FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の600 特集!山崎川源流(追補版)・名古屋市千種区

 平成25年に番外編として山崎川源流のひとつ鏡池を取り上げました。「其の74 山崎川源流を訪ねる」。今回はその追補版です。説明が不十分だった点を絵や今昔マップを用いて補いました。

始めに以下二枚の写真と記事を「其の74」から引用します。
山崎川・田代本通り4丁目付近
約1km上流の田代本通り4丁目付近です。
山崎川はここで北へ向きを変えます。
真っすぐ末盛から姫ヶ池方面へ至る流れと途中、田代本通り3丁目(昔の栄町行バス停の起点)で鏡池通りへ入り城山中学の東を北上して猫ヶ洞池へ至る二本の流れがあります。
今日向かうのは鏡池です。方向は画面正面、焦げ茶色のビルの左側の道です。


山崎川・田代本通り4丁目付近
上記のアップです。当時は今辿ってきたような普通の川でしたが、いつの頃からかこのようにフタがされ暗渠の川になってしまいました。フタの上の道は地図を見ると県道30号線とあります。左側の暗渠が山崎川本流で右側が鏡池からの支流と思われます。
昔は写真左側に高さ1m位の堰があり堰の下は深い淵になっていました。堰を越えてそれより上流へ行くことは小学生では無理で1、2度位しか行った記憶はありません。獲物もあまり無かったように記憶しています。堰の手前右側にφ1m位の水路トンネルの出口があり、それを潜ると幅2m位の川へ出ます。鏡池からの支流です。水路トンネルの長さは10mか20mはあったでしょうか。潜るときは結構ひやひやドキドキでした。



さて、暗渠の中はどんな川だったのか昔を知る者として瞼の母ならぬ瞼の山崎川を遠い記憶を頼りに描いてみました。
説明が上手に出来なかった暗渠の中を絵にすれば理解してもらいやすいと思い筆をとりました。ぼけると描けないので今のうちです。(^σ^♪
田代本通り4丁目昔の山崎川
●暗渠になる前はこんな感じでした。目の前で滝のように水が落下しています。そのつもりで描いたのですがそんな風に見えませんね・・・ (。-_-。)
川そのものは大体こんなイメージだったと思います。
「其の74」では高さ1m位の堰と書きましたが、今で言えば床固工とか落差工と呼ばれる治水施設ですね。

●画像右側、左岸の丸い開口が鏡池を発した支流の合流点です。直径1mくらいの水路トンネルの出口です。実は、絵の中ではこの開口を一番描きたかったんですよー。堀のような川なのでここから地上に上がることはできません。水路トンネルに入り潜り抜けると開渠の小川に出るのでそこから川沿いの道路に上がりました。小川を上流へたどると鏡池に達します。小川の風景は「其の74」で下手くそな絵を載せました。暗渠となった今でもこの水路トンネルには当時と変わらず鏡池からの水が流れ込んでいるはずです。

●この絵は南流する山崎川が西へ向きを変える地点から上流を見たところです。真っ直ぐ北、田代本通と覚王山通の交差点末盛の交差点まで続いていました。平成25年に探訪した時はすでに暗渠化されていました。その上流日泰寺裏の姫ヶ池が源流ではないかと昔から思っているのですが確かなことは不明です。

覚王山日泰寺姫ヶ池
姫ヶ池です。平成22年に日泰寺を訪ねた時に撮影。「殺生禁止 放生池 覚王山」と刻まれています。埋立てした後でしたね。

●床固工より上流の景色は記憶が曖昧なので、橋は想像で描きました。下流の大島町の橋はしっかり記憶しているのでそれを元に描きました。鉄筋コンクリートの橋脚に木造の橋でした。眼前で滝のように落ちる水、右側の直径1m位の丸い開口は今でも鮮明に憶えています。

●ここから200m位上流地点で猫ヶ洞池に端を発し、城山中学東側から鏡池通りに入り西進して来た山崎川本流が合流していました。昔の田代本通バス停があったところで、栄町行の市バスの起点でした。

●田代本通もそうでしたが栄町行きのバス通り(日進通)は未舗装の砂利道でしたよ。重機が時々やってきて穴だらけの路面を削って平らに均していました。ネットで調べたらモーターグレーダーと言う重機です。今思うと信じられないような話です。今から数十年前、昭和30年代の話ですからね・・・。
序でながら市バスは丸山、大久手、吹上、古井ノ坂、千種駅前、市電が通る覚王山通(広小路通)に入り東新町、新栄町の順でした。栄町交差点角に3階建てのオリエンタル中村百貨店がありましたね。


