横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の252 蛇行する旧境川河道跡・境橋付近

 前回「其の251」で森野橋付近の旧境川河道跡を訪ね、その足で上流の境橋付近の旧河道を探訪しました。大正時代の地図にあるように境橋付近の境川は、昔は二筋に分かれて流れていました。今は河川改修により一本化されましたが、東西に分かれていた二筋の旧河道のその後に興味があります。末尾に「今昔マップon the web」を載せましたので昔と今を比べてください。

東京都の境川標識 境川ゆっくりロードの標識
まず島橋たもとの標識二つの紹介です。
左は東京都が管理する境川の標識です。
境川の管理区間は
鶴瀬橋(町田市鶴間)上流120メートルから根岸橋上流端(町田市根岸)までの10.49キロメートルを東京都が管理しています。
右は町田市の「境川ゆっくりロード」(自転車歩行者専用道路)の標識です。カワセミは町田市の市の鳥です。

古淵鵜野森公園下の洞門
森野橋から島橋を過ぎ、境川右岸を上流へ歩きました。洞門に遭遇しました。相模原台地東の縁が境川に迫っています。西側一帯台地の上は古淵鵜野森公園です。
洞門の銘板によると「境川整備工事 ニューマチックケーソン3基 1983年(昭和58年)3月 東京都」とあり東京都が造りました。

境川を渡るJR横浜線
境川を渡るJR横浜線。

境橋付近大正10年の地図
これは大日本帝国陸地測量部が大正十年に測量した地図です。中央の二筋に分かれているのが現在の境橋付近です。説明上ここでは、東側の流れを境川東流、西側の流れを境川西流と呼びます。

境川橋より境川上流を望む
今日の目的地境橋の一つ下流の橋、境川橋まで来ました。上流を望む。現在の地図を見るとこの辺りはきっちり左岸が東京都町田市、右岸は神奈川県相模原市に分かれています。

境川橋上流左岸の桜並木
左岸へ渡りました。青いフェンスの中は浅い堀状で両岸が桜並木になっています。青いフェンスは森野橋、島橋付近で見たフェンスと同じです。
南端に朽ちた排水ゲートあり、旧境川河道跡のような気がします。

境橋下流左岸の広場
さかいがわ会館を過ぎ、また青いフェンスです。フェンスの中は広場で、広場の東側、境川住宅46号棟から41号棟の間にあります。

境橋下流左岸の広場
広場の中の様子です。この広場と境川住宅との間の道は境川東流と一致します。この広場は現在まで残る境川東流跡に違いないと思います。これより上流の境川東流は道路や宅地に変わり判然としませんが途中まで青いフェンスで囲われた空地が残っています。

木曽境川小付近そよかぜ公園
境川東流は今の木曽境川小の南辺りから始まっています。これは木曽境川小から見た南方向です。そよかぜ公園という広場が残っています。公園の西側に今の境川が流れています。

境橋より境川下流を望む
境橋から境川下流を望む。左岸の駐車場や草地広場が境川東流またはその右岸と思われます。現在の境川右岸には所どころ東京都管理地の白い看板が立っていました。旧河道の蛇行部分と思います。

境橋より境川上流を望む
境橋より上流を望む。右側左岸は東京都町田市木曽西1丁目。
右岸上流側一部地域も東京都町田市です。境川西流の頃の左岸にあたり河川改修後も町田市のまま残りました。

境橋
上流から見た境橋。口径150mm位の水道管が添架されています。中の水道水は東から西へ流れていると思います。

境川西流河道跡・境橋付近
境橋西詰めで早速旧河道を見つけました。境川西流の河道跡です。

境川西流河道跡・境橋付近
その上流です。開発住宅地です。新しい擁壁が造られました。

境川西流河道跡・境橋付近
その上流です。下流を見たところですが蛇行しています。

境川西流河道跡・木曽西カワセミ公園付近
木曽西カワセミ公園前、上流を見る。森に沿って東へ蛇行しています。
こうして眺めると今の境川に比べて河道が高い(川底が浅い)と感じます。昭和40年代からの大規模な河川改修が行われるまでは、大雨や長雨のたびに洪水を起こしていたことが窺われます。

境川西流河道跡・木曽西カワセミ公園付近
カワセミ公園の先の境川西流河道跡。埋め立てされ蛇行する広場です。広場の隅には今まで何回も見た白い「東京都管理地 東京都南多摩東部建設事務所」の看板が立っています。

境川西流河道跡・木曽西カワセミ公園上流
その先です。ツツジが植えられ公園になっています。前方の突き当りが現在の境川です。対岸は木曽境川小の南の辺りです。旧河道探訪はここまでです。右岸沿いに境橋まで下りJR横浜線古淵駅へ向かいました。

境橋上流の落差工・魚道付き
おしまいに帰り道で見た境橋上流の落差工です。魚道付きです。落差工は島橋上流にもありました。
地理院地図で調べると、前回訪ねた森野橋の標高が82m、境橋が90mで徐々に標高が高くなっています。

今回の探訪で蛇行する旧境川河道跡は鶴金橋、高木橋、森野橋と4か所を巡ったことになります。境川の旧河道が想像以上に残っていて驚いています。犬も歩けば棒に当たる。歩いてみないと分らないですね。

境橋の位置です。緯度経度35.562133,139.418198
(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より)




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其の251 蛇行する旧境川河道跡を訪ねる・森野橋付近

 前回に引き続き旧境川河道跡を探訪しました。今回は森野橋付近です。10月22日(木)、25日(日)晴れの日に探訪しました。

谷口橋より境川上流を望む
今回もJR町田駅からの歩きです。
JR町田駅近くの谷口橋より境川上流を望む。向かって左側右岸は相模原市です。左岸に見えるヨドバシカメラ駐車場やマンションも左岸にある相模原市です。

