横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の326 徳島堰を歩く⑥ 山梨県韮崎市~南アルプス市

 「徳島堰を歩く」の6回目でその最終回です。徳島堰の終点はどんなところでしょうか。探訪前から楽しみにしていました。
8月21日(日)晴れの日に探訪しました。

徳島堰・南アルプス市有野
第一調整池へ分水後南下する徳島堰。左岸沿いに桜並木が続きます。夏の終わりに鳴くツクツクボウシがアブラセミに交って大合唱です。

徳島堰・第二調整池取水堰
徳島堰では初めてみる転倒堰がありました。取水堰のようです。

徳島堰取水ゲート・第二調整池前
そのすぐ下流には小さな開口付きのスライドゲートがあります。

釜無川右岸第二調整池
左側を見ると釜無川右岸第二調整池がありました。徳島堰左岸から取り入れた用水の流入渠が調整池へ向かっています。この施設からパイプラインで果樹園へ送水されスプリンクラーで散水します。

徳島堰・制水門、南アルプス市飯野新田
その下流です。これは取水堰ではなく調整ゲートみたいです。

徳島堰・落差工、南アルプス市飯野新田
その下流で急激に高度を下げています。徳島堰終点間近です。この流れは徳島頭首工で取り入れた用水の余水と山側の田んぼから受け入れた排水が合わさったものです。

徳島堰終点の取水堰
徳島堰最後の水門(取水堰)です。これは水門直前左岸にスクリーン付き分水門(支線用水路の取水口)があるので徳島堰最後の取水堰ですね。土壇場で凄いですね・・・。ただし取水堰のゲートは開いているので現在取水はしていないです。

ここは南アルプス市飯野新田です。地図で測ると徳島頭首工から16.8km地点です。徳島堰の延長は約17kmなので大体合っていますが、確か徳島堰の終点は南アルプス市曲輪田新田でした。目の前にある支線用水路が南方の曲輪田新田まで延びているということでしょうかね。そうであればつじつまが合います。

堰尻川
最後の取水堰(右側の水色の水門)の下流です。徳島堰は正面左の小河川とここで合流し堰尻川と名前を変えます。ここまで交差してきた河川と決して交わらなかった徳島堰がここにきてとうとう合流していまいました。

堰尻川
始まったばかりの堰尻川上流を望む。奥に徳島堰最後の取水堰が見えます。

堰尻川
少し下流右岸より堰尻川下流を望む。用水路ではなく普通の川です。下流に操作室があり用水を取り入れているみたいです。

堰尻川の農業用水取水施設
近づいて観察するとやはり農業用水の取水施設でした。転倒堰で堰上げし左岸から取水しています。

堰尻川の農業用水取水施設
下流から見るとこのようになっています。床固工(落差工)の上流、管理橋の下に転倒堰が見えます。凄いですね・・・。徳島堰の流末から150mほど下流ですぐに取水しています。あくなき水の利用には本当に感心します。

堰尻川は下流で滝沢川と名前を変え富士川町大椚で天井川の坪川と合流し、富士川大橋上流付近で釜無川に合流します。下流で滝沢川は天井川化しています。
徳島堰の下流が滝沢川とは・・・本当に奇遇ですね。昨年4月甲府盆地の天井川を巡った時に探訪したので河口付近の滝沢川のことはよく承知しています。

丸二日間かけて徳島堰を歩きました。このあとは第一調整池前の南アルプス街道まで戻り甲府駅行きのバスに乗りました。
惜しむらくは徳島頭首工ですね。

今回のスタート釜無川右岸第一調整池取水口の位置です。

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其の325 徳島堰を歩く⑤ 山梨県韮崎市~南アルプス市

 前回「其の324」の続きです。前回は甘利沢暗渠を過ぎ鋳物師屋バス停前の分水施設まで進みました。探訪したのは8月21日(日)晴れの日です。

徳島堰・割羽沢上流
その先、珍しく右岸に排水門があります。割羽沢と立体交差です。

徳島堰・割羽沢立体交差
割羽沢を渡る徳島堰。右から左へ水路橋で渡っています。

徳島堰より割羽沢下流を望む
徳島堰より割羽沢下流を望む。珍しく水の流れがあります。下流で御勅使川(みだいがわ)に合流しています。

徳島堰・韮崎市旭町上条北割
割羽沢を過ぎ勢いよく流下する徳島堰。一見落差工のように見えますがそうではありません。護岸は平坦なままです。水路の底にコンクリートの固定堰を設け水位を上げています。このようなところには左岸に取水施設があります。下流に来るに従い流量減、水位低下によりこのようなやり方を採っていると思います。こんな取水堰が増えてきました。