もうひとつ「其の74」では存在を知らなかったので載せなかった今昔マップにより説明します。田代本通4丁目の暗渠を中心とした今昔マップです。年代は1968~1973年にセットしました。
(今昔マップon the webより)

●水路トンネル上流の小川がきちんと水色表示されています。山崎川支流が開渠だった証明です。ドンコがいたあの川です。水色の開渠を東へたどると鏡池に至ります。現在は暗渠となり地図から消えています。2画面に切り替えると現在の地理院地図が対照表示されるので今と昔を比較できます。

●北側の鏡池通を並行して流れる川が山崎川本流です。現在は暗渠の川となり城山中学の東側で開渠となり源流の猫ヶ洞池に至ります。

●今昔マップの年代を遡るとこの辺りの山崎川は河川改修で人工的に開削された川と分かります。上の今昔マップを1932年(昭和7年)にセットすると、周辺一帯は田んぼで椙山女学園の南東側を北東から南西に流れていました。鏡池は、今の5倍ほどの面積で西側に堰堤記号があるので、昔から溜池だったんですね・・・。

今昔マップの大きな地図は右欄サイドバーにリンクが貼ってあります。

追補版は以上でおしまいです。この記事が子供の頃に山崎川で遊んだ方の目に止まれば良いですね・・・。


田代本通4丁目山崎川暗渠の位置(中央十字線)です。


スポンサーサイト



其の599 曽屋水道を見学しました・神奈川県秦野市

  平成29年に国登録記念物(遺跡関係)として登録された秦野市の曽屋水道を見学しました。

水無川のまほろば大橋
9月20日(金)、最寄駅は小田急線秦野駅です。駅前を流れる水無川に架かるまほろば大橋です。橋名の由来は人々が暮らす場として優れた場所を意味する大和言葉「まほろば」だそうですよ。

※各画像はクリックすると拡大します。


まほろば大橋より水無川下流を望む
まほろば大橋から水無川下流方向の眺めです。金目川水系の川で、平塚で相模湾に注いでいます。


まほろば大橋より水無川上流を望む
同、上流方向です。これから訪ねる曽屋水道は右手山側にあります。


乳牛通り
乳牛通りです。まほろば大橋を渡り100mほど直進、一方通行の出口を左折、「ひがしみち」に入り道なりに進むと信号のあるT字路交差点に突き当たります。すこし左にずれるとそこから乳牛通り(ちうしどおり)が始まります。


乳牛通りの地名標柱
乳牛通りの地名標柱です。


秦野市の乳牛通り
緩やかな上り勾配の乳牛通り。今昔マップを開くと明治29年版に載っているので江戸期からある古い往還です。


秦野市乳牛通りの庚申塔
進行方向左側の路傍にこんな庚申塔が・・・。乳牛通りをそのまま直進します。


秦野市乳牛通り
前方の曽屋神社の森の手前が今回の目的地・曽屋配水場(曽屋公園)です。


曽屋配水場(曽屋公園)
県道507号線北側の曽屋神社から見た曽屋配水場全景。


曽屋水道登録記念物証
曽屋配水場内に掲示の曽屋水道登録記念物証
登録記念物 曽屋水道 平成29年10月13日登録
この記念物は重要な記念物です 文化庁


沈澱池(明治期)、配水池(大正期、昭和期)、ポンプ室(大正期)、ロ号、ハ号水源開口部(ロ号:明治21年、ハ号大正13年)
以上6施設が登録されました。以下順に見て行きます。


曽屋水道配水池(大正期)
配水池(大正期)大正14年11月竣工
地下式鉄筋コンクリート製、防寒のため盛土し芝生が張ってあり、通気塔が点在しています。


曽屋水道配水池(昭和期)
配水池(昭和期)昭和35年9月竣工
地下式有蓋鉄筋コンクリート製。盛土し芝が張ってあります。
写真右端斜面下に沈澱池(明治期)の一部が残っているのですが見落してしまいました。m(_ _)m


曽屋水道ポンプ室
ポンプ室(大正期)です。大正14年11月竣工
鉄筋コンクリート造り。


曽屋水道・ゐのくちポンプ
ポンプ室前のゐのくちポンプ昭和25年 荏原製作所製(左側)、ゐのくち式タービンポンプ大正15年 荏原製作所製。

ゐのくちポンプは以前どこかで見たことがあります。横須賀水道有馬浄水場や神奈川県水道記念館にもモニュメント展示してありました。


曽屋水道・ロ号源泉開口部
曽屋公園の外、県道沿い南側のロ号源泉開口部。水道創設(曽屋区水道)の水源です。明治21年12月竣工の素掘り隧道。形状は幅3尺(0.9m)、高さ6尺(1.85m)延長22間(40m)。


