横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の338 隠れ用水路を歩く・厚木市金田

 10月23日(日)に昭和用水頭首工を4年ぶりに訪ね、「其の337」で発表しました。今回は同日頭首工を訪ねる前に牛久保用水水神様の水門や読者の地元ティーさん推奨の隠れ用水路歩きなど、金田の街を散策したのでその模様を発表します。

牛久保用水・厚木市金田
八王子街道(県道601号線)金田下宿バス停下車。東へ歩くと牛久保用水暗渠水路へ出てきます。右側に牛久保用水の碑が立っています。よく見ると左側に小さな祠があります。

妙法三十番神守護・厚木市金田
祠の中の様子です。石像に「日天月天 妙法三十番神守護 金神水神」の文字が刻んであります。

鉤の辻道・厚木市金田
祠前の道を北へ向かうとT字路が交互に続きます。これは西の八王子街道から来た道とのT字路で、次の交差点は東から来た道とT字路になります。「鉤の辻道」と言います。

鉤の辻道の碑・厚木市金田
金田中部自治会館前、厚木市が建てた鉤の辻道の碑です。
鉤の辻道(かぎのつじどう)
金田地区には小字名として本間屋敷、宿屋敷、東屋敷、中屋敷などがあり、地頭本間氏一族が鎌倉時代から室町時代末期まで住んでいたと言われ、主要な道路が十字に交差せず、ずれているのが特徴で鉤の辻道といい、守るに易く攻めるに難しい地形となっている。
(碑文より)

牛久保用水
次にこの7月に訪ねた水神様の水門を訪ねました。左側ケヤキの大木の根元に水神様が祀ってあります。牛久保用水の案内板も立っています。水門からこちらに入った牛久保用水は左側の水門を潜り地下水路となって金田の田んぼへ向かいます。牛久保頭首工から紛れ込んだのでしょうか小魚が群れています。

参考までに牛久保用水案内板に記された内容を再掲します。
当用水は金田の地頭本間重連公が上水を通して開発せんと考え鎌倉幕下の家人杉山将監弘政に依頼し創設した。
中津川の水を牛久保から取り入れ本間屋敷から金田村を西南東のコの字型に囲み相模川に流出させた。灌漑や生活用水であるが要塞堀でもあった。平成二十八年四月  
(案内板より)


牛久保用水の水天宮・厚木市金田
ケヤキの大木の水神様です。7月にはなかった看板が立っています。水神様ではなく水天宮でした。水天宮の両側に石碑が立っています。
右側の石碑正面に「延享二年乙丑三月」(1745年)。左側の石碑正面に「紀元二千六百年記念 牛久保用水樋門改修 昭和十五年四月成」(1940年)とあります。この水門は昭和15年に改修されたことが分かります。

牛久保用水・厚木市金田
水門(樋門)の外側(中津川堤防の川側)の様子です。牛久保頭首工から流れてきた用水は夏に比べて水量が減っています。手前の角落しは一段低くなったように感じます。土砂流入防止コンクリート仕切りがはっきり見えます。

牛久保用水親水公園・厚木市金田
中津川左岸堤防を通る地下水路の上を下流へ歩くと牛久保用水を利用した親水広場に出てきます。通水しているので流れがあります。

牛久保用水・厚木市金田
親水広場下流の牛久保用水暗渠水路です。暗渠水路右側に並行してU字溝が設置してあります。

牛久保用水・厚木市金田
写真① その下流、牛久保用水が南流から東へ向きを変える直前です。U字溝から広くなった水路がここで右へ分かれます。この水路が地元ティーさん発見の今日のテーマ「隠れ用水路」です。牛久保用水から分水しているように見えます。

暗渠排水路・厚木市金田
幅80cm位の暗渠水路を追いかけます。右側は中津川左岸堤防上の道。

暗渠排水路・厚木市金田
その先です。暗渠水路が続きます。

暗渠排水路・厚木市金田
金田下宿バス停から鮎津橋へ向かう道を潜ります。

暗渠排水路・厚木市金田
道路を横断した先です。マムちゃんが出そうな道です。前方ピンクの建物は東海流通。

開渠排水路・厚木市金田
工業団地内、東海流通前の開渠です。水は流れていません。

開渠排水路・厚木市金田
右手に東芝プラントを見ながら前方の八王子街道へ向かいます。

開渠排水路・厚木市金田
八王子街道に突き当たって右折し街道沿いに南へ向かう用水路。

暗渠排水路・厚木市金田
写真② その先サンイントルネットと大栄厚木工場の間を西へ向かう用水路。この先は右折し事業所構内へ入っています。西へ流れているのか、逆の流れなのかは水流がなく不明。

暗渠排水路・厚木市金田
こちらは同地点(写真②)を左折し工業団地内を東へ向かう用水路。左側は白洋舎です。

暗渠排水路・厚木市金田
その先、愛鋼社前では道路左側を通っています。
前方は相模川右岸堤防で、堤防沿いを牛久保用水の3回目「其の315」で歩いたふれあいプラザから始まる牛久保用水の排水路が流れています。隠れ用水路は牛久保用水の排水路に合流していると思われます。


