横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の344 引地川の下土棚遊水地を訪ねる②

 昨年9月、初めて下土棚遊水地を訪ねその様子を「其の243」で発表しました。下土棚遊水地は神奈川県が施工中の事業年度が平成18年度~32年度15年間に渡る長丁場の工事です。長いのは用地買収期間も含まれているからと思います。
11月20日(日)晴れ、1年余が過ぎたのでその後の様子を見に行ってきました。

下土棚遊水地D池
今回も小田急江ノ島線長後駅からの歩きです。長後街道を西進し六会橋東の長後街道から見た下土棚遊水地D池です。去年に比べ雑草が刈り取られすっきりしています。
遊水地はABCDの4池があります。池の配置は「下土棚遊水地パンフレット」計画平面図に載っています。

下土棚遊水地D池
これは去年初めて訪ねた時のD池の様子です。

下土棚遊水地D池
二つ下流の下土棚大橋から見た引地川左岸の下土棚遊水地D池。去年と全く変わっていません。

下土棚遊水地D池
上記写真上流の白い橋付近から見たD池です。番号が打たれた土嚢が積んであります。去年もこんな状態でした。この辺りより下流に越流堤が築かれます。

越流堤とは、洪水時に川の水を遊水地へ流入させるため、堤防の高さを一定区間低くした堤防のことです。
計画平面図にある様に越流堤はD池及びA池に、排水用の排水ゲート(吐口管)はB池及びA池に築かれます。 

下土棚遊水地C池
下土棚大橋から見た下土棚遊水地C池です。去年の写真をそのまま使ってもいいくらい全く変わらず。

下土棚遊水地C池
一つ下流の中村橋から見たC池です。同様に変わらず。

下土棚遊水地・中村橋下流
中村橋より下流を見ました。左岸の護岸が改修されました。左岸側のB池は変化なし。右岸側はA池の越流堤が築かれる予定ですが変化はありません。

下土棚遊水地・中村橋下流
これは中村橋から見た去年の同地点の様子です。

下土棚遊水地A池
A池西側周囲堤から見ました。ここも変わっていません。

下土棚遊水地A池
湘南台大橋北側のA池です。草が刈り取られてすっきりしました。

下土棚遊水地A池
前回は見なかった湘南大橋よりA池上流を望む。
左から二次池、一次池、引地川右岸堤防、引地川。一次池は30mm/時の降雨の際湛水するエリア。一段高い二次池はグランドや公園になると思います。

下土棚遊水地A池
同下流を望む。左側に排水ゲートが見えます。A池はすぐにでも使用できそうな感じです。しかし越流堤が未完成です。

下土棚遊水地A池・排水ゲート
A池の排水ゲート(吐口管)です。去年来た時に既にありました。

下土棚遊水地は長丁場の工事です。これから先の工事の進捗と変貌ぶりを見るのが楽しみです。年に一度くらいは訪ねたいと思います。

最近探訪した他の遊水地と貯留量の比較をします。
・引地川・下土棚遊水地・・・46万㎥
・境川遊水地・・・・90万㎥
・鶴見川恩廻公園調節池・・・11万㎥
・神田川環状七号線地下調整池・・・54万㎥

庚申塔・藤沢市市民センター
おしまいに今日見た石像二体です。
これは長後街道沿い藤沢市長後市民センター内の庚申塔です。下部に三猿、側面に案内文字あり道標を兼ねた庚申塔です。他に不動明王坐像など多数の石像が集められています。

下土棚遊水地C池前の石像
これはC池周囲堤沿い長後用水路上に立てられた像です。
「天下泰平 弘法大師遍照金剛」と読み取れました。
裏面に「明治十七年二月廿一日建てる」。

下土棚遊水地北端、六会橋の位置です。

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其の343 渋田川分水路を訪ねる・神奈川県伊勢原市

 今年四月、渋田川河畔の芝桜を観に行った時に車窓から渋田川が分岐しているのがチラッと見えました。芝桜は西川橋の上下流一帯ですが西川橋の上流で渋田川が二股に分かれています。帰宅後地図を眺めたら一目瞭然、東側を流れる歌川に水路が繋る変わった光景です。これが渋田川分水路です。以来分岐の仕方が気になっていたので散歩がてら状況を見に行ってきました。