相模原市の汚水マンホールフタ 神奈川県営水道のマンホールフタ
マンホールのフタ2枚です。
左はヨドバシカメラ前の相模原市の汚水マンホールフタ。相模原市が敷設した下水管ですがその流末は町田市の下水道に繋がっています。最終的には町田市の処理施設、成瀬クリーンセンターで処理されます。
右は境川左岸谷口橋東詰めの神奈川県営水道のマンホールフタ。こうして改めて眺めると神奈川県の花木鳥・おにゆり、いちょう、かもめがデザインされています。
上水道は行政境界通り境川を越えて神奈川県営水道が供給しています。

下森橋より境川上流を望む
小田急線の北側、下森橋より境川上流を望む。右岸の青色フェンスは相模原市の雨水調整池で上流の幸延寺橋付近まで続いています。

境川右岸雨水調整池のレリーフ
雨水調整池擁壁に描かれたさまざまな水辺の生物のレリーフ。クジラも刻まれていました。

境川右岸雨水調整池のレリーフ
その内の一面、アメリカザリガニとドジョウ。全部で40~50面ぐらいあります。

幸延寺橋
右岸丘上の幸延寺の下にある橋、幸延寺橋です。

上鶴間堰復旧記念の碑
相模原市雨水調整池の一角に立っていた「上鶴間堰復旧記念」の碑です。昭和26年10月に上鶴間水利組合が建立。
昭和25年6月の水害で破損した谷口堰を鉄筋コンクリートの自動堰に改造し上鶴間20町歩のかんがい用水として供した。昭和26年3月着工、8月竣工。(碑文より要旨抜粋)

谷口堰は隣の碑によると幸延寺橋の下にあった堰です。昔の幸延寺橋下に農業用水取水堰があったことが分かりました。

旧境川河道跡・幸延寺橋上流
幸延寺橋上流右岸沿いの一目で旧境川河道跡と分かる空き地。西側の丘に沿って蛇行しています。白色の看板には「東京都管理地 南多摩東部建設事務所」とあり、境川右岸の東京都です。
なお境川の管理区間は
鶴瀬橋(町田市鶴間)上流120メートルから根岸橋上流端(町田市根岸)までの10.49キロメートルを東京都が管理しています。その上下流は神奈川県が管理。

森野橋
榎堂橋から見た今日の探訪地、森野橋です。森野橋右岸上下流に旧境川河道が残っています。

旧境川河道・森野橋付近
森野橋から見た南側(下流側)の旧境川河道跡の様子です。
黄色矢印は旧境川に架かる榎堂橋。
緑色矢印は榎堂橋上流、旧境川河道です。
黒色矢印は榎堂橋下流、現境川への放流口と思われます。

旧境川河道・榎堂橋
西側から見た榎堂橋です。親柱はありませんが、
左岸上流側に右書きで「榎堂橋」の表記がかろうじて残っていました。右岸下流側に右書きで「昭和十一年十月成」の表記。どちらもだいぶ風化しています。
橋長6.5m、幅員3.6mのRC桁橋。
(橋データは相模原市史文化遺産編より)

旧境川河道・榎堂橋
上流から見た榎堂橋。雨水用の溝があります。橋下は埋立てされコンクリート管が通してあります。

旧境川河道・榎堂橋上流
榎堂橋より旧境川河道上流を見る。

旧境川河道・榎堂橋上流
その上流です。Ω形の急な蛇行です。

旧境川河道・榎堂橋上流
左側の県道52号線を潜ります。鉄格子の扉があり進入禁止です。

旧境川河道・県道52号線北側
県道52号線から見た北側の旧境川河道。前方の草が茂った土手までで、その先に旧河道は残っていません。

旧境川河道跡・町田市森野5丁目1付近
その先町田市森野5丁目1(電柱に表示)付近で見つけた、旧河道跡と思われる細長い空き地。青色のフェンスで囲われています。

旧境川河道跡・島橋付近
その先の境川右岸、島橋付近で見つけた旧河道跡と思われる細長い空き地。同じように青色のフェンスで囲われています。

旧境川河道・島橋上流右岸
島橋上流で見つけた旧境川河道。境川右岸から上流側を望む。これより上流は道がなく踏み込むことが出来ません。森野橋付近の旧境川河道探訪はここまでです。地理院地図ではこの先で水色の水路表示は消えています。

東京都汚水マンホールフタ 東京都水道マンホールフタ 東京都水道マンホールフタ
旧境川河道と境川に挟まれた地域内で見つけた東京都の汚水マンホールフタと東京都のマークが入った水道マンホールフタ。
「其の249」で訪ねた鶴金橋と逆のケースになります。境川右岸の相模原市側に食い込んだ東京都町田市ですが、汚水下水管については相模原市の下水管から相模川流域下水道に接続され最後は茅ヶ崎市の柳島にある終末処理場に送られそこで処理されます。


これより上流にも旧境川河道が見られるところがあります。次回発表いたします。


森野橋の位置です。緯度経度35.546937,139.435848
(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より)
もっと大きい地図で見たい方は「今昔マップ on the web」を開き、検索窓に上記緯度経度を貼り付けてください。


其の250 蛇行する旧境川河道跡・高木橋付近と境川水管橋

 前回に続き旧境川河道跡を探訪しました。
前回「其の249」で訪ねた鶴金橋のおよそ1.4km下流に高木橋が架かっています。高木橋左岸は東京都町田市金森で公園と住宅街が広がっていますが、かつてここは大和市でした。
境川の河川改修に伴い昭和60年2月、蛇行部分が東京都町田市に編入されました。
ならば境川の旧河道が残っているはずとその様子を見に行きました。帰途、以前通ったことがある境川水管橋も訪ねました。
10月18日(日)晴れの日に探訪しました。

旧境川河道跡・相模原市上鶴間本町
今日もJR町田駅からの歩きです。
境川左岸の自転車歩行者専用道路を歩きましたが、これは途中見た旧境川河道跡です。境川左岸にある相模原市です。左側(右岸側)が相模原市、左岸側が町田市。
付近の電柱には相模原市上鶴間本町の表示、自転車歩行者専用道路上には相模原市の汚水マンホールフタがありました。