徳島堰・大門沢暗渠手前
今度は大門沢と立体交差です。水色の排水門の先が大門沢暗渠入り口です。大門沢左岸と右側の建物の高さを比較すると大門沢はここでは天井川化しています。

大門沢右岸より徳島堰下流を望む
大門沢右岸より徳島堰下流を望む。この写真からも大門沢が天井川化しているのが分かります。民家が下の方にあります。

大門沢橋より大門沢上流を望む
大門沢橋より大門沢上流を望む。ほんのちょっとだけ流れがありますがここも水無川です。

大門沢橋より大門沢下流を望む
同下流を望む。低地の水田地帯に急降下する大門沢。

一級河川大門沢川の標識
山梨県が管理する一級河川大門沢川の標識。傍に土石流危険渓流の看板も立っていました。

半鐘・韮崎市山寺分館付近
今時珍しい半鐘です。韮崎市旭町上條南割山寺分館付近。

徳島堰の分水桝
その先にまた方形の分水施設がありました。奥と手前の二方向へ分水しています。右側にハンドルが見えます。中を覗くと300mm位の鉄管にバルブが付いていました。ハンドルはバルブ開閉用でした。

徳島堰より棚田を眺める
その付近の棚田の風景。背景は八ヶ岳です。頂にかかっていた雲がようやく取れ山の端がくっきり。ここは韮崎市旭町上條南割竹ノ内。

徳島堰分水用取水堰韮崎市旭町
徳島堰を歩いて初めて見るスライドゲート式の水門(取水堰)です。ゲートを下げて徳島堰の水位を上げ支線用水路に分水しています。これから終点までに10か所くらいありました。これまでのような固定堰では取水するには不十分と言うことでしょう。

徳島堰・御勅使川暗渠入口
その先に水色の除塵機がありその奥にはトンネルが口を開けています。ここは御勅使川を潜るための施設「御勅使川暗渠」の入り口になります。伏越(ふせこし・サイフォン)ではなく暗渠なんですね・・・。左側の水路壁は一段低くなっています。余水吐ですね。排水門もあります。深い排水路からトンネルで御勅使川へ排水していると思います。

御勅上橋より御勅使川上流を望む
御勅使上橋より御勅使川上流を望む。

御勅上橋より御勅使川下流を望む
同下流を望む。御勅使川は暴れ川と言う印象を持っていましたが見たところ優しそうな川です。御勅使川が山から運んだ砂礫ばかりが目立ちます。御勅使川暗渠はこの川底を左から右へ潜り抜けています。暗渠とありますが多分コンクリート管の水路トンネルと思われます。
この写真からは両岸の建物の様子が分かりませんが、伏越・サイフォンではなく単純に水路トンネルで横断ということは御勅使川の川底が周りより高く天井川化しているものと思われます。

参考までに地理院地図で徳島堰沿いの標高を調べてみました。
・御勅使川暗渠入り口付近・・・406.9m
・御勅使川河道内・・・408.0~413.7mまで色々
・桝形堤防遺構付近・・・406.9m
・御勅使川暗渠出口付近・・・406.8m
明らかに天井川ですね。それも江戸の昔から。歩いていてもそんなことは全く気づきません。

桝形堤防の遺構
御勅使上橋を渡り南アルプス市に入りました。これは御勅使川暗渠上の「桝形堤防」の遺構です。上から見ると将棋の駒形(Ⅴ字形)で後田堰の取入れ口後田水門を守っていました。下流には御勅使川旧堤防(将棋頭)遺構がありこの辺りは改めて探訪したいところですね。

御勅使川暗渠出口
御勅使川暗渠出口の上から下流を見たところです。出口銘板に「御勅使川暗渠」。入り口からの延長を地図で測ると840mありました。御勅使川の川幅は150m位ですが江戸時代では大変な難工事だったと思います。トンネルの材料は何を使ったのでしょう。また施工方法なども気になります。
さて暗渠出口の正面に取水用の水門(取水堰)があり、左側の水門から分水しています。

釜無川右岸地区畑地かんがい事業第一調整池
分水した用水はこの施設、釜無川右岸地区畑地かんがい事業「第一調整池」へ送られ、最終的にはパイプラインで果樹園へ送水されます。

第一調整池前「水温興農」記念碑
第一調整池前の「水温興農」記念碑。釜無川土地改良区連合理事長金丸信と刻まれています。
釜無川右岸地区畑地かんがい事業は美土里ネット釜無川HPに詳しい紹介記事があります。