渋田川
11月17日(木)晴れ、今日は小田急線愛甲石田駅からの歩きです。渋田川分水路から約400m上流砂田橋から見た渋田川上流です。この辺りはどこからでも北を向けば大山が見えます。

渋田川分水路
分水地点渋田新橋より渋田川上流を望む。右が分水路入口で転倒堰によって流れを堰き止めています。
正面に白い標識が立っています。
「二級河川渋田川分水路 神奈川県平塚土木事務所管理」などと書いてあり神奈川県が作った施設と分かります。

渋田川分水路銘板
渋田新橋たもとの「渋田川分水路」銘板です。

渋田川分水路
左岸から見た渋田川分水路転倒堰。設定越流水位でしょうか、水位目盛の脇に赤ラインが引いてあります。どのように運用しているかは増水した日に観察しないと分らないですね。只今現在は越流することなく分水はしていません。
河川の分岐は山梨県の利根川の分岐(利根川を新利根川・旧利根川に分岐)を見に行ったことがあります。利根川左岸に切欠きを入れ越流堤とし、洪水で増水分を旧利根川に分流する方法でした。
こちらは転倒堰を越流堤と見れば可動式なので運用面(分水量の調節)では使い勝手が良いと思います。素人考えですが・・・。

渋田川分水路
渋田新橋より渋田川分水路下流を望む。流れはなく水溜まりのみ。約350m下流で歌川に合流します。左岸にオニグルミの木が茂っています。

渋田川分水路
対岸の県道22号線畠田橋西信号付近の分水路。右岸にもオニグルミ。

渋田川分水路・歌川合流
正面、白い橋桁の橋が県道22号線、歌川に架かる畠田橋です。左側は渋田川分水路です。畠田橋下流が合流点です。

1965~1968(昭和40~43年)にセットした今昔マップです。(今昔マップon the webより)

渋田川分水路は影も形もありません。1975~1978(昭和50~53年)に切り替えると分水路が出現します。試してください。

歌川大堰橋上流のゴム堰
次いで歌川下流のゴム堰(ラバーダム)を見に行きました。読者のてんちょさんから教わったのですが合流点から400mほど下流にありました。まず左岸のコノ字型の魚道が目に入りました。魚道の間にある三角形が倒伏したゴム堰(ラバーダム)です。管理橋のような橋は大堰橋と言います。

歌川大堰橋上流のゴム堰
大堰橋から見た萎んだゴム堰と右岸の取水口及び操作室。この堰(頭首工)の名前は橋の名前から大堰と思われますが未確認です。

城島用水
操作室から始まる用水路。真っ直ぐ南へ向かっています。後述のほ場整備事業大田地区案内看板によると用水路の名前は城島用水と言います。来季の通水期に再訪し起立したゴム堰を是非見学したいですね。合せて用水路を終点まで。

神奈川県営ほ場整備事業大田地区揚水機場
これは今日のお土産。儲けものの新たな発見です。ゴム堰操作室近くの神奈川県営ほ場整備事業大田地区の揚水機場です。案内看板によると用水路のパイプライン化などとあり興味を持ちました。私が知る限り用水路のパイプライン化は神奈川県では初めてです。千葉県の(湖北台円筒分水、手賀沼円筒分水を探訪し)手賀沼土地改良区の田んぼで初めて知りました。
大田地区揚水機場については来季の通水期に詳しく取り上げたいと思います。

渋田新橋の位置です。

其の342 米海軍横須賀基地ドライドックを見学しました

 11月3日(木)文化の日、晴れ。米海軍横須賀基地内のドライドックを見学しました。横須賀と言えば拙ブログでは横須賀水道みちで浅からぬ縁があります。横須賀市主催の「ドライドック見学ツアー」、事前申込制ですが幸いにも抽選に当たり葉書の案内状が届きました。

米海軍横須賀基地
JR横須賀駅から集合場所のイオン前まで歩きました。対岸のヴェルニー公園から見た米海軍横須賀基地です。今日見学する右から第2号、第3号ドックが写っています。第1号ドックは右端。

米海軍横須賀基地
集合場所イオン前から見た横須賀基地。海自も共同使用しているのでヴェルニー公園から艦尾に旭日旗を掲げた係留中の潜水艦なども眺望できます。対岸の一番手前が第1号ドライドックです。

