FC2ブログ

横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の430 相模川河口の陸閘を見てきました・神奈川県平塚市

 前回「其の429」で大磯港の陸閘を数多く見学しました。
今回はお隣の平塚市の陸閘(りっこう)を取り上げます。
10月26日(木)晴れの日に探訪しました。

平塚新港
今日は相模川河口近くの平塚新港駐車場からの歩きです。
始めにやって来たのが平塚新港です。相模川右岸堤防上から隣り合わせの平塚新港を見ました。

平塚新港
港の海側は防波堤、陸側はこのように堤防で囲われています。堤防には陸側と港側を往来するための通路があるはずです。

平塚新港
ぐるりと回ってその通路から平塚新港に入りました。上の写真を逆方向から見ました。左(北)側に開口部があります。開口部に陸閘が設置してあるのではと期待したのですが・・・。

平塚新港
開口部から通路北方向を見ました。スロープの上り坂があるのみで陸閘施設はなにもありません。台風や低気圧による高潮で開口部上まで海面水位が上昇すると通路上り坂の頂点まで海水が入り込むことになります。

平塚新港
西側にもうひとつ開口部があります。ちょうど消防車が通行中です。

平塚新港
スロープ坂でまったく同じ状況です。高潮までは対応できたとしても防波堤を乗り越えて押し寄せる津波には無抵抗です。開口部入り口に暫定的なゲート(陸閘)があればいくらかでも遮ることができるような気がします。

平塚新港フィシャリーナの浮桟橋
これは平塚新港の西半分、フィシャリーナの浮桟橋です。浮桟橋を見るのは初めてです。

須賀大浜第一排水路
次に相模川堤防下で気になるものを見つけました。上部にグレーチングのフタがしてありごぼごぼと水音が聞こえてきます。これは専有標識によると「須賀大浜第一排水路」とあり、平塚市の下水道整備課の施設です。雨水下水を相模川へ排水する施設と思われます。

須賀大浜第一排水路
堤防上から相模川を見下ろすと排水施設はこのようになっています。樋管で堤防を潜った雨水下水の排水口です。

須賀大浜第一排水路
間近から見ました。写真では分りませんが、グレーチング越しに先日沼津港で見た排水樋管フラップゲートとそっくり同じような重り付きのフラップゲートが見え、波に揺れて擦るような音を発していました。今は晴天、大雨が降ればきちんと排水すると思います。

相模川防潮堤の階段
防潮堤開口部から川へ下りるための階段です。防潮堤の高さは堤防天端から1.5m位あるので階段で上り下りします。防潮堤に開口部があり通行できるようになっていますが、階段とL字型コンクリート壁が防潮堤の役割を果たしているのでこれは陸閘ではありません。

トラスコ湘南大橋上流の桟橋
トラスコ湘南大橋の上流側に桟橋があり釣り人がいます。23日に通過した台風21号の影響で相模川上流の城山ダムがゲート放流を行っています。そのため水が濁っています。

千石河岸防潮ゲート設備(陸閘)
堤防から桟橋へ下りる通路入口の陸閘を見つけました。平常時なので人や車が通路を利用して桟橋へ下りています。

千石河岸防潮ゲート設備(陸閘)
電動式片開きゲートです。波浪警報、洪水警報などが発令されるとゲートを閉じ防潮堤の役目を果たします。非常階段も設置してあります。先ほどのコンクリート階段とは違い防潮堤を跨ぐ形式です。

千石河岸防潮ゲート設備の銘板
陸閘の銘板です。千石河岸防潮ゲート設備と言います。
千石河岸防潮ゲート設備
竣工年月:1990年7月 主材質:アルミニウム合金製
型式:片開き式 純径間×有効高:3.00×1.607
製作:日本軽金属株式会社  
(銘板より)

千石河岸防潮ゲート設備(北側陸閘)
千石河岸防潮ゲート設備(北側陸閘)
120m位上流で逆向きの(南向きに下る)陸閘を見つけました。先日の台風21号通過の際に流れてきた浮遊ゴミの残骸が生々しいです。多分警報が発令されゲートは閉じたのでしょう。ここにも非常階段が設置されています。陸閘とセットで設置されるようです。ゲートが閉じた直後、桟橋に取り残された人にとっては非常階段が命綱になりますね。
銘板によるとこの施設は南側陸閘より2年遅く1992年3月に設置されました。片開き式でほぼ同仕様です。

このあと近くの須賀港を訪ねました。陸閘が5か所もありました。次回「其の431」で発表します。

平塚新港駐車場の位置です。


スポンサーサイト



其の429 大磯港の陸閘を見てきました・神奈川県大磯町

 10月18日(水)久しぶりに晴れたので近場の大磯港の陸閘(りっこう)を見に行きました。4年前に圏央道が開通したので相模原愛川ICから半時間ほどの道のりです。湘南は大変近くなりました。

大磯港
広い県営駐車場に駐車し探訪開始です。まず始めに大磯港の様子です。漁船が停泊しています。奥を横切っているのはR1・西湘バイパスです。陸閘は西湘バイパスの陸側に並行する堤防に設置してあります。

大磯町漁業協同組合
大磯町漁業協同組合の建屋と手前は魚市場です。

大磯港中央岸壁
こちらは西側の大磯港中央岸壁です。真っ黒に日焼けした太公望が大勢釣り糸を垂れています。水面にはボラの群れが泳いでいるのでボラ釣りかと思ったらクロダイ釣りだそうです。

