横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の352 駒沢給水塔装飾球が点灯されました・東京都世田谷区

 「武蔵水路を歩く」連載中ですが、年末年始は駒沢給水塔の装飾球が点灯される日なので割り込みです。今日大晦日に見に行ってきました。

駒沢第1号給水塔
夕日を浴びる第1号駒沢給水塔。大晦日16時30分頃。

第2号駒沢給水塔
夕日をバックに第2号駒沢給水塔。同16時43分頃。

点灯した駒沢給水塔
鶴首して待つこと十数分、17時ちょうどに点灯しました。右側第2号駒沢給水塔とトラス橋。

第1号駒沢給水塔
西側の第1号駒沢給水塔です。飾り柱(ピラスター)塔頂部の装飾球は12球あります。トラス橋に4球あるので全部で28球です。

第2号駒沢給水塔
第2号駒沢給水塔。装飾球は直径53cm、ポリカーボネート製です。中には100Wの白熱灯が入っています。

第2号駒沢給水塔
別角度から見た第2号駒沢給水塔。三日月が写っています。

三日月と第2号駒沢給水塔
トラス橋と三日月と第2号駒沢給水塔。

駒沢給水塔装飾電球
おしまいに「其の347」に載せた記事を再掲します。
これは弦巻区民センターに展示の実際に使われていた本物の装飾球です。直径53cm、厚さが2mmのガラス製。大正12年(関東大震災があった年)1923年製。現在はポリカーボネート製に変わっています。

駒沢給水塔点灯日は以下の通りです。三が日は見られます。
●4月中旬の日曜日 桜新町「さくらまつり」
●6月1日~7日 水道週間
●10月1日 都民の日
●12月31日~1月3日 年末年始
点灯時間:日没から午後10時まで。
年末年始は午後5時から翌日午前1時まで点灯。
駒沢給水塔風景資産保存会発行「双子の水の塔」より。

砧下浄水所や丸子川を歩いて知った渋谷町水道みちや駒沢給水塔。王冠と言われる駒沢給水塔の装飾球の点灯を一度は見たいと思っていました。今日は大晦日。平成28年を締めくくるにふさわしい風景を見られて大満足です。お天気であれば実現できそうな小さな夢でしたが叶って良かったです~。(^σ^)/

横浜水道みち探訪を終えたら止めるつもりだった拙い探訪記ブログがいつのまにか回を重ねて今日で352回目の投稿となりました。内今年の投稿は88件と過去最高です。読者・同好の士推奨の円筒分水や用水路など新たな分野が加わったことが大きいと思います。来年も健康で引き続きこの調子で歩けたらと思っています。
皆さまにはこの一年応援ありがとうございました。どうか良いお年を。

駒沢給水塔の位置です。

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其の351 武蔵水路を歩く② 埼玉県行田市~鴻巣市

 前回の続きです。「武蔵水路を歩く」二日目は12月21日(水)晴れの日に行ってきました。

秩父鉄道武州荒木駅
相模原から電車を乗り継いで武州荒木駅にまたやって来ました。秩父鉄道は単線でこの駅が列車交換駅でした。右は影森行き、左が羽生行き列車。いずれもワンマンカーです。

秩父鉄道羽生駅発行乗車券
秩父鉄道羽生駅発行の乗車券です。
武蔵水路探訪で再び武州荒木駅を利用することはないので、改札口で渡さないで武蔵水路探訪記念切符にしました。(^σ^)
駅員さんにお願いしたらこんなスタンプを押されました。

武蔵水路・武蔵橋付近
県道7号線小見信号武蔵橋から武蔵水路沿いに入りました。下流の橋より武蔵水路上流、武蔵橋を望む。

武蔵水路
前回も紹介しましたが水路に浮かぶ水球です。

武蔵水路
これも紹介しました。着脱式の隔壁板。寸法は幅3m×高さ1m位でしょうか。2段重ねです。水球も隔壁板も至るところで見かけました。

武蔵水路・白鳥田伏越呑口
武蔵水路三つ目の伏越(サイホン)、白鳥田伏越呑口までやって来ました。秩父鉄道を伏越で潜ります。

武蔵水路・白鳥田伏越銘板
水路中央隔壁に埋め込まれた「白鳥田伏越」の銘板です。改築工事で「白」の文字に被ったみたいで「鳥田伏越」となっています。

武蔵水路・白鳥田伏越吐口
秩父鉄道を白鳥田伏越で潜り抜けました。何事も無かったかのように流下する武蔵水路。運よく半時間に一本の秩父鉄道の電車が通過しました。

武蔵水路・長野落放流口ゲート
次の施設は武蔵水路右岸の長野落放流口ゲートです。武蔵水路周辺の内水排除機能で局所的な集中豪雨を武蔵水路に取り込み荒川へ排水します。その際、武蔵水路は平常の通水(利根大堰から取水)を止め水路を空にした上で取り込みます。

長野落放流口ゲート背面の様子
右岸に渡り流れ込む川の様子を観察しました。流れはなくよどんでいます。用排水路のような感じです。左側の水門は銘板によると長野落サイホンゲートと言います。伏越(サイホン)の呑口ですね。右側水路の先が長野落放流口ゲートです。

長野落放流口ゲートと長野落サイホンゲート
回り込んで反対側から見ました。左は長野落放流口ゲート、右が長野落サイホンゲートです。どちらも入り口にゴミ除けの格子(スクリーン)が付いています。流れがないのはゲートがどちらも閉の状態だからです。用水の通水時、集中豪雨で増水時、局面に応じゲート操作し制水を行っていると思います。

