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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の473 穴川源流を訪ねる②・相模原市緑区川尻

 前回の続き、穴川源流探訪の2回目です。源流近くまで見届けてきました。

穴川が流れる谷戸の風景
龍籠山金刀比羅宮へ通じる道です。穴川は南側(写真の左側)山の縁に沿って流れています。

溜池跡の碑

溜池跡の碑
穴川左岸台地の上でこんな案内石碑を見つけました。
「溜池跡」と刻んであります。
碑文によると貞享元年(1684)の川尻村絵図から溜池があったと思われるところだそうです。この辺りは300年以上前の大昔から田んぼが開かれていたんですね・・・。
横浜市青葉区の寺家ふるさと村の田んぼはここと同じような谷戸田ですが、今でも湧水を溜池に溜め田んぼに水を送っています。ホタルが舞う里山という点も共通していますね。

穴川が流れる谷戸田の風景
両側の山が狭まってきました。谷戸田の西の端です。

穴川が流れる谷戸田の風景
来た道を振り返りました。谷戸らしい趣がありますね。

ここで道中の道端で見つけた草花をちょっとだけご覧ください。

カタクリの花  カタクリの花
カタクリの花。雑草に混じって咲いていました。

諸葛菜(ハナダイコンの花)  オオイヌノフグリ
諸葛菜(ハナダイコンの花)とオオイヌノフグリ。可憐な花なのに犬のふぐりとは。可哀そうです。

穴川林道ゲート
谷戸田の西の端を過ぎると穴川林道のゲートがあります。昼間は車も人も通行可能ですが16:30から翌朝9:00まで車両は通行禁止になります。

穴川林道標識
相模原市が管理する穴川林道の案内標識。ここは穴川林道の起点で延長は985m。終点は龍籠山金刀比羅宮参道入り口付近です。

穴川林道
ゲートを過ぎ林道に入ると景色が一変します。穴川は左側樹林の左下を流れています。

穴川
樹林左側の谷間を流れる穴川。護岸はなく自然のまんまです。

アオキの実
針葉樹林根元の日影には至るところにアオキが生えていました。これはその実。小鳥が食べ残しているので、これからもっと熟して真っ赤になるのでしょう。

穴川源流
その先の林道沿いの砂防ダム(砂防堰堤)です。これより先林道は右カーブし急な上り坂になります。砂防ダムより奥(上流)は左右の山が迫る山峡で沢沿いの道はなく歩くことはできません。これが目視できた最後の穴川の流れです。谷頭の森から始まる川の源流探訪はたいがいこんな結末になります。

穴川林道
急坂を上りきった尾根を通る穴川林道。左側崖下峡谷を穴川は流れています。森が深く流れは見えません。

城山湖天空の里駐車場下の広場より東方を望む
穴川林道終点近くの城山湖天空の里駐車場下の広場からたどってきた谷戸を展望しました。写真中央左右の山に挟まれた峡谷から穴川は始まっています。この広場の前方(谷側)はアースダムのような急斜面で下ることはちょっと無理そうです。

探訪後に分ったのですが前回歩いた小松川、今回歩いた穴川が流れる谷戸(小松川・城北地区)は環境省の重要里地里山に選定されているそうです。
今日は山、川、田んぼに小動物や草花が生息する里山を気持ちよく歩けて良かったです・・・。(^σ^)/ 
田んぼに水が入る頃に取水堰の様子や用水路を見るために再訪したいですね。

今回の探訪で境川源流探訪がまた一つ加わりました。以前歩いた大地沢、宝沢、段木入、本沢、小松川、今回の穴川を入れると六つ目の境川水系源流部を探訪したことになります。探訪記は月別アーカイブ(2015/11、2015/12)で発表しました。

今回最後に見た穴川の砂防堰堤の位置(中心十字線)です。


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其の472 穴川源流を訪ねる①・相模原市緑区川尻

 前回「其の471」で訪ねた境川水系小松川の支流穴川源流を探訪しました。2回に分けて発表します。

小松川に合流する穴川
3月25日(日)晴れ、前回通った県道48号線小松橋へ再びやってきました。手前の小松川に合流する穴川です。

龍籠山金刀比羅宮参道口
県道48号線沿いを流れる穴川右岸に「龍籠山金刀比羅宮参道口」の案内石柱が立っています。尾根道のハイキングコースの入口でもあり金刀比羅宮まで45分の道のりです。

