横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の305 三沢川の農業用水取水施設を訪ねる

 今年二月、「其の275」で旧三沢川を河口から上流へたどりました。その時最後に農業用水取水施設と思われる倒伏したゴム堰を見つけました。以来気になっていたのでその様子を見に行きました。行ったのは5月26日(木)晴れの日です。

三沢川の農業用水取水施設
今日は京王相模原線稲田堤駅からの歩きです。このようにゴム堰が起立し貯水しています。田んぼに水を送る頃を狙って訪れ、大正解でした。
左上の白い建物は操作室(ゴム堰、揚水ポンプの操作室)です。表札も銘板もありませんが、近所の人の話では神奈川県が造った施設です。三沢川は神奈川県が管理する一級河川なのでなるほどと納得。

新旧三沢川分岐点
今年二月に訪ねた時はこんな状態でした。ゴム堰は倒伏してぺしゃんこです。

三沢川の農業用水取水施設取水口
今日の取水口です。旧三沢川の水はここから取り入れます。

三沢川の農業用水取水施設より三沢川上流を望む
取水口付近より三沢川上流を望む。右岸側の山は小沢城址です。お城の石垣跡はありませんが、空堀、物見台、櫓台、馬場などがあります。

旧三沢川
ポンプ揚水した旧三沢川の始まりです。

小沢城址上り口
上記付近の小沢城址の上り口です。巨人軍のジャイアンツ球場が山頂近くにあります。ファームの選手たちがトレーニングでこの山を上り下りするそうです。

旧三沢川
ウォーキングを兼ねているので下流へたどりました。角落し板で堰上げし左岸から取水していました。地元のお年寄りの話ではゴム堰の取水施設ができた当時、4軒の稲作農家が旧三沢川を用水として利用していたそうです。昨年は2軒に減ったそうです。この用水路をたどればこの辺りでは珍しい田んぼが見られるかも知れません。ここは多摩区菅北浦二丁目。

旧三沢川の水門・東菅小北
東菅小学校北の水門。旧三沢川を堰き止め分水する働きをしています。

旧三沢川の分水
二方向(手前の広い用水路と右側の細い用水路)へ分水しています。

旧三沢川から取水の用水路
広い用水路下流を望む。細い方の用水路は通水がなく、広い用水路を下流へたどることにしました。旧三沢川とはここでお別れです。旧三沢川は中野島中付近で二ヶ領用水に合流します。

旧三沢川から取水の用水路・菅馬場2
菅馬場2丁目を流れる用水路。上流を見る。このように水路沿いに道がなくコの字型に大きく迂回しながらたどりました。

旧三沢川から取水の用水路・生田1
川崎市多摩区生田1丁目、生田浄水場近くを流れる用水路。

旧三沢川から取水の用水路・府中街道南
府中街道手前で分岐。左側の開渠をたどります。

旧三沢川から取水の用水路・生田1
府中街道を潜り流下する用水路。生田1丁目。この辺りは二ヶ領用水とほぼ平行に流れています。

旧三沢川から取水の用水路・一本圦橋付近
幅一間の暗渠水路になりました。二ヶ領用水一本圦橋南付近。

旧三沢川から取水の用水路・山下川付近
ゴール(河口)間近。前方左右に横切るフェンスは山下川左岸です。

山下川に合流する旧三沢川から取水の用水路
山下川に合流する旧三沢川から取り入れた用水路の流末。結局、所どころ大きく迂回したせいか田んぼは見られなかったですね。取水すれば堰上げにより用水路の水位が上がるので分るのですがそれも見かけなかったです。何のために流しているのでしょう。多分街に潤いを与える環境用水として流しているものと思われます。

二ヶ領用水台和橋
山下川は合流点のすぐ下流、台和橋で二ヶ領用水(二ヶ領本川)に合流します。二ヶ領用水に架かる台和橋と左が山下川。

台和橋の小泉次太夫レリーフ
台和橋親柱の小泉次太夫のレリーフです。 「川崎の育ての親二ヶ領用水 二ヶ領用水は『次太夫堀』とも呼ばれ慶長十六年(1611年)に完成しました」

ダンダンキキョウ・桔梗草クリック拡大
おしまいに今日の探訪記念、桔梗草・別名ダンダンキキョウです。指月橋下流の旧三沢川沿いで見つけました。

三沢川の農業用水取水施設・ゴム堰の位置です。


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其の304 甲州市の岩堂セギ円筒分水庫を訪ねる

 5月22日(日)晴れ、山梨県甲州市の円筒分水を見に行きました。甲府盆地といえば昨年(平成27年)、河川の立体交差や天井川を見るために足繁く通ったことがあり、慣れ親しんだところです。

菱山道路隧道
今日はJR中央本線勝沼ぶどう郷駅からの歩きです。目的地は歩いて30分位のところですが、あちこち見ながら歩くので時間がかかります。これは駅を出て右手にある菱山道路隧道です。
上部(奥の方)が明治36年(1903)中央本線開通時に、下部(こちら側)は大正2年(1913)勝沼駅開設に伴い造られたレンガ積みアーチ構造の隧道。長さ29m、幅3m。(案内パネルより要旨)

ブドウ畑・勝沼ぶどう郷駅付近
菱山道路隧道を抜け広い通りを道なりに進みます。道路左側、緑滴るブドウ畑の風景。

ブドウの房
道路際まで伸びたブドウの房。これから花が咲いて実が大きく育つのでしょう。摘房(てきぼう)と言って房を間引き整理する作業があちこちの畑で行われていました。この写真は摘房前です。

