました。甦った玉川上水の流れです。開渠の流れは18km先の浅間橋まで続きます。


上水小橋下流、玉川上水右岸の様子
右岸の様子です。赤土がむき出しのままです。素掘りで開削した江戸期当時の状態が今に残っていると思うのですが、玉川上水は、昭和40年から昭和61年に清流が復活するまで流れが途絶えていました。その間20年余荒廃しないでよく復活したものです。さすが首都東京ですね。


玉川上水・「甦る水百選」選定案内板
岩清水の傍らの「甦る水百選」に選定の案内板。
当時の建設大臣は扇千景氏でした。


玉川上水・清流の復活
「玉川上水 清流の復活」案内板
玉川上水左岸の「玉川上水 清流の復活」と案内板です。

清流の復活―玉川上水―
玉川上水は江戸時代の承応2(1653)年、人口が急増した江戸の飲料水確保のために作られた水路です。この上水は、江戸市中への飲料水の供給という目的以外に、武蔵野台地の各地に分水されて飲料水・かんがい用水・水車の動力などに利用され、武蔵野の発展に大きな役割を果たしました。水路は明治時代以降も淀橋浄水場(新宿区)への導水路として使われていましたが、新宿副都心計画による淀橋浄水場の廃止により、昭和40(1965)年以降、小平監視所より下流は、水の流れが途絶えました。
その後、多摩川上流水再生センターで高度処理された再生水を利用した東京都の「清流復活事業」によって、昭和61(1986)年8月から、玉川上水の小平監視所より下流側に再び清流がよみがえりました。
その区間は上水小橋→浅間橋間18kmの開渠水路。
玉川上水は、東京における自然の保護と回復に関する条例に基づき「玉川上水歴史環境保全地域」(羽村取水口から四ツ谷大木戸までの区間のうち開渠区間)に指定されています。
(案内板より)

高度処理再生水とは
多摩川上流水再生センターHPに高度処理再生水について説明がありましたので引用します。
センターから多摩川に放流する処理水の一部を更に砂ろ過処理、オゾン処理することにより脱臭・脱色・殺菌し、野火止用水、玉川上水、千川上水の3水路に送水して清流用水として活用しています。復活した清流は憩いの場となっています。


上記のように野火止用水にも高度処理再生水を送っています。その流れを見たくなり少したどってみました。
高度処理再生水調整槽
これは上水小橋の北側、玉川上水左岸にある水道局の調整槽です。傍らに制御盤があり運転音が聞こえました。玉川上水と野火止用水の起点に位置しているので昭島市の多摩川上流水再生センターから送水された再生水を両水路に分ける働きをしていると思われます。


野火止用水道標
調整槽付近の道標です。野火止用水は東大和市駅方面です。
ここは小平市中島町1丁目。


野火止用水緑道
西武拝島線沿い野火止用水緑道・グリーンロードです。用水路はしばらく暗渠です。玉川上水同様野火止用水も東京都の歴史環境保全地域に指定されています。


野火止用水緑道
東京都水道局施設の青色パイプが立ち上がっていました。暗渠水路の空気抜き管でしょうかね。


東京都水道局東大和調圧水槽
東大和市駅の真ん前、野火止用水緑道の上に塔が立っていました。東京都水道局東大和調圧水槽です。野火止用水の関係施設か否かは分かりません。たぶん別系統の施設と思います。


野火止用水緑道
東大和市駅を過ぎ、緑道は狭くなりました。暗渠は続きます。


開渠の野火止用水・小平市栄町1-4
開渠の野火止用水に到着しました!驚いたことにメダカより大きめの小魚が数匹泳いでいましたよ。期待通りの清流でした。
それにしても魚たちはどこから来たんでしょうかね。野火止用水は新河岸川に合流するのでそこから遡上したんでしょうね。
ここは、電柱の住居表示によると小平市栄町1-4です。

野火止用水の甦った清流を見たので今日の探訪はここで切り上げ東大和市駅へ向かいました。


上水小橋の位置(中央十字線)です。


其の623 小平監視所を見てきました・東京都立川市

 小河内ダムに貯めた水は多摩川の流れとなり、小作取水堰、羽村取水堰で水道原水として取り入れ、東村山浄水場へ導水しています。「多摩川の原水の流れ図」によると小平監視所からも東村山浄水場へ導水しています。どのようなところか見たくなりました。令和2年の歩き初めです。

玉川上水駅
最寄駅は玉川上水駅です。JR中央線立川駅から多摩モノレール線に乗りました。


玉川上水・玉川上水駅付近
駅前に玉川上水が流れています。駅前の清願院橋から見た玉川上水上流方向です。羽村取水堰で取水した水道原水の流れです。


玉川上水・玉川上水駅付近
同下流方向です。小平監視所はこの下流にあります。


玉川上水駅付近の玉川上水
武蔵野の雑木林の雰囲気を残す玉川上水緑道を歩きました。


玉川上水小平監視所
10分近く歩いたところでころりと風景が変わりました。雑木林はなくなりフェンスの隙間からの眺めになります。玉川上水の流れはすべて粗目のスクリーンの中へ。落ち葉などのゴミを運ぶコンベアがあります。除塵施設のようですね。


