横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の202 陸軍の境界杭③・旧陸軍士官学校周辺

 陸軍用地境界杭シリーズの第3弾です。1月20(火)、25日(日)に探訪しました。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
やって来たのは峰山霊園の西、県立相模原公園から真っ直ぐ南へ伸びている道の南端です。道路東側、目の前の杭が陸軍用地境界杭です。サイズは15cm角、御影石製です。4面共「陸」の文字は刻まれていません。杭の上面には矢印が刻まれ、道路西側を指しています。シュロの木の根元に杭が見えます。奥の建物は相模はやぶさ学園。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
上記境界杭を西から見ました。東側はこんな風景です。上面の矢印は東から西を指しています。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
道路西側シュロの根元の境界杭。15cm角、御影石製です。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
杭の上面を南側から見ました。中央に丸、南南東から来て北を指しています。大坂台公園東北のはずれで見た陸軍境界杭と同じ表示の仕方です。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
北へ向かう一本道。約1.3km進むと県立相模原公園(相模女子大グランド前信号)に突き当たります。ここから連続する境界杭は道路を含む東側の麻溝台が陸軍用地(陸軍士官学校練兵場)、道路西側の下溝地区が民有地であったことを示しています。左側の建物は相模はやぶさ学園。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
相模はやぶさ学園付近、道路西側に無造作に放置された陸軍境界杭。15cm角、長さは120cm、御影石製です。「陸」の文字はなし。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
その先、道路西側の陸軍境界杭。
この道は20日に同行していただいた相武台歴史同好会のYさんによると、戦車道(せんしゃみち)と地元では呼ばれているそうです。暮れの12月7日開催「旧陸軍士官学校の周辺巡り」の講師を務めた涌田先生の著書に、陸軍士官学校には数台の戦車が配属され演習に使用していたことが記されています。相模原市の陸軍相模造兵廠(現在の米軍相模総合補給廠)で製造されたチハ式と言う戦車で貴重な演習中の写真も掲載されています。戦車道は相武台高校(現相模原青陵高校)前を東進する道と、それに交わる相武台小学校西側の小起伏の連続する道で、戦車は繰り返し走行していたといいます。
そういえば、上記の講演会資料をよく読むと「掘割の道のトンネル部分は昭和20年頃には、陸軍士官学校の修理工場、戦車等の格納倉庫として使用され民間人の通行は禁止された」と書いてあります。
陸軍の士官学校なので地上戦に欠かせない兵器である戦車訓練はあって当然ですが、かつてここに戦車が走り回っていたとは、この田園風景からは想像もできないですね。

陸軍用地境界杭・相模はやぶさ学園付近
上記杭の上面アップ。北(右)に向って矢印が刻まれています。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
その先の陸軍境界杭。杭は歩測ですが約50m間隔に打ってあるようです。

陸軍用地境界杭・陸軍士官学校周辺
矢印はやはり北(右)へ向かっています。

陸軍用地境界杭・麻溝公園競技場付近
さて、この杭は南(左)から来て西(奥)を指しています。

陸軍用地境界杭・麻溝公園競技場付近
杭の後方(道路)から見た西の景色です。これより西にあると思われる杭は発見出来ず。探訪はここまでです。おそらくこの先で北へ向きを変えていると思われます。

陸軍用地境界杭・相模原ギオンスタジアム付近
今たどってきた進行方向です。相模原ギオンスタジアムや女子美術大学の手前の交差点近くです。

横浜水道みち・道志川系統工事現場
おしまいに横浜水道みち関連情報です。
女子美術大学前を横浜水道みちが通っています。横浜水道みちの上、フェンスで囲った工事現場です。なにやら工事が始まったようです。

横浜水道みち・工事現場 横浜水道みち・工事現場
「道志川系統活性炭注入設備新設工事」の現場でした。ここは昔、下溝減圧水槽があったところです。
右側は水無月園(菖蒲田)側へ迂回案内の看板。
工事期間は平成27年1月9日~9月30日まで。

今回の参考資料です。
「郷土史としての相武台陸軍士官学校」 涌田 祐
(市立相模原図書館蔵)
今回も相武台歴史同好会のYさんのご支援により見つけることが出来ました。ありがとうございました。