曽屋水道ハ号源泉開口部
県道沿い曽屋神社石垣下のハ号源泉開口部。水道創設(曽屋区水道)の水源です。大正3年11月竣工の素掘り隧道。形状は幅3尺(0.9m)、高さ5尺(1.5m)、延長180間(327m)。

場内に複数の案内板があり詳細な説明がされています。読めば曽屋水道の全てが解るようになっています。その要点を記します。
(1)施設配置図によると二つの源泉から湧出の清泉は自然流下で場内の円形の沈澱池に導き、ろ過池を経て貯水池へ入りポンプで曽屋地区へ送るようになっています。源泉開口部から沈澱池まで、沈澱池から先の場内配管、曽屋地区受益者までの配水管は常滑産の陶管(内径3寸:9cm)が使用されました。
(2)曽屋水道は当時の曽屋村で誕生。明治23年3月15日、横浜市、函館市に次いで全国3番目に給水を開始。給水人口は4,010人、給水戸数802戸。
(3)曽屋水道の特徴
自然流下、横井戸取水。
近代水道施設(ろ過浄水、有圧送水、常時給水を有する施設)であること。

水源が湧水、陶管使用の二点から横須賀水道の走水水源地を思い出しました。箱根の県営水道も水源は湧水でした。


秦野市・曽屋神社
秦野市・曽屋神社
曽屋配水場(曽屋公園)北側の曽屋神社に参拝しました。


曽屋神社の「井之明神水」(いのみょうじんすい)
境内の一角にある「井之明神水」(いのみょうじんすい)です。
全国名水百選「秦野盆地湧水群」の一つ。井之明神とは曽屋神社の古くからの呼称で、水が豊かに湧き出でる水神様としておまつりしたのが創始だそうです。(案内板より要旨)
曽屋水道ができるまではこの泉を用水路に流し生活用水として利用していました。


曽屋神社の石造物群
境内に集められた石像物群です。

曽屋神社の庚申塔
中央の庚申塔です。造立年は読めなかったですね。

曽屋神社の双体道祖神
隣りの双体道祖神です。男女神の大熱々ぶりに当てられて災厄が近づけないようにしているんでしょうかね・・・。(^σ^)


秦野市の曽屋みち
帰りは曽屋みちを歩きました。


秦野市の曹洞宗大用寺
曹洞宗大用寺前を通りました。

秦野市の曹洞宗大用寺の双体道祖神
寺号標の前に双体道祖神が祀ってあります。普通は村境の道端に祀り災厄が村に入るのを防ぐためと言われますが、今年訪ねた大山阿夫利神社下社の双体道祖神は、ぼけ封じの守護神でした。いろいろありますね・・・。


権現山から見た秦野盆地
おしまいに、まほろば・秦野盆地の眺めです。4年前、弘法山へ花見ハイキングした時に権現山から撮影しました。

今回は拙ブログ読者Bさん情報により探訪しました。ご紹介ありがとうございました。

曽屋配水場の位置(中央十字線)です。



其の598 江南サイフォン跡を訪ねました・埼玉県熊谷市

 前回ひとり見学した六堰頭首工の下流に旧六堰頭首工時代に使われていた江南サイフォン呑口(伏越呑口)の遺構があります。国土交通省荒川上流河川事務所HPの紹介記事を参考に現地を訪ねました。

江南サイフォン呑口
荒川左岸堤防上の道から見た江南サイフォン呑口の遺構です。写真奥が上流で大里用水(左岸幹線用水路)は左から右へ流れています。呑口は新六堰頭首工完成により閉鎖されたのでコンクリートで覆ってあります。

※各画像はクリックすると拡大します。


大里用水(左岸幹線用水路)
カーブの先上流方向です。大里用水は本流と江南サイフォン向けの2水路になっています。


大里用水路
サイフォン呑口の水面はこれくらいでした。


大里用水路(左岸幹線用水路)
呑口施設から見た大里用水下流方向です。この先で3幹線用水路(大里・五井堰・奈良堰)に分れます。
左岸に鉄管が露出敷設してあります。荒川取水の工業用水で前方のセメント会社ポンプ小屋からセメント工場へ送水しています。ポンプ小屋前の道路から荒川土手に上る階段があります。


