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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の527 相模川ナベトロ線軌道跡を歩く・座間市四ツ谷

 今年10月に座間市の相模川旧堤防を歩き「其の521」で発表しました。私は気付かなかったのですが、ナベトロ線跡(砂利運搬トロッコ線軌道跡)を歩いていたらしいのです。チャコさんのブログでヒントをもらい初めて知りました。
今昔マップを開くと確かに軌道が描かれています。トロッコはどのようなところを走っていたのか地図を片手に見に行きました。

JR相模線入谷駅
11月21日(水)JR相模線入谷駅ホームの南端です。今日はここから探訪スタートです。
昭和10年、相模川で採取した砂利はナベトロ線で貨物(砂利用)駅として新設された入谷駅西側(写真左側)まで運び、ナベトロから相模線の貨車に積み替え京浜地区へ運んでいました。

トロッコ線軌道が描かれた今昔マップです。2画面に切替えできます。(今昔マップon the webより)



JR相模線入谷駅南の踏切
入谷駅から300mほど南側の踏切です。脇道が相模線手前で左へ曲がっています。これが西の相模川河原から来たナベトロ線の跡です。入谷駅が開設される昭和10年以前、ナベトロ線は前方の丘(座間丘陵)にある小田急線座間駅まで砂利を運んでいました。崖が急なためウインチを利用したそうです。

ナベトロ線跡・JR相模線南
相模線土手沿いを北方の入谷駅へ向かう小道。今に残るナベトロ線跡です。ナベトロとはトロッコを架台とし砂利を積載する容器がナベに似ていたので合せて「ナベトロ」と称したそうです。
鉄製で積載量約1トン。

鳩川の白鷺橋
踏切西側鳩川に架かる白鷺橋です。ナベトロ線は橋の北側を渡っていました。

鳩川に架かる白鷺橋
鳩川右岸から見た白鷺橋です。現在の白鷺橋は1983年(昭和58年)架橋です。ナベトロ線は1955年(昭和30年)にダンプトラックの普及により廃線となり、さらに鳩川の護岸改修などもあり当時の痕跡は残っていなかったですね・・・。

座間市四ッ谷・ナベトロ線跡
白鷺橋から西へ進みます。今昔マップによるとこの道路右(北)側をナベトロ線は走っていました。前方左側に日枝大神の森が見えてきました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
日枝大神角で用水路に突き当たります。ナベトロ線は用水路を越え西に向かっています。左側は座間市消防団の建物です。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
ここで面白いものを見つけました。用水路内にトロッコのレールが二本立っていました。

トロッコのレール・座間市四ッ谷
間違いなくトロッコレールです。寸法を測ると上部(車輪が接する面)幅が30mm、下部幅は53mm。高さ(上下間)は60mmでした。かつてナベトロ線に使われていたレールと思われます。
横浜水道みちを歩くとトロッコのレールが注意看板の支柱や横浜市水道局用地の境界柵として利用されているのを見かけますが、それと全く同じレールですね。
何のためにレールが用水路の中に立っているのでしょうかね。水路壁が倒れないようにありあわせのレールを打ち込み、支えにしたような気がします。錆びないので丈夫で長持ちしています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
用水路を渡り県道51号線を横断します。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
そのまま直進すると柵でガードされ通行止めです。徒歩なので構わず進入します。道は正面の大山に向っています。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
広い道の中は草茫々ですが踏み固めた小道が続いています。犬の散歩者とすれ違いました。いかにもナベトロ線跡らしい道です。かつてこの道を牽引車(蒸気機関車をごく小さくしたような形のガソリンエンジン車)に引かれた12両編成のナベトロ列車が走っていました。今では信じられないような光景ですが・・・。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
草茫々の道を抜けました。今昔マップをよく見るとこの辺りで北方の新田宿河原で採取した砂利を運ぶ小田急ナベトロ線が合流(分岐)していました。

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
前方を横切る砂利道は私が10月に歩いた相模川旧堤防です。ナベトロ線は旧堤防を跨ぎ大山の方へ向かっています。