大磯港案内図
歩き始めてすぐ陸閘は簡単に見つかりましたが、分かりやすい大磯港案内図看板を見つけたのでそれを資料にします。(画像クリックで拡大します) 図中青色●マークが陸閘の位置です。「防潮堤門扉」とあるのがそれです。全部で11か所あります。

陸閘(りっこう)とは日常あまり聞かない言葉です。
wikipediaより引用します。
陸閘とは、河川等の堤防を通常時は生活のため通行出来るよう途切れさせてあり、増水時にはそれをゲート等により塞いで暫定的に堤防の役割を果たす目的で設置された施設。
漢字辞典によると陸閘の閘は「ひのくち」とか「水門」の意だそうです。陸のゲートといった意味でしょうか。
上記案内図に「地震だ、津波だ、門扉から高台へすぐ避難」と書いてあります。陸閘は避難口であり避難が終われば堤防になるわけですね。

大磯港の陸閘・1号門扉
11か所の陸閘には西から順に番号が振ってあります。西の端にある1号門扉(陸閘のゲート)です。今は平常時なので横引式のゲートは堤防右側に収納してあります。いざという時は左へ引き出し堤防の役割をします。ここは車が通行可能な陸閘です。車が通行可能な陸閘は東にもう一か所ありますが後述します。

1号門扉銘板より引用します。(2号以下の門扉も同内容です)
大磯港港湾海岸高潮対策工事 アルミ合金製ゲート(横引式)
有効幅:4.8m 有効高:4.0m
製作年月:昭和56年3月 事業主体:神奈川県


大磯港の陸閘・1号門扉
横引式ゲートを見上げました。1号門扉、銘板、津波避難マークなどの表示があります。上部に操作盤が見えます。このゲートは電動式です。

ここ大磯には三年前(平成26年7月)高来神社御船祭りの御神輿を見に来たことがあります。この坂道に立ち御神輿が下るのを見ました。当時は陸閘の知識がなく何も感じなかったのですが今日はゆっくり見学でき良かったです。

小淘綾ノ浜
1号門扉付近海岸から見た西方向の小淘綾ノ浜です。

照ケ崎
近くのアオバトの群れが海水を飲みに来る岩場です。あいにく一羽も見かけなかったですね。地図には照ケ崎とあります。

大磯港の陸閘・2号門扉
東隣の2号門扉です。こちらは人道用の陸閘です。仕様は1号と同じ電動式門扉の陸閘です。

大磯港の陸閘・2号門扉、階段上の旧陸閘
階段上に昔の角落し用縦溝がそっくり残っていました。昭和56年以前、現在の陸閘が完成するまで使われていたのでしょう。

双体道祖神・大磯港堤防上
堤防脇で双体道祖神を見つけました。右側石祠の中。

熊野神社の庚申塔
こちらは近くの熊野神社境内の庚申塔です。下の方にお猿さんが三匹彫られています。天保十二年造立。

大磯港の陸閘・3号門扉
三番目の陸閘です。背景はR1・西湘バイパスです。

大磯港の陸閘・3号門扉
引戸式で手動です。ゲートは堤防右側に収納してあります。幅:3m、高さ:1mの3号アルミ合金製ゲートです。

大磯港の陸閘・3号門扉避難階段
陸閘から階段下を見ました。いざという時はこの階段を駆け上がり高台へ避難します。

「緊急避難口 大磯町」看板
階段の下の案内看板です。「緊急避難口 大磯町」。親切ですね。

大磯港・4号門扉
こんなタイプの陸閘もありました。これは堤防内(人が住む地域)から堤防をトンネルで潜り、撮影地点道路下をトンネルで潜り大磯漁港へ通じる道路です(車は通行止め)。出入り口にゲートが見えます。そばまで見に行きました。

大磯港陸閘・4号門扉
両開き式の幅3m、高さ2.5mの4号アルミ合金製ゲートです。波浪警報が出ると手動で閉じられます。人が通行するためのトンネルですが、仮に水路であれば排水樋管ゲートといったところでしょうか。

大磯港陸閘・7号門扉
5号6号8号は4号と同じタイプでした。これは7号です。引戸式ではなく片開き式アルミ合金製ゲートです。

大磯港陸閘・7号門扉
上記7号陸閘を堤防下の道路(大磯港臨港道路)から見ました。

大磯港陸閘・9号門扉
9番目の陸閘です。今は平常時、大形門扉は左側の堤防に収納されていますがいざとなれば右端を支点に90度回し道路を塞ぐ堤防になります。ここはR134から大磯漁港へ通じる道路(大磯港臨港道路)の入り口になります。大きなゲートなので電動式と思われます。

大磯港陸閘・9号門扉
反対側のR134側から見ました。堤防は向かって右側から左側へ移ります。波浪警報によりゲートは閉じるので通行止めになります。

大磯港陸閘・10号門扉
10番目の陸閘です。注意書きに「波浪警報発令時にこの門扉は閉鎖します」とあります。気象庁HPによると「波浪警報は、高波による遭難や沿岸施設の被害など、重大な災害が発生するおそれがあると予想したときに発表します。」とありました。波浪注意報の上の段階で発令されます。

