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横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその取水源を探訪します。

其の400 荻野川の農業用取水堰巡り①・神奈川県厚木市

 6月20日(火)晴れ、荻野川の農業用取水堰を巡りました。
田んぼのあるところ用水路あり。地理院地図を開き「水田マーク」より上流からスタートし川沿いに下流へたどれば、荻野川の農業用取水堰をすべて見られるはずです。探訪の結果、予想通り数多くの取水堰を見ることができました。2、3回に分けて発表します。

神奈中バス・ツインライナー
厚木バスセンターから半原行の神奈中バスに乗ります。このバスは半原行きではありませんが、ツインライナーを目の前で見るのは初めてなので嬉しくなって撮りました。
車高が低いですね・・・。

神奈中バス・ツインライナー
長い車両なので後ろからも撮りました。全幅は2.55m、全長は18mもあります。乗用車でおなじみのメルセデスベンツマーク付き。ドイツ製のバスとは知らなかったです。
今回はいつもとは逆に今日の探訪記念を始めに載せました。

荻野川・下荒井橋
さて半原行きに乗車し40分ほどで源氏河原バス停に到着。
坂道を下ったところが荻野川の下荒井橋です。下荒井橋下流に小河川が合流しています。合流点より上流は流れがなく水無川状態になっています。ここは神奈川県厚木市上荻野です。

源氏橋より荻野川下流を望む
一つ下流の橋、源氏橋より荻野川下流を望む。少し前方下流でかわいた川底を見せています。

源氏河原の碑
源氏橋たもとの源氏河原の碑。
「その昔、源頼朝が石橋山の戦いに敗れこの地に来て再興を計った・・」と由来が刻まれています。上荻野は頼朝ゆかりの地でした。

荻野川・厚木市上荻野
上清田谷橋下流の荻野川。完璧な水無川状態です。河道内に水生植物が繁っているので伏流水が流れているのでしょうか。

荻野川
その下流、川底に床固めブロックが敷き詰めてあります。流れはありません。浸透しやすい地質なのでしょうね。川底に下りて一枚撮りたかったのですが思いとどまりました。鉄砲水が怖いですからね。探訪した翌日は全国的に大荒れの天気でした。きっと濁流に洗われただろうと想像します。

荻野川
ふれあい橋上流で少し流れが出現。この辺りは深山の趣があります。

荻野川の取水堰・横林橋
これでは取水堰巡りどころではないな・・・などと思っていたらようやく横林橋で一つ目の取水堰発見です。コンクリート製の固定堰です。角落し用の溝が見えますが堰上げはなく、取水堰として使われていないようです。左岸に夏草に覆われた取水ゲートがありました。

横林橋下流の田んぼ
横林橋下流左岸の田んぼです。やはり水が張ってありません。

荻野川の取水堰・宮郷スポーツ広場上流
宮郷スポーツ広場上流の二つ目の取水堰です。
横林橋の取水堰と同じ作りで、こちらは角落しで堰上げし左岸から取水中です。

荻野川左岸の田んぼ・上郷スポーツセンター付近
上記から始まる用水路とその用水を張った田んぼ。
用水路は道路向こうの田んぼへ給水したあと余水は小河川に排水しています。

厚木市上荻野六郎屋付近の小河川
これが東の方から来た小河川です。上荻野六郎屋の碑付近。

自動開閉式ゲートウォッチマン・厚木市上荻野
その下流、宮郷スポーツ広場東の小河川で珍しい取水堰を発見しました。一度だけですが小沢頭首工幹線水路を歩いた時に鬼ケ谷水門で見たことがあります。自動開閉式ゲート・ウォッチマンと言いますがそれとそっくり同じ作りです。自動開閉のメカが今一分らないのですが珍しい施設だと思います。

荻野川・厚木市上荻野
ウォッチマンから100mほど下流で樋管ゲートから荻野川に合流しています。やっと水量豊かな荻野川になりました。

荻野川の農業用取水堰・上郷スポーツセンター付近
それもそのはず。荻野川を堰き止め貯留しています。今日初めて見る本格的取水堰です。右岸に土砂吐ゲートと取水口があり操作室も見えます。