穴川
県道から離れ西の方へ向かいます。前回歩いた小松川は谷戸を流れる川でした。穴川は小松川の北側の谷戸を流れる川です。源流はここより西の龍籠山金刀比羅宮の方向です。

穴川の落差工・農業用取水堰
すぐ上流に落差工がありました。谷戸を谷頭に向けて歩くので徐々に標高が高くなります。

穴川の落差工・農業用取水堰
落差工を上から見ました。農業用取水施設を兼ねています。右岸のコンクリート堰に縦溝が切ってあります。角落し堰ですね。取水期には角落し板を嵌め込み流れを堰き止めます。左岸に取水口が見えます。

谷戸田を流れる穴川
角落し堰付近の谷戸田の風景です。道路左側が穴川、右側田んぼ沿いに用水路が走っています。

ホタルの里(境川水系穴川)
ホタルの里(境川水系穴川)の看板が立っていました。

穴川の落差工・農業用取水堰
二つ目の落差工(床固工)兼農業用取水施設です。

穴川の落差工・農業用取水堰
一つ目の施設同様角縦溝が切ってある角落し堰です。シーズンオフなので取水口にフタがしてあります。

穴川
河道内にホタルの幼虫が上陸できる陸地があります。

穴川
ほぼ直角に蛇行する穴川。

蛍と花の里 城山町城北の看板
蛇行部に立つ看板。「蛍と花の里 城山町城北」。南側の山の上に小松城址があります。

穴川の農業用取水施設
三つ目の取水施設です。やはり角落し堰です。

谷戸田を流れる穴川
付近の谷戸田の風景。穴川は左側の山裾に沿って流れています。田起しはこれからのようですね。東京都町田市や多摩市の多摩丘陵を歩いたことがありますが、そっくり同じような景色です。

穴川
南側山沿いを蛇行する穴川。

穴川の農業用取水施設  穴川の農業用取水施設
四つ目、五つ目の農業用取水施設です。取水方式は同じです。

穴川右岸のブロック積護岸
五つ目の取水施設上流右岸の護岸です。ブロックに穴が開いています。山側からの湧水を受け入れやすくするためですね。

穴川支流
城山ふれあい水路看板
穴川右岸に流れ込む小川。「城山自然ふれあい水路入口」の看板があったので小川を上流へたどってみました。

城山ふれあい水路
小川は南西方向から伸びる別の谷戸から流れ下っています。

バンジ谷戸の池
途中に池が二つ。池の周りには花菖蒲の新芽、池の中には希少なメダカやオタマジャクシがいましたよ。傍らに看板あり。この谷戸は「バンジ谷戸」と言います。

穴川支流のバンジ谷戸
その奥は湿地帯です。踵を返し穴川沿いに戻ります。

途中ですが今回はここまでです。続きは次回発表します。

今回のスタート小松川合流点です。


其の471 小松川源流を訪ねる・相模原市緑区川尻

 3月17日(土)晴れ、境川支流小松川の河口から源流まで歩いてきました。

増境橋より境川下流を望む
東京・神奈川の都県境を流れる境川にやってきました。増境橋より境川下流を望む。左岸が東京都町田市、右岸は神奈川県相模原市です。小松川は写真中央、境川右岸に合流しています。道路左右の白いフェンスは小松川に架かる橋の欄干です。

小松川河口・相模原市緑区町屋3
境川合流点に架かる橋より小松川上流を望む。アーチ型の橋が架かっています。角落の余水吐けがあるので昔使われていた農業用水路橋と思われます。水路橋の上下流に水路はなく水路橋だけが残されています。コンクリート表面に何か刻まれていますが判読できません。
今日はここから小松川源流を目指して歩きます。