境川上流を望む・上鶴間高校付近
上鶴間高校付近から境川上流を望む。右岸はこのように公園化されているところが多く見られました。河川改修前の旧境川河道跡かもしれません。

境川・高木橋
高木橋に到着しました。

高木橋より境川上流を望む
高木橋より境川上流を望む。この辺りでは西から東に流れています。右岸側は神奈川県大和市、左岸側は東京都町田市です。

大正十年の地図境川鶴金橋
大日本帝国陸地測量部が大正十年に測量した地図です。
赤丸が前回探訪した鶴金橋、青丸が今回探訪の現高木橋左岸の辺りです。昔の境川はこのように大きく北へ蛇行していました。末尾に「今昔マップon the web」を載せましたので現在の境川と比べてください。

定方寺公園案内パネル
町田市立定方寺公園案内パネルです。
この公園は旧境川を利用して造られました。1985年2月1日旧境川と新境川に挟まれた地域が神奈川県大和市公所から東京都町田市金森に編入されこの公園が出来ました。1985年5月吉日 (案内パネルより抜粋)

定方寺公園
北へ大きく蛇行していた旧河道が公園になりました。境川を背に定方寺公園の入り口です。旧河道内に遊歩道が設けてあります。左側には公園広場があります。

定方寺公園
西へ向かう広い旧河道内の定方寺公園です。中央の道路を渡ると西半分は西田高木公園に名前が変わります。

西田高木公園
境川を背に西田高木公園入り口です。定方寺公園入り口から西田高木公園入り口まで約350mの旧河道内公園です。旧境川河道護岸などは残されていませんが蛇行の様子は分りました。

定方寺
定方寺公園の名前の由来になった曹洞宗定方寺本堂です。定方寺公園の対岸、大和市の小高い丘の上にあります。

予定通り旧境川河道跡の探訪を終えたので、境川を下り境川水管橋を見て、東急田園都市線南町田駅から帰ることにしました。

境川水管橋
R16境川橋や東急田園都市線を潜ったところで水管橋が出現です。口径が1500mmもある巨大な水管橋です。
「其の16 東林間から鶴ヶ峰へ」(2012/05投稿)でここを通りました。あれから3年半も経ちました。懐かしいです。

境川水管橋
境川右岸から水管橋を見上げる。

「水道みち パイプビームで渡る 境川」 doushigawa
「水管橋 どこからどこへ 行くのだろう」 doushigawa

左側3条が横浜水道の水管橋です。
左端が道志川系、残り2条は相模湖系の導水管です。
水道原水を横浜市水道局川井浄水場へ送る施設です。
右端は神奈川県内広域企業団の水管橋で相模原浄水場から横浜市水道局川井浄水場配水池へ向かう送水管です。
こちらは酒匂川系の原水(少し相模川の原水も混じっています)から作った飲める水・浄水を送っています。

これら4条の水管橋はいずれも自然流下で送水しています。大容量且つこんな高いところを自然流下とは驚きですね~。

横浜市水道局境川水管橋の銘板
横浜水道の水管橋の銘板を見つけました。
横浜市水道局境川水管橋
呼び径:1500mm 3条
橋長:56m
竣工:昭和49年3月
施工:日本鋼管株式会社 
(銘板より)

最初に水管橋が造られたのは明治20年で、当時は口径22インチ(560mm)と口径18インチ(460mm)の2条の管が境川を渡っていました。 (横浜水道局境川水管橋説明パネルより抜粋)

境川鶴間一号橋付近の遊水池
鶴間一号橋まで下ってきました。向かって左側境川右岸に遊水池があります。初めは周りの住宅地の雨水遊水池と思い気に留めなかったのですが、よく観察したら境川の遊水池でした。ここのところ川べりを歩くたびに遊水池に出くわします。楽しいですね~。( ^ω^ )

境川鶴間一号橋付近の遊水池
境川左岸から見た遊水池越流堤。水位目盛りによると越流水位は3m。

境川鶴間一号橋付近遊水池の排水ゲート
遊水池の排水ゲートです。親水護岸内にあるのでカバー付きです。中を覗くとフラップゲートが見えました。

鶴間公園内横浜水道みち
境川を左岸へ渡り鶴間公園内を川井浄水場へ向かう横浜水道みちです。

鶴間公園内横浜水道みちトロッコの看板
水道みち沿いトロッコの看板です。
看板にはこんなことが書いてあります。

水道みち「トロッコ」の歴史
三井用水取入所からここまで25.5km。現在地:鶴間公園

この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで 約44kmを、1887年(明治20年)我が国最初の近代 水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、 鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを 使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。
(トロッコの看板より)

この看板は横浜市水道局が近代水道創設120周年 を記念し設置しました。設置場所は創設当時の導水線路上26か所です。

この後は鶴間公園を抜け近くの南町田駅へ向かいました。

高木橋の位置です。緯度経度35.519125,139.461552
もっと大きな地図で見たい方は緯度経度をコピーし下の「今昔マップ on the web」を開き、検索窓にに貼り付けて下さい。
(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より)


其の249 蛇行する旧境川河道跡・鶴金橋付近

 境川の上流部は東京都町田市と神奈川県相模原市の境界を流れています。名前の通り武蔵野国南多摩郡、相模国高座郡と呼ばれた昔から国の境を流れる川でした。
気ままに蛇行して流れていた昔の境川と違い、今は河川改修により川幅が広がり直線化が進み河川水は速やかに流下するようになりました。
そんな中、昔の蛇行していた旧境川河道跡が鶴金橋付近に現在も残っていることを知り、早速見に行ってきました。

加えて興味深いのは左岸の町田市側に相模原市が食い込んでいることです。普通に境川左岸は町田市、右岸は相模原市と思いがちですが、河川改修によりこのような実態があります。そんな様子も合せて眺めてみたいと思います。