次回は相模原畑かん用水路の遺構を投稿する予定です。

今回のスタート地点の位置です。


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其の201 陸軍の境界杭②・旧陸軍士官学校周辺

 旧陸軍用地境界杭について「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」で第1回目を発表しました。今回はその第2弾です。
1月20日(火)晴れの日に探訪しました。今日はいつもとは違って、暮れの12月7日開催「旧陸軍士官学校の周辺巡り」でお世話になった相武台歴史同好会のYさんと連れ立って二人旅です。

陸軍用地境界杭・相模原市相武台
最初にやってきたのは「旧陸軍士官学校の周辺巡り」で通った掘割の道に架かる中原陸橋近くの陸軍境界杭です。左手前にさり気無く立っています。
道路左側のフェンスは米軍キャンプ座間の境界です。電柱の住居表示ではここは相模原市相武台2丁目25です。

陸軍用地境界杭・相模原市相武台
陸と一文字。通りがかりの地元のお年寄りの話では元の場所から右へ2、3m移動したそうです。サイズは15cm角、御影石製で今まで見たものと同じです。黒い英数字はペンキ。

陸軍用地境界杭・大坂台公園付近
その近くの2本目の境界杭です。やはり陸と一文字。サイズも材質も同じです。

陸軍用地境界杭・大坂台公園付近
真上から見たところです。矢印が刻まれています。左斜め下から右方向へ。境界線と方向を表していると思います。

大坂台公園付近
境界杭から見た景色です。ここは大坂台公園の北東のはずれです。フェンスの左が大坂台公園、右が米軍キャンプ座間。この辺は相模原市と座間市の境界が入り組んでいます。ここは座間市に入っています。

大坂台公園
大坂台公園に入りました。フェンスは日米の境界線です。

大坂台公園・玉石の石垣
公園とキャンプ座間の境、旧陸軍が造ったと思われる玉石の石垣。掘割道の擁壁にも玉石が使われていました。Yさんのお話では玉石の石垣は年々少なくなっているそうです。

陸軍用地境界杭・大坂台公園
大坂台公園内の今日3本目の陸軍境界杭です。無造作に放置されています。

陸軍用地境界杭・大坂台公園
上部のアップです。陸と一文字、サイズは15cm角。全長は117cmの御影石製です。

県道51号線・行幸道路
大坂台公園前の県道51号線(行幸道路)。坂を下って行くと右側が陸軍士官学校表門(現米軍キャンプ座間正門)です。
行幸道路
昭和12年、陸軍士官学校がこの地に移転してきました。そして、12月20日、第50期生の卒業式が行われ、天皇が行幸し、陸軍士官学校の所在地を「相武台」と命名しました。この時、横浜線原町田駅から陸軍士官学校まで、元の府中街道を改修して道路が造られました。これが「行幸道路」(県道51号町田厚木線)です。
「旧陸軍士官学校の周辺巡り」配布資料より。
相武台の地名は昭和天皇から下賜されました。昔の国名、相模の国と武蔵の国を合わせた相武ではなく士官学校にちなんだ武を相(みる)が由来です。

Yさんにはこの後連続する陸軍境界杭、相模原畑かん用水路の支線用水路跡の道幅のヘンな道路や、未だに残る畑かん支線用水路の遺構などに案内していただきました。また陸軍士官学校の上水道給水源などの話も伺い、テーマが増えこの先の探訪が楽しみです。日を改めて探訪し発表したいと思います。

軍都時代の相模原
これは「旧陸軍士官学校の周辺巡り」講演会で涌田先生が使用した資料「軍都時代の相模原」です。図にあるように相模原はまさに軍都相模原で4学校、2病院、1工場、1実戦部隊の計8つの施設・部隊が置かれていました。士官学校は面積が787町歩(練兵場含む)もあり最大です。相模川を西へ渡ったお隣の愛川町には「相模陸軍飛行場」(中津飛行場)があり、この辺一帯にかつて陸軍の施設が集中して置かれていたことがよく分かります。

今回ご覧のように今日見た陸軍用地境界杭はふらっと歩いただけでは見つけるのは困難です。対象エリアが広く年月の経過もあり用地境界線も定かではありません。そんな中、地元の研究家Yさんのご厚意で労することなく見つけることが出来ました。ご支援ありがとうございました。

関連記事です。
「其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺」
(2014/12投稿)

海軍の境界杭(4種類)はこちらです。比較してください。
「其の188 横須賀水道半原水源地・半原取水口を訪ねる」
(2014/11投稿)

