横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の375 大井川の蓬莱橋を渡ってきました・静岡県島田市

 3月22日(水)晴れ、大井川に架かる世界一長い木造歩道橋・蓬莱橋を渡るため、静岡県島田市まで遠征しました。

蓬莱橋番小屋
大井川左岸蓬莱橋(ほうらいばし)のたもとにある蓬莱橋番小屋です。橋を渡る前にここで渡橋料金100円(子供は10円)を払います。蓬莱橋全長897.422mの案内柱が立っています。
ここは静岡県島田市南2−22−14。末尾に地図を載せました。

蓬莱橋・ギネスブック認定の碑
番小屋の傍らにはギネスブック認定の碑が建っています。
ギネスブック世界記録認定証書
世界一長い木造歩道橋
橋の長さ 897.422m  
橋の幅 2.700m
蓬莱橋は、1997年12月30日英国ギネス社より
「世界一長い木造歩道橋」として認定されました。


大井川蓬莱橋渡橋記念
渡橋料を払うと引き換えにこれ「大井川蓬莱橋渡橋記念」がもらえます。裏面の蓬莱橋土地改良区による蓬莱橋の由来書きに、
静岡藩藩主徳川家達が対岸の牧之原を訪れた際、茶畑を開拓する幕臣たちに「ここは蓬莱・宝の山だ。」と激励したことから。1879年(明治12年)1月13日完成。と書かれています。
蓬莱橋土地改良区? 土地改良区は農家の水利組合と認識しているのですが橋の管理が土地改良区とはなんでしょうかね。調べたところ蓬莱橋は農道だそうです。これで合点がいきました。

大井川蓬莱橋
橋のたもとから対岸を見ました。方角は南です。大井川は南流していると思い込んでいましたがこの辺りでは東流しています。従って北から南に向けて渡ります。

大井川蓬莱橋
西側から見ました。高水敷では橋脚も木造です。

大井川蓬莱橋
接近して別角度から。

大井川蓬莱橋
真下から見上げました。木造橋の構造が分かります。

大井川・蓬莱橋
低水路域に入りました。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄にも歌われた大井川。この程度なら楽に越せそうです。約1kmもある広い河道内に幾筋もの水路が走っています。

大井川蓬莱橋
その先、別の水路です。上流を望む。
江戸時代、東海道島田宿から対岸の金谷宿への渡しはここより上流の現在の島田市博物館辺りから右岸の新金谷駅付近のルートでした。川越人足が肩車や輦台でその任にあたり旅人が勝手に渡ることは厳しく禁じられていました。

大井川蓬莱橋
渡り始めて10分近く。対岸を望む。

大井川蓬莱橋
対岸近く最後の広くて深そうな流れです。上流を望む。江戸時代にこの流れではプロの川越人足でも難儀しそうです。帰りに島田市博物館へ寄ったのですが、大井川の渡しでは水深により異なる渡し賃が設定されていたそうです。

広重の東海道五十三次嶋田宿
広重の東海道五十三次 嶋田
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
対岸の金谷宿へ渡る大名行列の川越の様子が描かれています。画像をクリックすると拡大します。

広重の東海道五十三次金谷宿
広重の東海道五十三次 金谷
(読売新聞 歌川広重東海道五十三次上巻より)
大井川を越え対岸の金谷宿へ到着した大名行列の一行。

大井川蓬莱橋際マムシ注意看板
右岸堤防下へ下り口の「まむし(毒へび)に注意」の看板。今の季節は心配ないですがもうじき出てくるでしょうね。いかにも棲んでいそうなところです。早く来て良かったです。

大井川蓬莱橋
右岸堤防下より蓬莱橋を望む。橋脚は鉄筋コンクリート製です。地元の人の話では地上部と同じ長さが地中に埋まっているそうです。昔は木製だったのが大雨のたびに流されたので20年位前に今の形になったそうです。

大井川蓬莱橋
右岸展望広場より蓬莱橋を望む。蓬莱橋のたもとに土産物屋があります。その裏の祠前の小道を上ると展望広場です。

大井川蓬莱橋
折り返し左岸の番小屋へ戻ります。眼前の木製の橋は真新しく改修してあります。橋の管理者である蓬莱橋土地改良区によるものでしょう。

さて、右手前方に富士山の絶景が望めるはずですがあいにく雲がかかってしまいました。予報は冬型の気圧配置だったので少々寒くともくっきり見えると踏んだのですが・・・。

東名高速富士川SAより富士山を望む
ここへ来る途中の往路、東名高速富士川SAから富士山を仰ぐ。午前中はこんな天気でした。相模原に住む者には憧れの富士山の絶景です。休憩して良かったですね・・・。(^σ^)

蓬莱橋の位置です。

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其の374 鶴見川の河川改修工事・町田市図師町の宮川橋付近