大磯港陸閘・11号門扉
10番目11番目共に片開き式ゲートです。これは11番ですが西湘バイパスの真下にあります。

大磯海水浴場
その東側大磯海水浴場です。延々と続く堤防と砂防林。

大磯港臨港道路の陸閘
大磯漁港へ通じる道路(大磯港臨港道路)で見つけた陸閘です。道路右側に今日見た通りの堤防があるので道路浸水を避けるための陸閘でしょうか。私が過去に見た陸閘はこの角落し式が多かったですね。

参考までに陸閘の過去記事です。
「其の294 多摩川旧堤の陸閘・世田谷区二子玉川」
「其の295 多摩川の陸閘・調布市」
「其の303 多摩川旧堤の陸閘・大田区羽田」
「其の413 相模川旧堤防の陸閘を見つけました・神奈川県寒川町」
「其の427 沼津港大型展望水門「びゅうお」を訪ねる」

大磯港1号陸閘の位置です。

其の428 狩野川放水路を見てきました・静岡県伊豆の国市

 昭和33年9月の狩野川台風で甚大な被害を受けた狩野川流域。その後は狩野川が氾濫する大規模水害について報じられたことはありません。昭和40年に完成した狩野川放水路の存在が大きいと思います。
10月9日(月)体育の日、晴れ、狩野川放水路がどのような治水施設なのか見たくなり現地を訪ねました。

特急踊り子修善寺行
伊豆箱根鉄道駿豆線・伊豆長岡駅に停車中のJR特急踊り子号修善寺行きです。いつもは通過を眺めるだけの特急列車に小田原駅から乗車しました。熱海駅で前10両が伊豆下田行きに、後ろ5両は三島から伊豆箱根線に入りました。初め伊豆下田行きに乗って伊豆長岡に行けるのか不安だったのですが結果オーライ、小田原駅の駅員さんの案内通り11号車に乗って正解でした。乗り換えなしで楽です。

千歳橋より狩野川下流を望む
伊豆長岡駅から西へ進むと狩野川に架かる千歳橋へ出ます。千歳橋から見た狩野川下流方向です。正面が狩野川放水路の分流(分岐)点です。狩野川は伊豆半島中部天城山系を源とし北流する一級河川です。

狩野川・狩野川放水路分流点
千歳橋を渡り狩野川左岸堤防上の道を下流へ歩きました。ここが狩野川放水路の分流点です。右が本流で北へ向かっています。これより先の田方平野で狩野川は蛇行を繰り返し大水になると水が流れにくい形状になっています。

狩野川・狩野川放水路分流点
さらに近づきました。左側は洪水の流れを分ける施設「狩野川放水路分流堰」と言います。可動堰×2門、固定堰(越流堰)から成っています。今は平常時なのでゲートは閉じています。
対岸の建物は国土交通省狩野川放水路管理所です。

県道129号線菖蒲橋
分流堰堤体上の菖蒲橋(あやめばし)です。県道129号線が走っています。

狩野川放水路分流堰
狩野川放水路分流堰
下流の菖蒲橋人道橋から見た狩野川放水路分流堰。平常時なので放水は只今ゼロです。
国交省HP「狩野川放水路」によると本川の計画洪水流量4,000㎥/秒の内半分の2,000㎥/秒を狩野川放水路へ分流するように設計されているそうです。
濁流が分流堰を越える恐ろしい光景は同HPに載っているので参照ください。

狩野川放水路分流堰・水位目盛
堤体に目盛りが刻んであります。固定堰上11~15まで。
多分1m刻みの標高表示と思われます。

狩野川放水路・墹之上開水路
菖蒲橋人道橋から見た狩野川放水路下流方向。広々とした人工河川・一級河川狩野川放水路です。前方の山を長岡隧道(トンネル)で潜ります。分流堰から長岡隧道入り口までの開水路は延長660m、名称は墹之上開水路と言います。(以下水路名、隧道名(トンネル名)、延長は国交省HPより)

狩野川分流堰下流のポール
菖蒲橋人道橋の下に直径30cm位のポールが林立しています。これは何でしょう。

狩野川分流堰下流のポール
右岸から上流を見ました。菖蒲橋の下、正面に狩野川本流が見えます。洪水になると、枝や根っこ付きの流木が分流堰を越えこちらに向かって流れてくるかもしれません。林立したポールはそれらを引っかける施設と思われます。一種のスクリーンですね。多摩川水系三沢川分水路の入り口に同じような施設がありました。長岡隧道に流木が詰まると流量が減り放水路から溢れ出る恐れがあるので、おそらくそれが狙いと思います。

国交省狩野川放水路管理所
菖蒲橋北側の国土交通省狩野川放水路管理所です。今日は体育の日、祭日で門は閉まっています。本館の隣は狩野川資料館です。見学予定でしたが残念。

狩野川放水路・墹之上開水路長岡隧道入口
墹之上開水路の西端、長岡隧道(長さ850mのトンネル)の入口です。向かって右側に道が通じています。このあと隧道出口を目指して隧道上の山越えをやりました。

前記国交省HPによると「昭和26年に狩野川放水路工事着工するも用地問題等問題多く工事は進まず、先に開水路工事から進め、昭和32年トンネル工事に着手。工事途中の昭和33年9月狩野川台風により未曾有の大水害に見舞われた。」とあり、狩野川台風のはるか以前から治水対策をやっていたことが分かります。完成は前述のように昭和40年7月です。