新町屋橋より小松川下流を望む
境川合流点上流の小松川です。150mほど上流の新町屋橋から小松川の下流方向を見ました。

小松川の広田橋
広田小付近の広田橋です。親柱や欄干にホタルが描かれています。町のシンボルのようです。

県道48号線小松橋
その上流県道48号線小松橋です。飛び交うホタルを見るには、河道内に陸地がありホタルの幼虫の餌になるカワニナが繁殖可能な清流が必須条件と思うのですが・・・。橋に描かれるほどシンボル的存在なので夏には見られるのでしょう。

小松川・穴川合流点
県道を渡ったところで左岸に穴川(右側の川)が合流しています。

小松橋上流の小松川
その上流です。流路工でしっかり固めています。これより上流に流路工はなかったので貴重です。

小松川
今日は晴天。小松川は谷戸を流れる穏やかな川です。
春の小川はさらさら行くよ♪・・童心に戻ってしまいます。(^σ^)

小松川・相模原市緑区川尻
県道48号線小松交差点から城山発電所に至る道沿いを流れる小松川。

小松川の農業用水取水施設
松風橋上流で農業用取水施設を見つけました。簡単な角落の堰です。右岸にU字溝のような取入れ口が見えます。

小松川の農業用水取水施設
すぐ上流でもうひとつ見つけました。角落の堰で右岸に取水ゲートがあります。谷戸田へ向かう用水路の始まりです。

小松川
農業用取水施設上流の小松川。右岸沿いを歩きましたがこの先で行き止まりです。松風橋まで戻りました。

谷戸の風景・相模原市緑区川尻
進行方向の谷戸の風景。小松川は左側の山の縁に沿って流れています。谷頭の源流を目指します。

小松川・相模原市緑区川尻
谷間を流れる小松川。どこで見失うか分らないので流れを見られそうなところにはなるべく踏み込みました。ここは急斜面です。先日歩いた小田原城跡総構(そうがまえ)が一瞬頭をよぎりましたよ!

割烹やな川前の小松川
割烹やな川の駐車場下を流れる小松川。左岸の護岸が新しくなっています。段々の護岸は珍しいですね。

小松川
その上流です。河道内に伏流水の取水施設があります。両岸が荒れています。地元の人の話では、8年前に山が怒って流路が変わるぐらい大量の水が流れたそうです。局地的集中豪雨のせいと思うのですが・・・。この場所は民有地内でした。知らずに入りましたが了解を頂き撮影。

小松川の砂防堰堤
その上流、城山発電所へ通じる道沿いの砂防堰堤です。小松川に流れがありません。

小松川の砂防堰堤
目線を下げると砂防堰堤下の床固工下から流れが始まっています。砂防堰堤内の伏流水と思われます。確認できた小松川の最も上流部の流れです。伏流水はどこから来ているのでしょう。

小松川の砂防堰堤
道路から砂防堰堤右岸の奥を見ました。堰堤上の橋を渡るのは危険なので帰宅後に地理院地図で確認すると砂防堰堤から200mほど西に入った谷頭から沢が始まっています。
これが小松川源流ですね。(^σ^)


地理院地図です。中心十字線が砂防堰堤の位置です。ここは相模原市緑区川尻龍籠(たつご)と言うところです。

小松川の砂防堰堤上流の雨水側溝
砂防堰堤上流道路沿いの雨水側溝。晴天なので流れはありません。雨が降れば砂防堰堤から小松川に流入します。
小松川源流の谷頭部に踏み込むことはできないので、このまま城山発電所へ通じる道に沿って歩きました。

小松川砂防堰堤上流の道
城山湖テニスコート前です。前方に本沢梅林が見えます。小松川源流に関係があるので、梅林の背後の龍籠山に鎮座する金刀比羅宮を訪ねます。

金刀比羅宮参道 金刀比羅宮参道
本沢梅林入り口前の金刀比羅宮参道と急階段の参道です。

龍籠山金刀比羅宮本殿
龍籠山金刀比羅宮本殿です。案内板によると四国の金刀比羅宮から分霊奉遷したので龍籠の金毘羅様とも呼ばれ信仰を集めているそうです。

龍籠山金刀比羅宮の霊泉
小松川源流と言われる本殿脇の霊泉です。じつはこの話は以前訪ねた際に案内板で知りました。再度確認のためここまで登ってきました。

本殿裏の岩間より湧き出る霊泉は干ばつの際も涸れることなく・・・霊泉は小松川源流となって地域を潤し末は江の島で片瀬川となるまで県内を貫流し・・・ (案内板より抜粋)
確かに地形的にはここに降った雨は小松川に流れて行くので、小松川・境川の源流であることは間違いないですね。


