横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の195 小田原市の荻窪用水を歩く②

 前回の続きです。荻窪用水・煙硝蔵堰取入口から水之尾公民館付近まで戻りました。

荻窪用水・桜田隧道出口、板橋用水分水門
これは前回も載せましたが桜田隧道の出口です。左側の水門は板橋用水の取水口。

水之尾公民館
水之尾公民館です。公民館脇(左側)の道が荻窪用水の支線、板橋用水散策コースの入り口です。

荻窪用水(板橋用水取入口)
荻窪用水(板橋用水取入口)の標柱。取水口で取り入れた水は公民館裏のこの水路へ出てきます。

荻窪用水(板橋用水)
水之尾公民館からはうねうねと等高線(ほぼ95m)に沿った水路歩きです。右側は常に山で左側が展望の利く斜面です。斜面は昔、段々の棚田だったそうです。

板橋用水から大山を望む
遠くに大山が見えました。板橋用水路より北東の大山を望む。

荻窪用水(板橋用水)
山の中の水路から舗装道路の道に出てきました。荻窪用水(板橋用水)の標柱が立っています。
ここで隧道に入り、その先でまた開渠水路となり狩俣隧道へ入り大窪小学校上から板橋へと流れていきます。狩俣隧道手前まで進むも樹木に遮られ入り口は撮影できず。引き返して小田原厚木道路荻窪インター付近の溜池跡へ向かいました。

溜池跡道標・小田原市荻窪堤
狩俣隧道方面の道(右手の道)から溜池跡(左手)へ向かう道と道標。「荻窪用水散策コース溜池跡へ」とあります。

煙硝蔵堰・小田原市荻窪堤
途中で見た荻窪用水(煙硝蔵堰)。煙硝蔵堰取入口で見たように細い用水路です。写真奥までたどりましたが、その先は道がなく引き返しました。標柱が立っていないと見過ごします。

荻窪用水溜池跡
小田原厚木道路荻窪インター付近の荻窪用水(溜池跡)。案内パネルに土手跡が残るのみとありますが、それらしきものは見当たらず。

荻窪用水・堀田堰
溜池跡からは荻窪インターから小田原税務署前へ通じるバス通りを歩きます。これは溜池下で荻窪川から分水した堀田堰(という名前の用水路)です。バス道路沿いから南東の方へ向かっています。道路側溝のような細い水路です。

日透上人の墓・小田原市荻窪
バス通り沿い石垣上の日透上人の墓。城山の浄永寺で日蓮宗を布教した日透上人を偲んで安政4年(1857年)に建てられました。

荻窪川・小田原市荻窪
荻窪中バス停前で突然水路が出現しました。荻窪川がバス通り下を地下水路で流れここで顔を出したみたいです。これは荻窪川と言うより荻窪用水の流れですね。この下流で野村屋敷堰(という名前の用水路)、市方堰(という名前の用水路)へ分水しています。

双体道祖神・小田原市荻窪
同バス停近くの双体道祖神。前で手を取り合いお互いの肩に手をかけています。仲睦まじいですね。道祖神は村に災厄が来るのを防いでくれる神と言われていますが、縁結び、子宝、ひいては五穀豊穣の神などの性格も合わせ持っているのでしょうか。

荻窪用水(市方堰)
荻窪用水(市方堰)と標柱。この先の市方神社の方へ流れていきます。

荻窪字駒形の水車
バス通り沿いの「荻窪字駒形の水車」。荻窪用水を利用した精米用の水車で昔は数多くあったのが残るのはこれ一基。

荻窪川
普通の川になった荻窪川下流を望む。この先小田原税務署信号前で暗渠となります。その先は地図上から消えますが山王川に合流していると思われます。
右岸柵の内側に沿ってめだかの学校のミニ水路付き散策路が設けてあります。

