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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の554 小名木川の扇橋閘門を訪ねる・江東区猿江一丁目

 東京都・東部低地帯の治水事情を知りたくなり、小名木川を西端の隅田川から東端の旧中川に向って歩いております。

新小名木川水門東側の小名木川
その一回目、新小名木川水門を前回訪ねました。新小名木川水門付近から見た小名木川東方向です。

繰り返しになりますが、小名木川はこんな川です。
小名木川は、小名木四郎兵衛が徳川家康の命を受け、1590年ごろに開削した運河です。江戸時代には行徳の塩や近郊の農作物、東北からの米、醤油等を江戸の市中へ運んだ河川で、「塩の道」とも呼ばれていました。 東京都 江東治水事務所
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板より。

小名木川は隅田川・旧中川間、江東区を東西に横切る延長約4.6kmの運河です。


小名木川・高橋水管橋
萬年橋に続いて隅田川から二つ目の橋、高橋の西側に並行して水色の水管橋が架かっています。


小名木川、高橋・水辺の散歩道
左岸に設置の水辺の散歩道を歩きました。水管橋と高橋を潜ります。
水管橋は、銘板がなく施設名は不明ですが、東京水道(東京都水道局)の上水道か工業用水送水管と思われます。


小名木川西深川橋の浮橋
次に水辺の散歩道は西深川橋を潜ります。「頭上の橋桁に注意」の看板。散歩道と橋桁間が狭いので一旦下りまた上ります。西深川橋下部分に水辺の散歩道用浮橋が架けてあります。

小名木川西深川橋下の浮橋
浮桟橋は知っていますが、人が通行するための浮橋とは面白い橋です。この辺りの水位は隅田川と同じなので潮の影響を受けます。橋は潮位に合わせて自動的に上下します。


小名木川、水辺の散歩道・東深川橋付近
東深川橋付近の水辺の散歩道です。


小名木川東深川橋の水管橋
東深川橋に並行して架かる水管橋。ケーブルで水道管を吊っています。銘板がなく不明ですがエアバルブが付いているので高橋の水管橋同様東京水道の施設と思われます。


小名木川・大富橋付近係留船
大富橋東側、対岸の浮桟橋に係留の小型船舶。


小名木川・新高橋と水管橋
新高橋に並行して架かる水管橋。エアバルブが見えます。これも東京水道の施設と思われます。水管橋が多いですね・・・。


小名木川と大横川交差
続いて運河同士、小名木川と大横川の交差点です。左が歩いてきた小名木川。北方向、奥が大横川です。スカイツリーが見えます。

小名木川・大横川護岸耐震補強工事
小名木川・大横川護岸耐震補強工事
護岸耐震補強工事の最中でした。出来たてほやほやのコンクリート護岸。大横川の水流を観察すると北から南へゆったり流れています。

小名木川と大横川交差・tokyo water taxi
大横川に架かる扇橋を左岸へ渡りました。小名木川西方から来たTOKYO WATER TAXIが右折し大横川に入りました。隅田川から新小名木川水門を通航しこちらへ来たと思われます。真新しいコンクリ―護岸が目立ちます。


小名木川・新扇橋
小名木川に架かる新扇橋まで来ました。その向こう側に扇橋閘門が見えます。


小名木川の扇橋閘門
新扇橋から見た扇橋閘門。現在、耐震補強工事中で通航止めです。閘門の左側は管理棟で閘門の操作室や発電機があります。

江東治水事務所HPによると、
通航再開日は2019年8月1日(木)予定となっています。


扇橋閘門耐震補強工事お知らせ看板
新扇橋たもとの扇橋閘門耐震補強工事のお知らせ看板です。

こんなことが書いてあります。
東京都では東日本大震災を踏まえ、最大級の地震でも確実に開閉できる水門や閘門、河川から排水できる排水機場へ強化しています。扇橋閘門では、閘門(水門部)と閘室(水位を調節して船を上下移動する場所)、開閉操作を行う管理棟の耐震・耐水対策を行っています。

扇橋閘門の役割と仕組み
扇橋閘門は、地盤沈下により地震水害の危険性の高まった内部河川と隅田川の水位差(最大3m)を調整する重要な施設で、昭和51年に完成しました。川のエレベータとして、年間4,000回の操作を行い船舶の安全な航行を支えています。


内部河川とは江東三角地帯を流れる河川の総称です。以下、参考になるので案内板から引用します。

隅田川と荒川に囲まれた低地帯を江東三角地帯と言います。明治末期から始まった過剰な地下水のくみ上げにより、地盤沈下が進行し江東三角地帯は東京湾満潮水位以下となりゼロメーター地帯とも呼ばれています。小名木川を始めとする江東内部河川(江東三角地帯を流れる河川の総称)の護岸は地盤沈下により嵩上げを余儀なくされました・・・東京都 江東治水事務所
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板より。