工業団地ができるはるか以前、昭和初期(1927~1939年)の今昔マップを見るとこの辺りは水田や桑畑でした。牛久保用水も当然描かれています。
隠れ用水路は昔田んぼへ送る用水路だったかも知れません。写真①地点の牛久保用水と隠れ用水路の水路底標高を比較すると明らかに牛久保用水の方が低いので、用水路であれば昔この地点に牛久保用水を堰上げする分水施設が合ったかも知れないですね。昔マップに隠れ用水路が載っていれば良いのですが・・・残念なことに何もないです。
今日は晴れ、水路に水は流れていなかったです。現在は工業団地内を流れる雨水排水路と思います。

この辺りの今昔マップです。(今昔マップon the webより)

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其の337 昭和用水頭首工を訪ねる・厚木市妻田

 厚木市在住の地元ティーさんから昭和用水頭首工は今季の取水を終え、取水口周りの様子がよく見えるという情報をいただきました。10月23日(日)晴れの日に早速見に行ってきました。

昭和用水頭首工
八王子街道(県道601号線)金田下宿バス停下車。昭和用水頭首工は平成24年(2012)8月にも訪ねているので4年ぶりに鮎津橋を渡りました。
中津川右岸から見た昭和用水頭首工です。
右岸側から2門のスライドゲート、魚道、転倒堰が3門、魚道、固定堰の順に並んでいます。取水口は右岸にあります。
スライドゲートは引揚げられ、転倒堰は倒伏し河川水は自然な流れのままです。確かに用水の取水は終わっています。

昭和用水頭首工
上流側から見ました。魚道から左岸寄りは土砂が堆積し流れがありません。写真右下奥が取水口です。

昭和用水頭首工
4年前に撮影した稼働中の昭和用水頭首工です。

昭和用水頭首工・土砂吐ゲート
右岸側スライドゲート(土砂吐ゲート)のアップです。4年前は水中で分らなかったのですが、こんな風になっているんですね。
以前小沢頭首工を見学した時(取水中でしたが)取水口周りは上流から運ばれてくる土砂が溜まりやすいので深くしてあり、溜まり過ぎた時は土砂吐ゲートを開け一気に吐き出すと説明を受けました。
今日こうして観察すると百聞は一見にしかず。
低い位置に土砂吐専用の水路が設けてあり、取水口へ向かう流入渠は一段高くなっているので土砂は用水路へ入りようがないですね。巧く考えてあります。
水色と灰色のパイプが立ち上がっています。水位測定用でしょうか。

昭和用水頭首工・土砂吐水路、流入渠
中津川右岸堤防上の道路から見た土砂吐水路と流入渠。取水していないので流入渠は乾き底を見せています。

昭和用水頭首工・土砂吐水路
土砂吐水路上流部にはコンクリートブロックが林立して、土砂の流入を防いでいます。

昭和用水頭首工・転倒堰
上流から見た転倒堰3門です。起立時の扇型跡が残っています。

昭和用水頭首工・転倒堰、魚道
下流から見た魚道と転倒堰3門です。

昭和用水頭首工の碑
操作室前の昭和用水頭首工の碑です。

神奈川県知事 津田文吾書
沿革
相模川右岸の旧中郡相川村 神田村の耕地は江戸時代以来小鮎川から取水した田村掘によって潤されていたが次第に水量が減少しその対策に悩まされた。たまたま関東大震災を機に水源を中津川に求め大正15年県営事業としてここに頭首工を造成し昭和3年関連工事も完了して昭和用水が竣工した。その後昭和34年西部用水の完成とともにその流水の一部を八木間堰に補給したが、やがて河床の急激な低下や堰の老朽化によりその補修導流堤の施工等に追われ維持管理費は逐年増大した。そのため用水障害対策事業として全額国費県費をもって本頭首工及び用水路の改修工事が進められ3年の歳月と20400万円の事業費を要して昭和44年3月完成した。かくして厚木市、伊勢原町、平塚市の関係農家1412戸面積646ヘクタールの沃田は末永く用水に恵まれることになったのである。
    昭和45年3月 神奈川県相模川西部土地改良区
 
(碑文より)

ここで神奈川の水田を支える基幹頭首工の紹介をさせていただきます。昭和用水頭首工も含まれています。
・清水下頭首工(相模川・相模原市)
・小沢頭首工(相模川・愛川町、相模原市)
・磯部頭首工(相模川・相模原市、厚木市)
・昭和用水頭首工(中津川・厚木市)
・栢山頭首工(酒匂川・小田原市、開成町)
以上五つの頭首工から神奈川県にある半分以上の水田に用水を送っています。
(神奈川県発行かながわの農業農村整備より)
いずれも神奈川県が築造した施設です。私は一応すべてを巡りまた。

昭和用水頭首工操作室
中津川右岸堤防上の道路と昭和用水頭首工操作室。近頃は折角訪ねても取水堰に近寄ることすらできない頭首工もあります。ここはご覧のように自由に眺められて最高です。

