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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の562 江東三角地帯の治水施設を訪ねる・源森川水門

 4月16日(火)、源森川水門を訪ねました。江東三角地帯外郭水門では新小名木川水門、大島川水門に次いで三つ目です。

吾妻橋より隅田川上流を望む
最寄駅の浅草駅(東京メトロ・都営地下鉄)から吾妻橋にやってきました。隅田川上流をを望む。眼前は水上バス乗り場です。


隅田川右岸テラス護岸・吾妻橋上流
源森川水門(げんもりがわすいもん)は隅田川左岸に面しています。対岸から源森川水門を眺望するため、右岸テラス護岸を上流へ300mほど歩きました。テラス護岸から見た吾妻橋です。


東京スカイツリーと源森川水門
どこにいても東を向けば東京スカイツリーが・・・。
首都高の下に源森川水門を見つけましたよ。


源森川水門
源森川水門に正対しズームインしました。今日は好天、平常時です。通航のため高さ7.5mの門扉は上に引き上げてあります。


隅田川吾妻橋付近の八重桜
隅田川吾妻橋付近の八重桜
染井吉野は終わりましたが水上バス付近の八重桜がまだ余韻を残しております。笑顔の外国人観光客が八重桜の下で記念撮影していました。数人写っていますがみな外国人ばかりで内国産は私だけ。和服姿の女性は東南アジア系の方でしたね。貸衣装屋があるんでしょうか。さすが観光名所中の名所浅草です。


隅田川吾妻橋付近の水鳥
野鳥観察もしましたよ。水かきがあるので水鳥ですね。ググったのですが、名前が分りません。


隅田川吾妻橋より左岸の眺め
源森川水門を間近で見るため吾妻橋を渡ります。黄金色の雲の形をしたヘンなものがありますよ。なんじゃこれは!?
ググると、アサヒビール・スーパードライホール屋上のオブジェで、燃え盛る炎をデザインしたものだそうです。人いきれがする雑踏が苦手で山野中心に歩いている私は疎いんですよね・・・。初めて見ました。


墨田区役所・勝海舟像
墨田区役所前の勝海舟像前を通りました。幕末の英雄・勝海舟は文政6年(1823年)江戸本所亀沢町で生まれました。
(碑文より)


源森川水門
北十間川河口の源森川水門です。門扉高さは7.5mあります。
左右の防潮堤は高さ十分で迫力がありますね。案内板によると防潮堤の高さはA.P.+6.4mだそうです。非常時に門扉を閉鎖するとちょうど防潮堤天端と面一になるよう設計されていると思います。


源森川水門・水位目盛
水門脇の水位目盛りです。A.P.+2~+5まで刻んであります。伊勢湾台風クラスの高潮がA.P.+5.1mなので、そんな高潮が襲ってくると目盛りの一番上まで水位が上がります。「なんだ、大して高くないじゃん」と思われるかもしれませんが、高い防潮堤でしっかり固めてあるのでそう感じるだけです。防潮堤や防潮水門がなければ堤防内側地域は間違いなく水害に遭います。防潮堤の高さはA.P.+6.4mに整備してあるので高潮に十分対応できています。
只今現在の水位はA.P.+1m位でしょうか。今まで見た外郭水門設置河川同様、北十間川も感潮河川です。

源森川水門の概要です。
・形式:鋼製単葉ローラーゲート
・径間:11m×1連
・門扉高さ:7.5m
・竣工:昭和34年度
・平成28年度に耐震化工事が完了、門扉等が新しくなりました。

(東京都江東治水事務所HPより)


江東三角地帯イメージ断面図
案内板に江東三角地帯のイメージ断面図が載っていました。分りやすい図で参考になります。右端の枠外A.P.値は以下の通りです。これまで繰り返し記しましたが念のため。画像をクリックすると拡大します。
計画高潮位  A.P.+5.1m
満潮位    A.P.+2.1m
干潮位    A.P.±0m

水門の設置目的なども書いてありましたが、一言でいえば防潮水門です。前回の大島川水門やその前の亀島川水門と同じ内容なので省略します。


北十間川・枕橋
源森川水門から一つ上流の橋・枕橋です。古風でおしゃれなデザインの街路灯。ひときわ目立ちますね。


北十間川河口の源森川水門
枕橋から源森川水門を望む。北十間川の河口です。


枕橋より北十間川上流を望む
枕橋より北十間川上流(東方向)を望む。只今東京都建設局による北十間川護岸建設工事が行われています。右岸の護岸が新しくなっています。今行っているのは浚渫工事ですね。

次回はこの上流の北十間川樋門を取り上げる予定です。


源森川水門の位置(中央十字線)です。


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其の561 江東三角地帯の治水施設を訪ねる・大島川水門

 清澄排水機場に続き大島川水門を見に行きました。

江東区・大横川河口の大島川水門
これが隅田川左岸、大横川河口に位置する大島川水門です。清澄排水機場から南へ850mほど離れたところに在ります。


大島川西支線・中の堀川樋門
前回訪ねた清澄排水機場から清川橋に戻り、萬年橋通りを南下し大島川水門を目指します。左手の児童公園の中に水門があります。大島川西支川右岸に設置された「中の堀川樋門」と言います。公園に水門とは気になりますね。
銘板によると門扉のサイズは幅2.50m×高さ1.90m×2門 
平成8年12月製作。

