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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の593 木曽呂の富士塚を訪ねる・埼玉県川口市

 見沼通船堀閘門開閉実演を見学したあと近くの木曽呂の富士塚を訪ねました。

見沼通船堀東縁起点
前回載せた写真ですが、正面は見沼通船堀東縁の起点に当たるところです。丘の縁に沿って見沼代用水路東縁が流れています。木曽呂の富士塚は正面の森の中にあります。

※各画像はクリックすると拡大します。


木曽呂の富士塚
森の東側木曽呂の富士塚入口の鳥居です。奥に祠が鎮座しています。


木曽呂の富士塚案内板
木曽呂の富士塚とはこんな富士塚です。入口わきの「木曽呂の富士塚」案内板から引用します。

国指定重要有形民俗文化財 木曽呂の富士塚
富士塚は富士山を模して築造した塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心安く富士に登山できるようにと、安永九年(1780)高田水稲荷(みずいなり)の境内にこれを築いたのが始まりである。
木曽呂の富士塚は、地元で「ふじやま」または「木曽呂浅間」と呼ばれ、寛政十二年(1800)に富士講の一派である丸参講(まるさんこう)の信者蓮見知重(はすみともしげ)の発願によって、見沼代用水と通船堀(つうせんぼり)の連結点の縁に築造されたもので、高さ5.4m、直径約20m、塚全体が盛土で築かれている。頂上にはお鉢巡りができるように火口が掘ってあり、又、塚を貫いて胎内くぐりの穴を設けている。
文化庁 埼玉県教育委員会 川口市教育委員会

(木曽呂の富士塚案内板より抜粋)


木曽呂の富士塚
鳥居をくぐった左側に登山道入口があるので登りましたよ。


木曽呂の富士塚頂上
頂上です。頂は火口を模して窪地になっています。


木曽呂の富士塚
南側へ下山しました。南側中腹から見た木曽呂の富士塚です。


木曽呂の富士塚
西側道路から見た木曽呂の富士塚です。防空壕のような穴があります。穴は別にもう一か所ありました。フタがしてあり中には入れません。案内板の説明にある胎内巡りの穴と思われます。


富士塚東側麓の「皇太子殿下行啓記念樹」地名標柱
富士塚東側麓の「皇太子殿下行啓記念樹」と地名標柱です。
今上陛下が皇太子殿下の時代、平成18年2月14日にこの地を行啓されたことを記念する記念樹です。宮内庁HPを調べると記録がありました。

この日は以下を行啓されました。
皇太子殿下 ご視察(見沼通船堀)(さいたま市)、ご昼食(日本料理ふじ)(川口市)、ご視察(木曽呂の富士塚)(川口市)、ご視察(通船差配役鈴木家住宅)(さいたま市)


木曽呂の富士塚の位置(中央十字線)です。


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其の592 見沼通船堀閘門開閉実演を見学しました・さいたま市

 見沼通船堀閘門開閉実演は再整備のためここ数年中断されていました。5年振りの令和元年8月21日(水)に、再開されるとの朗報に接し、取る物も取りあえず行ってきましたよ。(^σ^)

見沼通船堀・通船の様子
最寄駅はJR武蔵野線東浦和駅です。駅の近く坂道を下ったところに用水路が流れています。橋の欄干に荷物積載の船が見沼通船堀を通航する様子が描かれています。この用水路は見沼代用水路西縁(みぬまだいようすいろにしべり)と言います。

※各画像はクリックすると拡大します。


見沼代用水路西縁
橋から見沼代用水路西縁下流方向の眺めです。見沼田んぼの西側を南流する用水路で、利根川から取水し見沼田んぼを潤す農業用水路です。江戸中期の享保13年(1728年)完成。欄干の絵のように昔は舟運にも利用されていました。
水路沿いの道をぞろぞろ人が歩いています。今日の実演会場・見沼通船堀東縁(ひがしべり)へ向かう人たちです。