荻野川の農業用取水堰・上郷スポーツセンター付近
いわゆる鋼製転倒堰(油圧式)ですね。古いタイプなのか魚道は見当たりません。

上郷スポーツセンター付近取水堰からの用水路
取水堰の取水口から田んぼへ向かう用水路。

荻野川の農業用取水堰・銅座橋上流
5分ほど歩くとまた前方に取水堰です。今度は左岸取水です。

荻野川の農業用取水堰・銅座橋上流
下流の銅座橋から見ました。先ほどの堰と全く同じ作りです。左岸のゲートは土砂吐用と思います。魚道はやはりありません。
ここは厚木市中荻野。銅座橋上流の堰です。

今回は支川も含め5か所の農業用取水堰を見ました。各取水堰の名称は銘板等の表示がなく発表できません。位置は本文で述べた通りです。

資料によると名称だけわかります。詳細な位置は不明です。
上荻野にはエゴ堰、横林堰、金山堰の3堰。中荻野には天王堰、権現堂堰、滝ヶ埼堰、山の下堰、広町堰の5堰。下荻野に万年堰。及川に小山谷戸堰、金谷下堰の2堰。妻田に白根堰があります。

まだまだ続きますが今回はここまでです。

今回のスタート下荒井橋の位置です。

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其の399 城島用水路を歩く・神奈川県伊勢原市、平塚市

 6月17日(土)晴れ、「其の397」で発表した歌川のゴム堰頭首工・大堰から始まる城島用水路を終点まで歩きました。見どころは三つの排水路との立体交差です。探訪前から楽しみにしていたのですが、それ以上に面白かったのは用水路終点でした。

城島用水路・伊勢原市
大堰から用水路に入り歌川沿いに流下する城島用水。右側の田んぼはパイプライン化した大田地区エリアの田んぼなので、城島用水は素通りです。ここは神奈川県伊勢原市沖小稲葉。

伊勢原市沖小稲葉の田んぼ
同じ沖小稲葉地区の田んぼですが、この田んぼだけは城島用水から引いています。用水路が2水路に仕切ってある理由はこのためでした。右側が堰上げ給水用で左側は下流へ通水用と言うことでしょう。

歌川
大田橋より歌川下流を望む。大堰下流の歌川はこんな表情の川です。いま歌川右岸堤防天端の道を歩いています。

パイプライン化した用水路の田んぼ・伊勢原市沖小稲葉
沖小稲葉のパイプライン化給水の田んぼ。黒色の給水栓があるのでそれと分かります。手前の城島用水路は通過するだけです。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場位置図
参考のため大田地区位置図を再掲します。「神奈川県営ほ場整備事業大田地区」案内板より。

城島用水・伊勢原市
城島用水は源氏橋下流で歌川から離れ仕切りのない普通の用水路になります。小稲葉排水路交差点より上流を見ました。周りの田んぼはパイプライン給水エリアです。

小稲葉排水路・伊勢原市
小稲葉排水路上流を見ました。城島用水路は水路橋で渡っています。伏越を期待したのですが普通に水路橋でした。

城島用水路・伊勢原市
次は高沢排水路との立体交差です。交差点より城島用水上流を望む。

高沢排水路
高沢排水路下流を見ました。こちらは高沢排水路が伏越(ふせこし・サイフォン)で城島用水路の下を潜り抜けています。
ここは伊勢原市と平塚市の境界です。左(北)側がパイプライン化給水の田んぼで伊勢原市、右(南)側は平塚市大島で城島用水の給水エリアです。城島用水は大島地区の田んぼへ用水を引くための用水路でした。

城島用水から分水
その下流で左岸から東の方向へ分水していました。

城島用水・平塚市大島枝
城島用水路下流を望む。平塚市大島枝付近。前方の山は大磯の高麗山でよく目立ち方角の目印になります。

下谷東排水路
三つ目の立体交差はこの下谷東排水路です。城島用水路はここ新田橋の100mほど上流で下谷東排水路と立体交差しています。

城島用水路
下谷東排水路左岸より城島用水路上流を見る。城島用水路はここが行き止まりで私の後ろ側は下谷東排水路です。溢れた水(余水排水)は左岸上部の切欠き(越流堰)から流出しています。

下谷東排水路
後ろ側はこのようになっています。余水排水を下谷東排水路へ放流しています。右側のパイプは何でしょう。用水を送る水管橋です。
下谷東排水路は300mほど下流で歌川に合流しています。

城島用水路
下谷東排水路の南側に田んぼが見えます。余水排水は100%放流しないで一部を南側の田んぼ向けに水管橋で送っています。水管橋から田んぼへ向かう細い用水路が見えます。その奥は右から左に渋田川が流れています。