昭和用水路
中津川右岸堤防上の道路から見た昭和用水路。

昭和用水路
その先、南の小鮎川へ向かう昭和用水路。暗渠水路です。

干無川を渡る昭和用水路
小鮎川直前で右折し西へ向かう昭和用水路。干無川を水路橋で渡っています。鉄板のフタがしてあり通水期であればグレーチング点検フタから用水の流れを見られます。4年前は気付かなかったのですが地元ティーさんに教えてもらいました。

小鮎川のマムシ注意看板
これは小鮎川堤防下のマムシ注意看板です。4年前にも立っていました。愛嬌があるマムちゃんの絵が懐かしいですね。

この後は小鮎川を渡る伏越を見て松ヶ枝町経由本厚木駅へ向かいました。これより先は4年前の探訪記「其の31 昭和用水探索①」と重なります。今回はここで終わりにします。
地元ティーさん情報提供ありがとうございました。

次回は頭首工探訪前に金田の街を漫ろ歩きしたのでその様子を投稿します。

昭和用水頭首工の位置です。
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其の336 旧玉川河道跡を歩く・玉川緑道から渋田川へ

 前回「其の335」の続きです。前回は玉川緑道終点(笠張川合流点)まで進みました。

玉川緑道
前回掲載した柳の木がある玉川緑道終点(起点)近くです。今昔マップを見ると旧玉川はこの道を真っ直ぐ南下していました。前方に住宅が数戸あります。

新玉川開削前(1927~1939年)の今昔マップです。大神橋、玉川緑道終点(起点)付近です。昔マップを動かすと今マップが連動します。(今昔マップon the webより)


旧玉川河道跡
その先はこんな農地になります。真っ直ぐな幅1間半くらいの農道が続いています。

旧玉川河道跡
更にその先です。左側は笠張川右岸堤防です。旧玉川は笠張川と並行に流れていました。この農道は旧玉川の河道(河川敷)を埋め立てた農地の中央を通っています。グーグルマップを見ると農道西側(右端)に平塚市と伊勢原市の境界線が引かれています。

北野橋より笠張川上流を望む
15分位歩いたところで笠張川に架かる北野橋西側に到着。
北野橋より笠張川上流を望む。水管橋が架かっています。この辺りは神奈川県営水道のエリアなので県営水道又は県営水道へ供給する企業団の送水施設と思われます。
北野橋の東に六兵衛(ろくべえ)土手と言う玉川決壊時に横内村を守るため江戸初期に築いた土手が今でも残っています。改めて探訪したいと思います。

北野橋より笠張川下流を望む
同下流を望む。細い水管橋が渡っています。

旧玉川河道跡
北野橋の西側を流れる玉川にも橋が架かっていましたが、遺構は見当たらず。先へ進みます。こんな農道が続きます。足元が少々怖かったです。

旧玉川河道跡・排水樋門
右手に水門があり水路が西の方に伸びています。水の流れを見るとこちらの方、笠張川へ向かっています。排水樋門と思われます。

旧玉川河道跡
その先です。軽四輪の轍の跡がはっきり残っています。道沿いで休憩中の農家のお年寄りと話ができました。旧玉川跡であること(旧河道の中央が農道、伊勢原市・平塚市の境界線であること)が確認できました。

旧玉川河道跡
その先で農道は堤防に突き当たります。旧玉川の終点です。笠張川右岸堤防に沿って下って来たので最後は北から来た歌川堤防とぶつかるのは必然。

旧玉川河道跡
農道は堤防の上まで続いていたので上りました。旧玉川・歌川が作ったデルタの先端に到達しました。堤防上から今来た農道を振り返りました。旧玉川の河道です。

笠張川、渋田川合流点
デルタの先端より渋田川下流を望む。左側の川は笠張川。この景色を見たかったんですよね・・・良かったです。(^σ^)/ 
農家のお年寄りが目を丸くしていましたが、行き止まりのここまで来るのは物好き変人の私くらいかもしれないです。前方の橋は土安橋です。
平塚市博物館発行「金目川の博物誌」によると、今は渋田川本流ですが昔はこれより下流、金目川との合流点までを玉川と呼んだそうです。平塚市南原の鈴川合流点下流に「玉川橋」としてその名をとどめています。

柿田川、歌川合流点
同地点より上流を望む。奥の渋田川、右の歌川が作ったもう一つのデルタの先端です。この辺りは渋田川・歌川・笠張川の合流地点です。昔は旧玉川も合流していたので四川合流地点でした。四川合流とは何とも不思議なところです。大雨の時に土安橋からこちらを眺めると多分足がすくむでしょうね。

笠張川河口より上流を望む
同地点より笠張川上流を望む。この後、笠張川右岸堤防を北野橋まで戻り最寄りのバス停へ向かいました。

新玉川完成後(1965~1968年)の今昔マップです。旧玉川が消え笠張川のみです。大神橋下流で旧玉川は笠張川に合流しています。この地点が玉川緑道の終点(起点)です。
(今昔マップon the webより)


「其の331」から続いた旧玉川シリーズは今回で終わりです。

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其の335 旧玉川河道跡・玉川緑道を歩く

 愛甲堰から始めた用水路歩きがいつの間にか旧玉川探訪シリーズになりました。前回は旧玉川上流部を探訪したので今度は下流部です。10月12日(水)晴れ、15日(土)晴れの両日、旧玉川河道跡の玉川緑道を渋田川合流点まで歩いてきました。

