FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の533 空っぽの城山湖を再度訪ねました・相模原市緑区川尻

 今年10月に水を抜いた城山湖について「其の519」で発表しました。今月に入り相模原市立博物館のFWで同様の機会があり、また行ってきました。十数年に一度ですからね、見納めです。FW一行は民俗探訪をしながら城山湖へ向かいました。

相模原市緑区広田・下馬の梅
12月15日(土)、JR横浜線相原駅で神奈中バスに乗車、町田街道円林寺バス停で下車、南へ歩くと境川に出ます。境川沿いに上流へ歩き下馬の橋を渡り東京都町田市から相模原市に入りました。ここは相模原緑区広田16です。これは橋の近くの下馬梅です。傍らに案内板が立っています。
「下馬梅の伝説」
昔、八王子城が豊臣秀吉の軍勢に攻められ落城した際、津久井城に伝令のため走った騎馬武者がいました。この地に至り土地の者に戦況を問うと、津久井城は落城したとの事。仕方なく武者はここで下馬し鞭の代わりに持っていた梅の枝を無造作に地面に突き刺したところ根付き、後年、春になると花を咲かせるようになりました。大正の頃樹齢が尽き、この言い伝えを末長く残すため新たに植樹しました。 
(案内板より要旨)
下馬の橋とは変な名前の橋と思っていたのですが、これで由来が分りました。

相模原市緑区・小松薬師堂
次に向かったのが県道48号線沿いの小松薬師堂です。資料によると本尊は薬師如来立像、周囲に十二神将が安置されている。庚寅の年に開帳するため「寅年の薬師」「小松の押し薬師」と呼ばれているそうです。暦を見ると1950年(昭和25年)、2010年(平成22年)が庚寅の年です。次回の開帳は2070年となりますね。60年に一度は間が開き過ぎ。寅年ごとの開帳かも知れません。

小松薬師の徳本念仏塔
境内の徳本念仏塔です。特徴ある書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれています。文政六年(1823年)建立。高さは160cmもあり相模原市登録有形民俗文化財です。

小松城跡の碑
次に県道48号線小松交差点を左折し城山湖へ向かいます。城山発電所・城山湖まで道なりの一本道です。これは道中右側にある宝泉寺入り口前の石碑です。「史跡 相模国 小松城址」と大きく刻まれています。小松城跡は宝泉寺北側、山の頂にあるので城山湖見学のあとに寄ります。

城山湖へ至る道・緑区小松
城山発電所・城山湖へ至る道です。両側が丘陵で左側の丘裾を境川支流の小松川流れています。谷戸を谷頭へ向けて歩いています。

城山湖

空っぽの城山湖
最後に谷頭の急坂を上り、城山発電所前を通り城山湖畔へ到着です。「其の519」で発表済の写真と変わりありません。

空っぽの城山湖・ロックフィルダム
右側は本沢ダム(ロックフィル式堰堤)です。写真中央に気になるものを見つけました。

城山湖湖底謎の施設
拡大するとこんな感じです。何でしょうかね。城山湖湖底の謎の施設です。

龍籠山金刀比羅宮から東方の眺め
次に訪れた龍籠山金刀比羅宮から東方の眺めです。右端に西新宿の高層ビル群に混じり東京都庁ツインタワーが写っています。龍籠山金刀比羅宮は小松川源流とも言われています。

龍籠山金刀比羅宮参道の急階段
金刀比羅宮参道の急階段を手すりにすがりつくようにして下りましたよ。下りるのが精いっぱい。写真は撮れなかったので今年3月撮影の写真を載せます。

龍籠山金刀比羅宮参道
帰りは山中の金刀比羅宮参道(ハイキング道)を歩きました。城山湖へ行く途中、右側に見た丘陵の尾根道です。

龍籠山金刀比羅宮参道・評議原
昔、小松城の武将たちが評議を行ったと伝えられる評議原(ひょうぎっぱら)を通過。この辺りは紅葉の名所だそうです。少し時機を失しました。