渋田川
新田橋から南へ入ると渋田川左岸の堤防に出られます。堤防上から渋田川上流を望む。

城島用水終点
上流へ少し歩き北方向を見ました。ちょうど水管橋先の細い用水路を逆方向から見たことになります。私の足元、ここが城島用水の終点です。途中まで用水が流れていますが、足元付近は乾いています。絶妙な用水量のコントロールです!凄いですね・・・。見たところ渋田川への排水樋管ゲートはなく、私の足元で城島用水は自然消滅しています。余水排水は元の取水した河川に戻すのが普通ですが自然消滅とは・・・こうした終わり方もあるんですね。面白いです。もっとも事実上の終点は下谷東排水路への余水吐施設なんですけどね。

今日は用水路と排水路の立体交差(水路橋・伏越・水管橋)を見ました。

城島用水路終点の位置です。

其の398 パイプライン化した用水路を歩く・神奈川県伊勢原市

 前回「其の397」は歌川のゴム堰頭首工・大堰とそこから取水した用水をパイプラインで田んぼへ送る揚水機場の話でした。
6月17日(土)晴れ、あらためて訪れ、伊勢原市大田地区の田んぼを広範囲にわたって歩いてきました。第2工区揚水機場、農道に敷設のパイプライン、田んぼへの給水、開渠排水路など、ほ場整備事業でパイプライン化した田んぼを見てきました。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場位置図
はじめに「神奈川県営ほ場整備事業大田地区」の位置図です。
左の現在地が前回訪ねた揚水機場です。歌川のゴム堰頭首工・大堰の堤防下にあります。今回はそこから南の方にある揚水機場と第2工区、第3工区の田んぼと排水路を見てきました。

「ほ場」とは普段あまり聞かない言葉ですが漢字で「圃場」と書き「ほじょう」とか「ほば」と読みます。農産物を育てる場所=田んぼ、畑、果樹園のことです。

伊勢原市大田地区用水路
前回見たように大堰で取り入れた用水は①城島用水②用水路③揚水機場の3か所へ流れて行きます。まず揚水機場前の道路沿いを流れる②の用水路を南へたどりました。幅60cm位の普通の用水路で西側の田んぼに給水しています。

伊勢原市大田地区・小稲葉排水路
上記で配り終えた用水の余水は西側を流れるこの排水路に流れ込んでいます。この排水路は揚水機場西隣のあやめの里の方から来ています。両側の田んぼからの排水を集めた南向きの流れです。

第2工区揚水機場・伊勢原市大田地区
南流した排水路が東向きに流れを変える地点にある揚水機場です。位置図の第2工区にある揚水機場でこの排水路は小稲葉排水路と言います。
地上にある設備はポンプ操作盤と物置のみです。吸水池やポンプ設備は農道地下に設置してあるみたいです。

第2工区揚水機場取水口
小稲葉排水路右岸に設置の取水口。ゴミ除けスクリーン付きで取水口と分かります。当初、「神奈川県営ほ場整備事業大田地区」案内板を見た時は地下水をポンプ揚水する施設と思ったのですが今日の探訪で取水源は小稲葉排水路と判明しました。
農道地下に吸水池があると思われます。

小稲葉排水路・第2工区揚水機場付近
取水口下流に水色の転倒堰開閉器が残されていました。昔ここに転倒堰があった痕跡ですね。普通に開渠の用水路が走っていたのでしょう。それにしてもパイプライン化切替工事はごく短期間(10月から翌年5月までの間)に行われたのでしょうが凄いことをやりましたね・・・。
小稲葉排水路はこの先田んぼの排水を集めて東流し歌川に合流しています。

パイプライン用水路・伊勢原市大田地区
第2工区揚水機場の下流、小稲葉排水路を越え田んぼへ向かうパイプライン。管径は30cm位、幹線と思われます。前方の田んぼに黒い給水栓が見えます。

パイプライン用水路・伊勢原市大田地区
横から見たパイプライン。ハンドルはバルブの開閉用。300×75の数字が読み取れます。

大田地区土地改良区の看板
付近の大田地区土地改良区の「水田通水実施のお知らせ」看板です。

小稲葉排水路・伊勢原市大田地区
これは下流の城島用水路交差点付近から見た小稲葉排水路の上流方向です。背景の一番高い山は大山です。富士山は左にちょっとだけ顔をのぞかせています。