掘割の道、東の起点近くの中原陸橋の位置です。




其の200 鈴川河口を訪ねる②・色氏橋から相模湾河口へ

 前回からの続きです。前回は色氏橋(いろうじばし)まで進みました。

下水道横断標識
これは古川樋門と色氏橋間で見た右岸堤防上の神奈川県流域下水道事務所の標識です。この下を1500mmの下水道管が通っています。前回は県営水道の立体交差標識を見ましたが、ここは下水道の立体交差です。

下之宮橋上流の水管橋
下之宮橋上流で見た外径550mm位の水管橋。平塚市の上水道は神奈川県営水道が担っています。多分その送水管または配水管と思われます。東側を流れる渋田川を水管橋で渡っているのが見えます。

鈴川・下之宮橋下流
下之宮橋下流で河原に下りました。上流の下之宮橋、水管橋が見えます。

長持ポンプ場放流口
河原に下りたのはこの施設を見るためです。左側は逆流防止のフラップゲートがついた長持ポンプ場放流口、右側にはコンクリートの四角い開口があります。

下之宮閘門
正面から見るとこんな感じで、入り口上部に名前が刻んであります。右書きで「下之宮閘門」。閘門?? 閘門とは水位差を調節する(見沼通船堀閘門のような)水門と理解しているのですが、これはなんでしょう。中はコンクリートのトンネルで奥は壁で行き止まりになっています。奥は長持ポンプ場の構内です。なんのための施設か気になります。

平塚市・長持ポンプ場
これは堤防上の平塚市の施設長持ポンプ場です。雨水排水用のポンプ設備です。今日は快晴でポンプは運転していません。

鈴川・渋田川合流
その下流で渋田川と合流。キロ程標柱によると海から3.6km地点です。手元地図では合流後は渋田川に名前が変わりますが、説明上金目川と合流するまでは鈴川で通します。

玉川橋際の樋門
その下流の玉川橋際の樋門。樋門が多いです。下流の平塚大橋際、高麗大橋際、花水川橋際にもありました。

東雲橋より金目川上流を望む
玉川橋西に隣接の東雲橋より北西から来た金目川上流を望む。ここでも大山が写っています。この下流で鈴川と合流します。

平塚橋より鈴川上流を望む
大畑橋からここまで鈴川右岸(河口に向って右側)沿いを歩いてきましたがここ平塚橋で左岸側(河口に向って左側)へ渡ります。平塚橋より鈴川上流を望む。

平塚大橋沿いの水管橋
平塚大橋沿いの神奈川県企業庁(県営水道)の水管橋です。

「水管橋 どこからどこへ 行くのだろ」 doushigawa

たぶん寒川浄水場からここより西の大磯町、二宮町へ向かっている送水管と思われますが、下之宮橋の水管橋と合わせて調べてみたいと思います。

アオサギ・平塚大橋下流
平塚大橋下流で無警戒なアオサギに出合いました。

金目川左岸堤防上の散策路
左岸堤防上の道。散策する人多数。正面は大磯丘陵です。

金目川海から2.2km標柱
「金目川 海から2.2km」。右岸側が草木に遮られていて気づかなかったのですが、いつのまにか金目川と合流していました。合流後は金目川になります。花水川とも呼ばれます。

高麗大橋下流の散策路
高麗大橋下流、金目川左岸堤防上の散策路。花見が楽しめそうです。

R1花水橋より金目川上流を望む
R1花水橋より金目川上流を望む。ここでも大山がくっきり。

小桜川樋門
平塚市の施設小桜川樋門。

小桜川
小桜川樋門から見た小桜川上流。

東海道線下流の金目川
金目川を渡る東海道線。大山は最後までくっきり写っています。

カワウ・花水橋付近
カワウが5羽、休憩中です。花水橋付近にて。

R134花水川橋
海岸沿いのR134花水川橋。金目川最下流の橋です。

「二級河川 かなめ川 神奈川県」の標識
左岸堤防上の「二級河川 かなめ川 神奈川県」の標識。

R134花水橋より花水川河口を望む
R134花水川橋より金目川河口を望む。大山阿夫利神社下社から眺めた相模湾が目の前です。

金目川河口と相模湾
渚より金目川上流を望む。とうとう河口に立ちました。

平塚市花水河口の碑
花水橋際の「平塚市花水河口」の碑。
県下名勝史跡四十五佳選当選記念 昭和十年十月 横浜貿易新報社が建立しました。


今回良かったことは快晴の青空です。風もなく天からの最高のプレゼントでした。富士山、大山が最後までくっきり。こんなことはめったにないと思います。
樋門、農業用水取水施設、水管橋など私が好きな施設を見ながら楽しんで歩くことが出来ました。それに野鳥観察も。
地図上で鈴川の延長を測りました。
探訪の起点柳橋から二重の滝まで約10.2km。
柳橋から金目川合流点まで約6.8km、合流点から河口まで約2.6km。合せて上下流約19.6kmを歩きました。