長野落サイホン吐口
長野落サイホンゲート呑口があるからには武蔵水路対岸に吐口があるはず。やはりありました。武蔵水路左岸下に水路が出現しました。夏の通水期であれば吐口の吹き上がりを確認できるのですが、残念ながら今は通水していません。

武蔵水路にある8か所の伏越を見に来たのですが、武蔵水路を伏越で横断する水路があることが分かりました。面白いですね。

武蔵水路沿い千本桜並木
付近の千本桜並木です。花の時期は見事でしょうね。

武蔵水路標準断面図
武蔵水路標準断面図です。クリックで拡大します。
(付近の水資源機構の案内板より)
幅:11.55m(5.65m×2連)、深さ:2.5m
上流部では
幅:11.85m(5.80m×2連)、深さ:2.5mでした。若干の相違があります。

武蔵水路・長野伏越呑口
四つ目の伏越はR125の下を潜る長野伏越(サイホン)です。
R125富士見橋の路面が見るからに低そうです。これでは伏越で下を潜らざるを得なかったのでしょうね。

武蔵水路・長野伏越銘板
呑口側の「長野伏越」銘板です。

武蔵水路・長野伏越吐口
富士見橋南側、長野伏越吐口です。武蔵水路改築事業によりサイホン部は鋼管で耐震補強されました。

武蔵水路・長野制水ゲート
次の施設は長野伏越下流の長野制水ゲートです。

武蔵水路・長野制水ゲート銘板
長野制水ゲート銘板です。どの施設にも堤体に銘板が貼り付けてあるので施設名が分かります。前回見た荒木制水ゲートとほぼ同仕様です。

長野制水ゲート水位計
長野制水ゲート上流側の水位計。両岸にあります。荒木制水ゲート上流側にもありました。データは光通信ケーブルで利根導水総合事業所へ送られます。また各施設は同所で一元管理され遠隔操作されています。

途中ですが今回はここまでです。武蔵水路を歩く③に続きます。


参考資料等
・水資源機構「生まれ変わる武蔵水路」
・月刊ダム日本No.854別冊
 「生まれ変わる武蔵水路(武蔵水路改築事業)」
・現地案内板

今回のスタート武蔵橋の位置です。




其の350 武蔵水路を歩く① 埼玉県行田市~鴻巣市

 前回「其の349」の続きです。利根大堰を見学後、そこから始まる武蔵水路を下流へたどりました。武蔵水路は荒川連絡水路とも言われ利根川の水を荒川へ導水する延長約14.5kmの開水路です。その主な役割は三つあります。
(1) 利根大堰で取水した東京都・埼玉県向け都市用水(上水道用水・工業用水)を荒川まで導水する。
(2) 隅田川の水質改善のための浄化用水も導水する。
(3) 武蔵水路周辺の行田市・鴻巣市が洪水になると、利根大堰からの取水を停止し水路を空にして内水排除を行う。

(水資源機構「利根導水路概要書」より要旨)

探訪前に調べた武蔵水路の諸元です。
位置:埼玉県行田市須加~埼玉県鴻巣市糟田
延長:約14.5km
最大導水量:50㎥/秒
主な付帯設備:伏越(サイホン×6か所)、樋管、水位調節堰(4か所)、放流口(4か所)、水門(2か所)、排水機場

(水資源機構「生まれ変わる武蔵水路」より)

私にとっては桁外れの導水量:50㎥/秒の流れを見ることもさることながら、何と言っても伏越(サイホン、サイフォン、逆サイフォンとも言う)6か所が一番の楽しみです。平成27年度(平成28年3月末)に完成した武蔵水路改築事業により伏越(サイホン)は8か所に増えました。すべて見るには始点終点間を歩くしかないですね。
そんなことで「武蔵水路を歩く」の一回目です。3~4回くらいに分けて発表します。

武蔵導水路・大分水工
これは武蔵導水路沈砂池南端の大分水工です。埼玉用水路向け油圧式転倒ゲートが見えます。ゲートは利根導水事業所から遠隔操作しています。右側遠くに紅白の電波塔が見えます。利根導水事業所構内の電波塔で、遠くからの目印になります。

埼玉用水路
下流の新小稲荷橋から見た埼玉用水路上流。電波塔が見えます。

武蔵水路流量調整堰
埼玉用水路の西隣り。東水橋から見た武蔵水路流量調整堰です。隙間から上流の大分水工が見えます。大分水工は武蔵水路の始点です。

東水橋より武蔵水路下流を望む
東水橋から武蔵水路下流を見ました。50㎥/秒の流れです。
水路は厚さ25cmの隔壁で仕切られ、左右2水路に分かれて流下しています。「2連コンクリート開水路」と言います。昭和42年に完成した武蔵水路は当初台形型の1水路でしたが7年がかりの改築事業でこのような形に改善されました。2連なので片側で通水しながら片側の維持管理補修作業が可能です。武蔵水路改築事業は通水しながらの工事だったそうです。どのようにして工事を進めたのでしょう。詳細は資料が公開されています。前記「生まれ変わる武蔵水路」を参照ください。

見沼代用水路
これは武蔵水路の西隣を流れる見沼代用水路の上流を見たところです。電波塔が見えます。下流の荒木橋でこの流れの下を武蔵水路が伏越(サイホン)で潜ります。壮大な水路同士の立体交差です。凄いですね・・・楽しみです。