鎧石・甲州市
道端のヒビだらけの石。案内板に「鎧石」と刻まれていました。

簀の子橋水管橋
鬢櫛川(びんぐしがわ)に架かる逆三角トラス形式の水管橋。峡東地域広域水道企業団・簀の子橋(すのこばし)水管橋です。

簀の子橋水管橋
鬢櫛川右岸、簀の子橋水管橋支持部です。水道管に伸縮可撓管を使う理由は分りますが、橋本体にも伸縮を吸収するための工夫がされています。

岩堂セギ円筒分水庫
進行方向左側、下り坂の途中にある円筒分水に到着です。水音ですぐわかりました。

岩堂セギ円筒分水庫案内パネルクリック拡大
案内パネルが立っています。
「甲州市塩山牛奥 岩堂セギ円筒分水庫(昭和2年)」

岩堂セギ円筒分水庫
少し接近。外側の円筒が三つに仕切られ三方向に分水しています。手前に二筋。右奥に一筋の流れがあります。

岩堂セギ円筒分水庫
さらに接近し内側の円筒を覗きこみました。中央の吐口から吹き上がっています。内側円筒の周りに(1方向×4個)の穴が開いています。すべての穴は確認できませんでしたが(3方向×4個=12個)あると思われます。用水は穴径が同一で水平が保たれていれば正確に三等分されます。

岩堂セギ円筒分水庫・甲州市塩山牛奥
内側から外側円筒へ流れ込む様子。

岩堂セギ円筒分水庫・甲州市塩山牛奥
上流側から見た岩堂セギ円筒分水庫。

岩堂セギ円筒分水庫・甲州市塩山牛奥
同じく上流側から見た岩堂セギ円筒分水庫・内側の円筒。穴の数(1方向×4個)を確認できます。

岩堂セギ円筒分水庫から分水を受けた用水路
分水された二筋の用水路の流れ。二筋が隣り合わせで斜面を下っています。この先で左右に分かれます。

岩堂セギ円筒分水庫から分水を受けた用水路
道路側溝のようなもう一筋の流れ。こちらも坂道を下っています。地元の方の話ではこの用水路は元々田んぼに用水を送るために引かれたがその後田んぼがなくなり今は畑の灌漑用に使われているそうです。

果樹園のスプリンクラー散水風景
一筋の用水路を下流へ少しだけたどってみました。これは用水路沿いの果樹園の水遣りの風景です。スプリンクラーで散水しています。円筒分水からの用水を利用していないことが分かります。

末端制御所
これは付近の末端制御所の建物です。銘板のような表札に「左岸第3-1分水」などと書いてあります。地元の方の話ではこの辺り一帯の果樹園のかんがい用水は笛吹川の広瀬ダムから取水した笛吹川畑かんでまかなっているそうです。この建物は笛吹川畑かんの末端施設と思われます。

岩堂セギ円筒分水庫・甲州市塩山牛奥
岩堂セギ円筒分水庫に戻りました。円筒分水の上流側から見たところです。用水はゴミ除けのスクリーンを通って(伏越でいえば呑口から)地下へ落下し内側円筒の中央下部から吹き上がります。

岩堂セギ円筒分水庫上流の用水路
勝沼ぶどう郷駅への帰り道なのでこの用水路の水源を探索することにしました。先ほど通った簀の子橋水管橋近くを流れる用水路。

岩堂セギ円筒分水庫上流の用水路
鬢櫛川(びんぐしがわ)右岸沿いに流れる用水路。用水路にフタがしてあります。手前の水門は余水吐け。

岩堂セギ円筒分水庫上流の用水路
中央本線の下あたりで取水していました。

岩堂セギ円筒分水庫上流の用水路水源
取入れ口です。ここはちょうど鬢櫛川の落差工の上に当たるところです。

古宮神社・蚕影ノ神
帰り道、古宮神社へ参拝。境内の一角に蚕影ノ神が祀ってありました。現在この辺りはどこも果樹園で一杯ですがその昔は養蚕が盛んだったことが窺われます。今昔マップを見ると桑の木記号から果樹園記号への移り変わりが確認できます。

庚申塔・甲州市菱山
駅近くの道端で庚申塔を見つけました。正面の主尊は青面金剛ではなく文字です。庚申の二文字がかろうじて読めます。左側面に鶏の浮彫。下部の三猿が小さいですね。先日、世田谷区野毛の善養寺の大き目の三猿を見ているので特にそう感じます。建立は元禄14年(1701)とありました。


以上私にとって横浜水道下九沢分水池、二ヶ領用水久地円筒分水に次いで三つ目の円筒分水探訪でした。今回は拙ブログ愛読者さま情報により探訪しました。ご紹介ありがとうございました。円筒分水は面白いです。これからもあちこち探訪するつもりです。


岩堂セギ円筒分水庫の位置です。

其の303 多摩川旧堤の陸閘を訪ねる・大田区羽田

 5月15日(日)晴れ、多摩川河口近くの陸閘(りっこう)を見に行きました。陸閘は拙ブログでは二子玉川、調布市多摩川に次いで三度目の登場です。

五十間鼻より多摩川河口を望む
京急空港線天空橋駅から弁天橋を渡り、多摩川と海老取川合流地点にやってきました。石積み沈床「五十間鼻」より多摩川河口を望む。五十間鼻の左が海老取川、右が多摩川です。現地案内パネルによると、ここは初日の出の絶景スポットだそうです。

河口付近の多摩川・大田区羽田6
これは現在の多摩川左岸堤防です。漁船が繋がれています。船と陸上を日常的に往来するために、このように堤防をまたぐように階段が設けてあります。陸閘があればこんな階段は不要です。

多摩川の赤レンガの堤防
陸閘は多摩川旧堤(多摩川の赤レンガの堤防)に今でも多数残っています。五十間鼻の西、玉川弁財天から始まる赤レンガの堤防に沿って歩きました。赤レンガの堤防は現在の堤防の内側に東西に築かれています。
歩き始めてすぐに陸閘を見つけました。ゲートをはめ込む縦溝が切ってあります。縦溝がないところは後年、通行のため堤防を取り壊した開口と思います。