小松城跡案内板  小松城跡案内板
参道沿いに立つ小松城跡の案内板です。
宝泉寺裏山にある山城の跡で、城主は永井太膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられている。 (案内板より)

小松城跡主口廓付近の祠
案内板配位置図に載っている主口廓付近の祠です。

小松城跡空堀
進行方向左(北)側の空堀です。この下、丘の裾沿いに穴川が流れています。

小松城跡空堀
進行方向右側の空堀です。南側には小松川が流れています。

龍籠山金刀比羅宮参道
尾根道を進んでいきます。どことなく秦野の弘法山に似ています。

龍籠山金刀比羅宮参道入口
県道48号線金刀比羅宮参道入口へ無事下りてきました。橋下を流れる川は穴川です。少し下流で小松川に合流しています。


本編が今年最後の投稿になりそうです。来年も楽しい水辺歩きを続けるつもりです。皆さまどうか良いお年をお迎えください。

下馬の橋の位置です。(地理院地図より)


スポンサーサイト



其の532 箱根の上水道施設を見学しました・神奈川県箱根町

 12月8日(土)、神奈川県営水道・水道フレンズ交流会に参加。水源地や浄水施設を見学し、箱根の上水道事情について勉強してきました。

小田原駅前北條早雲公の像
当日は、朝9時半に小田原駅前北條早雲公像前に集合し小型観光バスで目的地へ向かいました。小学生に戻ったかのようで遠足気分です♪♪。

早川・箱根町宮城野
最初に寄ったところはトイレ休憩で箱根水道センター(箱根町宮城野626-11)です。これはすぐ近くの大文字橋から見た早川です。芦ノ湖から始まる清流です。

左岸に神奈川県の監視カメラが見えます。観測所名「宮城野付近」。神奈川県雨量水位情報(右欄サイドバーにリンクあり)を開くとリアルタイムで水位を見ることが出来ます。

神奈川県企業庁水土野水源
R138(箱根裏街道)沿いの水土野水源(みどのすいげん)へやって来ました。水道施設なので普段一般の人は絶対に入れないところです。

神奈川県企業庁水土野水源
正門脇の巨石に施設名が刻んであります。「神奈川県企業庁水道局 水土野水源」。

神奈川県企業庁水土野水源
中に入り坂道を下ります。ここは先ほど大文字橋から見た早川の上流部です。水源施設は箱根裏街道と早川左岸の間にあります。

神奈川県企業庁水土野水源・石室
水土野水源最大の見どころ石室です。本日は石室の中を特別公開です。水道フレンズに登録しておいて良かったです。(^σ^)

神奈川県企業庁水土野水源・石室石清水
内部は石垣で石清水となっています。絶え間なく湧き出る清水。凄いですね~。水土野水源は湧水を取水する施設です。前を流れる早川からは取水していないです。

神奈川県企業庁水土野水源・石室石清水
石清水は年間を通じて水温14、15℃と安定しているそうです。白い湯気が立っています。外気温より石室内水温が高いためでしょうか。今日は寒い一日でした。石清水は手前へ流れ石室前芝生広場地下に設置された水槽に貯まります。

神奈川県企業庁水土野水源・石室
広場にある点検口や通気設備。石室手前のコンクリート施設上にゲート開閉器が見えます。これがなければ水道施設には見えないですね。

水土野水源ポンプ所
広場地下水槽に貯めた水道原水はこの施設(ポンプ所)から着水井を経由し下湯配水池へ送られます。ポンプ所の向こう側にもう一か所石室取水施設があるそうです。

水土野水源水管橋
ポンプ所から早川を水管橋で渡る口径350mm導水管。対岸の山の上(ここより150m高所)にある下湯配水池構内着水井に揚水しています。原水は濁りや臭いがない清水ですが、着水井手前で紫外線処理と着水井で次亜塩素酸ソーダを注入し水道水が出来上がります。原水はそのまま飲めるほどきれいな水なのでこれで水道水の完成です。谷ケ原浄水場、寒川浄水場とは大きく異なりますね・・・。下湯配水池から別の配水池や給水区域(一般家庭や旅館等)へ送配水しているそうです。

