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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の547 農業集落排水施設を見てきました・相模原市緑区牧野

 前回の「根小屋の富士塚」に続き相模原市の話題です。
今回は水がらみの話です。昨年、相模原市立博物館FWで緑区牧野地区石像物巡りに行きました。そこで偶然道端の農業集落排水施設を見つけ、市内に農業集落排水なる施設があることを初めて知りました。(驚)
2月18日(月)晴れ、その全容をつかむため周辺を視察してきました。と言ってもただ表から眺めただけですが・・・。

相模ダム
R412を走ったので久しぶりに相模ダムに寄りました。冬場の渇水のせいか水位が下がっています。


相模ダムより相模発電所を望む
ダム堤体上の管理橋・築井大橋からの眺めです。神奈川県営相模発電所と変電設備が見えます。
相模湖で貯めた水は相模発電所の水車を回したあと維持水として流れ、下流の沼本ダムで再び貯め津久井分水池経由神奈川県営水道、横浜水道、川崎水道へ送られ上水道・工業用水として利用されています。その一部は東京分水として多摩川を越え東京都まで行っています。


相模ダム・70周年記念ダムカード
一昨年入手した相模ダム70周年記念ダムカードです。
相模ダムは昭和22(1947)年6月に完成。平成29(2017)年に満70周年を迎えました。

相模ダム・70周年記念ダムカード
70周年記念ダムカード裏面です。目的記号に注目。
畑かん事業が中止になり上の新しいVerではA(かんがい用水)が抜けています。


相模湖の勝瀬橋
R412からR20(甲州街道)に入り勝瀬橋を渡りました。相模湖右岸から見た勝瀬橋です。ケーブルで吊っていますが、このタイプの橋は「斜張橋」と言うそうです。


勝瀬橋より相模湖を望む
勝瀬橋より相模湖を望む。美しい湖面です。相模湖は神奈川県の重要な水がめの一つです。きれいな水質を常時保つ必要があります。農業集落排水建設目的の一つですね。


藤野町の農業集落排水施設
さて、日連から県道76号線に入り一路南下、丘陵地帯の牧野(まぎの)地区中尾へやって来ました。上り坂左側金網フェンスで囲った物置のような施設がFWで偶然見つけた農業集落排水施設です。「No.2ポンプ制御盤 農業集落排水」と表示してあります。相模原市HPを参照すると「マンホールポンプ施設(非常時自家用発電施設)」とあり、ポンプと発電機能を持った施設のようです。


中尾生活改善センター
そのまま坂を上って行くと左手高台に広場があり中尾生活改善センターがあります。


中尾生活改善センター付近慰霊塔
その上、丘の頂にも広場があり慰霊碑と忠魂碑が立っていました。丘の向こう側谷筋に農業集落排水処理施設があります。どのようなところかあとで訪ねます。


中尾生活改善センターより牧野地区の眺め
中尾生活改善センターから牧野地区の眺め。丘陵あり谷あり高低差が激しい地形です。

ところで農業集落排水ってなんでしょう?一言で言うと都市部で普通に見られる公共下水道の農村版です。ミニ公共下水道ですね。


中尾生活改善センター付近坂道
中尾生活改善センター近くの坂道に二石六地蔵と庚申塔が立っています。坂道の上の方に住宅があり、この道路地下に住宅から出た汚水を流すための下水管が敷設してあります。


農業集落排水マンホールフタ・藤野町
坂道にこのようなマンホールフタがありそれと分かります。
「ふじのまち」「農業集落排水」と書かれ、藤野町の鳥・ヤマセミが描かれています。農業集落排水施設は藤野町が相模原市と合併(平成19年)する以前に造られた施設です。


二石六地蔵・庚申塔
二石六地蔵と庚申塔を拡大しました。上に日輪月輪、恐ろしい形相の青面金剛が武器と宝輪を持っています。定番の三猿も刻まれています。造立は享和年間(1801~1803年)。


神奈川県営水道マンホールフタ
近くの坂下T字路にも神奈川県営水道のマンホールフタと共に農業集落排水のフタが並んでいました。


県道76号線・緑区牧野中尾
中尾生活改善センターから県道まで下りてきました。県道にも農業集落排水のマンホールフタがありましたよ。右側水色のフタ三枚は県営水道仕切弁です。