 二年ぶりに宮川橋へ鶴見川改修工事の様子を見に行きました。前回訪ねたのは平成27年4月なので早くも2年が経っています。ついこの間のことと思っていたのですが、近頃は年を食ったせいか光陰矢のごとしをとみに感じます。

鶴見川の宮川橋
町田市図師町の宮川橋です。2年前と変わっていません。3年前に初めて来たときは新しい橋に架け替えのため右側(下流側)に仮設橋が架かっていました。今日3月18日は土曜日なのに舗装工事をやっていました。3月なので28年度末の追い込みでしょうかね・・・。

宮川橋より鶴見川下流を望む
これは2年前の宮川橋から見た鶴見川下流の様子です。鶴見川は左方向(北向き)に蛇行し、すぐ先で元へ戻り既設新河道(捷水路)を東流していました。

宮川橋より鶴見川下流を望む
本日、宮川橋より鶴見川下流を望む。今日の様子はこのように2年前に比べて一変しています。北向きに蛇行していた旧河道はなくなり広い新河道に生まれ変わっています。

宮川橋より鶴見川下流を望む
北向き旧河道を埋立て道路とし、一部は新河道にしたようです。その部分だけ川幅が広くなっています。道路は舗装工事中で進入禁止でした。

宮川橋より鶴見川上流を望む
宮川橋から鶴見川上流を見ました。護岸は蛇籠護岸で2年前と同じ状況です。北流から東流へ大蛇行しています。勝手気ままに蛇行する鶴見川を直線化し速やかに河川水を流下させるために改修工事を行っているので、近いうちにここから真っ直ぐ西へ伸びる新河道が掘られると思います。撤去しやすい蛇籠護岸はその意味で頷けます。
左側(南側)の仮設橋は2年前にはなかった橋です。

鶴見川・宮川橋上流
仮設橋より南方向上流を望む。突き当りで西へ大きくΩ型に蛇行しています。

鶴見川・宮川橋上流
南側から見たΩ字型の大蛇行。何年か先、新河道が完成すれば埋め立てられると思います。

鶴見川・宮川橋上流
その上流、西側から下流のΩ字型蛇行方向を見ました。この河道も新河道が完成したら埋め立てられると思います。

鶴見川・宮川橋上流
上記の左岸沿い道路です。この道路は蛇籠護岸の延長線上にあるので新河道になると思われます。

鶴見川・宮川橋上流
上記付近より上流を見ると直線化工事がほぼ完了した新河道が見えます。左岸(写真右側)に道がありますが工事中で進入禁止でした。

宮川橋付近の1944~1954年(昭和19~29年)にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)

2年前にはこの地図の存在を知らなかったのですが、川筋を変えるような大規模河川改修の推移を見るにはうってつけの地図です。左側が昔マップで、動かすと右側の今マップが連動します。宮川橋の下流(東)方向から順次改修工事を行っているので右へスライドすると昔の蛇行する鶴見川を見ることができます。
昔の鶴見川は文字通り「蛇行」そのもので勝手気ままに流れる川でした。
大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「町田市上山崎」と入力すると開きます。

青大将・手賀沼の泉揚水機場付近にて
これは本物の蛇行です。(2016/06/11手賀沼の泉揚水機場付近にて。)弁天さまのとぐろを巻いた蛇は愛嬌があるのですがこれはどうもですね。小さくサムネイル版にしました。苦手な人はクリックしないでください。

川鵜・鶴見川の宮川橋にて
おしまいに探訪記念として川鵜です。宮川橋の下で休んでいました。今年2月、目久尻川を歩いた時にも撮りました。

宮川橋付近の鶴見川河川改修工事現場を初めて訪れたのは平成26年4月のことです。今年で4年目、探訪は3回目です。
参考までに過去記事です。その変貌ぶりの一端です。
「其の146 鶴見川の河川改修工事」 (2014/04投稿)
「其の217 鶴見川の河川改修工事・・」 (2015/04投稿)

河川の直線化治水事業は何年にも亘る息の長い工事です。これからも年に一回くらいは様子を見に来たいと思います。

宮川橋の位置です。本日(2017/03/26)現在、宮川橋下流の新河道はまだ地図に反映されていません。

其の373 寒川町の神奈川県水道記念館を訪ねる

 3月16日(木)晴れ、西寒川線跡・一之宮緑道を歩いたその日、神奈川県水道記念館を訪ねました。以前から一度訪ねようと思っていましたが機会がなく、ようやく実現しました。

寒川神社表参道一の鳥居
寒川神社表参道一の鳥居です。JR相模線踏切を渡ったところにあります。この森は「かながわの美林50選」に選定されています。森の左奥、目久尻川左岸に神奈川県水道記念館があります。

「かながわの美林50選 寒川神社の森」
「かながわの美林50選 寒川神社の森」。この案内柱がなければそうとは気づきません。かながわの美林50選があることすら知らなかったのですから。

