横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の206 甲府盆地の天井川を訪ねる・甲府市の荒川

 国土交通省のHPを読むと、甲府盆地は扇状地が発達し天井川が形成されたところに市街地が発展していること、盆地内を流れる釜無川、笛吹川、荒川が天井川化している様子が図示されているなどいろいろと教えられます。お天気が良い日を選んで甲府駅に近い天井川化した荒川の様子を見に行きました。2月21日(土)晴れの日に探訪しました。

長松寺橋より荒川を望む
甲府駅前飯田通りを西へ進み荒川に架かる長松寺橋から左岸(海に向かって左側)河川敷に下りて一路南下しました。これは長松寺橋から見た荒川の上流の景色です。一級河川荒川の標識あり。荒川は国が管理する河川です。下流で笛吹川と合流し甲府盆地南端の禹之瀬(うのせ)で釜無川と合流し富士川となり駿河湾に注いでいます。

新荒川橋付近の荒川
一つ下流の橋、新荒川橋付近から見た上流の景色です。堤防と公園化した河川敷があり、水はその下を流れています。上流部の普通の河川です。

飲豊橋付近の荒川
その下流、飯豊橋下から見た上流の景色。左右両岸とも堤防上に民家が見えます。左手は南アルプス連峰。

飲豊橋下流の荒川
飯豊橋下流で南方へ大きく曲がる荒川。今日は右手に南アルプスの峰々、前に富士山を見ながら歩きました。目の前に私好みの水門があります。天井川に関係するので調べてみました。

三ツ水門取水施設・頭首工
改修工事中の堰から水中ポンプで取水し水門の方へ送水しています。田んぼへ水を送る時期ではないので転倒堰は倒れたままです。水中ポンプは暫定的と思います。中央に魚道がありこの施設は頭首工ですね。

三ツ水門
堤防外側に設けた水門。一見排水樋門と思ったのですが水の流れが逆でした。堤防上の説明看板によるとこの水門は「三ツ水門」と言うそうです。この下流に似た水門があと二つあります。
三ツ水門
三ツ水門は荒川左岸地域の用水を取水するための水門で水門が三個並んでいるのでこの名前がついています。荒川はここで流路を曲げているので昔から水防上も重要な個所となっています。大正初期に甲府市上水道が出来る前は、この水門から入った水が三吉町(現相生2丁目)や太田町の飲用水となっていました。現在もかんがい用水となっています。三ツ水門は市の中心部に近く、堤防の上からは南アルプスの連峰が見えるので、昔から甲府名勝三ツ水門として、市民の憩いの場所となってきました。
 説明看板より

堤防内側の三ツ水門
堤防の内側へ出てきた用水。農閑期ですが用水路維持用に流しているようです。
傍らに露木寛文学碑が立っています。碑文によると郷土史にも手を染め「三ツ水門」「江戸時代の甲府用水」「築城伝説」の著書があるそうです。

三ツ水門用水路
堤防内側沿いの町中を流下する用水。三ツ水門から取り入れ直後の流れなので用水の水位は荒川の水位と同じです。天井川は川底が周りの土地よりも高くなった川です。この辺りの町並みよりも低いところを探せば荒川は天井川と確認できます。
三ツ水門から東へ100mほど離れた光澤寺西信号から東方を眺めると明らかに下り坂です。目視ですが、荒川より東側はこの位置よりも標高が低いことが確認できました。

三ツ水門用水路
これは少し下流の二つ目の水門で取り入れた用水の流れです。堤防内側沿いを流下しています。こちらの水門には銘板が刻まれていました。「畦?堰用水樋? 昭和十二年三月」と読み取れました。

千秋橋の頭首工
その下流、千秋橋下流の頭首工です。左岸に三ツ目の取水門がありました。こちらの銘板は「住吉村第二樋管 昭和十二年三月」とはっきり読み取れました。取り入れた用水は上流の二つの用水と同様に堤防内側沿いを流れています。

オオバン・甲府市荒川
頭首工で見たくちばしと額が白色の黒い水鳥。4羽がかたまって休憩中です。見たことがない水鳥です。図鑑で調べたらクイナ科のオオバンと言うそうです。ここまでの川沿いでカワセミ、カワウの潜水、シラサギ、マガモ、ヒドリガモなどをウォッチングしました。