多摩川の赤レンガの堤防と陸閘
陸閘と縦溝アップです。

多摩川の赤レンガの堤防と陸閘
二重ゲートの陸閘もありました。

多摩川の赤レンガの堤防
陸閘がないところには階段が設けてあります。

多摩川の赤レンガの堤防と階段
鉄製の階段もありました。

多摩川の赤レンガの堤防・大師橋付近
大師橋付近の赤レンガの堤防。

多摩川の赤レンガの堤防・大師橋付近
同じく大師橋付近の赤レンガの堤防です。

多摩川の赤レンガの堤防・大師橋付近
この辺りは陸閘がないので階段を設置したのでしょうか。鉄製の階段跡が残っていました。レンガのイギリス積み工法がはっきり写っています。
陸閘の数は赤レンガの堤防延長約800mの間に10か所くらいありました。

今日見た赤レンガの堤防は、大正から昭和の初期にかけての多摩川改修工事で造られた堤防です。丸子川を河口まで探訪した時に六郷用水樋管近くで見た「多摩川治水記念碑」の記事を参考のため再掲します。

多摩川治水記念碑
おしまいに六郷用水樋管近くの巨大な記念碑です。
「多摩川治水記念碑」昭和十一年六月建立
多摩川下流改修工事 
起工 大正七年四月 竣工 昭和九年三月
工費 六百二十一萬円  
(碑文より)

この記念碑の内容は「其の294」玉川陸閘で引用した京浜河川事務所の記事と一致しています。この記念碑は国の直轄「多摩川改修工事」を指しています。
この堤防は国の直轄で「多摩川改修工事」が行われ、大正7年(1918)着工、昭和8年(1933)完成。工事対象区間は河口から二子の渡しの少し上流まで約22km。現在残る世田谷区玉川1丁目から野毛2丁目付近の堤防もこの時築かれた。
(国土交通省京浜河川事務所HPより引用)

二子玉川、調布市多摩川の陸閘の記事です。
「其の294 多摩川旧堤の陸閘を訪ねる・世田谷区二子玉川」
「其の295 多摩川の陸閘を訪ねる・調布市多摩川5丁目」

玉川弁財天前の位置です。

其の302 仙川の浄化施設から谷戸川・谷沢川へ

 前回「其の301」の探訪で仙川浄化施設の概要が分かったので浄化水の送り先、谷戸川と谷沢川の様子を見に行きました。谷沢川は等々力渓谷から河口まで歩いたことがあるので上流部の川の表情に興味がありました。どんな川かな・・?楽しみでしたが結果は・・・。5月15日(日)晴れの日に探訪しました。

首都高・用賀駅付近
東急田園都市線用賀駅近くの首都高です。

谷沢川・田中橋付近
谷沢川は首都高高架橋の下を流れていました。田中橋下流より上流を望む。清流ではありません。水量はわずかです。
仙川浄化施設を出た浄化水は谷戸川、谷沢川の順に送られます。行程の都合で谷沢川から先に見て行きます。

谷沢川・田中橋下流
同下流を望む。両岸は駐輪場です。川底、両岸ともコンクリートで固めた雨水幹線のような川です。等々力渓谷を流れる谷沢川とはイメージがかけ離れすぎですが、街中なのでまあこんなもんかも知れません。

谷沢川・仙川浄化水の放流施設
仙川からの浄化水は西方から来るので、右岸の放流管に注目して歩いていたら、寿橋下流左岸にこんな施設が。傍らに仙川浄化施設で見た説明パネルとよく似たパネルが立っています。これが谷沢川への放流施設でした。

ここから2kmほど離れた仙川に浄化施設を造り、礫間接触酸化法できれいにした水をここまで送り、当公園の噴水やせせらぎの水として谷沢川に流している。水量豊かな魚や水生昆虫が住める谷沢川・等々力渓谷を取り戻すためにこの水が役立っている。 (説明パネルより要旨)

仙川浄化施設説明パネルクリック拡大
前回載せた関係する河川図です。地図で測るとここからおよそ2.2km下流から等々力渓谷が始まっています。

谷沢川・仙川浄化水の放流施設
右岸にも人工的なせせらぎがありました。これは仙川浄化施設から送られてきた浄化水の吐出口です。親水公園風にし、ひと手間かけてから谷沢川へ放流しています。

谷沢川・仙川浄化水の放流口
せせらぎの末端で谷沢川へ落すようになっています。谷沢川へ落ちる浄化水を見たかったのですが、なぜか今日は流れがありません。残念でした!今日は看板に偽りありですね。用賀駅は二子玉川駅の次の駅なので日を改めて再訪したいと思います。

谷戸川・四之橋
次に谷戸川の様子を見に行きました。首都高沿いに西へ向かいます。谷戸川に架かる四之橋です。水管橋が架かっています。黒色の太い管が仙川浄化施設からの浄化水導水管です。労することなくあっさり見つけました。
右岸の白いボックスは分水弁現場盤です。関係施設と思います。

仙川浄化施設・四之橋Φ350水管橋
水管橋中央の空気抜き弁に名札かかけてあります。「礫間浄化施設 世田谷区 Φ350 平成5年3月」。仙川浄化施設からΦ350の鋼管で送っていることが分かりました。

四之橋より谷戸川下流を望む
四之橋から谷戸川下流を望む。谷沢川に比べ水量が豊かできれいな自然な川です。仙川の浄化水をどこから谷戸川へ落としているのかは発見できず。このあとは谷戸川を下流へたどりました。