ドライドック見学ツアー受付
イオン前の受付風景です。身分を証明するものとして運転免許証と本籍地入りの住民票を提示。日本国籍を有する14歳以上480名(40名×12組)限定ツアーです。参加費用として100円を支払い岸壁沿いに奥へ進みます。基地ゲート前で金属探知機や持ち物検査を受けいよいよ見学開始です。ツアー所要時間は約1時間。

横須賀基地第1号ドライドック
第1号ドックから見学開始です。英文の案内板です。
ドライドックとは艦船を修理するために使う施設です。今日見学の三つのドック(1,2,3号ドック)はいずれも現役で使われています。見学対象外の4,5,6号ドックも現役です。
第1号ドックは慶応2年(1866)起工、明治4年(1871)完成。日本最古の石造りのドック。ヴェルニーを含むフランス人技師が設計。長さ134.5m×幅29.0m×深さ9.0m。

第1号ドックが造られた横須賀製鉄所は、その後横須賀造船所(明治4年4月)、横須賀海軍工廠とその名前を変え、横須賀のみならず近代日本発展の礎として、我が国の近代化をリードした屈指の工業施設であり、同時に横須賀が都市として発展する基礎となりました。
今は艦船修理施設ですが当初から軍艦を作る造船所であり様々な機械も作る日本初の近代的な総合工場でした。

横須賀基地第1号ドライドック
第1号ドライドック内は海水で満たされています。奥が海側。

横須賀基地第1号ドライドック
第1号ドライドック、入渠した艦船の船首側です。

横須賀基地第2号ドライドック
次いで第2号ドックです。海水が抜かれた巨大なドライドック。
本ツアーの目玉です。近々修理艦船を迎えるのでしょうか、積み木のような物(盤木)が多数準備してあります。入渠した船を支える台です。

横須賀基地第2号ドライドック
海とドックの間はゲートのようなもので遮断されています。ツアー係員に尋ねると扉船(とせん)と言うそうです。

横須賀基地第2号ドライドック
艦首側です。建物前に日米両国の国旗が掲揚してあります。

横須賀基地第2号ドライドック・扉船
海との仕切り、扉船です。船と言っても自力で航行する能力はなくタグボートに引かれて移動します。
現状から海水を満たすには?逆に排水はどうするか?艦船の出入り手順は?一連の流れをあれこれ考えると面白いですね。こちらのサイト「ドック扉船の紹介」に分かりやすく解説してあります。

横須賀基地第2号ドライドック
扉船を渡りました。扉船より第2号ドライドックを望む。今日見たドライドックの中で最大のドックです。明治13年(1880)起工、明治17年完成の石造り。長さ153.0m×幅32.0m×深さ11.5mもあります。
今日の見学対象ではありませんが昭和時代に建造された第6号ドックは全長337mもあり当時日本最大でした。旧海軍の戦艦「大和」型3番艦の航空母艦「信濃」はここで造られました。

横須賀基地第3号ドライドック
第3号ドライドックです。海側も撮りたかったのですがツアー係員に制止されました。右側に海自の潜水艦が係留中だからだそうです。

先の大戦では横須賀の軍事施設も米軍の空襲に遇ったはずです。六つのドライドックは幸いにも生き残り今でも現役で使われています。来年は平成29年ですが明治にすると明治150年です。凄いことですね・・・。私は米軍が日本占領後に自らの基地として使用するため意図的に攻撃を控えたような気がしてなりません。


今日はJR横須賀駅と会場間を往復しました。ヴェルニー公園内を通ったので以下園内の施設展示物です。

ヴェルニー記念館・スチームハンマー
ヴェルニー記念館に展示のスチームハンマー。横須賀製鉄所(横須賀造船所)で稼働していた3トンのスチームハンマー。慶応元年(1865)オランダ製。0.5トンと共に国指定重要文化財。
オランダはチュウリップや風車など、のどかな国と言った印象を持っていましたがその昔は列強だったんですね・・・。こんな機械を作る先進国でした。

戦艦陸奥主砲・ヴェルニ―公園
ヴェルニー記念館前の戦艦陸奥の主砲です。只今移設工事中です。完成すれば案内板が立つと思います。

軍艦長門碑・ヴェルニー公園
こちらは園内の軍艦長門碑です。
「ありし日の聯合艦隊旗艦長門の姿をここに留めて昭和激動の時代を偲ぶよすがとする 政一書」 (碑文より)