今回はここまでです。次回は徳島堰終点までを投稿します。

今回のスタート割羽沢の位置です。

其の324 徳島堰を歩く④ 山梨県韮崎市~南アルプス市

 前回「其の323」の続きです。徳島堰終点まで三回に分けて発表します。前回は武田八幡神社入口交差点まで進みました。

徳島堰・武田神社入口交差点
武田八幡神社入口交差点より徳島堰下流を望む。

2016/08/21NHKニュースウオッチ9
8月21日のNHKニュースウオッチ9の画像です。
2016/08/21 12:00現在の衛星写真です。台風10号、9号と北海道付近の11号が目玉まで鮮明に写っています。
私はこの時刻に甲府盆地の徳島堰を歩いていました。(^σ^)
この季節に気温が30℃以下で湿度が低くなおかつ青空のもとなんていう好条件は贅沢と言うものです。朝青空だったので一瞬の隙をついて行ってきました。どんな日和だったかは以下の画像をご覧ください。台風9号は翌22日千葉県館山市に上陸しました。

徳島堰・八幡沢上流
100mほど進んだところで道から外れ右の山側へカーブしています。八幡沢と立体交差するためです。これまで見たパターンと同じです。

ところで徳島堰(とくしまぜき)は用水路なんですが、なぜ「堰」と呼ぶのでしょう。探訪中に案内パネルを見つけたので記します。
現在「堰」といえば川の水を堰き止める川の横断方向工作物の意味ですが、古くは取水施設+用水路を総称して堰(セギ)と呼んでいました。 (Fujikawa Meseum徳島堰案内パネルより)
神奈川県西部にも酒匂堰、鬼柳堰と称する用水路があります。


徳島堰・八幡沢上流
左岸の排水門の先にトンネルの入り口があります。

徳島堰・八幡沢暗渠
入口に「八幡沢暗渠」の銘板が埋め込んであります。

徳島堰のマルバルコウ
暗渠フェンスに咲くマルバルコウ。毎年今頃になるとあちこちで見かけます。江戸時代に観賞用として育てられていたのが野生化しました。熱帯アメリカ原産の帰化植物です。花径15mm位。

八幡沢
八幡沢暗渠上から見た八幡沢上流。幅3mほどの細い沢です。

徳島堰・八幡沢暗渠出口
八幡沢暗渠の出口です。

徳島堰・八幡沢への排水路
これは八幡沢から見た上記排水門からの排水路です。通水期を終えるとゲートを開き八幡沢左岸に排水します。これも今まで見てきた通り同じパターンです。

徳島堰・八幡沢暗渠下流
森の中を流下し元の道沿いに向う徳島堰。

徳島堰
その先で見かけた右岸の階段です。収穫した野菜を洗うのでしょうかね。そうではなく徳島堰の維持管理用の階段で落水後ここから水路内に下り清掃や補修などを行うためと想像します。こんな階段は随所にありました。

徳島堰・白沢と交差
次の立体交差は白沢です。白沢の下をトンネルで潜り抜けます。これまではいったん上流部へ迂回していたのが真っ直ぐ潜り抜けています。

徳島堰・白沢暗渠銘板
トンネル入り口の銘板です。「白沢暗渠 韮崎市長 横内要」

白沢橋より白沢上流を望む
白沢橋より白沢上流を望む。山梨県が管理する一級河川です。

白沢橋より白沢下流を望む
同下流を望む。水無川です。これまで横断した河川はほとんどがこんな川でした。農業用水の水源としては不適格な河川と分かります。水はけのよい砂礫で出来た扇状地地形のためで、河川は多いが慢性の水不足地帯です。荒れ地を美田に変えた徳島堰開削の意義を実感します。

徳島堰の分水施設・白沢橋下流
左岸の分水施設。初めて見るタイプです。コンクリートの桝の中にゲートあると思われます。

白沢橋下流の水神様
そばにあった石祀です。水神様と思われます。文政四年巳十二月吉日と刻まれています。徳島堰開削からおよそ150年後の建立です。

徳島堰・甘利沢暗渠上流
その次の立体交差は甘利沢です。突き当りが甘利沢暗渠入口です。前方左岸に水色の排水門が見えます。

徳島堰・甘利沢暗渠上流
これは甘利沢暗渠入り口から徳島堰上流を見たところです。固定堰で堰上げをしています。

甘利沢橋より甘利沢上流を望む
甘利沢橋より甘利沢上流を望む。ここも水無川です。

甘利沢橋より甘利沢下流を望む
同下流を望む。段々の落差工(床固工)が連続し釜無川に向って急降下しています。

土石流危険渓流・甘利沢川
山梨県が立てた土石流危険渓流の警告看板。富士川水系甘利沢川。

徳島堰と用水路の立体交差
その先で見た山側から来た用水路と徳島堰の立体交差。今は徳島堰を渡っていますが、角落し板を差し替えることにより徳島堰へ排水ができるようになっています。