めだかの学校・小田原市荻窪
めだかの学校入り口。童謡「めだかの学校」由来の地です。

市方神社・小田原市荻窪
市方神社に参拝しました。川口廣蔵翁頌徳碑や石碑群があります。

川口廣蔵翁頌徳碑
市方神社の「川口廣蔵翁頌徳碑」昭和32年に荻窪用水開発の功労をたたえて建立されました。

市方神社の念仏塔 市方神社の馬頭観音
左が念仏塔。数体祀ってあるうちの一体です。
右が馬頭観音像。七体のうちの一体です。 

小田原市の防火水槽マンホールフタ
帰路、小田原税務署前の足柄街道を小田原駅まで歩きました。道中珍しい防火水槽のマンホールフタを見つけました。

北條早雲公の像
小田原駅西口に到着。駅前の北條早雲公ブロンズ像です。

途中道に迷いながらどうにかこうにか参考資料「荻窪用水をたずねて」を頼りに探訪を終えました。私はただ歩いただけですが、それにしても荻窪用水を計画した小田原藩と築造功労者の川口廣蔵は凄いですね。早川を堰き止め山の中を延々と隧道で用水を導き、桜田隧道で山を貫き山の向こう側の荻窪まで導水しました。早川の流域越えをやったわけです。200年以上昔の大胆な発想とそれに応えた測量技術、施工能力と技術にただ驚くばかりです。それが今も発電や農業用水として利用されているのは素晴らしいことだと思います。
見そこなったところもあり、もう一度探訪してみたい用水路です。

今回の探訪資料は前回同様「荻窪用水をたずねて」小田原市教育委員会を用いました。地図、コース、見所など詳しく書かれています。
神奈川県HP「県西地域にある農業土木施設の紹介(施設一覧)」の2番目荻窪用水欄の「PDF」をクリックすると見られます。加えて現地案内パネルを参考にいたしました。

今回が今年最後の投稿となりそうです。皆さまどうか良い年をお迎えください。

今回のスタート桜田隧道出口の位置です。
スポンサーサイト

其の194 小田原市の荻窪用水を歩く①

 12月23日(火)晴れ、天皇誕生日。前回「其の193」で探訪した東京電力山崎発電所の先を探訪しました。参考資料によると荻窪用水取水口から丸塚隧道までほとんど隧道になっているので箱根登山鉄道風祭駅からスタートしました。

はじめに荻窪用水のあらましです。
・江戸時代に作られた農業用水路です。
・取水口は現東京電力山崎発電所取水施設(早川の旭橋上流)。
・旧東海道沿いに山の中腹を掘り抜いて小田原市湯本、入生田、風祭、荻窪、水之尾、板橋へと全長10.3kmの用水路。完成により58町歩(58ha)の豊かな田んぼが開かれた。
・寛政9年(1797年)着工、寛政11年完成。享和2年(1802年)完成説もあり。
・小田原藩の水田開発事業。山北町の川口廣蔵が功労者。

小田原市教育委員会「荻窪用水をたずねて」より要約

箱根登山鉄道線
風祭駅を発車した箱根湯本行の電車。レールは2本、普通の狭軌です。一駅先の入生田駅ホームから見ると三線軌条になっています。
なお箱根登山鉄道全線が平成19年(2007年)に土木学会選奨土木遺産に認定されました。小田原駅のホームの端に認定銘板と説明パネルが掲示してあります。

旧東海道一里塚、道祖神・小田原市風祭
踏切を渡りすぐ近くの旧東海道に入り西進すると右側に旧東海道風祭の一里塚跡があります。旧東海道に設置された江戸から21番目の一里塚があった場所です。小田原市指定重要文化財の道祖神(標柱右側の石祠と丸彫単座像合掌型・お地蔵さんのように見える像)が祀られています。後ろに一里塚の説明パネルが立っています。
ここを右折し山へ向かいます。当然上り坂です。

萬松院・小田原市風祭
風祭駅から約10分で萬松院へ到着。萬松院は小田原藩主となった大久保忠世が、二俣(静岡県天竜市)城主の時、織田信長の命令で自害させた松平信康(家康の長男)を供養するために建てた寺。広大な境内を与えられていて、荻窪用水はこの境内を通っています。

萬松院付近の風景・小田原市風祭
こんな山中の急坂を上って行きます。

荻窪用水丸塚隧道入口
萬松院から10分ほどで丸塚隧道入り口に到着です。左側フェンスに荻窪用水の看板が見えます。

荻窪用水・丸塚隧道入口
丸塚隧道入り口です。

荻窪用水・丸塚隧道入口付近
隧道入り口より上流の様子。こんな山の中をとうとうと流れる荻窪用水。不思議ですね~。ちなみにマピオンで測ったおおよその標高です。ここは標高108m、山崎発電所上池・調整池が113m、取水口は115mでした。取水口からここまで約5.2kmです。