東京都江東治水事務所のリストにはないので、江東区が管理する水門と思われます。園内案内板によると、中の堀川に架かっていた豊島橋を撤去、川を埋め立て児童公園とし、地下に樋管を通しました。鉄製の豊島橋の一部がモニュメントとして公園内のベンチになっていました。


大島川西支線・中の堀川樋門
大島川西支川から見た中の堀川樋門です。大島川西支川は仙台堀川に架かる清川橋前で分岐南流し、大横川に合流する延長約820mの河川(運河)です。


中の堀川
中の堀川から見た豊島橋跡、児童公園、中の堀川樋門。樋管が通っています。水位が下がっていますね。満潮前みたいです。大島川西支川は下流の大横川に合流直後隅田川に合流するので東京湾の潮の影響を受けます。
ところで中の堀川樋門の役割はなんでしょう。新小名木川水門やこれから訪ねる大島川水門のように隅田川に面する外郭水門とは違い防潮機能は不要です。外郭水門と連動した開閉操作をしているのでしょうかね・・・。


中の堀川・江東区佐賀2丁目
豊島橋跡から見た中の堀川です。前方で突き当り右へ曲がっています。気楽な一人旅、足の赴くままにその先を確かめに行きましたよ。100mほど先で行き止まりでした。川の袋小路です。帰宅後今昔マップの明治期を開くと行き止まりから西へ水路が伸び隅田川に合流していました。昔は隅田川と大島川(西支川)を結ぶ運河だったんですね。現在はL字型のただの池になっています。何か特別な働きがあるのでしょうかね・・・。


大島川西支川・元木橋
元木橋まで下ってきました。元木橋より大島川西支川上流を望む。右岸に中の堀川樋門が見えます。


大島川西支川・緑橋
大島川西支川を下流へ歩きます。変わったデザインの緑色の橋、緑橋です。


大島川西支線・福島橋下流
福島橋下流の大島川西支川。急に川幅が狭くなりました。


大島川西支川・大横川に合流
練兵衛橋・越中島連絡橋下流で大横川に合流する大島川西支川。


大横川の桜並木・江東区永代2
練兵衛橋より大横川上流を望む。絶好の花見日和に探訪しましたよ。(^σ^)


江東区・大横川河口の大島川水門
越中島連絡橋から隅田川方向を見ると大島川水門がどーんと立っています。防潮水門ですが今は平常時、通航用にゲートは上げてあります。


大横川河口の大島川水門
大横川を左岸に渡りました。水位目盛りが刻んであります。只今 A.P.+1.5m位ですね。満潮位A.P.+2.1mまでまだ時間があります。


大横川河口の大島川水門
隅田川から見ました。こちら側の水位目盛りは最高5mまで刻んであります。視線を右へ移し防潮堤の高さを推測すると6m以上あります。伊勢湾台風クラスの高潮A.P.+5.1mに対応した造りになっていますね。

大島川水門の概要
型式:鋼製単葉ローラーゲート
規模:有効幅11m×2連  門扉高さ7.5m
完成:昭和33年(1958)8月

大島川水門は、大横川が隅田川に合流する地点に位置し、周辺流域を高潮の侵入から守るための防潮水門です。
台風などによる高潮や津波が発生し河川の水位が上昇した時、地盤高の低い地域では浸水などの災害が起きる恐れがあります。このような時に水門を閉鎖し災害を防ぎます。また、大きな地震があった時も直ちに水門を閉鎖して水害を防ぎます。

(東京都江東治水事務所案内板より抜粋)


東京都東部低地帯のA.P.による地域色分け図
見づらいですが東京都東部低地帯のA.P.による地域色分け図です。画像をクリックすると拡大します。

A.P.(Arakawa Peil)とは、荒川工事基準面のことで、標高(東京湾平均海面T.P.)0mの時、A.P.+1.134mとなります。
(東京都江東治水事務所案内板より)


越中島の桜並木
越中島の桜並木
近くの越中島の桜並木です。桜花爛漫です~。


隅田川のテラス護岸
隅田川の永代橋
帰りは、隅田川左岸テラス護岸をぶらぶらと歩きました。工事中の永代橋です。


永代橋より隅田川下流を望む
永代橋より隅田川下流を望む。東京湾に浮かぶ摩天楼?


隅田川右岸より大島川水門を望む
おしまいに永代橋を渡り隅田川右岸からの大島川水門遠景です。今年1月霊岸島水位観測所を訪ねた帰りに同じ風景を眺めました。道すがら一度間近で見てみようと思いめぐらしていました。今日実現しましたよ!(^σ^)


大島川水門の位置(中央十字線)です。


其の560 江東三角地帯の治水施設を訪ねる・清澄排水機場

 江東三角地帯治水施設の見学がてら花見に行ってきました。まずは萬年橋の南にある清澄排水機場からです。

小名木川の萬年橋
小名木川河口に架かる萬年橋です。4月4日(木)、都営地下鉄新宿線森下駅下車。隅田川テラス護岸を下ると小名木川河口に出ます。重厚そうで貫録十分な橋です。マニアにとっては特殊な橋だそうです。