おしまいに航空神社と城山湖の紹介です。

航空神社   城山湖
金刀比羅宮裏の山道を登ると龍籠山の山頂に達します。山頂の航空神社です。戦時中に墜落した爆撃機、隼戦闘機の搭乗員3名の方が祀られています。

龍籠山を反対側へ下ると城山湖です。揚水式発電所の城山発電所の上池で本沢調整池とも言います。下池は相模川水系一級河川津久井湖(城山ダム)です。


其の470 横浜水道川尻隧道の遺構を訪ねる・相模原市緑区

3月13日(火)、好天だったので急に思い立ち6年振りに川尻隧道を見に行ってきました。

相模川左岸沿いの横浜水道みち
城山ダム下流の相模川左岸崖沿いに開かれた道です。横浜水道創設路線は相模川左岸の大雨のたびに崩落する危険極まりない崖沿いに敷設されていました。この道の下にもかつて18吋、22吋の鋳鉄管が敷設されていたのではないかと想像しています。

相模川を渡る圏央道
相模川を渡る圏央道です。6年前に探訪した時は橋脚だけでした。今は開通していますが車窓から表の景色は一切見えないので、相模川の景観を見ることはできません。

相模川左岸の圏央道
相模川左岸の圏央道と橋台です。圏央道は甲府や長野方面へ行くときにちょいちょい利用します。八ツ沢発電所を訪ねたときは相模原愛川ICから上野原ICまでが半時間ほどでした。圏央道が開通し便利になりました。

横浜水道川尻隧道
道をだらだらと下って行くと左手にひっそりと在りましたよ・・・。
胸ときめく恋人に再会で~す。(^σ^)/

横浜水道川尻隧道
6年前当時と全く変わらぬ佇まいです。初探訪時は圏央道が工事中でした。実はその後がどのようになったかずうっと気になっていたんですよね・・・。
川尻隧道は導水管を通すための管路隧道です。現役の頃(中沢接合井、久保沢隧道が完成するまで)は42吋のドイツ製鍛接鋼管が敷設されていました。

川尻隧道
津久井郡三沢村及び川尻村地内において、旧水道路線の迂回部を直線に貫通して築造したものである。
延長487.8m。第2回拡張工事で明治45年5月完成。
川尻隧道下口で既設18吋(460mm)、22吋(560mm)及び
新設の36吋(910mm)管に接続。

横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋

なお、隧道上部の「川尻隧道」銘板が取り外されています。横浜市保土ヶ谷区西谷の水道記念館にモニュメントとして展示してあります。

横浜水道川尻隧道
隧道内部から湧水が流れ出るのも6年前と同じです。隧道は鉄筋コンクリート製で表面はレンガ張りです。創設路線を設計監修した英国人H・S・パーマーさんの影響でしょうかレンガはイギリス積ですね。

横浜水道川尻隧道
隧道内部の様子です。隧道の上流側入り口は城山ダム左岸の津久井発電所取水塔のそばにあります。

横浜水道城山隧道上口
これは同じ管路隧道の城山隧道上口の写真です。右側が42吋ドイツ製鍛接鋼管です。いまも現役で働き続けています。凄いですね・・・。

6年前の川尻隧道探訪記です。
「其の8 谷ケ原浄水場から津久井発電所へ」


今日の所期の目的は達したので近辺を漫ろ歩きしてきました。

城山ダム・津久井湖・沼本ダムの立入禁止水域
神奈川県企業庁相模川水系ダム管理事務所が設置した城山ダム・津久井湖・沼本ダムの立入禁止水域の看板があちこちに立っていました。(画像クリックで拡大)

城山ダム
城山ダムです。堤体に添架してある一番太いパイプが横浜水道道志川系「城山ダム水管橋」です。口径はΦ1350です。

横浜水道道志川系第3接合井
ダムを渡った城山ダム水管橋は城山ダム左岸でここ「第3接合井」に接続されています。以下、久保沢隧道を通り上大島接合井から川井浄水場へ向かっています。