見沼通船堀案内板
さいたま市教育委員会が立てた見沼通船堀の案内板です。


見沼代用水路西縁分水ゲート
橋から100mほど下流左岸に分水ゲートがありました。


見沼通船堀西縁の起点
分水ゲートから取り入れた水は土手を樋管で潜りここから始まる見沼通船堀西縁に入ります。ご覧のように見沼代用水路西縁に比べ高低差があります。


見沼通船堀西縁
見沼通船堀西縁の流れ。小川のような流れですがかつてこの水路を船が行き交いました。この流れは約650m先で見沼田んぼの排水路である芝川に合流します。芝川と東西の見沼代用水路の水面を比較すると3mの高低差があります。それを解消するための仕組みが東西の見沼通船堀です。東西の通船堀にそれぞれ2か所の関(閘門)を設け3mの水位差を調節し船を通す閘門式運河として開削されました。享保16年(1731年)に完成。江戸時代中期の土木技術や流通経済を知る上で貴重な史跡として昭和57年国指定史跡になりました。
ちなみに同じ閘門式のパナマ運河は1914年の完成です。見沼通船堀はパナマ運河に先行すること183年です。


「史跡 見沼通船堀 西縁第二の関」標柱
西縁沿いに下って行くと「史跡 見沼通船堀 西縁第二の関」標柱が立っていました。標柱のみです。


「史跡 見沼通船堀 西縁第一の関」
さらに下って行くと「史跡 見沼通船堀 西縁第一の関」がありました。これは復元した閘門です。同じ仕組みの閘門が東縁にもあり今日の実演会場となっています。


八丁橋より芝川上流を望む
見沼田んぼの排水路である芝川まで下ってきました。八丁橋から見た芝川上流方向です。右岸に西縁が合流しています。画像右手の左岸から延長約390mの見沼通船堀東縁が始まります。


見沼通船堀東縁
河口の東橋から見た見沼通船堀東縁。整備復元が完了した一の関と手入れが行き届いた堤塘。水面近くは湧水があるのでしょうか蛇籠護岸になっています。


見沼通船堀東縁
今日の実演会場、真新しい一の関(閘門)です。


見沼通船堀東縁閘室
一の関から見た二の関。一の関と二の関の間を閘室と言います。閘室内にあらかじめ芝川から綱で引っ張り上げた川船が待機しています。


見沼通船堀東縁一の堰
10時過ぎから実演が始まりました。流れを堰き止める角落(かくおとし)板の最初の一本が投げ込まれました。角落板の寸法は長さ11尺(約333cm)、断面は6寸(18cm)×2寸(6cm)です。


見沼通船堀東縁一の関
両岸からの竿の操作で鳥居柱(鳥居に似た欅製の角材の門)に角落板をぴたりと密着させます。水圧で自然に固定されます。


見沼通船堀東縁一の関角落版取り付け
作業を繰り返し合計8本の角落板を積み重ねました。


見沼通船堀東縁閘室内の川船
見沼通船堀東縁閘室内の川船
水位が上がった閘室内を待機していた川船が回遊し始めました。


見沼通船堀東縁二の関
二の関から見た下流方向です。角落板をもっと積上げないと二の関より上流へ進めません。今日の操船は閘室内のみでした。


見沼通船堀東縁
二の関上流の様子を見に行きました。橋がかかり水路は狭まっています。これでは船が通れないですね。


見沼通船堀東縁起点
その奥です。正面の森に沿って見沼代用水路東縁が南流しています。見沼通船堀東縁は正面のゲートから始まっています。


見沼代用水路東縁
南流する見沼代用水路東縁。見沼通船堀へ水を送るゲートが見えます。近代的ゲートがない江戸時代どのようにして制水したのでしょうかね。


見沼通船堀東縁一の関
一の関へ戻るとちょうど角落板の取り外しをやっていました。


見沼通船堀東縁一の関
芝川側から見た一の関。芝川へ向かう船は水位調節が終わるのを閘室内で待つことになります。そして一の関を通過し芝川に入り江戸へ向かいました。


見沼通船堀・閘門を使った通船方法の図解
閘門を使った通船方法の図解説明です。(後で寄った鈴木家住宅展示パネルより)。


水神社
水神社案内板
近くの水神社を訪ねました。通船に携わった船頭たちの信仰を集めた神社です。祭神は水の神・罔象姫命(みずはのめのみこと)。


鈴木家住宅
鈴木家住宅付属建物
鈴木家住宅案内板
最後に見沼通船堀差配役を勤めた国指定史跡鈴木家住宅を訪ねました。敷地内の付属建物は自由に見学可能です(通常は土日のみ公開)。資料が豊富に展示され勉強になりましたよ。