徳島堰左岸の分水施設
左岸に方形の分水桝がありました。徳島堰から取り入れ奥と手前の用水路に分水しています。正確な二等分かどうかは分りません。方形を下から吹き上がる円筒にすれば円筒分水になりますね。ここは韮崎市民バス鋳物師屋バス停前です。

途中ですがこの先は「其の325」で発表いたします。

今回のスタート武田八幡神社入口交差点の位置です。

其の323 徳島堰を歩く③ 山梨県韮崎市~南アルプス市

 前回「其の322」の続きです。前回は唐沢暗渠を過ぎ釜無川や田んぼが見通せる位置まで進みました。探訪したのは8月6日(土)晴れの日です。

徳島堰・雨宮寺前
その先雨宮寺前を流下する徳島堰。ここは韮崎市清哲町折井。

徳島堰・桐沢付近
その下流左岸に水門があります。桐沢左岸への排水門です。

徳島堰・桐沢暗渠入口
桐沢を潜るためにトンネルに入ります。入口銘板に「桐沢暗渠」。

小桐橋より桐沢上流を望む
県道12号線小桐橋から見た桐沢上流。二段の落差工(床固工)が見えますが桐沢暗渠は上段の地下を通過しています。
交差地点は小桐橋から約200m上流ですが、桐沢が急激に降下していることがよく分かります。

徳島堰・桐沢暗渠出口
桐沢暗渠の出口です。出口銘板に「徳島用水」。

徳島堰・桐沢右岸への排水門
その下流左岸に水門があります。桐沢への排水門。灌漑時期を終え通水を止めるとここから桐沢右岸へ排水するようになっています。交差する川に排水するおなじみの風景です。

徳島堰・常光寺沢と交差
次の立体交差は常光寺沢です。常光寺沢が水路橋で徳島堰を渡っています。入り口にはなぜか「常光寺暗渠」の銘板です。

徳島堰より常光寺沢上流を望む
徳島堰より常光寺沢上流を望む。

徳島堰
その先、森の中を流下する徳島堰。ここは韮崎市清哲町樋口。

徳島堰・山から来た用水路と交差
その下流で見た徳島堰と山側から来た用水路の立体交差です。ほとんどの山側田んぼの余水排水は徳島堰に流れ込むのですがこんなケースもあります。

徳島堰・堅沢付近
堅沢(たつざわ)暗渠上流の徳島堰。上流を見る。左岸に水門があります。堅沢左岸への排水門です。

徳島堰・堅沢暗渠入口
その下流、堅沢暗渠入り口です。

堅沢橋より堅沢上流を望む
堅沢橋より堅沢上流を望む。川幅いっぱいに草が茫々で河川水の流れが見えません。

徳島堰・堅沢暗渠出口
堅沢暗渠出口です。

徳島堰・堅沢暗渠出口銘板
堅沢暗渠出口の銘板です。「堅澤暗渠 昭和四十六年二月 徳島堰土地改良区理事長今井三郎」

徳島堰・武田神社入口交差点
その先、武田八幡神社入口交差点まで来ました。交差点より徳島堰下流を望む。

時刻は16:00前。予定通りこの交差点に着きました。交差点を左折し約2.8km、道なりにだらだらと坂を下り、釜無川を渡るとJR中央本線韮崎駅に至ります。

徳島堰延長17kmの約半分を歩きました。残り半分は近々お天気の良い日を選んで探訪する予定です。

今回のスタート雨宮寺前の地図です。



其の322 徳島堰を歩く② 山梨県韮崎市~南アルプス市

 前回「其の321」の続きです。前回は韮崎市円野町下円井の公民館南側まで進みました。

徳島堰
その先、戸沢を渡るため県道12号線からそれ大きく右へカーブした徳島堰。急がば回れで標高を保ったまま戸沢の上流部をトンネルで渡ります。真っ直ぐ進むと長い水路橋で戸沢を渡ることになります。江戸時代に長い水路橋は技術的に困難だったと思います。現代ではそれが可能でも費用や維持管理面で採用されることはないと思われます。それと山から釜無川に流れ込む川はすべて土石流危険渓流です。土石流が発生すると水路橋が壊される恐れがあります。危険ですね。
右側の水門は排水門です。実りの秋通水を終える頃にこの水門から戸沢左岸へ排水されると思います。