相模川旧堤防・座間市四ッ谷
交差点より相模川旧堤防北方向を見ました。小田急ナベトロ線はこの先旧堤防沿いを北上し新田宿河原から採取した砂利を運んでいました。私は知らなかったのですがトロッコ軌道に沿って歩いたことになります。陸閘を見つけたあの道です。(軌道跡は今昔マップ参照)

ナベトロ線跡・座間市四ッ谷
旧堤防交差点の先です。大山に向って直進します。

用排水路・座間市四ッ谷
南流する用排水路を渡ります。この用排水路は鳩川に合流しています。

相模川堤防・座間市四ッ谷
丸太の柵左側は現在築堤養生中の相模川堤防です。大山に向って直進するとこの堤防に突き当たります。
今昔マップによると、用排水路を渡ったところでナベトロ線は南西へ向きを変え相模川堤防を越え河原へ下りていました。この辺り一帯の農地を斜めに横断していたのですが軌道の痕跡を見つけることはできませんでした。

相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
相模川・座間市四ッ谷~海老名市上郷
築堤中の堤防に沿って下流へ歩き相模川河原へ下りる道を見つけました。砂利がいっぱいありますね・・・。砂利採取当時、砂利船を浮かべ木製桟橋をかけナベトロを通していました。ここは座間市と海老名市の境界付近です。


参考文献 
座間市立図書館蔵 座間むかしむかし28集「ナベトロ線のこと」

相模原市のナベトロ線について相模原市立博物館による詳細な報告書が公開されています。内容は座間市より上流新磯・相武台前駅間でナベトロ、牽引車、桟橋等の写真も載っています。
相模川新磯鉱区から相武台地区に至るナベトロ軌道

今回の投稿で廃線記事は4件目となりました。「廃線軌道跡」カテゴリをあらたに設けました。

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其の526 史跡田名向原遺跡公園を訪ねる・相模原市中央区

 今年6月に綾瀬市の神崎遺跡を見学しました。私が住む相模原市にも遺跡があり先日訪ねました。いつもの水辺歩きとはまったく関連がない話ですが簡単に取り上げたいと思います。

史蹟田名向原遺跡公園
園内に入りまず目立つのはこの古墳です。7世紀前半を中心とする古墳時代の円墳を近くから移築復元した12号墳です。この辺り一帯で確認された古墳(谷原古墳群)は全部で14基あるそうです。近くの神奈川県内広域水道企業団の相模原ポンプ場の中にはこれと同規模の1号墳が保存されています。

史蹟田名向原遺跡公園・円墳
第1~第4日曜日はボランティアガイド日でガイドさんが説明してくれます。またこの日に限り古墳内部も見学できます。

史蹟田名向原遺跡公園・円墳内部
古墳内部の石室です。直刀や鏃(やじり)、ピアス(耳環)、ネックレスなどが出土したそうです。その一部は「旧石器ハテナ館」に展示してあります。

史蹟田名向原遺跡公園・14号墳
こちらは12号墳の西隣14号墳です。小型です。案内パンフには位置表示とあり、本物かどうかは分かりません。

史蹟田名向原遺跡公園・13号円墳
階段上、多目的広場のさつき植込が13号墳位置表示です。

史蹟田名向原遺跡公園・住居状遺構
これは日本で唯一2万年前の「住居状遺構」です。国指定史跡。
後期旧石器時代の住居跡と考えられている住居状遺構の復元(レプリカ)です。本物は復元面の1.5m地下にあり、土で覆い保護しています。直径は10mほどで柱穴跡、炉跡、作業場跡のほか3,000点もの石器類が見つかりました。平成11年1月28日に国の指定史跡となる。

住居状遺構の想定建物復元模型
住居状遺構の想定建物復元模型です。
(旧石器ハテナ館パンフより)