甲府市の荒川・千秋橋付近
千秋橋下流からみた上流側の風景です。住宅は普通に立ち並んでいます。天井川らしさを感じさせない風景です。

荒川右岸の樋門・新平和橋上流
新平和橋上流で見た荒川右岸の樋門です。この後、新平和橋まで歩き身延線の鉄橋を見たところで風景に変化がなく切り上げ、上流の千秋橋へ引き返しました。

千秋橋より東方を望む
千秋橋東詰めから見た県道3号線の東方向です。スロープ状の下り坂です。下の方に家並みが続いています。

県道3号線・千秋橋東
坂の途中から千秋橋を見ました。坂を強調するため目線を下げて撮りました。天井川を少しだけ実感しました。

県道3号線・遠光北信号付近
甲府駅へ向かうため千秋橋から一つ目の交差点(遠光北信号)を左折しました。直進は御坂、八代方面ですが緩やかな下り坂みたいです。
マピオンで標高を調べると、千秋橋東詰め堤防上が261m(川面、河川敷はなぜか260m)でした。千秋橋から南東約3.5km離れたところに小瀬スポーツ公園があります。そこの標高は253mで荒川の水面より7m低い位置にあり、これなら天井川です。国交省のHP(甲府盆地の東西断面図)にあるように荒川の堤防より少し離れたところと対比したマクロ的視点に立つと荒川の天井川化をうまく説明できると思います。

レトロバス・甲府駅前
甲府駅前で発車時間待ちのレトロバスと出合いました。乗りたかったのですがまたの機会に。
今日は好天に恵まれました。滋賀県草津市の草津川のような典型的な天井川は見られなかったものの、南アルプス、富士山を眺めながら私の好きな農業用水取水施設・頭首工も見られて充実した一日となりました。風もなく絶好のウォーキング日和でした。
甲府盆地には信玄堤、万力林など大昔の治水施設が残っています。水道みち・水路好事家の管理人にとっては魅力的なところです。また訪ねたいと思います。

今日の探訪記念です。甲府の町中から見た雄大な山二つ。
甲斐駒ケ岳と富士山です。
甲斐駒ケ岳 富士山・甲府駅付近より

今日の歩きはじめ長松寺橋の位置です。

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其の205 陸軍の境界杭⑤ 旧陸軍士官学校周辺

 前回、其の204で座間谷戸山公園(ざまやとやまこうえん)内の旧陸軍が造った配水池(現米軍キャンプ座間配水池)を探訪しその周りで陸軍境界杭を見つけました。今回はさかのぼって配水池の水源を探訪しました。陸軍境界杭を見るのが目的ですが、三つの水源地がどのようなところにあるのか興味があります。2月13日(金)晴れの日に探訪しました。

陸軍士官学校・第1水源地
目久尻川に架かる上栗原橋から見た第1水源地です。目久尻川右岸(河口に向って右側)沿いにあり地下水をくみ上げ、第2・第3水源地から送られてきた地下水と合せて北西方向にある座間谷戸山公園内の配水池へ送水しています。近年米軍キャンプ座間へは神奈川県営水道が給水を開始し比率が低下したとはいえ未だに使用を続ける現役の水道施設です。
推定昭和10年頃に施設を造った旧陸軍は80年後の世に、まさか米軍に使われ続けるとは夢にも思わなかったでしょうね。

目久尻川・オナガガモ
第1水源地前の目久尻川でオナガガモのつがいが採餌中でした。これはオスです。

陸軍士官学校・第1水源地
上栗原橋を渡ったところにもこんな施設があります。八角形の施設です。旧陸軍が造った施設と思われますが、どのような働きをしているのでしょう。
どちらの施設も英語と日本語の立ち入り禁止看板が掲げてあります。この二つの施設の周りを一巡しましたが、陸軍用地境界杭は見つからず。

陸軍士官学校・第2・第3水源地
これは栗原中学東の第2・第3水源地です。東西の丘に挟まれた谷戸に設けてあります。谷戸なら地下水は豊富と思われます。地図を開くとここは芹沢川の最上流部の北になります。育愛橋には西老場沢と表示されていました。