扇橋閘門の仕組み
案内図に描かれた川のエレベータの仕組み図です。拡大したので不鮮明です。画像クリックで拡大します。

私が関心を持つ内部河川水位が書いてあります。
⑤内部河川水位(A.P.-1.0m)へ調整完了
東京湾平均満潮位がA.P.+2.1mなのでその低さが分りますね。上述の隅田川の水位差(最大3m)はこのことを指していると思います。


小名木川・小松橋
扇橋閘門東側の小松橋です。重厚で貫録のある橋です。


小名木川・扇橋閘門後扉
小松橋より扇橋閘門後扉を望む。西側の閘門は前扉と言います。水管橋が視界の邪魔をしております。


小名木川・扇橋閘門後扉
小松橋下から見ました。水位が3mも下がったとは特に感じません。人の感覚はいい加減で頼りないもんですね。(^σ^)


小名木川・小松橋より東方向の望む
小松橋たもと水辺の散歩道より小名木川東方向の眺めです。

今回はここまでです。次回に続きます。


新扇橋の位置(中央十字線)です。地図を動かすと縦横に走る江東内部河川の様子を確認できます。


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其の553 新小名木川水門を訪ねる・江東区常盤一丁目

 今年1月、中央区霊岸島の亀島川水門・日本橋水門を訪ね、隅田川沿い治水施設整備の一端に触れました。もっと知りたくなり、隅田川左岸側、江東区を東西に横切る小名木川をぶらぶらと歩き江東三角地帯の治水施設を見学してきました。3月9日(土)に探訪しました。

隅田川・新大橋
隅田川にやって来ました。新大橋下流、左岸テラス護岸から隅田川の眺めです。


新大橋通り
アクセスは都営地下鉄新宿線森下駅下車、新大橋通りを西へ進むと新大橋に至ります。地盤が低いので駅から新大橋に向って上り坂です。

森下駅の標高表示
森下駅出入口に貼ってあった標高表示。「ここは海抜約2.0m 万一水害発生時は堅牢な建物の3階以上へ避難してください。」津波や高潮を想定した案内ですね。この辺は地盤の低いところですが、東の方へ行くとさらに低く海抜0m以下の所があります。いわゆる海抜ゼロメートル地帯です。


新大橋たもとの防潮堤
新大橋たもと堤防内側から見た防潮堤と階段です。



隅田川新大橋たもとの防潮堤・テラス護岸
階段を下りると堤防外側のテラス護岸になります。
防潮堤の高さは如何ほどあるのでしょう? 
東京都 江東治水事務所HPによると、
「我が国史上最大の高潮被害をもたらした昭和34年9月の伊勢湾台風級の高潮(A.P.+5.1m)に対応できるよう計画し、整備を進めています」とあるので防潮堤天端はそれ以上の高さがあります。

A.P.(Arakawa Peil)とは、荒川工事基準面のことで、標高(東京湾平均海面T.P.)0mの時、A.P.+1.1344mとなります。


隅田川左岸のテラス護岸・新大橋下流
テラス護岸より下流を望む。水に親しめるように造ってあります。見た目は優しい護岸ですが、テラス護岸の下に2列の鋼矢板が地中深く打ち込んであり、堅牢な構造になっています。


小名木川河口と萬年橋
テラス護岸を南下すると小名木川河口に出ます。河口より小名木川東方向を望む。目の前の橋は萬年橋で、その向こう側が新小名木川水門です。左側防潮堤の上が「江東区芭蕉庵史跡展望庭園」となっているのでちょっと寄ってみます。


隅田川防潮堤・芭蕉庵史跡展望公園前
萬年橋のたもとから堤防内側に入りました。正面の刑務所の塀のような壁が隅田川防潮堤です。左側に江東区芭蕉庵史跡展望庭園の門があります。


芭蕉庵史跡展望庭園階段
こんな趣のある石積み階段を上ります。


芭蕉庵史跡展望庭園から隅田川の眺め
展望庭園から隅田川の眺めです。上流に新大橋が見えます。


芭蕉庵史跡展望庭園から隅田川の眺め
下流方向の眺めです。工事中の清洲橋と、手前が小名木川河口。


芭蕉翁の像・芭蕉庵史跡展望庭園
庭園内、隅田川と向き合う芭蕉の坐像「芭蕉翁の像」。
案内板によるとこの像は、芭蕉の古参門人で芭蕉の経済的な庇護者であり、深川芭蕉庵の提供者とも言われる杉山杉風が描いた像畫を基にしているそうです。


芭蕉稲荷・江東区常盤一丁目
付近の芭蕉稲荷です。右側に「史跡芭蕉庵跡」と刻まれた石碑が立っています。芭蕉は芭蕉庵を本拠にして奥の細道始め全国の旅に出ました。

芭蕉庵の石造りの蛙
境内のあちこちに石造りの蛙さんが置いてありました。
「古池や蛙飛び込む水の音」ゆかりの蛙さんですね・・・。


新小名木川水門
さて、本題に入ります。萬年橋から見た新小名木川水門です。

•形式:鋼製単葉ローラーゲート
•径間:11m×3連
•門扉高さ:7.8m
•竣工:昭和36年度  
(江東治水事務所HPより)