見沼通船堀東縁一の関の位置(中央十字線)です。


其の591 昭和記念公園・地底の泉を訪ねる・東京都立川市

 国営昭和記念公園の中にまいまいず井戸によく似た泉があると知り、早速行ってきました。

国営昭和記念公園・地底の泉
広大な園内・こどもの森内にある「地底の泉」です。


国営昭和記念公園・地底の泉
国営昭和記念公園・地底の泉
地上部からすり鉢状の底にある泉まで渦巻き状の道が通じています。今日は水位が上がり残念ながら通行止めでした。


国営昭和記念公園・地底の泉
先日訪ねた五ノ神社まいまいず井戸の直径は16mほどでしたが、ここは100m近くありそうです。泉は自然にしみだした出した地下水です。雨量によって水位が変わるので冬場の渇水期に来れば泉に触れることが出来ますね・・・。掘り井戸があるか否かの違いで地下水が湧き出すことについては五ノ神社まいまいず井戸と変わりないです。


国営昭和記念公園・地底の泉案内板
地底の泉案内板です。


国営昭和記念公園
国営昭和記念公園
往路はJR立川駅近くのあけぼの口から昭和記念公園に入場しました。ぶらぶらとこどもの森目指して40分ほど歩いたのですが、途中出合った水がらみの風景です。


国営昭和記念公園内残堀川
ふれあい橋より残堀川下流の眺め。この先の立日橋付近で多摩川に合流します。


国営昭和記念公園内残堀川
さつき橋より残堀川上流の眺め。残堀川は昭和記念公園内を流れていますが、園外上流で玉川上水と立体交差しています。東西に流れる玉川上水が南北に流れる残堀川の川底を伏越・サイフォンで潜り抜けています。2012.10に探訪しました。「其の39」


国営昭和記念公園パークトレイン
園内を走るパークトレイン。大人310円、小人150円。
風がまったくなく復路は暑さ凌ぎにパークトレインを利用しました。


国営昭和記念公園
車窓からひまわり畑の眺め。白やピンクの花が咲くハス田前も通りました。コスモスは準備中とのアナウンスあり。四季折々草花や木々を楽しめそうですね。桜や紅葉の時期も良さそうで、ここは私のような変わり者が一人で来るところではないですね。
(^σ^)


国営昭和記念公園パークトレイン
眺めのテラス停留所下車、近くのJR西立川駅へ向かいました。


地底の泉の位置(中央十字線)です。


其の590 五ノ神社のまいまいず井戸・東京都羽村市

 今回は趣向を変え「まいまいず井戸」の話です。「まいまいず」って名前からして面白そうですね・・・。以前から一度見たいと思っていました。8月9日(金)、JR青梅線羽村駅真ん前にある五ノ神社のまいまいず井戸を訪ねました。

五ノ神社のまいまいず井戸・東京都羽村市
これがまいまいず井戸です。カタツムリの形をした通路がすり鉢状の窪地の底の井戸に通じています。


五ノ神まいまいず井戸案内標柱
「まいまいず井戸」は五ノ神社境内の一角にあります。
「東京都史跡 五ノ神まいまいず井戸」の標柱。そのほかに案内板が二種類立っていました。


五ノ神社のまいまいず井戸・東京都羽村市
南側から見た北側地上入口から井戸までの全景です。


すり鉢の底まで下りましたよ。
五ノ神社のまいまいず井戸

五ノ神社のまいまいず井戸
北側通路入口から井戸のある底まで下りました。昔の人は天秤棒に水桶を吊り下げ上り下りしたんでしょうね。この井戸は昭和35年まで実際に使われていたそうです。


五ノ神社のまいまいず井戸
まいまいず井戸の底面です。地上から深さ約4.3mのところにあります。

案内板には次のように書いてあります。
地表面の直径は約16m、底面の直径約5m、深さ約4.3m、すり鉢状の窪地の中央に直径約1.2m、深さ5.9mの掘り井戸がある。地表面からは周壁を約2周して井戸に達するようになっている。