今回のスタート地点、色氏橋の位置です。

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其の199 鈴川河口を訪ねる①・大畑橋から色氏橋へ

 前回で鈴川源流、大山阿夫利神社下社付近の二重の滝まで探訪を終えました。行きがかり上、間を置かないで一気に河口まで歩けば源流河口完歩の達成感を味わうことが出来、気分もすっきりします。
1月18日(日)快晴、朝からすっきり晴れ渡っています。朝刊の天気予報では東京地方は日中がお日様マーク、降水確率0%、予想最高気温11℃と絶好のウォーキング日和です。毎度お馴染みとなった小田急線鶴巻温泉駅から歩き始まました。

秦野市鶴巻・ホタルの田んぼ
秦野市のガーデンシティひかりの街を抜け鈴川の柳橋へ向かいます。これは途中で見た地元のホタルを愛する人たちによる田んぼの清掃整備作業の様子です。ドジョウやタニシ、カワニナなどが自生していて5月末ごろになるとゲンジボタルが見られるそうです。

矢茂井橋より善波川上流を望む
矢茂井橋から見た善波川上流です。大山がくっきり。上記の人たちの会(鶴巻ホタルの会、鶴巻の田園環境を守る会)ひかりの街センターではホタルの養殖もおこなっていてこの川に放つそうです。川床には陸地もありこれなら将来自然繁殖するかもしれません。

 このあと鈴川に架かる柳橋から東橋、菖蒲橋、町屋橋へと下流へたどりました。この辺りはすでに「其の179神奈川県の天井川を訪ねる・平塚市岡崎の鈴川」で探訪し投稿済のため省略します。

大畑橋より鈴川上流を望む
県道63号線大畑橋までやって来ました。大畑橋より鈴川上流を望む。白い橋は町屋橋。

大畑橋より鈴川下流を望む
大畑橋より鈴川下流を望む。ここで右から大根川が合流します。

大畑橋より大根川上流を望む
大畑橋より大根川上流を望む。眺めが良かったのでズームアップで撮りました。快晴で雲一つなく富士山の眺望が最高です。私好みの水門が見えます。東海大学駅前の方から来た用水路の終点で大根川に放流しています。この水門は大根川が洪水の時に用水路に逆流するのを防ぐための樋門と思われます。

大畑橋付近のシギ
これは大畑橋の真下の用水路にいた水鳥です。シギの仲間と思われます。この上下流辺りでは水辺の鳥類(サギ、カモの仲間)を多く見かけました。目の前でカワセミのホバリング採餌の様子を2回も見ました。残念ながらカメラに収められず。

鈴川・金目川サイクリングコース地図
大畑橋際の平塚市が設置したサイクリングコースの案内板。今日は鈴川右岸(河口に向って右側)堤防上のサイクリングコースを歩きます。

新大畑橋下流の取水施設
新大畑橋下流で取水堰の改修工事をやっていました。左岸(河口に向かって左側)に取水門やごみ除けの格子(スクリーン)が見えます。

鈴川に架かる舟橋
その下流の舟橋。橋脚に水位目盛りが刻んであります。レッドゾーンの最高水位は4.5m。

宮下橋より鈴川上流を望む
宮下橋より鈴川上流を望む。

宮下橋より鈴川上流を望む
同宮下橋より鈴川上流を望む。振り返ればいつも富士山と大山。今日は常に富士山と大山に見守られながら歩きました。

河底横過トンネル埋設標識板
小田原厚木道路交差点近くで面白い標識を見つけました。「河底横過トンネル埋設標識板」とあり、鈴川の下を神奈川県営水道の呼び径400Aの水道管(送水管または配水管)が横断しています。これを見ると河界の意味、水位、伏越・サイフォンなどいろいろと教えられます。

大山道道標と双体道祖神・新白髭橋付近
大山道道標と双体道祖神。仲睦まじい神様です。お色気で災厄が来るのを防いでいるのかも知れません。双体道祖神の建立は平成十二年六月吉日とあり、新しい作です。