城山ダム水管橋銘板
第3接合井に掲示の城山ダム水管橋の銘板です。
延長:277.488m  管径:1.350m  完成:昭和39年3月

城山大橋から見た津久井湖
城山ダム堤体上のR413・城山大橋から見た津久井湖。
右側の塔は津久井発電所1号機の取水塔です。発電機水車を回した後、相模川の維持水として小倉橋上流で相模川に放流されます。
横浜水道道志川系の遺構、中沢接合井と先ほど見学した川尻隧道上口が見えるはずですが雑草のせいで見えません。

津久井発電所取水塔
6年前に撮影した写真です。正面の建物は神奈川県城山ダム管理事務所。右から津久井発電所取水塔、煉瓦色が川尻隧道上口、その左は中沢接合井です。
城山ダム完成(昭和40年)以前、この辺りの相模川河原から崖斜面にかけて数多くの桜が植えられ、横浜水道創設路線の第三工区であったことから「三工区の桜」として名を知られていたそうです。

神奈川県立公園水の苑池
中沢接合井の上流側(城山ダム管理事務所の隣)左岸一帯は現在神奈川県立公園「水の苑地」として整備されています。湖岸に三工区の桜が一部残っています。もうすぐの開花が楽しみですね。

津久井湖畔水の苑池の若山喜志子歌碑
おしまいに水の苑地内の若山喜志子(牧水の妻)歌碑の紹介です。
「今日の雪は降りつもれども明るくてとほく小鳥のさえつるきこゆ 喜志子」


其の469 滝川分水路を訪ねる・神奈川県藤沢市柄沢橋

 4年ほど前に横須賀水道みちを歩いた時に見つけた柄沢橋の滝川分水路をあらためて探訪しました。3月2日(金)晴れの日に行ってきました。

境川の遊行寺橋(旧大鋸橋)
小田急江ノ島線藤沢本町駅から旧東海道を歩いて境川に架かる遊行寺橋(旧大鋸橋)にやってきました。昔、江戸を発った旅人は鎌倉郡と高座郡の境界・境川に架かる遊行寺橋を渡り藤沢宿へ入りました。ここがその場所です。

広重の東海道五十三次藤澤遊行寺
広重の東海道五十三次藤澤遊行寺
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
同じ場所を広重が描いていました。大鋸橋を渡る旅人。背景の山は遊行寺。大鋸橋を渡り左へ曲がり江の島弁財天一の鳥居をくぐると江の島道です。座頭の一行は江の島へ向かっています。

江の島道道標
遊行寺橋下流の藤沢橋たもとの藤沢市指定重要文化財・江の島弁財天道標です。「江の島道」と刻まれています。

藤沢橋より遊行寺橋を望む
藤沢橋より遊行寺橋を望む。現在の境川はこんな川です。

境川に合流する滝川
さて、今回のテーマ滝川です。滝川の読みは手元の地図には滝ノ川とあるので(たきのがわ)と思われます。藤沢橋のすぐ下流で境川左岸に合流しています。滝川分水路の分水施設は0.8kmほど上流の柄沢橋にあります。