江南サイフォン呑口
呑口下流方向です。荒川左岸の土手は草茫々で何が出るか分らないような危険地帯ですよ! 車にゴム長靴を積んでいたのですが履かないでそのまま上り下りしました。せっかく用意したのにアホですね。マムちゃんにかまれなくて良かったです。
反省!(^σ^)


青大将・旧県道515号線にて
横浜水道の水源・三井用水取入所を探訪した時にこんなヤツを踏みそうになりました。「其の99」
青大将・手賀沼の泉揚水機場付近にて
手賀沼円筒分水を探訪した時には2m近くの大蛇に出くわしました。「其の309」


明土床止め
堤防上の道に戻り呑口施設を背に荒川右岸を見ました。サイフォン管は写真中央を対岸に向っています。


荒川の明土床止め
やや下流から拡大して眺めました。明土床止めと呼ばれる治水施設です。いわゆる床固工ですね。右側が堰のようになっていて滝のように水が落ちています。一段高いこの下にサイフォン管が敷設されていると思います。中央に魚道が見えます。


六堰頭首工・大里用水の水路網
前回載せた六堰頭首工を起点とした用水路網図です。
大里用水路(現在の左岸幹線用水路)から右岸の御正吉見堰幹線用水路へ送水していたことになります。

現地案内板にはこのような説明があります。
現在は新六堰頭首工の下にサイフォンを設け直接送水されているため、江南サイフォンは取り壊され、また呑口・吐出口は閉鎖されました。建設当時としてはデザイン的に十分美観にも配慮され歴史的にも後世に残せる構造物として現在その姿を保持しています。


江南サイフォン呑口跡はこちら(中央十字線)です。

六堰頭首工のおよそ3.8km下流の荒川左岸にあり、河道内の明土床止め(破線表示)地下を右岸に渡っていました。

其の597 荒川の六堰頭首工を訪ねる・埼玉県深谷市

 玉淀ダム見学後、9kmほど下流の六堰頭首工を訪ねました。

六堰頭首工・埼玉県深谷市
荒川左岸、埼玉県六堰頭首工管理事務所構内から見た六堰頭首工取水堰です。荒川を堰き止める4門の洪水吐ゲート。

ここは埼玉県深谷市永田3-5 埼玉県六堰頭首工管理事務所

※各画像はクリックすると拡大します。


施設を順に見て行きます。
六堰頭首工・土砂吐ゲート
左岸寄りの土砂吐ゲート1門です。取水口は土砂吐ゲートのすぐ上流側にあります。水色の除塵機設備があり、除いたゴミを場外搬出するためのトラックが止っています。


六堰頭首工・取水口
対岸から見た取水口。ゴミ除けスクリーン(赤色部分)、除塵機がそれぞれ4基。真後ろのレンガ模様の建物は取水口ゲート操作室です。


六堰頭首工・取水ゲート操作室
取水口ゲート操作室前に立つと流水音が聞こえてきます。地下の取水ゲートは2門で、巻揚げ用ワイヤーが見えます。


六堰頭首工・取水口ゲート操作室
川裏側から見た取水口ゲート操作室。壁に水利使用標識が掲げてあります。


六堰頭首工・水利使用標識
水利使用標識です。
取水量は需要期に合わせ細分化してあります。年間を通じて取水していますが最大は6月16日~25日までの16.875㎥/秒。次いで6月26日~9月25日までの13.297㎥/秒です。
かんがい面積は3,817haとなっています。


六堰頭首工・取水口と除塵機
施設を見ながら管理橋(重忠橋)を渡りました。橋から見た取水口と除塵機です。取水口下流の開口は階段式魚道です。


六堰頭首工・土砂吐ゲート
土砂吐ゲートです。純径間:22.0m 扉高さ:3.05m(埼玉県HPより)
土砂吐ゲートは取水口周りに土砂が溜りやすいのでそれを一気に排出するための施設と認識しているのですが、埼玉県HPによると荒川の水位を一定に維持するための2段構造ゲートだそうです。
堰堤体に水位目盛りが刻んであります。A.P.と思ったらT.P.表示でした。只今の水位はT.P.58.2mです。


六堰頭首工より荒川上流の眺め
管理橋から荒川上流の眺めです。


六堰頭首工・洪水吐ゲート
洪水吐ゲートです。純径間:40.75m 扉高さ:2.85m

(埼玉県HPより)