旧玉川・厚木市愛甲東
「其の333 玉川の愛甲堰を訪ねる②」はここで探訪を終えました。暗渠水路のフタや点検口が途絶えた地点、厚木市愛甲東1丁目18です。今回はここからスタートし玉川緑道の終点(起点)まで歩きます。厚木市に照会したところこれから先は玉川緑道の下を雨水下水管として流れ、流末は渋田川を経由し花水川(金目川)に入るとの事でした。

小田原厚木道路(R271)
歩き始めてすぐ小田原厚木道路(R271)と交差します。歩道橋より東名高速厚木IC方面を望む。

玉川緑道起点(終点)R271
R271歩道橋から南へ向かう玉川緑道の起点(終点)が見えます。

玉川緑道
玉川緑道に入りました。車道も含めて旧玉川河道跡です。
車道歩道間の桜やツツジ並木が続き、安心して歩けます。

厚木市の都市下水マンホールフタ 厚木市の雨水マンホールフタ
緑道内のマンホールフタ。厚木市市章、都下(都市下水)、雨水の表示があります。下流では伊勢原市、平塚市のマンホールフタに変わります。

落合橋跡の碑
早速厚木市が建てた「落合橋跡」の碑に出合いました。
「新玉川」が完成するまで「旧玉川」に架かっていた橋で、上落合地区と石田地区を結ぶ唯一の橋であり昭和44年頃まで現存していた。また住民たちが集まる憩いの場としても親しまれた橋である。(碑文より)

旧玉川の碑
近くに「旧玉川」の碑も立っていました。碑文は小町神社入口の碑と同じです。

第二東名高速工事の様子
玉川緑道から見た第二東名高速の工事の様子です。

厚木市・伊勢原市管理区分境界標識
厚木市・伊勢原市管理区分標識が立っていました。これより先のマンホールフタは伊勢原市に変わります。

玉川緑道・八幡神社付近
八幡神社付近の玉川緑道。車道も歩道も旧河道跡です。

八幡神社境内の鐘楼
緑道歩きは単調なので道草をしました。玉川緑道沿い八幡神社境内の鐘楼です。神社さんに鐘楼?明治になるまで神仏混淆はあたり前でした。

大山道の道標・長沼交差点
県道22号線長沼交差点角の道標。上部に不動明王、正面に「右大山道」、左側面は不鮮明ですが多分「江ノ島道」、右側面に天保六乙未六月吉日(1835年)下落合村とあります。
江戸時代の大山信仰大山寺の本尊は不動明王です。

玉川緑道完成記念碑
その先に立派な「玉川緑道完成記念碑」が立っていました。大事なことが書いてありそうです。
玉川緑道完成記念碑 玉川緑道の由来
玉川緑道は昔、玉川と呼ばれた河川敷を利用し、生活道路と散策路を兼ね、整備をしたものであります。
その玉川は大山の東側が源で厚木市七沢から平塚市豊田まで約10kmの農業用水として、大きな役割を果たしてきましたが、大正12年の関東大震災後は、降雨のたびに河床が高くなり、豪雨の時にはたちまち氾濫して被害が続出し、美田を潤した玉川が、人命を奪う魔の川となってしまったので、昭和19年に現在の新玉川が造られました。その後玉川河川敷は、一部を残して開墾され食糧増産に利用されていましたが、近年沿線に家屋が立ち並び、河川敷の有効利用と周辺地域の環境整備を図る機運が高まり、昭和46年に平塚、厚木、伊勢原の三市で旧玉川整備促進協議会を設立し、神奈川県が事業主体となって、笠張川合流点から国道271号線までの約3.2kmの区間を、昭和54年度から57年度までの4か年間で、総事業費約6億円をかけ、整備したものであり、地域の住民に末長く親しまれるよう玉川緑道という愛称がつけられました。
昭和57年12月 神奈川県・平塚市・厚木市・伊勢原市

(碑文より)

西屋自治会館の庚申塔
西屋自治会館前で庚申塔を見つけました。高さが1.5mほどもある大きな庚申塔です。平成5年に御堂が建てられ、その銘板に建立年が刻まれています。延宝四年丙辰。1676年だから340年前です。古いです・・・。

新屋自治会館の大山道道標
こちらは新屋自治会館の大山道の道標です。
小稲葉・新屋自治会館所在。明治14年(1881)造立。不動明王の坐像を浮き彫りにしている。大山・平塚道、厚木道が彫られている。右は北方向、左は南と思われる。(平塚市教育委員会の案内板より)

玉川緑道の由来
稲荷神社付近の玉川緑道案内板。由来が書いてありますが、内容は先ほど見た玉川緑道完成記念碑と同じです。

旧玉川の橋跡、笠張川大神橋西
ここは玉川緑道の東側を並行して流れる笠張川に架かる大神橋の西100mの交差点です。玉川緑道上流を見る。今昔マップを見ると旧玉川にも橋が架かっていました。観察したところ橋跡遺構は見つからなかったです。残念。