七之橋より谷戸川上流を望む
七之橋より谷戸川上流を望む。

谷戸川・もみじが丘バス停
谷戸川の上にバス停があります。岡本もみじが丘バス停でした。

丸子川に谷戸川が合流・世田谷区岡本2
下山橋上流、岡本公園のはずれで丸子川(こちら側の川)へ合流する谷戸川。丸子川源流を探訪した時「其の299」でここを通りました。
谷沢川、谷戸川探訪はここで終え、静嘉堂文庫前から二子川行きのバスに乗車しもう一つの目的地へ向かいました。         

用賀駅近く寿橋の位置です。



其の301 仙川の浄化施設を見てきました

 前回「其の300」で丸子川源流を探訪した時に仙川の浄化施設に出合いました。場所は丸子川源流近く氷川橋・新打越橋間です。拙ブログでは平瀬川浄化施設、野川浄化施設に次いで三つ目の河川表流水の浄化施設です。
丸子川源流と同じ日、5月7日(土)晴れの日に見てきました。

仙川の浄化施設はこんな働きをしています。
現地説明パネルから引用します。
●施設の目的
この浄化施設は「礫間接触酸化法(れきかんせっしょくさんかほう)」という方法により、水中の石についた微生物の働きを利用して河川の水をきれいのするものです。浄化後の水を使って仙川の水質をよくするとともに、地下導水管で谷戸川と谷沢川に送り、これらの河川もきれいにします。特に谷沢川下流部には景観美で名高い等々力渓谷があり、当施設が潤いのある川づくりに役立っています。
●施設の特徴
・礫間接触酸化法のため石を河床の下に詰めて、土地を有効活用しています。
・仙川の水量に応じてゴム堰の高さを調節するなど、施設の運転を自動化しています。
・浄化施設の情報を光ケーブルなどで世田谷区砧総合支所に送り、人間による施設の監視もしています。
                 東京都建設局 世田谷区役所 

(現地の仙川浄化施設説明パネルより)

仙川浄化施設説明パネルクリック拡大
これは現地説明パネルに描かれた関係河川図です。浄化水は現在地から延長2200mの導水管で谷戸川、谷沢川へ送水されています。
丸子川には送っていません。世田谷区に確認したところ、丸子川は水量があるので対象外とのことです。なお送り方は自然流下ではなくポンプで圧送しているそうです。谷戸川は下流の岡本公園の東端で丸子川に合流するので結果的に丸子川にも仙川の水が流れていることになります。
等々力渓谷は先日歩いたばかりですが、あの清流に仙川から送られた浄化水も混じっていたんですね・・・。驚きました。

仙川浄化施設
氷川橋より仙川上流を望む。上流の橋は新打越橋です。仙川の浄化施設は氷川橋・新打越橋間にあるのでこれが浄化施設の全景です。河床の地下にある施設なので見えるものは限られています。
左岸に茶色の逆J字管が4本見えます。これは地下にある導水ポンプ室の換気用です。そばにこげ茶色の小屋が見えますが、これはポンプ室の入り口だそうです。ポンプ室付近の地下にはきれいになった水を貯める水槽があると思います。

仙川浄化施設・ゴム堰と魚道
これは新打越橋下流から仙川上流を見たところです。倒伏したゴム堰と魚道が見えます。仙川浄化施設の一部です。水は川幅いっぱいに平均して流れています。

新打越橋より仙川上流を望む
新打越橋より仙川上流を望む。普通の流れです。前回探訪した丸子川源流付近が見えます。

仙川浄化施設・取水口とゴム堰
上流側から観察できる施設を見て行きます。これは新打越橋下流、左岸の取水口とゴム堰です。ゴム堰は倒伏状態です。現在は水量が十分あるので起立させることなく浄化施設の運転が可能なのでしょう。ゴム堰が倒伏していても地下の曝気室に表流水を取り込める構造になっているようです。表流水は曝気後、石を詰め込んだ礫槽に流れて行きます。この辺りは平瀬川浄化施設と同じ流れ(浄化工程)です。

ゴム堰の上の白い建物は仙川浄化施設操作室です。施設全体(ゴム堰の起立倒伏、曝気、導水ポンプなど)をここで操作しますが、普段は世田谷区の庁舎から遠隔操作しているそうです。

曝気(ばっき)とは
水を空気にさらし、液体に空気を供給する行為。空気を送り込む場合は曝気ではなくエアレーションと呼ばれる。 主に水に対し酸素を供給する場合にこの語が用いられる。浄水処理の方法の一つ。酸素を供給することで水中の微生物有機物の分解を促進させる。 

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

仙川浄化施設・ゴム堰と魚道
これは右岸のゴム堰と魚道です。ゴム堰を挟んで魚道があります。上流側にごみ除けのスクリーンがありますが開口は大きめです。魚道を通過する水は浄化しないので素通りとなります。

仙川浄化施設・右岸寄り水路
右岸側の水路。これはゴム堰を起立させた(空気で膨らませた)時の河川水や魚の通り道になると思います。

仙川浄化施設
右岸から見た河床の様子。重石のブロックの下に石(礫)が詰め込んであると思います。その深さは少なくとも2m位はあると思います。ちなみに平瀬川浄化施設の浄化礫槽内流入枝管、集水枝管はΦ1100の有孔管でした。

仙川浄化施設・河底のマンホールフタ
珍しい水中のマンホールフタ。ゴム堰を起立させると礫槽の上に表流水は流れないので川底から表面に出てくると思います。


平瀬川浄化施設や野川浄化施設はそれぞれ浄化後多摩川へ放流し、結果的に多摩川の浄化に役立っていました。仙川浄化施設は谷戸川、谷沢川へきれいにした水を供給することでやはり多摩川の浄化に役立っています。