陸軍士官学校・第2・第3水源地
栗原中学北東の第2・第3水源地入り口。例の英語と日本語の立ち入り禁止の看板あり表通りへ引き返します。
この後北進し座間総合高校前の育愛橋を渡り東側の丘陵にある芹沢公園から中丸の坂を下り栗原中学へ戻りました。第2・第3水源地を遠回りに一周したことになります。

栗原中央2丁目の坂
帰り道、栗原中学西の坂上から見た北西方向の景色です。坂下に第1水源地があり、中央の座間市役所庁舎の方向に配水池があります。
座間市発行の「座間市と基地」に基地返還の成果という地図が載っています。その中に緑ヶ丘土地区画整理用地という細長い用地(第1水源地から現市庁舎の方へ向かう細長い用地)があります。この用地は昭和63年12月に日本に返還されました。返還後は再開発され現在の地図に元の道の面影は残っていませんが、私は配水池へ送水するための水道管が敷設されたかつての水道みちと想像しています。

座間図書館北の水道みち
座間市庁舎の北西に水道みちが残っています。
これは市立座間図書館北の北西の配水池へ向かう小道です。座間市庁舎を背に撮影しました。ちょうど第1水源地から配水池へ向かう線上にあります。今日は小屋にかくれて見当たりませんでしたが、右側電柱の手前に陸軍用地境界杭が打ってあります。かつてはこの道の両側に境界杭が打ってあり水道管が敷設されていたはずです。今でも水を送り続ける現役の水道施設なので、この道は水道みちですね。このことは「まめこぞうの旅」さんの「第38話 陸軍の水道」で「陸」文字入りの陸軍境界杭の写真と共に紹介されています。

座間谷戸山公園内の水道みち
その先、座間谷戸山公園内の水道みちです。まっすぐ進むと旧府中街道に突き当たります。そこが配水池です。

陸軍士官学校・座間谷戸山公園内配水池
水道みち沿いのふれあい広場から見た配水池です。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
今日の水源地巡りで陸軍境界杭を発見できなかったので、配水池の金網フェンス沿いにちょっと奥まで入ってみました。北西の角で見つけた陸軍用地境界杭です。背が高いのは防衛施設庁の杭。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
竹藪から見ると「陸」と一文字。今まで見た杭と同じ15cm角、御影石製です。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
上面には矢印が刻まれています。矢印は陸軍境界杭の特徴です。敷地線と方向を示しています。

配水池付近から見た陸軍士官学校方向
配水池付近から見たマンションの影になりますが陸軍士官学校の方向です。右側クレーンは工事中のチャペル・ヒル住宅地区返還予定地。
私は陸軍士官学校が市ヶ谷から今の相武台へ移転したのは東京に近く、演習に適した広い台地があるなどと単純に思っていました。今回の探訪で飲料水、生活用水の確保が決め手になったと思うようになりました。生徒職員用はむろんのこと、地元民の間では士官学校といえば馬を連想するくらい軍馬が多く(数百頭)飼育されていたので軍馬用の水の確保も必須条件であったと思われます。座間市は県内では珍しく水道需要の85%を地下水でまかなうほど地下水資源が豊富なところです。

陸軍士官学校配水池付近より大山を望む
配水池付近から大山を望む。ここから見ると周りの景色のせいかぐっと迫って見えます。

座間谷戸山公園散策路
おしまいに座間谷戸山公園内の散策路です。園内には石仏が多く残っていると案内板にありました。いつかまた訪ねるつもりです。

今回は「座間市と基地」平成26年座間市発行を参考にしました。三つの水源地の所在地、働きなどについて別途照会しました。歴史的経緯については水道施設が軍の機密事項に該当するため、詳細な資料が残されていないのが現状だそうです。

海軍にも似たような話があります。
横須賀の旧海軍が施工中に敗戦を迎え、後を引き継いだ横須賀市水道局が戦後に完成させた有馬系統(海老名・横須賀間の軍港水道)がそれです。軍の機密に属する施設だったため連合国軍の進駐を控え、旧軍当局の命令により関係文書や図面が焼却され今なお不明な点が多くあるそうです。