荻窪用水・丸塚隧道入口付近
これは隧道近くの1.5m角位のコンクリートかブロック製の水槽です。あちこちで見かけました。雨水を溜めておく水槽です。農作業中の人にたずねると、ミカンの木を消毒する際に溜めておいた雨水を利用するそうです。水槽脇の小道の階段を上り丸塚隧道出口へ向かいます。

荻窪用水・丸塚隧道出口
丸塚隧道(延長約110m)出口。要所に小田原市が設置した道標があり簡単に見つかりました。

荻窪用水・丸塚隧道出口より下流を望む
荻窪用水・丸塚隧道出口から下流を望む。

荻窪用水・丸塚隧道入口付近
その先、山縣水道水源池近くを流下する荻窪用水。

山縣水道水源池
荻窪用水右岸側の山縣水道水源池。
所在地:小田原市風祭632番地
海抜:約93m
明治の元老、山縣有朋が晩年を送った別荘古希庵(板橋827番地)のための水道の水源池として造ったもの。明治42年完成。荻窪用水から分水して、直径26m、深さ4m、1300トンの水を沈殿させ鋳鉄管で1860m先の古希庵(海抜33m)まで送水していた。 
(案内パネルより抜粋)
平成23年土木学会選奨土木遺産認定。

山縣水道水源池南の棚田
山縣水道水源池南側に棚田がありました。

荻窪用水・桜田隧道入口
山縣水道水源池北側の桜田隧道(延長約340m)入り口。堰上げして右岸側へ分水しています。上記の棚田はその水路から用水を引きこんでいます。
案内パネルによると桜田隧道は内部で弓状に曲がって行き、枝分かれなどもあるようで、開削当時の労苦を物語っています。出入り口だけはコンクリートで固められていますが、内部は当時の素掘りの地肌が残っているそうです。
山を貫く隧道に対し、私は舗装された急な坂を上ります。急坂の頂で車が通れる新道に突き当たりますが、右に少し迂回し新道を横断し水之尾公民館を目指します。この辺りで道に迷い1時間ほど時間を無駄にしました。新道を横断するのがポイントです。

荻窪用水・桜田隧道出口、板橋用水分水門
水之尾公民館付近の桜田隧道出口です。左側は板橋用水分水門(板橋用水取水口)。

荻窪用水・桜田隧道出口より下流を望む
桜田隧道出口より下流を望む。こちらが幹線用水路の本流ですが200m位先の森の中で滝になって落ち荻窪川に合流します。
坂道を下ったところに煙硝蔵堰取入口があるので見に行きました。
煙硝蔵堰とは小田原城の火薬蔵への水路であったためその名がつけられたと言われています。煙硝蔵堰は水を堰き止める堰ではなく用水路の名前です。

棚田・小田原市水之尾
坂の途中で見た棚田。荻窪用水完成により開かれた田んぼと思われます。

荻窪用水・煙硝蔵堰取入口
荻窪用水・煙硝蔵堰取入口。右岸沿いの細い水路から取り入れています。ごみ除けの格子(スクリーン)や角落しの板が見えます。江戸時代に作られた煙硝蔵堰。こんな細い用水路がいまだに残っているとは驚きです。

土木学会選奨土木遺産認定の碑
これは煙硝蔵堰取入口下流、水之尾橋の土木学会選奨土木遺産認定碑です。認定銘板と説明パネルがはめ込んであります。
荻窪用水とその関連施設の山縣水道水源池、山縣水道、童謡めだかの学校、箱根町地内の早川取水地、山崎発電所が平成23年に土木学会選奨土木遺産に認定されました。 (説明パネルより抜粋)。
この辺りは荻窪川に合流後でしょうか、普通の川の流れになっています。
ここでUターンです。坂道を上って水之尾公民館前へ戻ります。

長くなるのでこの続きは次回投稿します。
今回の探訪資料は前回同様「荻窪用水をたずねて」小田原市教育委員会を用いました。地図、コース、見所など詳しく書かれています。
神奈川県HP「県西地域にある農業土木施設の紹介(施設一覧)」の2番目荻窪用水欄の「PDF」をクリックすると見られます。それに加えて現地案内パネルを参考にいたしました。