イカルチドリ・新白髭橋付近
この辺りで20人くらいの人だかりがあり、しきりに左岸の方を注視しています。聞けばバードウオッチングの集いのようで、珍しいイカルチドリを見つけたようです。こんな小鳥です。撮影に挑戦するも距離がありすぎでこれが精一杯でした。

豊田堰取水施設
新白髭橋下流左岸の豊田堰取水施設です。中央の水門は「豊田堰取水樋管」。堤防上の白い建物は操作室。左端のフラップゲートは農業用水路の余水排水口です。相模川右岸幹線用水路(西部用水)の余水排水もすのこ橋の終点からこの水路に入りここで放流しています。

豊田堰取水樋管
豊田堰取水樋管の銘板です。
豊田堰取水樋管
1998年5月 神奈川県
管理者:平塚市農業土木水利組合
型式:鋼製スライドゲート
寸法:幅1.3m 高さ1.5m
門数:1門
施工:日本自動機工株式会社 
(銘板より)

鈴川の豊田堰
右岸から見た豊田堰です。今は農閑期で転倒ゲートは起立していません。
鈴川豊田堰
1998年5月 神奈川県
管理者:平塚市農業土木水利組合
型式:鋼製自動転倒ゲート
寸法:幅13.75m 高さ1.2m
門数:2門
施工:日本自動機工株式会社 
(銘板より)

豊田堰・右岸の魚道
右岸に設置のシンプルな魚道。

鈴川キロ程標柱
鈴川豊田堰下流のキロ程標柱。「鈴川 海から6.4km」。

岡崎大橋より鈴川上流を望む
岡崎大橋より鈴川上流を望む。正面は大山。

岡崎大橋より富士山を望む
岡崎大橋より富士山を望む。歩き始めて1時間半位たっていますが雲一つありません。私が住む相模原市からは間に丹沢の山々があり富士山を望むことはできません。ついつい視線が富士に向います。大山は朝な夕な仰ぎ見ています。

鈴川の樋門・豊田本郷
豊田本郷で見た樋門です。

東海道新幹線と交差する鈴川
東海道新幹線下を通過。右が東京方面。

鈴川の古川樋門
八坂神社付近、鈴川右岸の古川樋門です。
1986年3月竣工 神奈川県
寸法:W2.9m×H2.35m 2連
管理者:平塚市  
(銘板より)

古川樋門より古川上流を望む
古川樋門より古川上流を望む。

鈴川・古川樋門付近
古川樋門付近の鈴川。

色氏橋より鈴川上流を望む
色氏橋(いろうじばし)より鈴川上流を望む。

まだ河口まで3km以上ありそうですがこの先は次回投稿します。

鶴巻温泉駅の東方、鈴川に架かる柳橋の位置です。


其の198 鈴川源流を訪ねる③

 前回からの続きです。今回が鈴川源流を訪ねるシリーズの最終回です。前回は鈴川に架かる雲井橋まで進みました。

雲井橋より鈴川を望む
雲井橋より鈴川を望む。床固工が見えます。橋を渡ったところに大山川の標柱あり。どっちが本当の名前でしょう。
この先はケーブルカーに乗るか、女坂または男坂にするか3択です。男坂を歩けば鈴川を見られるかも知りませんが楽をしてケーブルカーを選択。

鈴川の透過型砂防堰堤
雲井橋上流の鈴川です。これは透過型の砂防堰堤と言いコンクリートの堤体に挟まれたジャングルジムのような柵で巨大な礫や流木を捕捉します。まさか鈴川上流でこんな珍しい施設にお目にかかるとは全くの想定外。嬉しい誤算です。
所在場所は大山ケーブル駅と大山寺駅間東側(山頂に向かって右側)渓谷です。帰り道の男坂から撮影。

阿夫利神社駅
標高678mの阿夫利神社駅。大山ケーブル駅から二つ目の駅で終点です。

大山阿夫利神社下社
茅の輪をくぐり大山阿夫利神社下社に参拝しました。

大山阿夫利神社下社からの眺望
大山阿夫利神社下社境内から見た下界の景色。再探訪したこの日(8日)は快晴で、江ノ島から三浦半島、房総半島まで望め、東京湾が川のように見えました。探訪途中で出合った大山道標に右道江ノ島と刻まれていました。江戸時代の人たちは参拝を終えると江ノ島まで遊びに行ったのでしょう。昔の人は健脚です。