新小名木川水門
ズームインしました。ゲート(門扉)は開で、通航用の信号が青になっています。ゲート下の高さA.P.+4.9mの表示があります。
門扉高さは7.8mあり。A.P.+5.1mを、余裕をもって超えているので高潮対策については充分ですね。


新小名木川水門
北側ゲートは只今工事中です。小名木川の流れを観察すると東向きに緩やかに流れています。当然河口の方へ流れていると思ったのですが逆向きの流れです。潮の関係でしょうかね。


小名木川左岸防潮堤
小名木川南側道路から見た左岸(河口に向って左側)防潮堤です。


新小名木川水門
南側道路からズームインで見た新小名木川水門。


新小名木川水門
東側散策路から見た新小名木川水門。

新小名木川水門の役割は1月に見学した亀島川水門と同じです。台風時の高潮進入から地域を守るための水門で、大地震発生時は直ちにゲートを閉鎖し津波に備えます。普段は航行する船の出入口となっています。

亀島川水門には排水機場が併設してありましたがこちらは見当たらないです。ここから南に約500m離れたところにある清澄排水機場がその役割を担っていると思います。


新小名木川水門東側の小名木川
新小名木川水門を背に東方向の眺望です。桜の大木あり、花の時期にまた来たいですね。


ところで小名木川ってどんな川でしょうか? 資料を見つけたので簡単に説明します。
小名木川は、小名木四郎兵衛が徳川家康の命を受け、1590年ごろに開削した運河です。江戸時代には行徳の塩や近郊の農作物、東北からの米、醤油等を江戸の市中へ運んだ河川で、「塩の道」とも呼ばれていました。 東京都 江東治水事務所
「小名木川かさあげ護岸の歴史」案内板より
400年以上の歴史がある運河です。凄いですね・・・。

きょうは小名木川左岸に沿って東端の旧中川から荒川まで治水施設を見ながら歩きました。その模様は次回以降に発表します。

新小名木川水門の位置(中央十字線)です。


其の552 柏尾通り大山道を歩く⑧・東名高速~比々多神社

 咳止地蔵尊で矢倉沢往還と別れ、大山道(柏尾通り・青山通り)を大山阿夫利神社目指して歩いています。前回は上粕屋の東名高速まで進みました。

双体道祖神・大山道
東名高速を潜ると大山道沿いに双体道祖神が祀ってありました。

大山道・伊勢原市上粕屋
大山道はいよいよ上り勾配になりました。右側の水路は大山を源流とする大山川(鈴川)から引いた千石堰用水と(千石用水・千石堀・道灌堀とも)呼ばれる用水路です。この先石倉橋まで千石堰用水路沿いに坂道を上って行きます。


三所石橋造立供養塔
大山道沿いの「三所石橋造立供養塔」です。千石堰用水路に架かる三か所の石橋を供養するために洞昌院住職と村人によって建てられました。享和2年(1802年)造立。


大山阿夫利神社二ノ鳥居
三所石橋造立供養塔近くに立つ大山阿夫利神社二の鳥居に寄り道をしました。
田村通り大山道と県道611号線が交わる△地点に立つ二の鳥居です。柱に嘉永四年(1851年)再建と刻まれています。典型的な明神形式の鳥居ですね。一の鳥居は田村通りが東海道から分岐する地点(検索は、藤沢市城南1-1-31 大山阿夫利神社一の鳥居)に立っています。


千石堰用水路と大山道
大山道に戻り千石堰用水路沿いに坂道を上って行きます。


大山・伊勢原市上粕屋大山道より
右手に大山を望む。だんだんと大きくなっています。


太田道灌墓所・伊勢原市上粕屋
途中右折し、洞昌院本堂北西に在る太田道灌墓所を訪ねました。前回下糟屋の墓所で述べたように洞昌院のお墓は胴塚とも呼ばれています。墓前の二株の枯れ木は「手向けの松」と伝えられています。


洞昌院・伊勢原市上粕屋
蟠龍山洞昌院本堂です。開基は太田道灌です。


洞昌院の観音順礼塔
境内に立つ観音順礼塔です。もと高根の辻にあったものをこちらに移設したそうです。道標を兼ねています。道標は庚申塔とばっかり思っていましたが順礼塔にも刻まれていました。


七人塚・伊勢原市上粕屋大久保
七人塚前を通りました。
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌、謀叛心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣七人の墓で「七人塚」と伝えられています・・・。  環境省・神奈川県   (案内板より抜粋)