風祭駅の地図です。

其の193 箱根町の山崎発電所を訪ねる

 日本にある水路の延長は40万kmと言われています。平成17、8年頃に農林水産省が農業のための用水をテーマに「疎水百選」を実施しました。神奈川県では県西地区の荻窪用水と文命用水の2地区が選ばれました。
文命用水は2013/9に探訪しました。疎水百選に選ばれるほどに有名な荻窪用水、調べたところ箱根町の箱根湯本駅近くの早川から取水していて、取水口は東京電力山崎発電所の取水口と共通であることが分かりました。
12月15日(月)晴れの日にまず取水口を探訪しました。荻窪用水の探訪に行ったのですが、結果的に山崎発電所の取水口から放流口まで歩いたことになり、タイトルは「箱根町の山崎発電所を訪ねる」にしました。

旭橋
早川に架かる旭橋。昭和24年完成。かながわの橋百選。

東京電力山崎発電所取水施設
R1(国道1号線)沿いの東京電力山崎発電所取水施設です。旭橋の約150m上流にあります。一目見ると取水堰は何んとラバーダム(ゴム引き布製起伏堰)です。山北発電所の取水施設・頭首工(御殿場線谷峨駅付近、嵐発電所下流)でも使われていました。意外なところで使われていて驚かせてくれます。
右岸はスロープ状になっています。水の流れがあり、これは魚道ですね。

東京電力山崎発電所取水口
左岸の取水口。

東京電力山崎発電所取水施設
取水堰左岸下流部。フェンスの向こう側は調整池でしょうか?右端が山崎発電所や荻窪用水の導水隧道起点と思われます。右下では河川維持用水を放流しています。「只今の放流量は0.54㎥/秒」(案内パネルより)。

土木学会選奨土木遺産認定銘板 土木学会選奨土木遺産説明パネル
山崎発電所取水堰は2011年に土木学会選奨土木遺産になりました。施設に掲示の認定銘板と説明パネルです。
土木学会選奨土木遺産
山崎発電所取水堰は、「荻窪用水と関連施設 (取水堰)」として、土木学会選奨土木遺産に認定されました。本取水堰と導水路は元々荻窪用水の用水路として、使用されるなど、貴重な土木構築物として高く評価されたものです。現在は水力発電所の取水堰として利用されております。発電所は、約2km先の国道1号線沿いにあります。
[山崎発電所]
取水堰:空気膨張式ゴムゲート
発電出力:1500kw
運転開始:昭和11年  
(説明パネルより)

山崎発電所・水利使用標識
水利使用標識が立っていました。
河名:二級河川早川水系早川
水利権者:神奈川県知事
水利使用者名:東京電力株式会社
水利使用の目的:発電
取水量:最大3.06㎥/秒 
(水利使用標識より抜粋)
荻窪用水の水利使用標識は掲示なし。これらを見ると荻窪用水の水量は0になります。荻窪用水は江戸時代に造られた用水路です。最大3.06㎥/秒とは別に慣行水利権を使用していると思います。

山崎発電所導水隧道
いつものように導水路を下流へたどってみました。これは箱根湯本駅と山側との間の道です。経路図によるとこの先左側にある白石地蔵と箱根湯本駅の間を隧道は通っています。この道の下と思われます。
ちょうど強羅行の箱根登山電車が箱根湯本駅を発車したところです。車両番号108・モハ2型です。レール幅は広軌。

白石地蔵・箱根町湯本
箱根町指定史跡白石地蔵です。凝灰岩に刻まれた磨崖仏で鎌倉時代の作と推定される。(箱根町教育委員会の説明パネルより)

庚申塔・箱根湯本駅前
白石地蔵から先は道がないのでR1へ戻ります。
箱根湯本駅前、箱根登山線ガード脇の庚申塔。3猿が彫られています。右側面には道標が刻まれ、左側面には宝暦十二壬午歳正月吉日とあります。西暦1762年、今から252年前の作です。

箱根湯本駅前・国道1号線
箱根湯本駅前のR1。導水隧道は左手の山の中腹に沿って東へ向かっています。

旧箱根湯本中学校校門
三枚橋交差点を過ぎ箱根登山線を越え山の中腹の道を歩きました。これは旧箱根湯本中学校の校門です。校舎が見えます。平成20年3月31日をもって閉校になりました。