六堰頭首工・流水改善水路
右岸側の見どころは写真中央の国交省が設置した流水改善水路です。案内板によると瀬切れ解消と下流の都市用水取水の安定を図るための施設です。魚を魚道へ導く呼び水水路のはたらきもしているそうです。手前の水路は国交省設置の緩勾配魚道。堰堤体下は埼玉県が設置した階段式(アイスハーバー式)魚道です。



六堰頭首工・流水改善水路・魚道
管理橋(重忠橋)下流側から見るとこのようになっています。
右から緩勾配魚道、中央が流水改善水路で左側は階段式魚道です。


施設を一通り見学したあと構内の記念碑などを見て回りました。

埼玉県大里用水路改良事業竣功記念碑
埼玉県大里用水路改良事業竣功記念碑 昭和十五年一月建立。(旧六堰頭首工建設記念碑)

今から約400年前(1602年)に設置された六つの堰を一つに統合したのが旧六堰頭首工です。昭和5年着工、昭和15年完成。


国営総合農地防災事業竣工記念之碑
国営総合農地防災事業竣工記念之碑 平成十九年一月建立。
「荒川の恵み四百年の歴史ある大里用水を次世代へ」と刻まれています。この国営事業は平成6年度から整備開始平成18年度完了。


旧六堰頭首工のローリングゲート
これは旧六堰頭首工に実際に設置されていたローリングゲートです。モニュメントとして保存展示してあります。

ローリンゲートのサイズです。(埼玉県HPより)
・径間:12.6メートル
・扉高:2.7メートル
・総重量:16トン


案内板によると昭和14年の設置から平成13年の六堰頭首工改修工事で取り外されるまで63年間使用されていました。
扉が円筒形のため長径間のゲート製作が可能であったことから全国各所の河川に設置された。特長として①扉構造が川幅の広い河川に適す。②扉全体が強固なので「荒れる川」に適す。③ゲート設備として唯一扉が回転して上下する。

(案内板より抜粋)

展示品はローリングゲートが下りた取水中の状態です。洪水で取水を止めるときはゲートを回転させて上方向に上げ洪水を通します。

このようなゲートの存在を最近になって初めて知りました。日光第一発電所の取水堰としてローリングゲートが現役で稼働中です。Amiさんが最近探訪し「日光第一発電所」で発表しています。今ではあまり見かけることもない希少価値があるゲートです。

旧六堰頭首工のローリングゲート  旧六堰頭首工のローリングゲート
ローリングゲート左端はこのようになっています。


六堰頭首工・不動堂
これは構内の一角に再建した不動堂です。脇に真新しい不動明王立像が立っています。


不動堂の如意輪観音像
不動堂境内の如意輪観音像三体です。いずれも「二十二夜待供養塔」と刻まれ造立年は江戸中期の明和、享保。
神奈川県相模原市の一部地域では、如意輪観音が頬に右手を当てる姿から歯痛の際に祈願するものとして親しまれていますが、こちらはどうでしょうかね・・・。


六堰頭首工・大里用水の水路網
おしまいに現地案内板より六堰頭首工を起点とした大里用水の水路網です。荒川の左右両岸、熊谷市を中心に行田市、深谷市、鴻巣市の田畑へ用水を送っています。

左岸取水口から取り入れた用水は直後に左岸幹線導水路と右岸幹線導水路向けに分水。右岸向けは六堰頭首工取水堰上流側川底をサイフォンで横断しています。幹線導水路とサイフォンは地下水路のため地上から見ることはできません。

このあと必見のサイフォンを探訪しました。次回発表します。


六堰頭首工の位置(中央十字線)です。



其の596 玉淀ダムへ行ってきました・埼玉県大里郡寄居町

 今年5月に荒川水系・秩父4ダムを巡りました。4ダムの一つ、二瀬ダムが開発したかんがい用水を荒川中流域の玉淀ダムや六堰頭首工で取水し田んぼや畑へ送っています。前回探訪した比例円筒分水堰や円良田湖のすぐ近くなので見に行きました。

玉淀ダム
折原橋のたもと、荒川左岸沿いの道を上流へ行くと目的のダムに到着です。
重力式コンクリートダムの玉淀ダム(たまよどだむ)です。
堤頂長:110.0m。

※各画像はクリックすると拡大します。


場所はこちら(中央十字線)です。

北方約1.8km地点に円良田湖があります。


玉淀ダム・玉淀発電所
左岸ダム堤体に並んで総出力4,300kwの玉淀発電所があります。玉淀ダムは農業用水、発電用水目的で1964年(昭和39年)に埼玉県が建設し、現在は東京発電(株)が事業を引き継ぎ管理しています。
1号ゲートの右側は発電所ゲートです。銘板によるとサイズは6m×6mで一般的な水力発電所の入口弁に相当する設備と思われます。運転中の発電機・水車を停止する時に必須ですからね。