史蹟田名向原遺跡公園・黒曜石の産地
住居状遺構前、「遺跡の地層と黒曜石の産地推定」案内です。
住居状遺構から出土した黒曜石の産地が図示されています。
長野県の蓼科エリア産が最も多く次いで静岡県天城、神奈川県箱根、長野県和田、栃木県高原山エリアの順。

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居案内板
縄文時代中期(約5000年前)の竪穴住居(復元)も展示されています。炉跡や柱穴跡が残っています。(写真は案内板より)

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居復元
復元竪穴住居は残念ながら平成28年8月に焼失したそうです。現在復旧工事が行われています。年内に完成するそうです。

史蹟田名向原遺跡公園・竪穴住居
焼失前はこんな感じでした。茅葺製で小型です。中は家族が暮らせるほど広くなく見張り小屋のような役割だったと思います。

史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層モデル
遺跡公園の南端に「遺跡が立地する段丘の地層(複製)」が展示してあります。段丘礫層とか関東ローム層など古淵の露頭で学んだことが書いてあります。

史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層復元  史蹟田名向原遺跡公園・段丘地層復元説明パネル
地層の複製と説明パネル。

旧石器ハテナ館
県道48号線を挟んで遺跡公園の向かい側が史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(愛称「旧石器ハテナ館」)です。旧石器時代を中心とした展示室、体験教室などがあります。駐車場有。
開館時間 4月~10月 午前9時~午後6時
        11月~3月 午前9時~午後5時
休館日   12月29日~翌年の1月3日

史蹟田名向原遺跡公園より相模川を望む
遺跡公園より相模川を望む。遺跡公園は左岸崖上に位置しています。
前方の橋は圏央道・相模原愛川IC間連絡路です。車ならICから近く便利なところです。是非一度お出かけ下さい。

史蹟田名向原遺跡公園の位置です。


其の525 畑かん西幹線用水路の遺構・綾瀬市落合北~吉岡

 久し振りに相模原畑地かんがい用水路西幹線の遺構を見に行きました。綾瀬市南部この近辺は、平成25年(2013年)に畑かん用水路の起点である津久井分水池から円行の終点まで歩いたことがあるので5年振りですね・・・。今日は私が未探訪だった初めてのところを歩きます。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
春日台中グランド東側道路から見た畑かんの遺構です。
拙ブログを訪ねてくださるチャコさんのブログで「春日台中付近に畑かんの遺構がある」と教わりやってきました。早速見つけましたよ! 懐かしいですね・・・。手前の桝は道路地下を横断する伏越(ふせこし・サイフォン、逆サイフォンとも言う)呑口桝です。道路西側の吐口桝は春日台中グランドに変遷し影も形もありません。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
菊の花より奥(上流側)は、かんがい用水を流すヒューム管と支持台が東の方から続いています。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
その奥にも北へ向かうヒューム管や支持台、桝などが残っていました。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
せっかくなので春日台中の周辺、吉岡、落合北を歩いてみました。これは西側にあった遺構です。ヒューム管の支持台だけが残っています。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
南へ進むとまた見つかりました。東から西へ連なるヒューム管支持台と手前は伏越呑口桝。呑口桝はゴミ置き場になっています。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
伏越が横断する道路。敷き鉄板の下を横断しています。右側が呑口桝で左側は吐口桝。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
その南です。こちらもヒューム管支持台だけ残っています。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市  相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
道路近くに伏越吐口桝と支持台の残骸が残っていました。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市
ブロッコリー畑とヒューム管支持台。落合北3丁目。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
これは落合北1丁目で見つけた遺構です。畑と青色建物の間にヒューム管が敷設してあります。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
上記を西側道路から見ました。

相模原畑かん用水路遺構・綾瀬市落合北
道路際はゴミの集積所になっています。たぶん伏越の呑口桝の上をそのまま利用したものと思われます。

今日見た畑かん遺構はこんなところです。想像した以上に残っていましたね・・・。(^σ^)