五ノ神社のまいまいず井戸
五ノ神社のまいまいず井戸
中を覗くと円筒状で内壁は苔むした玉石がきれいに積上げてあります。深さ5.9mの掘り井戸底に鏡のような水面が光っていました。
案内板にあるようにこの辺の地層は砂礫層です。砂礫層なのでまいまいず井戸が掘られた訳ですが、これより下、深さ5.9mの井戸の掘り抜き・石積みはどのように施工したのでしょうか。不思議ですね・・・。
なお、羽村町教育委員会・まいまいず井戸保存会案内板によると、現在のまいまいず井戸は元文6年(1741年)の普請の時の姿に復元されているそうです。


五ノ神社のまいまいず井戸案内板
五ノ神社のまいまいず井戸案内板です。

東京都指定史跡 まいまいず井戸
所在地:東京都羽村市五ノ神一丁目一番地
(1)まいまいずとは、カタツムリのことで、井戸に向って降りる形がこれに似ていることから名付けられた。
(2)地元伝説では大同年間(806~810年)に創設としているが、典拠はない。形態及び板碑などの出土から見て、鎌倉時代の創建と推定される。
(3)さくせん技術の未発達の時代に筒状井戸の掘りにくい砂礫層地帯に井戸を設ける必要から、このような形態をとるに至ったものである。
(4)元文6年(1741年)に井戸普請が行われた記録あり。その後も数回修復。昭和35年町営水道開設にともない使用を停止。
(5)地表面の直径は約16m、底面の直径約5m、深さ約4.3m、すり鉢状の窪地の中央に直径約1.2m、深さ5.9mの掘り井戸がある。地表面からは周壁を約2周して井戸に達するようになっている。
平成8年3月8日建設 東京都教育委員会
(案内板より要旨)
現在のまいまいず井戸は元文6年(1741年)の普請の時の姿に復元されています。
(羽村町教育委員会・まいまいず井戸保存会案内板より)


五ノ神社本殿

五ノ神社案内板
おしまいになりましたが、五ノ神社本殿と案内板です。


五ノ神まいまいず井戸の位置(中央十字線)です。


其の589 小名木川の扇橋閘門を訪ねる・江東区猿江一丁目

 8月5日(月)、小名木川の扇橋閘門を訪ねました。今年3月に訪ねた時は耐震補強工事中(工期は平成28~31年7月末)でした。工事完了を待っての再訪です。

都営地下鉄菊川駅の海抜表示
最寄駅は都営新宿線菊川駅です。菊川駅地上出入口の海抜表示は0.5mです。ここは隅田川に近いところで江東三角地帯(江東デルタ地帯)の西寄り地域です。東の方へ行くともっと地盤が低くゼロメートル地帯になります。

※各画像はクリックすると拡大します。

大横川・菊川駅付近菊川橋より南方向を望む
地下鉄の地上部・新大橋通りを東へ進むと南北に流れる大横川に架かる菊川橋に出ます。菊川橋より大横川南方向の眺めです。300mほど南で東西に流れる小名木川と交差します。
大横川は竪川水門や新小名木川水門を通じて隅田川に繋がっているので、隅田川や小名木川と水位がまったく同じいわゆる感潮河川と呼ばれる河川(運河)です。


小名木川の扇橋閘門
菊川橋の先を右折し南下すると小名木川に架かる新扇橋に出ます。新扇橋から見た扇橋閘門です。7月末に耐震補強工事が完成したばかりです。

眼前の水門は閘門前扉(隅田川側の水門)、奥の水門が閘門後扉(荒川側の水門)と言い両閘門の間の閘室で水位調節をして船を通します。

その仕組みは下図の通りです。(現地案内板より)
扇橋閘門のはたらき
扇橋閘門のはたらき
扇橋閘門の仕組み
感潮河川水位(満潮時平均水位)はA.P.+2.1m、対する江東東側河川の平均水位はA.P.-1.0mで3.1mの水位差があります。

参考記事
「其の555 小名木川旧護岸と嵩上げ護岸の歴史」 


江東河川事務所・扇橋閘門正門
猿江一丁目の東京都江東河川事務所・扇橋閘門正門です。閘室の様子を間近で見たかったのですが、関係者以外立入禁止でした。


小名木川の小松橋
扇橋閘門の東側小名木川に架かる小松橋です。


扇橋閘門後扉
小松橋下から見た扇橋閘門後扉。ゲートは閉まり信号は赤、電光掲示板に「閉鎖中」の表示。前述のように江東東側河川の平均水位はA.P.-1.0mで西側河川に比べ3.1mの水位差があります。