逸見波止場衛門・ヴェルニー公園
逸見波止場衛門です。
旧横須賀軍港逸見門の衛兵詰所。左右二棟あり、左側には「逸見上陸場」、右側には「軍港逸見門」と表示されている。建築年代は明治末から大正初期と思われる。(案内板より)

海軍の碑・ヴェルニー公園
旭日旗に錨をあしらった海軍の碑です。80年の伝統ある旧海軍関係者が戦後50年経った平成7年に建立しました。

子規の文学碑・ヴェルニー公園
生涯二万句を詠んだと言われる子規の文学碑です。
「横須賀や 只帆檣の 冬木立 」
横須賀港内に連なる帆檣(はんしょう・ほばしら)の印象を詠んだ句。(碑文より)
病弱と言われた子規、あちこち出歩いていたんですね。多摩川河口近く川崎の若宮八幡宮にこんな句碑があります。
「六郷の 橋まで来たり 春の風」

横須賀基地・海自の潜水艦
おしまいに基地に係留中の海自潜水艦です。艦尾に旭日旗を掲げています。舵の形からそうりゅう型です。基地内では撮影厳禁でしたが対岸からはこのように眺望できます。

先週の環七巨大地下トンネル見学から二週連続で巨大な非日常を実体験し感銘を受けながら帰路に着きました。

今回はカテゴリ「横須賀水道みち」に入れました。横須賀製鉄所(造船所)が横須賀水道発祥の地でもあるからです。明治9年12月造船所内「水溜」に走水水源地から水道管を通したのが横須賀初の水道です。後の横須賀水道になります。横須賀製鉄所(造船所)建設主任フランス人技師ヴェルニーの偉大な功績です。

参考資料
当日配布のパンフ「近代日本のルーツ横須賀製鉄所」
関連記事 「其の226 走水水源地を訪ねる」 (2015/6投稿)

ヴェルニー公園の対岸が今日見学したドライドックです。

其の341 六兵衛土手を訪ねる・神奈川県平塚市

 前回「其の340」歌川分流排水路を歩いたその足で江戸時代初期に築かれた六兵衛(ろくべえ)土手を見に行きました。六兵衛土手に設置されたてんちょさん推奨の赤水門や伏越も見てきたので合せて取り上げます。

六兵衛土手
神田幼稚園とけやき公園の間に西方の北野橋に真っ直ぐ伸びる道があります。その道の北側、神田幼稚園の西側から始まる右手の土手が六兵衛土手です。

田村用水と六兵衛土手案内板
けやき公園の六兵衛土手案内板。クリックすると拡大します。
この土手は玉川が氾濫したときのために築かれた土手で、大神村と田村の境界でもありました。徳川家康に許可を得て築いた土手と伝えられ、土手の近くに六兵衛と言う人が住んでいたので、その名がつけられたと言われています。
(平塚市の案内板より)

六兵衛土手
そのまま西に進むと新幹線と交差します。

六兵衛土手
新幹線を潜り抜け振り返りました。左側が六兵衛土手です。道路沿いに用水路と田んぼがあります。

六兵衛土手
西方向はこのように六兵衛土手の上が道路になっています。
右側に水門があります。てんちょさん推奨の通称赤水門です。

六兵衛土手
土手南側に下りて北野橋方向を見ました。六兵衛土手の高さは2m位でしょうか、それほど高くないです。神田幼稚園から北野橋まで延長約600mの土手です。
南側の横内村の田んぼは玉川が氾濫しても六兵衛土手に守られ水害を免れました。

六兵衛土手北側排水路
写真① 土手の北側はこのように土手沿いに排水路が通っています。左側は赤水門。

六兵衛土手北側排水路
赤水門管理橋から見た排水路。この先北野橋で笠張川に合流します。

六兵衛土手北側排水路
北野橋上流で笠張川に合流する排水路。神奈川県営水道の水管橋が塗装工事のため足場工事中でした。

玉川が氾濫すると六兵衛土手北側の大神村の田んぼは水に浸かります。この排水路は氾濫が収まった後に玉川に排水するためのものです。この排水路は今昔マップで最も古い(1896~1909)に描かれています。