海軍の境界杭(4種類)はこちらです。「海」の文字が入っています。「陸」の境界杭と比較してください。

上栗原橋の位置です。



其の204 陸軍の境界杭④・旧陸軍士官学校周辺

 陸軍用地境界杭シリーズの第4弾です。小田急線相武台前駅から歩いて10分位のところに神奈川県立座間谷戸山(ざまやとやま)公園があります。広大な公園内に陸軍士官学校の水道施設が残っていると相武台歴史同好会のYさんから教えていただき、2月7日(土)晴れの日に探訪しました。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
県立座間谷戸山公園内の一角にあったその施設の正門です。英語と日本語で施設内立ち入り禁止の看板が掲げてあります。陸軍士官学校が相武台へ越してきたのが昭和12年でした。旧陸軍がそれに合わせて造った施設がそのまま駐留米軍キャンプ座間に引き継がれ使用されました。
右側電柱の下にコンクリート製の門柱が見えます。旧陸軍時代のものと思われます。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
角度を変えて見ました。手前に転がっているコンクリートは正門左側の門柱と思われます。
人工的な小山が築かれ頂上には八角形の施設が見えます。園内の公園案内地図を見るとこの場所は「配水池」とあります。見回したところ公園内で一番標高が高い位置にあり給水圧を得るには最適な場所です。別の水源池から標高の高いここへポンプ揚水したと思われます。座間市は県内では珍しく水道需要の85%を地下水でまかなうほど地下水資源が豊富なところです。

座間谷戸山公園・キャンプ座間配水池
配水池前を通る旧府中街道です。左側が配水池で今日のお目当て陸軍用地境界杭が見えます。公園内の一角に施設があるなら用地境界杭が残っているはず、という推測が当たりました。

陸軍用地境界杭
「陸」と一文字。今まで見た杭と同じタイプです。並んだ杭は防衛施設庁の杭です。

陸軍用地境界杭
正門北で見たもう1本の杭。手前の防衛施設庁杭と並んでいます。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
黄色のペンキが塗ってありますが「陸」と読めます。

陸軍用地境界杭・座間谷戸山公園
上から見たところです。矢印が刻んであります。サイズは15cm角、御影石製。今まで見たものと同じです。
今日の収穫はこの2本だけでしたが、まだ探せばあるはずです。帰りに座間市立図書館に寄り道しました。平成26年版座間市発行の「座間市と基地」に基地返還の成果という地図を見つけました。この地図は参考になると思います。


今日は公園外周道をほぼ一周しました。庚申塔を見つけ園内を通る旧府中街道、星の谷街道を歩きましたのでその様子をご覧ください。

三峰台の庚申塔
公園南入口付近の三峰台の庚申塔です。
青面金剛像。六臂、下の方に三猿(見ざる言わざる聞かざる)がうっすらと見えます。建立は明和五戊子と刻まれています。1768年十代将軍家治の時代です。

星の谷街道・座間谷戸山公園
これは三峰台の庚申塔から西へ通じる切り通し道で星の谷街道といいます。街道南側に三峰神社があり参拝しました。

星の谷庚申塔
星の谷街道の坂道を下ると旧府中街道に突き当たります。両街道交差点付近の星の谷庚申塔です。こちらは文字塔です。道標を兼ねているようで両側面に「左原町田 きそみち ふちう 右東京 横濱 あつぎ」などの文字が見えました。
建立年は明治八乙亥年と刻まれています。1875年です。
左端は馬頭観音像です。

座間谷戸山公園・長屋門
旧府中街道沿い西入口の長屋門です。門をくぐり園内へ入りました。

座間谷戸山公園・谷戸田
長屋門東、公園内の谷戸田。

座間谷戸山公園・水鳥の池
谷戸田の水源(溜め池)の水鳥の池。マガモが遊んでいます。

座間谷戸山公園・水鳥の池
マガモは人慣れしているのか逃げません。三脚に超望遠レンズカメラをセットしたカワセミ狙いの人がいました。この日、野鳥はジョウビタキのメス、キジバトのつがい、ツグミなどを観察しました。楽しいですね~。
ここは自然豊かな里山の風景が見られる場所です。四季折々変化があり楽しめそうです。陸軍境界杭探訪がてらぜひ再訪したいところです。
今回も相武台歴史同好会のYさんにいろいろ教えていただきました。ありがとうございました。