狩野川放水路・長岡隧道入口
隧道上部に「狩野川放水路長岡隧道」の銘板が嵌めこんであります。隧道のサイズはそれぞれ高さ11m、幅10mもあります。

伊豆テクノタウンB調整池
右側の小道に入ってすぐ左手にコンクリートの堰堤がありました。堤体に貼った銘板によると「伊豆テクノタウンB調整池」でした。

長岡隧道上の道
小道はいつしかこんな道に変わり大蛇やマムちゃんがいつ出てもおかしくないような怖ーい道をしばらく上りました。女性の一人旅はまず無理ですね。

長岡隧道上、工業団地駐車場
地図には公園とありましたが広い駐車場に出てきました。ほっと一息です。ここは工業団地の駐車場みたいです。

大堤池
工業団地内の広い道路を下ると右手に小さな溜池があり、その先の大きな池の前に出てきました。案内板があり大堤池という江戸中期につくられた溜池でした。ルアー竿を振る釣り人がいました。外来魚狙いでしょうか。

伊豆中央道長岡北IC
大堤池前のR414を西へ進みました。途中、伊豆中央道長岡北ICと交差します。ICなので歩道の有無を懸念したのですが横断地下道があり無事通過。坂道を下ります。

珍野橋より長岡隧道出口を望む
坂道を下ったところが珍野橋で狩野川放水路と再会です。珍野橋より狩野川放水路上流、長岡隧道出口を望む。

長岡隧道より狩野川放水路下流を望む
長岡隧道出口より狩野川放水路下流を望む。前方の橋は珍野橋。これより下流は延長1,055mの中央開水路です。

珍野橋より中央開水路下流を望む
珍野橋より中央開水路下流を望む。相変わらず水溜りのみではっきりとした流れはありません。右岸に樋管ゲートが見えます。

江間川樋管
近くから樋管ゲートを見ました。銘板によると「江間川樋管」と言い中央開水路に流れ込んでいます。江間川を地図で上流へたどると水田地帯を通り狩野川左岸へ至ります。狩野川放水路分流点より下流の狩野川です。そこから取水しているのでしょうか。実際に確かめたわけではありません。地図の上でのことですが???です。訳が分りません。

長塚橋より中央開水路下流を望む
珍野橋下流の橋、長塚橋から見た中央開水路下流方向です。二つ目の隧道、口野隧道入り口が見えます。

狩野川放水路・口野隧道入口
口野隧道(延長210mのトンネル)入り口です。
私はR414の口野トンネルを潜り追いかけました。

狩野川放水路・口野隧道出口
口野トンネルを抜けたら水で満たされた海でした。(^σ^)/
正確にはトンネル出口より下流延長205mは口野開水路なので狩野川放水路の一部です。ここは静岡県伊豆の国市から沼津市に入っています。

狩野川放水路・口野開水路
下流の江浦湾方向を見ました。前方の口野開水路に架かる橋はR414口野橋です。

口野橋より江浦湾を望む
口野橋より江浦湾を望む。手前の方は海に見えますがまだ狩野川放水路口野開水路です。海の中まで放水路は伸びているんですね。どうやって工事をしたのでしょう。潜函工法(ケーソン)と言うやり方があります。今年7月に見学した諏訪湖の釜口水門がこの工法でした。

昭和40年7月に狩野川放水路は完成しました。それ以降狩野川の大規模水害の発生はなく流域住民の生命財産は守られました。その効果は抜群でした。分流堰の位置選定、江浦湾へ直接放流など最適な選択でした。

直近の水辺歩きで信玄堤、石積出しなどの治水施設、「びゅうお」や狩野川放水路を見学してこのような治水事業の大切さを特に強く感じました。

そういえば、かつて「コンクリートから人へ」を掲げ「事業仕訳」(八ツ場ダムの工事中止、首都河川のスーパー堤防を認めないなど)を推進した政党がありましたがいつのまにか消滅してしまいましたね・・・。
自然災害の多い日本列島でこのようなピント外れな政策をいっとき国民は受け入れてしまったんですよね・・・。危ない危ない。そのまま続いていたら災害列島になるところでした。

狩野川放水路分流堰の位置です。

其の427 沼津港大型展望水門「びゅうお」を訪ねる

 前回「其の426」で発表した旧国鉄蛇松線跡を探訪後、沼津港大型展望水門「びゅうお」を見学しました。偶然ですが近くで排水路や陸閘などの治水施設を見つけたので合せて取り上げます。

沼津港内港・沼津魚市場INO(イーノ)と「びゅうお」
沼津港内港から見た沼津港大形展望水門「びゅうお」の遠景です。左側の建物は沼津魚市場INO(イーノ)です。「びゅうお」は沼津港外港と内港の境に設置され津波や高潮から後背市街地を守っています。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
沼津魚市場INO(イーノ)西側から見た「びゅうお」。左右堤体外側の非常階段付きエレベーター塔からエレベーターで展望台に上れます。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
南側から見ました。まるでビルディングのようです。

沼津港外港
高さ30mの南側展望台回路から見た沼津港外港。沼津港の出入り口です。

沼津港外港
同北方向の沼津港外港を望む。富士山は右の方に見えるはずですがあいにくの雲です。

沼津港大型展望水門「びゅうお」の門扉
展望台回路から見た巨大な門扉です。
門扉は現在平常時なので上にありますが、津波や高潮の恐れがある時は下へ降ろし堤防の役目を果たします。門扉の幅40m、 高さ9.3m、重量は406tと日本最大級だそうです。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
門扉を上げ下げするワイヤ施設も見られるようになっています。

