
今日は京王相模原線稲田堤駅からの歩きです。このようにゴム堰が起立し貯水しています。田んぼに水を送る頃を狙って訪れ、大正解でした。
左上の白い建物は操作室(ゴム堰、揚水ポンプの操作室)です。表札も銘板もありませんが、近所の人の話では神奈川県が造った施設です。三沢川は神奈川県が管理する一級河川なのでなるほどと納得。

今年二月に訪ねた時はこんな状態でした。ゴム堰は倒伏してぺしゃんこです。

今日の取水口です。旧三沢川の水はここから取り入れます。

取水口付近より三沢川上流を望む。右岸側の山は小沢城址です。お城の石垣跡はありませんが、空堀、物見台、櫓台、馬場などがあります。

ポンプ揚水した旧三沢川の始まりです。

上記付近の小沢城址の上り口です。巨人軍のジャイアンツ球場が山頂近くにあります。ファームの選手たちがトレーニングでこの山を上り下りするそうです。

ウォーキングを兼ねているので下流へたどりました。角落し板で堰上げし左岸から取水していました。地元のお年寄りの話ではゴム堰の取水施設ができた当時、4軒の稲作農家が旧三沢川を用水として利用していたそうです。昨年は2軒に減ったそうです。この用水路をたどればこの辺りでは珍しい田んぼが見られるかも知れません。ここは多摩区菅北浦二丁目。

東菅小学校北の水門。旧三沢川を堰き止め分水する働きをしています。

二方向(手前の広い用水路と右側の細い用水路)へ分水しています。

広い用水路下流を望む。細い方の用水路は通水がなく、広い用水路を下流へたどることにしました。旧三沢川とはここでお別れです。旧三沢川は中野島中付近で二ヶ領用水に合流します。

菅馬場2丁目を流れる用水路。上流を見る。このように水路沿いに道がなくコの字型に大きく迂回しながらたどりました。

川崎市多摩区生田1丁目、生田浄水場近くを流れる用水路。

府中街道手前で分岐。左側の開渠をたどります。

府中街道を潜り流下する用水路。生田1丁目。この辺りは二ヶ領用水とほぼ平行に流れています。

幅一間の暗渠水路になりました。二ヶ領用水一本圦橋南付近。

ゴール(河口)間近。前方左右に横切るフェンスは山下川左岸です。

山下川に合流する旧三沢川から取り入れた用水路の流末。結局、所どころ大きく迂回したせいか田んぼは見られなかったですね。取水すれば堰上げにより用水路の水位が上がるので分るのですがそれも見かけなかったです。何のために流しているのでしょう。多分街に潤いを与える環境用水として流しているものと思われます。

山下川は合流点のすぐ下流、台和橋で二ヶ領用水(二ヶ領本川)に合流します。二ヶ領用水に架かる台和橋と左が山下川。

台和橋親柱の小泉次太夫のレリーフです。 「川崎の育ての親二ヶ領用水 二ヶ領用水は『次太夫堀』とも呼ばれ慶長十六年(1611年)に完成しました」

おしまいに今日の探訪記念、桔梗草・別名ダンダンキキョウです。指月橋下流の旧三沢川沿いで見つけました。
三沢川の農業用水取水施設・ゴム堰の位置です。
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