水の広場正門
神奈川県水道記念館がある広場の格調高い正門です。表札には「水の広場」。水の広場は創設期の神奈川県営水道寒川浄水場の跡地です。

水道記念碑
正門前右手の立派な「水道記念碑」です。高さは4m近くあります。
どのようなことが書かれているか神奈川県企業庁水道局案内板から冒頭部分のみ引用します。
この水道記念碑は、わが国最初の広域水道として行われることになりました「神奈川県営水道事業」の最初の工事が、昭和八年五月の起工以来、昭和十年八月の全線通水を経て、昭和十一年四月に完成したことを記念して、県営水道期成同盟会によって建てられたものです。この文面からは、当時の人々の県営水道にかける決意、水道管布設に当たっての努力、また、完成した県営水道に対する誇りが感じられます。
(記念碑案内板より) 以下碑文の現代文訳・・・。 

水の広場内庭園
水の広場内、せせらぎのある庭園。園内に県内各市の「市の木」が植えられています。

神奈川県水道記念館
水の広場内、神奈川県水道記念館です。水道記念館は旧送水ポンプ所の建物です。
記念館前に水色塗装のポンプが記念物として展示してあります。ポンプは荏原製ゐのくちポンプ、モータは昭和27年東芝製。

旧ポンプ所内部の様子・水道記念館
旧ポンプ所内部の様子。(水道記念館説明パネルより)

神奈川県水道記念館パンフ
記念館の中はこんな感じです。(水道記念館案内パンフより)。小学生が遊びながら水道について学べるようになっています。実際に試したのですが、水道クイズコーナーでは●水源林の森は降った雨の何%を蓄えるのか?●水蒸気の粒子の直径は?など大人にとっても難問があり、クイズに答えながら自然に学べるようになっています。
一階に水道や水に関する図書を集めたコーナーもあり調べものがあるときは利用できそうです。

土木学会選奨土木遺産・神奈川県営水道施設群
土木学会選奨土木遺産・神奈川県営水道施設群
神奈川県営水道施設群(記念館他)が2013年(平成25)土木学会選奨土木遺産に認定されました。その説明パネルと認定証。水道施設群は記念館の他茅ヶ崎配水池、大磯配水池、藤沢配水池、逗子配水池、鎌倉配水池全六か所。

「無盡蔵」の扁額・神奈川県水道記念館
記念館前に飾られた「無盡蔵」の扁額。上記施設群のどこかの施設建物に埋め込まれていたものと思われます。

神奈川県水道記念館前噴水塔
水道記念館前の噴水塔。正面道の奥、いこい橋たもとに見学者用駐車場があります。

水道記念館前河童の噴水塔
噴水塔のアップです。河童の頭から噴水が・・・。ここは目久尻川左岸にあります。河童と目久尻川は切っても切れない関係にあるんですね・・・。

神奈川県営水道のキャラクター
河童は神奈川県営水道のキャラクターにもなっています。右端が「カッピー」くん。左から「アクアくん」「しんちゃん」「いずみちゃん」の面々。

寒川取水堰ダムカード
おしまいに寒川取水堰のダムカードの紹介です。見学を終え、獅子頭共用栓から出る寒川浄水場製出来立ての冷やした水を一口、一服したところで辞去。オッといけない大事なことを忘れていました。寒川取水堰のダムカードはここでしかもらえません。貴重な一枚です。神奈川県内のダムカードは8種類発行されています。これで全部集めました。(^σ^)

カード右上記号WIはダムの役割目的記号です。
WはWater Supply 水道用水、 IはIndustrial Water 工業用水。
取水した原水は県営寒川浄水場、小雀浄水場(横浜・横須賀水道)へ導水されます。小雀浄水場は工業用水も作っているのでIはそれを意味しています。

寒川取水堰・寒川浄水場の過去記事です。 「其の159」

神奈川県水道記念館の位置です。

其の372 旧国鉄西寒川駅跡を訪ねる・神奈川県寒川町

 前回で終えた目久尻川源流を訪ねるシリーズの一回目は相模川合流点(目久尻川河口)からスタートしました。JR相模線寒川駅から河口へ向かう途中、西寒川駅跡を見つけました。かつて相模線に支線があり今は廃線になっていることを初めて知り興味を持ちました。3月16日(木)晴れ、改めて探訪しました。

「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑
八角広場に建てられた「旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡」の碑です。初めて碑を見た時は「えっ、こんなところに駅が?!」とびっくり。碑にはこんなことが刻まれています。

旧国鉄西寒川駅 相模海軍工廠跡の碑
ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。いま台地に深く根差した縁に世界の平和を願い国土の安穏を祈る。
建立 相廠会及び協力企業  昭和63年春
  (碑文より)

碑文から戦時中は西寒川駅が海軍工廠で働く人たちの足として、また寒川町HPによると戦後は跡地が工業団地となり昭和35年工業団地で働く人たちのため旅客輸送を再開し(一日4往復)、昭和59年3月 西寒川支線廃止まで通勤客を運んでいたことが分かります。