徳島堰・戸沢暗渠入口
その下流でトンネルに入る徳島堰。入口の銘板に「戸沢暗渠」と書かれています。暗渠とありますがフタがされているわけでもなくこれはトンネルですね。

徳島堰と交差する戸沢
戸沢の広い河原です。中央にほんのちょっぴり流れがあります。ところがたった300mほど下流の県道12号線の橋の下では広くて深い谷になっています。

徳島堰・戸沢暗渠出口
右側道路下が戸沢暗渠出口です。

戸沢右岸を流下する徳島堰
その下流左へ大きくカーブします。制水門と排水門が見えます。左手の戸沢右岸に排水します。

戸沢右岸を流下する徳島堰
標高を維持したまま県道12号線へ戻る徳島堰。

徳島堰入戸野第三発電所
その下流に徳島堰の流れを利用した水力発電所がありました。「どっどっどっ、どっどっどっ」と規則正しく回っています。遠くから見た時は除塵機が運転しているかと思ったのですが発電所でした。これは徳島堰入戸野第三発電所(振子式下掛水車)です。下流に第二第一と3基が連続して設置されています。

徳島堰入戸野第二発電所
回る水車。徳島堰入戸野第二発電所。

徳島堰入戸野第三発電所
韮崎市役所が設置した説明パネルです。只今の発電量13kw。

徳島堰・入戸野沢と交差
その先で入戸野沢と立体交差です。入戸野沢が水路橋で徳島堰を渡っています。

入戸野沢を潜った徳島堰
入戸野沢を潜った徳島堰。脇に火の見櫓が立っています。

徳島堰・宝蔵時前
再び県道12号線に近づく徳島堰。宝蔵寺前。

徳島堰・唐沢暗渠入口
県道から離れ唐沢を潜るためにトンネルへ入る徳島堰。入口の銘板に「唐沢暗渠」とありました。

徳島堰・唐沢支流と交差
唐沢暗渠を出た後唐沢支流と立体交差する徳島堰。上を渡る水路橋が唐沢支流です。

徳島堰・韮崎市清哲町折居
森の中を流下する徳島堰。ここは韮崎市清哲町折居。

徳島堰・韮崎市清哲町折居
右岸に害獣除けの電気柵が設置してありました。

徳島堰から支線用水路へ分水
徳島堰左岸から見た徳島堰から分水を受けた支線用水路。低地の田んぼに向かっています。

韮崎市清哲町折居の田んぼ
その先の田んぼの風景。釜無川左岸河岸段丘と釜無川。釜無川と徳島堰の間に広がる田んぼ。位置関係はスタート直後地点と変わらないです。
はるか下の方を釜無川が流れています。徳島堰は山沿いを流れ標高を保っていることが分かります。

地理院地図で標高を調べました。数字は雄弁です。
・徳島頭首工=徳島堰の始まり・・・452.5m
・徳島堰この付近(韮崎市清哲町折居)・・・437.1m
・ここから見た田んぼ・・・410~423.7m
・ここから見た釜無川(河道内)・・・405.8m



途中ですが今回はここまでです。

今回のスタート地点、韮崎市円野町下円井の公民館南側です。


其の321 徳島堰を歩く① 山梨県韮崎市~南アルプス市

 日本三大堰と言われる徳島堰を歩いてきました。今回は延長17kmの約半分を歩きました。三回に分けて投稿いたします。
最寄駅は中央本線日野春駅です。

始めに徳島堰の概要です。疎水名鑑から引用いたします。
徳島堰は韮崎市円野町から南アルプス市曲輪田新田に至る延長約17km、釜無川沿岸の段丘扇状地御勅使川扇状地にまたがっている。釜無川を水源としている。
寛文10年(1670)、当時の江戸深川の徳島兵左衛門俊正なる人が私財を投じて開削した。その後、甲斐の国は幕府の直轄領であったので、甲府代官がこれを引き継ぎ維持管理支配。
明治以降関係町村の徳島堰組合として運営されてきたが、昭和34年5月土地改良法に基づく徳島堰土地改良区となる。
開削以来300余年老朽化が甚だしく、昭和40年10月より昭和49年8月迄9年の歳月をかけて国営事業により全面的に改修された。その際、完全改修に伴う漏水防止による余水と、取水の若干増量とにより、長年常習早魃に苦しむ徳島堰流末の畑地に対し、スプリンクラーによる灌漑とが併せ計画され、徳島堰を基幹とし下流4町村の畑地を灌漑する。

(疎水名鑑より抜粋)