相模原市緑区牧野中尾
そこから西方向の谷へ下る道が分かれているのですが、県道からマンホールが見えました。下の道へ下りて確認します。


農業集落排水のマンホールフタ
やはり農業集落排水のマンホールフタです。


汚水桝・藤野町牧野中尾
道路際個人宅敷地内に円形の汚水桝があります。住宅から排水される汚水(バス・トイレ・洗面所・洗濯機・キッチンなど)はすべてこの桝に入り道路地下に敷設した下水管に流れて行きます。
都市の町中にある公共下水道と同じ仕組みですね。分流式なので雨水は別系統(道路側溝~雨水下水管)です。


ポンプ制御盤・藤野町牧野中尾
近くで見つけたポンプ制御盤です。牧野地区は高低差が激しいのでポンプは必須なんでしょうね。自然流下式と併用していると思います。
以上でおおよその事情が分かったので、最後に排水処理場を見に行きました。


大久和排水処理施設入口
県道517号線から脇道へ入ります。目の前のマンホールフタは農業集落排水のフタです。排水処理施設はこれより西の谷筋にあります。


大久和排水処理施設
大久和排水処理施設です。川上川右岸沿いに設置されています。川上川は下流で相模川水系の秋山川に合流しています。


大久和排水処理施設
正門前の「農業集落排水事業 大久和排水処理施設」プレート。


大久和排水処理施設
川上川左岸から見ました。水管橋が架かっています。西の方から来た下水管と思われます。川を渡り処理施設の中へ入っています。


大久和排水処理施設
西側坂道を上り確かめると件のマンホールフタが。間違いないなく下水管ですね。下水管は東西から処理施設へ集まっていることになります。


大久和排水処理施設・排水管更新工事案内板
正門前の工事案内看板。処理水の排水管更新工事をやっていました。


大久和排水処理施設
大久和排水処理施設の裏側の様子です。放流管は見当たらないですね。排水管更新工事はこれより下流で行っていました。右岸の護岸に放流管添架用の金具が列をなして取り付けてあったので、もっと下流で放流していると思われます。工事中で近寄れなかったのですが、いつか確かめたいと思います。


大久和排水処理施設の概要です。
① 建設目的
相模湖をはじめとする公共用水域の水質保全と快適な生活環境を目指す。
② 事業計画区域戸数
大久和、中尾及び川上の一部で129戸(処理計画人口580人)
計画汚水量1日157立方メートル
③ 施設概要
大久和排水処理施設 連続流入間欠ばっ気+砂ろ過
④ 供用開始状況
平成8年4月1日
 
(相模原市HPより抜粋引用)


私は相模川左岸流域下水道の終末処理場(茅ヶ崎市・柳島管理センター)を見学したことがあるのですが、処理水の相模湾への放流水質はBOD3.2mg/Lでした。川上川は秋山川に合流し最後に相模湖へ流れ込むのでその水質が気になります。BOD値は如何ほどでしょうか。浄水場のような砂ろ過を取り入れているのできっとそれ以上の水質なんでしょうね。BODは数値が低いほどきれいな水です。


最初の施設「No.2ポンプ制御盤」の位置です。


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其の546 根小屋の富士塚を訪ねる・相模原市緑区

 柏尾通り大山道を歩き、向導寺の富士塚、長後の仙元塚(浅間塚)を知りました。私の地元相模原市にも富士塚があることを思い出し、遅ればせながら見に行きました。

根小屋の富士塚・相模原市緑区
その富士塚は圏央道相模原ICから長竹方面へ向かう市道沿いにあります。車から見えるので以前から知っていましたが、実地に見分するのは初めてです。


根小屋の富士塚・相模原市緑区
市道前から見るとかなりの高さがあります。周りの畑と、富士塚てっぺんとの差はおよそ4mあります。


根小屋の富士塚
塚の頂に至るくの字型の道が通じています。富士塚に登ってみます。塚の上には先人が植えたヒバや桜が大木に育っています。


根小屋の富士塚上の石造物
頂上には3基の石像物が立っています。判読不能ですが、平成3年に旧津久井町教育委員会が立てた案内板によると下記のように刻まれており、かつて富士信仰が盛んであったことが分りますね。
・浅間大神(せんげんおおがみ)明治23年9月建立
・富士浅間大神 明治23年寅6月1日建立
・妙法金人水神(みょうほうこんじんすいじん)年代不明