隅田川から見た小名木川河口の萬年橋
これは隅田川右岸から小名木川河口を見たところです。萬年橋は遠くから見るとスマートな橋です。萬年橋の奥に新小名木川水門が見えますね。写真のように隅田川と小名木川の水位は同じです。小名木川河口なので当たり前の話ですが、水位は東京湾の潮の干満によりA.P.±0m~+2.1mの間で変化します。このような河川を感潮河川と言うそうです。


北斎の「深川萬年橋下」
橋のたもとの案内板に北斎が浮世絵に描いた「深川萬年橋下」の写真が載っていました。小名木川から隅田川方向を見たところで優美な太鼓橋の下に富士山が描かれています。


小名木川の桜並木

新小名木川水門と桜並木
新小名木川水門付近の桜並木です。3月初めに訪ねたとき幹が太く枝振りが良かったので、今日あらためて花見をしましたよ。(^σ^)


深川稲荷神社
花見の後、深川稲荷神社前を通りました。境内に明神鳥居と神明鳥居。深川七福神のひとつ(布袋尊)として親しまれている。寛永7(1630)年創建と伝えられる。


江東区福住・仙台堀川
萬年橋通りを南下すると仙台堀川に出ます。清川橋より仙台堀川上流(東方向)を望む。花筏を観察してもまったく流れを感じません。いかにも運河と言う感じです。仙台堀川は大横川を通じ小名木川とも繋がっているので、この辺りと萬年橋の水位は同じはずです。


仙台堀川と清澄排水機場
清川橋から仙台堀川下流・隅田川の方向(西方向)を見ると今日の目的地の一つ、清澄排水機場がありましたよ。江東内部河川治水の中核施設なので是非見ておきたいところでした。

案内板の平面図・断面図によると、
排水機場が稼働すると、仙台堀川の水は粗め細めの二段構えのゴミ除けスクリーン付き除塵機を通過し、ポンプ室から吐出水槽、ボックスカルバート吐出水路、樋門を経て隅田川に排水されます。


清澄排水機場の除塵機とホッパー
隅田川の方に向って歩くと、除塵機があり手前には除去したゴミの貯留搬出口・ホッパー施設がありました。


東京都江東治水事務所清澄排水機場
東京都江東治水事務所清澄排水機場です。鉄筋三階建ての建物の中にはポンプ室のほか、水門管理センターがあり江東治水事務所管内全ての水門(13か所)、排水機場(5か所)、閘門、樋門の開閉を遠隔操作し合わせて施設の維持管理を行っています。
小名木川歩きで見た新小名木川水門扇橋閘門小名木川排水機場の開閉操作はすべてここから遠隔操作していたんですね・・・。
今年1月に訪ねた霊岸島の亀島川水門、日本橋水門もここから遠隔操作しています。ここは名前の通りセンター機能を持った江東三角地帯の中核治水施設ですね。


隅田川と荒川に挟まれた江東三角地帯の中には3か所の排水機場があります。江東内部河川の東側地域の低位河川(水位を人工的にA.P.-1.0mに抑えています)を受け持つ小名木川排水機場、木下川排水機場(いずれも荒川に排水)と西側地域の清澄排水機場(隅田川に排水)です。西側地域江東内部河川(扇橋閘門以西の小名木川・大横川・仙台堀川など)の水位は前述のように隅田川(東京湾平均干潮位A.P.±0m~平均満潮位A.P.+2.1m)と同じです。


仙台堀川・上の橋親柱

仙台堀川・上の橋親柱
これは何でしょう? 清澄排水機場の西のはずれに立つ「上の橋」の親柱モニュメントです。上の橋は仙台堀川河口に架かる橋で四隅の親柱がそのまま遺されています。これはその内の二つです。
下の写真のバックに清澄排水機場樋門が写っています。


清澄排水機場・排水樋門
隅田川左岸に面する清澄排水機場排水樋門です。
吐出水路は2連(4.5m×4.0m)の鉄筋コンクリートボックスカルバートで、道路下に敷設してあります。
ポンプは立軸、軸流ポンプ×3台。
吐出量は16㎥/秒  3台=48㎥/秒
原動機はディーゼルエンジン(1100馬力)3台

(現地案内板より抜粋)


隅田川右岸より清澄排水機場を望む

隅田川右岸より清澄排水機場・排水樋門を望む
隅田川右岸から見た清澄排水機場建屋と排水樋門です。
ゲートは上に引き上げてあります。ゲートは両側のコンクリート防潮堤天端に高さを合せていますね。このゲートは防潮堤の役目を果たしているので改修工事など特別な理由がないかぎり下げることはない・・・そんな気がします。永久にこれより下げることはないゲートですね。(^σ^)

ここは隅田川河口からおよそ3km地点ですが海と変わらないように見えます。護岸や水面から推測すると只今満潮に近い時刻と思われます。水位はA.P.+2.1mに近いと思いますよ。
水位や流れる方向が変化する感潮河川を実感しますね・・・。