平瀬川浄化施設を見ているのでどうしても比較してしまいます。平瀬川浄化施設は多摩川河川敷を浄化礫槽として利用していました。仙川は河川敷がない川です。苦肉の策でしょうが川底を掘り下げて浄化礫槽を造りました。谷戸川や谷沢川送水を含めて素人目には奇想天外に映ります。巧く考えましたね・・・感心します。仙川、谷戸川、谷沢川をきれいな川にしたい一心からのアイデアと思います。

谷沢川・仙川浄化施設整備工事銘板
おしまいに仙川浄化施設工事の銘板です。氷川橋上流左岸の護岸で見つけました。築造年月築造者が分かります。
1993年2月(平成5年2月)
谷沢川・仙川浄化施設整備工事(その2)
←延長118m 
東京都
錢高・小樽建設共同企業体施工
(銘板より)


関連する過去記事です。
「其の292 再び平瀬川河口へ・平瀬川浄化施設を訪ねる」
(2016/4投稿)
「其の293 野川河口の野川浄化施設を訪ねる」 
(2016/4投稿)

氷川橋の位置です。

其の300 丸子川を歩く・谷沢川右岸から源流へ②

前回「其の299」の続きです。丸子川を源流へ遡っています。

世田谷区岡本・岡本民家園
丸子川沿いの岡本民家園を訪ねました。

岡本民家園・昔の農機具展示
昔の農機具が展示してあります。右から脱穀機、唐箕、籾摺機など。

岡本隧道・世田谷区岡本2
岡本民家園奥の岡本隧道です。こんなところで管路隧道に出合うとは!まったくの想定外でびっくりしました。

これは砧下浄水所から弦巻の駒沢給水所へ向かう送水管を通す隧道です。高さ2m、幅2.5m、長さ120mのトンネル。中には直径80cmの送水管が通っています。前身は大正13年完成の渋谷町水道(現在の渋谷区)。 (案内パネルより抜粋)

砧下浄水所は「其の269 相模川の水が東京へ・東京分水の話」の続きで訪れたたことがあります。話がつながりました。弦巻の駒沢給水所はいつか訪ねたいと思います。

丸子川・世田谷区岡本2
丸子川へ戻りました。岡本民家園上流の公園化された丸子川。

丸子川・岡本2、鎌田3境界
その上流、岡本2丁目・鎌田3丁目境界を流れる丸子川。

丸子川のアオサギ
丸子川で何を想うかアオサギが一羽。

丸子川・仙川の水神橋付近
葦原のような丸子川を抜け大きな橋(水神橋)のたもとに着きました。電柱左の橋が仙川に架かる水神橋です。

水神橋より仙川上流を望む
水神橋より仙川上流を望む。一万分の一の地図を眺めると、丸子川はこの地点で仙川から分岐しているように見えますが、そうではありませんでした。

仙川と丸子川
このように仙川と並行に流れています。左が仙川、右が丸子川。

西谷戸橋付近の丸子川
水神橋の一つ上流の橋、西谷戸橋で丸子川は暗渠になります。

暗渠の丸子川・西谷戸橋付近
仙川に沿って上流へ続く暗渠(幅は1.2mくらい)の丸子川。西谷戸橋付近。

暗渠の丸子川・新打越橋付近
氷川橋の手前で暗渠フタは消えますが、新打越橋の上流で再び出現します。前方の高架橋は東名高速です。

暗渠の丸子川・世田谷区岡本3
暗渠フタをたどって行くと東名高速のフェンスに突き当たりました。フェンス内に桝があり鉄板のフタがしてあります。開渠の流れはフェンス内右手から来ています。源流間近です。

丸子川源流・世田谷区岡本3
右折し東名高速のフェンス沿いに約50mたどったところです。フェンスと民有地に阻まれこれより先は探索不可です。

丸子川源流・世田谷区岡本3-25
上記の拡大写真です。確かに湧水と思われるきれいな水が流れています。ここは国分寺崖線の縁に当たるところと思います。丸子川源流は東名高速敷地内、国分寺崖線の湧水でした。

丸子川源流・世田谷区岡本3-25
傍らに立つ電柱の住居表示「世田谷区岡本三丁目25」です。
どうにか丸子川の源流まで到達しました。この後は多摩堤通りへ出て二子玉川駅行のバスに乗りました。

次回は途中通った氷川橋上流の仙川浄化施設を取り上げる予定です。仙川浄化施設は今日二つ目の想定外の大収穫です。
拙ブログでは平瀬川浄化施設、野川浄化施設に次いで三つ目の河川表流水浄化施設となります。

今回のスタート岡本民家園の位置です。

其の299 丸子川を歩く・谷沢川右岸から源流へ①

 「其の297」で丸子川を河口まで歩いたので、逆に源流の様子を見たくなり行ってきました。谷沢川・丸子川が交差しているように見えた谷沢川右岸から上流へたどりました。毎回歩くたびに何かしら新たな発見があり面白いのですが、今回も私好みのものが二つほど見つかりました。  
長いので2回に分けて投稿いたします。探訪したのは5月7日(土)晴れの日です。

大山道二子の渡し
今日は東急線二子玉川駅からバスに乗り最寄りのバス停玉堤小からの歩きです。これは二子玉川バス停前歩道の路面に描かれた「大山道二子の渡し」です。背景に大山がしっかり入っています。

谷沢川左岸の丸子川源流
谷沢川左岸のポンプ揚水の湧水へ再びやってきました。今日も元気に吹き上げています。ここから丸子川下流部が始まります。

谷沢川左岸・丸子川源流
あれっ?吹き上がりが止りました。前回来ているので吹き上がりに強弱があるのは知っていましたが、完全停止です。地下の水槽の水位を検知しON,OFF運転をしているみたいです。水の流れが止まった川底にカワニナと思われる巻貝がうじゃうじゃいました。右手前、茶色の粒々がそれです。