沼津港大型展望水門「びゅうお」連絡橋
南北の展望台回路をつなぐ幅4m、長さ約30mの連絡橋です。

沼津港内港
連絡橋からの沼津港内港の眺望。

沼津港内港の排水路
「びゅうお」の次は偶然見つけた興味深い治水施設です。これは沼津魚市場INO(イーノ)西側に沿って流れる水路の南端です。水流がなくどちらへ流れているのか、何のための水路かまったく分かりません。トンネル入り口両側に縦溝が切ってありなんかの時に角落しゲートで水路を遮断するものと思われます。
この左手は狩野川河口右岸の堤防です。左手にコンクリート堤防が写っています。防潮堤でしょうか背が高いです。

沼津港内港・観音川河口
水路を北へたどると沼津港内港南側岸壁開口部で内港に通じています。
南側岸壁から北を見ました。対岸の岸壁開口部は観音川の河口です。地図を参照すると分るのですが、あたかも観音川がこの水路と一本で繋がっているように見えます。

沼津港内港の排水路・排水樋管ゲート
水路トンネルの出口?入口?を探しに行きました。背の高いコンクリート防潮堤の端から狩野川上流を見ました。テトラポットにカワウが集まり休憩をしています。カラフルな建物の下にゲートがありました。

沼津港内港の排水路・排水樋管ゲート
ズームアップしたゲートです。上部の横向き円柱状のものは重りでしょうか。ゲートが波に揺られて開閉しています。重りが動くのでそれと分かります。こちらにも外側のコンクリートに縦溝が切ってあります。いざという時の角落しゲート用と思います。
ここまで観察したところで水路の水流の向きと役割が分かりました。

狩野川右岸堤防をトンネルで抜ける水路なので一言でいうと「排水樋管フラップゲート」だと思います。沼津港内港の水を排水するための一方通行の水路です。現在は平常時、フラップゲートの内側外側はバランスが取れているのでゆらゆらと開閉しています。狩野川が洪水で増水するとフラップゲートは水圧の差で閉じ沼津港内港への逆流を防ぎます。フラップゲートは逆流防止弁とみればいいわけです。

では排水時はどのような状況か考えてみました。今日のようなお天気の日は港内外の水面バランスが取れているので問題ないのですが、高潮や津波の時は「びゅうお」の巨大門扉が降ろされ沼津港内港は大きな池になります。内港に流れ込む観音川は悪天候なのでいつにも増して大量の水を送り込みます。そうすると徐々に池の水位が上がります。放置すると池の周りの市街地へ溢れ出るかもしれません。その対策が「排水樋管フラップゲート」だと思うのですが・・・。非常時この水路は沼津港内港の唯一の出口になります。池の水位が上がった際に狩野川も洪水で水位が上がり、逆流防止弁が機能したらどうなるのでしょう?排水樋管ゲートは閉じ排水不能になると思います。ポンプ車の出動か恒久的には排水機場が要りますね・・・。

もうひとつ、いざという時の角落しゲートですがフラップゲートが破損した時とかゲートと護岸の間に異物が挟まり機能を発揮できない時にやむを得ず使用すると思います。

以上私なりの愚考を記しました。素人のたわごとで間違っているかも知れません。その可能性は大? 当たらずとも遠からずなら良いのですが、本当のことを知りたいですね・・・。

沼津港内港の排水路
元へ戻りもう一度水路の写真です。

沼津港陸閘1号
これは上の写真の左上部の写真です。左側は背の高い防潮堤で、右側にはその高さのコンクリート製の防潮堤が「びゅうお」の方へ続いています。その間の通路を人が通行し車も出入りしています。初めは気付かなかったのですがこれは陸閘という治水施設です。

沼津港陸閘1号
陸閘を外港側(ここは沼津港内港と外港の境です)から見ました。正面は狩野川右岸の背の高い防潮堤です。地面にレールが敷設してあります。

沼津港陸閘1号
陸閘全景です。左側の白いパネルがいざという時の引戸式ゲートです。高潮や津波の恐れがある時はゲートを右に移動させ防潮堤にします。今まで角落し式の陸閘しか見たことがなかったのですがこんなタイプの陸閘もあるんですね・・・。勉強になりました。

沼津港陸閘1号
これは私の思い込みではありません。ちゃんと白色のパネルに「沼津港陸閘1号」と書いてあります。開閉の表示があり、電動式と思われます。このほか港内に陸閘2号3号があるかも知れません。

蛇松線・沼津港沼津魚市場前
これは前回掲載した蛇松線沼津魚市場終点プラットホームです。

沼津魚市場プラットホームの陸閘
プラットホームにも陸閘がありました。通路左右に角落しゲート用縦溝が切ってあります。「おやこんなところに陸閘が」と思わぬ発見でした。嬉しいですね・・・。おそらく「びゅうお」が完成する以前に設置されたと思います。普段はこの通路からトラックが出入りしていますが、沼津港内港海面水位が上昇した時の備えと思われます。

沼津魚市場INO(イーノ)2階食堂街
今日の昼食です。時刻は13時過ぎ、沼津魚市場INO(イーノ)二階の食堂街です。あとは帰るだけ、南面の席から狩野川を眺めながらいただきました。生ビールが600円、しめて2080円也(税込)でした。