六兵衛土手と横内の田んぼ
北野橋南バス通りから見た東西に延びる六兵衛土手と横内の田んぼ。
平塚市博物館発行「金目川の博物誌」によると、
六兵衛土手のように河川の堤防とは別に村の外側(境界)に田んぼや集落に洪水の広がるのを防ぐために築かれた土手を「控え土手」と言い、飯島、纏、上平塚でも見られるそうです。
田んぼに水を引く利水面では上流側の村が有利ですが、このような土手が築かれると立場は逆転して下流側の村が治水面で有利になります。上下流の村は対立し日常でも諍いが絶えなかったそうです。

六兵衛土手の話はここまでとし赤水門と伏越の話に移ります。
六兵衛土手の赤水門
写真①の赤水門を排水路側から見たところです。排水路を転倒堰で堰き止め赤水門は取水口となっています。今季水を堰き止めた跡がはっきり残っています。転倒堰開閉器(水色のボックス)の左側には白色の取水口らしきものが見えます。

六兵衛土手赤水門より排水路上流を見る
これは2年前10月の台風直後にてんちょさんが撮影した赤水門前、増水した排水路の上流方向です。

六兵衛土手の赤水門より用水路を見る
写真② 赤水門を背に南方向を見ました。南の方に用水路が続いています。これを見れば何の疑問もなく赤水門で取り入れた用水を南の田んぼへ送っていると思います。ところがそれだけではないんですよね・・・。

参考迄に赤水門(中央十字線)の位置です。(地理院地図より)


赤水門より吉際堰用水路を望む
赤水門から北を見ると細い用水路がこちらに向かっています。笠張川の吉際堰で取り入れた用水路です。

吉際堰用水路・伏越呑口桝
対岸へ渡り間近から見ました。手前のグレーチングフタは伏越の呑口桝です。排水路を伏越(ふせこし)・サイフォンで潜る排水路と吉際堰用水路の立体交差です。

六兵衛土手赤水門南の用水路
写真③ 写真②を南から見ました。赤水門で取り入れた用水は正面白色フェンス下から流れ出ると思いますが、伏越の吐口がどこにあるのか分りません。

六兵衛土手赤水門南の用水路
写真④ 写真③を東から見たところです。右側に桝があります。東から来た用水路はここで合流しています。道路西側の田んぼ向けは道路下の水路で繋がっています。

六兵衛土手南横内の田んぼ
道路西側の田んぼの隅に桝があります。東から来た水路はこの桝に入ります。この桝には北からも(赤水門からの?)地下水路が来ています。

以上のように季節外れで通水がないこともあり、観察はできても用水の流れがさっぱりつかめません。赤水門周りは謎めいています。赤水門と吉際堰用水路の通水開始は若干のずれがあるはずです。その日を狙って観察すれば解明できるかも知れないですね。今回は赤水門と伏越の紹介にとどめ、あとは幼少のころからこの辺りのことを熟知しているてんちょさんにお任せしたいと思います。

神田幼稚園西六兵衛土手の東端の位置です。

其の340 歌川分流排水路を歩く・神奈川県平塚市

 11月4日(金)晴れ、平塚市在住の読者てんちょさん推奨の歌川分流排水路を探訪しました。当日はJR相模線宮山駅からスタートしましたが暑からず寒からずの絶好の探訪日和で終始気持ちよく歩けました。

相模川の寒川取水堰
15分ほどで相模川に架かる神山橋に着きました。神山橋より相模川上流を望む。目の前の堰は寒川取水堰です。神奈川県・横浜市・横須賀市の共同施設で上水道工業用水の原水を取水しています。神奈川県は近くの寒川浄水場へ、横浜市・横須賀市は馬入川系統と言い戸塚区の小雀浄水場へ導水しています。
右から土砂吐水門、洪水吐水門、魚道、固定堰の順に並んでいます。