水土野水源内、旧淡水魚増殖池
これは水土野水源構内に残る県営淡水魚増殖場の池です。大きな鯉が数匹泳いでいました。清浄な湧水に鯉が必要とする栄養分が含まれているんでしょうかね。水土野水源は昭和43年3月、淡水魚増殖場跡の一部を水源として開発されました。

水土野水源
バスに戻り次の目的地千石原のイタリー浄水場へ向かいます。

神奈川県営水道・イタリー浄水場
イタリー浄水場正門からバスに乗ったまま窪地に下りて行きます。窪地にあるイタリー浄水場の諸施設です。正面の山はイタリー浄水場水源涵養林(約12万㎡)の東端です。広大な水源涵養林の中に点在する8か所の水源から導水路で浄水場内(写真右から二つ目の建物、左側の建物は送水ポンプ所)に引きこんでいます。取水施設は山の水源林内にあるので見学出来ません。そのかわりイタリー浄水場の見どころ膜ろ過処理施設を見学しました。

神奈川県営水道・イタリー浄水場
イタリー浄水場構内の浄水場です。膜ろ過処理施設はこの中にあります。
箱根にあるのにイタリーとはなぜでしょう? 由来は箱根強羅の地名「板里」、千石原の小字名「イタリ」から採っています。欧州のイタリアとはまったく関係がないようです。

イタリー浄水場膜ろ過施設
膜ろ過処理施設です。複雑な配管で何がなんだかさっぱり解りません。簡単に言うと、原水を黄色の筒の中の精密ろ過膜を通過させることにより不純物をろ過しています。ろ過膜の細孔は0.1μm程度でそれより大きなものは細菌といえども除去されます。クリプトスポリジウムに有効。鹿や猪の排せつ物にこれが含まれているそうです。過去に検出実績は皆無ですが安全を期するためにこの装置を取り入れています。

イタリー浄水場内次亜塩素酸ソーダ注入装置
次亜塩素酸ソーダ注入装置もありました。二段構えで浄水を作っています。

今日の交流会施設見学は以上2か所です。神奈川県営水道の箱根の水源施設はもう1か所品ノ木浄水場があります。イタリー浄水場へ来る途中車窓から見えました。湧水を水源とした膜ろ過処理の浄水場です。

以下当日配布資料より県営水道の概要を簡単に記します。
●各水源の最大供給量と所在地の標高です。
・水土野水源 12,800㎥/日 標高約550m
・イタリー浄水場 4,100㎥/日 標高約680m
・品ノ木浄水場 3,100㎥/日 標高630m
給水区域は高低差があり散在するので、給水圧を得るため配水池はどこも高所にあり全部で16か所配置しています。配水池に揚水するためポンプ所が8か所もあります。
●県営水道給水区域は箱根町の北部で、南部は箱根町営水道が担っています。今日の交流会で初めて知ったのですが箱根地区北部は箱根地区水道事業包括委託により民間事業者・箱根水道パートナーズ(株)が事業を行っています。上記の水源地や浄水場、配水池は同社箱根水道センターで集中管理を行っているそうです。
●県営水道の給水戸数と給水人口(2015.3.31現在)
・給水戸数は4,353戸
・給水人口は6,185人(箱根町人口の48%)
給水量は旅館等への給水が60%以上を占めるそうです。

最後に箱根水道センターで交流会を行いアンケート提出、記念品として「箱根湧水水土野の水」を頂きました。小田原駅前で解散。関係者の皆さまありがとうございました。

水土野の水
「箱根湧水水土野の水」です。350ml缶 ¥100/本
賞味期限は製造後7年と長持ち、備蓄用に適しています。
県営水道の営業所で販売しているそうです。

水土野水源の位置です。


其の531 幻の川「でーの川」を訪ねる・神奈川県厚木市妻田

 その昔、厚木市妻田地区に「でーの川」と言う川が流れていました。今昔マップで一番古い明治39年測図の地図にも載っている古くから流れている川ですが、現代の地図からは消えています。面白そうな川なのでその後の「でーの川」を確かめに行きました。なお今回は、今までに牛久保用水始め多くの探訪先を紹介いただいた読者の地元ティー!さんお薦め案件で資料も別途頂戴しております。