八角広場の西寒川支線跡
碑の北側に線路が遺されています。広場内の案内板によると八角広場は旧国鉄西寒川駅跡地で西寒川支線跡地を利用して昭和60年から整備した一之宮緑道の南端になります。北東の端は寒川神社表参道一の鳥居付近まで、延長約900mの緑道です。

寒川町一之宮の工業団地
八角広場から見た東南方向の工業団地。

1927~1939(昭和2~14)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)
西寒川支線は貨物線とあり、海軍工廠はまだなく桑畑でした。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「寒川駅」と入力すると開きます。1944~1954(昭和19~29)年に切り替えると工場が見えます。

寒川町の一之宮緑道
西寒川支線をたどってみることにしました。

寒川町の一之宮緑道
沿道に早やくもコブシの白い花が咲いていました。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
モニュメントとして車輪が置かれていました。一之宮公園丸太の広場付近。

寒川町の一之宮緑道
一之宮公園付近で線路が復活。桜が多いので花期が楽しみです。

一之宮緑道・車輪のモニュメント
線路が終わったところでまたモニュメント車輪です。

寒川町の一之宮緑道
両側がカツラ並木の緑道。カツラは高さ25mにもなる落葉高木で秋になると形の良いハート形の葉っぱが美しく紅葉します。低木はドウダンツツジ。四季折々色彩の変化を楽しめそうです。

寒川町の一之宮緑道ゲート広場
一之宮緑道北東の終点(起点)県道47号線沿いゲート広場の道標。

西寒川支線跡
県道47号線を渡ると線路跡敷地が残っています。

西寒川支線跡
線路敷地右側の小道を進むとJR相模線へ出てきます。相模線のこの辺りにポイントがあったのでしょうか? 寒川駅は500mほど先にあります。
今回の廃線路探訪は短いうえに整備された緑道だったので楽な歩きでした。あっという間に終了です。

寒川神社表参道一の鳥居
県道47号線沿いゲート広場から北方を見ました。寒川神社の表参道一の鳥居です。ここから続く寒川神社の森は神奈川の美林50選に選定されています。表参道から別の目的地へ向かったので次回発表します。

八角広場の位置です。


其の371 目久尻川源流を訪ねる⑥・白髪弁財天社

 前回、小田急線西側の目久尻川を探訪したあと目久尻川源流の一つといわれる白髪弁財天社を訪ねました。探訪したのは3月5日(日)晴れの日です。

江戸街道・座間市広野台1丁目
村富線(県道507、50号線)を一路南下し交番前の交差点信号を右折しました。長い下り坂です。下ったところに目久尻川が流れています。
坂下から交番前交差点方向を振り返りました。この坂道は「江戸街道」と言います。ここは座間市広野台1丁目です。

江戸街道の碑
坂の途中の座間市教育委員会が立てた江戸街道の碑。
江戸へ向かう道で相武台前から芝原を通り、辰街道を越え相模原市を抜け横浜市緑区の長津田で大山街道に合流していた。 (碑文より要旨)

白髪弁財天社・座間市栗原

白髪弁財天社・座間市栗原
江戸街道南の目久尻川沿いの白髪弁財天社です。

実はここにはちょうど5年前の一月に相模原市立博物館民俗探訪会で来たことがあります。当時は社殿の改築工事中でしたが、脇を流れるシートパイル護岸の排水路のような目久尻川をよく覚えています。
5年前の探訪会資料に弁財天社についてあらましが書かれていたので抜粋して紹介します。
「弁天の 小池に始まる 目久尻川」と郷土かるたにも詠まれ、かつてここに湧水池があり、目久尻川の源流とされています。地名が示すように、小さな池があって池から湧き出る清水は絶えることがなく、各地の流れと合流して、目久尻川として流れ流域の人々の生活用水や、農業用水となって、農民の生活を支えてきました。
村の人々は、この恩恵に感謝し、池の辺りに祠を建て弁財天を祭りました。後に、養蚕の神と言われる白髪大明神を合祀し現在に至っています。
(探訪会資料「座間ふるさと探訪」より)

白髪弁財天両社の碑
境内の白髪弁財天両社之碑です。目久尻川源流について刻まれているので碑文の一部を記します。
白髪弁財天両社之碑
此の地は目久尻川上流水源地として往昔より清水が湧き小さな池がありよって小池谷の呼称あり。湧出する清水は渇することなく清流なり。流域の人々は飲料水に或いは農耕水として限りなき恩恵に浴していた。その報恩に住民は玆に白髪弁財天両社を祭りこの地区の鎮守神として古くから三月三日を例祭として式典を行って来た。しかるに昭和三十三年河川改修があり往時のおもかげはなくなり、更に近年囲辺の宅造化が進み社地の整備を迫られて来たのである。たまたま共同開発興業株式会社他三名の共同団地造成を機に好意により境内を整地し社殿を移転し玆に完成を見た。氏子一同の喜びと共に往時を回顧して記念碑をたて、いささか経緯を記して後世につたえんとする。(後略)昭和四十五年三月三日 小池地区聯合自治会
(碑文より)