上粕屋神社・伊勢原市上粕屋

上粕屋神社
次に上粕屋神社を訪ねました。こちらも明神鳥居で鐘楼がありますね。由緒書きによるとおよそ1200年の歴史ある神社です。
大同、弘仁(806~824年)の頃、近江の国の日吉神を当所に移し勧請したと伝える。又、風土記によれば天平年中に僧良弁の勧請なりと言う・・・。 (上粕屋神社由緒書きより抜粋)


大山道道標  大山道道標
大山道に戻りました。千石堰用水路沿いの大山道道標です。
正面に「上り 大山道」、右側面に「下り 戸田道 厚木道」、左側面に「寛政十一年未年六月 当村念仏講中」、裏面に「右は田村道 左は村道」と刻まれています。 (案内板より)
他に道標を兼ねた庚申塔、道祖神が並んでいました。


大山道の庚申塔
その先大山道沿いの庚申塔。右端は道標を兼ねています。


千石堰用水路と大山道
大山に向って千石堰用水路沿い坂道を上る。


大山道と暗渠の千石堰用水路
左折し、田村通り大山道(県道611号線)手前で暗渠になった千石堰用水路。


大山道・石倉橋交差点
田村通り大山道に合流しました。目の前の交差点は石倉橋。
大山は真正面です。左の方から交差点に入るのは金目道(かない道・県道612号線)。


大山道・県道611号線
石倉の信号を過ぎ大山道(県道611号線)を行くFW一行。
只今第2東名高速の工事が真っ盛り、大型ダンプがひっきりなしに通るので要注意です。


大山道沿いの道祖神
県道脇の道祖神です。両脇に五輪塔らしきものが立っています。


もと石倉橋交差点にあった大山道道標です。
(2015年1月撮影)
大山道道標・石倉橋交差点より移設

大山道道標・石倉橋交差点から移設
これは鈴川沿いの道標です。平成27年(2015年)1月に鈴川源流を探訪した時に見つけた大山道の道標です。場所は石倉橋の西、鈴川左岸崖上の道です。案内板によると、もとは石倉橋交差点にあったそうです。当時も第2東名高速の工事を行っていたのでこちらへ避難させたものと思われます。FW当日はコース外で行かなかったのですが、現在もそのままと思います。

「左 戸田 あつぎ 青山道」「右 いせ原 田むら 江の島道」と読み取れます。大山参拝後、それぞれの方面へ向かう帰り道の道標です。旅人の道中の安全を祈って不動明王を戴いています。


日々田神社

子易明神・日々田神社
大山道沿いの子易明神・比々多神社に到着しました。古の昔から安産守護の神として崇められてきました。


日々田神社・向拝の柱
比々多神社向拝の柱です。子宝安産を願う参詣者が少しずつ削り取り持ち帰ったので細くなっています。煎じて飲むとご利益があると信じられてきたそうです。今は禁止されています。


日々田神社境内の庚申塔
境内の庚申塔です。「奉納 庚申供養」と刻まれています。
3匹のお猿さんも彫ってあります。

柏尾通り、青山通り、田村通り大山道はここ子易明神・比々多神社に集まっています。資料によると、各地からの登拝者は子易明神前広場の茶店で一服したあと、いよいよ大山へ向けて出発したそうです。

柏尾通り大山道歩き四日目はここまでです。五日目(最終回)は3月30日に歩く予定です。

今回のスタート東名高速北側、双体道祖神の位置です。


其の551 柏尾通り大山道を歩く⑦・下糟屋~上粕屋の東名高速

 柏尾通り大山道歩きの四日目です。3月13日(水)、沿道の伝承地なども合わせて見ながら歩いてきました。2回に分けて投稿します。

渋田川・太田道灌墓所付近
前回歩いたように柏尾通り大山道は渋田川左岸側を東西に通じています。今日は初めに渋田川右岸にある太田道灌の墓を訪ねました。渋田川右岸沿いを行く相模原市立博物館FWの一行。私はいつものように後ろからついて行きます。


太田道灌の墓(首塚)・伊勢原市下糟屋
伊勢原市指定史跡「太田道灌の墓」です。
太田道灌は主君上杉定正の居館糟屋館(伊勢原市内)で文明18年(1486年)7月26日、定正の命により暗殺された悲劇の主人公です。太田道灌の墓は伊勢原市内に2か所あり、俗に上粕屋の墓を胴塚、ここ下糟屋の墓を首塚と呼んでいる。 (案内板及び資料より)


伊勢原市下糟屋・大山道
渋田川を渡り大山道に戻りました。下糟屋の普済寺前から見た大山道の西方向です。前回探訪を終えた糟屋下宿T字路交差点の西側になり、柏尾通り大山道と矢倉沢往還の青山通り大山道が重なっています。