武蔵水路小水力発電所
東水橋下流、武蔵水路小水力発電所です。上記流量調整堰と微小流量バイパス水路との落差を有効利用した三菱電機製の小水力発電。

武蔵水路・水路中央の隔壁
下流へ歩き始めてすぐ、武蔵水路中央の隔壁が切り欠いてあります。左右の水路に均等に送水するためでしょうか。観察すると開口部両端に溝が切ってあり隔壁板を着脱できるようになっています。

武蔵水路・水路中央の着脱式隔壁
少し下流で見た隔壁板をつけた状態の水路です。作業用管理橋が設置してあります。着脱はクレーン車での作業になるのでしょうね。このような施設は至るところにありました。取り外したところの方が少なく珍しいので都度取り上げます。

武蔵水路の水球
もうひとつ気になる施設と言うか装置です。水球を浮かべロープで固定しています。サッカーボールぐらいの水球にはゴミが付着し、中には草が生えているものもありました。これは何でしょうかね。これも至るところで見かけました。水路に落ちたゴミを引っかける装置?でしょうか。

武蔵水路沿い東側の田園風景
武蔵水路沿い東側の広大な田園風景。クリックで拡大します。

赤城橋より武蔵水路下流を望む
赤城橋より武蔵水路下流を望む。この辺りは水路幅が11.85m(5.80m×2連)、水深は2.50mです。流速は私の歩行速度よりも早いです。
ここから荒川経由東京都・埼玉県の浄水場へ流れて行きます。一部は新河岸川経由隅田川にも流れて行きます。

武蔵水路・荒木伏越(サイホン)
武蔵水路で一つ目の伏越は荒木伏越(サイホン)です。武蔵水路が見沼代用水路の下を潜り抜けます。これは伏越の呑口(入口側)です。

荒木橋より見沼代用水路上流を望む
荒木橋より見沼代用水路上流を望む。この水路底を武蔵用水は潜り抜けます。巨大な水路同士(武蔵水路50.0㎥/秒と見沼代用水路37.509㎥/秒)の立体交差です。凄いですね・・・。

武蔵水路・荒木伏越吐口
見沼代用水路を潜り抜けた武蔵水路。何事も無かったかのように滔々と流れて行きます。下流側に少しでも落差があれば流下するんですよね・・・。武蔵水路始点終点間の勾配は3000分の1(一部区間は2800分の1)だそうです。

武蔵水路・荒木伏越吐口
荒木伏越吐口(出口側)のアップです。サイホン部は改築事業により鋼管で耐震補強されました。

武蔵水路・荒木制水ゲート
左岸から見たすぐ下流の荒木制水ゲート。片側水路を維持管理補修する際にこのゲートが機能を発揮するはずです。両岸に水位計が設置してあります。

武蔵水路・荒木制水ゲート銘板
荒木制水ゲートの銘板です。
ステンレス鋼製ローラーゲート2門
純径間×有効高さ=5.80m×2.60m

付近の案内板によると
水路幅は11.85m(5.80m×2連)、水深2.50mとあります。

武蔵水路・上星川伏越呑口より上流を望む
荒木制水ゲート下流でまた伏越です。
二つ目の伏越は上星川伏越と言い上星川を潜ります。上星川伏越呑口より上流を望む。

武蔵水路・上星川伏越銘板
上星川伏越の銘板です。

上星川橋より上星川下流を望む
上星川橋より上星川下流を望む。上星川はすぐ下流で見沼代用水路に合流しています。右岸の水門は星川水門です。除塵機が見えます。

武蔵水路・上星川伏越吐口と星川水門
東橋から見た上星川伏越吐口と右側は星川水門。星川水門は上星川が洪水時に洪水を武蔵水路に取り込むための施設で荒川に排水されます。冒頭で紹介した内水排除機能です。武蔵水路の役割(3)に該当します。
管理橋があり分りにくいのですが、着脱式隔壁は取り外してあり左右の水路がフリーの状態です。大分水工で取水を止め、水路を空にすればいつでも上星川の洪水を受け入れ可能と言うわけです。

初日の探訪は県道7号線との交差点小見までたどりそこで切り上げました。今回は2か所の伏越を見ることができました。この先の伏越はあと6か所あります。続きは次回発表の予定です。

秩父鉄道武州荒木駅
夕闇迫る最寄駅秩父鉄道武州荒木駅です。終点の羽生から久喜、大宮、武蔵浦和、西国分寺、八王子と乗り換え相模原へ向かいます。

今回のスタート地点大分水工付近の地図です。


其の349 利根大堰を訪ねる・埼玉県行田市

 念願であった利根大堰を見学し、そこから始まる武蔵水路をちょっとだけ歩いてきました。壮大な取水堰周りと水路は感動モノです。12月9日(金)晴れ、最寄駅東武伊勢崎線羽生駅からタクシーで水資源機構利根導水総合事業所へ。

水資源機構利根導水総合事業所
利根導水路左岸から見た水資源機構利根導水総合事業所。

利根大堰
水資源機構利根導水総合事業所屋上からの利根大堰の展望です。
川幅は約700m、対岸は群馬県。12門のゲートで堰上流の水位を一定に保つ役割を持つ。洪水の時はゲートを橋の高さまで持ち上げる。右岸側左端の塔は水位計測器、その右が扇型取水口、白色の施設は須賀樋管ゲート。(案内板より要約、以下の青色文字も同様です)
利根大堰上の道路は県道20号線。武蔵大橋です。