南沢土留工
参拝後、今日の最終目的地二重の滝へ向かうため境内下の広場から階段を下り見晴台方面の道へ入りました。茶店下の南沢土留工。平成8年度に神奈川県林務課が築造しました。

関東ふれあいの道道標・見晴台、日向薬師方面
関東ふれあいの道道標。見晴台、日向薬師方面へ進みます。

モミの原生林・関東ふれあいの道
針葉樹モミの原生林を通る関東ふれあいの道。

南沢コンクリート谷止工
その先で見た関東ふれあいの道沿いの砂防ダムのような堰堤。銘板によると南沢コンクリート谷止工とあり、平成5年度に神奈川県林務課が築造しました。

鈴川・二重の滝
二重の滝橋より二重の滝を望む。これが鈴川源流です。
大山川の源流をなし、大自然の巨岩が二段にわかれ・・・。神聖にして清浄なるところから浄めの滝とも呼ばれ、修験者の禊の行場でありました。 (大山阿夫利神社説明パネルより抜粋)

二重社
二重の滝の隣の二重社。
阿夫利神社の摂社で殖産、灌漑、雨乞いの守護神。萬物の生命の根源である水をつかさどり俗に龍神ともたとえられる。 (大山阿夫利神社説明パネルより抜粋)

二重社入口の龍
二重社入り口には狛犬ならぬ龍が一対。

二重の滝橋
二重の滝を背に二重の滝橋を望む。鈴川最上流部の橋です。

大山阿夫利神社参道・男坂
二重の滝より上流は道がなく、帰りは男坂を下りました。こんな坂です。10段くらいの階段が細かくジグザグに大山の南斜面を下っています。上空から俯瞰すればほぼ一直線に見えると思います。重機もない昔、よくぞこんな険しいところに石を積んだものだと感嘆します。途中で膝に来ましたが頑張って下った甲斐があり、前述の透過型砂防堰堤を見られました。

この後は大山ケーブルバス停から15時35分発小田急伊勢原駅北口行バスに乗り帰路に着きました。JR相模線の海老名・入谷間の車窓からちょうど大山南側稜線に沈むオレンジ色の太陽を真正面から見ました。眩しい~~。

大山阿夫利神社下社参道・無事かえる
大山阿夫利神社下社参道にて。お蔭さまで自宅に「無事かえる」ことが出来ました。

二日がかりで鈴川平野部の田んぼ畑地帯から山の中の源流まで探訪しました。始めから最後まで治山治水のため人の手が加わっていること(流路工や砂防堰堤、山留工、谷止工など)がよく分かりました。
神戸橋際の標識にあったように2級河川鈴川は神奈川県が管理する川です。意識しないと気付かないですが神奈川県の担当部署が水害や土砂災害の危険から、県民の生命、財産を守ってくれているわけです。
残念ながら私好みの用水路などとの立体交差は見当たらなかったです。これを機にいつか鈴川の中流域から河口(相模湾)まで歩いてみたいと思います。

鈴川源流探訪の出発点、平塚市の柳橋の位置です。


其の197 鈴川源流を訪ねる②

 前回の続きです。熊に出遭うこともなくその先の橋を渡り鈴川左岸崖上に上りました。

大山道道標
崖沿いの大山道道標。ここは石倉バス停の西方になります。
大山道道標
上糟屋字石倉中所在。造立年代不明。結跏趺坐する不動明王をのせる。市内に残る大山道道標の代表的なものといえる。元は石倉橋の交差点のところにあった。大山帰りの道案内である。矢倉沢往還の厚木・青山、柏尾通りの戸田、田村通り方面の伊勢原・田村・江ノ島、西へは秦野がある。 
(説明パネルより)

大山道道標
道標のアップです。

大坪橋より鈴川上流を望む
明神前バス停南付近大坪橋より鈴川上流を望む。洪水で上流から流されてきたのか、山が崩れたのか、大きな石がごろごろしています。

工事中の新東名高速道路
付近で工事中の新東名高速道路橋脚です。こんなところを通るんですね。

町屋蛍橋より鈴川を望む
大山街道(県道611号線新道)町屋蛍橋より鈴川を望む。床固工、護岸工、水叩工など、がっちりコンクリートで固めています。
ここで今まで使用していた砂防堰堤、護岸等の用語について良い参考資料がありましたので今後は以下のように表現したいと思います。