谷沢川を背に丸子川上流を望む
谷沢川を背に丸子川上流を望む。谷沢川・丸子川交差(実際には交差していません)については「其の296」で詳述しました。

丸子川・野毛2丁目流見橋
野毛2丁目の流見橋より上流を望む。護岸が3段の深い川です。河床はコンクリートで固めてあり、ゆったりとした流れです。

世田谷百景野毛の善養寺
丸子川沿い世田谷百景野毛の善養寺です。お寺さんに大きな狛犬?左右一対あります。

善養寺境内の大榧(おおかや)
善養寺境内の大榧(おおかや)。昭和39年に都の天然記念物に指定されました。

善養寺境内の庚申塔
善養寺境内の石仏群の中の一体、船形の庚申塔です。「庚申待寛文八年戊申年」と刻まれています。寛文八年(1668年)はおよそ350年前です。古いですね~。正面の主尊は青面金剛像が一般的でよく見かけますが、こちらはお地蔵さんです。
珍しいので探訪後、民俗の先生に教えを請うと、「17世紀後半頃まではさまざまなものが主尊となっており、本搭は三猿が主尊に比べて大きめなことなどから、青面金剛が主尊として普及する以前の古い形態を示す庚申塔といえる」と言うことが分かりました。

おもいはせの路(国分寺崖線散歩道)
野毛2丁目、丸子川沿いの道端に石祠のようなものが立っています。おもいはせの路(国分寺崖線散歩道)と書いてあります。

国分寺崖線・世田谷区上野毛
左岸側は深い森です。丸子川(六郷用水)が国分寺崖線沿いに流れているのが分かります。川底はコンクリート、シートパイルとブロックの2段護岸。国分寺崖線とは大昔に多摩川が武蔵野台地を削り取ってできた崖の連なりです。河岸段丘のことですね。私が住む相模原市でも相模川が作った典型的な河岸段丘が見られます。

東急東横線を潜る丸子川
東急東横線を潜る丸子川。下流を見る。

丸子川・瀬田一丁目
瀬田1丁目を流れる丸子川。上流に古びた橋が架かっています。逍遥橋と言い昭和47年に竣工した橋です。

R246・多摩川通りを潜った丸子川
R246・玉川通りを潜り抜けた丸子川。川沿いの道がありません。仕方がないので急な階段を上り迂回します。

丸子川・治太夫橋上流
治太夫橋上流の丸子川。いくらか浅くなった気がします。

多摩川4丁目丸子川の樋管
その上流に樋管がありました。「みんなの川丸子川 世田谷区」と書いてあります。丸子川へ流入するのか、その逆なのかは分かりません。

丸子川暗渠水路・玉川4丁目
樋管を背に南方を見るとこのように幅2m位の暗渠がまっすぐ伸びています。この先には野川が流れています。やや下り勾配なので野川への放水路かも知れません。

丸子川の樋管・下山橋上流
これは下山橋上流の樋管です。ゴミ除けスクリーンが付いているで丸子川が増水した時の放水路の入り口と思います。

丸子川に谷戸川が合流
そのすぐ上流で谷戸川が合流しています。後述しますが谷戸川上流に仙川浄化施設で浄化したきれいな水が補給されています。

丸子川左岸に湧水が流入・岡本公園
左岸の国分寺崖線の森(岡本公園)から湧水が流れ込んでいます。

岡本公園前の丸子川
岡本公園沿いを流れる丸子川。川の表情がすっかり変わりました。

丸子川源流まであと少しですがこの続きは次回投稿いたします。

今日のスタート地点です。

其の298 東京水道・調布取水堰を見てきました

 4月29日(金)昭和の日、晴れ。丸子川を歩いた時にその河口付近で東京都水道局調布取水堰に出くわしました。こんなところで水道用水の取水堰とは・・犬も歩けば棒に当たる!予期せぬ儲けものの出合いです。閘門付きの珍しい取水堰です。左岸から一通り見てきたので、以下短く投稿いたします。

東京都水道局調布取水所
多摩堤通り沿いの東京都水道局調布取水所。後方に取水施設が見えます。

東京水道・調布取水堰
下流から見た調布取水堰の全景です。
左岸の青色の管理橋下が魚道、閘門(上流閘門、下流閘門)、第一水門、第二水門、魚道、起伏堰×5、固定堰の順に並んでいます。

調布取水堰・閘門
一番興味深いのは閘門です。左から下流閘門、閘室、上流閘門。ネット越しに撮影したので周りにネットが写りました。

調布取水堰・閘門
閘室と上流閘門。第一水門、第二水門などが見えます。

東京水道・調布取水堰
上流側から見た調布取水堰。
左から上流閘門、第一水門、第二水門。

調布取水堰取水口
取水口前にボートが係留されています。ボートは東京湾から閘門経由で上って来たと思います。一度、閘門通船の模様を実際に見たいですね。関東では江戸時代(享保16年・1731年)に実用化された閘門式運河の見沼通船堀が有名です。毎年8月に実演が行われるので今年はぜひ見学したいと思っています。

取水口から取り入れた水道原水はポンプで約1.4km北方の東京都水道局玉川浄水場へ導水されます。そこで工業用水として浄水処理され板橋区の東京都水道局三園浄水場給水池へポンプで送水されます。三園浄水場で作った工業用水と混合し需要家へ配水されます。東京都水道局HPによると現在玉川浄水場は原水の悪化により上水道事業は休止中で、工業用水の浄水場になっています。

工業用水は工場の洗浄水、冷却水などの他に雑用水としてバス・タクシー会社の洗車用水、学校のトイレ洗浄水などにも使われています。興味がある方は「東京都工業用水道事業の概要」に詳しく紹介されていますので参照ください。