10月12日(月)晴れの日に探訪しました。JR町田駅から片道2kmほどの歩きでしたが、境川沿いは両岸とも遊歩道として整備されており自動車に注意することなく安心して歩けます。(左岸は境川自転車歩行者専用道路です。)

境川・鶴金橋
境川右岸から見た鶴金橋です。この先に旧境川河道に架かるもう一つの鶴金橋があります。橋名の由来は相模原市側の上鶴間、町田市側の金森から一文字ずつ取ったと思います。

境川・鶴金橋
境川右岸下流側から見た鶴金橋です。橋桁に口径10cm位の水道管が添架されています。

鶴金橋より境川上流を望む
鶴金橋より境川上流を望む。この辺りは北から南に流れています。

境川旧河道・鶴金橋下流
まず初めに旧境川河道を探します。
これは鶴金橋から20m位下流左岸の旧境川河道放流口です。少し水が流れています。

境川旧河道・鶴金橋付近
鶴金橋を渡り、左岸の放流口辺りから東の方を見ました。お堀のような旧河道の護岸が見えます。

境川旧河道・鶴金橋
旧河道沿いの道がないので大回りをして、東側から見た旧河道に架かる鶴金橋です。橋の長さ9.18m、鉄筋コンクリート(RC)桁橋です。

境川旧河道・鶴金橋
西側から見た鶴金橋。前方は都道56号線鶴金橋の信号です。
親柱表記は右岸上流側に「昭和六年三月竣成」、下流側「鶴金橋」。左岸上流側は表記なし、下流側に「昭和六年三月竣成」とありました。
出来てから84年も経っています。RC桁橋は丈夫ですね~。

境川旧河道・鶴金橋付近
鶴金橋より旧境川河道下流を望む。川底はコンクリートで固めてあり、中央の溝にわずかに流れがあります。旧河道右岸側が相模原市です。旧河道と行政境界は一致しています。

上鶴間一番地之碑
鶴金橋西詰めの「上鶴間一番地之碑」相模原市長 川津勝書。
昭和48年8月 中和田自治会が建立しました。碑文が刻まれてなく建立の経緯は不明です。

境川旧河道・鶴金橋付近
鶴金橋より旧河道上流を望む。西へ大きく蛇行しています。

境川旧河道・鶴金橋付近
その上流です。旧河道の東(左岸側)が東京都町田市。西(右岸側)が相模原市です。

境川旧河道・鶴金橋付近
その上流はなく、この空き地で終わっています。空き地の管理者は東京都南多摩東部建設事務所です。

境川の遊水池・鶴金橋上流
空き地上流に遊水池がありました。看板には親水広場とありますが、歩くとじめじめとした湿地帯です。車止めには東京都南多摩東部建設事務所とあり管理者は東京都です。

境川の遊水池・鶴金橋上流
遊水池の周りはこのように石垣の擁壁で囲われています。石垣は古そうで旧境川河道護岸のように見えます。手元の一万分の一の地図には今たどってきた旧河道の延長線上にこの石垣があり、石垣に沿って水色の水路表示まであります。
末尾に載せた明治時代の地図を見るとこのような急な蛇行はなく後から作った遊水池の護岸のようにも見えます。しかし新しい遊水池なら方形でブロック護岸にするはずです。はたして真相はどうなんでしょうか?気になります。

境川の遊水池排水ゲート・鶴金橋上流
遊水池南隅の排水ゲート。ゴミ除けスクリーンが見えます。

境川の遊水池越流堤・鶴金橋上流
右岸から見た遊水池越流堤です。

境川の遊水池越流堤・鶴金橋上流
越流堤のアップです。水位目盛りによると3.5m超で遊水池に越流です。ボックスカルバートを30個ほど並べた越流堤です。こんな越流堤もあるのですね。勉強になります。

境川の遊水池越流堤と排水ゲート・鶴金橋上流
これは下流側の排水ゲートです。フラップゲートが使われています。

さて、旧境川右岸は「上鶴間一番地之碑」が立てられているように元々相模原市です。河川改修により新しくできた境川と旧境川に挟まれた狭い地域が境川左岸にあるのに、町田市に編入されることなく相模原市のまま残りました。
このような地域の電気、ガス、上下水道などいわゆるライフラインはどのようになっているのか?気になるところです。
電気は東京電力、ガスは東京ガスまたは民間のLPガス業者があり供給に何ら問題ないと思いますが、公営の上下水道はなんか面倒な感じがします。

相模原市汚水マンホールフタ
相模原市の汚水下水道マンホールフタ。

神奈川県営水道仕切弁マンホールフタ 神奈川県営水道消火栓マンホールフタ 神奈川県営水道・空気弁マンホールフタ
左は神奈川県営水道の仕切弁。100とあるので100mmの管が敷設されていると思います。
中央は神奈川県営水道の消火栓マンホールフタ。
右は神奈川県営水道の空気弁マンホールフタ。

以上は境川左岸の相模原市地域内で見つけた上下水道関連マンホールフタです。
このように汚水下水道は相模原市によって敷設され、上水道は神奈川県企業庁(県営水道)が境川を越えて敷設、給水していることが分かります。

問題は汚水下水道です。相模原市の汚水下水道は相模川流域下水道左岸幹線に接続され最後は茅ヶ崎市の柳島にある終末処理場へ送られそこで処理されます。
境川左岸の狭い地域の汚水下水を集め境川を越えて相模原市側に持ってくることは設備にかかる費用から見ても大変なことと想像がつきます。

じゃあどうするか。相模原市役所に確認した結果を記します。
相模原市と町田市が協定を結び、
境川左岸の相模原市から出る汚水下水は町田市の処理場(成瀬クリーンセンター)で処理。こことは反対のケース、境川右岸の町田市から出る汚水下水は相模原市の下水道から相模川流域下水道を経て柳島の左岸処理場で処理。
と言うことできわめて合理的なやり方で処理されています。