白髪弁財天社・蛇の紋章

白髪弁財天社・蛇の絵
社殿棟に取り付けられた蛇の紋章と下の画像は社殿壁に描かれた蛇。

七福神中、唯一女性神で、水と財宝の神と伝えられる弁財天。弁財天の化身が蛇や龍、蛇は弁財天の遣いとも言われています。前回、明治時代の今昔マップを載せましたが、昔マップを見るとこの辺り一帯(に限らず相模原横山台地いたるところ)は桑畑でした。小池地区は養蚕が特に盛んな村だったことが窺えます。養蚕の天敵はネズミです。ネズミの天敵は蛇や猫、そこからこの神社のシンボルマークは蛇です。水の恵みに感謝し、蚕の無事な生育を願う農家の気持ちをぴったり表していますね・・・。
社殿の中には小さな石祠が二つ、石祠の前には絵に描かれたような小さな石造りの蛇が祭ってありました。

白髪弁財天社西を流れる目久尻川
白髪弁財天社西側を流れる目久尻川。「其の369」で通りました。

目久尻川源流を訪ねるシリーズの最終回は源流の一つ小池の白髪弁財天社を取り上げました。次回はまだ未探訪です。芋づる式に探訪先を展開するのがdoushigawa流なので、思いつくままどこへ飛ぶか分りません。

白髪弁財天社の位置です。



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其の370 目久尻川源流を訪ねる⑤・相模原市相武台小付近

 前回の続きです。目久尻川の源流を極めようと小田急線の西側を探訪しました。目に見えない流れを追っかけた結果は・・・。

目久尻川源流・小田急線東
前回の帰り道、相武台前駅に向かう途中小田急線東側の目久尻川を南側から見ました。右側青色フェンスが目久尻川のフェンスです。目久尻川はフェンスから西がトンネルで小田急線を潜り西側へ抜けていると思われます。

目久尻川源流・小田急線東
南側坂の上から見た上記の遠景です。ここまで南北の台地の間を流れる目久尻川を遡ってきました。北側台地が広野台1丁目、南側台地が相武台2丁目です。つまり谷戸の奥へ向かって歩いてきたことになります。

小田急線・座間市相武台2丁目
探訪三日目は3月5日(日)晴れの日に行ってきました。
これは小田急線の西側から小田急相模原駅方面(新宿方面)を見たところです。ここは目久尻川右岸の台地の上です。右側に見える切り通しがそれをよく表しています。台地を削り線路を引いたんですね。おそらく削った土砂で谷間を埋めたのでしょう。新宿方面に向かってゆるい下り坂で下ったところに目久尻川が流れていました。谷戸の谷間です。そして左岸側の台地に向けて上り坂になります。電車に乗ってもこんなことには全く気づきませんが、こうして観察すると分かります。「目久尻川に向って下り坂、通過したら上り坂」は小田急線に並行する行幸道路(県道51号線)やその他の道についても同じことが言えます。

小田急線が通る前この辺はどんな様子だったのでしょう。今昔マップと言う便利な地図があるので参考にしました。
1896~1909(明治29~42)年にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)

左側が昔マップで右側は今マップです。昔マップを動かすと今マップが連動します。大きな地図は右欄サイドバーからリンクできます。検索窓に「相武台前駅」と入力すると開きます。

昔マップを見てまず気付いたのは等高線です。地形が分かります。それと目久尻川から続く点線に注目しました。川の表示は点線ではないので地区境界線と見ました。「地区境界線が目久尻川」は十分にあり得る話なので現在の広野台1丁目と相武台2丁目、1丁目の境界を見較べると、なんとぴったり一致するんですよね・・・。(^σ^)

そんなことで気持ちが楽になりました。目久尻川源流は境界線をたどれば良い訳です。探訪開始です。どんなところか楽しみですね。

目久尻川源流・小田急線西
小田急線の西側にやってきました。線路の向こう側に見覚えのある竹藪があります。

目久尻川源流・小田急線西
小田急線から西方向(目久尻川上流)へ続く目久尻川跡の雰囲気がある道。右側は擁壁で相模原横山台地の縁を目久尻川が流れていたことが分かります。今は地下に暗渠が埋まっているはずです。左側が座間市相武台1丁目、右側は座間市広野台1丁目です。

目久尻川源流・行幸道路付近
小田急線から150mほどで行幸道路(前方の石垣)に突き当たります。行幸道路は小田急線と同じように谷を埋め、土を盛って均してあります。左が小田急相武台前駅方面、右は小田急相模原駅方面で、道路の上に立つと両方向とも上り坂です。ここは谷戸の谷間と分ります。
上記今昔マップ(1896~1909年)当時からこの道はありました。目久尻川両岸、道の両側は「岩がけ」記号が表示されているので当時は切り通しの道だったと思われます。
行幸道路は昭和天皇が陸軍士官学校に行幸の際(昭和12年の士官学校卒業式)、それに備えて急きょ元からあった道を整備した道で原町田駅(現JR横浜線町田駅)から通じています。