干無川・厚木市妻田
本厚木駅から神奈中バスに乗り妻田で下車。降りたところに干無川(ひなしがわ)が東へ流れています。バス停近く中村橋より干無川下流を見ました。コンクリート製の水門が見えます。

干無川の節田堰
近づいて左岸の公園から見ると水門堤体だけで左右のゲート(門扉)は取り外してあります。右岸の護岸に鉄板製の取水口らしきものが見えます。

干無川の節田堰
さらに接近。かつてスライドゲートを使用していたことが分ります。左岸側にはゲート巻上機(開閉機)が残っています。昔はここで堰上げし水を取り入れたのでしょうね・・・。明治期にどのような堰があったかは不明ですが、堰の名前は節田堰(ふしだせき?)と言います。(後述)
前方の道路はR129・246です。干無川は国道をトンネルで潜った後、南へ方向を変え最後は小鮎川に注いでいます。

干無川の節田堰
国道側から見るとこのようになっています。上流からは分らなかった右岸側は転倒堰に置き変わっています。水色ケースは転倒堰の巻上機(開閉機)ですね。ゲートは左右にないと機能を発揮しないと思うのですが、どのような使われ方をしているんでしょうかね・・・。謎の施設です。

1944~1954年(昭和19~29年)にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)

ここで今昔マップを開き幻の川「でーの川」の位置を確認します。
地図中央、東流する干無川に架かる橋が中村橋です。少し下流で南に向きを変え小鮎川へ流れて行きます。南流する干無川の西側を並行して流れるのが「でーの川」です。その始まりは冒頭の節田堰です。その位置は2画面に切替え現代の地図と比較すると一致します。

「でーの川」の謂れは頂いた資料によると
妻田神社と浸し川(ひたしがわ・干無川の以前の呼び名)との間を流れる川で向市場と東河原の境を流れ、節田堰を設けて、一段高いところ(台)へ流した。とあり、干無川より浅いところを流れていました。堰を設けて分水したので川と言うより農業用水路ですね。今昔マップに示されている通り「でーの川」の周りは至るところ水田記号です。

干無川
R129・246を渡り国道東側から干無川下流を見ました。南へ流れ小鮎川に合流します。今日の主役「でーの川」は干無川の西側を並行して流れていました。

雨水下水道(でーの川跡)
国道東側、本厚木駅行妻田バス停で南へ向かう水路を発見しましたよ。(^σ^)
水の流れはありません。水路の先に道路が見えます。

雨水下水道(でーの川跡)
水路下流側から見ると妻田バス停下から始まっています。位置から推定すると節田堰の鉄板製の取水口からトンネルで繋がっているような気がします。

雨水下水道(でーの川跡)
回り込んで開渠南端へ来るとこんな看板が・・・。水路管理者厚木市の看板と思われます。

雨水下水道(でーの川跡)
上記看板から南を見ると道路です。右側歩道上にグレーチング点検フタが続いています。開渠から暗渠に変わりました。
今昔マップで確認するとこの道路は「でーの川」の流路と一致します。下流へたどります。

雨水下水道(でーの川跡)
その先で暗渠が東方向へ分岐しています。東側には干無川が流れています。近くなのでたどりました。

干無川・雨水下水道吐口
干無川右岸に吐口と思われるフラップゲートがありました。水の流れはありません。節田堰で取水していないので当然ですね。水の流れがない暗渠水路は何のためにあるんでしょうかね。道路側溝と接続し降雨時の雨水下水管としての働きしか思い浮かばないです。

雨水下水道(でーの川跡)
元の道に戻り南下します。点検フタが続いています。

雨水下水道(でーの川跡)
道路右側の暗渠が左側へ移りました。

雨水下水道(でーの川跡)
また右側に戻ります。用水路時代の「でーの川」もくねくねと蛇行して流れていたんでしょうね。フタの寸法を測ると幅が1100mm、深さは600mmほどでした。干無川より浅い位置を流れています。水路底は湿っています。