天神森下排水路河口
左を見ると寒川取水堰すぐ下流、相模川右岸堤防にぽっかり穴が開いています。これが今日歩く歌川分流排水路の流末、天神森下排水路の河口です。

寒川取水堰
相模川右岸から見た寒川取水堰。取水口は左岸にあります。

天神森下排水路河口
右岸堤防から見た相模川へ合流する天神森下排水路です。
きれいな水です。

天神森下排水路
相模川右岸排水樋門より天神森下排水路上流を望む。
大山が正面から見守っています。

天神森下排水路・相模川樋門
堤防内側から見た排水樋門ゲート。頑丈そうな作りです。

天神森下排水路南側の桜並木
天神森下排水路南側の桜並木に沿って上流へ。

天神森下排水路
桜並木を右折し畠田橋より天神森下排水路上流を望む。
この辺では南向きに流れています。

天神森下排水路・歌川分流排水路合流点
下田橋で今日のテーマ歌川分流排水路が合流しています。左側の暗渠水路が歌川分流排水路です。
この辺りで今季初めてジョウビタキのオスを見ました。スズメ大の冬鳥で白い紋があるのでよく目立ちます。

歌川分流排水路
下田橋を渡りました。暗渠の歌川分流排水路上流を望む。

歌川分流排水路マンホールフタ
暗渠水路上のマンホールフタ。雨水の表示あり。平塚市章に下とあるので平塚市の雨水下水道扱いの河川と思われます。

鷹落橋の碑
八王子街道との交差点に鷹落橋の碑が立っていました。
家康が相模川河畔の田村に鷹狩りに来たおり、獲物を追っていた鷹が羽を傷めてこの橋に落ちたことから名づけられたという。
(碑文より抜粋)

歌川分流排水路
西から東流する歌川分流排水路。暗渠水路が続きます。

歌川分流排水路・R129新桜橋
左手の相模小を過ぎ南北にまっすぐ走るR129を渡ったところで開渠になりました。R129新桜橋より歌川分流排水路上流を望む。護岸の高さが3mほどもある川です。

歌川分流排水路
方向を南流に変えた歌川分流排水路上流を望む。水深はそれほどなくきれいでゆったりした流れに鯉が放たれています。
ここは電柱表示では平塚市田村四丁目19。

歌川分流排水路・神田幼稚園付近
写真① 神田幼稚園手前で見たゴミ除けスクリーン。橋の上流側の施設です。スクリーンの下は径300位のパイプでパイプ経由下流へ流れて行きます。護岸には水を溜めた跡が残っています。橋の下流側は暗渠のため観察できず。何のためにパイプが設置してあるのかよく分かりません。

歌川分流排水路・神田幼稚園付近
気になるので少し上流側から見ました。低くなった下流側水面が見えます。橋より下流左岸に何かの施設あります。橋下の川底が橋幅分だけ高くステージのようになっています。ステージの中に何か重要なものが東西に横断していてそれを避けるためにパイプを通しているかも知れません。これは伏越かもしれないですね。大雨で増水した時はステージを越えて流下するので問題ないと思います。護岸の水を溜めた跡はスクリーンにゴミが詰まり水位が上がったかもしれないですね。勝手な推測ですが・・・。

歌川分流排水路・神田幼稚園付近
前方の神田幼稚園手前から暗渠になります。

神田暗渠排水完成記念碑
神田幼稚園前の神田暗渠排水完成記念碑です。
碑文によると田村、吉際、大神 実施面積101町歩、昭和32年3月完成などと刻まれています。

歌川分流排水路
暗渠水路の上は生活道路になっています。道路上のグレーチング点検フタ。神田幼稚園前にもありました。左側に田んぼが見えます。点検フタの中には用水を得るための転倒堰(取水堰)と開閉器が設置してあると思います。今は田んぼへ向かう水路に流れがないので、来季田植えシーズンになれば確認できると思います。

田村用水と六兵衛土手案内板←クリック拡大
神田幼稚園の南側けやき公園に平塚市が立てた田村用水と六兵衛土手の案内板がありますが、それによるとこの暗渠排水路はかつて田村用水(田村堀)と呼ばれていたこと、江戸時代前期にはすでに開削されていたなどと書いてあります。
今昔マップ(1927~1939年)を見ると現在とほぼ同じ流路で相模川に流れ込んでいたことが分かります。

歌川分流排水路
その先で新幹線を潜ります。潜った先にも取水堰点検フタあり。

歌川分流排水路
写真② その先R129を潜り抜けたところで開渠水路になります。
R129歩道沿い東側の水路が歌川分流排水路です。手元の一万分の一の地図で右側の道を北へたどると玉川右岸の昭和用水分水地点に到達します。途中水色の水路が描かれています。分水地点は「其の32昭和用水探索②」玉川を左岸から右岸へ伏越で潜ったところです。私はこの右側の道が昔の田村用水(田村堀)と呼ばれた用水路と見ていますが、昭和用水は現在オフシーズンで通水が止まっているので来季確認したいと思っています。このことは今昔マップでも確認できます。