目久尻川源流・行幸道路付近
行幸道路から西側を見ました。いかにも川跡のように見える道が西の方に向っています。右側はロイヤルホストです。

目久尻川源流・行幸道路付近
迂回して川跡の道に入りその先を見ました。未舗装の道です。台地の縁を流れていたことがよく分かります。
右側は座間市広野台1丁目、左側は座間市相武台1丁目です。

目久尻川源流・行幸道路付近
行幸道路から100mほどで突き当りです。

目久尻川源流・行幸道路付近
赤色の消防ホース格納庫から北西へ入る砂利道があります。

座間市下水道管理用地の看板
砂利道に掲げてあった座間市のお知らせ看板です。
ここは下水道管理用地です。・・・座間市都市部下水道管理課
この道の地下に間違いなく暗渠が埋まっています。小田急線以西の目久尻川は「雨水下水道扱いの川」として利用されていることが分かりました。

座間市の雨水下水マンホールフタ
これは消防ホース格納庫付近の座間市雨水マンホールフタです。

座間市下水道管理用地
50mほど先に車止めがあり砂利道は終わりです。車止めの裏側に先ほど見た注意看板と同じことが書いてあります。眼前を横切る道は座間市と相模原市の境界線です。たどってきた道はまだ先へ続いています。

相模原市市相武台3丁目
相模原市に入りました。ここは相模原市南区相武台3丁目です。ちょっと先にこの道の突き当りがみえます。目の前のマンホールフタは相模原市の雨水下水マンホールフタです。

相模原市相武台3丁目
写真① 上記マンホールフタから交差する道の右方向を見ました。ここは坂の下(台地の下)です。

相模原市相武台3丁目
写真② 同左方向を見ました。ここも坂の下(台地の下)です。

相模原市相武台3丁目
写真③ 突き当りまで来ました。その先は一段高く階段が付いています。
写真①~③を見ると左右両側が台地、前方も台地の地形と分かります。今昔マップの地形図を参照するとこの辺りが谷戸の最深部(谷頭・こくとう)と思われます。以上のことからこの辺りが目久尻川が湧き出した本当の源流ではないかと推測します。

相武台第3雨水調整池
階段を上ってその先へ進みました。左手は相武台団地の相武台第3雨水調整池でした。溜めた雨水の排水を目久尻川の暗渠に接続しているかは?です。多分まったく別系統で排水していると思います。相模原市役所下水道局へ行けば機械で下水管経路図を見られるので確認は可能です。

相模原市南区・相武台小付近
相武台第3雨水調整池のはずれからその先を見ました。左は相武台小学校、右側道路奥は相武台団地です。一見してさらに標高が高い台地(相模原横山台地)と分かります。

相模原畑かん用水路の虹吹分水池に「畑地かんがい事業の碑」が立っています。その碑文の冒頭に神奈川県央相模原横山台地は、北は相模原市より南は藤沢市に至る「八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で古くから水なき台地と呼ばれた。とあります。 「其の76」。

(唐突ですがぶらタモリ調で書くとこんな感じです。↓)
いかがでしょうか皆さん。そうなんです。実は水なき台地の縁から湧き出た清水が目久尻川の始まりだったんですね・・・。
下流でも湧水を集め大きな流れとなり大地を削り土砂を運び谷戸や平野を形づくりました。

まあそんなことで、今回の探訪により目久尻川源流は座間市との境界に近い、相模原市南区の相武台小南付近と分かりました。

目久尻川源流を訪ねるシリーズ冒頭で、水道みち・用水路歩きで何回も目久尻川を渡たり断片的に知っていると書きました。
今回、河口から源流まで通しで歩きそれぞれに再会し、改めてそのことを実感しました。我ながらここ数年よく歩いていたなあと感慨もひとしおです。

今回のスタート小田急線西側の位置です。

其の369 目久尻川源流を訪ねる④・産川橋から広野台の源流へ

 探訪二日目は2月26日(日)晴れ、吉野橋から地図上に水色河川表示がある座間市広野台1丁目、小田急線東側まで歩きました。その内産川橋までは前回「其の368」で発表しました。

産川橋より目久尻川上流を望む
産川橋より目久尻川上流を望む。思い切り蛇行しています。

産川橋上流、雨量水位情報観測所
その上流、左岸の神奈川県雨量水位情報観測所です。2分毎に画像を更新しています。右欄サイドバーからリンクできます。

目久尻川・柏ヶ谷中付近
海老名市柏ヶ谷中付近の床固工。水しぶきで泡立っています。水中に酸素を大量に取り込むことで河川浄化に役立っていると思います。

目久尻川・座間市栗原
左岸の親水護岸。丘からの湧水を護岸内の池に滝のように落としています。ここは海老名市から座間市に入り栗原5丁目です。

目久尻川・巡礼大橋
県道42号線巡礼大橋を潜ります。

目久尻川・コガモとカルガモ
コガモとカルガモ。目久尻川のどこにでもいるカモ。コガモは緑と栗色の顔が鮮やかなのできっちり撮りたいのですが、動きが早くなかなかうまくいかないです。