アカバナユウゲショウ
おしまいに今日11月11日(日)の探訪記念は、またまたアカバナユウゲショウです。中原街道沿いに咲いていました。ほんとうに花期の長い花です。まだ蕾を持っています。花径は20mmほどあり大き目です。


今日は海老名駅からバスに乗り終点の綾瀬市役所下車、県道42号線を南下し落合交差点まで歩き、県道西側一帯にある遺構を探訪しました。思い起こせば5年前に歩いた時は落合交差点を左折し東側の比留川沿いの遺構を見つけたんですね・・・。今日歩いた遺構は私の中では空白の畑かん用水路だったので、それを埋めることができ大満足です。
ここより北、綾瀬市庁舎にかけて広大な農地が広がっています。探せば見つかるかも知れません。いずれまた。


相模原畑かん用水路西幹線平面図
相模原畑地かんがい用水路西幹線の平面図(部分図)です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」(1965年3月神奈川県農政部耕地課)より。

春日台中の位置(中央十字線)です。


其の524 山際川源流を訪ねる・厚木市山際~上依知

 前回の相模川右岸幹線用水路(西部用水)相模川伏越と山際川伏越を見学したあと山際川源流を探訪しました。

山際川・神奈川県厚木市
山際川伏越付近、中津原台地段丘崖沿い圏央道下を流れる山際川上流方向です。流れがまったくない水無川です。この上流や源流はどのようなところでしょう。興味が湧いてきました。

山際川
山際川伏越付近から見た山際川下流方向です。相模川右岸堤防を樋管(樋門)で潜り抜けています。河口近くなのでまず下流の様子を見に行きました。

山際川河口樋管ゲート
樋管ゲートを堤防外側(相模川側)から見ました。電動式鋼製ローラーゲート×2門。相模川が増水し山際川へ逆流する怖れがある時にゲートを閉じます。山際川は厚木市が管理する準用河川です。ゲート操作は厚木市が行っていると思います。

山際川・相模川河川敷内
樋管ゲートより山際川下流を見ました。広い相模川河川敷内を本流へ向かっています。

小平打橋より山際川上流を望む
樋管ゲートから200mほど上流の小平橋から見た山際川です。

山際川・神奈川県厚木市
その上流、冒頭写真のような水無川が続きます。相模川が大雨で洪水となり樋管ゲートを閉じたとき、同時に山際川源流域が大雨で増水したらどうなるんでしょうかね。山際川はこのように掘り込式の深い川なので巨大な調節池(ダム湖)のようになり内水氾濫は起こらないと思います。

山際川
樋管ゲートからおよそ1.2km上流、馬坂下橋付近でようやく水溜りが現れました。右岸に中津原台地からの湧水が流れ込んでいるのが見えます。

山際川のカルガモ
水溜まりで食事中のカルガモ。

山際川・六貫田橋上流
六貫田橋上流でようやく普通の川になりました。

山際川
山際川は樋管ゲートからおよそ2.2km上流で暗渠の川になります。流れは西の方から来ています。西方向「とんぼの池 山際親水広場」の看板が立っています。

山際川暗渠上のせせらぎ河川
暗渠水路の上に人工的なせせらぎが流れています。二層構造の川になっています。

山際親水広場とんぼの池
せせらぎの上流、中津原台地段丘崖下にある山際親水広場 とんぼの池です。睡蓮の葉っぱが浮かび、中を覗くと足音に驚いた1cmくらのアメリカザリガニの子どもが逃げ回っていました。

中津原台地段丘崖を下る山際川
池の南側、段丘崖を下る山際川を見つけました。砂防ダムが段々に積み重なっています。

谷戸坂・厚木市上依知
中津原台地上に通じる谷戸坂を上り段丘崖上の山際川を探しに行きました。

中津原台地段丘崖を下る山際川
段丘崖上から見た山際川。段々の砂防ダムは5段以上あります。

中津原台地段丘崖上の山際川
上記写真の背後は公園です。公園の地下を通っているので流れは見えません。

暗渠の山際川・厚木市山際
公園より上流は緑道として整備されています。昔は開渠だったと思われます。所どころにあるグレーチング点検フタを覗くとかなり深いところを流れています。