パイプライン用水路・伊勢原市大田地区
先ほど見たパイプラインより細めの送水管です。農道から小稲葉排水路を渡っています。管径は75mm位でしょうか。

パイプライン用水路の給水栓
その先でフタを取ったまま給水中の給水栓を見つけました。

小稲葉排水路
前方の歌川右岸堤防へ向かう小稲葉排水路。排水路なので当然ですが田んぼより低い位置を流れています。

小稲葉排水路・歌川に合流
排水樋管ゲートから歌川へ放流中の小稲葉排水路流末。

ほ場整備事業大田地区の田んぼ
ほ場整備事業大田地区の田んぼ。黒い給水栓が並んでいます。

パイプライン用水路の給水栓
中にはこんなタイプの給水栓もありました。

いせはらし・用水制水弁マンホールフタ
高沢排水路へ向かう途中の農道で見つけた「いせはらし 用水制水弁」と表示のマンホールフタ。

高沢排水路
城島用水路交差点付近から見た高沢排水路の上流方向です。

高沢排水路・歌川に合流
排水樋管ゲートから歌川へ放流中の高沢排水路流末。

あやめの里・伊勢原市大田地区
おしまいにあやめの里の菖蒲です。まだ花見に間に合いました。あやめの里は今年度(平成29年度)で終了するそうです。

次回は城島用水を終点まで歩いたのでその様子を発表します。見どころは排水路との立体交差です。

第2工区揚水機場の位置です。



其の397 歌川のゴム堰と揚水機場を訪ねる・神奈川県伊勢原市

 渋田川分水路が歌川に合流する畠田橋の下流約400m地点にゴム堰の頭首工があります。昨年11月に渋田川分水路を探訪した帰りに寄りましたがシーズンオフで非稼働でした。各地で田植えが始まったので6月10日(土)晴れの日に見に行きました。神奈川県ではおそらく初めての農業用水のパイプライン化給水施設も併せて見られ価値ある探訪となりました。

歌川大堰橋上流のゴム堰
昨年11月に訪れた時のゴム堰です。倒伏しています。
「其の343 渋田川分水路を訪ねる」より。(2016/11投稿)

歌川の大堰
今日のゴム堰です。堰上げし稼働中です。右岸に取水ゲートがありゴム堰操作室もあります。

歌川の大堰取水ゲート・操作室
取水ゲートとゴム堰操作室アップ。只今取水中です。

歌川の大堰・魚道
左岸に設置の魚道です。ゴム堰と取水ゲートに魚道付きの農業用取水施設(頭首工)です。施設名は大堰と言い下流側に管理橋の大堰橋が架かっています。

歌川のゴム堰操作室と揚水機場
ゴム堰操作室の南側、歌川右岸堤防下に今日のもう一つのテーマ、揚水機場があります。左側堤防上グレー色の建屋がゴム堰操作室。右側白い建屋は揚水機場(ポンプ場)です。この施設はただの揚水機場ではなく、パイプライン化した農業用水路の始点に当たります。神奈川県では珍しい施設だと思います。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場
揚水機場全景です。昨年初めて見た時は水の流れがなく仕組みがさっぱり分らなかったのですが今日は水流があるので良く理解できました。
この施設は「神奈川県営ほ場整備事業大田地区」の揚水機場です。この池はポンプ場の直前にあるのでいわゆる沈砂池兼吸水池ですね。

歌川の大堰取水口から始まる用水路
取水した用水の流れを追ってみます。これはゴム堰操作室から用水路下流を見たところです。石垣をトンネルで抜け①下流へ行く用水路と石垣の手前で二方向へ分水しています。

城島用水路
石垣下を抜け下流へ向かう①の用水路。城島用水といいます。

歌川の大堰取水口から始まる用水路
石垣下から用水路上流(ゴム堰操作室方向)を見ました。二方向へ分水しています。②手前の分水ゲートからの用水路及び③スクリーン経由の用水路と①城島用水とあわせ三つの用水路に送っています。