玉淀発電所断面図
玉淀発電所断面図です。(現地案内板より)
ダムカードによると総出力4,300kw(横軸カプラン水車)だそうです。

玉淀ダム断面図
こちらは玉淀ダム正面図です。(現地案内板より)
5号ゲートに注目。ゲート上部に決瀉板とあります。サイズは6m×2.5mとかなり大きめです。
ダム巡りで初めて目にする用語です。決瀉板の読みと働きは?
「けっしゃばん」と読み湖面の浮遊物を下流に流すための装置だそうです。フラッシュボードとも呼ばれています。


東京発電(株)埼玉事業所
これはダム下流左岸の東京発電(株)埼玉事業所の建屋です。


玉淀ダム
東京発電(株)埼玉事業所より上流は車両通行止め。歩行者用の通路がありダム堤体上の管理橋から対岸へ渡れます。ひと回りしてきましたよ。(^σ^)
管理橋からはこんな眺めです。下流の橋が折原橋、手前のアーチ橋は皆野寄居有料道路の末野大橋です。


玉淀ダム左岸発電農業用水取水口
管理橋から見た取水口(目の細かいスクリーン付き)と水色の除塵設備。只今発電中、流水音が響き渡ります。取水口は発電所向け、農業用水向け共用と思われます。


玉淀ダム水利使用標識(かんがい)  玉淀ダム水利使用標識(発電)
取水量は構内に掲示のかんがい・発電用水利使用標識に記載があります。
●かんがい用は
・5.181㎥/秒(6月1日~6月10日)
・4.098㎥/秒(6月11日~9月30日)
・1.032㎥/秒(10月1日~翌年5月31日)
用水需要期に応じて細分化されています。
●発電用 30㎥/秒


櫛挽台地の用水路網
かんがい用水の水路網です。(現地案内板より)
玉淀ダムで取水したかんがい用水は荒川左岸櫛挽台地の田んぼや畑を潤します。図のように国営県営の用水路網で田畑に送水しています。玉淀ダムからカニ沢制水門までの国営幹線は水路トンネルのため地上からは見えません。


玉淀ダム左岸発電農業用水取水口
少し進んで撮影。湖面の浮遊ゴミ除けや変電設備が見えます。変電所から送電線鉄塔に送電線が繋がっていますね・・・。


玉淀ダム管理橋
玉淀ダム
右岸から見た管理橋と玉淀ダム。


玉淀ダム右岸里道の石像
右岸に渡ると道端に如意輪観音など石像物が祀ってありました。

三面六臂の馬頭観音
その内の一体です。三面六臂坐像、宝輪、弓矢、鉾などの武器を持っています。顔の上部に刻まれているのは馬頭に見えます。三面六臂の馬頭観音像と見たのですが、果たして判定は??です。
下の苔むした部分は三猿のようにも見えるのですが、そうであれば主尊が三面六臂青面金剛の庚申塔です。う~ん悩ましい。


末野大橋
右岸の里道を地図なしで当てずっぽうに歩きました。末野大橋下を通過。思い起こすと車で秩父4ダム巡りした時にこのアーチ橋を渡っていました。


荒川に架かる折原橋
折原橋たもとに到着。


玉淀ダム
折原橋からの眺望です。
玉淀ダムはローラーゲートが6門(幅13.6m×高さ16.3m)の可動ダムです。


玉淀ダム・玉淀発電所
玉淀発電所放流口の様子。放流水量は30㎥/秒です。
左岸の建物はダム管理者東京発電(株)埼玉事業所。建物前に来客用駐車スペースとダムサイトにトイレあり。ダムカードはこちらの事務所でもらいました。