おしまいに管理人から拍手ボタンのお願いです。
ここ半年のことですが、嬉しいことに今までボタンのみだった拍手ボタンに数値が入り、なおかつそれが漸増しています。ご来訪される皆様の応援の賜物と感謝申し上げます。
ブログを始めてこんなことをお願いするのは初めてですが、この記事が面白かったと思われる方は↓のグーグルマップ左下のピンク色の拍手ボタンのクリックをよろしくお願いします。管理人宛て非公開コメントの書き込みも可能です。


座間谷戸山公園・配水池正門の位置です。


其の203 相模原畑地かんがい用水路の遺構・相模原市麻溝台

 1月25日(日)晴れ、相模原市南区麻溝台に残る相模原畑地かんがい用水路(以下畑かん用水路)の探訪に行ってきました。久しぶりに横浜水道みちを自転車で走り、戦車道の連続する陸軍用地境界杭を見た後、相武台歴史同好会Yさんに教わった畑かん用水路の遺構がある小松会病院の方へ向かいました。
たまに水道みちを通るのも良いことで、前回発表の通り水無月園(菖蒲田)前で「道志川系統活性炭注入設備新設工事」が始まったことを知りました。

相模原畑地かんがい用水路の遺構・麻溝台
小松会病院前の道路から見た農地の中の畑かん用水路の遺構です。北の方向(用水路上流)を見たところです。南清掃工場の煙突が見えます。ここは相模原市南区麻溝台です。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
上記水路管の南端はこのように歩道際(小松会病院前の東西に通じる道路)で切断されています。昔は道路をサイフォンで横断し南側の新磯野の農地へ向かっていたと思われます。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
これは逆方向、北側の道路から南方(用水路下流)を見たところです。コンクリート製の水路管(セグメントパイプ)は南へ向かい東、南へと向きを変えクランク状に敷設してあります。右奥の建物が小松会病院。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
セグメントパイプと塀の間を通り中の様子を観察しました。
直径1m位の円柱形の桝で南向きから東向きへ方向転換。そばに神奈川県のマーク入り境界杭が見えます。畑かん用水路の幹支線は神奈川県が工事を行いました。敷設用地は神奈川県所有のようです。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
桝から東へ向かうセグメントパイプ。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
桝から見た北方向のセグメントパイプ。セグメントパイプは長さが3m、外径は45cm、上部に長さ1mの長円形の開口が2か所あります。開口部は下の写真のようにサイフォン管で畑に給水するための開口です。

相模原畑地かんがい用水路・小支線
末端の小支線用水路から畑へ給水の様子。サイフォン管で給水しています。(相模原市史現代通史編 p289より)

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
ここにも神奈川県の境界杭が。桝と北側道路間。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
北側道路際の円柱形の桝。これは道路下を横断したサイフォンの吐口桝(はけくちます)です。直径は約1m。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
道路北側の呑口桝(のみくちます)。吐口桝と同じ形状です。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
道路西側から見た呑口桝と吐口桝。道路下約1.2mに二つの桝をつなぐヒューム管が敷設されています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
呑口桝北側(上流)の様子。セグメントパイプは半ば土で埋まっています。右奥竹藪の方へ続いています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
その上流です。竹藪の北側を東西に通じる道路際に円柱形サイフォン吐口桝が残っていました。ごみ捨て場になっています。

相模原畑地かんがい用水路・麻溝台
吐口桝を背に北を見るときれいに整地された広場になっています。呑口桝は撤去されたようで見当たりません。これより上流は???です。「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」によると東西分水工の東で分水した麻溝三号線が麻溝台、新磯野まで伸びているので、これが該当する支線用水路線ではないかと思います。

麻溝台・新磯野土地区画整理事業予定地の看板
小松会病院付近で見た麻溝台・新磯野土地区画整理事業予定地の看板。今日見た畑かんの遺構はこの事業の影響を受けるのでしょうか。

私は畑かん用水路水源池の津久井分水池から藤沢市円行2丁目の終点まで歩き、多数の遺構を見せてもらいましたが、今回のような原形をとどめた規模の大きい支線用水路の遺構は初めて目にしました。探せばまだまだ残っていることをあらためて認識しました。
今回も相武台歴史同好会のYさんのご支援により実現しました。ありがとうございました。

今回の参考資料です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術史」
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」
1965年3月神奈川県農政部耕地課 (相模原市立博物館蔵)

今回見たセグメントパイプの南端の位置です。

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