左端は富士塚を守る会の比較的新しい記念碑です。

なおこの塚は、地元の人は「富士の森」とも呼ぶ。「新編相模国風土記稿」によれば、首塚として南金原にあり、天正18年(1590年)平岩主税(徳川軍の武将)が、津久井城を攻落し城兵の首級を獲て埋葬せし所なりと云う。 (案内板より要旨)

古くは首塚と呼ばれていたのが、江戸期から明治にかけ富士信仰が盛んになると富士塚と呼ばれるようになりました。

大山道歩きで知った長後の仙元塚(浅間塚)は、案内板によると、江戸時代中期宝永4年(1707年)に起きた富士山の噴火(宝永噴火)時に降り注いだ火山灰を村の各所から寄せ集め築造したと言われています。根小屋の富士塚にそのような記述はなく富士山降灰を使った築造ではなかったようです。


根小屋の富士塚より城山を望む
塚のてっぺんから北東方向にある城山を望む。戦国時代は城山山頂に津久井城がありました。富士塚は山城の津久井城の麓、根小屋地区にあります。この辺は山城の麓、お城の家臣団が住む地域だったんですね。
ここは相模原市緑区根小屋字富士塚1918。塚の前は神奈中富士塚バス停になっています。

おしまいに次の資料を見つけ参考にしたので記しておきます。
相模原市教育委員会が、平成26年9月にボランティアの協力を得て根小屋の富士塚の測量調査を行いました。

資料に記載の等高線入り平面図によると、
① 塚のサイズは南北20m、東西17mの楕円形。 
② 標高は周りの畑が205m、富士塚の天辺は209mで、比高差は約4m。
③ 石像物や桜やヒバの大木の位置も示してあります。
④ くの字型に曲がった道が2本あり。


根小屋の富士塚の位置(中央十字線)です。


其の545 亀島川の防潮水門と排水機場・中央区新川2丁目

 霊岸島水位観測所を訪ねたさい、ついでに亀島川の治水施設も見てきました。あれこれ感想を交えて記しておきます。

亀島川
地下鉄日比谷線八丁堀駅から亀島川沿いを下りました。これは高橋から見た亀島川下流方向です。広い川で、川と言うより運河ですね。下流の南高橋のすぐ先に水門が見えます。


亀島川水門
南高橋より亀島川下流を望む。亀島川が隅田川に合流する地点に設置された亀島川水門です。河口にある水門はたいてい本川からの逆流防止と相場は決まっているのですが、ここの場合はどうでしょう。


亀島川水門案内板
橋のたもとに東京都江東治水事務所の案内板が立っていました。親切ですね。台風時の高潮進入から地域を守るための水門で、大地震発生時は直ちにゲートを閉鎖し津波に備えるそうです。
施設名:亀島川水門
型式:鋼製単葉ローラーゲート
有効幅:15m×2連  門扉高さ:8m
完成:昭和44(1969)年3月



亀島川水門・排水機場
水門左側には排水機場も設置されています。高潮でゲートを閉鎖し外水(隅田川)を阻止しても、高潮が発生するようなときは一帯が大雨で内水(亀島川)の水位が上がるのでポンプで排水する必要があります。


亀島川水門・排水機場
亀島川水門・排水機場
下流側から見た亀島川水門と排水機場。興味深いことに亀島川上流端(日本橋川分岐点)にも防潮水門があります。あとで見に行きます。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
上記から下流を見ると霊岸島水位観測所があります。施設名の由来になった霊岸島ってどこにあるんでしょうかね・・・。


角田川右岸テラス護岸・新川2丁目
霊岸島水位観測所を見学したあとは、新川2丁目、隅田川右岸のテラス護岸を上流へ歩きました。左側堤防の上の標高は6m位あり、伊勢湾台風クラスの高潮(A.P.+5.1m)に十分耐えられそうです。

今歩いている隅田川と亀島川、日本橋川に囲まれた島のような地域(現在の新川1,2丁目)を昔は霊岸島と言っていました。


隅田川・永代橋とスカイツリー
塗装工事中の永代橋の向こう側にスカイツリーが見えました。


土木学会第1回選奨土木遺産
永代橋は清洲橋とワンセットで土木学会第1回選奨土木遺産に選定されています。


日本橋川河口
永代橋北側に日本橋川河口が見えます。白い橋は豊海橋です。


豊海橋より日本橋川上流を望む
日本橋川河口に架かる豊海橋より日本橋川上流を望む。豊海橋は現在改修工事中で架設人道橋から撮影しました。亀島川水門より700mほど上流にありますが、こちらには防潮水門がありません。なぜでしょう。上流の橋は湊橋です。