なお上水道については神奈川県企業庁に確認したところ、行政境界通りに供給しているそうです。逆のケース、境川右岸に町田市の一部地域がある場合に神奈川県営水道からは供給しないということです。
そのほか消防や救急車、ごみ回収などは行政境界通りです。

鶴金橋の位置です。
鶴金橋緯度経度 35.527281,139.457614
蛇行する昔の境川と現在の境川を比べるためいつもとは違った地図です。(時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より)

もっと大きな地図を見たい方は面倒ですが上記緯度経度をコピーしてから「今昔マップ on the web」を開き検索窓に貼り付けてください。まだ私自身がこの地図を呑み込めていないので今時点での方法です。


其の248 引地川河口を訪ねる・引地橋から河口へ

 前回の続きです。前回は東海道・県道43号線、引地橋まで進みました。探訪したのは10月8日(木)晴れの日です。

藤沢自転車道
引地橋を過ぎて突然現れた自転車道。境川右岸の藤沢大和自転車道がスライドして引地川右岸に出現しました。後で地図を確認すると引地川河口近くの海岸へ行く藤沢自転車道でした。

東海道本線北側より引地川上流を望む
東海道本線北側より引地川上流を望む。

東海道本線南、引地川親水公園
東海道本線南側の引地川親水公園。

引地川上流を望む・長久保公園付近
長久保公園付近より引地川上流を望む。前方の橋は富士見橋です。この辺り、水深は浅いのですが流れがほとんどありません。河口に近づいたみたいです。大きな鯉が群れて遊んでいました。

海抜約5.5m標識・藤沢市太平台2
「ここは海抜約5.5m」の標識。藤沢市辻堂太平台2丁目。
参考までに地理院地図によると「泉の森引地川水源池」の標高は49.2mです。

太平橋水位観測所
神奈川県藤沢土木事務所の太平橋水位観測所です。河川監視カメラが設置されています。その様子は県のHP神奈川県雨量水位情報で常時見ることが出来ます。(5分間ごとに更新)。

太平橋下流の水管橋とカワウ
太平橋下流の水管橋でカワウが行儀よく休んでいました。8羽もいます。

作橋右岸の雨水吐口ゲート
作橋下流、藤沢市辻堂浄化センターの雨水吐口ゲートです。このような施設を途中何か所も見ました。

引地川・日の出橋
日の出橋です。比較的新しそうな橋です。河川名、橋名の表記は前回「其の247」で触れた原則通りです。

日の出橋より引地川上流を望む
日の出橋より上流を望む。流れは完全に止まり、青い空を写しまるで湖のようです。

鵠沼耕地整理組合の完成記念碑
高座郡藤沢町鵠沼耕地整理組合が昭和61年に建立した完成記念碑。
55年有余かけた73haの耕地整理事業完成を記念して建てられました。引地川左岸水田の用水確保・・・とあり、昔、鵠沼地区に水田があったことが分かります。

稲荷橋下流の階段
稲荷橋下流の川面に下りる階段。階段入り口に扉があり鍵がかかっています。船着き場かな?それとも災害時の緊急利水設備でしょうか。川辺歩きをすると知らないことが次々と出てきます。
一つ上流の日の出橋下流左岸にも同様な階段と長めの船着き場のようなものがありました。

海抜2.5mの看板
稲荷橋下流津波注意の看板。
津波注意 Be careful of tsunami
ここの地盤は海抜2.5m Height above sea level
藤沢市


引地川河口
R134鵠沼橋まで来たら突然前が開け、江の島全景が目に飛び込んできました。引地川河口です。

引地川河口
引地川右岸から見た河口と東方の景色です。遊泳者と遠くに江の島へ渡る江の島大橋が見えます。

ところで余談ですが、江の島の上下水道はどのようになっているのでしょう。上水道については神奈川県営水道が給水しています。紹介記事を見つけましたので興味のある方はご覧ください。
神奈川県HP さんぽちゃんの「藤沢水道」さんぽ 
別の回で水管橋の話もあります。
下水道についても調べてみたいですね。

引地川河口より富士山を望む
西には富士山がこんな風に浮かんでいました。今日ははるか南の伊豆大島も望め、上々のウォーキング日和でした。
しばし潮風に当たり、鵠沼海岸駅に向かうため引地川河口を後にしました。

今回のスタート引地橋の位置です。


其の247 引地川河口を訪ねる・石川堰から引地橋へ

 前回、引地川源流を究めたので、逆に河口の海を見たくなりました。思い立ったが吉日。早速、相模湾の河口まで行ってきました。しばらく続いた引地川シリーズの締めとして2回に分けて投稿します。10月8日(木)晴れの日に探訪しました。

東山田橋から引地川上流を望む
小田急江ノ島線六会日大前駅からの歩きです。
中村堰用水路跡を探訪した時に石川堰まで歩いたので、今日はそこから相模湾河口を目指すことにしました。
東山田橋から引地川上流を望む。右岸に石川堰の魚道が見えます。

引地川に一色川が合流
消防防災訓練センターの対岸で一色川が合流しています。引地川に合流する川は数少ないです。地形的なこともあるのでしょう。

石川岡田橋の親柱
少し下流、石川岡田橋のユニークなでんでんむしの親柱。左岸上流側の親柱です。「引地川」と漢字表記です。

引地川に架かる橋の「橋名、河川名」の表記の仕方に原則のようなものがあるのでしょうか? 今日はただ歩くだけでは能がないのでそれを観察することにしました。

引地川・秋本橋の親柱表記
これは一つ下流の秋本橋親柱の表記です。
左岸上流側「引地川」、下流側「秋本橋」。
右岸上流側「あきもとばし」、下流側「ひきじがわ」。
左岸が河川名と橋名の漢字表記、右岸が対角線の親柱にひらがな表記となっています。
11本の橋を確認しましたが9本がこのパターンで最も多く、この表記が原則と思われます。引地川の読みは「ひきじがわ」8本、「ひきちがわ」が2本ありました。残る1本は四つの親柱がすべて漢字表記でした。