箱根町消防本部防火水槽・箱根町湯本
道沿いの箱根町消防本部の立派な防火水槽。奥の石垣の上に水神様が祀られています。

山崎発電所隧道付近の道・箱根町湯本 
北東へ向かう道。

山崎発電所導水隧道付近の道・箱根町湯本
こんな道を歩きました。参考にした経路図にはこの道沿いに導水隧道路線が描かれています。

山崎発電所上池・調整池
道の終点(突き当り)に到着です。山崎発電所の上池・調整池です。画像中央に右下へ下る水圧鉄管が見えます。手前は塵芥集積装置。取り除いた落ち葉などのゴミを車に積み込む装置ですね。

山崎発電所上池・調整池
水圧鉄管の始まりの制水門。この後ろが上池・調整池ですが建物に遮られ水面はちらっとしか見えません。
山北発電所や内山発電所とは条件がまるで違います。想像ですが荻窪用水は上池・調整池で分水していると思います。

庚申塔・箱根町湯本山崎
今日二つ目の庚申塔です。上池・調整池からUターンし、R1へ下りる途中の神社さんで見つけました。庚申供養塔・文字塔です。3猿が彫ってあります。右側側面、明和九年壬辰十一月吉日と読めます。1772年、今から242年前です。

箱根登山線小田急の車両
R1へ下りる途中、箱根登山鉄道線山崎宮踏切にて。入生田駅から箱根湯本駅へ向かう小田急電鉄の車両です。手回しよく行先表示が小田原になっています。レールに注目を。三線軌条といい広軌は箱根登山線(箱根湯本・強羅間)の車両、狭軌は小田急線のロマンスカーや写真の赤色の電車が通ります。箱根登山線車両が入生田車庫に出入りする時に広軌を利用します。

東京電力山崎発電所・水圧鉄管
R1へ下りました。R1から見た水圧鉄管です。左側の細い管は溢流水管(余水吐)と思われます。

東京電力山崎発電所
R1沿いの山崎発電所。

山崎発電所・土木学会選奨土木遺産説明パネル
取水堰と同様に土木学会選奨土木遺産認定銘板が掲示してありました。これは説明パネルです。
山崎発電所は、「荻窪用水とその関連施設(山崎発電所)」として、土木学会選奨土木遺産に認定されました。山崎発電所は、早川にある取水堰で水をせき止め、最大で約3.0㎥/Sの水を取水し、約2kmの導水路を経て、水槽から水圧鉄管を経由し、約59mの落差を利用して発電している「水路式」の水力発電所です。
[山崎発電所]
発電出力:1500kw
運転開始:昭和11年 
 (説明パネルより)

山崎発電所・水圧鉄管
南側から見た山崎発電所と水圧鉄管全景。送電線が見当たりません。発電後の放流水を通す水路も見当たりません。地下水路のようです。

太閤橋より早川下流を望む
太閤橋より早川下流を望む。この橋の下流で放流口を見つけました。

山崎発電所放流口
早川左岸の放流口です。勢いよく流れ出ています。ただ今発電中です。早川で取水し電気を得た後再び早川へ戻してやる。上手に水を利用しました。

山崎発電所放流口注意看板
放流口上、堤防上の東京電力の注意看板。なぜか川の方に向かって立ててあります。

ここまで来たところで時刻は15:30近く。時間切れです。この続き(山崎発電所上池・調整池の先の荻窪用水)は日を改めて探訪します。

今回の探訪資料は「荻窪用水をたずねて」小田原市教育委員会を用いました。地図、コース、見所など詳しく書かれています。
神奈川県HP「県西地域にある農業土木施設の紹介(施設一覧)」の2番目荻窪用水欄の「PDF」をクリックすると見られます。

山崎発電所取水施設の位置です。

其の192 陸軍の境界杭・旧陸軍士官学校周辺

 
 旧帝国海軍の境界杭は海軍ゆかりの横須賀水道みち沿いに数多く残っており、水道みちを歩けばだれでも容易に目にすることが出来ます。水道みちに残された管路隧道、水管橋などの諸施設と共に境界杭を見つけるのは水道みち歩きの楽しみでもあります。半原系統の横須賀水道みちを歩き多数の境界杭を見て、海軍の境界杭は4種類あることが分かりました。

 それに対して陸軍の境界杭はまだ一本も見たことがありません。私が住んでいる相模原市にはかって軍都相模原と言われたくらい陸軍の軍事施設が数多く置かれていました。地元にいながらまだ実際に見ていないのですが、その気になれば境界杭を見つけ出すことが出来ます。そんなチャンスが巡ってきました。