千秋山普済禅寺・伊勢原市下糟屋
普済寺前の寺号標に「臨済宗建長寺派 千秋山 普済禅寺」。


普済寺と多宝塔
普済寺本堂と左側の石造りの塔は「多宝塔」です。


普済寺の多宝塔
多宝塔は伊勢原市指定重要文化財に指定されています。
当日配布資料によると「もと高部屋神社の別当糟屋山神宮寺のもので、明治のはじめ頃、神宮寺が廃されるに及びこの普済寺へ移されたものである」

傍らの案内板には次のように書かれています。
この多宝塔は、今からおよそ200年前、幕府の命令によりこの地の禅僧が未開の北海道に派遣され、苦難を重ねて民生の安定に努め、使命を果たして帰ってきた後、北辺の地の安泰を祈願して建てたものです。 (案内板より抜粋)


高部屋神社・伊勢原市下糟屋
次に訪ねたのが近くの高部屋神社です。上述のように多宝塔はこの神社内別当糟屋山神宮寺にありました。社号標に「延喜式内 高部屋神社」。
鳥居の形式は明神鳥居ですね。大山道を歩くようになってから鳥居の形式に注目しているのですがこれまでは明神鳥居が多かったですね。


高部屋神社の鐘楼
鐘楼があります。明治維新の神仏分離で別当寺の神宮寺は廃されました。鐘楼は生き残ったということでしょうかね。


高部屋神社・伊勢原市下糟屋
皆さん上方に注目しています。彫り物でしょうか。私は茅葺屋根に目が行きました。


高部屋神社の庚申塔
境内の庚申塔です。下部に3匹のお猿さんが彫ってあります。左側面に享保拾一年丙午十二月吉日とあり、造立は1726年です。今から293年前、凄いですね!


高部屋神社の庚申塔(猿田彦大神)
境内の一角にこんな真新しい庚申塔がありました。猿田彦大神と刻まれています。道路から見上げて撮影したので造立年等は不明です。そういえば前回厚木の若宮神社で庚申・富士・地神を兼ねた塔を拝見しましたが、仙元大菩薩の右側に猿田彦大神と刻んでありましたね。


R246下糟屋交差点付近の庚申塔
これはR246下糟屋交差点を渡ったところにあった庚申塔です。一面に一匹ずつお猿さんが彫ってあります。珍しいですね。


R246下糟屋交差点西の大山道
下糟屋交差点の先、西へ向かう大山道。相変わらず渋田川左岸側の道です。


相模川右岸幹線用水路(西部用水)
東海大学病院前で相模川右岸幹線用水路(西部用水)を渡りました。7年前に探訪したことがあるので懐かしい再会です。東海大学病院構内を地下トンネル水路で通過し、大山道の南側で開渠になったところです。大山道から下流方向を見ましたが、シーズン前なので通水はありません。すぐ下流で渋田川を伏越で潜り抜けています。通水期には相模川の磯部頭首工で取り入れここまでやって来ます。終点は平塚のすのこ橋で余水排水は鈴川に放流しています。相模川の水が延々自然流下で流れ、最後は金目川水系の鈴川に放流するところが凄いですね・・・。完璧な流域越えですよ!!


大山道・伊勢原市下糟屋
さてさて、FW一行は東海大学病院前を過ぎ西へ歩いて行きます。道はまだ平坦です。


咳止地蔵尊・伊勢原市下糟屋
渋田川左岸沿い大山を背景にした咳止地蔵尊までやって来ました。左側フェンスが渋田川です。
ここは重要な地点で、柏尾通り大山道(この辺りでは戸田道とも言う)と重なっていた矢倉沢往還(青山道り大山道)が左右に分岐します。


渋田川に架かる市米橋
咳止地蔵尊近くの渋田川に架かる市米橋です。大山道(柏尾通り、青山通り)は右岸に渡り信号を右折、ひなた道(県道63号線)に入ります。矢倉沢往還は市米橋を渡り直進します。


田中山 耕雲禅寺
次に大山道の道標を兼ねた庚申塔を拝見するため矢倉沢往還沿いの耕雲寺を訪ねました。寺号標に「田中山 耕雲禅寺」。


耕雲寺の庚申塔
山門内側の庚申塔です。傍らに案内板が立っていました。
江戸時代、享保十三年(1728年)の造立。元は咳止地蔵尊の所にあった。「おふや満みち」「ひなた道」と彫られ、柏尾通り大山道と矢倉沢往還(青山通り)の分岐点に位置していた。