秋本橋下流田んぼの風景
秋本橋下流左岸の収穫が終わった田んぼの風景。この田んぼは石川堰用水路から水を引いています。

引地川水路橋
ずうっと下って引地川水路橋下を通過。この水路橋は横浜水道・横須賀水道共同施設で相模川の寒川取水堰で取水した水道原水を小雀浄水場へ送る施設です。 
「其の163」 (2014/06)で発表しました。

引地川水路橋
これは引地川水路橋の真下から撮りました。橋脚の間に太いパイプが見えます。近寄って見上げると水路橋底に繋がっています。多分何かの時の排水または溢流水を引地川へ放流する排水管と思われます。橋脚の間、足元には横浜市水道局のバタフライ弁のマンホールフタがありました。

大庭鷹匠橋下流の引地川
引地川親水公園を流れる引地川。上流の橋は大庭鷹匠橋。

引地川・天神橋より上流を望む
引地川親水公園を過ぎ天神橋より上流を望む。
大口径の水管橋が架かっています。

「水管橋 どこからどこへ 行くのだろ」 doushigawa

多分、神奈川県企業庁寒川浄水場から藤沢市街へ向かっている送水管と思います。企業庁に確認したら大当たりでした。
この先の稲荷配水池経由藤沢駅周辺などに広く水を送り、さらに鎌倉方面まで送水しているそうです。送水管路線名は「湘南東送水管第2号」と言います。水管橋の口径は120cmもあります。

大庭遊水地越流堤
その下流で右岸の越流堤を発見。白い柵より下流側の堤防が2mほど低くなっています。

大庭遊水地越流堤
100mほど下流では逆に2mほど高くなっています。これで越流堤であることが確定です。以前なら気付かないで通過するところですが、境川遊水地で勉強したのが役に立ちました。

大庭遊水地排水ゲート
続いて排水ゲートを発見。帰って地図を確認すると大庭遊水地とあります。遊水地はここからは全体がビオトープゾーンのように見えます。

引地川のアオサギ
左岸堤防上を歩きましたが、目の前でアオサギが一本足で休憩中でした。大きな野鳥は私のコンパクトデジカメでも撮れます。

小糸川が引地川に合流
大庭遊水地の南で小糸川が合流。合流点に架かる城下橋から数人の人たちが超望遠レンズカメラを構えています。カワセミ狙いでした。
前回の「泉の森・しらかしの池」といいカワセミは大人気ですね。

大庭遊水地付近・カワセミ
私が撮ったぬいぐるみのようなカワセミです。

城下橋より引地川下流を望む
城下橋より引地川下流を望む。右岸の護岸は最近の改修工事のようで、ブロックが白く新しいです。
城下橋は古い鉄橋で橋名、河川名表記は原則から外れています。1990年代以降のコンクリート橋は原則通りでした。

柏山橋より引地川上流を望む
R1藤沢バイパス上流の柏山橋より上流を望む。

R1藤沢バイパス・引地川橋
R1藤沢バイパス引地川橋下を通過。

引地川水管橋(湘南東配水本管)
東海道・県道43号線上流に架かる引地川水管橋。藤沢市の上水道は神奈川県営水道が担っています。どこからどこへ行くのでしょうか。
やはり寒川浄水場から藤沢市街へ向かう水道管で口径は90cmです。路線名は「湘南東配水本管」と言い神奈川県営水道創設時に布設された歴史のある路線です。

東海道・県道43号線「ひきちばし」
東海道・県道43号線、引地橋右岸下流側の親柱。「ひきじばし」が一般的ですが「ひきちばし」の表記。古い橋の証です。

長くなるので続きは次回投稿いたします。

今日のスタート石川堰(東山田橋)の位置です。



其の246 引地川源流を訪ねる②

 前回の続きです。10月3日(土)晴れの日に探訪しました。

相鉄線北側の引地川
ダム堰堤のような相鉄線をトンネルで潜る引地川。川幅は狭く隧道へ入る用水路のような感じです。

引地川・大和市ふれあい広場
東西に走る相鉄線の北側一帯は大和市によって整備され、親水公園「ふれあい広場」になっています。
園内の中村橋より引地川上流を望む。前方の橋は縁橋(ゆかりばし)。

引地川・草柳4号橋の道標
草柳4号橋際の道標。

引地川・東名高速南側
左側の森沿いが引地川です。東名高速南側。

引地川・東名高速南側
東名高速を南側へ潜り抜けた引地川。

引地川・上草柳調整池南
その上流、橋の向こうに堰堤が見えます。

引地川・上草柳調整池堰堤
西側から見た引地川を堰き止める堰堤(左側)。
昭和57年に大和市が造った上草柳調整池の堰堤です。大雨が降ると水害が発生するため貯水機能を持たせています。調整池の名前は「しらかしの池」。案内パネルによると堰堤より上流が「泉の森」です。

泉の森しらかしの池
「しらかしの池」西側の展望デッキ。池に向けて超望遠レンズカメラの放列。2、30人はいます。カワセミの撮影スポットになっています。池にはカワセミが採餌しやすいように横枝付きの手ごろな木が立ててあります。ちょうど良いタイミングでカワセミが南から飛来し、3回くらい池に飛び込み魚取りを披露した後、北へ飛び去りました。

泉の森・遊びの小川と緑の架け橋
その上流の遊びの小川(引地川)と緑の架け橋。

泉の森・引地川泉の滝
R246笹山高架橋南側の引地川泉の滝。

泉の森の引地川
R246笹山高架橋北側の引地川。源流間近です。

泉の森引地川水源地
そこから100mほど先の「泉の森引地川水源地」です。フェンスの先には入れません。引地川源流探訪はここまでです。足元の清澄な流れの中に大きな鯉が数匹泳いでいました。
「泉の森引地川水源地」はR246より北側だけでも面積が17haあり、原生林の姿を残したまま水源涵養林として管理保護されています。