おしまいに清澄排水機場の設置目的と働きについて現地案内板より抜粋して記します。
清澄排水機場は、地盤沈下の著しい江東三角地帯を水害から守り、合わせて環境の整備を行う「江東内部河川整備事業」の一環として建設された外郭ポンプ施設です。
台風などによる高波、地震による津波のときは外郭水門が閉鎖されます。このときに降った雨は下水道から内部河川に排水されます。この排水機場は内部河川に降った雨を外海(隅田川)に吐出して溢れることを防ぎます。みなさまの生活を守る重要な働きをします。



清澄排水機場の位置(中央十字線)です。


其の559 柏尾通り大山道を歩く⑩・とうふ坂~大山阿夫利神社

 前回の続きです。とうふ坂を上り千代見橋を渡りました。いよいよ大山阿夫利神社下社は目前です。今回が柏尾通り大山道の最終回です。

大山こま参道
千代見橋を渡ると土産物店やとうふ料理店が軒を連ねるこま参道に入ります。右側石垣に大山講参拝記念碑が嵌め込んであります。上り階段が延々と続きます。私は膝に難があるので帰り道が心配でした。


茶湯寺入口
途中、こま参道を左折し茶湯寺を訪ねました。鈴川に架かる橋を渡ります。百一日目にお参りすると故人と似た人に出会えるそうです。


茶湯寺入口の唯念六字名号塔
茶湯寺入口の唯念六字名号塔。書体が徳本念仏塔と似ています。


茶湯寺の本尊釈迦涅槃像
茶湯寺の本尊は釈迦涅槃像で窓ガラス越しに拝観できます(撮影は禁止)。案内板の木造釈迦涅槃像です。


茶湯寺の徳本念仏塔とお地蔵様と六地蔵
茶湯寺境内の徳本念仏塔とお地蔵様と六地蔵。


茶湯寺のわらべ地蔵
境内のユーモラスなわらべ地蔵。「頭をなでたり体にさわりたいと思い一時的にいやなことを忘れて無心になることもひとつの信心」だそうです。


雨降山大山寺参道
こま参道階段を抜け、大山川(鈴川)を渡るとまた急階段です。
「関東三十六不動札所 第一番霊場雨降山大山寺」の看板。


大山参道・男坂女坂分岐点
急階段を上るとまた階段が。左が大山寺参道の女坂。右は男坂で尾根道の急階段が大山阿夫利神社下社へ通じています。私は以前無謀にも男坂を一人で下り完全に膝に来てしまい往生した苦い経験があります。「横歩きで一段下りては両脚で立ち」の繰り返しで千段(あるように感じました)を下りました。


大山参道・シャガの花  大山参道・ミミガタテンナンショウ
階段わきで見た季節の花。左がシャガの花、右は図鑑で見るとミミガタテンナンショウでした。平地では見かけない花です。


大山ケーブルカー

大山ケーブルカー
男坂女坂分岐点から大山ケーブル駅に戻り全員が大山ケーブルカーに乗りました。大山寺は途中駅大山寺駅からすぐの所です。時間の関係で大山寺はパスし二つ目の終点阿夫利神社駅まで行きました。


大山のハイキング道
大山阿夫利神社下社は阿夫利神社駅のすぐ近くですが、先に二重の滝を見に行きました。大山阿夫利神社下社前を通過し日向薬師方面へ通じるハイキング道を進む一行。


南沢コンクリート谷止工
左手に神奈川県が築造した南沢谷止工を見ながら進みます。


ヤマルリソウ
道沿いに咲くヤマルリソウ。葉っぱが毛深いです。


二重の滝
鈴川の源流二重の滝です。今日は水が枯れています。
昔、雨乞いの参拝者は二重の滝で採水して持ち帰り、田んぼに撒いたそうです。

大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ・・・。神聖にして清浄なるところから浄めの滝とも呼ばれ、修験者の禊の行場でありました。 (案内板より抜粋)


二重社
二重の滝傍らの二重社です。
阿夫利神社の摂社で殖産、灌漑、雨乞いの守護神。萬物の生命の根源である水をつかさどり俗に龍神ともたとえられる。 
(案内板より抜粋)


大山阿夫利神社下社
二重の滝から大山阿夫利神社下社階段下へ戻りました。


大山阿夫利神社下社
大鳥居に「国土安泰・天下泰平」。そういえば田村通り大山道二の鳥居にも同じ文字が刻まれていましたね。


大山阿夫利神社下社
大山阿夫利神社下社です。江戸時代はこの地に大山寺がありましたが、明治維新政府の神仏分離令により不動堂は取り払われ、大山阿夫利神社下社となりました。大山寺はその後明治18年に現在地に再建されました。


神泉霊水「大山名水」
お参りしたあと本殿地下を見学。神泉霊水「大山名水」です。
二重の滝へ行かなくてもここで汲むことが出来ますね。


大山阿夫利神社下社の双体道祖神
道端で見かける双体道祖神がこんなところに。ぼけ封じの守護神だそうです。それにしてもお互いが相手の肩に手を回し仲睦まじいこと。ボケが心配な方は和合を見習い参拝してくださいね。


大山阿夫利神社下社本社登山口
下社の西側、山頂の大山阿夫利神社本社登山口です。関所のような門と鳥居を潜り急階段を上ると登山道になります。今日は見上げるだけです。

江戸時代、夏山の7月21日~8月16日に限り、関所の門を開け山頂の石尊社(現在の本社)へ男性に限りお参りすることが可能でした。それ以外の日は門が閉まり大山寺(現在の下社)までの参拝でした。その時代、山頂へは男性のみとされ江戸川柳で「大山は、上は金玉ばかりなり」と詠まれたそうです。女性は夏でも関所から上は登れなかったのです。