歌川の大堰取水口から始まる用水路と分水施設
分水部のアップです。左が②、右は③です。③は揚水機場へ向かう暗渠です。

「神奈川県営ほ場事業大田地区」の揚水機場
③の暗渠の上をたどると揚水機場の池(前述の沈砂池兼吸水池)に流入していました。
この施設は案内板によると「神奈川県営ほ場整備事業大田地区」の揚水機場です。フェンスに掲示の注意看板によると管理者は伊勢原市大田地区土地改良区です。案内板には肝心要の取水源が書いてなく、昨年初めて見た時は歌川の伏流水を揚水し、池は伏流水を温める温水池ではないか?と想像したのですが取水源は今見た通り大堰で堰き止めた歌川です。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場
ポンプ場直前にゴミ除けスクリーンがあり、径30cm位の吸水管が立ち上がっています。
池からポンプ揚水しパイプラインで田んぼへ送水しています。ちょうど水道管のように地下に配管されているのでしょう。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場
ポンプ場建屋裏側に配管が地下に潜っています。これは多分田んぼへ向かう送水管(吐出管)でしょうね。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場案内板
構内の神奈川県営ほ場整備事業大田地区案内板です。

神奈川県営ほ場事業大田地区の揚水機場位置図
揚水機場の位置図です(案内板より)。揚水機場は3カ所あります。図中、青色点線で「城島用水」とありますが位置から前述の用水路①と思われます。

伊勢原市大田地区の田んぼ
付近の田んぼに設置の給水栓です。フタがしてあり部外者は触れないようにしてあります。給水中の様子を見たかったのですが残念。

パイプライン化用水路の給水栓・伊勢原市大田地区の田んぼ
幸いに案内板に給水中の写真がありました。こんな風景は神奈川県では初めて見ました。昨年、千葉県の手賀沼周辺の田んぼで見たことがあります。

千葉県手賀沼土地改良区の新木新田の給水栓
これは昨年6月に探訪した千葉県手賀沼土地改良区の新木新田の給水栓です。手賀沼の水を揚水機場から高台の円筒分水に上げ、パプラインにより自然流下で低地の田んぼへ送水しています。給水栓の開閉バルブは露出しています。
「其の309 手賀沼円筒分水を訪ねる・千葉県柏市」

伊勢原市のあやめの里
今日は田んぼの周りに用水路がない珍しい灌漑施設を見学しました。おしまいに大山を背景に揚水機場に隣接のあやめの里です。あやめの里は平成29年度で終了だそうです。今日が初見で見納めの花見です。

歌川の大堰取水施設の位置です。

其の396 「軍都さがみはら探訪」・神奈川県相模原市

 6月4日(日)晴れ、相模原市立博物館主催の「軍都さがみはら探訪」に参加しJR横浜線矢部駅から淵野辺駅までその痕跡を巡りました。私の狙いはあわせて陸軍敷地境界杭を見つけることでした。幸い一本のみですが実現し、私的には収穫ありの探訪会でした。

軍都相模原の軍関連施設位置図
かつて相模原は軍都相模原と言われたように数多くの陸軍関連施設がありました。
相模原の軍関連施設の分布です。緑色は旧相模原町域、ピンク色が軍関連施設(相模原市史文化遺産編より)。
主な施設は相模陸軍造兵廠、陸軍兵器学校、相模原陸軍病院、陸軍通信学校、陸軍機甲整備学校、陸軍士官学校、臨時東京第三陸軍病院など。画像をクリックすると拡大します。

相模陸軍造兵廠跡の碑
JR横浜線矢部駅に集合し博物館学芸員さんの案内で探訪スタートです。駅近くの公園に設置の相模陸軍造兵廠跡の碑です。碑の裏面に詳細な沿革が刻まれています。

相模陸軍造兵廠への引込線跡
横浜線から相模陸軍造兵廠への引込線跡(柵の中)が残っていました。レールは見えなかったのですが当時相模陸軍造兵廠で生産した砲弾や火砲牽引車、時には戦車(97式戦車中戦車・チハ車)などを鉄道輸送したと思われます。相模陸軍造兵廠には2万人がその製造に従事していました。


今昔マップに表示されています。(今昔マップon the webより)
1944~1954年にセットしました。左側の昔マップを動かしてください。引込線の様子が分かります。

旧相模陸軍造兵廠・現米陸軍補給廠
旧相模陸軍造兵廠は、現在米陸軍補給廠として使われています。ブロック塀にU.S.Army Japanの警告看板が見えます。

陸軍兵器学校の敷地境界杭
旧相模陸軍造兵廠の道を挟んだ南隣は陸軍兵器学校でした。お目当ての陸軍敷地境界杭です。「陸軍用地」と刻んであります。陸軍兵器学校は昭和13年に東京小石川から移転しました。この杭は今から80年ほど前に陸軍敷地境界に打たれた杭です。