大山道・伊勢原市
さて、市米橋交差点に戻りひなた道(県道63号線)を西に進みます。私はいつものように最後尾をキープしております。


大山道・伊勢原市
大山道は交差点から150mほど行ったところを左折します。
左側に赤色の標識が立っています。

大山道道標
現代の大山道道標です。この先の要所にも立ててありました。


大山道・伊勢原市田中
ブドウ、柿、イチジクなど果樹園地帯を通る大山道。


大山道・県営峰岸団地付近
県営峰岸団地付近。赤色の大山街道道標がかかっています。


大山道・伊勢原市上粕屋
東名高速に突き当たるので左折し50mほど先で東名高速を潜ります。進行方向右側道沿いに細い水路が出現しました。

途中ですが今回はここまでです。次回に続きます。


最初に訪ねた太田道灌墓所の位置(中央十字線)です。


其の550 天皇陛下御在位三十年記念ダムカード・宮ヶ瀬ダム

 平成31年2月24日(日)から天皇陛下御在位三十年記念ダムカードの配布が始まったので行ってきました。


宮ヶ瀬ダム
県道514号線から見た宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋。


天皇陛下御在位三十年記念ダムカードです。
宮ヶ瀬ダム・天皇陛下御在位三十年記念ダムカード

石小屋ダム・天皇陛下御在位三十年記念ダムカード
「天皇陛下御在位三十年記念 平成三十一年二月二十四日」
宮ヶ瀬ダムと石小屋ダムの2枚セットです。
 
配布期間
平成31年2月24日(日) ~ 平成31年5月31日(金)
配布場所
水とエネルギー館又は相模川水系広域ダム管理事務所



せっかくなのでダムサイトを一巡りしてきました。
宮ヶ瀬ダム
宮ヶ瀬ダムは降雨が少なく水位が下がっています。
かながわの水がめ(右欄サイドバーのリンク)を開くと貯水状況が分かります。左岸の建物は相模川水系広域ダム管理事務所です。


宮ヶ瀬湖
宮ヶ瀬ダム天端より宮ヶ瀬湖の眺め。


宮ヶ瀬ダムより下流を望む
宮ヶ瀬ダム天端より下流方向の眺めです。ランドマークタワーは霞んでいて見えません。


宮ヶ瀬ダム
エレベータでダム直下へ。愛川第1発電所変電施設前より。


宮ヶ瀬ダム
新石小屋橋からの眺め。ここは観光放流の隠れビューポイントですよ。


2019宮ヶ瀬ダム観光放流のスケジュール
宮ヶ瀬ダム観光放流のスケジュール(2019年4月~11月)です。


新石小屋橋
新石小屋橋です。アーチ型の橋。ケーブルで吊っていますね。


石小屋ダム記念モニュメント
巨岩のモニュメント。岩はFRP製のドンガラです。ダムが出来る前、中津峡谷にはこんな巨岩がごろごろしていたそうです。


石小屋湖
副ダムの石小屋ダムで堰き止めた石小屋湖です。やはり水位が下がっています。津久井導水路取水口が見えますが、この水位ではそれどころではありませんね・・・。


石小屋ダム
宮ヶ瀬ダムの副ダム石小屋ダムです。洪水吐ゲートがない自由越流堤のダムです。


石小屋ダムより中津川を望む
石小屋ダムより中津川を望む。左岸に利水放流設備と愛川第2発電所が見えます。中津川は下流の厚木市で相模川に合流しています。


宮ヶ瀬ダム・水とエネルギー館
再びエレベータでダム天端に戻りました。右岸の水とエネルギー館です。ダムカードは入って左側の受付でもらえます。

愛川第一発電所・水車発電機模型
館内に展示の愛川第1発電所・水車発電機模型です。本物の約四分の一の大きさで、水車部分は実験用としてつくられたそうです。


宮ヶ瀬ダム・ダムカレー
おしまいに同館でダムカレーを美味しくいただき帰路につきました。旗の下ウインナソーセージの栓を抜くと下流に流れます。
洪水吐ですね・・・。(^σ^)


宮ヶ瀬ダムの位置です。


其の549 柏尾通り大山道を歩く⑥・居合橋~伊勢原市下糟屋

 前回の続きです。前回は海老名市の居合橋まで進みました。

柏尾通り大山道・居合橋
相模川左岸幹線用水路と原川を渡る居合橋です。


柏尾通り大山道・海老名市門沢橋
居合橋から道なりに西へ。県道46号線を横断し柏尾通り大山道を行く相模原市立博物館FWの一行。


柏尾通り大山道・相模線踏切
JR相模線踏切を渡ります。相模線は単線です。


永池川・海老名市門沢橋
永池川に架かる大橋を渡りました。上流の橋は相模線の鉄橋です。


渋谷神社・海老名市門沢橋
大山道沿いの渋谷神社です。社号標に「村社渋谷神社」とあり昔からこの辺り門沢橋の鎮守だったのでしょう。本殿は江戸時代中期寛保元年(1741年)築。徳川吉宗の時代の建築様式を今に残す貴重な建物で海老名市の重要文化財に指定されています。お宮さんなのに鐘楼がありますね。明治維新前は神仏習合と言ってこれが当たり前の風景でした。鳥居は「明神鳥居」です。前回の本郷神社は「神明鳥居」でした。ややこしい~。