R129沿い歌川分流排水路
R129東側真っ直ぐな開渠水路がどこまでも北へ続きます。

歌川分流排水路の取水堰・長沼入口信号
平塚市から厚木市に入り長沼入口信号付近に取水用の転倒堰がありました。堰は倒伏しています。左岸に排水が流入しています。湧水のようなきれいな水です。

歌川分流排水路・田んぼの余水排水施設
これは途中で見た東側の田んぼからの余水排水受け入れ施設です。東側の田んぼはどこから用水を引いているのでしょう。写真②の昭和用水支線用水路・田村用水(田村堀)からと推測します。

歌川分流排水路
長らく続いた開渠がENEOSスタンド前で暗渠になります。ここは厚木市戸田です。

歌川分流排水路・R129戸田南信号前
その先戸田南信号前、暗渠水路上の大きな桝。この先はずうっと暗渠で水路が見通せないので探訪を切り上げ六兵衛土手へ向かいました。

歌川分流排水路は今日歩いてみて、まだ用水としても利用される用排水路であることが分かりました。下流部は雨水下水として利用されています。
これより上流は今昔マップ(1927~1939年)によると玉川右岸まで続いています。写真②の用水路との関係有無は来季に確かめたいと思います。R129は真っ直ぐ南北に走っています。今日歩いた水路はR129東側に沿って流れていたのでR129を造った時に造られた排水路と思ったのですが逆でした。排水路に沿って後年R129が造られました。

今日の探訪はてんちょさんから頂いた資料を参考にしまました。応援ありがとうございました。一度だけの探訪で思い違いがあるかも知れません。ご意見批評など頂ければ幸いです。

次回はてんちょさん推奨の六兵衛土手の話を投稿いたします。

今日歩いた終点R129戸田南信号の位置です。


其の339 環七の巨大地下空間を訪ねる・東京都杉並区

 平成28年10月27日(木)晴れ、コマQ水道スタディーツアーに参加し巨大地下空間「神田川・環状七号線地下調節池」の中に入り仕組みや構造を見学してきました。そのスケールの大きさを体験し吃驚仰天して帰ってきました。

神田川・環状七号線地下調節池パンフ
始めに「神田川・環状七号線地下調節池」とは
神田川・環状七号線地下調節池は、水害が多発した神田川中流域の水害に対する安全度を早期に向上させるため、環状七号線の道路下に延長4.5km、内径12.5mのトンネルを建設し、神田川水系(神田川、善福寺川、及び妙正寺川)の洪水約54万㎥を貯留する施設です。
(当日配布のパンフ「神田川・環状七号線地下調節池」より)

神田川・環七地下調整池位置図←クリック拡大
神田川・環状七号線地下調節池位置図です。
(「神田川・環状七号線地下調節池」より)
南北に4.5km、北から南に1500分の1の勾配をつけている。
地下調整池天端から地上までの距離(土被り)は34~43m。
青色が第一期事業で神田川取水施設は平成9年4月取水開始。赤色が第二期事業で善福寺川取水施設が平成17年9月、妙法寺川取水施設は平成19年3月から取水開始。

善福寺川取水施設
今日の会場、東京都建設局善福寺川取水施設管理棟です。善福寺川左岸にある施設です。神田川、妙法寺川にもそれぞれ取水施設があります。この建物でビデオや模型で説明を受けました。

善福寺川取水施設
中央監視室操作盤です。川から洪水を取水、排水、換気装置の運転操作や監視制御を行っています。

善福寺川取水施設
神田川水系三川それぞれの取水堰(取水口)をリアルタイムで監視しています。洪水時には目視で設定水位線を確認したあと管理ゲートを開き洪水の貯留を開始するそうです。

善福寺川取水施設
説明後は施設構内円筒形の機械棟に移動し、いよいよ貯留トンネルに入ります。

善福寺川取水施設
急な階段を何段も下り地下43mの立坑直下出入口に到着。
見学者先頭が狭い出入口前に立っています。(まるで潜水艦内部通路のような密閉ドア付きです)。手前の機械は主排水ポンプです。