山際川・厚木市上依知
道なりにたどって行くと大きな交差点に出ました。R129と県道508号線(八王子街道)分岐点です。

下水道案内板・厚木市上依知
さてどちらへ進むか?助け舟の看板を見つけました。たどってきた暗渠の山際川は(雨水)下水道に変わっていました。

山際川暗渠・厚木市上依知
看板の通り直進すると内陸工業団地東南側角っこの交差点に着きました。この歩道地下はいかにも水路っぽい感じがしますね・・・。

山際川暗渠・厚木市上依知
内陸工業団地南側を東西に走る一丁目通りです。右側一帯が工業団地(昔の中津飛行場)です。私は今暗渠下水道の上に立っています。昔は歩道北側を開渠水路が流れていました。

厚木市都市下水マンホールフタ
その先の暗渠水路上にあった厚木市の都市下水マンホールフタです。このフタは旧玉川や妻田用水を歩いた時にも見かけたお馴染みのマンホールフタです。

ここまでの探訪で、山際川は愛川工業団地(昔の中津飛行場)の厚木市域(上依知)の雨水下水が源流と分かりました。工業団地内愛川町中津地域の雨水下水は西側の中津川へ排水しています。今年8月に探訪し「其の506 中津飛行場排水路橋」で確認しました。

いやあ山際川源流がこんなところとは、驚きましたよ!

庚申塔 厚木市特養ホーム甘露苑北
庚申塔案内板 厚木市特養ホーム甘露苑北
おしまいに今日の探訪記念です。特養ホーム甘露苑北側の珍しい庚申塔です。一般の三猿と異なり三猿が向き合っています。明治五壬申年(1872年)建立。

山際川樋管ゲートの位置(中央十字線)です。


其の523 秋の相模川右岸幹線用水路・厚木市猿ケ島~山際

 6年ぶりに相模川右岸幹線用水路(西部用水)の相模川伏越と山際川伏越を訪ねました。11月3日(土)文化の日、お天気に釣られて自宅から自転車で出かけました。

相模川伏越吐口・厚木市猿ケ島
この写真は平成24年6月、通水期に探訪した時の相模川伏越吐口です。通水量5.0㎥/秒の用水が渦を巻いています。
写真は「其の20 相模川伏越を訪ねる」より。

相模川伏越吐口・厚木市猿ケ島
これは今日の相模川右岸幹線用水路・相模川伏越です。
相模川の川底を伏越で横断した相模川右岸幹線用水路(西部用水)相模川伏越の吐口です。今は田んぼへ用水を送らない時期なので内部の様子がよく見えます。こんな風になっていたんですね。私は真下から吹き上がると思い込んでいたのですが、内径1.5mのヒューム管2本は真横から入っています。


相模川伏越記念碑
これは磯部頭首工下流、左岸の相模川伏越呑口付近にある相模川伏越記念碑です。原寸大内径1.5mヒューム管2本が埋め込んであります。この形で相模川の川底を横断しています。
写真は「其の19 磯部頭首工を訪ねる」より。

西部用水の不法投棄禁止看板
伏越吐口施設に掲示の不法投棄禁止看板。お馴染みの幽霊シリーズ看板です。たしか干無川を渡る昭和用水水路橋にもかかっていました。神奈川県県央地域県政総合センターと用水路管理者神奈川県相模川西部土地改良区の連名です。

相模川右岸幹線用水路
下流へたどります。流れがない相模川右岸幹線用水路(西部用水)。完全に干上がった用水路。どこで水を抜いたのでしょう。

相模川右岸幹線用水路
その下流猿ケ島から山際へ入りました。右側の田んぼは高田橋上流の小沢頭首工で取水した小沢頭首工幹線用排水路から水を引いています。

厚木市山際の田んぼ
その下流、収穫後の田んぼの風景。中津原台地段丘崖に沿って圏央道が走っています。手前の用水路は西部用水西側を並行して流れる小沢頭首工幹線用排水路です。