沼津港大型展望水門「びゅうお」
おしまいに帰り道に撮った「びゅうお」です。右側に観音川河口が写っています。今は平常時、「びゅうお」の巨大門扉は上にあります。沼津港外港から駿河湾に通じているので観音川からの水の受け入れは無制限です。

今日はおまけで思わぬ治水施設を見られ有意義な探訪になりました。次回は狩野川放水路を発表する予定です。

「びゅうお」のデータについては「沼津市観光WEB」を参考にしました。

沼津港大展望水門「びゅうお」の位置です。

其の426 旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました・静岡県沼津市

 9月29日(金)晴れ、拙ブログ読者地元ティーさん推奨の旧国鉄蛇松線跡を歩いてきました。蛇松線は緑豊かな蛇松緑道として生まれ変わり、緑道を歩けば今でも昔の面影をしのぶことができます。

蛇松線・2120型タンク機関車
旧国鉄蛇松線にはかつてこんなSLが走っていました。
「2120型 タンク機関車 沼津港・沼津駅間」
(千本港町旧蛇松線沿線の案内板より)

蛇松緑道案内板
沼津市が立てた蛇松緑道の案内板です。蛇松線とは?そのあらましが書いてあります。クリックで拡大します。
明治20年、東海道本線建設の資材運搬のため貨物線として敷設。区間は狩野川河口右岸蛇松と沼津停車場設置場所。
明治21年から昭和49年までおもに石油、木材、魚を運ぶ貨物線として活躍。車社会の台頭により昭和49年廃止。
その歴史を伝えるため昭和57年、蛇松緑道として生まれ変わった。
(案内板より要約)

観音川を渡る蛇松線橋台跡?
JR沼津駅南口からスタートしました。引込線を見たかったのでなるべく東海道線の線路沿いを歩きました。駐輪場を過ぎその先の観音川子持川で橋台?とおぼしき跡を見つけました。蛇松線の引込線は観音川子持川を鉄橋で渡っていたと思われます。右手が沼津駅方向です。

城内橋より観音川上流を望む
城内橋から観音川子持川上流を見ました。突き当りは東海道本線です。左側の建物は沼津通運倉庫。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
沼津駅南口から西へ通じている大通りから沼津通運倉庫を見ました。カーブした構内通路があり乗用車が駐車しています。右側の段差はプラットホームのように見えます。よく見ると奥に線路が見えます。

旧国鉄蛇松線跡・沼津通運倉庫
ズームアップしました。レールが残っています。蛇松線の明確な遺構を見つけました! 先ほど見た橋台の延長線上と思われます。

蛇松緑道起点(終点)
上記から大通り南側の蛇松緑道の起点(終点)が見えます。
木製の立派な蛇松緑道の看板が掲げてあります。

蛇松緑道
蛇松緑道内は雑多な木が植えてあります。ここは桜並木です。緑道は全般に大きく左カーブしています。

観音川
今日冒頭で見た観音川子持川下流です。幸橋を渡りました。観音川(子持川の下流部)河口は沼津港内港です。次回の沼津港の治水施設でも登場します。

蛇松緑道
緑道のど真ん中に植えられた大木。楠でしょうか?

蛇松緑道内「幸いの池」
蛇松緑道「幸いの池」です。細長い川のような池です。

蛇松緑道
温暖な地らしい南国の木が植えてあります。案内板によると緑道に植えられた樹種は120種類に上るそうです。

蛇松緑道・千本東町分岐点付近
緑道左手が芝生の広場まで来ました。この先で沼津港へ直進する道と分岐し、緑道は左カーブして狩野川の方へ向かいます。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点です。左へ歩を進めます。あとからまたここへ戻ります。

蛇松緑道(終点)起点のモニュメント
分岐点から250m位先の蛇松広場に到着しました。
蛇松線の車輪、信号機がモニュメントとして展示してあります。
この奥は狩野川右岸堤防です。ここが蛇松線の終点(起点)蛇松駅で当時はこの辺りにプラットホームがあったのでしょう。
ここは沼津市蛇松町です。蛇松広場の案内板に蛇松の由来が書いてありました。
その昔この地に蛇のようにくねった松がありその松を蛇松と呼ぶようになった。貨物線の起点がこの近くに建設されたのでこの線を蛇松線と称した。戦後住宅が増えたので町名も蛇松町と呼称するようになった。 (案内板より)

蛇松
蛇松です。(千本港町の旧国鉄蛇松線案内板写真より)

狩野川・蛇松線終点付近
狩野川右岸堤防に上りました。港大橋が見えます。海上輸送された資材をこの辺りの港から陸に揚げ蛇松線で沼津駅まで運んだのでしょう。それらしい雰囲気は残っていないですね。

蛇松緑道・千本東町分岐点
分岐点まで戻りました。沼津港へ向かう蛇松線跡です。なんとレールがそのまま残っています。

沼津港へ向かう蛇松線
沼津港へ向かう蛇松線
そのままたどって行きます。前方で県道159号線と交差しています。レール間隔はいわゆる狭軌です。

沼津港へ向かう蛇松線
県道を渡り佐政水産前で復活しました。前方は千本港町交差点です。
なお佐政水産前に冒頭の写真「2120型 タンク機関車」や「蛇松」の写真入り案内板があります。