流路工一般図
これはここより上流で見つけた神奈川県土木部の鈴川の砂防事業の概要(流路工について)の説明看板の一部です。
砂防堰堤→床固工(とこかためこう)。
護岸→護岸または護岸工または側壁工。
床固工の下→水叩工(みずたたきこう)という用語を知りました。
垂直壁工→水叩工の高さのようです。
流路工(りゅうろこう)→これら施設の総称。

参考になるので鈴川の砂防事業の概要(流路工について)説明文を記します。
川の上流部(山間部)においては、流水により河道(川底や川岸)が削られ、河床が低くなり、山腹の法面が崩れていきます。そして、その土砂は、下流へ運ばれ堆積していきます。
一方、中流部(台地部)・下流部(平野部)においては、運ばれてきた土砂のため、河床が高くなり、川の流水断面が小さくなるので、洪水時においては、川は氾濫して水害や土砂災害を引き起こします。
これらを防ぐため、砂防では流路工(護岸工・床固工)を施工して、河床勾配を緩やかにし、河道の浸食を防ぎ、流路を安定させ、水害や土砂災害の危険から、人々の生命、財産を守っております。
神奈川県土木部の鈴川の砂防事業の概要(流路工について)の説明看板より

伊勢原CC沿いを流れる鈴川
大山街道と伊勢原カントリークラブ沿いを流れる鈴川。

大山街道・伊勢原CC沿いを流れる鈴川
上記から大山街道に上がり今歩いて来た道を振り返りました。大分上ってきました。

諏訪裏橋より鈴川上流を望む
諏訪裏橋より鈴川上流を望む。床固工・護岸工により流路を固めたおなじみの光景です。これより上流左岸側は段々の棚田が広がっています。

梅原橋より鈴川上流を望む
梅原橋から見た鈴川。Ⅴ字型の谷間を流れています。川底は床固工の働きで土砂が貯まり平らになっています。

新玉橋より鈴川上流を望む
大山街道旧道に架かる新玉橋より鈴川上流を望む。

丹沢大山国定公園アーチ形歓迎門
丹沢大山国定公園のアーチ型歓迎門。「ようこそ大山へ 光と緑の街伊勢原」

社務局入口付近の鈴川
段々の床固工が連なる社務局入り口付近の鈴川。ここからは1月8日に再探訪した写真を使用します。

愛宕橋付近の鈴川
愛宕橋付近を流れる鈴川。

愛宕滝
愛宕橋を左岸に渡ったところに愛宕滝があります。
旧参道内にあるこの滝は山内七滝の一つで、江戸時代より大山参りの人々が参拝前に身を清める「みそぎの滝」であった。 (説明パネルより抜粋)

鈴川・愛宕橋上流
床固工を取水堰代わりにしていました。床固工上流に石を並べて導水し左岸側に用水を引きこんでいます。

大山講中参拝記念碑
大山街道沿いに大山講中参拝記念碑がいっぱい嵌め込んであります。一般では見慣れない大山ならではの風景です。

良弁滝付近の鈴川
良弁滝付近の鈴川。

大山ケーブルバス終点付近の鈴川
バスの終点大山ケーブル直前の大山街道と鈴川。

バス停大山ケーブルから鈴川を望む
バス停大山ケーブルから見た大山街道と鈴川。かなたに相模湾が光っています。いよいよ大山の懐に入った感がします。

こま参道西側の鈴川
岩を削り流下する鈴川。こま参道西側。

鈴川に架かる雲井橋
こま参道を抜け、鈴川に架かる雲井橋です。前方は大山ケーブルカーの乗り場です。

源流まであとわずかですがこの続きは次回投稿します。

鈴川源流探訪のスタート地点、平塚市の柳橋の位置です。

其の196 鈴川源流を訪ねる①

 皆さま新年おめでとうございます。
拙いブログを始めて早やくも四年目を迎えました。振り返ってみると私は神奈川県内の相模川水系(相模川、道志川、中津川)や県西の酒匂川水系を中心とした水道みちや用水路を歩き回っています。
今年は両水系に挟まれた金目川水系に注目し歩いてみたいと思っています。また天井川にも興味があり県内外を問わず訪ねたいと思っています。

