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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の521 相模川旧堤防を歩く・神奈川県座間市

10月21日(日)晴れ、前回に続いて座間市の相模川旧堤防を歩いてきました。

相模川旧堤防 海老名市・座間市境界付近
海老名市と座間市の境界付近から見た相模川旧堤防です。

上河原浦橋より鳩川下流を望む
前回歩いた相模川旧堤防の終点からおよそ南西に500m、上河原浦橋から見た鳩川下流方向です。下流で海老名分水路の転倒堰が流れを堰き止めているので湖のようになっています。右岸に河川が合流しています。

鳩川に合流する排水路・海老名市上郷
右岸に合流する河川。田んぼの排水路と思われます。今日歩く相模川旧堤防はこの排水路左岸側から始まっています。

明治39年測図(1896~1909)の今昔マップです。
(今昔マップon the webより)

今昔マップを参照すると一目瞭然です。中央が排水路合流点です。1画面表示に切り替え出来ます。
鳩川右岸から始まる相模川旧堤防は北方向、現在の磯部頭首工の方から続いています。堤防はこの辺りで鳩川が合流するため途切れています。堤防の不連続・霞堤ですね。前回鳩川左岸側の相模川旧堤防を歩きましたが、ここからは霞んで見えたことでしょう。

上川原浦橋下流の排水路
上河原浦橋を渡り鳩川へ合流する排水路沿いの道に入りました。道の右側こんもりとした小山が相模川旧堤防です。ここは海老名市上郷4丁目です。

相模川旧堤防
こんもりとした小山は近づいて東側から見ると立派な堤防(土手)です。今昔マップの通り昔の堤防が残っていましたよ! 
期待通りでまずは良かったです~。(^σ^)

相模川旧堤防 海老名市・座間市境界付近
すぐ北側海老名市、座間市境界から見た相模川旧堤防です。
旧堤防がしっかり残っています。

アカバナユウゲショウ  庚申塔と道祖神
排水路沿いに咲くアカバナユウゲショウです。今年5月に深堀川や目黒川を歩いた時にも咲いていました。花期が長い上品な花です。
右の写真は海老名市座間市境界付近道端の庚申塔と道祖神です。大正4年3月に造立。バックの緑の土手は相模川旧堤防です。

相模川旧堤防
その先一般道が堤防を横断しています。陸閘は設けてないです。

相模川旧堤防
その先の交差点も同じです。一般道が堤防を跨いでいます。

四ツ谷渡船場道の地名標柱
堤防上に「四ツ谷渡船場道(よつやとせんばみち)」の地名標柱が立っていました。背景は大山です。徳川幕府が江戸を守るため相模川のような大きな川の架橋を禁止したので、人々は対岸の厚木へ渡し船で往来していました。昭和34年上流の座架依橋完成と共に廃止。

相模川旧堤防
北へ続く相模川旧堤防。座間市四ツ谷。

相模川旧堤防  相模川旧堤防
座間市四ツ谷、新田宿にかけての相模川旧堤防。

相模川旧堤防
やがて旧堤防は下り坂になり平坦地になりました。新田宿グランド手前です。

相模川旧堤防・新田宿グランド付近
新田宿グランド沿いの道です。左側に高さ1mくらいのがっちりしたコンクリート壁が続いています。西側に相模川が流れているので堤防みたいですね。

相模川旧堤防・新田宿グランド付近
グランド沿いの道は東側から見ると一段高く堤防と分ります。

相模川旧堤防・陸閘
陸閘を見つけましたよ! 洪水時にゲートを嵌め込む縦溝が切ってあります。コンクリート壁は嵩上げ堤防でした。

相模川旧堤防・陸閘
続いて隣にもう一基陸閘がありました。

相模川旧堤防
300mくらい続いたコンクリート壁はここで終わっています。その先にこんもりとした土手があります。このような土手がこの先に続いているかと期待したのですが、真っ平らな田畑が広がるのみで、今日見た最後の相模川旧堤防となりました。