柏尾通り大山道・海老名市門沢橋
柏尾通り大山道を行くFW一行。ここは海老名市門沢橋3丁目。


柏尾通り大山道・海老名市門沢橋
前方圏央道の手前大銀杏の下に赤色の柵が見えます。


柏尾通り大山道・海老名市門沢橋の道標
上に不動明王を戴いた大山道道標でした。ここは昨年相模川旧堤防を歩いた時に通りました。
今までに出会った不動明王と違い比較的優しいお顔ですね。
光背火焔に彩色を施してあります。


戸田の渡し案内板
赤柵に掲示の戸田の渡し跡の案内板です。大山詣での人々はここから渡し船で対岸の厚木へ渡りました。


相模川の戸沢橋
道標から150mほど北の県道22号線戸沢橋を渡りました。


戸沢橋より相模川下流を望む
戸沢橋より相模川下流を望む。戸田の渡し場は戸田橋下流にありました。


戸沢橋より大山を望む
戸沢橋より眼前の大山を望む。もうすぐですね・・・。


相模川右岸・厚木市の戸田の渡し地名標柱
対岸土手下の厚木市が立てた「戸田の渡し」地名標柱。戸田橋より少し下流になります。


柏尾通り大山道・厚木市戸田
柏尾通り大山道は「戸田の渡し」地名標柱から西に向かっています。


県道22号線案内標識
その先で県道22号線に合流。R129手前の案内標識です。


若宮八幡宮の庚申・富士・地神信仰石像
R129を渡り県道北方の若宮八幡宮に寄り道しました。
珍しいこの石像を拝観するためです。上部に日輪月輪、中央に「仙元大菩薩」その左右に「堅牢大地神」「猿田彦大神」と刻んであります。デザインは長後駅近くの仙元塚(浅間塚=富士塚)とそっくりです。「仙元大菩薩」と刻まれているのもまったく同じですね。
この像の裏面に「安政七庚申年四月」(1860年)とあり、60年に一度の庚申年の造立です。この像は庚申・富士・地神三つの信仰が一緒になった珍しい石像物です。


若宮八幡宮の庚申塔
隣に立つ庚申塔です。造立年は不詳です。


天宗寺入口の大山道道標
これは県道22号線天宗寺入口交差点角の大山道道標です。
右側面に「左大山道」、正面に「左ほしのや観音 右戸田舟渡道」と刻まれています。どこかに在ったものをここへ移転したらしく方向がずれています。


柏尾通り大山道・防災センター前
柏尾通り大山道は県道22号線から北側へ逸れ、一行は防災センター前を歩いています。大山が良く望めました。まっすぐ進むと長徳寺に突き当たります。


大山みち道標・長徳寺南側
これは長徳寺南側にあった大山道道標です。「左大山道 右戸田舟渡」と刻まれています。


旧玉川河道跡
県道22号線に戻り旧玉川を渡り伊勢原市に入りました。これは普通の道に見えますが旧玉川河道跡です。桜並木が残っています。旧玉川は厚木市と伊勢原市の境界となっています。


柏尾通り大山道道標・長沼交差点
県道長沼交差点角の大山道道標です。上に不動明王を戴いています。この道標は伊勢原市登録文化財です。
傍らの案内板によると、天保六年(1835年)建立。
「右 大山道」「左 飛ら塚」「左 戸田船渡」と刻まれています。


渋田川と柏尾通り大山道
県道をどんどん西へ進み、歌川に架かる畠田橋を渡り、渋田川分水路左岸沿いに渋田新橋を見ながら渋田川を上流へ歩きました。渋田川左岸沿いの柏尾通り大山道です。大山が目の前です。高架橋は工事中の第二東名高速。


柏尾通り大山道の庚申塔
柏尾通り大山道右側の庚申塔です。左側面に「柏尾道」と大きく刻まれ道標を兼ねています。


柏尾通り大山道・小田急線交差
小田急線の踏切を渡ります。ここは伊勢原市下糟屋。


柏尾通り大山道と矢倉沢往還交差点
糟屋下宿T字路交差点までやって来ました。ここは大山道同士が合流する交通の要所で、右側から来た道は同じ大山道の矢倉沢往還です。江戸から明治にかけ大山信仰が盛んなころこの辺りはとても繁盛したそうです。


糟屋下宿交差点から見た矢倉沢往還
糟屋下宿交差点から見た矢倉沢往還。帰りは近くの糟谷下宿バス停から愛甲石田駅行きバスに乗車。バスで矢倉沢往還を通りましたが石田交差点でR246(青山道・矢倉沢往還・大山街道とも呼ばれる)に合流していました。

大山道歩き三日目で伊勢原市に入りました。次回は3月13日に歩く予定です。


今回のスタート居合橋の位置(中央十字線)です。


其の548 柏尾通り大山道を歩く⑤・用田辻~海老名市居合橋

 柏尾通り大山道歩きの三日目です。2月23日(土)、藤沢市の用田辻から伊勢原市の下糟屋まで歩きました。2回に分けて投稿します。

用田辻の大山道道標・不動明王坐像
用田辻の大山道道標の上にどっかり座る不動明王像。なぜ不動明王なんでしょうか?今回の大山道歩きは戸塚の大山不動堂から伊勢原市の大山寺、大山阿夫利神社下社へ向かっているのですが、大山寺のご本尊は不動明王なんですよね・・・。