相模原市文化財研究協議会主催の
・文化財講演会「旧陸軍士官学校」(現キャンプ座間)について
・文化財探訪 「旧陸軍士官学校」の周辺巡り
が、相模原市相武台公民館で12月7日(日)に開催され参加しました。
午前中は講演会です。相模原市在住郷土史家 涌田佑先生の講演は資料が豊富(地図を重視されるそうです)、詳細な説明で分かりやすくよく理解できました。午後からは主催者と相模原市文化財保護課、涌田先生、地元の「相武台歴史同好会」の会員さんたちの引率と解説付きで旧陸軍士官学校の周辺巡りです。総勢定員50名に対してそれ以上の参加で大盛況でした。

市道新戸相武台 掘割(切通し)部分
小田急線相武台前駅の西、相武台郵便局南付近から掘割の道に入ります。
市道新戸相武台線といい、昭和12年に陸軍士官学校が東京市ヶ谷から越してくる前は西の鳩川周辺の新戸村の人々が台地の上にある畑、山林へ通うための農道「下大坂」でした。新戸村が農道の持続を陸軍と交渉し、おおよそ今の形になったようです。
この道の入り口には車止めが設置され、人と自転車しか通れません。車社会の現代、街中にこんな掘割のような道があるとは・・・。知らない人が多いと思います。私は今日初めて通りました。目の前の橋から先はキャンプ座間の敷地内に入ります。

市道新戸相武台 掘割(切通し)部分
その先です。キャンプ座間内を横断する掘割の道。両サイドの擁壁はブロック製です。河川の護岸に使われているものと同じです。鶴見川上流を探訪した時にも同じものを見ました。

市道新戸相武台 掘割(切通し)部分
所々にこのような玉石製の擁壁があります。配布資料によると推定昭和16年頃の築造だそうです。

市道新戸相武台 (トンネル部分)
トンネル部に入りました。昭和11年から12年に旧陸軍が造りました。延長510m、幅5.5m、高さ4.2m。

市道新戸相武台 (トンネル部分)
トンネル天井の通気採光用の孔。当初50m間隔に9つあったのが今残存するのは2ヶ所のみ。

市道新戸相武台 (新トンネル部分)
その先、拡幅工事中の新トンネル。幅は車道7m、歩道3m。平成28年度完成予定。

市道新戸相武台 (新トンネル部分)
新トンネル出口(新戸側のトンネル入り口)。擁壁の材料が変化しています。

伊奴寝子(いぬねこ)社
新トンネルを出た後南下し、座間神社参道の急階段を上りました。変わった社があります。狛犬の代わりに犬と猫です。
境内の一角の伊奴寝子(いぬねこ)社。犬や猫などペットを守るための社です。犬猫像の背中をなでると願いが叶えられるそうです。ご祭神は保食神(うけもちのかみ)。 (案内板より抜粋)

旧陸軍境界杭
座間神社の周りは座間公園です。これは今日のお目当て旧陸軍境界杭です。場所は公園内多目的広場前です。地中に埋まっている陸軍境界杭を初めてみました。「陸」と一文字。配布資料によると「陸士」と刻まれている杭もあるそうです。てっぺんには東の方(隣接のキャンプ座間の方向)に向けて矢印が刻んでありました。サイズは15cm角。御影石製です。

旧陸軍境界杭・座間公園
続けてもう二つ。これは何と横倒しに放置された陸軍境界杭です。近くの軍馬功労碑脇に二本並んで横倒しです。これは南側の一本です。

旧陸軍境界杭・座間公園
上部のアップです。サイズは15cm角、全高は133cm。地上へ出る15cm角の部分の高さは30cm。

旧陸軍境界杭・座間公園
もう一本、北側に置かれた杭の上部のアップです。サイズは15cm角、全高は128cm。地上部は同じく30cmでした。どちらも御影石製です。
相武台歴史同好会さんの話では設置場所により高さにばらつきがあるそうです。

