
その一回目、新小名木川水門を前回訪ねました。新小名木川水門付近から見た小名木川東方向です。
繰り返しになりますが、小名木川はこんな川です。
小名木川は、小名木四郎兵衛が徳川家康の命を受け、1590年ごろに開削した運河です。江戸時代には行徳の塩や近郊の農作物、東北からの米、醤油等を江戸の市中へ運んだ河川で、「塩の道」とも呼ばれていました。 東京都 江東治水事務所
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板より。
小名木川は隅田川・旧中川間、江東区を東西に横切る延長約4.6kmの運河です。

萬年橋に続いて隅田川から二つ目の橋、高橋の西側に並行して水色の水管橋が架かっています。

左岸に設置の水辺の散歩道を歩きました。水管橋と高橋を潜ります。
水管橋は、銘板がなく施設名は不明ですが、東京水道(東京都水道局)の上水道か工業用水送水管と思われます。

次に水辺の散歩道は西深川橋を潜ります。「頭上の橋桁に注意」の看板。散歩道と橋桁間が狭いので一旦下りまた上ります。西深川橋下部分に水辺の散歩道用浮橋が架けてあります。

浮桟橋は知っていますが、人が通行するための浮橋とは面白い橋です。この辺りの水位は隅田川と同じなので潮の影響を受けます。橋は潮位に合わせて自動的に上下します。

東深川橋付近の水辺の散歩道です。

東深川橋に並行して架かる水管橋。ケーブルで水道管を吊っています。銘板がなく不明ですがエアバルブが付いているので高橋の水管橋同様東京水道の施設と思われます。

大富橋東側、対岸の浮桟橋に係留の小型船舶。

新高橋に並行して架かる水管橋。エアバルブが見えます。これも東京水道の施設と思われます。水管橋が多いですね・・・。

続いて運河同士、小名木川と大横川の交差点です。左が歩いてきた小名木川。北方向、奥が大横川です。スカイツリーが見えます。


護岸耐震補強工事の最中でした。出来たてほやほやのコンクリート護岸。大横川の水流を観察すると北から南へゆったり流れています。

大横川に架かる扇橋を左岸へ渡りました。小名木川西方から来たTOKYO WATER TAXIが右折し大横川に入りました。隅田川から新小名木川水門を通航しこちらへ来たと思われます。真新しいコンクリ―護岸が目立ちます。

小名木川に架かる新扇橋まで来ました。その向こう側に扇橋閘門が見えます。

新扇橋から見た扇橋閘門。現在、耐震補強工事中で通航止めです。閘門の左側は管理棟で閘門の操作室や発電機があります。
江東治水事務所HPによると、
通航再開日は2019年8月1日(木)予定となっています。

新扇橋たもとの扇橋閘門耐震補強工事のお知らせ看板です。
こんなことが書いてあります。
東京都では東日本大震災を踏まえ、最大級の地震でも確実に開閉できる水門や閘門、河川から排水できる排水機場へ強化しています。扇橋閘門では、閘門(水門部)と閘室(水位を調節して船を上下移動する場所)、開閉操作を行う管理棟の耐震・耐水対策を行っています。
扇橋閘門の役割と仕組み
扇橋閘門は、地盤沈下により地震水害の危険性の高まった内部河川と隅田川の水位差(最大3m)を調整する重要な施設で、昭和51年に完成しました。川のエレベータとして、年間4,000回の操作を行い船舶の安全な航行を支えています。
内部河川とは江東三角地帯を流れる河川の総称です。以下、参考になるので案内板から引用します。
隅田川と荒川に囲まれた低地帯を江東三角地帯と言います。明治末期から始まった過剰な地下水のくみ上げにより、地盤沈下が進行し江東三角地帯は東京湾満潮水位以下となりゼロメーター地帯とも呼ばれています。小名木川を始めとする江東内部河川(江東三角地帯を流れる河川の総称)の護岸は地盤沈下により嵩上げを余儀なくされました・・・東京都 江東治水事務所
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板より。

案内図に描かれた川のエレベータの仕組み図です。拡大したので不鮮明です。画像クリックで拡大します。
私が関心を持つ内部河川水位が書いてあります。
⑤内部河川水位(A.P.-1.0m)へ調整完了
東京湾平均満潮位がA.P.+2.1mなのでその低さが分りますね。上述の隅田川の水位差(最大3m)はこのことを指していると思います。

扇橋閘門東側の小松橋です。重厚で貫録のある橋です。

小松橋より扇橋閘門後扉を望む。西側の閘門は前扉と言います。水管橋が視界の邪魔をしております。

小松橋下から見ました。水位が3mも下がったとは特に感じません。人の感覚はいい加減で頼りないもんですね。(^σ^)

小松橋たもと水辺の散歩道より小名木川東方向の眺めです。
今回はここまでです。次回に続きます。
新扇橋の位置(中央十字線)です。地図を動かすと縦横に走る江東内部河川の様子を確認できます。
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