大山阿夫利神社下社からの眺望
下社大鳥居からの眺めです。あいにく視界が悪いですが、快晴であれば相模湾、江の島、三浦半島、房総半島、川のように細い東京湾などの絶景を一望できます。


大山阿夫利神社参道の無事かえる
大鳥居下の「無事かえる」。帰り道、こま参道下り階段では幸い膝に来ることなく無事帰ることが出来ました。(^σ^)


江戸の人々にとって大山参拝は手ごろな距離にあることから信仰と行楽を兼ね大人気だったそうです。当時の成人年齢は15~17才で、その齢になると一人前と認められました。大山講には新成人も加わり大人の仲間入りをしました。
大山参拝後は田村通り大山道から藤沢に入り江の島に遊ぶのが一般的だったそうです。なぜでしょう?江の島は男性に人気があったからですね。私は、大人は大山参拝後の解放感に浸り、旅の恥はかき捨て、新成人は筆下ろしにより心身ともに成人式をすませたのではないか・・・、と勝手にあらぬ想像をしております。昔の人は現代人と比較できないくらい健脚でタフだったんですね・・・。(驚)

延べ五日かけて柏尾通り大山道を歩きました。今までに歩いたことがある境川、引地川、目久尻川、相模川左岸用水路などを縦糸とすれば此度の大山道歩きは、横糸の関係になります。各所で懐かしい再会が出来、楽しく意義ある旅となりました。五日間欠席しないで完歩出来たのが最大の収穫です。まだまだ水辺歩きできそうですね・・・。(^σ^)/ 自信がつきました。
水辺歩きブログに反するかもしれませんが、いつか別ルートの大山道歩きに挑戦したいと思っています。

こま参道入口の位置(中央十字線)です。


其の558 柏尾通り大山道を歩く⑨・比々多神社~とうふ坂

 柏尾通り大山道歩きの五日目です。予定通り3月30日(土)に行ってきました。柏尾通り大山道ほか各地からの大山道が比々多神社に集まりました。参拝者は神社前の茶店で一服したあと大山を目指したそうです。相模原市立博物館FWの一行も大山阿夫利神社下社を目指します。

伊勢原市の大山道(県道611号線)
比々多神社をスタートし、県道611号線を上って行きます。直進すると旧道で、新道は左折します。大山道歩きなので旧道を進みます。


這子坂バス停近くの易往寺
大山道沿い東側、這子坂バス停近くの易往寺(いおうじ)です。元慶3年(879年)の大地震で大山寺が潰滅。復興に時間がかかると見た当時の大山寺別当四世弁真上人が元慶5年(881年)この地に一道山地蔵院易往寺を建立し移りました。


易往寺北側の唯念六字名号塔
易往寺北側の唯念六字名号塔です。見上げるほどの立派な塔です。四面に六字が大きく陰刻されていますが光線の加減で南無阿弥陀仏がはっきり読み取れません。


這子坂
旧道から少し西側に入った這子坂です。這って上るほどの急坂で昭和初期に県道が整備されるまで這子坂が大山道でした。


大山阿夫利神社三ノ鳥居
県道611号線旧道に戻り、大山阿夫利神社三の鳥居を潜ります。久々に神明形式の鳥居を見ました。ここまで明神式ばかりでした・・・。大山の懐に入ったせいでしょうか大山の頂が見えなくなりました。


大山道沿い先導師旅館
大山道沿いの先導師旅館です。これから進むにつれ先導師旅館が増えていきます。先導師は御師(おし)とも呼ばれ各地へ出かけお札を配りながら大山参拝を勧めました。合せて旅館業を営んでいます。神社の玉垣のような垣には参拝者名が刻まれています。


鈴川の新玉橋
鈴川に架かる新玉橋までやって来ました。


新玉橋より鈴川を望む
新玉橋より鈴川上流を望む。平成27年に鈴川源流を探訪した時にこの橋を渡りました。懐かしいです~。(^σ^)


「大山こま」製造元金子屋
大山道沿いの「大山こま」製造元金子屋。江戸時代からの伝統工芸品で、御師が講に大山参拝を進めるさいお札と共に配り、参拝者からはお金がこまのようにくるくる回るので土産物として人気があったそうです。


大山道の歓迎アーチ
大山道の歓迎アーチ。「ようこそ大山へ」「日本遺産大山詣り」。


先導師旅館の参拝者名
先導師旅館には参拝者の名前が刻んであります。たまたま見つけた塀に「藤栄会 名古屋松坂屋」と刻んであります。今はどうか知りませんが、子供の頃「まっさかや」と呼んでいた名古屋の老舗デパートです。銀座、上野、大阪、静岡など支店名も刻んであるので講を組み参拝したのでしょう。「藤栄会」の藤とは前身の「いとう呉服店」伊藤次郎左衞門さんからですね。