徳島堰
徳島堰の始まりです。釜無川右岸徳島頭首工(東京電力釜無川第三発電所放流水含む)から取り入れた農業用水路の始まりです。右側に操作室があります。

徳島頭首工
フェンス越しに見た操作室です。記念碑や碑文が刻まれた石碑が立っています。操作室前は駐車場広場で徳島堰案内パネルが3枚立っています。今日8月6日は土曜日。頭首工を自由に見学できる前提(私の勝手な思い込みでした)で訪れたのですが残念ながら門が閉まっていて中に入れません。

徳島頭首工案内板
駐車場前の案内パネルです。遠くて読めません。奥にオレンジ色の取水ゲートが見えます。

徳島堰
徳島頭首工施設見学は後の機会に譲ることにして、延長17kmの徳島堰の終点目指してスタートしました。300mほど歩くと左岸に水門がありました。流量調整(余水吐)兼排水門と思われます。地図でたどると排水路は釜無川に流れ込んでいます。

徳島堰
R20(甲州街道)手前まで下ってきました。進行方向右手は山(南アルプス)、左手は低地の田んぼと釜無川という位置関係になります。徳島堰は釜無川と南アルプスの間を流れ下り左側低地の水田に用水を供給しています。

徳島堰
R20を潜り右手山側沿いに蛇行して流下する徳島堰。

徳島堰・寺沢川サイホン
その先で今日初めての河川と徳島堰の立体交差です。南アルプスの山々から幾筋かの川や沢が釜無川に流れ込んでいます。徳島堰はそれらの河川と決して交わることなく流れ下って行きます。事前に地図で調べたところ十数カ所の河川と交差しています。徳島堰歩きの見どころは交差の仕方(伏越か隧道・暗渠または水路橋)をじっくり観察することです。一番の楽しみにしていました。
さて、ここは流水音からして伏越の呑口ですね。呑口(伏越入口側)に「流水不易」の銘板が埋め込まれています。時代が変わっても用水の流れは変わらないという意味でしょうか。交差する河川名は寺沢川です。

寺沢川
交差点下流から見た寺沢川。徳島堰は橋の向こう側右から左へ寺沢川の下を潜っています。

徳島堰・寺沢川サイホン
寺沢川を潜った伏越の吐口です。伏越の名前は銘板に「寺沢サイホン」。浮遊ゴミはいただけません。地元の人や農家は決してゴミを用水路に捨てないので多分通りがかった車からポイでしょう。恥ずかしいですね。

土石流危険渓流・富士川水系寺沢川
山梨県が立てた「土石流危険渓流 富士川水系寺沢川」の看板。この先で交差するほとんどの川に立っていました。

徳島堰由来
その先で見つけた平成7年8月吉日 平成案山子カーニバル実行委員会作成の「徳島堰由来」案内板です。
この堰は古くから日本三大堰(柳川堰、箱根堰、徳島堰)中随一と言われています。
通水量 7.96㎥/秒
灌漑面積は水田1559ha 畑2052ha

(徳島堰由来より抜粋)

徳島堰から分水ゲート
田んぼへ送る用水の分水ゲート。徳島堰の水位を特に上げることなくそのままの流れから取り込んでいます。このタイプのゲートが多かったですね。

徳島堰の支線用水路
分水ゲートから田んぼへ向かう用水路。前方の山並みは釜無川左岸の段丘崖です。中央本線は段丘上の台地を走っています。

徳島堰へ排水する用水路
徳島堰右岸で山側の田んぼから余水排水を受け入れています。随所で見かけました。この用水はどこから取り入れたのでしょう。多分、沢や湧水からと思われます。

徳島堰・井沢伏越サイフォン
今日二つ目の伏越です。井沢を潜る伏越の呑口です。

井沢伏越より井沢上流を望む
井沢伏越(ふせこし・サイフォン)より井沢上流を望む。

徳島堰・井沢伏越サイフォン
井沢を潜った伏越の吐口です。ごぼごぼと吹き上がっています。

徳島堰・伏越呑口(徳水不息)
50mほど下流でまた地下に潜ります。伏越の呑口と思われます。銘板に「徳水不息」と書かれています。

徳島堰と交差する河川
徳島堰と交差するこの川を潜るための伏越でした。

徳島堰・円野町下円井
130mほど地下を潜って県道12号線に出てきた徳島堰。
ここは韮崎市円野町下円井、公民館の南側です。

途中ですが今回はここまでです。続きは次回「其の322」で発表します。

徳島頭首工の位置です。

其の320 四ヶ堰円筒分水を訪ねる・長野県塩尻市

 7月30日(土)晴れ、長野県塩尻市まで遠征して円筒分水を見てきました。思わぬおまけ(伏越に遭遇)があり私的には面白い旅になりました。伏越はおしまいの方で登場します。