玉川緑道
その先で玉川緑道が左へそれています。柳の大木の左方向です。

玉川緑道終点(起点)
柳の木の奥です。ここが玉川緑道南の終点(起点)です。前方は笠張川右岸堤防です。右側に玉川緑道の由来書き案内板がありますが中身は前出と同じです。

笠張川の吉際堰
幸いなことに玉川緑道終点近くの笠張川に農業用水の取水堰・吉際堰があり管理橋が架かっています。管理橋を左岸に渡りました。

雨水下水管が笠張川に合流
笠張川右岸に合流する玉川緑道の地下を通ってきた雨水下水管です。はるか上流の愛甲堰で取り入れた用水は下流で雨水下水となり笠張川に合流しました。

吉際堰管理橋より笠張川下流を望む
吉際堰管理橋より笠張川下流を望む。笠張川はここから1.5kmほど下流で渋田川に合流します。

玉川緑道完成記念碑に
「笠張川合流点から国道271号線までの約3.2kmの区間を」
と刻んでありました。大きい川が小さい川に合流はおかしいと思いつつ、それを真に受けて初日はここで探訪を切り上げました。帰宅後改めて今昔マップで確認すると旧玉川の合流点は渋田川です。記念碑にある笠張川合流点は雨水下水管の合流点と理解し、渋田川合流点までの旧玉川下流は二日目(10月15日)に歩いたので次回発表します。

今回のスタート地点、厚木市愛甲東1丁目です。

其の334 旧玉川上流部を探訪しました・神奈川県厚木市

 玉川に架かる籠堰橋上流の愛甲堰から始まる用水路(旧玉川の河道跡)を小田原厚木道路まで探訪し、「其の332~333」で発表しました。今回はその続きで旧玉川上流部です。
10月7日(金)晴れの日に行ってきました。

籠堰橋より玉川上流を望む
再び籠堰橋にやって来ました。籠堰橋より玉川上流を望む。
約2km上流の神明橋付近までこのような真っ直ぐな川です。
現在の玉川は前回述べたように、旧玉川の水害対策として新たに開削された川(ここでは以下新玉川)です。金目川水系から相模川水系に筋替え(流路変更)した神奈川県が管理する一級河川です。

前回は眼前の愛甲堰右岸から取り入れた用水路(旧玉川の河道跡)を小田厚道路近くまでたどりました。それは新玉川の右岸側を流れていました。対して籠堰橋より上流の旧玉川は新玉川の左岸側を流れていました。旧玉川は廃川になったので現在の地図には非表示ですが、幸いなことに「今昔マップ」と言う便利な地図があります。1927~1939にセットすると旧玉川の流路が見られます。

今日のスタート籠堰橋です。(今昔マップon the webより)
左側の昔マップを動かすと今マップが連動します。大きなマップはページ右サイドバーからリンクできます。



旧玉川河道跡
今昔マップを参考資料として探訪に出発です。籠堰橋を左岸に渡り厚木市環境みどり公社前を斜めに入る道です。この道が旧玉川河道跡です。

旧玉川河道跡
県道603号線を渡り石垣整形外科前です。まっすぐ伸びる道。旧河道跡と思われます。

旧玉川河道跡・神明公園前
その先右側明神公園前の旧河道です。この公園は溜池の明神池跡です。

旧玉川河道跡・上長谷バス停前
その先でバス通りに突き当たりました。上長谷バス停前です。
旧玉川はこの道沿いを西からこちらへ流れていました。

旧玉川河道跡
バス通りを西へ向かいます。歩道上にグレーチングの点検フタが続いています。旧河道跡を生かした排水路かも知れません。

旧玉川河道跡
増田屋の前で開渠になりました。クランク型に流路が変わっています。

旧玉川河道跡
増田屋前の道路を横断して西へ向かう暗渠排水路。点検フタがあるのでそれと分かります。旧玉川河道と一致しています。良い目印を発見しました。

旧玉川河道跡
県道63号線を横断したところで開渠になりました。民家の雨樋の先は水路です。これは雨水排水路ですね。

旧玉川河道跡・小町緑地沿い
右手の山、小町緑地沿いに出てきました。山沿いに流れる排水路。ここで農作業中のお年寄りと話ができました。この水路は旧玉川跡で間違いないとの事でほっと一安心。たどって来た水路は旧玉川の左岸側(山側)を利用した水路で、この辺りの旧玉川は幅が10m位の堤防がない川だったそうです。

旧玉川河道跡・小町神社入口
その先、小町神社入口の厚木市が立てた「旧玉川」の碑。
旧玉川は大山の東側が源で農業用水として大きな役割を果たしましたが、関東大震災後は降雨のたびに河床が高くなり度々氾濫して被害が続出した。かつては美田を潤した川が人命を奪う魔の川となったので昭和十九年に新玉川が造られた。 
(碑文より)
後述の玉川河川改修記念碑によると新玉川の完成は昭和21年です。 傍らに小町竹橋跡の案内板も立っていました。

小町神社・厚木市小野
入り口から小町神社まで200m、九十九折の階段を上りました。
山の上の小町神社です。ここは厚木市小野。
小野にある小町神社。才色兼備の小野小町を連想します。