泉の森引地川水源地ネームプレート 泉の森の石碑
「泉の森引地川水源地」石造りのネームプレートと「泉の森」の石碑。

[引地川]
大和市上草柳字篠山の「泉の森」に源を発し、藤沢市内を流れ相模川に注ぐ二級河川。延長約21km、流域面積約67㎢。
 「泉の森」石碑より。

矢倉沢往還の碑
帰りは「泉の森」を北へ抜け大山街道・旧R246を小田急江ノ島線鶴間駅へ向かいました。旧R246沿いの矢倉沢往還の碑です。立派な御影石製です。上部に左矢印で森の泉と刻んであり道標を兼ねています。碑文によるとこの道は矢倉沢往還と呼ばれた古道で、江戸時代には東海道の脇往還として、また大山街道とも呼ばれ重要な交通路として栄えたとあります。

今回のスタート地点の地図です。



其の245 引地川源流を訪ねる①

 引地川の若宮堰、長後堰、中村堰、石川堰並びにそこから始まる農業用水路を探訪し、引地川は親近感あるお馴染みの存在になりました。しかしまだ源流を見たことがありません。
10月3日(土)晴れ、引地川の源流を探訪しました。
以前探訪した大和市福田の若宮堰から上流へたどることにしました。小田急江ノ島線高座渋谷駅からの歩きです。2回に分けて投稿します。

[引地川]
大和市上草柳字篠山の「泉の森」に源を発し、藤沢市内を流れ相模川に注ぐ二級河川。延長約21km、流域面積約67㎢。
 「泉の森」石碑より。

引地川の若宮堰
「其の236」で探訪した若宮堰です。「河川表流水取水工法」という珍しい川底取水の農業用水取水堰です。
田んぼへ用水を送る期間が終わり、今は取水を止めています。角落し板が外され水位が下がり、円形の「河川表流水取水弁」が水中から姿を現しています。

若宮堰・河川表流水取水弁
「河川表流水取水弁」のアップです。周りに表流水を取り込む無数の穴があります。水中にあるときはコンクリート製に見えたのですが改めて見ると金属製です。

引地川・千本桜
上流に歩いて行くと福田八号橋から上流は急に川幅が狭くなり、両岸が桜並木になります。約1.3km上流まで続く千本桜です。

引地川のバリケン
千本桜入り口で見たこともない水鳥を発見しました。水かきがあり、すいすいと泳ぎ、顔は七面鳥に似ています。誰かに飼われていたのか近寄っても逃げません。図鑑で調べたらバリケンと言いカモの仲間だそうです。珍しい鳥に出合いました。

引地川親水護岸・大和市福田
親水護岸から上流を望む。湧水のような清らかな流れです。

引地川・大和市福田八幡橋下流
八幡橋下流に川面に下りる階段がありました。川の中にはコンクリート囲いの残骸のようなものが見えます。これらはなんのために設置されたのでしょう。何かの災害時にここからポンプ揚水でもするのでしょうか。小川ではないので野菜の洗い場ではないと思います。

引地川・大和市福田八幡橋より上流を望む
八幡橋より引地川上流を望む。八幡橋左岸に神奈川県厚木土木事務所東部センターの河川監視カメラが設置されています。その様子は県のHP「神奈川県雨量水位情報」で常時見ることが出来ます。(5分間毎に更新)。

引地川・大和市福田八幡橋の水位表示板
八幡橋右岸の水位表示板。白色1m超:水防団待機水位、黄色1.65m超:氾濫注意水位、赤色1.8m超:避難判断水位。

引地川・山下橋のザリガニ
左岸のザリガニ。地域の人たちに愛される引地川です。山下橋下流にて。

引地川・山王橋上流
蛇行する引地川。山王橋上流。左手丘の上一帯は厚木飛行場です。

引地川・福田1号橋
福田1号橋。1998年(平成10年)に大和市が架けました。

引地川・河童の水管橋
微笑ましい河童の水管橋。河童と蛙の違いがありますが、拙ブログタイトル左の蛙と何か似ていますね~( ^ω^ )。
大和市環境管理センター前にて。

草柳2号橋より引地川上流を望む
まっすぐな引地川の流れ。草柳2号橋より上流を望む。

引地川・大和市草柳
県道40号線南、横浜銀行グランド脇を流れる引地川。右岸の護岸が見えません。緑色しっぽのオハグロトンボが飛んでいました。

引地川・県道40号線南
県道40号線を潜り南側に出てきた引地川。

引地川・県道40号線北側
県道40号線北側、荒々しい表情の引地川。下流を望む。

引地川・相鉄線南
上記地点より上流を望む。前方のダムの堰堤のように見えるのは相鉄線です。左が海老名、右が横浜方面。引地川は相鉄線をトンネルで潜ります。

水中から姿を現した河川表流水取水弁、変な水鳥バリケンなど歩けば何かしら新しい発見があり楽しいですね~。そうそう、福田八号橋下流では水面すれすれに飛ぶカワセミも見ました。
源流までもう少しですが、長くなるので続きは次回投稿いたします。

JR海老名駅・小田急相鉄海老名駅連絡橋
おしまいに海老名駅の話題です。JR相模線海老名駅と小田急相鉄海老名駅を結ぶ連絡橋です。長らく工事中でしたが完成しました。橋幅が広がり屋根付きで動く歩道まで設置されました。
境川、引地川へ行くときは海老名駅から大和駅を経由するので助かります。9月28日に通った時は工事中でした。今日が私の渡り初めです。

今日のスタート若宮堰の位置です。


其の244 引地川の中村堰用水路跡を歩く

 前回「其の243」で現在工事中の下土棚遊水地が昔は田んぼだったと述べました。地理院地図の標準地図には水田記号が並び、航空写真に切り替えると整然とした田んぼが広がり一目瞭然それと分ります。
工事中の引地川左岸遊水地D、C、B3池に沿って今でも長後堰用水路が流れているので、田んぼだった昔は長後堰用水路から用水を引いていたことが分かります。
対して中村橋下流、右岸の遊水地A池の昔はどうだったのでしょう。
中村橋より上流に取水堰がありそこから用水路が田んぼへ向かっていたはずです。
そんなことを思いついたので確認のため9月28日(月)晴れの日に再び下土棚へ行ってきました。