鈴川のかすみ橋
鈴川に架かるかすみ橋を渡り鈴川左岸沿いの大山道旧道に入りました。


鈴川沿いの旧大山道
鈴川沿い大山道旧道の町並み。


大山道(県道611号線)
県道611号線大山道に戻りました。急坂です。


鈴川の開亀橋
鈴川に架かる開亀橋です。桜花爛漫です~。(^σ^)


開山堂(良弁堂)

開山堂(良弁堂)案内板
開亀橋下流、鈴川左岸の開山堂(良弁堂)と案内板です。


良弁滝

良弁滝
大山寺開山時に良弁僧正が最初に水行を行ったとされる良弁滝。江戸時代たびたび錦絵や版画に取り上げられたそうです。


大山道とうふ坂

大山道とうふ坂   大山道とうふ坂
県道左側を並行する大山道旧道「とうふ坂」。江戸時代大山参拝者が手のひらに豆腐をのせ、すすりながらこの坂を登ったそうです。


千代見橋より鈴川上流を望む
かなりきつくて長い「とうふ坂」を上りきると千代見橋に出ます。千代見橋から鈴川上流を望む。崖上の石像は道祖神です。橋を渡ると有名な「こま参道」が始まります。こま参道沿い大山とうふ料理店で昼食をとりました。次回(最終回)に続きます。


今回のスタート比々多神社の位置(中央十字線)です。



其の557 荒川ロックゲートを見てきました・江戸川区小松川

 前回の小名木川排水機場のあと、隣接する国土交通省の閘門・荒川ロックゲート(Arakawa Lock Gate)を訪ねました。

荒川ロックゲート・前扉
荒川右岸堤防を貫く荒川ロックゲートです。


荒川ロックゲート・前扉
荒川河川敷から眺めるとこのようになっています。ロックゲート(前扉)は閉まっています。


荒川ロックゲート
ロックゲートから荒川を見ました。荒川・旧中川の間を出入りする船舶のための航路です。


荒川ロックゲート・前扉
内側(閘室側)から見たロックゲート前扉です。荒川が洪水になると閉めきり、堤防の役割を果たすので裏側は頑丈そうな造りになっています。


荒川ロックゲート・イメージ図
荒川ロックゲート イメージ図です。
ロックゲート(=閘門)は、水位の異なる二つの河川を繋ぐための施設で、船が乗るエレベータのような役目を果たします。荒川と旧中川は「水位差が最大で3.1m」にもなりますが、荒川ロックゲートが完成することにより結ばれ、荒川と隅田川に挟まれた「江東デルタ地帯」への水上交通が両方向から確保できるようになりました。 (国土交通省案内板より)

荒川ロックゲートを知ったのは2年くらい前ですが、なぜ荒川と旧中川に水位差が生じたのか全く理解できませんでした。
小名木川歩きの旅で良く解りました~。(^σ^)


案内板にこんなことも書いてあったので参考に記しておきます。あとで訪ねた小松川閘門のことも書かれています。

昔から荒川流域は舟運が盛んでしたが、荒川放水路の完成後荒川と旧中川との水面の高さに差ができたため、船の往来ができるよう、水位調節機能を持った小松川閘門が昭和5(1930)年に造られました。その後昭和50年代に閉鎖されましたが、川を利用した災害復旧活動が見直されるようになり、新たに平成17(2005)年に荒川ロックゲートが完成しました。これにより、荒川と旧中川・隅田川間が航行できるようになり、水上のネットワークが復活し、広域防災の一助になっています。 
(国土交通省案内板より)


荒川ロックゲート・通船の仕方
荒川ロックゲート通船の仕方です。(国土交通省の案内板より)


荒川ロックゲート
前扉から見た閘室内の様子です。ここで水位調整をします。


荒川ロックゲート・国交省管理棟
閘室側から見た右が前扉で左側の建物は国土交通省 荒川下流河川事務所 荒川ロックゲート管理棟です。


荒川ロックゲート・後扉
閘室側から見た荒川ロックゲート後扉です。前扉同様閉まっています。スクリーン付き縦長の開口は水位調整用の水通路と思われます。


荒川ロックゲートから見た旧中川
後扉管理橋から見た旧中川です。右手奥の方に平成橋が架かっています。実際に通船があれば好都合だったのですが、詳しい案内板のお陰で十分理解できました。


荒川ロックゲート・水位目盛
これは閘室内の水位目盛り(A.P.表示)です。参考に記しておきます。図の下から上へ、
・江東内部河川の平均的水位  -0.8m
・東京湾の平均的干潮位  ±0.0m
・東京湾の平均的水位  +1.1m
・東京湾の平均的満潮位  +2.1m



小松川閘門の遺構
荒川ロックゲート見学を終え荒川沿いに上流へ歩きました。左手の小高い丘の上(大島小松川公園)にあった、小松川閘門の遺構です。案内板によると三分の二が土に埋まっていて、当時の面影を偲ばせるのはこれが唯一だそうです。前扉か後扉かは記載がありません。
今昔マップを開き、新旧地図を対比すると後扉(旧中川寄りの閘門)ではないかと思います。


昭和22年当時の小名木川・中川合流地点の今昔マップです。
(今昔マップon the webより)
小松川閘門が示されています。2画面に切り替えると現在の地図と対比できます。大きい地図はページ右側サイドバーにリンクあり。