玉淀ダム・ダムカード
おしまいに玉淀ダムダムカードです。ライトアップしたダムのダムカードは初めて見ましたよ。

左下のバージョン情報にVer.1.0(2019.7)とあり、出来たてほやほやのダムカードです。職員さんの話では8月から配布開始したそうです。

目的記号はAPのみでF(洪水調節)はありません。台風や洪水時にはゲートを開きそのまま流すそうです。
ゲート全開で放流の様子は埼玉県HP玉淀ダムで見られます。


次回はこれより下流の六堰頭首工を訪ねます。


其の595 比例円筒分水堰と円良田湖を訪ねる・埼玉県寄居町

 9月6日(金)、寄居町の比例円筒分水堰を見に行きました。
7月末に東金円筒分水工を訪ねたので今季二か所目の円筒分水です。

比例円筒分水堰・埼玉県寄居町用土
いきなりですが、寄居町用土の円筒分水工「比例円筒分水堰」です。通水が終わり中央からの吹き上がりと周りへの分水の様子は見られません。昨年、富山の円筒分水工巡りは9月中旬でしたからね~。まだ見られるかもと内心期待しながらの探訪でした。残念。


比例円筒分水堰・埼玉県寄居町用土
周りから見るとこんなところで、比例円筒分水堰は生垣の中にあります。場所は分りやすく迷うことなく一発で到着しました。
探訪したこの日の予想最高気温は33℃、暑さ対策と他の施設も合わせて見るため車を利用しました。


比例円筒分水堰・埼玉県寄居町用土
角度を変えてもう一枚。この水はどこから来るのでしょう?気になります。
寄居町HPに簡単な案内文があります。それによると水源は西方にある円良田湖(つぶらたこ)で、鐘撞堂山の地下を通ってきた農業用水はこの円筒分水まで運ばれ、用田地区の水田に一定の比率で分配されるとあります。通水量、分水比の記載はなし。

あらためて見ると比例円筒分水堰周り西側にコンクリートの構造物があります。この構造物が地下水路トンネルの終点で、用水はここから地下に落下しU字形サイフォンで円筒分水中央から吹き上がるのではないかと想像するのですが、どうでしょうかね・・・。観察したところ用水は3方向に分水しています。


比例円筒分水堰銘板・埼玉県寄居町用土
コンクリート構造物に銘板が埋めこんでありましたよ。(^σ^)
「比例円筒分水堰 昭和二十八年一月十五日竣功」


比例円筒分水堰からの眺め
比例円筒分水堰から見た東方向の景色。田んぼが見えます。


比例円筒分水堰付近の田んぼ・寄居町用土
稲穂が垂れ、株元を見ると乾いています。もうじき稲刈りが始まる段階です。これではね・・・円筒分水堰の出番は終わっています。来年の田植時に出直しです。電車利用の場合はJR八高線用土駅から1.4km、約20分のところです。


円良田ダム堰堤
このあと取水源の円良田湖を見に行きました。進入道路から見た円良田ダム堰堤です。


円良田湖
円良田湖側から見た円良田ダム堰堤。湖面の至るところに釣り用桟橋が設置してあります。ヘラブナ釣りの名所みたいです。


円良田湖取水塔
湖岸を走りましたが農業用水の取水施設らしきものはこの取水塔に似た施設だけです。管理橋入口に看板も表札もなく施設名は名無しの権兵衛さんです。


円良田湖・洪水吐
右岸に立派な洪水吐があります。ダム湖らしさを感じます。


円良田湖・洪水吐水路
洪水吐下流方向です。流末は荒川です。


比例円筒分水堰の位置(中央十字線)です。

グーグルマップでは「寄居町用土の円筒分水工」で開きます。

其の594 旧綾瀬川と隅田水門を訪ねました・墨田区墨田

 東西を荒川と隅田川に挟まれ、南側は臨海部に囲まれた江東三角地帯(デルタ地帯)。その頂点に旧綾瀬川が流れています。隅田川と荒川を結ぶ延長500mほどの短い川です。江東三角地帯外郭施設(防潮水門・排水機場など)を一通り探訪したので、三角形の頂点にある旧綾瀬川はどのようなところか興味があります。8月29日(木)に現地を訪ねました。


今昔マップを開くと、かつて綾瀬川が隅田川に合流していたことが分ります。(今昔マップon the webより)

荒川放水路(現在の荒川)開削前の綾瀬川です。荒川放水路開削により隅田川に合流直前の綾瀬川が取り残され今の形になりました。


旧綾瀬川上流端・荒川右岸の隅田水門
最寄駅は東武伊勢崎線堀切駅です。駅のホームから水門が見えます。


隅田水門
さっきホームから見た水門です。荒川右岸旧綾瀬川上流端に築造された水門で隅田水門と言います。


旧綾瀬川
東武線跨線橋から見た旧綾瀬川の下流方向です。これが旧綾瀬川です。運河のような川ですね。
500mほど先で隅田川に合流します。両岸の背の高い堤防が堤防内を護っています。


国土交通省荒川下流河川事務所隅田水門管理棟
これは隅田水門付近旧綾瀬川左岸に立つ国土交通省荒川下流河川事務所隅田水門管理棟です。


隅田水門
東武線跨線橋を渡り荒川右岸堤防から隅田水門を流れる旧綾瀬川を覗きこみました。当然隅田川の方へ流れていると思ったら、なんと正反対の荒川の方へ流れていましたよ。驚き!