中村橋より引地川上流を望む
今日も小田急江ノ島線長後駅からの歩きです。中村橋より引地川上流を望む。100mほど上流に堰のようなものが見えます。

中村橋より引地川上流を望む・中村堰跡
地理院地図をズーム:18に拡大すると中村橋上流100m位のところに堰があり右岸には操作室(ポンプ小屋)とおぼしき建物があり、そこから始まる用水路が水色で表示してあります。
航空写真に切り替えると田んぼの様子も見られます。
一枚目の写真をズームアップするとこんな状況です。操作室はなく堰も撤去されています。堰上げしたとしても水面が低くポンプ揚水していたと思われます。

引地川中村橋
間近で観察したかったのですが、両岸とも遊水地工事のため進入禁止でした。

中村橋西の中村堰用水路跡
中村橋上流右岸住宅の西側をこちら側(南)へ向かう用水路(赤い線)。流れはなく水たまりでしたが用水路の跡です。

中村堰水利組合の看板
中村橋西側の農道入り口。「農道につき一般車両は通行できません 中村堰水利組合」。この看板で取水施設は中村堰と分かります。下土棚遊水地工事は平成18年着工です。この看板はよくぞ今日まで残ってくれました。

下土棚遊水地A池
農道へ入ります。あれっ、見たことがある景色です。前回下土棚遊水地を探訪した時に通った道です。左側が農道と引地川の間の下土棚遊水地A池です。

中村堰用水路跡
中村橋西詰め道路を潜って農道沿いを南へ向かう中村堰用水路跡。元を絶たれているので流れはありません。

中村堰用水路跡取水口
用水路跡左岸に田んぼへ用水を送るための取水口が残っていました。

中村堰用水路跡
その先の中村堰用水路跡。

下土棚遊水地A池
その先、東側に広がる工事中の下土棚遊水地A池。用水路跡はこの辺りまでです。
前方の橋は湘南台大橋。銘板によると2009年(平成21年)3月に藤沢市が造りました。
面白いことに前記の地理院地図には標準地図、航空写真共にこの橋は載っていません。いつ時点の地図、写真なんでしょうか? もっとも古いお蔭で今回の探訪の役に立っているので助かります。

中村堰用水路跡
用水路跡の行き止まりです。湧水の流入があり道路側に向けて少し流れがあります。この農道には汚水と雨水2種類のマンホールフタがあり地下に下水管が敷設されていると分ります。この先は多分雨水下水管に接続されていると思います。

中村堰用水路跡?
湘南台大橋を過ぎ湘南台高校の手前です。右側畑と道路の間は用水路っぽいですね。ここを中村堰用水路が通っていたと思います。

下土棚遊水地A池
南側湘南台高校と北側下土棚遊水地A池の境界の道路です。遊水地工事が始まる前まではこれより北側が田んぼでした。

下土棚遊水地A池
その先の引地川です。手前のゲートは雨水下水排水樋管と思われますが、田んぼがあったころは中村堰用水路の余水排水放流口だったと思われます。

中村堰用水路跡
地理院地図によると湘南台高校の北西地点で高校の西側を真っ直ぐ南へ向かう水路と上記の東へ向かう水路に分れます。
分岐点下流で見つけた用水路です。上流で水を絶たれているので空の水路です。中村堰用水路跡と思われます。

中村堰用水路跡
高校西側、住宅前の中村堰用水路跡と思われる用水路。下流を見る。

湘南台高校西側道路
その先の高校西側です。なにやら工事をやっています。地理院地図では水色の水路が道路西側を南へ向かっています。

湘南台高校付近
湘南台高校南西のはずれです。上流を見たところですが道路と擁壁の間が用水路跡のように見えます。地理院地図の水路表示はここで終わっているので探索はここまでです。
その先に高校南側に沿って東へ向かう幅一間くらいの細長い用地があります。かつての引地川への余水排水路かも知れません。

ところでなぜこんな南まで用水路は伸びていたのでしょう。湘南台高校は昭和60年開校だそうです。開校以前、その昔は田んぼで中村堰用水路の用水で田んぼを潤していたと想像します。

少し歩き足らないので川沿いに下流の石川堰を見に行きました。

柳橋より引地川上流を望む
湘南台駅に近い柳橋より引地川上流を望む。桜の大木が多いです。

横須賀水道引地川水管橋
藤沢市円行馬渡まで下ってきました。
横須賀水道引地川水管橋です。有馬系統Φ1000と半原系統Φ500、パイプビーム形式の水管橋です。
2年前の8月「其の97」で石川堰を訪ねた時以来の再会です。懐かしいですね~。当時は青色塗装でした。

横須賀水道みち・海の杭(海軍境界杭・波入り)
引地川左岸切り通し道の海の杭(海軍境界杭・波入り)にも再会。波入り海の杭は相模川以東の水道みちに打たれていますが例外もあります。半原水源地外周道で一本見つけました。

東山田橋より引地川上流を望む
東山田橋より引地川上流を望む。2年ぶりの石川堰とバックに横須賀水道引地川水管橋が見えます。

石川堰(空気式ゴム堰)と取水口、操作室
空気式ゴム堰・石川堰です。今季は役目を終えゴム堰は倒伏しています。

今回の探訪で引地川の農業用水取水施設は上流から若宮堰、長後堰、中村堰、石川堰及びそれぞれから始まる用水路を探訪したことになります。

[地理院地図で確認する]
あらかじめ下記数字(中村橋の緯度経度)をコピーしてから、地理院地図を開き検索窓に貼り付けると中央に中村橋が表示されます。中村堰跡、中村堰用水路、水田記号、水田の航空写真を確かめたい方は試してください。
中村橋緯度経度 35.405324,139.457211


中村橋の位置です。


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