利根導水路事業の目的は以下の通りです。
① 都市用水(上水道用水・工業用水)を東京・埼玉へ導水
② 利根川中流部の水田29,000ha向け農業用水供給
③ 隅田川浄化用水を導水

(水資源機構「利根導水路概要書」より要約)

利根導水路須賀樋管ゲート
利根導水路須賀樋管ゲートです。樋管(堤防を貫く管)に流れる水の量を調節し沈砂池の水位を一定に保つ役割をする。

利根導水路須賀樋管・川表
利根川右岸川表の利根導水路須賀樋管ゲートです。利根川右岸堤防を挟むように川表と川裏に樋管ゲートがあります。

利根導水路・沈砂池
水資源機構利根導水総合事業所屋上から見た利根導水路下流の様子。
広大な池は沈砂池です。取り入れた水の流れを緩やかにし水に含まれる土砂などが水路に流れ込まないようにする。平均流速は4.0m/秒、水位は水深4.5mを自動的に保持。
沈砂池南端の大分水工で埼玉用水路、武蔵水路、見沼代用水路へ分水。大分水工は油圧式転倒ゲートで利根導水総合事業所から遠隔操作している。

分水量は埼玉用水路(29.493㎥/秒)、武蔵水路(50.00㎥/秒)、見沼代用水路(37.509㎥/秒) 詳細は前記「利根導水路概要書」を参照下さい。

利根導水路取水口
利根大堰上の橋、武蔵大橋から見た取水口の様子。
手前の取水口は須加樋管の耐震補強工事のため休止中です。
幅124mの扇型で上水道水、工業用水、農業用水を最大134㎥/秒取水可能。
しれっと134㎥/秒と書いてありますがこれは半端な数字ではありません。桁違いな水量です。
どれくらい凄い水量か神奈川県の母なる川・相模川の主な頭首工、取水堰の取水量と比較します。
●磯部頭首工:相模川左岸幹線用水路・相模川右岸幹線用水路
11.85㎥/秒。
●相模大堰:神奈川県内広域水道企業団・横須賀水道
8.106㎥/秒。
●寒川取水堰:神奈川県営水道・横浜水道・横須賀水道
10.52㎥/秒。
三堰合計30.476㎥/秒。三つあわせても利根大堰の23%しかありません。

利根大堰
利根大堰右岸側の1号堤体。利根大堰上の道路は県道20号線・武蔵大橋です。手前地下に利根大堰自然の観察室があります。

利根大堰自然観察室
魚道側面に設けた観察窓から遡上する魚を観察できるようになっています。10月から鮭の遡上が始まったそうです。
ライブ映像はこちらから「利根大堰魚道ライブ映像」
期間 :春の鮎遡上時 (4月10日から6月30日)
    小中学校夏休み期間中 (7月15日から8月31日)
    秋の鮭遡上時 (10月1日から12月25日)
時間 :上記期間の 8:30 から 17:00

武蔵大橋
武蔵大橋たもとの「ただいまサケ遡上中!」の幟と、
「海から154.0kmです」の標識。

利根大堰・魚道
武蔵大橋から見た魚道です。

利根大堰
武蔵大橋から見た2号堤体。

利根大堰銘板
堤体に貼付けの利根大堰銘板。
利根大堰 
着工:昭和40年11月 竣工:昭和43年7月 水資源開発公団
東京オリンピックの翌年、「東京砂漠」と言われた水不足がピークの頃に着工しました。

見沼代用水元圦公園
水資源機構利根導水総合事業所の西隣が史跡見沼代用水元圦公園です。ここは昔の見沼代用水元圦(取水口)跡地です。

「見沼代用水元圦の沿革」案内板
見沼土地改良区が立てた「見沼代用水元圦の沿革」案内板。
画像をクリックすると拡大します。
享保十二年(1727)完成。元圦、増圦の二口から取水。現在の行田市から東京都に至る水田15,000haを灌漑。

見沼代用水元圦史跡の碑
園内の「見沼代用水元圦史跡」の碑です。他にも「埼玉合口二期事業」など多数の関連石碑があります。

邑楽用水取水口
これは沈砂池南端、大分水工手前左岸の邑楽用水路(5.111㎥/秒)取水口です。他の用水路は南方へ向かうのですがこの用水路は唯一北へ向かっています。私が探訪前から注目していた用水路です。今はオフシーズンで水の流れはありません。

邑楽用水路
利根導水路須賀樋管ゲート下流から邑楽用水路下流を見ました。左側の樋管ゲートから取り入れた用水は南の沈砂池へ向かいますが邑楽用水は利根川へ向かっています。
利根川を伏越(Φ1600鋼管)で潜り抜け対岸の群馬県側に到達した邑楽用水は邑楽揚水機場で揚水されその先で利根加用水、明和用水、坂東用水、北川辺領用水に分水されます。

ところで何故右岸で取水した用水を伏越設置してまで左岸に送水しているのでしょう。左岸に取水施設を設置すれば事足りると思うのですが・・・素人の素朴な疑問です。探訪前からこれが気になっていました。利根導水総合事業所屋上から地上へ戻るときたまたま職員さんに出会ったので質問したところあっさり「対岸は砂が溜りやすいから」の一言。なるほどね・・・。理由が有ってこのようにしているわけですね。