座架依橋
座間市と対岸の厚木市を結ぶ座架依橋を潜ります。

座間市座間の田んぼ
座架依橋北側の真っ平らな田園風景。土手らしきものはどこにもありません。削り取って田畑にしたと思われます。

相模川左岸・相模原市南区新戸
旧堤防探訪はこの辺で切り上げ、現在の相模川左岸堤防を歩きました。ここは相模原市南区新戸に入っています。

磯部頭首工下流の床固工
磯部頭首工下流の床固工です。二段式で魚道付きです。初めは取水堰かと思ったのですが、河床を護る床固工と思われます。魚道は先月見学した白丸ダム魚道と同じ折返し式アイスハーバー型(階段式)ですね。

磯部頭首工下流の床固工
磯部頭首工下流の床固工・危険注意看板
真横から見ました。対岸の厚木市まで続いています。注意看板によると磯部頭首工下流側河川内施設とありました。

磯部頭首工
その上流磯部頭首工です。久しぶりの対面で~す。転倒堰は倒伏しスライドゲートは上に引揚げてあります。

磯部頭首工公園の弁天様と蛇の像
磯部頭首工公園の弁財天と可愛らしい蛇の像にも再会しました。七福神中、唯一女性神で、水と財宝の神と伝えられる弁財天。弁財天の化身が蛇や龍、蛇は弁財天の遣いとも言われています。水の恵みに感謝の意を込めてここに祀られたのでしょう。
このあと相模川伏越、10連の取水ゲートなどを見ながらJR相模線下溝駅へ向かいました。

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其の520 相模川旧堤防を歩く・神奈川県海老名市

 今年1月鳩川の河口から源流まで歩いた時に、鳩川から150mほど東に並行する土手を見つけました。この土手は何だろう。以来気になっていたので実際に現地を歩いてきました。

相模川左岸堤防・上郷水管橋たもと
10月16日(火)、JR相模線海老名駅下車。横須賀水道みちに入り、横須賀水道半原系統・上郷水管橋たもとにやってきました。今回はここ相模川左岸堤防上の散策路からスタートします。
今回のテーマは「相模川旧堤防」としましたが、この堤防は途切れることなく旧堤防の末端まで続いています。後掲の今昔マップを参照ください。

相模川左岸堤防
左岸堤防上散策路を上流へ歩きました。現役の堤防です。

鳩川さくら橋
そのまま進むと堤防は自然に鳩川左岸堤防となります。
鳩川左岸堤防(鳩川に架かるさくら橋東詰め)から見た相模川左岸堤防の南端。黄緑色芝生斜面がそれです。相模川左岸堤防は堤防の不連続・霞堤になっています。

鳩川左岸堤防散策路
鳩川左岸堤防上桜並木の散策路を上流へ歩きます。先ほどまで相模川左岸堤防でした。

馬船橋より鳩川上流を望む
一つ上流の馬船橋から見た鳩川上流方向です。左岸の堤防は右岸に比べて高くなっています。

鳩川左岸堤防
左岸堤防を上流へ進みます。鶴松橋下流の堤防です。鳩川は左下を流れています。

鳩川左岸堤防(相模川旧堤防)
その先の交差点で堤防らしからぬ砂利道の一般道になりました。左へ50mほど入ったところが鶴松橋です。これから堤防は徐々に鳩川から離れて行きます。

鳩川の鶴松橋
鳩川に架かる鶴松橋です。

相模川旧堤防
進行方向右(東)側田んぼのあぜ道から砂利道を眺めると堤防らしい土手です。

相模川旧堤防
その先進行方向左(西)側から見た土手道。鳩川は200mほど西を流れています。

相模川旧堤防
北へ向かう土手道。ここは海老名市下今泉1丁目6です。

相模川旧堤防
そのまま進むとR246に突き当たります。県道51号線へ迂回しその先へ向かいます。

下今泉第1児童公園
迂回しR246北側沿い下今泉第1児童公園にやってきました。樹木が茂る公園西側沿いに土手がそっくり残っています。

下今泉第1児童公園沿いの相模川旧堤防
西側フェンスと工場建屋の間が土手です。その高さはフェンスの高さくらいあります。

相模川旧堤防
更にその先北側道路から見た土手。R246から約300m続いた土手の端です。このような土手をどこかで見たことがあります。寒川浄水場前にもそっくり同じような土手(相模川旧堤防)が連なっていました。 「其の413」。