おしまいに調布取水堰の概要です。
調布取水堰 のあらまし
幅:104m
構造型式:固定堰、可動堰、起伏堰、閘門 
※防潮を兼ねている  
完成年度:昭和10年
所在地:東京都大田区 
(東京都水道局HPより)

防潮を兼ねるのは水道用の原水に潮が混じらないようにするためと想像がつきますが、閘門を併設した理由は何でしょう?
当然船を通すためですが、水道局の業務用、水運用、観光用?などが考えられます。本当の目的は何だったのでしょう。気になります。

東京都水道局調布取水所の位置です。


其の297 丸子川を歩く・谷沢川左岸から河口まで

 前回「其の296」で谷沢川を河口まで歩きました。今回は谷沢川と交差しているように見えた丸子川を河口までたどりました。4月29日(金)昭和の日、晴れの日に探訪しました。

谷沢川左岸より丸子川下流を望む
谷沢川左岸を背に丸子川下流を望む。左側の湧水は谷沢川からのポンプ揚水です。この湧水は前回述べたようにここ谷沢川左岸から始まる丸子川の事実上の源流になります。

丸子川・等々力1丁目付近
流下する丸子川、等々力1丁目付近。左岸は石積み、右岸道路側はコンクリート護岸。川床はコンクリートで固め、角張った石が埋め込んであります。巻貝が目につきました。ホタルの幼虫のエサになるカワニナかも知れません。

丸子川・尾山台2丁目
尾山台2丁目のお城の石垣のような護岸。勾配のない緩やかな流れです。せせらぎが全くない川です。川底に埋め込んだ角のある石はせせらぎを作るためかもしれませんね。

丸子川のスクリーン
川の中に幅1m、長さ3m位のスクリーンがあります。中には石ころが詰まっています。10か所位ありましたが、ひょっとすると河川水浄化のためかも知れませんね。石ころと言えば平瀬川や野川浄化施設の礫間接触酸化方式を連想します。

丸子川・田園調布5丁目
親水護岸から川縁に下りました。水生植物が生えていますが、平坦な流れで川床はコンクリートと思われます。田園調布5丁目、上の橋付近。

丸子川右岸の水門・田園調布5
右岸に水門がありました。水門の先は低地にある直径20m位の丸い池に落ちるようになっています。水門入り口の角落しが越流堰とすると、この施設は丸子川が大雨で増水した時の余水吐と思われます。

水門下の丸い池・田園調布5丁目
水門下の丸い池です。地図で確認すると池の先は水路で多摩川に注いでいます。

丸子川・田園調布4丁目
田園調布4丁目を流れる丸子川。大きな鯉が群がってバシャバシャやっていました。時節柄、鯉の産卵と思われます。

丸子川・田園調布4丁目信号前
住宅街を抜け多摩堤通りへ出てきました。田園調布4丁目信号前。

多摩川・多摩川台公園付近
多摩堤通りから見た湖のように広い多摩川。多摩川台公園付近。

丸子川・多摩川台公園付近
多摩堤通り沿いを流れる丸子川。川幅の半分は多摩堤通りの歩道です。

丸子川・浅間神社付近
東急線の鉄橋を潜り、丸子川の終点間近です。右手前方に排水樋管ゲートが見えます。多摩堤通りを樋管で潜ります。

丸子川・調布排水樋管
丸子川は浅間神社前の調布排水樋管から多摩川へ放流されます。多摩堤通りから見た調布排水樋管です。前方の橋は中原街道丸子橋。

丸子川・調布排水樋管
堤防の外(川側)から見た調布排水樋管。

調布排水樋管から多摩川へ合流する丸子川
多摩川へ合流する丸子川。前述のようにこの水は等々力渓谷を流れてきた谷沢川の河川水です。

六郷用水樋管
これは浅間神社前で見つけた「六郷用水樋管」です。今たどってきた丸子川の延長線上、突き当りにあります。

六郷用水樋管銘板
六郷用水樋管の銘板です。
右書きで「六郷用水樋管 昭和六年三月成」。

六郷用水樋管付近の旧六郷用水路
これは六郷用水樋管から見た旧六郷用水と思われる水路です。この写真の前方左側に現在の丸子川排水樋管入口があり、多摩堤通りを潜っています。

多摩川治水記念碑
おしまいに六郷用水樋管近くの巨大な記念碑です。
「多摩川治水記念碑」昭和十一年六月建立
多摩川下流改修工事 
起工 大正七年四月 竣工 昭和九年三月
工費 六百二十一萬円  
(碑文より)

この記念碑の内容は「其の294」玉川陸閘で引用した京浜河川事務所の記事と一致しています。この記念碑は国の直轄「多摩川改修工事」を指しています。
この堤防は国の直轄で「多摩川改修工事」が行われ、大正7年(1918)着工、昭和8年(1933)完成。工事対象区間は河口から二子の渡しの少し上流まで約22km。現在残る世田谷区玉川1丁目から野毛2丁目付近の堤防もこの時築かれた。
(国土交通省京浜河川事務所HPより引用)


今回のスタート地点の地図です。

其の296 谷沢川を歩く・等々力渓谷から河口まで

 4月26日(火)晴れ、絶好の散策日和に等々力渓谷から河口まで歩いてきました。初めての等々力渓谷をただ歩くだけでなく、地図上で見つけた河川同士の立体交差も見てきました。

等々力渓谷公園案内板
ゴルフ橋付近の案内板。谷沢川沿い矢川橋まで約1kmが等々力渓谷公園として整備されています。

等々力渓谷
ゴルフ橋のたもとから渓谷沿いの散策路に入ります。東急大井町線等々力駅から歩いて5分もかからないところです。

等々力渓谷
ゴルフ橋付近より等々力渓谷下流を望む。右岸の護岸は自然のままです。駅のすぐ近くにこんな渓谷が・・・突如別世界に入り込んだ感じです。

等々力渓谷
環八、玉沢橋付近、上流を望む。両岸が石積み護岸になりました。

等々力渓谷3号横穴
左岸崖の途中にある等々力渓谷3号横穴です。案内板によると古墳時代から奈良時代にかけてのこの辺りの有力農民のお墓です。照明付きで中の様子が見られます。