四ヶ堰円筒分水
四ヶ堰円筒分水の全景です。写真奥から来た用水路・四ヶ堰が除塵機を経て円筒分水で大中小5本の用水路に分水しています。内2本は通水なし。

四ヶ堰円筒分水

四ヶ堰円筒分水
接近しました。中央円筒から吹き上がり周りに越流しています。
流水音が凄い迫力です。

四ヶ堰円筒分水
東側の様子です。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
上記で分水後北東へ向かう2本の用水路。左端の細い水路は通水がありません。

四ヶ堰円筒分水
西側の様子。外形寸法は不明ですが二ヶ領用水久地円筒分水と似た形式です。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
上記で分水後北へ向かう用水路。左右の細い用水路には通水していません。

四ヶ堰円筒分水
上流側から見た四ヶ堰円筒分水。円筒分水の上流に除塵機があります。前方の高架橋は長野自動車道です。

四ヶ堰円筒分水・除塵機
拙ブログによく登場する除塵機です。今日はお天気、草や木の枝などゴミの流入がなく四ヶ堰の用水がきれいな流れなので除塵機は稼働していませんでした。ゴミをひっかける金具付きの幅2.4mのループ状のものをぐるぐる回してゴミをひっかけ上に引揚げ後ろの箱に落とします。なかなか運転中の除塵機を見る機会はありませんが、一度だけ試運転を見たことがあります。浮遊するペットボトルなども引揚げます。
除塵機を通過した用水は地下水路に落下し円筒分水中央から吹き上がります。

四ヶ堰円筒分水・除塵機銘板
除塵機の銘板です。
四ヵ堰用水円筒分水場自動除塵機とあります。
昭和62年2月に製作されました。
純径間2.4m×有効高さ1.35m 処理能力は4.10t/H

四ヶ堰円筒分水へ向かう四ヶ堰
除塵機へ向かう四ヶ堰。この用水は約3.2km上流の奈良井川(信濃川水系一級河川)右岸から取水しています。

四ヶ堰開鑿百年記念碑
構内の一角に立てられた四ヶ堰開鑿百年記念碑。全国土地改良事業団体連合会会長小坂善太郎氏の名前が刻まれています。

四ヶ堰円筒分水改修工事竣工記念碑
北側丘の上から円筒分水施設を見守る記念碑。
昭和28年3月 四ヶ堰改修工事竣工日建立。 (碑文より)

四ヶ堰円筒分水からの用水路
一通り見学したので篠ノ井線村井駅への帰り道、分水後北東へ向かう用水路沿いに歩きました。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
長野自動車道塩尻北IC信号前から見た用水路。右側の用水路をたどります。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
北東へ向かう用水路。28日に関東甲信地方は梅雨が明けました。夏本番の青空と雲。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
その先、信州健康ランド裏を流れる用水路。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
その先で篠ノ井線を伏越(ふせこし)で渡る用水路。手前の呑口桝で地下に落下し線路下を横断し向こう側の吐口桝で吹き上がります。伏越はサイフォンとも逆サイフォンとも呼ばれています。
伏越やゴム堰は何時も思わぬところで遭遇します。楽しいですね・・・。(^σ^)

四ヶ堰円筒分水からの用水路
篠ノ井線を渡り写真奥の伏越吐口桝からこちらへ流れる用水路。

四ヶ堰円筒分水からの用水路
その下流です。工場敷地内を流下し田んぼへ向かう用水路。地理院地図によるとこの先に村井町南地区の田んぼがあります。

このあとは近くの村井駅へ向かいました。今回の円筒分水も読者情報で探訪しました。ご紹介ありがとうございました。おまけで鉄道を伏越で横断する用水路を見られて良かったです。現役の用水路で鉄道を横断する伏越は(西部用水と小田急線の伏越立体交差に次いで)二例目です。あまり見ることがない珍しいケースです。(^λ^)

四ヶ堰円筒分水の位置です。

其の319 二ヶ領用水と登戸ポンプ場

 二ヶ領用水と登戸ポンプ場、並べて書いても全く関係がなさそうに思えますが、実は大ありなんですよね・・・。
川崎市多摩区の二ヶ領用水を歩き布田堰、中野島堰、一本圦堰を見つけ、そこから始まる中野島堰→川原堀、一本圦堰→大堀をそれぞれ終点まで歩きました。いずれの用水路も途中から川崎市上下水道局の雨水用下水管渠(登戸雨水幹線)となり登戸ポンプ場経由多摩川へ排水されていることが分かりました。
まだ歩いていない布田堰から始まる新田堀も同様で登戸ポンプ場経由多摩川へ排水されています。