扇橋閘門後扉から排水中
小松橋上に戻りなんの収穫も無しに帰路につこうと思った瞬間、もの凄い流水音が聞こえてきました。後扉の方からごうごうと濁流が・・・。ゲートを少しだけ開けて水を通したようです。


扇橋閘門閘室内の小艇
あわてて閘室内にカメラを向ける小艇が一艘浮かんでいます。


扇橋閘門後扉
2、3分後に閘室内の水は出尽くしたようで静かになりました。


扇橋閘門後扉開く
と同時にゲートが上がり始めましたよ。


扇橋閘門閘室内の小艇
後扉の方へ動き始めた小艇。当然ながら信号は赤です。


扇橋閘門後扉を出た小艇
後扉を出て東側低水位河川に入った小艇。言うまでもありませんが、閘室と東側河川水位が同じになったわけです。


小名木川を旧中川方面へ向かう小艇
何事も無かったかのように小名木川を旧中川・荒川方面へ向かう小艇。
扇橋閘門の方を振り返ると信号は青に変わっていました。隅田川方面へ向かう船は通航可、閘門内へ入ってもよろしいという意味ですね。

お土産なしですごすごと帰るところ幸いにも最後に通航の模様を見学でき良かったです。(^σ^)
小艇は検査又は調査目的の都庁の船と思われます。今日見た閘門後扉からの排水は少々荒っぽかったですね。実際には現地案内板にあるように閘室内の給排水路に設置した排水ゲートの開閉によりもっと穏やかに排水すると思います。そして東側河川と同じ水位に調整後に閘門(後扉)を開けると思います。


江東三角地帯断面図
江東三角地帯を理解するため分りやすい断面図を載せます。
(扇橋閘門現地案内板より)


小松橋上流の放流水
これは小松橋から見た扇橋閘門からの排水(放流)の模様です。L字型コーナー部から水がこちらに向かって流れています。閘門後扉の開閉に関係なく常時排水しているように見えました。西側河川から閉塞河川の東側河川へ維持用水または浄化用水として補給しているような気がします。


猿江船改番所跡案内板
おしまいに新扇橋たもとにあった「猿江船改番所跡」の案内板の紹介です。為になることが書いてありますよ。


扇橋閘門の位置(中央十字線)です。


其の588 東金円筒分水工を訪ねる・千葉県東金市

 7月26日(金)、梅雨明けを思わせる炎天下、千葉県まで遠征し今季初めての円筒分水工を見てきました。

JR東金線求名駅
最寄り駅はJR東金線求名駅です。初めての土地で駅名が読めません。「ぐみょう駅」と読みます。ここから目的地までいつものようにてくてくひとり旅です。ごくまれに二人連れのときもありますが・・・。(^σ^)


御狩橋より真亀川上流を望む
求名駅から東金駅方面に戻り県道に入ります。県道沿いに駅から1kmほど歩くと真亀川に架かる御狩橋に出ます。御狩橋から見た真亀川上流方向です。東金円筒分水工はこの川沿いにあります。下流へたどると河口は九十九里浜なので太平洋へ出ますよ~。


真亀川左岸の田んぼの風景
真亀川左岸側の田園風景。これから訪ねる円筒分水工で分水した用水路から水を引いているかも知れませんね。


真亀川
御狩橋からおよそ1kmのところにある無名橋です。橋のたもとの門柱に注目。それにしても川の汚れがひどい!


東金円筒分水工所在公園
一対の門柱が立っています。かつて表札が埋め込まれていたのでしょうが、今は何もなく名無しの権兵衛さんです。中は荒れた公園風です。


東金支線竣工記念碑
門から公園風の園内にお邪魔しましたよ。高く立派な記念碑が立っています。「天恵人和 東金支線竣工記念」と刻まれています。昭和44年に建てられた農業用水路の竣工記念碑です。


東金円筒分水工から流れる用水路
園内は雑草が伸び放題です。雑草をかき分け、水路を発見しました。これは水路の上流方向です。

東金円筒分水工で分水した用水路
下流方向は水路トンネル入口で、ここから地下に潜っています。先ほどたどってきた真亀川を左岸側に潜り抜けているみたいです。


東金円筒分水工
上流に東金円筒分水工がありました。通水量が少なく流水音も控えめです。この水路が3本ある分水路中のメイン用水路のようですが、現在は送水を止めています。迫力のある分水が見られなく残念ですね・・・。