利根川を俯瞰すると南東向きの流れが東に向きを変えたところに利根大堰は位置しています。右岸は上流から見ると左カーブの外側で取水に有利、カーブの内側左岸は砂が溜りやすいところ。従って取水口には不向き。
江戸時代見沼代用水路を開削した幕府の技術者はこのことを心得ていたんですね。適切な場所に元圦(取水口)を設置しました。井沢弥惣兵衛さんは偉い!
利根川は国交省が管理する一級河川です。管理者の立場ではみだりに堤防に大きな穴(取水口)を開けられるのは好ましくない。これも理由の一つだと思います。

私が住む神奈川県に農業用水取水堰・磯部頭首工があります。左岸に取水口があり相模川左岸幹線用水路として相模川左岸の水田へ、右岸の水田には相模川伏越で相模川川底を潜らせ対岸の厚木市から相模川右岸幹線用水路として送水しています。こちらとよく似ています。

次回はここから始まる武蔵水路をすこし歩いたのでそれについて発表します。

水資源機構利根導水総合事業所の位置です。


其の348 玉電砧線を歩く・東京都世田谷区

 12月12日(月)晴れ、「其の346渋谷町水道みちを歩く②」で知った玉電砧線を歩いてきました。玉電砧線は昭和44年に廃線になった路面電車ですが、どのようなルートを走っていたのか興味を持ちました。幸い今昔マップと言う重宝な地図があるので廃線になった軌道跡をたどることができます。


(1965~1968)(昭和40年~43年)にセットした今昔マップです。今昔マップon the webより。
中心は現在の田園都市線・大井町線二子玉川駅です。二子玉ライズドックプラザから西方に伸びているのが玉電砧線です。当時玉電と大井町線の駅は少し離れていました。

二子玉川駅前玉川通り
二子玉川駅前、玉川通りに面した右側のビルが二子玉ライズドックプラザです。

玉電砧線跡
二子玉ライズドックプラザの北側から田園都市線を見ました。駐輪場の辺りを砧線は走っていたと思われます。今昔マップによるとここから左カーブして西方へ向かっていました。

玉電砧線跡
左カーブの軌道跡は見当たりませんがR246・玉川通りに出ると、世田谷信金北側一方通行入り口の細い道が玉電砧線に一致しています。

玉電砧線跡
そのまま進むと左側に並行してレンガ敷き遊歩道が出現します。これが砧線軌道跡です。

砧線中耕地駅跡
遊歩道にこんなタイル絵が埋め込まれています。
「砧線中耕地駅跡」。

玉電砧線中耕地駅跡
中耕地駅跡です。確かに駅停車場分だけ遊歩道幅が広くなっています。

玉電砧線中耕地駅跡
遊歩道に埋め込まれた中耕地駅のタイル絵。砧線は単線だったんですね。

玉電砧線中耕地駅跡の碑
世田谷区・世田谷地団協が立てた砧線中耕地駅跡の碑。
吉澤駅←砧線中耕地駅→二子玉川駅。

玉電砧線軌道跡
西へ向かう砧線軌道跡遊歩道。

マンホールフタに描かれた玉電
遊歩道マンホールフタに描かれた玉電。

砧線軌道跡オブジェ
こんな記念碑オブジェもありました。「砧線軌道跡」。

玉電砧線軌道跡
ドウダンつつじの砧線軌道跡遊歩道。

玉電砧線軌道跡
車道との境界にも砧線の玉電の電車が。レールも使われています。玉電を偲ばせるものが至るところにあります。地域の人々に愛される玉電砧線。駒沢給水塔と相通ずるものがあります。

玉電砧線軌道跡
左へ急カーブして多摩堤通りへ出てきました。

玉電砧線軌道跡・吉澤橋
多摩堤通りを横断し野川に架かる吉澤橋までやって来ました。橋の手前に吉澤駅がありました。

野川の吉澤橋
野川左岸下流から見た吉澤橋です。昔、玉電砧線の電車はここを鉄橋で渡っていました。

吉澤橋の「玉電と吉澤記念碑」と電車のレリーフ
吉澤橋の「玉電と吉澤記念碑」と電車のレリーフ。
この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)玉電砧線開通に合わせて架けられた鉄道橋でした。砧線は現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人々の通勤通学手段としてだけでなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献を果たしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すこととなり、1969年(昭和44年)玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えました。平成19年3月 (記念碑碑文より)

吉澤橋・玉電のレリーフ
玉電のレリーフです。

野川を渡る吉澤の鉄橋風景
野川を渡る吉澤の鉄橋風景 昭和36年 (玉電・砧線)。
(玉電と吉澤記念碑写真より)画像をクリックすると拡大します。

玉電砧線軌道跡
吉澤橋を渡り西へ向かう玉電砧線軌道跡。

玉電砧線軌道跡
その先、三角公園付近の玉電砧線軌道跡。

玉電砧線軌道跡
その先で二股に分かれます。左は砧下浄水所外周道、右が砧線です。

玉電砧線軌道跡・鎌田二丁目南公園付近
右側の道に入り直進すると鎌田二丁目南公園に突き当たりました。昔の玉電砧線終点、砧本村駅(きぬたほんむらえき)はこの辺りです。駅跡を思わせるものは何も残っていないです。

砧本村バス停
公園の西側は東急バス砧本村バス停広場になっていました。

砧本村バス停広場境界柵
これは砧本村バス停広場の鉄筋コンクリートの境界柵です。中耕地駅のタイル絵に描かれた柵にそっくりです。もしかしてこれが砧本村駅の遺構かも知れないですね・・・。