企業団目久尻川水管橋
用田辻から県道22号線をだらだら下って行くと目久尻川が流れています。用田橋上流側に架かる企業団目久尻川水管橋です。藤沢市の稲荷給水地点へ向かう酒匂川系統の送水管路線です。以前ここを通ったことがあるのでその時に調べました。


用田橋より目久尻川下流を望む
用田橋より目久尻川下流を望む。藤沢市目久尻川用排水組合の農業用取水堰が見えます。以前探訪したので懐かしい再会です。左岸側は藤沢市、右岸側は海老名市です。


大山みち道標・海老名市本郷
大山道は用田橋を渡ったところで県道を左折し脇道に入ります。大山道沿いの大山道道標です。不動明王を戴き「左大山道」と刻まれています。


柏尾通り大山道・海老名市本郷
大山道は右カーブし目久尻川から離れ西へ向かう上り坂となります。寿閑寺前を行く相模原市立博物館FWの一行。私は例によって最後尾をついていきます。


柏尾通り大山道・海老名市本郷
坂を上りきり台地の上を歩いています。左側の巨木は海老名市保存樹木タブの木です。


真光寺の石造物置場
その近く、真光寺の一角に石像物の残骸?が集めてありました。欠けた道祖神が混じっています。


真光寺地蔵尊

真光寺地蔵尊前の観音像  真光寺地蔵尊前の徳本念仏塔
真光寺地蔵尊です。地蔵尊前に観音像と独特の書体の徳本念仏塔が立っています。
下の写真の左は観音像、右が徳本念仏塔。


大山道庚申塔
大山道は真光寺の先で再び県道22号線に合流します。大山道沿いの庚申塔です。道標を兼ねており、左側面に「左大山みち」右側面に「右かしおみち」と刻まれています。


本郷神社・海老名市本郷
大山道沿い本郷神社に参拝しました。社号標「村社本郷神社」。普段何気なく見ている鳥居は調べてみると色々な種類があります。直線的なこの鳥居は神明鳥居と言います。


柏尾通り大山道・海老名市本郷
本郷神社の次は県道を南へ横断し細い道に入りました。南下する大山道。


大山道道標・海老名市本郷
道路右側の秩父坂東供養塔に刻まれた大山道道標。弘化四未年(1847年)造立。


大山道道標・海老名市本郷
さらに400mほど進むと交差点角にお堂があります。


大山道道標・海老名市本郷
お堂の中に不動明王坐像と二十三夜塔が祀ってあります。不動明王光背の火焔が色鮮やかで凄いですね・・・。当日配布資料によると「南一之宮道 北かしおみち ふじさわみち」と刻まれ、大山道道標を兼ねています。


柏尾通り大山道・海老名市本郷
交差点を右折し西へ向かうFW一行。その先で左折します。


延命寺子育て地蔵尊
柏尾通り大山道沿いの延命寺子育て地蔵尊です。


柏尾通り大山道・海老名市本郷
その先居合公民館東側交差点を右折し、柏尾通り大山道を西へ向かうFW御一行様。


馬頭観音のお堂
ブロック塀に挟まれた道端のお堂。馬頭観世音像↓です。

馬頭観世音像・海老名市本郷
「馬頭観世音菩薩為二世安楽也」と、かろうじて読めました。
明和二酉(1765年)四月十八日造立。


柏尾通り大山道の案内板
長らく続いた相模原台地を下ります。居合坂の途中に海老名市が設置した「柏尾通り大山道案内板」です。
この道は、江戸時代の「大山道」です。庶民の信仰を集める大山へ、お参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道を通り相模川を渡り大山へと向かっていきました。今も昔の「大山道」とほぼ同じ道筋をなしています。 海老名市教育委員会


柏尾通り大山道・居合橋
相模川左岸幹線用水路に架かる居合橋を渡りました。ここは以前同用水路を磯部頭首工から茅ヶ崎の室田終点までたどったことがあるので久しぶりの再会です。大変懐かしいです~。(^σ^)


相模川左岸幹線用水路と居合橋
相模川左岸幹線用水路上流側から見た居合橋。いまは田んぼに水を送らない時期なので空の用水路です。写真では分りづらいですが用水路の下を原川が交差しています。原川の上を用水路が水路橋で渡る河川と用水路の立体交差です。


原川・海老名市本郷
用水路から見た深い位置を流れる原川上流方向です。

今日は半日かけて藤沢市、海老名市、厚木市、伊勢原市を横断しました。長くなるのでこの続き下糟屋までは次回投稿いたします。

今回のスタート用田辻の位置(中央十字点)です。