小町神社・厚木市小野クリック拡大
案内板によると小野小町の出生地で小町姫を祭る神社です。
御利益逸話が紹介されています。
頼朝の側室丹後の局が頼朝の子を身ごもったことから政子に恨まれ、殺されそうになるが一説によると地元の愛甲三郎季孝が局をかくまってこの山里に住まわせた言い伝えあり。局は政子の恨みと精神的苦しみから一夜にして白髪になったが、小町神社の小町姫に祈願したところ元の黒髪に戻ったそうです。以来女性の参詣が多い。(案内板より要旨)

小町神社からの眺望
小町神社からの眺望です。新玉川が見えます。

旧玉川河道跡
その先の二股道です。暗渠水路は右の方へ続いています。
今昔マップによると左の道が旧玉川河道に似ているので左の道を選択。右の道の水路はこの先、細田川手前が起点でその先はありません。

新玉川・小野橋上流
左の道を進むと新玉川左岸、小野橋上流の頭首工前に出て来ました。転倒堰は倒伏していて取水は終わっています。

細田川
その上流新玉川左岸に細田川が合流しています。

旧玉川河道跡
旧玉川河道と思われる細田川右岸沿いに進み一本目の道を左折しました。暗渠水路が出現しました。これはこの先の田んぼの排水路で旧玉川とは無関係です。右手に黒色の車が見えます。駐車場です。

旧玉川河道跡
駐車場奥にブロック5段積みの擁壁(石垣)があります。今昔マップの旧玉川の河道と一致しています。おそらく旧玉川左岸の川縁と思われます。ずうっと奥(西北方向)へ続いています。

旧玉川河道跡
その先です。家ごとに種類の違う擁壁が続いています。駐車場から300m位でしょうか?緩くカーブしながら新玉川の方へ向かっています。カーブの先(画像の左枠外)は田んぼで手掛かりが消えました。背景は雨乞い信仰で有名な大山です。

旧玉川河道跡
上記写真の擁壁を上流の新玉川左岸堤防から見ました。カーブの延長線は手前の田んぼから新玉川へ向かっています。

神明橋より新玉川下流を望む
その上流神明橋から見た新玉川です。今昔マップによると上記擁壁のカーブ延長線はこの下流左岸のどこかに繋がっていると思います。そこで旧河道は断ち切られ新玉川に川筋が変更されました。
神明橋の700mほど上流で日向川、七沢川が合流し玉川となります。今日の探訪はここで切り上げ帰路につきました。

新玉川神明橋下流の取水堰
神明橋下流の取水堰です。固定堰プラス角落堰上げ、右岸取水です。今日は二つの取水堰を発見しました。来季の楽しみが増えました。

玉川改修記念碑・小野児童館
帰りは新玉川左岸堤防上の道を小野橋方面へ歩きました。
左手の小野児童館の庭に玉川改修記念碑が見えました。偶然の発見です。碑文の要旨を抜粋して記します。あまりおなじみでない用語が多く使われていて興味深いです。

玉川河川改修記念碑
本村小野部落を貫流する玉川河川は関東震災以来上流山嶽部より土砂の流出を受け河床は年々上昇し且つ川幅狭く屈曲極めて多かりしため出水毎の被害は堤塘の決潰耕地の流失等甚大なるも・・・
昭和十六年七月十二日夜半の水禍は最も大にして堤防は八ケ所に於いて決潰 沃地五十町歩は一瞬にして流埋没し村民必死の水防作業も遂に空しく家屋二十余棟を浚い尊い八名の水難犠牲者を出さしめたり
ここに於いて本村は愈々玉川の河川改修を実施することとなり大矢村長を始め議員有志等河野代議士石川県議等の協力を得て各方面に改修工事の実施方を運動船戸農水所長及び各関係者の絶大なる尽力により河川改修事業は総工費弐拾五万円也を以て昭和十七年一月県営工事として着工せられたり
たまたま太平洋戦争に禍ひ労力資材の不足は本工事に一大支障を招来するも軍隊の協力、学徒の動員更には地元部落民の一致団結の勤労作業はよくこれらの悪条件を克服し昭和廿一年四月河川改修を完了せしめ・・・完成を記念して碑を建立するものなり
昭和廿八年四月八日 設立者 玉川村
(碑文より抜粋)

軍隊、学徒、地元民挙げての人海戦術でやり遂げたんですね。河川改修工事は昭和17年1月県営工事として着工し戦後の昭和21年4月に完成しました。前回紹介した平塚市博物館の資料とほぼ同じ内容です。河川改修工事と並行して耕地の区画整理、暗渠排水路、客土等の土地改良工事も行われました。

小野児童館の庚申塔
おしまいに児童館庭片隅の庚申塔です。天保十己亥(1839年)の建立です。多分よそからここへ移したんでしょうね。

旧玉川の河道クリック拡大
旧玉川の河道です。(平塚市博物館発行「金目川の博物誌」より、黄色矢印と籠堰橋名加筆)

今日のスタート籠堰橋の位置です。

其の333 玉川の愛甲堰を訪ねる② 神奈川県厚木市

 前回「其の332」の続きです。玉川の愛甲堰から始まる用水路を下流へたどっています。前回は東名高速のトンネルまで進みました。9月27日(火)晴れの日に探訪しました。