陸軍敷地境界杭・相模原市立博物館蔵
陸軍兵器学校の敷地境界杭は相模市立博物館に常設展示されています。こちらの杭は「陸軍」と刻まれています。
「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」より。

陸軍兵器学校弾薬庫跡
これは兵器学校北端の旧弾薬庫です。希少な陸軍施設跡です。現レンジフードメーカー富士工業の一画に残っています。

陸軍兵器学校正門跡付近
いちょう並木通り淵野辺一丁目交差点付近です。この辺りに陸軍兵器学校正門がありました。

陸軍工科兵器学校跡の碑
陸軍工科兵器学校跡の碑
上記付近、ヒマラヤスギ下の陸軍工科兵器学校跡の碑。当初は陸軍工科学校で昭和15年に陸軍兵器学校と改称されました。

探訪資料によると陸軍兵器学校には学生、軍属あわせ戦争末期には5,000人もの人がいたそうです。歩いてみても、当時の建物等はほとんど残っていません。跡地は麻布大学、防衛省装備研究所、民間企業の工場等に変わり、石碑等により当時の痕跡を窺い知るのみです。

陸軍敷地境界杭については2、3年前に相武台の陸軍士官学校周辺を探し回り「其の192」以下で発表しました。横須賀水道みち半原系統で見られる海軍の境界杭4種類は「其の188」にまとめました。

JR横浜線矢部駅の位置です。


其の395 相模川源流を訪ねる② 河口湖の嘯放水路と治水トンネル

 何年か前に河口湖沿岸に大規模浸水被害が発生しテレビや新聞で大きく報道されました。その後は対策がされたようでそのようなニュースはなくなりました。
調べたところ昭和57、58年二年連続の台風による大規模降雨で河口湖の水位が上昇し浸水被害が発生していました。もう35年も前のことでした。資料によると嘯(うそぶき)放水路事業(昭和63年度~平成6年度)の実施により現在は昭和58年規模の大雨に対しては概ね解消されています。
自然流出する河川がない閉鎖性の河口湖にどのように治水対策がされたのか見たくなりました。6月2日(金)晴れ、山中湖、忍野八海と二つの相模川源流を見たあと現地を訪ねました。

嘯放水路・富士吉田市旭町1
最初にやって来たのが富士吉田市旭町1丁目の嘯放水路です。おひめ坂通り嘯橋より嘯放水路上流を望む。堤防のない掘込み河道の水路です。嘯放水路事業では既設の東京電力放水路(大正6年竣工)を掘り下げて河道断面を広げたそうです。


富士吉田市旭町1丁目、嘯放水路に架かる嘯橋です。上流(地図の左方向)へたどるとトンネルがありその先が河口湖です。

嘯放水路・富士吉田市旭町1
同下流を望む。500mほど下流で宮川に合流し、宮川は下流で桂川(相模川)に合流しています。ゆえに嘯放水路は相模川水系の河川です。

嘯放水路
嘯橋の500m位上流です。山が迫っています。山の向こう側が河口湖です。

東京電力放水路・嘯放水路
山に近づきました。正面が大正時代に出来た東京電力放水路です。開渠のまま立ち上がっています。流れがあるので白く光っています。山の中腹に放水路トンネル吐口(出口)があり反対側の呑口部(入口)と共に文化庁登録有形文化財に指定されています。
右側は嘯放水路事業で出来た嘯放水路です。ここは合流点です。
流量は東京電力放水路が7.79㎥/秒、新設の嘯放水路は22.21㎥/秒で合せて嘯放水路の流量は30㎥/秒となっています。つまり昭和58年当時より22.21㎥/秒余計に放流可能となり浸水被害は解消されました。

嘯治水トンネル吐口
右側の新設嘯放水路を上流へたどりました。嘯山を貫いたトンネル吐口部(出口)です。銘板が埋め込まれています。「嘯治水トンネル」とあります。今は平常時で呑口側のゲートが閉じているので流れはありません。

嘯治水トンネル吐口
表側から見た嘯治水トンネル吐口。

嘯放水路
嘯治水トンネルを背に下流を見る。急斜面を下っています。

富士山・富士吉田市新倉
次に河口湖のトンネル入口を見に行きました。途中の富士吉田市新倉付近、車窓から見た富士山です。

河口湖・嘯放水路呑口部
R137沿いにありました。嘯放水路呑口部です。除塵機、ゲートを経由し長さ1,469mの嘯治水トンネルが始まります。

河口湖・嘯放水路呑口部
嘯放水路呑口部入口の除塵機とゲート操作室。案内板によると除塵機は通水幅3m×2基、ネット回転式で嘯放水路へのゴミ流入防止用。ゲートは純径間6mの鋼製ローラーゲート。点検用角落しスライドゲートも設置されています。