雨水下水道(でーの川跡)
T字路に突き当たりました。節田堰からここまでおよそ1kmでした。前方は小鮎川左岸堤防です。堤防内側散策路地下を昭和用水が東から西へ流れています。

小鮎川左岸沿いの道
T字路を左折し小鮎川左岸沿いに下流へたどります。この道路左寄り地下に妻田用水が流れています。今日たどった暗渠の雨水下水道はそれに接続しているものと思われます。

干無川
青松禅寺東側の干無川までやって来ました。小鮎川に合流直前、河口近くです。右岸橋の下にたどってきた暗渠の吐口があり放流しているのが見えます。「でーの川」の後身である雨水下水道に流れはなかったのですが、妻田用水は通水しているようです。

干無川の地名標柱
厚木市が立てた干無川地名標柱です。
干無川の由来は、水源が湧水のため、「干」たことが「無い」川という意味である。昔は水車などもあり冷たい澄んだ水の流れは生活の場であった。以後昭和三十年代頃まで農業用水として利用され農家にとっては重要な水資源であった。
この標柱から昭和三十年代頃まで「でーの川」は用水路として流れていたことが分りますね。(^σ^)

干無川の不法投棄禁止看板
地名標柱の隣に立つ不法投棄禁止看板です。相模川右岸幹線用水路相模川伏越吐口にも立っていました。お馴染み幽霊シリーズ看板です。

小鮎川左岸の干無川樋管ゲート
おしまいに小鮎川左岸堤防の干無川樋管ゲートです。今日(12月7日)の水の旅の終点です。

其の530 柏尾通り大山道を歩く②・泉区岡津町~いずみ中央駅

 前回の続きです。大山道を大山へ向かって歩いています。

柏尾通り大山道・泉区岡津町
双体道祖神と岡津村の地神塔を過ぎ、直進するとこのT字路に突き当たります。なんとなく左へ曲がりたくなりますが、交差点を右折します。

桂坂公園・横浜市泉区桂坂
桂坂公園を通り横浜市中川地区センターへ寄ります。休憩と庚申塔を見学するためです。

中川地区センターの庚申塔
中川地区センターには年代を代表する三基の庚申塔が保存してあります。前回見た岡津村の地神塔付近にあったものをこちらへ移しました。

中川地区センターの庚申塔
左端の庚申塔です。青面金剛と大き目のお猿さん。正徳二年壬辰(1712年)十一月造立。

中川地区センターの庚申塔  中川地区センターの庚申塔
真ん中の庚申塔は主尊が阿弥陀菩薩です。お猿さんは大き目で三面に彫ってあります。寛文十一年(1671年)造立。
右端の庚申塔は文字塔です。造立年不詳です。文字塔なので上記より時代は下っていると思います。

柏尾通り大山道・横浜市泉区西が岡1
いなげや前を通り西が岡1丁目交差点を左折します。

柏尾通り大山道
続いて西が岡1丁目西側交差点を左折します。

柏尾通り大山道・横浜市泉区弥生台
長い急坂を上ります。ステッキがほしいくらい急な坂です。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
坂上のT字路を左折しすぐに右折するとやっと平坦な道になります。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
時刻は15時頃、影が伸びて来ました。

柏尾みち大山道の庚申塔兼道標
八王子道(手元の別の地図では鎌倉道)との交差点(和泉小入口信号)角にある庚申塔です。側面に「東かしお道 西大山道」「南ふじ沢道 北八王子道」と刻まれており道標を兼ねています。

柏尾通り大山道案内板
傍らに立つ柏尾通り大山道案内板です。

出羽三山供養塔・泉区和泉町
その先進行方向右側の出羽三山供養塔です。ここで左折します。

柏尾通り大山道・横浜市泉区和泉町
柏尾通り大山道を黙々と歩きます。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
逆光のため来た道を振り返りました。横浜市泉区いずみ中央北6丁目付近。