滝川
滝川はまだ歩いたことがないので柄沢橋まで川沿いに歩きました。感応院付近から滝川下流を望む。両岸、川底ともコンクリートで固めた掘込式の川です。

滝川
御幣公園前を流れる滝川。雨水側溝はなく路面に降った雨は護岸上部の開口から直接滝川へ流れ込むようになっています。

滝川
石端橋より滝川上流を望む。両岸は住宅密集地帯です。今日はお天気なので何ら問題はないのですが、滝川分水路完成前は大雨が降ると忽ち溢れ出たそうです。

滝川
ほどなく暗渠出口に到着。

横須賀水道みち・柄沢橋
そのまま直進すると横須賀水道みちに出てきました。

柄沢橋
横須賀水道みちを横断し北方向を見ると柄沢橋の欄干があります。欄干のこちら側は暗渠のため滝川の流れは見られません。

柄沢橋より滝川上流を望む
柄沢橋より開渠の滝川上流を望む。右岸側(向かって左側)が分水施設です。

滝川分水路分水施設
少し上流から見るとこのようになっています。見るからに興味をそそる施設です。右岸の護岸がずいぶんと低くなっています。
滝川が大雨で増水したときの越流堤ですね。
横須賀水道みちを探訪した時にこの施設に気づいたのですが当時は通りがかりなので河川名や誰がいつ築造しどこへ流れてくのか等詳細は全く不明でした。今回は藤沢市HPであらかじめ調べた上での探訪です。車で水道みちを歩く?人もいるようですが、車窓からは見えず水道みちを歩く者しか気づかないと思います。

滝川分水路分水施設
滝川分水路分水施設
分水施設を上流から見ました。越流した濁流は地下深く入って行きます。越流堤入口に大物ごみ除けスクリーンが見えないですね。中の様子は分りませんがゲートや除塵施設があるのでしょうか。

滝川・柄沢橋付近
分水施設から見た滝川上流方向です。

滝川分水路分水施設
横須賀水道みち沿い歩道にある大形の点検口と右岸の施設制御装置。
この地下に分水施設があり管径Φ3600mmの分水路トンネルが始まっていると思われます。
滝川分水路は藤沢市が平成21年度に築造した延長0.98kmの地下河川です。河川の流水量を増やすには河道断面を広げればいいのですが住宅密集地のためそれが不可能なため止むを得ず地下分水路トンネルを通したんですね・・・。放流先は藤沢橋より下流の御所ヶ谷橋付近の境川です。あとで見に行きました。

横須賀水道みちの海の杭(海軍境界杭・波入り) 海の杭(海軍境界杭・波入り)
これは何でしょう。せっかく横須賀水道みちに来たので少し道草をして海の杭(海軍境界杭・波入り)を探しに行きました。4年前と同じところにありましたよ。ほとんど埋もれていますが波マークがかろうじて見えます。
右側の写真は以前撮影した引地川付近の状態の良い海の杭(海軍境界杭・波入り)です。


滝川分水路放流口
御所ヶ谷橋上流、境川左岸の滝川分水路放流口です。スムースに合流させるためY字型合流です。境川の護岸は鋼矢板とブロック積の二段護岸です。

境川のオオバン
鋼矢板護岸でくつろぐオオバンです。指の形状が独特ですね。初めて見ました。水かきはないみたいです。

御所ヶ谷橋たもとの庚申塔
これは滝川分水路上の石像群の一部、庚申塔三体です。中央の像は主尊が青面金剛、三猿、日月も刻まれています。造立は元禄拾丁丑年と読取れました。1697年なので321年前です。

境川の堰跡橋
おしまいに帰り道で出合った堰跡橋(えんせきばし)です。「せきあとばし」と思ったのですが「えんせきばし」でした。

堰跡橋たもとの奥田堰碑
堰跡橋たもとの「奥田堰碑」。
碑文によると昔ここに農業用取水堰があり、その変遷は大正13年に木造の堰が造られ、昭和29年には愛知用水を見本としたコンクリート、鉄製の永久堰が造られたが昭和35年に周辺の市街化により農業用水としての使命を終えたそうです。
今昔マップで確認できます。昭和29年当時は水田マークが点在しています。都市化の波により短命に終わった相模原畑かん用水路とよく似た話ですね・・・。

柄沢橋の位置です。


其の468 小田原城跡総構を歩いてきました・神奈川県小田原市 

 今回はいつもの水辺歩きからはずれた番外編です。
2月24日(土)に相模原市立博物館の民俗探訪会に参加し小田原城周辺を歩いてきました。その行程の中に以前から興味を持っていた小田原城跡総構(そうがまえ)見学があり空堀の中を実際に歩いてきました。

小田原城跡・小峰御鐘ノ台大堀切東堀
これが小田原城跡総構です。国指定史跡小田原城跡・小峰御鐘ノ台大堀切東堀(こみねおかねのだいおおほりきりひがしぼり)と言います。水が張ってない空堀です。
NHKのブラタモリ一行がここを歩いたそうです。