愛甲堰から始まる用水路
トンネルを抜けたら幅の広い(1間半位ありそうです)暗渠に変わりました。

厚木市の都市下水マンホールフタ
暗渠上のマンホールフタ。厚木市の市章と「都市下水」の表示があります。厚木市が管理する雨水下水道に変わったのでしょうか。

愛甲堰から始まる用水路
広い暗渠フタの水路が続きます。

愛甲堰から始まる用水路
そのまま進むと一般道になり、道なりに進むとR246直前の水門にぶつかりました。

愛甲堰から始まる用水路
中の様子です。分水施設ですね。左岸は越流堰になっているので余水吐かも知れません。正面のゲートを閉めきると流れは「廻れ左」になり、排水路かも知れません。

R246人道トンネル
道路右側に蒲鉾型のR246を潜る人道用トンネルあり。私もトンネルを抜けました。なんだか自ら用水になったような気分です。

愛甲堰から始まる用水路
R246南側、今日三つ目の分水施設です。手前が分水用のゲート。奥のグレーチング点検フタの中が取水堰で転倒堰が収まっていると思います。その左側に転倒堰開閉器用点検口が見えます。
前方のコンクリート土手は小田急線です。

愛甲堰から始まる用水路・小田急線南
小田急線をトンネルで南側に潜りました。小田急線の土手を背に南方向を見る。フェンスで囲ってあり水路っぽいですね。

愛甲堰から始まる用水路・小田急線南
すぐ南側の橋から南方を見る。間違いなく暗渠水路です。

玉川橋
その南に橋が架かっています。この道は大山街道です。

玉川橋
橋の名前は「玉川橋」。
実は今日たどった用水路は探訪した後で「旧玉川」と言うことが分かりました。普通に歩けば土地改良区の注意看板などで用水路名の手掛かりは得られるのですが、今回は分らなかったですね・・・。グーグルマップ、地理院地図に水路名表示はなくe-かなマップ(神奈川県施設マップ)に表示がありました。なんと「旧玉川」とあります。この用水路が旧玉川!? びっくり仰天、初耳です。
「玉川橋」プレートを見た時点でも籠堰橋の玉川と結びつかなかったですね。感度が鈍すぎと言うより川幅や水量から見て想像するのはちょっと無理があります。

玉川改修記念碑
玉川橋西詰め大山街道沿いの記念碑です。
昭和十年十二月建立 「玉川改修記念碑」
昭和六年十月 一大洪水により堤防決壊橋梁流失
昭和八年三月 改修を見る 

(などの文字が読み取れました。碑文より抜粋)
旧玉川のヒントがここにもあったのです。

庚申塔・大山街道玉川橋付近
その隣の道標を兼ねた庚申塔です。「左大山道右江戸あつぎ道」などと刻まれています。

玉川橋より旧玉川下流を望む
玉川橋より下流を望む。暗渠の旧玉川です。

旧玉川
住宅街を流れる暗渠水路の旧玉川。点検口から覗くと水かさがあり音を立てて流れています。

旧玉川・宿下橋
暗渠フタの上を歩いていくと片平入口バス停前の宿下橋に着きました。

旧玉川・厚木市愛甲
「都市下水」表示がある厚木市のマンホールフタです。
暗渠フタの上を進みます。

旧玉川・厚木市愛甲東
この地点で暗渠フタが途絶えました。上流の北方向を見る。ゴミ集積所の脇に30cm位の点検口があり流水音が聞こえてきます。電柱の住居表示では、ここは厚木市愛甲東1丁目18です。

旧玉川・厚木市愛甲東
同地点から見た南方向です。暗渠フタも点検口もありませんが似た雰囲気の道が南へ続いています。前方に小田厚道路が横切っています。

旧玉川と分かったので地図上を下流へたどってみました。小田厚道路を横切った旧玉川は一路南下します。旧玉川の川筋は伊勢原市と厚木市、下流では伊勢原市と平塚市の境界線になっています。境界線は「玉川緑道」と表示され玉川の名前が残っています。
そして渋田川、歌川、笠張川の三川合流地点で旧玉川も合流し、渋田川となり、下流で鈴川を合せた後、金目川に合流し相模湾に注いでいます。
つまり旧玉川は元々金目川水系の河川だったものが近年相模川水系の河川に筋替えが行われ、その名残(旧河道)が今でも残っていると言うことです。

参考までに筋替えの経緯が書かれた文献を見つけたので引用します。
・大正12年(1923)9月1日の関東大震災で丹沢の山々が崩壊し、大雨のたびに土砂が玉川に流れ込んで玉川の河床が上がり、水害を誘発するようになった。
・大正12年以降、玉川の堤防決壊による水害は13回を数える。
・昭和14年(1939)神奈川県は玉川を相模川へ流す工事計画を発表。
・昭和16年(1941)過去最大の氾濫が当時の玉川村小野を襲う。死者8名、流失倒壊家屋31棟、母屋浸水62棟の大水害。
・昭和17年(1942)玉川を恩曽川に合わせ相模川に流す工事が着工。
・昭和21年(1946)完成。現在の新玉川が誕生。
・以後玉川の水害はなくなり、旧河道の一部は玉川緑道として整備された。