柏尾通り大山道・横浜市泉区
長後街道(県道22号線)交差点へ出てきました。泉区総合庁舎東交差点です。

蚕御霊神塔と庚申塔・横浜市泉区
泉区総合庁舎東交差点を渡った左側に石像物が4基立っています。

柏尾通り大山道の庚申塔
真ん中の2基は文字塔の庚申塔です。造立年等は不明。

蚕御霊神塔・横浜市泉区
左端の角柱塔は「蚕御霊神塔」と言い蚕の慰霊のために明治11年(1878年)に造立されました。

蚕御霊神塔案内板
蚕御霊神塔の案内板です。


柏尾通り大山道歩きの初日(11月24日)はここまでです。このあと近くの相鉄線いずみ中央駅へ向かいました。

今回のスタートT字路の位置です。


其の529 柏尾通り大山道を歩く①・大山不動堂~泉区岡津町

 11月24日(土)、相模原市立博物館のFWで大山道を歩いてきました。水道みちや用水路歩きで大山道との交差や、道端の大山道道標との出合がありました。しかし大山道をまだ歩いたことはありません。大山道は何通りかありますが、今日歩くのは東海道から分岐する柏尾通り大山道です。

柏尾の大山不動堂
柏尾通り大山道のスタート地点、横浜市戸塚区にある柏尾の大山不動堂です。大山参拝者の安全と無事を祈願するため建立されました。江戸時代、大山参拝者は東海道からこの道に入り伊勢原の大山へ向かいました。お堂周りに大山道道標、灯篭、庚申塔などがあります。左から享保12年建立の道標。その奥が灯篭、右端は明治5年建立の道標。その左に庚申塔が見えます。

柏尾の大山不動堂・庚申塔
庚申塔です。延宝庚申八年(1680年)四月建立。

R1(旧東海道)の「大山前不動」地名標柱と案内板
R1(旧東海道)の「大山前不動」地名標柱と「柏尾の大山道入口」案内板です。大山不動堂は入ってすぐ右側にあります。

明治期の今昔マップです。(今昔マップon the webより)。

東海道(下柏尾)から北西に延びている道が柏尾通り大山道です。2画面に切替えできます。大きな地図は右サイドバーからリンクできます。

柏尾通り大山道・戸塚区柏尾町
大山不動堂を後に柏尾通り大山道(以下柏尾道)を北西へ進みます。前方に架かる橋は大山跨線橋です。

大山跨線橋より東方を望む
大山跨線橋下にある階段を上り跨線橋上に出ました。跨線橋から見た東方向の眺めです。東海道本線と柏尾川を渡っています。

柏尾通り大山道・横浜市戸塚区
大山跨線橋を渡り現代の柏尾道を歩いています。

旧富士橋の親柱

富士橋(猿橋)案内板
その先、阿久和川に架かる富士橋たもとの旧富士橋の親柱と富士橋(猿橋)案内板です。有名な甲斐の猿橋とゆかりがあるそうです。

柏尾通り大山道
横浜新道のガードを潜り、上矢部町315を右折します。

柏尾通り大山道・阿久和川
右折すると阿久和川に架かる東洋橋へ出ます。ここから柏尾道は阿久和川沿いの遊歩道(AQUAさんぽ道)になります。

柏尾通り大山道
親水護岸がある柏尾道。私はいつものように最後尾をついていきます。

柏尾通り大山道
片曽橋付近で桜が咲いていましたよ。

柏尾通り大山道・阿久和川
阿久和川沿いの柏尾道(AQUAさんぽ道)が続きます。

柏尾通り大山道
阿久和川右岸川沿いの柏尾道はバス停岡津橋では左岸に移ります。

柏尾通り大山道・阿久和川不動橋
不動橋まで遡ってきました。左岸側、前方の丘にある富士塚を見に行きました。

富士塚・泉区岡津
急階段を上りますよ・・・。年寄りには辛そうですね・・・。

富士塚・横浜市泉区岡津町
健脚な人はもう富士塚頂上を極めています。

富士塚・横浜市泉区岡津町
遅ればせながら私も登頂しましたよ。(^σ^)/

向導寺と富士塚案内板
向導寺と富士塚案内板です。

永明寺別院

大山道道標・永明寺別院門前
富士塚に登った後は不動橋へ戻り橋を渡ります。これは渡ったすぐ右手の永明寺別院と門前の不動明王を冠した大山道道標です。上部に庚申供養とあり庚申塔も兼ねています。右側面には「右ほしのやみち」と刻まれています。享保十年(1725年)建立。