湊橋より日本橋川下流を望む
湊橋より日本橋川下流を望む。何やら工事をしています。案内看板によると日本橋川防潮堤耐震補強工事とありました。防潮堤護岸の高さを亀島川と比べるとこちらの方が高く感じます。


日本橋川の防潮堤
右岸の陸側が駐車場になっていたので防潮堤を撮りました。ちょうど工事中のクレーンの前です。防潮堤高さは2m近くあります。ということは道路面と水面は同じくらいでしょうか。


亀島川の日本橋水門
亀島川は湊橋上流右岸で日本橋川から直角に分岐しています。自然の川でこんなことは有り得ず、両川は江戸の昔に掘られた運河と言うことが分りますね。こんな時は今昔マップが強力な味方になります。
亀島川に架かる霊岸橋から見た日本橋水門です。その役割は亀島川水門と同じです。隅田川から日本橋川を遡って押し寄せる高潮(津波)から内水(亀島川)側を守るためです。

ここで豊海橋の上で感じた疑問に対する答えです。同じ隅田川に注ぐ日本橋川と亀島川。距離は700mほどしか離れていません。なぜ片方にだけ防潮水門があるのでしょう?
答えは東京都江東治水事務所HPに記述があります。防潮堤整備の違いです。整備計画の95%が完成済だそうです。

我が国史上最大の高潮被害をもたらした昭和34年9月の伊勢湾台風級の高潮(A.P.+5.1m)に対応できるよう計画し、整備を進めています。隅田川、中川、旧江戸川などの主要な河川については防潮堤等が概成しており、現在は妙見島などで整備を進めています。 (防潮堤・護岸は、計画延長168kmに対して、平成27年度末までに159.2km、95%が完成) 
(東京都江東治水事務所HPより)

今日は、結果的に知らなかったせいもあり意識しないまま霊岸島を一周してしまいました。(^σ^) 
ここは地下鉄茅場町駅のすぐ近くです。

この辺は水門、樋門、閘門などがいっぱいあり私的には大変面白そうなところです。また来たいですね・・・。


本編を書きながら沼津の「びゅうお」を思い浮かべました。沼津港外港と内港の境に設置され津波や高潮から市街地を守る日本最大級の施設です。2017年に訪れました。よろしければどうぞ。
「其の427 沼津港の大形展望水門を訪ねる」 (2017.10投稿)


亀島川水門の位置(中央十字線)です。


其の544 霊岸島水位観測所を訪ねる・中央区新川2丁目

 1月19日(土)、日本水準原点を見学したあと霊岸島水位観測所を訪ねました。日本水準原点(我が国の土地の標高を測定する基準点)の基になった東京湾平均海面は明治時代にここで測定されました。

霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
八丁堀駅から亀島川沿いに下流へ歩きました。隅田川合流点の霊岸島水位観測所です。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
隅田川から見るとこんな感じです。手前のポール(現在の水位観測所の約36m上流にある)は、明治6年(1873年)最初に観測所が設置された位置です。ポールの右側階段上に国土交通省の案内板が立っています。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
近づくと目盛りが刻んであります。海面1.6mから上は6.0mまで読み取れます。この目盛りは只今現在の海面1.6mから推測するとA.P. (Arakawa Peil)で示していると思います。

案内板によると新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部は「A.P.0mを指す」そうです。

あれっ、なんか変ですね・・・写真をじっくり見ても▽の下端部がA.P.0mとは到底思えないですね。下のイメージ図のようにT.P.0m=A.P.+1.1344mの関係なので「T.P.0mを指す」の方が合っていると思うのですが・・・。


霊岸島水位観測所・中央区新川2丁目
階段上から見た霊岸島水位観測所。管理橋が架かっています。


霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係図
階段上の案内板に載っている霊岸島水位観測所と日本水準原点の関係図です。案内板に詳しい解説がありますが、この図が一番適格で解りやすいと思います。クリックすると拡大します。