(平塚市博物館発行「金目川の博物誌」より抜粋)

探訪当日、これより先は雨水下水管に接続されたと判断し、探訪はここで切り上げ近くの小田急線愛甲石田駅へ向かいました。今日は思わぬ発見をして勉強になりました。まさか玉川に旧河道があったとは・・・。


籠堰橋より下流は今回探訪した通り旧河道跡が用水路(開渠暗渠)の形で残っています。旧玉川の上流部、籠堰橋より上流は新玉川の左岸側を流れていました。現在の地図にその跡は残っていません。いつか探訪したいですね。境川や平瀬川の旧河道を探訪したことがあるので大変興味があります。


今回のスタート東名高速のトンネル位置です。


其の332 玉川の愛甲堰を訪ねる① 神奈川県厚木市

 今年4月、伊勢原市を流れる渋田川の芝桜や比々多神社を巡った時に車窓から玉川を堰き止める頭首工が見えました。
以来気になっていたので改めて見に行きました。もちろんそこから始まる用水路を終点まで歩くつもりでした。
9月27日(火)晴れ、小田急線愛甲石田駅から神奈中バスに乗り籠堰橋下車。探訪開始です。2回に分けて発表します。

玉川の愛甲堰
玉川に架かる籠堰橋付近から見たこれがその頭首工です。
9月の末なので取水は終了しているのではと危惧したのですが幸いに取水堰は起立しています。右岸に操作室があり右岸から取水しています。操作室があるので転倒堰と思われます。
取水堰左の水門は土砂吐用ですね。魚道は両岸とも見当たらないです。
玉川は神奈川県が管理する相模川水系の一級河川です。
堰の名前は銘板がなく不明でしたが探訪後、神奈川県厚木土木事務所へ照会したところ厚木市が管理する愛甲堰と分りました。用水路名は不明。

愛甲堰から始まる用水路
右岸操作室横から見た取入れ直後の用水路の始まりです。
ここは厚木市小野と愛甲の境界付近です。

愛甲堰から始まる用水路
籠堰橋南の道路を潜り流下する用水路。上流を見る。
この日は一万分の一の地図を携え小田厚道路直前までこの用水路をたどりました。

愛甲堰から始まる用水路
流下する用水路。ここは厚木市愛甲西3丁目。

厚木市愛甲西3丁目の田んぼの風景
付近の田んぼ。稲の収穫作業が始まっていました。

愛甲堰から始まる用水路
右手の丘に沿って流下する用水路。

愛甲堰から始まる用水路
右手は丘、丘と低地を結ぶ道路下をトンネルで横断します。
このトンネル入り口直下を相模川右岸幹線用水路(西部用水)が直角に交差しています。用水路同士の立体交差です。地図上で確認できます。

相模川右岸幹線用水路(西部用水)愛甲隧道入り口
相模川右岸幹線用水路(西部用水)愛甲隧道入り口です。
入り口から30m位先で上記用水路の真下を通過しています。
4年前、西部用水を歩いた時にここに立ったので懐かしいです。
西部用水の起点は相模川の磯部頭首工で、平塚市岡崎、すのこ橋が終点です。

相模川右岸幹線用水路(西部用水)
愛甲隧道入り口付近から見た西部用水の上流方向です。
ここから200mほど上流で西部用水は玉川を伏越(ふせこし)・サイフォンで潜っています。今は稲刈りが始まっているので通水は止まっています。右側はポンプ揚水施設。

相模川右岸幹線用水路(西部用水)の注意看板
ユニークな注意看板。神奈川県と相模川西部土地改良区の連名です。

愛甲堰から始まる用水路
元へ戻ります。丘から来た道から用水路下流を見る。暗渠水路が続いています。

愛甲堰から始まる用水路沿いの白い彼岸花
暗渠水路上に下りて歩きました。水路沿いに白色の彼岸花が咲いていました。

愛甲堰から始まる用水路
その先で広い市道に出ました。立体交差の市道より用水路上流を見る。丘の裾に沿って流れています。

愛甲堰から始まる用水路・愛甲小付近
暗渠フタの用水路。前方の建物は愛甲小です。

愛甲堰から始まる用水路・愛甲小付近
住宅の間を流れる用水路。

愛甲堰から始まる用水路・愛甲小付近
愛甲小前で開渠になった用水路。

愛甲堰から始まる用水路・東名高速北
東名高速直前の用水路上流を見る。左右に取水施設が見えます。今日初めて見る分水施設です。

愛甲堰から始まる用水路・東名高速北
右岸から見た分水施設。水色の分水門(支線用水路の取入れ口)と取水堰(転倒堰)。転倒堰は倒伏しています。手前のシルバー色の施設は転倒堰の開閉器です。

愛甲堰から始まる用水路・東名高速と交差
用水路は東名高速をトンネルで潜ります。水路トンネル上の人道トンネルは学童の通学路になっています。探訪する者にとっても迂回不要で大助かりです。

行程の約半分進みました。小田厚道路までは次回投稿します。

今日のスタート愛甲堰の位置です。

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