河口湖・嘯放水路呑口部
嘯放水路呑口部から河口湖の眺望です。

東京電力放水路取入口
こちらは南側にある既設東京電力放水路取入口です。

東京電力放水路取入口
取入口を背に下流方向を見ました。正面のスクリーンを通過しR137をトンネルで潜ります。

東京電力放水路トンネル呑口部
R137から見た放水路とトンネル呑口部(入口)。

文化庁指定登録有形文化財の証
トンネル呑口部の文化庁指定登録有形文化財の証。(登録番号:第19-0019)。前述の吐口部も指定されています。

鹿留発電所船津取水口の看板
呑口部沿い鹿留発電所船津取水口の看板。
あれっ?!おかしいですね・・・。資料では東京電力放水路(大正6年竣工)でした。放水とは河口湖の水を宮川へ放流と理解したのですが看板には取水口とあり話が真逆です。何故放水路を作ってまで放流するか? ここより西の河口湖畔に東京電力西湖発電所があり用水を西湖から引き発電後の用水を河口湖に放流しています。出口がない閉鎖性の河口湖に放流を続けると水位が上がり弊害が出るので宮川へ流す放水路を作ったと思われます。西湖発電所の最大使用水量は7.79㎥/秒。河口湖からの東京電力放水路も7.79㎥/秒でぴったり一致しています。
また西湖発電所は大正8(1919)年3月運用開始で東京電力放水路(大正6年竣工)とほぼ同時期です。
よく分かりませんが東京電力放水路(大正6年竣工)は河口湖の放水路であり、放流水を利用した鹿留発電所の導水路でもあると解釈するしかないですね・・・。

東京電力水利使用標識
おしまいに付近に掲示の水利使用標識です。
河川名:一級河川相模川水系河口湖
水利使用の目的:発電
取水量:7.79㎥/秒
所轄事務所名:国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所


面白いですね・・・河口湖が一級河川相模川水系河口湖とは・・・初めて知りました。
取水量は鹿留発電所の使用水量と思われますが西湖発電所の使用水量、嘯放水路水量と一致しています。京浜河川事務所は先日鶴見川多目的遊水地見学会でお世話になりました。事務所は横浜市鶴見区にあります。山梨県まで管轄とは手広くやられているんですね。

参考資料:相模川水系 補足説明資料
西湖発電所、鹿留発電所について詳しくは水力ドットコムをご覧ください。 「水力発電所ギャラリー 相模川水系」から入れます。

嘯治水トンネル呑口部の位置です。

其の394 相模川源流を訪ねる① 山中湖・忍野八海

 6月2日(金)晴れ、相模川の源流と言われる山中湖、忍野八海、河口湖を探訪しました。2回に分けて発表します。

山中湖畔の相模川源流の碑
山中湖畔の相模川源流の碑。左側の水路が相模川(桂川)の始まりです。相模川は山梨県内では桂川と呼ばれています。

山中湖相模川流出口
湖側から見ました。中央の水路が相模川(桂川)。
富士五湖の中で山中湖だけが唯一流出河川がある湖です。
他の四湖は自然流出河川のない閉鎖性湖沼です。
横断しているパイプは東京電力の施設のようです。白色の塔に「水位伝送器」の銘板が貼ってありました。

山中湖畔の相模川源流の碑
相模川源流の碑に銘板が嵌めこんであります。

相模川について
相模川(桂川)の源流となる山中湖は、富士山の東北斜面の降水を集めてできている湖である。かつて「甲斐国志」で梁尻と呼んだ天然の流出口があったが、現在では東京電力の水門(大正15年~)となっており、下流へ流下しながら湧水や支流と合流を重ね、流路延長109kmを経て相模湾へ注いでいる。
 
(碑文より)

相模川源流の碑から富士山の眺め
相模川源流の碑からの富士山の眺め。


 次いで平成25年6月に世界文化遺産に登録された忍野八海を訪ねました。近場にありながら今まで行ったことがなく初訪問です。狭い地域内にある忍野八海は富士山の伏流水に源を発する湧水池群です。