霊岸島水位観測所案内板  霊岸島水位観測所案内板
国土交通省荒川下流河川事務所が立てた案内板の一部です。参考までに要点を抜粋して記します。

① 霊岸島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.はArakawa Peilの略、Peilはオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。
② 平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年(1873年)6月から明治12年(1879年)12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。そのときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準として定めたのです。
③ その後の明治24年(1891年)5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。しかしこの値は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の影響により昭和3年(1928年)に24.4140mに改訂され現在に至っています。
④ その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
⑤ 現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施工に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。


③は前回日本水準原点見学で学んだようにその後改正されました。
平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24mm沈下したため、新たに24.3900mに改正。

きょうは、日本水準原点と霊岸島水位観測所をひとり見学しました。Arakawa Peilはこれから荒川水系の河川を歩く時に役立つと思います。


霊岸島水位観測所の位置です。


其の543 日本水準原点を訪ねる・千代田区永田町1丁目1番

 1月19日(土)、日本水準原点を見学し地理の勉強をしてきました。見学と言ってもただ表から眺めるだけです。どのようなところか以前から一度訪ねようと思っていました。

日本水準原点標庫
日本水準原点標庫。日本水準原点はこの中に納めてあります。

国会議事堂
当日は地下鉄丸ノ内線国会議事堂前駅下車。議事堂前を通りました。国会は閉会中ですが、なぜかパトカーやお巡りさんが警戒中でしたね。


国会議事堂前の通り
議事堂を背にお堀の方へ下って行きます。日本水準原点は左側の森の中にあります。所在地は千代田区永田町1丁目1番 国会前庭洋式庭園内。


日本水準原点標庫
日本水準原点を納めてある建物「日本水準原点標庫」です。東京都教育委員会の案内板によると東京都指定有形文化財(建造物)になっております。

国土地理院の案内板に次のような記述あり。抜粋します。
① 日本水準原点はわが国の土地の標高を測定する基準となる点である。
② 明治24年(1891年)5月にこの場所に設置した。
③ 日本水準原点の位置はこの建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。
④ その標高は明治6年から12年までの東京湾潮位観測による平均海面から測定したもので、当時24.500mと定めた。
⑤ 大正12年(1923年)関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140mに改正。
⑥ 平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24mm沈下したため、新たに24.3900mに改正。


日本水準原点標庫
見上げると右書きで16弁の菊花紋章付き「大日本帝国」。
ローマ風神殿建築に倣った高さ4.3m石造りの建物です。

日本水準原点標庫
右書きの「水準原点」銘板と菊花紋章入り扉。下に蝶番が見えます。バタンと手前に開くと中に水晶板が有るはずです。


電子基準点・千代田区永田町1丁目1番
こちらは隣接する「電子基準点」です。

電子基準点案内板
国土地理院「電子基準点」案内板です。
わが国や米国の衛星システムの信号を常時受信し地球上の正確な三次元位置を計測モニタリングする施設だそうです。難しい・・・。


永田町1丁目1番から東方の眺め
見学を終え地下鉄日比谷線日比谷駅まで歩きました。
日本水準原点がある台地からの眺めです。


東京都指定旧跡 江戸の名水「桜の井」
東京都指定旧跡 江戸の名水「桜の井」前を通りました。
案内板によるとここは加藤清正邸跡で清正が掘ったと伝えられています。


桜田堀と桜田門
桜田堀と桜田門です。いつも通り水辺を歩きましたよ。(^σ^)


日比谷公園心字池
日比谷公園内心字池です。雪国でもないのに雪吊りで松を保護しています。このあと霊岸島水位観測所を見学するため日比谷駅から日比谷線で八丁堀駅へ向かいました。


日本水準原点の位置です。水準点記号・電子基準点記号及び標高24.4がしっかり表示されています。


其の542 柏尾通り大山道を歩く④・長後駅~用田辻

 柏尾通り大山道歩きの二日目は、1月26日(土)、いずみ中央駅から用田辻まで歩きました。今回はその日午後の部、長後駅~用田辻間の記録です。

仙元塚の碑「仙元大菩薩」
長後駅北側の長後街道に入り、踏切を渡り西へ進みます。これは最初の交差点(長後駅入口信号)角にある仙元塚(浅間塚=富士塚)の碑です。「仙元大菩薩」と刻まれています。裏面に「慶応二丙寅」とあり1866年に仙元塚と共に築造されました。この地に高さ三丈(約9m)、広さ二十五坪(約83㎡)の塚を築きその頂に碑が置かれました。その後、道路拡幅のため縮小されました。天保の大飢饉の頃から盛んになった富士山信仰を伝えるものです。