玉電砧線中耕地駅跡
参考に中耕地駅のタイル絵です。形状、間隔、横木の数など、本当によく似ています。

帰りはちょうど来た東急バスで二子玉川駅へ向かいました。
今回はいつもの水辺歩きではなく廃線路歩きとなりました。
「横浜水道みちを行く」が廃線路を歩きましたが、なかなか面白かったですね。拙ブログの性格は芋づる式探訪記なのでどこへ飛ぶか私自身もわかりません。これに味をしめどこかまた廃線路を探訪するかも知れません。次回は水辺歩きに戻ります。

今日のスタート二子玉川駅です。

其の347 渋谷町水道みちを歩く③・東京都世田谷区

 前回からの続き、渋谷町水道みちの三回目でその最終回です。11月29日(火)晴れの日に探訪しました。

渋谷町水道断面概念図
始めに「其の345」で載せた渋谷町水道断面概念図を再掲します。クリックすると拡大しピントが合います。
(駒沢給水塔風景資産保存会発行 世田谷の近代化土木遺産~駒沢給水塔~より)

第1号駒沢給水塔
水道みちの突き当り、通用門から見た第1号駒沢給水塔。大正12年11月完成。高さ約30m、直径約15mの鉄筋コンクリート製。

駒沢給水所配水池
同配水池。配水池は昭和7年完成です。

東京都水道局駒沢給水所正門
南側の正門です。表札に東京都水道局駒沢給水所。平成24年11月、駒沢給水所の給水塔と第一配水ポンプ所が土木学会より選奨土木遺産として認定されました。画像右端に認定証が掲示してあります。

以下駒沢給水所を一巡りしました。

駒沢給水塔
これは手前が第2号駒沢給水塔、奥が第1号駒沢給水塔です。今年10月1日都民の日にコマQさんの「駒沢給水塔ガイド付きツアー」に飛び入りで参加した時に西側マンションから撮影しました。

駒沢第2号給水塔
同第2号駒沢給水塔です。大正12年3月完成。高さ約30m、直径約15mの鉄筋コンクリート製。第1第2共、同じサイズです。大正12年9月1日の関東大震災では両塔共大きな被害はなく、却ってその堅牢さを示し、震災による井戸の破壊、涸渇、混濁のために、渋谷町水道の使用申し込みが一挙に増加したそうです。

第2号駒沢給水塔
東側マンション駐車場付近から見た第2号駒沢給水塔。

第2号駒沢給水塔
東側道路から見た第2号駒沢給水塔。飾り柱(ピラスター)やその頂上の装飾球が写っています。
装飾球は年に4回点灯します。
4月中旬の日曜日桜新町桜まつりの夜。6月1日~7日の水道週間の夜。10月1日都民の日の夜。12月31日~1月3日の年末年始の夜。

駒沢給水塔装飾電球
これは弦巻区民センターに展示の実際に使われていた本物の装飾球です。直径53cm、厚さが2mmのガラス製。大正12年(関東大震災があった年)1923年製。現在はポリカーボネート製に変わっています。

駒沢給水塔
東側道路から見た左側が第1号駒沢給水塔、右側が第2号駒沢給水塔。両給水塔はトラス橋で繋がっています。

第2号駒沢給水塔「滾々不盡」銘板
第2号駒沢給水塔にはめ込まれた銘板「滾々不盡」(滾々として尽きず)「大正十一年冬 内務大臣水野錬太郎題」と刻まれています。

駒沢給水塔飾り柱上部の文様
これは何を意味するのでしょう? 飾り柱上部の中華そばのどんぶりに描かれたような文様です。

駒沢給水所・ベンチュリーメーター室
これは東側道路からみたベンチュリーメーター室(量水計)です。

渋谷町水道みち・世田谷区弦巻
駒沢給水塔から東へ伸びる渋谷町水道みちです。渋谷町水道断面概念図のように駒沢給水塔の水面標高64mと渋谷町の平均標高36mの落差を利用して自然流下で送水していました。
水道みち真正面に高層ビルがそびえています。三軒茶屋のキャロットタワーです。

キャロットタワーより渋谷町水道みち、駒沢給水塔を望む
おしまいに三軒茶屋のキャロットタワー26階展望室から見た駒沢給水塔と真っ直ぐにこちらへ伸びる渋谷町水道みちです。
10月1日の「駒沢給水塔ガイド付きツアー」解散後、渋谷町水道みちを三軒茶屋まで歩きました。黄色矢印辺りが第1号第2号駒沢給水塔「双子の給水塔」です。
三軒茶屋から渋谷町までの送水管は昔の玉電(今の田園都市線)と同じ道に敷設されていました。

明治20年に完成した横浜水道みちを歩き、近代水道の三要素は「砂ろ過」「鋳鉄管」「ポンプ」と学びました。これら三要素の発明がなければ近代水道は成り立たない訳です。渋谷町水道はこれに当時としては最新技術の「鉄筋コンクリート」を加えた正に近代水道そのものであった・・・と今回の探訪を終えて強く感じました。素晴らしいですね・・・。中でも駒沢給水塔は街のシンボルとして地元の方々に愛される歴史的土木遺産になっています。

参考資料
駒沢給水塔風景資産保存会 [コマQ]発行
2016.10.1「駒沢給水所ガイド付き周辺ツアー」配布資料
駒沢給水塔風景資産保存会会報「そうとう」

駒沢給水塔の位置です。

其の346 渋谷町水道みちを歩く②・東京都世田谷区

 前回からの続き、渋谷町水道みちの二回目です。
11月29日(火)晴れの日に探訪しました。

渋谷町水道・岡本隧道出口
国分寺崖線の丘を下ったところで岡本隧道出口を発見しました。出口を見られるとは思ってもいなかったので嬉しかったですね・・・。(^σ^)

渋谷町水道境界杭
これは本日一番の収穫です。隧道付近で見つけた渋谷町水道の境界杭です。左書きで「澁水79」とはっきり読み取れます。渋谷町水道は大正10年着工なので100年近く前の境界杭です。
開発が進む中、今までよく残りました。

岡本隧道付近マンホール
付近の排水室マンホール。これから交差する谷戸川へ排水するのでしょうか?