東金円筒分水工
雑草をかき分け左側からアプローチしました。手前が、分水比が一番大きい(4/5くらい占めているように感じました)用水路向けですが、角落し板で嵩上げし絞っています。


東金円筒分水工
その隣の越流堰。3条に分かれて越流し用水路に向っています。右側ゲートから地下水路となり行き先は不明です。


東金円筒分水工
東金円筒分水工
こちらは4条に分かれて越流。円筒分水工らしい迫力ある越流です。分水工周りに沿って流れ、そこから用水路が始まります。


東金円筒分水工
分水工周りを流れる4条越流の支線用水路。その内側は最大分水比の支線用水路。


東金円筒分水工
下流側から見ました。下を流れる最大分水比の用水路と4条越流の用水路。4条越流の支線用水路の行く先をちょっとだけ追っかけてみました。

東金円筒分水工で分水した支線用水路
園外に出て真亀川を水路橋で渡る支線用水路。

東金円筒分水工で分水した支線用水路
真亀川左岸に渡り県道に出てきた支線用水路。

東金円筒分水工で分水した支線用水路
県道沿いを田んぼへ向かう支線用水路。


両総用水 東金円筒分水工案内板
円筒分水工回周りにあった両総土地改良区が立てた案内板です。画像をクリックすると拡大します。

両総用水 東金円筒分水工
両総用水事業の一環として昭和30年度完成。サイフォンの原理で吹き上がった水を所定の分水比に分けた円周上の堰を越流させることで「田間派線」「豊海片貝線」「求名派線」の3方向へと分水しています。 
(案内板より抜粋)
残念ながら流水量、分水比、該当する支線用水路名の記載はありませんでした。


真亀川の取水堰
円筒分水工の水はどこから来るのでしょう?
東金円筒分水工の北西方向100mほどのところにある真亀川の取水堰を見に行きました。


真亀川の取水堰
取水堰管理橋より真亀川上流の眺めです。たどってきた真亀川は掘込み河道の深い川でした。川の表情が一変していますね。


真亀川の取水堰・取水ゲート
右岸に取水ゲートがあります。


真亀川取水ゲート下流の用水路
取水ゲート下流の用水路。この一部が円筒分水工へ流れて行きます。


真亀川取水ゲート下流の用水路
その下流です。石造りの水門跡があり前方に白い柵が見えますが、その奥の森の中に東金円筒分水工があります。サイフォンで円筒分水工の中央から吹き上がっているので、サイフォンの呑口が白い柵近辺にあるはずです。


東金円筒分水工付近の用水路
道路沿いの白い柵付近にそれらしきグレーチング桝がありましたが、呑口か否かは??です。残念ながら確信が持てませんでしたね。東金円筒分水工は用水路左側の森の中にあります。

円筒分水記事が増えてきました。今回記事より過去記事を含め「円筒分水」カテゴリにまとめました。

両総用水 東金円筒分水工の位置(中央十字線)です。


其の587 小鮎川サイフォンを訪ねる・厚木市林妻橋上流

 前回の吾妻団地付近の調節池を見学したあと、近くの小鮎川サイフォンを訪ねました。7年ぶりの再訪です。

西部用水小鮎川サイフォン呑口
荻野川、小鮎川左岸沿いに下ってきた西部用水(相模川右岸幹線用水路)の小鮎川サイフォン呑口施設です。制水門があり、用水はその下流で真っ直ぐ地下へ降下しています。


西部用水小鮎川サイフォン呑口
制水門下流のスクリーンを通過した用水は地下に降下し小鮎川を潜り対岸の吐口施設で吹き上がります。サイフォン管を断面で見るとU字形で普通のサイフォン管の逆の形(=逆サイフォン)です。