長後市民センターの石造物
柏尾通り大山道は長後街道をそのまま西進します。次に訪れたのが長後市民センターです。こちらの庭には周辺から集めた石仏が多数並べてあります。その一部を取り上げます。左が庚申塔、右は不動明王坐像です。


長後市民センター・順礼供養塔
これは順礼供養塔です。右側面に「左大山道 右八王子 ほしのや道」とあり道標を兼ねています。正面には「月山 秩父 湯殿山 西国百 羽黒山 坂東」の文字が。享和元辛酉年(1801年)造立。


長後市民センターの庚申塔
私が好きな庚申塔です。前回三柱神社の庚申塔を紹介しましたが、こちらも教科書通りの配役総出演ですね。三柱神社では出演がなかったショケラさんも出ています。しかし鶏さんがいないですね。お猿さんはそれぞれがくつろいだ格好をしています。
天明二壬寅十一月(1782年)造立。道標を兼ねています。


柏尾通り大山道・藤沢市下土棚
さらに長後街道を西へ向かいます。これは途中で南側に逸れた大山道です。前方に引地川が流れているので下り坂です。午前中の青空に雪雲が出てきましたよ。坂を下ると工事中の下土棚遊水地D池に出ます。田んぼの中の農道のような大山道を通りD池を横断、引地川に架かる人道橋を渡り、長後街道に戻りました。D池の中を大山道が通っていたとは驚きました。D池は元が田んぼで遊水地工事完了と共に大山道は消滅すると思います。


柏尾通り大山道・藤沢市下土棚諏訪ノ棚
引地川を渡ると逆に上り坂となります。長後街道を進んでいくと境川西の高鎌橋交差点で分かれた県道22号線に合流します。合流直前、北側へ逸れる大山道に入りました。大山道を西へ向かうFW御一行様。ここは藤沢市下土棚諏訪ノ棚です。


山谷バス停付近の石造物
その先で県道22号線に入りました。山谷バス停付近路傍の石像物です。ここは、昨年6月に訪ね「其の493」で発表したので以下引用します。
左から庚申塔。造立は万延元年(1860年)、道標を兼ねています。右端も庚申塔です。造立は不明。道標を兼ねています。
中央はちょっと見庚申塔ですが地神塔です。造立は天保7年(1836年)。地神塔のほとんどは文字塔です。像が彫られたものは大変珍しいそうです。


柏尾通り大山道・葛原バス停前
その先、東山田交差点で県道22号線はバイパスと旧道に分かれます。柏尾通り大山道は左の旧道に入ります。葛原バス停前を通過。雲行きが変です。


柏尾通り大山道・道祖神
道端の道祖神です。ごろ石に混じって割れた石臼も置かれています。


豊受大神・藤沢市菖蒲沢
豊受大神・藤沢市菖蒲沢
宮の腰交差点近くの豊受大神に参拝しました。境内には立派な神楽殿、山車の保管庫と思われる建物がありました。


御所見塚の碑
その先道路沿いの工事現場の塀の中に石碑が納めてありアクリル板で保護してあります。傍らの御所見塚の案内板によるとこの石碑が御所見塚に立っていた碑のようです。


柏尾通り大山道
工場や事業所が立ち並ぶ柏尾通り大山道(県道22号線旧道)。


御所見中学前県道22号線沿いの庚申塔
これは県道22号線と43号線合流点、横断歩道橋下の庚申塔です。県道際の意外なところに立っています。判読しづらいですが、当日配布資料によると右側面に「従是ふじさわ 江のしまみち 相州高座郡用田村」左側面に「元禄十五年 従是かしをとつかへのみち」と刻まれています。


用田辻の大山道道標
用田辻の大山不動明王坐像を載せた道標です。「右大山みち」と大きく刻まれています。用田辻は南北に走る中原街道と東西に走る柏尾通り大山みちとの交差点です。

用田辻の大山道道標・不動明王坐像
怖いお顔の大山不動明王坐像。

柏尾通り大山道歩きの二日目はここで終え近くの用田バス停から海老名駅行きに乗車しました。途中粉雪が舞うシーンもありましたが、FWは無事終了しました。

今回最初に訪れた仙元塚の位置(中央十字線)です。