岡本隧道出口付近
岡本隧道から見た大蔵通り岡本もみじが丘バス停前です。水道みち用地内左側に大きなコンクリートの台が横たわっています。これは何でしょうかね。気になります。それから谷戸川の上に立つうす紫色のバス待合所はちょうど水道みちの上に位置しています。何か由来があると思います。

岡本もみじが丘バス停より谷戸川上流を望む
バス停より谷戸川上流を望む。丸子川と同様送水管は川底を潜っていると思われます。

渋谷町水道みち・世田谷区岡本2
その先、谷戸川を潜った後再び国分寺崖線の丘です。丘を上る水道みち。こちらは隧道ではなく丘に沿って駆け上がっているようです。

渋谷町水道みち・世田谷区岡本2
その先の坂の途中です。左側の道路と右側の民家敷地の間を通る渋谷町水道みち。上記画像の延長線上に位置しているので送水管はこの地下を通っていると思います。

渋谷町水道境界杭
その先岡本1丁目で見つけた渋谷町水道境界杭。御影石に「澁水102」と読めます。この先にも2、3ありましたが判読不可でした。

渋谷町水道みち
岡本1丁目、瀬田5丁目付近の渋谷町水道みち。

渋谷町水道みち・空気弁マンホールフタ
瀬田5丁目、水道みちの空気弁マンホールフタ。寸法は75×100cm位。住宅街にあるマンホールフタとは違い大型です。砧下浄水所から制水弁マンホールフタと共に随所で見かけました。

渋谷町水道みち・環八通り西
瀬田5丁目、環八通り西付近の渋谷町水道みち。今歩いてきた南西方向を振り返りました。

渋谷町水道みち・環八通りと交差
環八通りを横断します。

渋谷町水道みち・首都高と交差
首都高用賀料金所付近まで来ました。水道みちはどこまでも真っ直ぐなので見失うことはありません。

渋谷町水道みち・用賀4丁目
その先、用賀4丁目の渋谷町水道みち。

渋谷町水道みち・用賀3丁目
用賀3丁目の渋谷町水道みち。右側に「水道みち」の道標が立っています。

渋谷町水道みち・用賀3丁目水道みちの道標
「水道みち」の道標。真っ直ぐな道とはいえ水道みちから逸れていないのでほっとします。

渋谷町水道みち・用賀3丁目
用賀3丁目で都道427号線(昔の路面電車・玉電が走っていた道、現在は地下を東急田園都市線が走っています)に入ります。白いガードレール内が水道みちと思われます。

吉澤橋・玉電のレリーフ
懐かしの玉電です。
今日二子玉川駅から砧下浄水所へ向かう途中、野川に架かる吉澤橋を渡りました。これは欄干の玉電のレリーフです。信じられないのですがその昔(昭和44年まで)玉電が旧吉澤橋(砧線・二子玉川~砧本村)を渡っていたそうです。面白そうですね・・・興味が湧いてきました。

桜新町駅前・カツオとワカメの像
田園都市線桜新町駅北口前のカツオとワカメの像。町のあちこちにサザエさんの像や看板があります。それもそのはず桜新町1-30-6に長谷川町子美術館があります。

渋谷町水道みち
そのまま東進すると桜神宮の先に斜めに北東へ入る道があります。細い道ですが水道みちらしい真っ直ぐな道です。駒沢給水塔風景資産保存会[コマQ]の案内看板が目印です。

渋谷町水道みち
こんな道です。東京都水道局の駐車禁止の看板。今まで見てきたようなマンホールフタがあちこちにあります。奥に駒沢給水塔が見えます。

渋谷町水道みち・駒沢給水塔
渋谷町水道みちの突き当りが駒沢給水塔(東京都水道局駒沢給水所)です。

今回はここまでです。次回は駒沢給水塔について発表します。

今回のスタート岡本隧道出口付近の地図です。


其の345 渋谷町水道みちを歩く①・東京都世田谷区

 相模川の水が東京へ「其の269」「其の270」で知った「砧下浄水所」、丸子川を歩いた時に出合った「岡本隧道」、これらを線でつなぐと駒沢給水塔から渋谷に至る渋谷町水道みちが見えてきます。
11月29日(火)晴れ、渋谷町水道みちを砧下(きぬたしも)浄水所から駒沢給水塔までたどりました。3回くらいに分けて発表します。

まず始めに渋谷町水道とは?
道中で見つけた案内板から引用します。
旧渋谷町水道
日本での本格的水道建設は、17世紀に開削された神田上水が最初です。けれど、江戸の郊外にある地域では、長い間、川の水や井戸水に頼る暮らしが続きました。かつて渋谷町(現在の渋谷区)の低地では、井戸水の水質が悪く、涸れやすかったので、大正期の人口増加により水不足は深刻な問題になりました。そこで、渋谷町他一町二村は、多摩川の伏流水を水源とする、施設水道を計画し、大正10年に起工、同13年に完成したのです。 
(岡本公園民家園案内パネルより)