場所はここ(中央十字線)です。

サイフォンで地下に潜るので西部用水は地図上ではここで消えています。呑口施設下流の橋は林妻橋です。


林妻橋より小鮎川上流を望む
林妻橋から見た小鮎川上流方向。サイフォン管は小鮎川の川底を横断しています。地理院地図では破線表示。


西部用水・小鮎川サイフォン吐口施設
小鮎川右岸のサイフォン吐口施設です。制水ゲートの上流側で吹き上がっています。


小鮎川サイフォン吐口制水ゲート銘板
小鮎川サイフォン吐口制水ゲート銘板です。


西部用水・小鮎川サイフォン吐口
右側コンクリートフタの下で吹き上がっています。流水音は「ごぼごぼ、ざざー、ばしゃーん」とかなりの迫力です。この水は相模川の磯部頭首工で取水した農業用水です。磯部頭首工の左岸で取水し、直後に相模川を伏越で右岸に渡り、その後中津川を伏越・サイフォンで横断、小鮎川は三つ目の伏越・サイフォンです。


西部用水・厚木市林1丁目
何事も無かったかのように小鮎川右岸沿いを南流する西部用水。磯部頭首工の取水量は5.0㎥/秒です。ここまでに大きな分水はしていないのでほぼ5.0㎥/秒の流れです。


西部用水・厚木市林1丁目
林1丁目を流れる西部用水。水路壁高さは私の腰の辺りです。この辺りは低地帯のせいか標高を維持するため地表より高い位置を流れています。厚木から伊勢原-平塚まで行きますからね・・・。


西部用水・旧小鮎川を渡る水路橋
前回見た調節池の前を通り、旧小鮎川を水路橋で渡ります。
左岸水色の施設は西部用水・大口分水工です。分水した用水は昭和用水へ補給用として送っています。帰り道なのであとでたどります。


西部用水・厚木市戸室1丁目
大口分水工下流です。前方のR412を潜り戸室から恩名、温水方面向かっています。


旧小鮎川河道内を流れる西部用水連絡水路
帰りは市立病院前バス停まで旧小鮎川沿いに歩きました。
これは大口分水工から分水を受け昭和用水へ向かう連絡用水路です。旧小鮎川河道内を用水路が流れる変わった風景です。流れる水が相模川の水って言うのが面白いですね・・・。(^σ^)


旧小鮎川河道内を流れる西部用水連絡水路
吾妻団地南東のはずれで旧小鮎川は左へ大きく曲がり小鮎川樋門へ向かいます。連絡用水路はR412沿いに直進します。


西部用水連絡水路
暗渠となりR412沿いを昭和用水(松ヶ枝町交差点方面)へ向かう連絡用水路。


西部用水連絡水路
三菱自動車前で地下に潜り水路トンネルに入ります。神奈川県相模川西部土地改良区の管内図によると、R412を横断した連絡水路は150mほど先で左折し松ヶ枝町交差点付近で昭和用水に接続しています。


松ヶ枝町交差点松原公園
市立病院前バス停付近、松ヶ枝町交差点に松原公園と言う小さな公園があります。この公園は昭和用水が田村堀通りへ入る水路上にあるので、大口分水工からの連絡水路はこの地点で昭和用水に接続(合流)しているものと思われます。ただし見渡したところ地上にそれらしき施設は何もなく私の推測です。


其の586 吾妻団地付近の調節池を訪ねる・厚木市林1丁目

 梅雨時の話題として3回ほど雨水調整池を取り上げました。
関東地方は7月29日に梅雨明け、翌30日に厚木市の調節池を見に行ってきました。当初は雨水調整池と思って行ったのですが実態は調節池でした。

調節池・厚木市林1丁目
読者の地元ティーさんの紹介「其の584コメ欄」で厚木市林1丁目の調節池にやって来ました。南端から見た調節池です。河川水を一時的に貯留するための池で形状は三角形です。


場所はここ(中央十字線)です。



調節池・厚木市林1丁目
西側の河川(排水路か雨水下水道のような掘込み式の川です)沿いに上流へ行くと、左岸側が越流堤になっています。周りの堤防より高さを低く抑え河川が大雨で増水時に調節池へ流入させる構造になっています。越流堤内側には減勢池もあるので間違いなく調節池ですね。見渡したところ北側、東側の護岸には雨水下水管の吐口は一か所もなく池に水が流入する個所は越流堤のみです。


調節池と隣接河川・厚木市林1丁目
西側河川の上流は暗渠の出口となっています。これより上流は地図から消えています。


今昔マップです。(今昔マップon the webより)