相模川旧堤防
北側道路より上流側は桜並木の土手道で、車両が通行可能な道です。ここは海老名分水路「其の451」の近くです。

相模川旧堤防
桜並木の土手道。

相模川旧堤防
土手下に下りると結構高さがあります。今年1月に鳩川から見えたのはこの土手だと思います。鳩川は150mほど西側を南流しています。

相模川旧堤防
その先で平坦地になりました。桜並木はここで終わっています。

相模川旧堤防
その先県道51号線手前です。右側は土手の跡地と思われます。

県道51号線弁財天社
県道51号線に出ました。県道沿いの弁財天社。

相模川旧堤防
土手は県道を横断しまだ先へ続いています。

相模川旧堤防
進入すると桜並木の土手道が残っていましたよ。(^σ^)

相模川旧堤防
相模川旧堤防
土手の端っこに到達しました。海老名市上郷からたどってきた堤防(土手)はここで終わっています。前方は海老名市下今泉、上今泉の田んぼです。鳩川は下の写真の田んぼの向こう側を流れています。


今回のタイトルは「相模川旧堤防」としました。実態は鳩川左岸堤防じゃないの?と思われるかも知れませんが、今昔マップで一番古い明治39年測図(1896~1909年)を参考にすると、今日たどった堤防は相模川左岸堤防であることが分ります。地図に示された当時の堤防(土手)が今日歩いた通り今でも残っているんですね・・・。(驚)
相模川は今でこそ相模ダム、城山ダムにより洪水調節が行われ洪水の恐れはないのですが、江戸の昔はこの辺りまで相模川氾濫の被害が及んでいました。

ここから近い海老名市上今泉榎戸に「お松の碑」が立っています。海老名市役所HP「えびなむかしばなし」の中で紹介されています。その中で相模川の治水工事について触れています。
「伝えによると江戸初期の寛文二年(1662年)、時の領主久世大和守広之という大名は、この洪水の難を救うため耕地に一大堤防を設けようと一念発起、立ち上がったのである」とあり、私は、今日歩いた堤防は久世大和守が築いた堤防ではないかと想像しています。

寒川浄水場前の旧堤防には陸閘の遺構がありました。今回の歩きでも密かに期待したのですがひとつもなかったですね・・・。残念。

明治39年測図(1896~1909年)の今昔マップです。中央の有鹿神社が今回のスタート地点です。2画面表示に切替えできます。 (今昔マップon the webより)


其の519 水を抜いた城山湖を見てきました・相模原市緑区

 城山観光協会HPで城山湖の水が抜かれていると知り早速見に行きました。5年前に城山発電所や城山湖を見学したことがあり、一度は空っぽになった城山湖を見たいと思っていました。またとないチャンスです。

水を抜いた城山湖
空っぽになった城山湖です。普段は見られない取水口や測水塔(城山湖の水深は28m)が見えます。取水口は八角形で直径は24mもあります。

城山湖取水口
取水口のアップです。地下230mにある城山発電所の水車発電機入口弁を開けるとここから水圧鉄管内を一気に落下し水車を回すんですね。揚水時は水車発電機がポンプモーターとなり逆回転し流れは逆になります。上手く考えましたね・・・。

水が抜かれた城山湖
やや西からの眺望。右上は本沢ダム堰堤です。

城山湖
右上は展望台です。展望台脇に駐車スペースあり。

本沢ダム堰堤
本沢ダム堰堤です。対岸に余水吐が見えます。

本沢ダム
型式:中央土質遮水壁型ロックフィルダム
堤高・堤頂長:73.0m・234m
管理者:神奈川県企業庁  着工年/完成年:1962/1965

(本沢ダムダムカードより)

城山湖・余水吐
普段は見えない余水吐施設の一部が見えます。スクリーン付き開口は放流管でしょうかね。余水吐は想定外の豪雨など非常時におけるダムの安全のために設置されています。豪雨時周りの山に降った雨が流れ込み、湖の水位が上がるので排水するための施設です。境川水系の宝沢に落としています。