沼津港へ向かう蛇松線
千本港町交差点前です。蛇松線のレールを見たのはこれが最後です。

沼津港へ向かう蛇松線・沼津みなと新鮮館前
信号を渡りレールの延長線上です。建物は沼津みなと新鮮館です。通路幅はちょうど蛇松線のような感じですね・・・。

蛇松線・沼津港沼津魚市場前
その先はプラットホーム状の沼津魚市場です。分岐した蛇松線はここまで入って来たのでしょう。直進すると狩野川右岸の巨大堤防に突き当たるのでここが終点です。現在ここでは魚のセリは行われず奥の沼津魚市場INO(イーノ)で取引をしているそうです。

沼津港内港・沼津魚市場前
沼津魚市場の西側は沼津港内港です。漁船が停泊しています。

沼津港内港・沼津魚市場INO(イーノ)と「びゅうお」
上記から西を見ると左側に沼津魚市場INO(イーノ)があり、その奥に巨大水門「びゅうお」が見えます。

旧国鉄蛇松線探訪記はここまでです。地元ティーさんには蛇松線の紹介ありがとうございました。次回は「びゅうお」ほか沼津港の治水施設について投稿いたします。

観音川子持川の鉄橋跡と思われる位置です。

続きを読む

其の425 御勅使川の堤防遺跡「将棋頭」・南アルプス市、韮崎市

 前回「其の424」の続きです。南アルプス市有野の「石積出し」を見学したあと3kmほど下流にある「将棋頭」(しょうぎがしら)を見に行きました。

将棋頭・南アルプス市有野
南アルプス市有野の砂防公園から見た将棋頭です。将棋の駒のような形をした石積み堤防を築き御勅使川の激流を二分しました。下流方向を見た写真ですがどの部分が将棋の頭かよく分かりません。下図によると現在遺されているのは将棋頭の北側堤防です。

将棋頭・南アルプス市有野
将棋頭の説明図。流れを分けるとともに六科(むじな)の田畑や集落を守りました。
(南アルプス市が立てた石積出し二番堤前「御勅使川堤防遺跡」案内板より)

将棋頭・南アルプス市有野
お城の石垣のような将棋頭石積み堤防。

将棋頭・南アルプス市有野
下流側から見ました。砂防公園内に将棋頭について詳しい案内板が立っています。参考になります。

将棋頭・南アルプス市有野
将棋頭に上りました。天端から見た東方の景色。東にある甲府中心地を水害から守るために信玄堤や石積出しを始めとする一連の治水事業が行われたんですね。

将棋頭の位置です。



続いて御勅使川左岸韮崎市にある将棋頭を見に行きました。
韮崎市・竜岡将棋頭
将棋頭の頭付近にfujikawa museumが立てた竜岡将棋頭の案内板です。右側の柱に「国指定史跡 御勅使川旧堤防 将棋頭 平成15年3月25日指定」とあります。
ここは山梨県韮崎市龍岡町下條南割です。

韮崎市・竜岡将棋頭
案内板付近からみた将棋頭の下流方向です。

韮崎市・竜岡将棋頭
どこまでも下流へ続いています。地図で確認すると現在の御勅使川左岸堤防に至ります。

韮崎市・竜岡将棋頭
堤防下に近づくと見上げるほどの高さがあります。

韮崎市・竜岡将棋頭
堤防の内側は田んぼです。

韮崎市・竜岡将棋頭航空写真
竜岡将棋頭の航空写真です。
(fujikawa museumの竜岡将棋頭案内板より)
将棋の駒の形をしているのがよく分かります。向かって右側の堤防が今日見た堤防です。

案内板から引用します。
明治になって山間部が荒れ洪水時に川が出す土砂が増えたため、この将棋頭を含めこの付近一帯は土砂に埋没し将棋頭は機能しなくなりました。ここに見える将棋頭は昭和62年に発掘調査されたものです。

今回で甲州流治水工法(河防法とも)の見学探訪を終えます。信玄堤・霞堤・水防林・聖牛・高岩・石積出し・将棋頭などを見て回りました。十六石が残っていますが砂礫で埋もれているそうです。

竜岡将棋頭の位置です。

其の424 御勅使川の堤防遺跡「石積出し」を訪ねる・南アルプス市

 釜無川に架かる信玄橋から西方向の山に向かって真っ直ぐな道が伸びています。通称、南アルプス街道(県道20号線・甲斐芦安線)です。信玄時代に御勅使川はこの南アルプス街道を流れていました。この流れを前御勅使川と言います。
前回までに述べたように昔の人たちは前御勅使川の流れを北に振り高岩に洪水を当てるようにさまざまな治水工事(石積出し・将棋頭・十六石など)を行いました。今回はその一つ「石積出し」(いしつみだし)探訪記です。9月21日(木)晴れの日に行ってきました。

御勅使川・白根西橋上流
南アルプス市を流れる御勅使川です。白根西橋より御勅使川上流を望む。ここは山梨県南アルプス市有野です。

御勅使川・白根西橋下流
同下流を望む。上流から運ばれた土砂が堆積しています。穏やかな流れです。前日の雨のせいか白濁しています。

石積出し二番堤
御勅使川右岸、白根西橋付近の石積出し二番堤です。前方の建物は西区公民館。白根西橋が見えます。

石積出し二番堤・南アルプス市有野
西側駐車場から見ました。石積出しは北東を向いています。
東向きの前御勅使川の流れを北方向へ向け高岩へ導くために築かれました。大規模な筋替え(流路変更)です。