小田原城跡・小峰御鐘ノ台大堀切東堀
見学者と比較するとその威容が分かります。敵方兵士は土塁が急勾配なので登り降りが難しく突破することはまず無理だったでしょうね。
案内板から引用します。
戦国時代に構築された空堀で、幅が約25~30m、深さは堀底から土塁天端まで12~15m、堀の法面勾配は50~60度の急勾配で空堀としては全国的にも最大規模。
北條氏は、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めに対し、総構(そうがまえ)と言われる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、その中に城のみならず城下町まで取り込んだ戦国期最大級の城郭を築きました。


小田原城跡・三の丸外郭新堀土塁
上記東堀の南側にある国指定史跡小田原城跡・三の丸外郭新堀土塁です。小田原城の西端に位置し西方の秀吉の陣城であった石垣山(一夜城)を眺望することができます。

三の丸外郭新堀土塁から石垣山(一夜城)を望む。
三の丸外郭新堀土塁から西方の石垣山(一夜城)を望む。

八幡山古郭東曲輪
これは八幡山古郭東曲輪です。小田原城址公園の西側にあります。

小田原城天守閣
次に訪れたのが小田原城址公園です。
天守閣は昭和35年に宝永年間再建時に作成された設計図や模型を参考に鉄筋コンクリート造りで復興。宝永年間に再建した天守閣は江戸時代を通じて存続したが明治3年、廃城により取り壊された。 (案内板より抜粋)
取り壊してしまったとはもったいない。惜しいことをしましたね。

小田原城銅門
小田原城銅門
この日は銅門(あかがねもん)特別公開の日でした。
宝永2年(1705)頃に造られたが明治維新の廃城により解体。平成9年(1997)復元。 (案内板より)

小田原城銅門
銅門内部の様子です。太くて頑丈そうな梁が目立ちます。吉野産の松材だそうです。

小田原城銅門石落
石を落して敵を撃退する「石落し」装置がありました。

大久保神社の奉納品砲弾
これは途中訪れた大久保神社境内の砲弾です。神社さんに砲弾とはなんでしょうかね。
台座に刻まれた「戦利兵器奉納ノ記」によると明治三十七、八年役戦利品ノ一ツニシテ・・・とあり日露戦争の戦利品でした。
奉納者は陸軍大臣寺内正毅 明治四十年三月奉納。
ロシア軍は弾薬を置いたまま逃げてしまったんですかね・・・。

小田原市板橋・内野邸
次に清閑邸を見学したあと最後に小田原板橋の内野邸を見学しました。
醤油醸造業の内野家が明治36年(1903)に建てた蔵造り風店舗兼住宅で裏には工場や穀蔵が現存。昭和55年(1980)醤油醸造事業から撤退。工場内には当時の巨大な醸造用木製桶や圧搾機械がそのまま遺されています。
写真は旧東海道沿いの内野邸ですが、昔この道に路面電車(ちんちん電車)が走っていたそうです。電車が写った当時の写真を見せてもらいました。また、敷地裏側沿いに小田原用水が流れています。4年ほど前に小田原用水を歩いた時に通ったのでとても懐かしかったですね・・・。

最初に訪れた小峰御鐘ノ台大堀切東堀の位置です。


其の467 八ツ沢発電所を訪ねる・山梨県上野原市八ツ沢

 前回の続きです。猿橋の水路橋から始めた八ツ沢発電所施設巡りの最終回です。

東京電力八ツ沢発電所
大野調整池から約4km離れた八ツ沢発電所へやってきました。
変電施設の向こう側、山の斜面に水圧鉄管が見えます。

東京電力八ツ沢発電所
ズームアップすると4本の水圧鉄管のほかに細い管が並行して下っています。上にある水槽の余水路かも知れません。間近で水圧鉄管を見るためフェンスに沿って歩きました。

八ツ沢発電所と中央本線
ちょうどJR中央本線の特急列車が通過。水圧鉄管の下を潜り抜けています。電車に乗っても気付く人はまずいないでしょう。

東京電力八ツ沢発電所
東側フェンス隙間から見た水圧鉄管と発電所建屋。堀のような道が発電所建屋に下っています。水力発電所の立地は険しい地形のところが多く重量物搬出入のためインクラインが敷設してあるのですが、こちらは車で直接搬出入するみたいですね。