帰りに津久井湖記念館に寄りダムカードをもらいました。本沢ダムは以前と同バージョンでしたが城山ダムがVer.2に変わっていました。

本沢ダム・ダムカード
本沢ダム(本沢調整池・城山湖)ダムカードです。
揚水式発電所の城山発電所の上池になります。

城山ダム・ダムカード
城山ダム(津久井湖)Ver.2ダムカードです。
城山発電所の下池になります。

水を抜いた城山湖はめったに見られません。十数年に一度、工事や点検時に見ることができます。普段でも発電終了後にこれに近い状態になると思われますが、それがいつかは公表されないので知ることは出来ません。東京電力から発電要請の都度発電し、5時間程度の運転で城山湖は空に近い状態なるわけですが、その場に居合わすことはまず無理と思います。ゆえに今回の水抜きした城山湖見学は千載一遇のチャンスだったわけです。ラッキーでした。(^σ^)/

城山湖水抜のお知らせ看板
展望台付近の神奈川県企業庁のお知らせ看板。
城山発電所点検作業のため城山湖(本沢調整池)の水を抜いています。作業期間は9月25日~12月25日まで。
早めの探訪をお勧めします。私は10月19、20日に行ってきました。



関連記事です。
其の101 城山発電所を訪ねる
其の102 城山湖へ行ってきました
其の257 境川水系本沢を探訪しました(城山発電所インクライン地上部出入口)
其の258 境川水系宝沢と城山湖を探訪しました

城山湖・本沢ダムの位置です。


其の518 原宿用水を歩く・相模原市緑区広田~町屋~原宿

 9月28日(金)晴れ、その昔、旧城山町を流れていた原宿用水を探訪しました。

小松川に架かる原宿用水水路橋
これは平成27年11月に境川源流を探訪した際に撮影した水路橋です。小松川が境川に合流する直前に架かるいかにも歴史がありそうなコンクリート造りの水路橋です。どこからどこへ流れて行くのか、以来ずうっとこの橋のことが気になっていました。
ごく最近まで原宿用水の名前すら知らなかったのですが、小3になる孫の社会科副読本に詳しく紹介されていて、この水路橋が原宿用水と知りました。

境川・相模原市緑区広田
副読本を参考に境川の原宿用水取入口へやってきました。左岸が東京都町田市で右岸は相模原市緑区(旧城山町川尻)広田です。取水堰の遺構らしきものは見当たりません。撮影地点に地名標柱が立っているので取入口と分かります。

境川の原宿用水取入口地名標柱
境川の原宿用水取入口地名標柱
平成5年に旧城山町が立てた原宿用水取入口の地名標柱。
江戸時代初期に境川の水をここから原宿まで引いたもの。県営水道が普及するまでの約四百年間大切にされてきた。 (地名標柱より)

原宿用水跡
取入口から南へ続く道路。この道沿いに用水路は流れていました。

増境橋
その先の境川に架かる増境橋へ出てきました。

増境橋より境川下流を望む
増境橋より境川下流を望む。50mほど下流右岸に小松川が合流しています。

増境橋たもとの道標
増境橋たもとに古そうな道標が立っていました。「御成婚記念 東 相原村相原を経て橋本」。

小松川に架かる原宿用水水路橋
小松川河口に架かる橋より小松川上流を望む。冒頭に載せた水路橋です。橋の側面に「御大典記念」と刻まれています。少し先の案内板によると昭和3年(1928年)昭和天皇の即位を祝った記念式典(御大典)の年に造られたものです。それまでは木の橋の上を流していたそうです。

小松川に架かる原宿用水水路橋
小松川左岸側から見た水路橋。右岸側は藪です。

原宿用水
迂回してその先を見つけました。東へ向かう原宿用水路跡。
入口に「原宿用水堀」の案内板が立っています。

原宿用水跡
そのまま進むと藪で通行不能になりますが、迂回するとここへ出てきます。用水路はT字路を右へ曲がっていました。ここは相模原市緑区町屋3丁目です。

原宿用水跡
東へ入る用水路っぽい道を発見。車止めがあるので間違いないですね。

原宿用水跡
道なりに南へ進むと、東西に走るバス通りへ出ました。バス通り南側を用水路は流れていました。用水路上を東へ進みます。

原宿用水跡
砂バス停手前を右折し一路南下します。この道は原宿自治会館に至る道です。右側歩道下が原宿用水路跡です。

原宿用水跡
川尻八幡宮の参道を渡ります。昔は用水路に丸太の橋が架けられていたそうです。東側はスーパーアルプス。

原宿堀公園
その先用水路跡右側は原宿自治会館北側の原宿堀公園です。
この公園にかつて市が立てられていました。その跡地です。
江戸時代初期(寛永年間1624~1643)、時の代官により、この地に市の町を開くように命じられ、出来たのが原宿の町と市です。市には水が欠かせないので境川から用水を引きました。これが原宿用水の始まりです。原宿用水は昭和の中ごろまでおよそ400年間原宿の人たちにより大切に守られてきました。(案内板より抜粋)