善福寺川取水施設
立坑直下に入りそこから出入口を見ました。出入口は一人しか通れません。手前の手すりの向こう側は減勢池と言い、流入孔(ドロップシャフト)から落下した洪水の水溜りです。洪水時は今いるところが濁流の通り道になる訳です。恐ろしいですね・・・。
地下空間では地上と比べ気温や臭いなど特に違和感はなかったです。

善福寺川取水施設
上を見上げるとこんな風になっています。直径7mの流入孔(ドロップシャフト)です。地上の取水堰を越え管理ゲートを通過した洪水はここへ落ちてきます。ドボドボと落ちないで流入孔の内壁沿いに渦を巻いて速やかに落下するそうです。

善福寺川取水施設・導水連絡管渠
減勢池から神田川・環状七号線地下調節池までは導水連絡管渠(直径6mのトンネル)で繋がっています。洪水が通る水路なのでトンネル内に照明はありません。職員さん準備の携帯照明だけです。

善福寺川取水施設・導水連絡管渠
直径12.5mの神田川・環状七号線地下調節池直前です。

神田川・環状七号線地下調節池
この広いトンネルが神田川・環状七号線地下調節池です。画像をクリックすると拡大します。
(神田川・環状七号線地下調節池パンフより)
写真左側の開口が今歩いてきた導水連絡管渠の端末で濁流はここから地下調節池に送り込まれます。
今は平常時なので54万㎥の空間は空っぽの状態です。洪水が流れ込むと空気と水が入れ代わることになります。空気の逃げ道がどこかにあるはずです。パンフの平面図、断面図にちゃんと記してありました。第一期事業と第二期事業の境(梅里公園付近)に梅里換気塔が設置してあります。排水する時は逆に空気を吸うので排気塔ではなく換気塔です。

私のカメラではフラッシュが闇に吸収され真っ黒画像なのでパンフ写真を拝借。見学者全員がここに並び記念撮影をしました。職員さんの計らいで携帯照明を消灯し、暗黒の世界を体験しました。真っ暗闇でした。

善福寺川取水施設
エレベーターで地上に戻りました。これは構内の排水配管です。洪水が治まった後はポンプで善福寺川に排水します。

善福寺川取水施設
善福寺川右岸から見た善福寺川取水施設と左岸の取水堰。
取水堰を越流した洪水は等間隔に並んだ大物ごみ除けスクリーン、その奥の防音カーテン、管理ゲート、沈砂池から流入孔へ流れて行きます。

善福寺川取水施設・排水口
取水堰下流の排水口。排水ポンプの能力は一台当たり50㎥/分(7,2000㎥/日)。善福寺川取水施設に2台、神田川取水施設に2台のポンプがあり、二日がかりで地下調節池満タン時54万㎥を排水。その根拠は二日以内に再度集中豪雨が来ることはないからだそうです。

神田川取水施設
帰りに近くの神田川取水施設の様子を見に行きました。神田川左岸の取水堰です。ゴミ除けスクリーンの奥に防音カーテンがあり、その奥に管理ゲート、沈砂池、取水立坑があります。

神田川取水施設・放流口
環七、方南橋上流神田川取水施設からの排水口です。

神田川取水施設への洪水流入状況
これは神田川取水施設への洪水の流入状況です。
(神田川・環状七号線地下調節池パンフより)

昔、神田川が台風や大雨のたびに氾濫しその被害状況をTVニュースでよく見かけました。最近はそんなニュースをとんと見なくなりました。こんな地道な努力が重ねられていたんですね。遊休土地がない東京都で奇抜なアイデアをもってこれを解消しました。素晴らしいですね。説明によると総事業費は1000億円だそうです。見学者からは安いと声が上がりました。
パンフによると実際に神田川・環状七号線地下調節池が整備されてから38回の流入実績(平成9年~27年8月現在)があり台風や集中豪雨による浸水被害が激減し都民の安全が守られています。

好企画をされたコマQさん、都の職員さん、勉強になりました。
お世話になりありがとうございました。コマQさんは駒沢給水塔風景資産保存会の愛称です。

善福寺川取水施設の位置です。よろしければグーグルマップ下ピンク色拍手ボタンのクリックをお願いします。お蔭さまで拍手カウント累計が1000の大台に到達しました。


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