始めに忍野八海の位置です。山中湖流出口の北方にあります。



忍野八海・湧池
この池は湧池と言います。忍野八海の中で最も水量豊かで透明で澄みきった湧水池らしい池です。中国人団体観光客で賑わっていました。右端円形の池は水深8mの湧水口です。

忍野八海・濁池
左側は湧池の下流の池、濁池です。湧池とパイプで繋がっています。池の出口で右側の阿原川に合流しています。

忍野八海・阿原川
濁池より阿原川下流を望む。

阿原川・新名庄川合流点
その下流で阿原川(右側の橋)は新名庄川(左側の橋)に合流し、約300m下流で山中湖を発した桂川に合流しています。したがって忍野八海は相模川源流のひとつと言えます。

今日は全部で八つの池を見ました。以下はその他の池です。

忍野八海・菖蒲池
この池は忍野八海の一番東にある池で菖蒲池と言います。

忍野八海・鏡池
その西側の鏡池です。何の変哲もない普通の池です。

忍野八海・銚子池
銚子池です。湧水の砂の噴き上がりが見えました。

忍野八海・お釜池
お釜池です。最も小さい池で、そこから始まる流れにバイカモが繁っていました。

忍野八海・資料館内鯉の池
忍野八海・資料館内鯉の池
資料館内鯉の池です。(個人所有の池)

忍野八海・資料館奥の底抜池
資料館奥の底抜池です。ニジマスが泳いでいました。

ところで私は相模原市の住民ですが日々の生活用水は谷ケ原浄水場(神奈川県営浄水場)で作った水道水を使っています。浄水場の水源をたどると水道原水は相模湖(相模川を相模ダムで堰き止めた人造湖)で貯めた水です(一部相模川伏流水も含む)。今日訪ねた山中湖、忍野八海は相模川の源流に当たるので日々富士山の伏流水を口にしているわけです。富士山の恵みに感謝感謝ですね・・・。
相模湖の水は谷ケ原浄水場のほか相模川流域を越え横浜水道、川崎水道の浄水場にも導水され水道水、工業用水として戦後の大都市の発展を支えてきました。相模川は神奈川県の母なる川と言われる所以です。その一部は川崎市にある東京都長沢浄水場にも分水(東京分水2.66㎥/秒)され多摩川を越え東京都民の口にも入っています。
富士山の恵みは凄いですね・・・。(^σ^)

このあと閉鎖性の湖の治水を見るため河口湖へ向かいました。今回の相模川源流巡りで最も興味深く楽しみにしていました。
次回発表します。

其の393 山梨県道志村役場の横浜水道獅子頭共用栓

 6月2日(金)晴れ、山中湖・河口湖へ向かうため道志みち(R413)を走りました。今回は横浜水道がらみで道志村役場に設置の獅子頭共用栓の話です。

山梨県道志村役場
道志みち(R413)沿い道志村役場庁舎です。玄関脇に獅子頭共用栓が立っています。

道志村役場の獅子頭共用栓
獅子頭共用栓です。年季が入って足元は苔むしています。
横浜水道創設時イギリスから600基が輸入され、市民への給水は複数の人が共同で使用する共用栓が主体で、獅子頭共用栓は道路に設置されていました。

道志村の獅子頭共用栓の碑・碑文
傍らの石碑に碑文が刻まれています。上部には道志村村章、横浜市市章も刻まれています。
どのようなことが書かれているのでしょう。

獅子頭共用栓
この獅子頭は横浜市水道局が明治二十年に創設された頃イギリスから輸入したもので共用栓として市内随所に設置され広く市民に愛されていた貴重なものであります。当時獅子頭共用栓からほとばしる飲用水は赤道を越えても腐らないとほめ讃えられた世界一おいしい水でありその水源が我が道志川の清流であります。
このことは横浜市民と道志村民とのきずなを深めて今日に至って居ります。この度私たちはこのきずなをさらに将来に向って意義あるものとするため獅子頭の寄贈をいただきここに記念のしるしとして設置したものであります。

     昭和五十七年九月  道志村


明治20年に創設した日本初の近代水道・横浜水道は当初相模川、現在の沼本ダム付近(三井用水取入所)から取水していました。明治30年に道志川取水(現在の青山沈澱池)に変更したのでそれ以来今現在も横浜市川井浄水場へ道志川の水を送り続けています。道志村と横浜市とのゆかりは今年でちょうど120年になります。長―いお付き合いですね・・・。

このあと、相模川の源流を見るために山中湖・河口湖方面へ向かいました。次回以降に発表します。

道志村役場の位置です。