石積出し二番堤・南アルプス市有野
先端から見ました。土砂が堆積しているので低く見えますが実際にはもっと高いそうです。

「石積出し二番堤」案内板
南アルプス市が立てた「石積出し二番堤」案内板。国指定史跡です。

御勅使川の堤防遺跡案内板
南アルプス市が立てた「御勅使川の堤防遺跡」案内板。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
これは二番堤の200mほど下流にある「石積出し三番堤」です。やはり北東を向いています。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
三番堤先端から南西方向を見ました。

石積出し三番堤・南アルプス市有野
先端部は地下深く掘り下げてあります。結構高い堤防だったことが分かります。

石積出し三番堤銘板・南アルプス市有野
南アルプス市が立てた石積出し三番堤の銘板。

石積出し一番堤・南アルプス市有野
こちらは二番堤の200mほど上流の「石積出し一番堤」です。
ここも北東を向いています。

石積出し一番堤・南アルプス市有野
三段の石積み。一段目最下部は三番堤のように地下深くにあると思います。

石積出し一番堤と御勅使川
一番堤から見た御勅使川。

石積出し一番堤から見た御勅使川
一番堤から見た御勅使川。白く濁った流れと床固工。

信玄橋からここまで南アルプス街道を走りましたがずうっと上り一辺倒の道でした。地理院地図で標高を調べてみました。
信玄橋西詰め301.0m、 西区公民館前駐車場485.5m、二点間の距離は約8kmで約185mの高低差です。御勅使川は急流河川です。このことから戦国時代以来、暴れ川の前御勅使川に向き合う昔の人たちの苦労が覗えます。
富士川(御勅使川が合流する釜無川下流部)は日本三大急流河川の一つだそうです。

参考までに国交省HPより引用します。
富士川の平均河床勾配は1/250であり、最上川、球磨川と並んで「日本三大急流河川」の一つに挙げられています。
富士川流域の中で、南アルプスを水源にもつ釜無川の平均河床勾配は、1/21であり、本川の河床勾配をはるかに上回る急流河川です。


次回は御勅使川の堤防遺跡「将棋頭」を訪ねます。

石積出し二番堤(西区公民館)の位置です。

其の423 釜無川の高岩頭首工を訪ねる・山梨県甲斐市

 信玄堤の霞堤を訪ねた同じ日に高岩頭首工も訪ねました。

釜無川の聖牛
釜無川信玄橋上流に設置の聖牛(せいぎゅう)です。戦国時代の甲州が発祥の地と言われる伝統治水工法です。

信玄堤公園の聖牛
信玄堤公園に展示の丸太製の聖牛。

聖牛の解説案内板
聖牛の案内板です。画像をクリックすると拡大します。
(fujikawa museum案内板より)

釜無川の聖牛
こちらはコンクリート製の聖牛です。信玄堤公園から上流へ道が続いています。この上流に高岩頭首工があります。

釜無川の高岩
右手の崖が高岩です。天然の強固な堤防です。信玄の時代、御勅使川は信玄橋付近で釜無川に合流していたので洪水になると甲府中心部まで水害が及びました。それを防ぐため信玄堤や霞堤が築かれ、御勅使川を北寄りに筋替えをするための石積出し、将棋頭などの治水工事が行われました。

釜無川の高岩頭首工
御勅使川合流点下流につくられた高岩頭首工です。昔の人は御勅使川の洪水を高岩に当てるようにしました。水が集まる高岩の合流点は、農業用水の取水地として都合の良いところでした。

釜無川の高岩頭首工
護岸が一部不安定なため立入禁止のロープが張ってあります。見学はここまでが限界です。肝心の取水口周りが見られなく残念です。

釜無川の高岩頭首工
高岩の崖上にR20が走っています。崖上から一望可能と思い見に行きました。結果はこのように立入禁止です。展望台でもあれば嬉しいのですが・・・。

釜無川の高岩頭首工
隙間からゲートを巻き上げるワイヤドラムが見えました。

釜無川の高岩頭首工
信玄橋から左岸の様子が見えます。クリックすると拡大します。
信玄橋からみた農業用取水施設・高岩頭首工です。左から固定堰、魚道、洪水吐ゲート、土砂吐ゲートが見えます。取水した用水はトンネルで高岩を抜け堤防内に取り入れています。

高岩頭首工は昭和59年(1984)に全面改修して完成。それ以前は聖牛などを並べて堰を造り水を引き入れていた。
(fujikawa museum案内板より)

竜王用水・山梨県甲斐市
信玄堤公園駐車場付近の水路トンネル出口です。

竜王用水の銘板
水路トンネル出口に埋め込まれた龍王用水の銘板。
昭和4年3月竣功 龍王用水 山梨県知事 天野久

竜王用水・山梨県甲斐市
沈砂池を兼ねているのでしょうか、広い池のような水路です。
水路下流側にゲートが2門あります。

竜王用水・山梨県甲斐市
分水用のゲートでした。用水路は竜王地区へ向かいます。
fujikawa museum案内板によると
「信玄堤と竜王用水絵図 貞享5年(1688)」に高岩を掘り抜いたトンネルが描かれています。信玄堤の築造と同時に竜王用水も造られ、長さおよそ32mのトンネル(現在は使われていない)が掘られたそうです。
およそ330年前から農業用水として利用されていたことが分かります。

次回は御勅使川の「石積出し」について発表します。

高岩頭首工の位置です。