在りし日の小松川閘門です。
小松川閘門
平成橋歩道で小松川閘門の絵を見つけました。路面のタイルに描かれた昭和30年頃の小松川閘門。


小松川閘門より旧中川を望む
小松川閘門遺構から見た旧中川・小名木川合流点です。


小名木川・旧中川合流点
旧中川・小名木川合流点から見るとこのように見えます。階段の上にあるのが小松川閘門の遺構です。


中川大橋の三弦トラス橋
帰り道で見た中川大橋に並行して架かる東京水道・三弦トラス水管橋と遠景はスカイツリー。


中川大橋より旧中川上流を望む
中川大橋より旧中川上流を望む。上流の橋は都営新宿線東大島駅です。相模原市の京王線橋本駅まで一本で帰れます。ここにはもう一度来たいですね・・・。

其の556 小名木川排水機場を訪ねる・江東区東砂二丁目

 江東三角地帯の治水事情を詳しく知りたくなり小名木川を歩いています。小名木川西端の隅田川河口から歩き始め、前回は東端の旧中川合流点まで進みました。

旧中川・江東区東砂2
小名木川合流点付近から見た旧中川下流(南)方向です。前方の橋は平成橋です。
旧中川は南流しているとの思い込みがあったので実際の流れを確認しなかったのですが、これから訪ねる小名木川排水機場が平常時排水稼働する以前は北向きの流れだったそうです。えっ?!と思いますが、これより北方旧中川上流端に位置する木下川排水機場(平常時も稼働する排水機場)が稼働中はそんな状況だったのです。旧中川が逆流していたわけです。面白いですね~。


小名木川排水機場・江東区東砂2
平成橋から見た小名木川排水機場です。旧中川の南端に位置しています。東京都の施設で江東治水事務所が管理しています。


小名木川排水機場・江東区東砂2
近くまで見に行きました。除塵機が列をなしています。左隣の施設は国交省の施設・荒川ロックゲートです。あとで訪ねます。



小名木川排水機場・江東区東砂2
荒川ロックゲート側から見た小名木川排水機場の呑口側。

小名木川排水機場の概要です。
・ポンプ口径:2800mm×4台
・排水能力:72t/秒
・竣工:昭和44年度
・ディーゼルエンジンでポンプを動かしています。

(東京都 江東治水事務所HPより)


小名木川排水機場排水樋管ゲート
荒川右岸堤防から見た小名木川排水機場の排水樋管ゲート。


小名木川排水機場・排水樋管ゲート
荒川河川敷から見た小名木川排水機場樋管ゲート。平常時ですが只今稼働中です。放流水が白く泡立っています。
普通、排水機場は大雨で内部河川水位が上昇した時に稼働します。
木下川排水機場は平常時排水機能を持つ排水機場ですが、平成30年に小名木川排水機場にもその機能が追加され、現在2か所排水が可能な状況です。
先ほどちょっと触れましたが、排水機場が片方のみ稼働すると旧中川の流れる方向が随時変わることになります。面白い事象です。興味ありま~す。(^σ^)

何故2か所排水体制にしたか? 江東治水事務所HPから引用しますね。
江東内部河川の東側河川の水質の保全・再生を図るために、維持浄化用水の導入量を増加する整備を行っています。(流況改善)

東側河川とは扇橋閘門、北十間川樋門より東側の小名木川、横十間川、旧中川、北十間川のことです。これらの中のまだ知らない河川・施設をいずれ訪ねたいと思っています。


明治期の小名木川・中川合流点です。2画面に切り替えると現在の地図と対比できます。(今昔マップon the webより)


其の555 小名木川旧護岸と嵩上げ護岸の歴史・東京都江東区

 小名木川を歩きながら江東三角地帯(デルタ地帯)の治水事情を見学しております。前回は扇橋閘門まで進みました。

小名木川・小松橋より東方向の望む
扇橋閘門の東に架かる小松橋より小名木川東方向の眺めです。前回学んだように扇橋閘門西側(江東内部河川西側地域)の小名木川に比べ水位が3.0m低くなっています。これは後で述べますが江東三角地帯扇橋閘門より東側(江東内部河川東側地域)を水害から守るため人為的に水位を低く抑えているからです。
水面高さはなんとA.P.-1.0mです。東京湾干潮時A.P.が±0mなのでそれ以下の海抜(標高)ゼロメートル地帯になります。

A.P.(Arakawa Peil)とは、荒川工事基準面のことで、標高(東京湾平均海面T.P.)0mの時、A.P.+1.1344mとなります。


小名木川橋付近の水辺の散歩道
その先、小名木川橋付近の水辺の散歩道です。西側地域の散歩道は護岸天端に設置してあり、護岸壁を見ることはありませんでした。東側地域は護岸の下の方、水面近くに設置してあります。護岸は石積みで、江戸情緒を醸し出すように工夫してあります。


小名木川・小名木川橋付近 小名木川・小名木川橋付近 小名木川・小名木川橋付近の高札
灯篭や高札が立ち、江戸情緒を演出しています。


小名木川クローバー橋
小名木川と横十間川が交差するクローバー橋までやって来ました。十の字に交差する珍しい橋です。強度的にどうなんでしょうかね? 交差する点が弱そうに感じますが、専門家が設計施工したので黙って渡りましょう。(^σ^)