西部用水・山際川伏越
山際川直前の西部用水山際川伏越呑口施設に到着しました。
正面に除塵機、右岸側に青色の排水ゲート、余水吐が見えます。秋の通水終了時はここから用水路内の残り水を山際川へ排水します。

西部用水・山際川伏越
除塵機のアップです。除塵機を通過した用水は地下深くに降下し山際川川底を潜り対岸の吐口桝で吹き上がります。除塵機スクリーン下の二つの丸い開口は何のためでしょうかね。

西部用水・山際川伏越
伏越呑口施設を南側から見ました。排水ゲートや除塵機が見えます。手前の桝は小沢頭首工幹線用排水路が山際川伏越に合流する直前の桝です。西部用水の伏越施設に相乗りして山際川を渡ります。

山際川
山際川です。伏越は山際川左岸から右岸へ渡っています。

山際川左岸排水口
山際川左岸の排水口です。山際川伏越の排水ゲート・余水吐からここへ排水されます。排水口下は大きく抉られています。この辺りの山際川は水無川状態です。伏流水として流れているのでしょうか。

西部用水・山際川伏越吐口桝
山際川右岸、伏越の吐口桝です。西部用水はここから延々厚木市、伊勢原市、平塚市のすのこ橋へと流れ、最後の余水排水は新白髭橋付近で鈴川に合流しています。磯部頭首工で取り入れた用水が相模川流域を越え金目川水系の鈴川へ合流するところが面白いですね。用水を取り入れた元の川へ戻すのが普通なんですけどね・・・。

上依知渡船場の地名標柱
相模川伏越へ向かう途中昭和橋下流で見つけた「上依知渡船場」地名標柱です。相模川右岸堤防上の道に立っていました。
中世から、古道八王子街道の上依知村と対岸当麻村を結ぶ相模川の渡船場があった。江戸時代に盛んとなった大山参りには、埼玉・八王子方面からの大山道として大いに利用された。明治期には上依知に委託運営されていたが、昭和三年の増水で渡船に被害が出て、昭和橋が完成した昭和六年その役目を終えた。 (厚木市が立てた地名標柱より)

アカバナユウゲショウ
おしまいに今日の探訪記念です。昭和橋のたもと、道端に咲いていたアカバナユウゲショウです。花径が2cmもある大き目の花です。普通1cm位なんですけどね。それにしてもこの花は花期が長いです。探訪先でちょいちょい見かけるので注目しています。北米原産の外来種ですがたくましいですね・・・。


今年10月に珍しい空っぽの城山湖を訪ね、普段水中に隠れていて見られない取水口、取水塔、余水吐け、ロックフィルダムについて勉強しました。
非通水期の用水路や、取水休止中の頭首工(例えば昭和用水頭首工)についても同様で、いつもは見られないところを興味深く学べます。今日は西部用水を訪ねて良かったです。(^σ^)

相模川伏越吐口の位置(中央十字線)です。


其の522 相模川旧堤防を歩く・神奈川県寒川町~海老名市

 またまた相模川旧堤防を歩いてきました。今回は寒川町から海老名市にかけての旧堤防です。11月1日(金)晴れ、JR相模線宮山駅からスタートしました。

相模川旧堤防
宮山駅北側踏切付近に旧堤防が残っています。右側土手がそれです。今回はここから北方向(相模川上流)へ歩きます。前方は圏央道寒川北ICです。ここより南の寒川浄水場前の旧堤防は「其の413 相模川旧堤防の陸閘」で発表しました。

相模川旧堤防
上記の延長線上、寒川北IC付近に旧堤防跡が残っています。

圏央道寒川北IC
そのすぐ北側は寒川北IC内調整池となり旧堤防は跡形もありません。

JR相模線
その先です。相模線は圏央道の下を走っています。今回も今昔マップを参考にしましたが、それによると相模線は旧堤防の東側に沿って敷かれていました。西側は相模川の流れがあるので当然ですね。
この写真では相模線西側(左側)にシートパイルで補強された土手が続いています。私はこれが旧堤防ではないかと思っています。