東京電力八ツ沢発電所
東南の角を回り段々と水圧鉄管に近づいてきました。行けるところまで行ってみます。

東京電力八ツ沢発電所
水圧鉄管と発電所建屋が見るところまで来ました。発電機や水車が回る唸り音が聞こえてきます。只今発電中です。
運転中の発電所内部は中々見る機会がないのですが、一度だけ津久井発電所を見学した時に主軸の回転を目の前で見たことがあります。

東京電力八ツ沢発電所・水圧鉄管
通行禁止柵前まで来ました。眼前の水圧鉄管の威容!凄い迫力ですね・・・。しかしこれ以上先には行けません。この上には前回見学した大野調整池制水門から導水路隧道(第12号~18号隧道・国指定重要文化財)を流れてきた発電用水を貯める水槽があります。

八ツ沢発電所水槽
見上げると水槽(国指定重要文化財)はこんな感じです。水槽余水路も国の重要文化財に指定されていますがどれが該当するのかここからははっきり分りません。


上空から見た八ツ沢発電所水槽です。ズームアップしてください。

東京電力八ツ沢発電所
下方を見れば発電所建屋に入る4本の水圧鉄管が。今日は見学会ではなくひとりだけの探訪なので表から眺めるだけです。

八ツ沢発電所の概要を東京電力HPから引用します。
(1) 所在地:山梨県上野原市
(2) 河川名:相模川水系桂川
(3) 出力:4.2万kw(2~5号機、1.05万kw×4機)
(4) 営業運転開始:明治45年7月(全号機運転開始は大正2年9月)
(5) 有効落差:116.29m
(6) 最大使用水量:41.74㎥/秒
*重要文化財として指定されたものは、発電所の関連施設であり、上記発電設備は含まれない。


大野調整池に掲示の水利使用標識には取水量:27.83㎥/秒とありました。最大使用水量:41.74㎥/秒と差があります。駒橋発電所放流水を合せて利用しているためと思います。

八ツ沢発電所水圧鉄管と中央本線トンネル
左上を見ると中央本線のトンネルが水圧鉄管の下を潜り抜けています。

中央本線と八ツ沢発電所水圧鉄管
これは中央本線に架かるR20・甲州街道の橋から見た八ツ沢発電所水圧鉄管です。下り列車一両目の電車に乗ればこんな風景が見えるはずです。


発電機水車を回した用水は地下放水路で桂川支流の鶴川へ放流されます。最後に1kmほど先の放流口を見に行きました。

松留橋
鶴川河口近くの松留橋です。地下放水路はここで開渠になります。

東京電力松留発電所
松留橋より放水路下流を望む。二股に分かれています。左が東京電力松留発電所、右は放水路の終点で鶴川右岸へ向かっています。水を湛えているので放水路末端の制水門は閉じています。つまり松留発電所へ放水量(41.74㎥/秒)すべてを送水していることになります。

東京電力松留発電所
県道506号線鶴川に架かる橋から見た松留発電所と鶴川に合流する放流水。左側は放水路出口です。制水門が閉じているので流れはありません。当然ながら発電機水車を止めると制水門を開け放流されます。
水資源の有効活用でしょうがそれにしてもしっかりしています。「一粒で二度美味しい」をやっていますね・・・。(^σ^)
松留発電所の出力は1440kwだそうです。落差を得られないせいでしょうね。

桂川、鶴川合流点付近・上野原市
おしまいに桂川左岸沿いを走る県道506号線から見た桂川です。正面が上流で左手の方へ流れています。右側から鶴川が合流しています。

日本三奇橋・猿橋上流の桂川に設けた取水堰堤及び取水口制水門から取り入れた発電用水は延々と14kmを流れ下り発電機水車を回し電気を発生させた後、鶴川を経由して桂川へ戻って行きます。長い水の旅の終わりです。お疲れさまでした(水に対して)。
それにしても明治45年完成以来100年以上にわたって現役であり続けるのは凄いことですね・・・。私もあやかりたいです。
念願であった猿橋の水路橋の一から十までを私なりに探訪できほっとしました。