等々力不動尊
こちらは崖上の等々力不動尊です。参拝しました。

等々力渓谷不動の滝
谷沢川沿いの不動の滝です。渓谷内至るところから水が涌き出ています。

等々力渓谷南端矢川橋付近
渓谷のはずれの急な落差工。落差2m位を斜面で下っています。前方の橋は矢川橋。等々力渓谷公園の南端です。

谷沢川・矢川橋下流
矢川橋下流より谷沢川上流を望む。等々力渓谷公園を流れる川が普通の川になりました。深い川です。左岸道路沿いに下流へ歩きました。

谷沢川・丸子川交差点付近
写真①。その下流です。探訪前に地図上で見つけた谷沢川と丸子川の交差点です。南流する谷沢川に対して、東流する丸子川が前方の橋(橋名表示がない橋、以下無名橋)の手前で交差しています。

谷沢川と丸子川の交差点。(地理院地図より)

ほぼ十字に交差しています。伏越(ふせこし)・サイフォンで交差しているように見えます。等々力渓谷と合せてその様子を見るのが今日の探訪目的でした。

谷沢川
無名橋より谷沢川下流を望む。左側が今たどってきた谷沢川です。ほとんど流れがありません。右側(後述の丸子川)の方は流れがあります。この先は200mほど下流の排水樋門を抜け多摩川へ合流しています。

丸子川
一方、交差する相手丸子川の様子です。無名橋西の橋より丸子川上流をみる。谷沢川に比べ浅い川です。前方の橋は天神橋。

丸子川
上記橋より丸子川下流を見る。直進すると谷沢川右岸に突き当たりますが、それを避けるように右へ急カーブし降下しながら無名橋の下へ向かっています。

丸子川・谷沢川合流点
無名橋の西寄りから谷沢川に合流する丸子川を見る。左側の細く見えるのが谷沢川です。こちら側から見ても谷沢川はほとんど流れがありません。

丸子川
写真②。地図上で谷沢川と立体交差しているように見える丸子川は(谷沢川を背にして東を見ると)このように流れがあり東へ向かっています。丸子川は谷沢川右岸に合流したにもかかわらず流れがあります。この水は一体どこから来るのでしょうか。

谷沢川左岸丸子川の始まり
写真①の無名橋のたもと、谷沢川左岸にこのように水が湧き出ています。川辺を歩いているといやでもこの吹き上がりが目に入ってきます。初めて見た時は伏越の吐口と思ったのですが、吐き出し位置が高く、前方にある白いポンプ配電盤に気づきポンプ揚水と分りました。写真②の流れはここから始まっています。

谷沢川・揚水ポンプ
ポンプ配電盤前の直径1m位のマンホールフタ。フタにポンプと表示してあります。この地下にポンプが設置されていて、さらにその下には水槽があるはずです。どこから水槽に送られてくるのでしょう。

谷沢川河床・丸子川交差付近
これは写真①の無名橋下、谷沢川河床のアップ写真です。川幅いっぱいにごみ除けのスクリーンがあり、木の葉がひっかかり谷沢川の表流水が吸い込まれています。左岸地下の水槽に貯め込んでいると思います。これを見て丸子川合流点で谷沢川の水量が少ない訳が分かりました。 

長々と状況を説明しましたが、このように観察した結果、
(1) 丸子川は谷沢川右岸に合流している。立体交差はしていない。
(2) 谷沢川左岸から始まる丸子川は谷沢川からポンプ揚水した流れである。
と言うことが分かりました。伏越で横断しているのでは?と言う探訪前の予想は外れました。結局、谷沢川上流から見ると南流していたのがこの地点で左折して高位置の丸子川に入り東の方向へ流れが変わったことになります。面白いですね~。(^λ^)
地図では絶対に分らないことです。

丸子川は元々六郷用水(対岸の二ヶ領用水と同じ江戸初期に完成した用水路)でした。付近の丸子川、谷沢川護岸で見つけた銘板によると「谷沢川河川整備工事 1989年(平成元年)6月 東京都」とありその頃に今の形に整備したと思われます。
ポンプ揚水してまで丸子川に水を送り続ける理由は何でしょうか。多摩川対岸の二ヶ領用水は環境用水として川崎市の町並みに潤いを与え、歴史ある用水路の保存のために農業用水としての役目を終えた今でも水を送り続けています。多分、丸子川も同様な理由からと想像します。

谷沢川
約200m下流の多摩堤通り(多摩川左岸堤防)より谷沢川上流を望む。

玉川排水樋管・谷沢川
玉川排水樋管を潜った谷沢川。巨大なゲートは多摩川が大雨で増水すると谷沢川への逆流を防ぐため閉じ堤防の役目を果たすと思います。

玉川排水樋管
多摩川河川敷から見た玉川排水樋管。

玉川排水樋管下流の谷沢川
玉川排水樋管から見た多摩川本流に合流直前の谷沢川。

床固ブロック・谷沢川河口
河口にこんな床固ブロックがありました。
前回、調布市の陸閘を見に行ったとき床固ブロックの写真を載せました。四角形の良く見かけるタイプでしたが、こちらは六角形です。水中から顔を出している部分だけ見ると三角形に見えます。乱雑なようですが整然と敷き詰めてあります。分りやすいように色分けしました。

谷沢川河口付近より対岸を望む
おしまいに谷沢川河口付近から見た対岸の風景です。ズームアップで撮りました。

今日のスタート、ゴルフ橋の位置です。

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