JR相模線と新幹線交差
新幹線と交差する相模線。相模線の向こう側に赤茶けたシートパイルが続いています。

倉見桜緑道
新幹線との交差点から先は相模線沿いに道はなく、倉見駅北側JX金属正門前の倉見桜緑道入口へやってきました。この緑道は明治39年測図の今昔マップ(1896~1909)を参照すると、相模川に合流する永池川左岸の堤防跡です。冒頭の宮山駅付近相模川左岸旧堤防から連続しているので、実態は相模川旧堤防であったと思われます。

倉見桜緑道
桜並木の散策路が続きます。

倉見桜緑道
散策路左側には人工河川が設置してあります。昔の永池川を模したのでしょうか。

倉見桜緑道
倉見桜緑道の北側入口近くです。左側はJX金属の外周壁。

永池川
JX金属外周に沿って左折すると永池川に出ます。新竹沢橋より永池川下流を望む。現在の永池川はJX金属正門前倉見桜緑道入口から400m位西を流れる掘り込式新河道です。河川改修による川筋の変遷は今昔マップの年代を変えることで簡単に確認することが出来ます。

新竹沢橋左岸の土手
新竹沢橋左岸のたもとに土手が残っていました。

圏央道沿いの土手
新竹沢橋西側の旧堤防を探しに行きました。圏央道沿いの土手です。雑草が刈り取られ手入れされています。

圏央道沿いの土手
階段も設置してあります。しかし今昔マップで確認すると旧堤防はもう少し西の方です。これは圏央道建設に伴って作られた側道みたいですね。ここは地図を見ると海老名市に入っています。

永池川河口付近
永池川下流にあるかも知れない旧堤防を探しに行きました。
新竹沢橋から500mほど下流の永池川です。平成になって登場した掘り込式の新河道ですが、今昔マップ(2画面)によるとこの川の右岸から旧堤防が真っ直ぐ北へ伸びています。この付近に旧堤防があるはずなんですが周りは原生林で探索は不可能でした。

相模川のワンド・永池川河口付近
さらに下流へ進むと相模川に到達しました。と言っても本流ではなく河川敷内のワンドです。釣り人が好みそうなところですね。ここは行き止まりで残念ながら相模川本流、永池川河口は見られなかったです。

相模川旧堤防
圏央道案内標識
前述の圏央道側道土手の西側で旧堤防を見つけました。高さは2m位ありそうです。圏央道の標識が見えます。
相模川旧堤防はここから斜めに圏央道を横切っていました。現在の県道22号線戸沢橋東交差点に至る道が旧堤防跡です。

相模川旧堤防と柏尾通り大山道交差点
圏央道東側、「柏尾通り大山道」と相模川旧堤防跡の交差点です。左手の方からたどってきました。戸沢橋東交差点は右手の方です。

柏尾通り大山道道標
赤柵内は柏尾通り大山道道標です。上に不動明王を戴いています。東海道戸塚宿から分かれた柏尾通り大山道。大山参拝者はここ戸田の渡しから厚木に渡り大山を目指しました。大山道は今昔マップで確認すると古くからの道らしく今でも全く変わらず残っています。

戸田の渡し案内板
赤柵に海老名市教育委員会が立てた戸田の渡し跡の案内板です。

今日の探訪はここまでです。県道22号線に入りJR相模線門沢橋駅へ向かいました。次回は秋の相模川右岸幹線用水路を取り上げる予定です。


相模川旧堤防関連記事です。
其の413 相模川旧堤防の陸閘を見つけました・神奈川県寒川町
其の520 相模川旧堤防を歩く・神奈川県海老名市
其の521 相模川旧堤防を歩く・神奈川県座間市

宮山駅付近の今昔マップです。(今昔マップon the webより)