今昔マップを参照すると明治期の林地区は田園地帯でその中を一本の川が流れていました。田んぼに水を配る用水路だったと思われます。その用水路はその後の急激な宅地化により雨水下水道として暗渠化され現代もその流れがこのように生きています。一見、越流堤を設けるほどの大きな河川には見えないのですが、多分集中豪雨を想定した調節池の設置と思われます。この河川は以前取り上げた幻の川「でーの川」に似ています。


調節池・厚木市林1丁目
南側から見た調節池。越流堤、減勢池の様子が分ります。


調節池・厚木市林1丁目
調節池の南端に貯留排水するための施設(コンクリートの塔)がありゲート巻上機(開閉機)が見えます。


調節池・厚木市林1丁目
コンクリートの塔に下に水色のゲート(門扉)が見えます。これは池から塔の中へ導くゲートですね。


調節池排水貯留施設・厚木市林1丁目
コンクリートの塔西側にもう一か所ありました。大雨が落着き河川の水位が下がるとここから西側河川へ排水します。


調節池から旧小鮎川への放流口・厚木市林1丁目
西側河川は道一本隔てた近くの広い河川・小鮎川旧河道(旧小鮎川)に合流し、旧河道はこの先で現在の小鮎川に合流しています。上のコンクリート製の構造物は西部用水(相模川右岸幹線用水路)の水路橋です。


旧小鮎川を渡る西部用水水路橋
旧小鮎川を渡る西部用水の水路橋。渡ったところに大口分水工(水色の施設)があります。旧小鮎川と言っても今昔マップを参照すると、昔は現在の吾妻団地の中を蛇行して流れていたので、河川改修時に新たに開削した新河道です。


旧小鮎川と河道内を並流する西部用水分水路
吾妻団地西側を南流する旧小鮎川。左側の川です。右側の川は旧小鮎川河道内を流れる用水路です。西部用水の大口分水工で分水し昭和用水へ補給するための用水路です。別稿で取り上げました。「其の25」
川の中を川が流れる変わった風景ですね~~。(^σ^)

先ほど見学した調節池とも関連するので旧小鮎川の河口の様子を見に行きました。


旧小鮎川河口の樋門ゲート
吾妻団地沿いの旧小鮎川を下流へたどって行くと最後は現在の小鮎川に合流します。旧小鮎川河口の樋門ゲートです。只今晴天、平常時なのでゲートは開いています。


小鮎川右岸の旧小鮎川樋門
小鮎川左岸から見た旧小鮎川河口と樋門です。


ではどのような時に樋門ゲートは閉じるのでしょうか。その影響と調節池の働き役割などを私なりに考えてみました。愚考です。(^σ^)

(1)小鮎川が集中豪雨で洪水状態になると、旧小鮎川への逆流を防ぐためゲートを閉じると思います。樋門ゲートは閉じることにより小鮎川右岸の堤防の役割を果たすことになりますね。
(2)樋門ゲートを閉じると旧小鮎川はどうなるか。旧小鮎川流域が集中豪雨域であれば河川水は流れるのを止めないので旧小鮎川河道内は細長い巨大なダム湖になると思います。
(3)細長い巨大なダム湖が満タンになると川から溢れだし内水氾濫となります。
(4)最悪の水害を防ぐための施設が今日見学した調節池の出番で大変重要な役割を果たしていると思います。樋門ゲートを閉じることで行き場を失った洪水を調節池に貯留し水災害を防いでいるわけですね。
(5)洪水が収まったら調節池内のゲートを開け徐々に自然排水します。その猶予期間は2日間です。その理由は「其の583 あざみがや雨水調整池」で述べました。
(6)調節池で対応できないときはどうするか?
それでも水害の恐れがある時は排水機場(ポンプ場)を作るしかないですね。余談ですが甲府盆地には天井川化した釜無川から支川への逆流を防ぐための樋門や排水機場が多数設置してあります。
(7)ここより下流の小鮎川に干無川が合流していますが、こちらと同じように河口に樋門ゲートが設置してあります。同じ厚木市内の山際川河口にも樋門ゲートがあります。いずれも集中豪雨で本川から逆流の怖れがある時にゲートを閉じると思うのですが、調節池は設置してありません。たぶん細長いダム湖と化しても内水氾濫には至らないと言う判断なんでしょうね・・・。