今回は登戸ポンプ場の働きと仕組みをすこし勉強したので簡単に取り上げてみます。私は登戸雨水幹線の平常時、増水時と多摩川増水時の水の流れ方、排水樋管ゲートの開閉、調圧水槽の働きなどに興味を持ちました。
7月23日(土)晴れの日に探訪しました。

川崎市上下水道局登戸ポンプ場
多摩川右岸堤防から見た川崎市上下水道局登戸ポンプ場です。目立たない地味な施設です。右手桜の木の下が登戸雨水幹線です。

川崎市上下水道局登戸ポンプ場
桜の木の下のアップです。新田堀、川原堀、大堀の用排水はすべてここへ流れてきます。ゴミ除けスクリーン、ゲートを経て奥の登戸ポンプ場へ流れて行きます。
今日はお天気なので用排水の流れだけですが登戸ポンプ場は管内(川崎市上下水道局登戸排水区)の雨水を多摩川へ排除するためのポンプ場なのでこの流れに雨水が加わります。

川崎市上下水道局登戸ポンプ場
西側から見た登戸ポンプ場。ゲート、除塵機、ポンプ室、調圧水槽などが見えます。

川崎市上下水道局登戸ポンプ場
北側から見た登戸ポンプ場。ポンプ室から吐出管が二本出ています。右側の調圧水槽経由登戸排水樋管から多摩川へ排水されます。
なお調圧水槽とはポンプで高圧状態となった放流水を調圧水槽に通すことで排水管や排水路などに対する放流水の衝撃を和らげることによりポンプ場の施設を保護する役割があるそうです。

登戸排水樋管
多摩川右岸の登戸排水樋管です。背景の鉄橋は小田急線です。

登戸排水樋管
堤防の外側から見た登戸排水樋管。(2016/4/6撮影)

登戸排水樋管ゲート
登戸排水樋管ゲート。今日はお天気なのでポンプは稼働していません。自然流下排水のみで流れはほとんどありません。多摩川が大雨で増水し登戸ポンプ場へ逆流の恐れがあるときこのゲートは閉じるのでしょうか?

登戸排水樋管銘板
登戸排水樋管の銘板です。
1979(昭和54)年3月に関東地方建設局が造りました。
管理者は川崎市。


施設をざっと見ましたがポンプ場へ流れ込む雨水はどのような経路で排水されるのでしょう。二通りの流れがあります。
(1) 今日のような平常時
ポンプを経由することなく自然流下で調圧水槽経由登戸排水樋管から排水されます。場内の水路ゲート(調圧水槽の手前にあります)は開の状態。
(2) 多摩川が増水し自然流下で排水が困難な時
場内の水路ゲートを閉じ自然流下の水路を閉鎖。閉鎖によりポンプ経由の水路に切り替わります。ポンプが稼働し調圧水槽経由登戸排水樋管から多摩川へ排水されます。

ポンプ場内水位と多摩川の水位を較べ逆勾配の時にポンプを稼働させるようになっています。大雨で登戸雨水幹線が増水した場合でも勾配があれば自然流下で排水されます。

私が興味を持った登戸排水樋管ゲートの開閉については
降っても照っても登戸ポンプ場の排水(の出口)はここだけで、自然流下、ポンプ排水時もここから排水されます。従って水色の樋管ゲートはいつも写真のように開きっぱなしです。多摩川の水位>場内水位の時は多摩川から逆流の恐れがあります。場内の水路ゲートが閉じ、ポンプが稼働するのでその心配はありません。

じゃ何のためのゲート?多摩川が堤防から溢れるくらい大増水したときに閉じると思われます。同時に登戸排水区一帯が大雨で登戸雨水幹線が増水すると最悪の事態になります。唯一の排水出口が閉じるので排水不能となり堤防内が水浸しとなりますが、めったにないことだと思います。

登戸の渡しの碑
おしまいに登戸排水樋管脇に立つ「登戸の渡し」の碑です。
江戸との往還にかかる重要な渡しであった。江戸時代は宿河原あたりから、終わりの頃は小田急線鉄橋のやや上流から対岸の和泉に渡った。1952(昭和27)年に廃止。
2008年3月 NPO法人多摩川エコミュージアム 川崎市
 
(碑文より)

今回の記事は川崎市上下水道局提供資料を参考にしました。

川崎市上下水道局登戸ポンプ場の位置です。


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