目久尻川・芹沢川合流
橋場橋上流で芹沢川が合流しています。谷戸を流れる川です。上流に米軍キャンプ座間の水源地があり以前訪ねたことがあります。 「其の205」。

目久尻川・栗原交番交差点
栗原交番交差点まで来ました。目久尻川は県道42号線下をボックスカルバート製のトンネル(延長53m)で潜ります。高架橋はR246栗原陸橋です。トンネル上に目久尻川の碑が立っていました。残念ながら判読不可。

目久尻川・糯田橋のアーチ型水管橋
糯田橋のアーチ型水管橋。配水池から家庭へ向かう配水管と思われます。

目久尻川・上栗原橋
上栗原橋手前です。左側は米軍座間キャンプの水源地施設です。以前ここへ来たことがあり懐かしいです。過去記事「其の205」。

栗原遊水地排水樋管ゲート
その上流左岸に縦長の樋管ゲートが出現。

栗原遊水地フラッグA池
左岸側堤内を見るとこのようにテニスコートです。よく見ると周りが堤防に囲われた大きな池(遊水地)で、池の底がテニスコートと分かります。縦長の樋管ゲートは遊水地の排水樋管ゲートでした。
この遊水地は栗原遊水地と言い神奈川県が造りました。三つの池から構成され総貯留量は約10万㎥。県のHPによるとこの池は「フラッグA池」と言います。

栗原遊水地
右岸にも排水樋管ゲートがあります。

栗原遊水地越流堤
その上流右岸側に越流堤が見えます。堤防が一段低く、洪水時にそこから遊水地「フラッグB池下」に流れ込みます。左岸側の越流堤は右側道路下です。

栗原遊水地越流堤
道路下(山崎橋の下)が左岸側「フラッグA池」の越流堤です。

座間市第三水源ポンプ所
「フラッグB池下」の隣、座間市の第三水源ポンプ所です。座間市は湧水(地下水)が豊富なところで水道水の85%を地下水でまかなっています。残りは神奈川県営水道より。

小池尻橋より目久尻川下流を望む
その上流小池尻橋より目久尻川下流を望む。右岸側は栗原遊水地「フラッグB池上」です。観察しながら歩いたのですが不思議なことに右岸に越流堤はなかったですね・・・。

前田橋より目久尻川上流を望む
その上流、前田橋より目久尻川を望む。川幅が狭まり水量も減りました。地理院地図で前田橋付近の標高を測ると56.2mです。両側が丘(台地)で谷戸の奥深くへ入ったことを実感します。

目久尻川
前田橋の300m位上流で暗渠トンネルに入ります。開渠の目久尻川らしい川を見たのはこれが最後です。

目久尻川河川管理標識
暗渠トンネル上の河川管理標識。
これより上流座間市管理 これより下流一級河川目久尻川
これより下流は用田橋の標識にあったように神奈川県厚木土木事務所東部センター管理です。

目久尻川・座間市栗原
100mほど続いた暗渠が開渠に戻ります。雨水排水路のような深い川になりました。

目久尻川・相武台東小南
相武台東小(前方の白い建物)南の目久尻川。護岸は鋼矢板の深い川です。左岸に遊水地のような池があります。

目久尻川・小池弁財天社付近
相武台東小の地下を潜った後、左岸の小池弁財天社前を流れる目久尻川。北から南へまっすぐ流れています。小池弁財天社は目久尻川源流と言われていますが、改めて探訪します。

目久尻川・広野台1丁目
その先で江戸街道を渡りいよいよ広野台1丁目に入りました。道路右側、目久尻川左岸一帯が広野台1丁目です。右岸側は相武台2丁目。前方で道は西向き(目久尻川は東向きの流れ)に方向が変わります。

目久尻川・広野台1丁目
西から東へ流れる目久尻川。わずかに水深5cm?位の流れがあります。目久尻川は台地(相模原横山台地)の縁に沿って流れています。右岸側奥の方も台地です。

目久尻川・広野台1丁目源流
その先です。これより先はフェンスに遮られ進めません。前方土手上を小田急線電車が走っているのが見えます。ここが探訪前に地図で見た小田急線の東側、水色の河川表示が始まる地点です。目視で目久尻川の流れが見られるのはここまでです。目久尻川は小田急線の土手をトンネルで潜り西側へ抜けていると思われます。