原宿市跡地名標柱
城山町教育委員会が立てた原宿自治会館前の「原宿市跡」の地名標柱。

大山みち道標  徳本念仏塔
左の写真は原宿自治会館内の上に不動明王坐像を戴いた大山みち道標です。近くにあったものをこちらに移転したそうです。
右は自治会館北側の徳本念仏塔です。

原宿用水跡
原宿用水は自治会館の辺りで四本に分水され原宿の町中を東へ流れ、生活用水として利用されていました。東原宿に今でも用水路跡が残っています。

原宿用水案内板
城山町教育委員会が立てた案内板です。
その中に全く想像もしなかったことが書いてありましたよ。
流れはこの辺りから南に向かい、一部は水田に利用され、山谷を経て鳩川の源流域(相模原市下九沢)に合流していきました。
今年一月に鳩川源流を探訪したので、この話はよく理解できます。それにしても境川水系の水が相模川水系鳩川の源流域に合流とは・・・いやあ~驚きました。完全な流域越えですね・・・。

川尻八幡宮
帰りに川尻八幡宮に参拝しました。

川尻八幡宮前の大山みち道標
川尻八幡宮二の鳥居前の大山みち道標です。

ツリフネソウ
おしまいにツリフネソウです。穴川林道わきの湿地に群生していました。ツリフネソウをじっくり観るのは蓼科湖円筒分水工以来二年振りです。(^σ^)

原宿用水取入口の位置(中央十字線)です。


其の517 赤祖父ため池を訪ねる・富山県南砺市

 前回発表した赤祖父円筒分水槽に続いて赤祖父ため池を訪ねました。

赤祖父ため池
赤祖父円筒分水槽の南側に位置する赤祖父ため池です。
赤祖父川を長さ200.2mの中央コア型アースダムで堰き止めています。

赤祖父ため池
正面が長さ200.2mの堰堤です。左岸には洪水吐があります。

赤祖父ため池
赤祖父ため池概要図です(案内板より)。アースダムのコア部は刃金土を使っています。

赤祖父ため池(あかそぶためいけ)の概要です。
昭和7年9月着工 昭和20年6月完成
河川名:一級河川小矢部川水系赤祖父川
管理者:庄川上流用水土地改良区  受益面積:441ha
堤形式:中央コア型アースダム   堤頂長さ:200.2m 
最大取水量:0.95㎥/秒  取水トンネル:延長336m
平成22年農林水産省ため池百選に選定。
ヘラブナ釣りが盛ん。 
(赤祖父ため池案内板より抜粋)

赤祖父円筒分水槽付近の景色
ため池は赤祖父円筒分水槽前の坂道を上ったところにあります。円筒分槽付近から南方向の眺めです。中央に黄緑色の堰堤が見えます。

赤祖父ため池
左岸からの眺めです。

赤祖父ため池
左岸の建物は取水管理塔です。取水施設の一部が見えます。
取水した用水(最大取水量:0.95㎥/秒)は延長336mの水路トンネルで赤祖父円筒分水槽へ送っています。

赤祖父ため池・女人夫
案内板に興味深い写真が載っていました。
堰堤の築造には堤体の搗き固め作業に女人夫7,800人が動員されました。 (案内板より)
昭和17年と言えば先の大戦の最中です。男手がないので農家の婦女まで駆り出されたのでしょう。女人夫が手にしている道具は「タコ」ですね。適当な長さに切断した丸太の両側に柄をつけ両手で持ち上げドスンと落して搗き固めたんでしょう・・・。重労働です。水不足解消のため地域が一丸となって取り組んだことがよく分かります。


この日は魚津駅前のアパホテルを出発。R8を金沢方面へ走り高岡市内で左折し赤祖父円筒分水槽へ向かいました。高岡市内で懐かしい路面電車に出遭ったので車窓から撮りました。あとで調べたら万葉線の電車でした。