柏尾通り大山道・泉区岡津町
柏尾道をどんどん進んでいきます。ここは横浜市泉区岡津町。

双体道祖神と地神塔・横浜市泉区岡津町
左手丘の裾、道端の双体道祖神と道標を兼ねた岡津村の地神塔です。

柏尾通り大山道案内板
傍らに立つ柏尾通り大山道案内板です。


初日はいずみ中央駅まで歩きましたが、長くなるので今回はここまでです。次回に続きます。
一度は歩いて見たかった大山道。相模原市立博物館企画に乗りこれから月に一回のペースで大山道を歩く予定です。

其の528 冬の海老名分水路・神奈川県海老名市上郷

 前回、ナベトロ線軌道跡をたどり相模川の砂利河原まで見届けました。帰り道、鳩川の海老名分水路などを見ながらJR相模線入谷駅まで歩きました。

海老名分水路排水樋管吐口
座間市四ツ谷の砂利河原の下流です。相模川左岸堤防を貫いた海老名分水路排水樋管吐口の上に立ちました。前方の本流へ向かう流れがまったくありません。右側は神奈川県厚木事務所東部センターの監視カメラです。

鳩川の海老名分水路
吐口から320m上流にある海老名分水路です。以前来たときと様子が違いますね・・・。越流していません。

海老名分水路転倒堰
転倒堰を拡大しました。油圧シリンダーが丸見えです。鳩川の水位が30cm位下がっています。ここのところ雨が降らないせいでしょうかね。鳩川の源流、道保川の流量減や農業用水路から余水排水流入がないせいかもしれないですね。

鳩川放水路
今年1月に来たときはこのように越流していました。

海老名分水路施設内容
神奈川県厚木土木事務所東部センターが立てた海老名分水路施設内容看板です。施設の役割とその内容が書いてあります。

海老名分水路は大雨が降った時、下流域の水害を防ぐため分水路により雨水を相模川に放流し、流域の安全を図るための施設です。
計画放流量:120㎥/秒 
分水路構造:ボックスカルバート(6.45×4.70m×2連)
分水路延長:320m 


海老名分水路
大雨になると海老名分水路はこんな恐ろしい光景になります。倒伏した転倒堰と分水路へ流れ込む洪水。

海老名分水路下流の鳩川
今日の海老名分水路下流、鳩川の様子です。流量不足のため流れはありません。上流からの水圧がないと流れないみたいです。大雨の日に来たときは、分水路から放流のため水位が下がり、珍しい鳩川の逆流現象を見ることが出来ました。

アカバナユウゲショウ・海老名市鳩川沿い
今日(11月21日)もこの花を見ましたよ!♪ 鳩川沿いにたくましく咲くアカバナユウゲショウ。私が注目する花期の長い花です。

日枝大神・座間市四ッ谷
座間市四ツ谷の日枝大神に参拝しました。
創建は元亀年間(1570~1573)。創建者は織田信長に敗れた美濃国(岐阜県)の斉藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神大山咋命を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。 (案内板より抜粋)

日枝大神の庚申塔
日枝大神境内の庚申塔です。文政十?年造立。

相模川左岸幹線用水路・入谷駅付近
入谷駅近くまで来ました。JR相模線沿いの相模川左岸幹線用水路です。あれっ!? 季節外れなのにとうとうと流れていますよ。海老名市の冬みず田んぼへ用水を送り始めたようです。

関連記事です。

其の451 鳩川源流を訪ねる② (2018.01投稿)
其の491 大雨の海老名分水路 (2018.06投稿)
其の267 冬みず田んぼを訪ねる・海老名市下今泉 (2016.01投稿)
其の266 冬の左岸用水と冬みず田んぼ (2016.01投稿)

今回のスタート海老名分水路排水樋管吐口の位置です。