この付近の地図です。


当初の予定通り広野台1丁目の源流を見たので二日目の探訪はここで切り上げ小田急線相武台前駅へ向かいました。
次回は小田急線の西側、見えない源流を探訪します。

今回のスタート産川橋です。



其の368 目久尻川源流を訪ねる③・吉野橋から産川橋へ

 目久尻川源流探訪の二日目、2月26日(日)晴れ、吉野橋へ再びやってきました。

目久尻川・吉野橋
吉野橋より目久尻川上流を望む。ここは綾瀬市吉岡です。
地図上水色で示されている座間市広野台1丁目、小田急線東側までここから約11kmあります。

雨水調整池・せせらぎ広場
歩き始めてすぐ、左手(目久尻川の右岸沿い)にコンクリートの擁壁が上流へ続いています。

雨水調整池・せせらぎ広場
目久尻川の治水施設・遊水地と思ったら中はこんな風に水路が走っています。国分寺台団地の雨水調整池・せせらぎ広場でした。一旦溜めた水は目久尻川に放流するようになっています。
雨水調整池は上流の新武者寄橋まででかなり広大です。前方新武者寄橋奥の森が早川城山3丁目の城山公園。

新武者寄橋銘板
新武者寄橋の銘板です。
「武者寄」の由来
早川城に居を構えた渋谷庄司重国一族郎党がいざという時に鎧兜に身を固めここに勢揃いしたことから・・
(案内板より)

目久尻川・綾瀬西高前
綾瀬西高前を流れる目久尻川。吉野橋あたりから傾斜護岸が立ってきました。

目久尻川・コサギと川鵜
虚空蔵橋付近のコサギと川鵜のツーショットです。川鵜は警戒心が強くいつも逃げられるのですがなぜか大人しくしていました。怪我でもしたんでしょうかね。

虚空蔵橋のフラップゲート
虚空蔵橋の床固工と排水樋管ゲート。観音開きのフラップゲートです。普通は上に蝶番がありますがここは左右に付いていてストッパー付きです。こんなタイプもあるんですね・・初めて見ました。
床固工の下流でコガモやカルガモが遊んでいました。コガモは動きが早くピントがなかなか合いません。

目久尻川・東名高速下
東名高速を潜ります。

目久尻川・親水護岸
その上流、新橋付近の親水護岸です。

目久尻川・小園橋の河童の記念碑
小園橋左岸の河童の記念碑です。昨年も訪ねました。過去記事「其の312」から引用します。
傍らの碑文「河童伝説」に目久尻川の川名由来が記されています。目久尻川は古くは目穿川(めくじりがわ)と記されていた。農作物を荒らす河童に怒った農民が河童の目を抉り取ったのが由来だそうです。

河川埋設物案内板
その上流で見た海老名市の河川埋設物案内板。この河川下に1000mmの下水道管が埋設してあるそうです。管上端GL‐7.95mのところを下水管が横断しているということでしょう。

目久尻川・海老名市望地2丁目
その上流、海老名市望地2丁目付近の目久尻川の流れ。

目久尻川・床固ブロック
床固ブロックが行儀よく並んでいます。5×6で30個あります。

海老名市柏ヶ谷の石像
川沿いの塚に石像が数体。そのうちの一つです。火焔を背負い右手に剣、怖いお顔から不動明王像と思います。

目久尻川・伊勢下村橋河童の親柱
伊勢下村橋の河童の親柱と欄干にも河童が・・・。目久尻川と言えば河童のイメージが強いです。

目久尻川・相鉄線を潜る
伊勢下村橋上流で相鉄線を潜ります。左が海老名方面、右は大和、横浜方面。

目久尻川河川標識
一級河川目久尻川の河川標識。神奈川県厚木土木事務所東部センターが管理しています。

目久尻川・柏ヶ谷堰ファブリダム
農業用水取水堰・柏谷ヶ堰ファブリダム(ゴム堰)です。今は取水期ではないのでゴム堰は萎んでいます。去年6月に見つけその足でここから始まる用水路を終点まで歩きました。 「其の312」。

目久尻川柏ヶ谷堰(ゴム堰)
これは稼働中の柏谷ヶ堰ファブリダムです。2016.6撮影。「其の312」より。

柏ヶ谷堰ファブリダム管理橋より目久尻川下流を望む
柏ヶ谷堰ファブリダム管理橋より目久尻川下流を望む。

柏ヶ谷堰ファブリダム管理橋より目久尻川上流を望む
同上流を望む。水を溜めた跡が白くはっきり残っています。

産川せせらぎ公園
コウホネを見るため産川橋近くの産川せせらぎ公園に寄りました。驚いたことに数は少ないのですが黄色の花が咲いていました。ここは去年6月に花を見に来ました。 「其の311」。

コウホネの花・産川せせらぎ公園
コウホネの花・産川せせらぎ公園
確か花期は6月~9月迄と記憶していたのですが、意外や意外咲いていました。葉っぱも夏と変わらず繁っています。この水路の水源は湧水なので年中水温が安定しているせいなのでしょうかね・・・。

途中ですが今回はここまでです。続きは次回投稿します。

今回のスタート吉野橋の位置です。


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