クローバー橋より横十間川を望む
クローバー橋より横十間川北方向を望む。スカイツリーが見えます。


クローバー橋より小名木川を望む
同、小名木川西方向(隅田川の方向)を望む。


横十間川の堰
横十間川は交差した後南へ流れると思ったのですが、このように堰があり、逆にこちらの方、北側に流れ込んでいます。横十間側は事実上、小名木川に合流し東の方へ流れて行きます。西の方には扇橋閘門があり行き止まりなので、東へ流れるしかないですね。


横十間川のマイクロ水力発電
ズームインすると堰上の水色の水滴に「マイクロ水力発電」とあり、落差を利用した小水力発電所でした。


横十間川のマイクロ水力発電
マイクロ水力発電。現在の発電電力76W。


横十間川親水公園
堰の南側は横十間川親水公園になっています。


横十間川親水公園
堰上の水門橋より横十間川南方向を望む。昔はちゃんとした運河だったものが公園化されたようです。

クローバー橋南側の横十間川になぜ落差が生じたのでしょう。
私なりに想像してみました。
地図をたどると、横十間川は南の方で仙台堀川と繋がっています。仙台堀川は西側地域の大横川とも繋がっているので東側地域の小名木川、横十間川よりも水位が高いことになります。


小名木川橋梁
その東、小名木川に架かる小名木川橋梁です。貨物専用線ですが、架線がないですね。ディーゼル機関車を走らせているのでしょう。


小名木川旧護岸
その先、新開橋を過ぎ砂島橋付近にあった「小名木川旧護岸」の遺構です。東京都 江東治水事務所が「かさあげ護岸」の歴史を後世に伝えるために遺しました。

左側に嵩上げの歴史、右側に水位が表示してあります。
右側のA.P.値は下から
東京湾平均干潮位A.P.+0.5m
東京湾平均満潮位A.P.+2.1m
現在の護岸天端高A.P.+3.36m

と表示されています。

ちなみに東側地域小名木川の水位は、扇橋閘門の案内板にA.P.-1.0mと書いてありましたね・・・。


小名木川旧護岸
左部分を拡大しました。
●一番下が在来護岸天端。以下、上に向って、
●S27年  97cm嵩上げ
●S33年  45cm嵩上げ
●S35年  30cm嵩上げ
●S37年  37cm嵩上げ
●S48年  94cm嵩上げ


凄まじい嵩上げの歴史ですね・・・。
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板にはおおよそ次のように書かれています。
隅田川と荒川に囲まれた低地帯を江東三角地帯と言います。明治末期から始まった過剰な地下水のくみ上げにより、地盤沈下が進行し江東三角地帯は東京湾満潮水位以下となりゼロメーター地帯とも呼ばれています。小名木川を始めとする江東内部河川(江東三角地帯を流れる河川の総称)の護岸は地盤沈下により嵩上げを余儀なくされました。
護岸は応急対策としての度重なる嵩上げにより構造的に脆弱化し、大地震が発生した際の護岸崩壊による水害の危険性が心配されるようになりました。昭和46年~平成5年に行われた江東内部河川整備事業により、東側地域河川は荒川など周辺河川から締切り、周辺地域より水位を低く保つ「水位低下対策」が実施されました。


地盤沈下は、現在ほぼ停止状態だそうです。 
地下水の揚水規制や、水溶性天然ガスの採取の停止等の規制により、 地盤沈下は昭和48年から急速に減少し、現在ではほぼ停止状態にあります。しかし、最も沈下した江東区南砂二丁目では、累計沈下量は約4.5メートルにも達しています。 
(江東治水事務所HPより)


小名木川・塩の道橋付近
その先、大島西中付近の塩の道橋までやって来ました。


小名木川・大島西中付近
進行方向右側から大量の水が流れ込んでいます。この水はどこから来たのでしょう。


仙台堀川・横十間公園案内板
護岸天端に上がるとそこは公園化した仙台堀川公園でした。
これは公園の案内板です。地図の上は南です。赤丸が現在地で、仙台堀川を西へたどると横十間川と繋がっています。この水は公園化した仙台堀公園から流れ込んでいることが分りました。理由はクローバー橋で見た横十間川からの流入と同じですね。流入した水は東へ流れて行きます。運河に流れがないと水質保全上好ましくないので維持水として流していると思います。


小名木川
その先、小名木川沿い道路です。「かさあげ護岸の歴史」では護岸天端高A.P.+3.36m でした。東京湾平均満潮位を上回っています。


小名木川・番所橋付近
番所橋西側に架かる水管橋。今日はいろんなタイプの水管橋を見ました。


小名木川・旧中川合流点
そのまま進むと旧中川に合流します。対岸は旧中川左岸。その向こう側に荒川が流れています。


小名木川・旧中川合流点
合流点付近、旧中川右岸から見た旧中川。中川大橋の方に水陸両用バス・スカイダックが見えましたよ。


水陸両用バス・スカイダック
ズームインすると、乗客が降りています。スクリューが見えます。

小名木川の東端まで来たところですが、そのまま旧中川を下流へ歩いたので次回に続きます。


今回のスタート、小松橋の位置(中央十字線)です。