高岡市万葉線の路面電車
丸ごとコカコーラ塗装ワンマンカー。

高岡市・万葉線の路面電車  高岡市・万葉線の路面電車
右は坂下町に停車中の高岡行き電車。

高岡市・万葉線の路面電車  高岡市・万葉線の路面電車
2両連結車も走っていました。

いやあ懐かしかったですね・・・。子供のころ名古屋にも路面電車が走っていました。2両連結車やワンマンカーも走っていました。ワンマンカーは上部がクリーム色、下部が濃緑色の標準塗装の間に赤色ラインが入っていました。近くの電車の車庫は今でも覚えています。自転車で行ける範囲では池下、大久手、安田に車庫がありました。

赤祖父ため池の位置です。


其の516 赤祖父円筒分水槽を訪ねる・富山県南砺市川上中

 9月14日(金)、富山県の円筒分水工巡り二日目です。南砺市の赤祖父円筒分水槽を訪ねました。

赤祖父円筒分水槽・富山県南砺市
赤祖父円筒分水槽(あかそぶえんとうぶんすいそう)です。清らかな水が中央から吹き上がっています。
案内板によると待望の赤祖父ため池が昭和20年6月に完成し、4年後の昭和24年赤祖父円筒分水槽が完成。これにより赤祖父12ヵ村で長年続いた水争いは解消したそうです。
あとで見学する赤祖父ため池から用水を引き3方向に分水しています。この写真は東側からみたところですが、左奥のゲートが「一の用水」向けです。

赤祖父円筒分水槽
西側から見ました。北側にゲートが2門あります。「二の用水」、「大川筋用水」へ流れて行きます。

赤祖父円筒分水槽・断面図平面図
平面図・断面図です。(赤祖父円筒分水槽案内板より)
内槽:φ3,050   外槽:φ5,150
内槽外層間の仕切板位置で分水比を決めています。
通水量の記載がありませんが水源の赤祖父ため池の最大取水量は0.95㎥/秒となっています。

赤祖父円筒分水槽・一の用水
赤祖父円筒分水槽・一の用水
いつものように用水路を下流へたどってみました。これは西方の田んぼへ向かう一の用水幹線水路です。橋の手前で早速右へ分水しています。直進する幹線水路は北から来た用水路の下を潜り西の方へ向かっています。用水路同士の立体交差です。

並行して流れる用水路
茶色に濁った北から来た用水路がこちらの方に流れています(南流)。一の用水から分水した右側の細い支線水路は北へ流れています(北流)。並行する用水路が逆方向へ流れる面白い風景です。

一の用水支線用水路
一の用水支線水路をさらに下流へたどると管路になります。

水管橋で赤祖父川を渡る一の用水支線用水路
その先です。完全に管路となり、水管橋で赤祖父川を渡っています。赤祖父円筒分水槽を発した用水の一部は右岸地区の田んぼへ向かっていることが分りました。隣りの大口径の赤い管橋は何でしょう。

赤祖父川水管橋
実は赤い管橋も水管橋です。茶色に濁った用水はこの中を流れています。農作業中の方にたずねると庄川で取水した用水だそうです。面白いですね~。農業用水の水管橋はめったに見られないです。それも逆方向に流れる水管橋が並列している風景はとても珍しく貴重な存在です。今探訪で最大の収穫です。おまけですね。(^σ^)

赤い水管橋は銘板によると「赤祖父川水管橋」と言います。県営南砺山麓用水補給事業により昭和48年3月に架橋されました。
管内径1.197m 有効径間:30.0m 2径間連続ビーム


並行する用水路・赤祖父円筒分水槽付近
並行して逆方向へ流れる一の用水支線水路と南砺山麓用水補給事業用水路。赤祖父円筒分水槽のゲート開閉器が正面に見えます。

南砺山麓用水補給事業用水路
赤祖父円筒分水槽付近で川上中トンネルへ入る県営南砺山麓用水補給事業用水路。

赤祖父川水管橋たもとの記念碑
おしまいに赤祖父川水管橋たもとの記念碑です。「水到渠成」と大きな文字が刻まれています。胸像は南砺山麓用水補給事業実現に功労のあった故伊東米次郎氏の像。平成6年3月庄川上流用水土地改良区が建立。

次回は水源の赤祖父ため池を訪ねます。

赤祖父円筒分水槽の位置です。