さて私の今年の歩き初め(あるきぞめ)は金目川水系の鈴川を選びました。
1月5日(月)朝から気持ちよく晴れ渡っています。思い立ったが吉日で去年から気になっていた鈴川の源流探訪に行ってきました。鈴川は昨年9月に天井川見たさに伊勢原市の境界に近い平塚市岡崎近辺を歩いたことがあります。

柳橋より鈴川上流を望む
小田急線鶴巻温泉駅下車、昨年訪ねた鈴川の柳橋へ再びやって来ました。柳橋より鈴川上流を望む。この辺りは左右両岸が田んぼや畑です。地図でたどると鈴川源流は大山です。今日は大山を目指して歩くことになります。写真左前方の山が大山です。

鈴川・伊勢原市神戸
鈴川左岸堤防上を歩きました。小田急線と交差。ここは平塚市から伊勢原市に入っています。

鈴川・伊勢原市神戸
小田急線踏切を渡ったところで河原に下りました。正面は大山。この辺りで西から栗原川が鈴川に合流しています。

鈴川・観音河原橋
その先に古めかしい橋が架かっています。観音河原橋といい欄干親柱には「昭和六年三月成」とあります。鈴川の流れは84年前からこの位置で堤防の高さ、川幅も変わらずということです。見た目田んぼと川の水面は同レベルに見えます。柳橋より下流の天井川化した鈴川とは少々異なります。

鈴川・観音河原橋
欄干のアップです。鉄筋コンクリート製の橋です。鉄筋がむき出しでも持ちこたえています。鉄筋とコンクリートは相性が良いみたいです。

鈴川の取水堰・大場田橋付近
大場田橋付近の小規模な取水堰。こんな取水堰をここまで約1.5kmの間に数ヶ所見ました。両岸の田んぼ向けですね。

鈴川・R246神戸橋と交差
R246神戸橋と交差。「二級河川 すず川 神奈川県」の標識。

R246神戸橋より鈴川上流を望む
R246神戸橋より鈴川上流を望む。何の変哲もない普通の川です。

鈴川・向原橋付近
向原橋付近の今日見る最初の落差工。というかこれは砂防堰堤ですね。標高が高くなった証明です。これからはだんだん上り坂になります。

向原橋付近より鈴川上流を望む
向原橋付近より鈴川上流を望む。川沿いを歩けるのは前方の橋までです。護岸の傾斜が柳橋付近に比べ立ってきました。

鈴川・東名高速北側
東名高速(右側の土手)を潜った鈴川。左岸に取水口が見えます。護岸は高くなり石垣やブロックで固め、川底もコンクリートで固めています。浸食を防ぐためと思われます。ここは山と平地の境のようなところですね。今日のスタート柳橋周辺が大昔に鈴川によってつくられた扇状地を開いた田んぼなら、この辺りは扇状地の始まり(扇頂)と言えるかも知れません。橋は下谷戸橋。

三ノ宮橋より鈴川上流を望む
下谷戸橋から300mほど上流の三ノ宮橋より鈴川上流を望む。川底に石がごろごろしています。両側が山です。この橋も古く「昭和三年十一月成」と刻まれています。崩落の危険あり四輪車は通行止めです。

三ノ宮橋付近の双体道祖神
三ノ宮橋近くの双体道祖神。年代不明。

伯母様橋より鈴川上流を望む
三ノ宮橋から500mほど上流の伯母様橋より鈴川上流を望む。伯母様とは面白い名前です。近くのバス停も伯母様でした。

鈴川沿いの田んぼと大山・伊勢原消防署西分署付近
鈴川沿い冬の田んぼと大山。大山は歩けど歩けど逃げていく感じでなかなか近づけません。伊勢原消防署西分署付近。

崖下橋付近の鈴川
その上流。県道612号線より鈴川を望む。高い護岸と砂防堰堤で浸食を抑えています。前方の橋は崖下橋(昭和三十三年三月竣工)。

大山街道石倉橋西の里道
県道611号線(大山街道)石倉橋西側の里道。この道の右手(東側)を鈴川は流れています。

大山街道西側付近の鈴川
その先の砂防堰堤。

大山街道石倉橋西・熊出没注意看板
上記砂防堰堤付近の伊勢原市が立てた「クマ出没注意」の看板。

まだ道半ばですが長くなるのでこの続きは次回投稿します。
今日のスタート地点柳橋より下流、鈴川の天井川の様子は「其の179」 (2014/10/01投稿)で発表しましたので参照願います。

柳橋の位置です。

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