小平監視所の除塵機
粗目スクリーンの下流、3連の除塵機です。


小平監視所・沈砂池
その下流です。これは沈砂池ですね。


小平監視所・除塵機と接合井
沈砂池下流端です。また除塵機が見えます。上流側に加え下流でも除塵しています。


小平監視所・除塵機と接合井
中央が除塵機です。その下流側、水色のゲートは図入り案内板があったのでその役割が分かりました。接合井に付属の流量調整ゲートです。接合井の中で東村山浄水場へ向かう砂川線導水路と小平分水に分水しています。


小平監視所
小平監視所建屋前から見た上流方向の諸施設です。


一通り施設を見ました。案内板より施設の概要を記します。

小平監視所
昭和39年9月運用開始。上流約12kmの羽村取水堰で取水した多摩川の水を東村山浄水場に送るため、玉川上水の野火止用水と小平分水の分水口を改修して沈砂池などを備えた小平監視所が作られました。
また、昼夜水量監視や水質監視を行っています。

砂川線導水路(コンクリート製の導水管)
延長:約4km、内径:2.3m、最大導水量:8.0㎥/秒
(案内板より要旨)


多摩川の原水の流れ図
「多摩川の原水の流れ図」を再掲します。

さて、今見たように小平監視所で通水量すべてを東村山浄水場及び小平分水へ送っているので玉川上水の水道原水を運ぶ役目はここで終わっています。ここより下流の玉川上水はどうなっているでしょう。気になりますね。次回に続きます。


小平監視所の位置(中央十字線)です。


其の622 山口貯水池(狭山湖)を訪ねました・埼玉県所沢市

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年の初投稿は、村山上ダム(多摩湖)に続いて山口貯水池(狭山湖)編です。

多摩湖自転車歩行者道・多摩湖橋
前回訪ねた村山上ダムの北側、多摩湖自転車歩行者道のためにかけられた橋、多摩湖橋です。


村山貯水池・村山上ダム
村山上貯水池・取水塔
多摩湖橋からは村山上ダム、取水塔が一望できます。


多摩湖自転車歩行者道
多摩湖自転車歩行者道に入り山口貯水池(狭山湖)を目指します。


多摩湖自転車歩行者道の紅葉
今日は12月20日ですが、まだ秋が残っていましたよ。(^σ^♪


多摩湖自転車歩行者道のビナンカズラ(サネカズラ)
ビナンカズラ(サネカズラ)が実をつけていました。今頃の時期に熟すんですね。久し振りに見ました。



東京都水道局村山・山口貯水池管理事務所入口
途中右折し多摩湖自転車歩行者道と別れました。「山口貯水池まであと何m」の案内板通り道なりに北へ進みます。東京都水道局村山・山口貯水池管理事務所入口に到着しました。とんがり帽子の取水塔は山口貯水池第2取水塔です。


山口貯水池・第1取水塔
山口貯水池・第1取水塔
管理事務所入口は門が閉ざされているので右側の散策路から湖岸に向かいました。山口貯水池(狭山湖)と第1取水塔です。第2取水塔はここからは死角となり見えません。
地理院地図を開くと、山口貯水池の最西端に小作取水堰で取水し、小作・山口線導水路Φ3800mmを自然流下で流れて来た水道原水の出口があります。また南側には村山上貯水池との連絡水路があり青色の破線で表示してあります。

●第1取水塔
昭和9(1934)年完成。主として東村山浄水場、境浄水場へ自然流下で原水を送る施設。
●第2取水塔
昭和50(1975)年完成。村山下貯水池に原水を送る施設。
●総貯水量
都民の水道使用量の4日分(約2,000万㎥)を貯めておくことが出来る。
(現地案内板より)


山口貯水池ダム天端の通路
山口貯水池ダム堤体、天端幅11.0mの通路。


山口貯水池ダム
山口貯水池ダム
山口貯水池ダムです。案内板によると耐震強化工事では、昭和9年完成の堤体の上流・下流に盛立てを、下流に傾斜ドレーンと水平ドレーンを設置し地震に対する安定性を高めているそうです。
堤高:35m 堤頂長:691m。


「五風十雨の味わい」の石碑
東京都水道局造立の「五風十雨の味わい」の石碑。
碑文によるとおおよそこんなことが書いてあります。
山口貯水池は昭和2年から9年にかけて築造された水道専用のアースフィルダムです。阪神淡路大震災を教訓とし平成10年から14年にかけて世界でも類例のない耐震強化工事を行い生まれ変わりました。この石碑は貯水池の新たな一歩を記念して設置しました。東京都知事 石原慎太郎書。
五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るの意から、気候が順調なこと、転じて世の中が平和な様子を意味している。


多摩川の原水の流れ図
参考のため多摩川の原水の流れ図を再掲します。


山口貯水池ダム
帰り道、県道55号線から山口貯水池ダム遠景です。


山口貯水池から東村山浄水場導水路
これは県道55線で見つけた東京都水道局の施設です。東の方へ向かう堀のような水路です。水路延長線をまっすぐ西へ引くと取水塔がある村山・山口貯水池管理事務所に至ります。地理院地図で青色破線を東方向へたどると東村山浄水場に至るのでこの堀の地下に山口線導水路が通っていることが分かります。


山口貯水池の位置です。