世田谷の誇る歴史遺産岡本隧道
1921年(大正10年)、当時の豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区)では、多摩川の水を町に引き込もうと、大規模な水道工事を始めました。砧下浄水場で取水・浄化した水は駒沢給水所、三軒茶屋を経て渋谷に至り、地下の送水管は南西から北東へ直線的に世田谷を跨いでいます。水は、駒沢給水所までは揚水ポンプの力で高く持ち上げられ、給水所から渋谷までは自然の重力で送水されました。砧下浄水場を出てすぐに、この岡本の台地を横断しますが、揚水ポンプの負荷を少なくする工夫として送水管専用のトンネルが利用されました。
これらは、1923年(大正12年)に竣工した近代水道の建造物であり、今でも珍しい施設で、極めて貴重な歴史遺産です。
駒沢給水塔風景資産保存会・世田谷区
 
(岡本公園民家園案内パネルより抜粋)

渋谷町水道断面概念図
イメージを鮮明にするため渋谷町水道断面概念図です。
画像をクリックすると拡大しピントが合います。
(駒沢給水塔風景資産保存会発行 世田谷の近代化土木遺産~駒沢給水塔~より)
断面図の中の国分寺崖線とは
10万年以上の歳月をかけて多摩川が武蔵野台地を削り取ってできた「崖の連なり」です。 (岡本公園民家園案内パネルより)

砧下浄水所裏多摩川左岸堤防
今日は東急田園都市線二子玉川駅からの歩きです。多摩堤通りから吉澤橋を渡り砧下浄水所裏多摩川左岸堤防上にやって来ました。赤いとんがり帽子は砧下浄水所導水管空気抜きです。

砧下浄水所裏多摩川河川敷
赤色とんがり帽子より多摩川河川敷を見たところです。砧下浄水所は多摩川の伏流水を原水としていました。河川敷内に集水埋渠と導水管が埋まっています。

砧下浄水所
同所から見た砧下浄水所通用門。取水した原水はこの地下を通って浄水所内へ。

砧下浄水所正門
北側にある砧下浄水所正門です。大正時代の風格が漂っています。

砧下浄水所表札クリック拡大
「東京都水道局 砧下浄水所」の表札。資料によっては砧下浄水場とありますが砧下浄水所が正式名です。

渋谷町水道みち
砧下浄水所正門から真っ直ぐ北東へ向かう渋谷町水道みち。

野川水道橋
正門から200mほどで野川を渡ります。

野川水道橋
その名も「野川水道橋」(のがわすいどうばし)。

野川水道橋
野川に架かる野川水道橋。橋桁に細い配水管が添架してあります。これは現代の家庭向け配水管です。

旧野川水道橋
親切に欄干に旧野川水道橋のレリーフが嵌めこまれています。当時はこんな大口径(直径80cm)の水道管が渡っていました。画像をクリックすると拡大します。

渋谷町水道みち
その先の多摩堤通りから渋谷町水道みち北東方向を見る。
前方に国分寺崖線の丘が見えます。

渋谷町水道みち制水弁マンホールフタ  渋谷町水道みち空気弁マンホールフタクリック拡大
渋谷町水道みちで見かけた制水弁・空気弁マンホールフタ。
砧下浄水所から駒沢給水塔へ現在でも送水しているかも知れません。

渋谷町水道みち・鎌田前耕地公園緑道
その先、水道みちが鎌田前耕地公園緑道として利用されています。

渋谷町水道みち・丸子川と交差
丸子川までやって来ました。橋を渡ると岡本公園民家園です。

渋谷町水道みち・丸子川と交差
橋より丸子川上流を望む。紅葉に間に合いました。送水管は丸子川の川底を潜っています。

渋谷町水道・岡本隧道案内板クリック拡大
冒頭で紹介した岡本公園民家園内案内パネルです。
世田谷の誇る歴史遺産岡本隧道
この案内板から50m先、民家園の左奥に石垣囲いの蒲鉾型の扉があり「岡本隧道」という字が刻まれています。隧道とはトンネルのことで、トンネルの中は、高さ2m、幅2.5mのトンネルになっていて、そこには直径80cmもある送水管が通っていて、その長さは120mにも及びます。
(駒沢給水塔風景資産保存会・世田谷区作成の案内パネルより抜粋)

渋谷町水道・岡本隧道
国分寺崖線に掘られた岡本隧道入り口です。

渋谷町水道・岡本隧道
中はこんな風になっています。砧下浄水所にある送水ポンプの負荷を軽減するためにこの方法がとられました。

岡本民家園に展示の農機具
民家園に展示の農機具。手前から脱穀機、唐箕、籾摺機。

岡本民家園・縄綯機 岡本民家園・荷車クリック拡大
その奥にある縄綯機と小型の荷車。縄綯機は縄を綯う機械です。小型の荷車は大型になると大八車ですね。

岡本八幡神社参道
岡本隧道は岡本八幡神社の真下を抜けています。参道階段を上りました。48段の急な石段です。

岡本八幡神社
国分寺崖線上の岡本八幡神社です。隣は学問の神様岡本天満宮です。

世田谷名木百選・岡本八幡神社大ケヤキ
世田谷区銘木百選ケヤキの大木です。この木の下から崖下を覗くと真下に岡本隧道入り口が見えます。

岡本八幡宮北参道
境内を道なりに進むと岡本八幡宮北参道へ出てきました。
途中ですが今回はここまでです。次回は岡本隧道出口から始めます。

砧下浄水所の位置です。

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