隅田水門銘板
隅田水門堤体の銘板です。「すみだすいもん 昭和44年竣工」


千住曙町橋梁と隅田水門
旧綾瀬川に架かる千住曙町橋梁と隅田水門。


隅田水門から荒川の眺望
隅田水門を背に千住曙町橋梁から荒川の眺望。明治44年から昭和5年にかけて人工的に掘られた川(荒川放水路)とはとても思えない大河です。昔の人は凄いことをやりました。


隅田水門
堤防を下り荒川河川敷から見た隅田水門。水の流れは左から右で荒川へ逆流しています。これは潮の干満の影響と思います。この辺りは東京湾の潮の影響を受ける感潮河川なんですね。


隅田水門AP水位目盛
堤体に水位目盛りが刻んであります。
水際線跡がA.P.+2.1m位。只今の水位はAP.+1.0mを切っています。最高目盛は手すり柵のある管理用通路下端でA.P.+9.0m。これは荒川堤防天端と同じ高さですね。今までに探訪した隅田川の防潮堤高さは伊勢湾台風クラスの高潮A.P.+5.1mを想定したA.P.+6.4mでした。それよりも高い荒川の洪水を想定したものと思います。


国土交通省隅田水門案内板
隅田水門の傍らに案内板がありました。知りたかったことが書いてありますよ。(^σ^)

●隅田水門のはたらき
荒川が大雨で増水したときに水門を閉じ隅田川に洪水が流入しないようにし、隅田川の氾濫を防いでいます。
●操作水位は荒川水位A.P.+2.1mで隅田川へ流入した時。
●旧隅田水門は、荒川と隅田川を往来する要衝として大正13年に建設された。現在の隅田水門は昭和44(1969)年に改築されたもので今も多くの船が行き交いしています。
(国土交通省荒川下流河川事務所案内板より要旨)

この上流北区志茂で隅田川が荒川から分岐しています。そこには岩淵水門(通称:青水門)があり、隅田川への通水量をコントロールしています。参考までにそのはたらきを記しておきます。
●平常時は水門を開放し船の通航を確保するとともに、隅田川の水質浄化のために荒川の水を流下させています。
●増水時には水門を閉めて隅田川への流入を食い止め、首都東京を水害から守る大切な役割を担っています。
●操作水位:荒川水位A.P.+4.00mで隅田川に流入した時。

(国土交通省岩淵水門案内板より要旨)


旧綾瀬川右岸の堤防
このあと旧綾瀬川沿いに河口を見に行きました。旧綾瀬川右岸の刑務所の塀のように高い堤防です。防潮堤を兼ねていると思います。高さは分りませんが荒川の堤防A.P.+9.0mと同じか、隅田川テラス護岸高さA.P.+6.4mを下回ることはないと思います。


綾瀬橋補修工事のAP表示
河口近く綾瀬橋の補修工事現場。補修工事中の垂れ幕にA.P.+4.74mの表示。荒川水系の工事にはA.P.が用いられます。


旧綾瀬川河口
旧綾瀬川河口に着きました。河口から見た旧綾瀬川上流です。上流の橋は綾瀬橋です。

旧綾瀬川河口・伊澤造船
対岸に造船所がありました。伊澤造船です。


旧綾瀬川河口より隅田川上流を望む
旧綾瀬川河口から見た隅田川上流方向。


旧綾瀬川河口より隅田川下流を望む
同、隅田川下流方向です。隅田川下流部と同じテラス護岸になっています。遠くにスカイツリーが見えます。

APとは
Arakawa Peilの略で、荒川水系における水準を表す単位です。中央区新川にある「霊岸島水位観測所」でAP±0が定められ、現在全国の高さの基準であるTP(東京湾中等潮位=海抜)はAP+1.1344mと定められました。
(赤水門上流の国土交通省案内板「荒川の洪水記録」より)

参考記事
其の358 荒川の赤水門・青水門を訪ねる  (2017/1投稿)