旧陸軍境界杭・座間公園
座間公園から出る下り道の陸軍境界杭。相武台歴史同好会のYさんが3日前に見つけたそうです。民家の境界に立っている現役の境界杭です。

軍馬功労碑・座間公園
座間公園内の「軍馬功労碑」。キャンプ座間の方を向いて立っています。配布資料に碑文の文字起しがあります。碑文の末尾を引用します。
「茲ニ職員生徒深ク鑑ミル所アリ相武臺上ニ碑ヲ建テテ以テ感謝慰霊ノ微衷ヲ表スト云爾」と刻まれています。
配布資料にはこんなことも書かれています。参考になるので引用します。
・陸軍士官学校生徒は、乗馬訓練は必須科目だった。生徒教育課程「訓育部」に「剣術、体操、馬術」があり、将校は馬に乗ることが義務付けられていた。
・陸軍士官学校には厩舎が16棟、広い馬場があり、数百頭の軍馬が飼育されていた。


相模原隧道・県道51号線
県道51号線(町田厚木線)相模原隧道へ出てきました。普段何気なく車で通っていますが銘板を見ると昭和14年3月に竣工した隧道です。ここは座間市座間1丁目です。
坂を上っていくとキャンプ座間正門前を通過します。キャンプ内正門近くに「相武臺」の碑があります。県道からちらちら見えますがカメラを向けることは不可。正門の守衛さんに注意されます。

旧陸軍士官学校遥拝所方位盤・富士山公園
富士山公園内の旧陸軍士官学校遥拝所方位盤です。
かつて中央円形部分に方位を刻んだ真鍮板がはめ込んでありました。
臺北:台湾の首都・京城:韓国の首都ソウル・新京:長春の旧称(中国吉林省)満州国首都・明治:明治神宮や内地の高知、熊本、広島、高田、青森、旭川、千葉などが刻まれていました。

座間市教育委員会設置の説明看板より抜粋します。
旧陸軍士官学校遥拝所方位盤 建立昭和15年(1940)
由来
昭和12年(1937)東京からこの地に移転開校した陸軍士官学校の生徒は、毎朝、点呼後に、雄健神社に参拝し、続いて遥拝所に赴き宮城(皇居)・明治神宮・伊勢神宮及び各自の原隊や故郷に向って遥拝するのが日課となっていた。
この方位盤は、その遥拝するための方位と、国内外・朝鮮半島・中国東北部主要都市の方位を矢印によって表示したもので校内では最も重要なところとされていた。 


涌田佑先生の著書
涌田佑先生の著書です。相模原図書館で読めます。
「米軍キャンプ座間」「相武台陸軍士官学校」「軍都郷土史補遺編」。
涌田先生の講演ではキャンプ座間内には31カ所の文化財に相当する碑や建物が現存するそうです。残念ながら国有地内で且つ米軍が使用しているので一般の国民がそれを見ること叶わず。それらを見られるようになればいいですね。

相模原市立博物館・軍都計画と相模原コーナー
おしまいに相模原市立博物館に展示の陸軍境界杭です。常設展示場の「軍都計画と相模原」のコーナーの一角(手前右側)に展示中です。「陸軍」と刻まれています。説明板には「陸軍兵器学校の敷地境界用杭として使用されていたもの」とあります。サイズは今日見たものと同じ15cm角です。全高は105cm。
陸軍兵器学校の場所は相模陸軍造兵廠(現在の米軍相模総合補給廠)東南に隣接していました。現在麻布大や工場がある一帯です。

きょうは念願の陸軍境界杭が見られて大満足の一日になりました。これからも引き続き旧陸軍士官学校周辺を探訪し、新たな発見があれば発表したいと思います。なお、4種類の海軍境界杭は「其の188」に掲載しました。

今回の探訪記の参考文献資料は講演内容や、主催者及び相武台歴史同好会作成配布資料を参考にいたしました。

掘割の道、東の起点の位置です。



其の191 松田町の定光沢探訪記

 酒匂川に架かる新十文字橋の上流で定光沢という小さな川が酒匂川に合流しています。以前、酒匂川左岸幹線用水路を開成町の取水口から新松田駅付近まで歩いた時にその存在を知りました。水道みち・用水路好事家の私的には少々気になる川です。12月2日(火)快晴、青空の下あらためて探訪しました。

酒匂川サイフォン吐口
これは酒匂川左岸堤防から見た酒匂川左岸幹線用水路(以下左岸用水路)の酒匂川サイフォンの吐口施設です。酒匂川右岸から左岸へ渡った用水は酒匂川左岸堤防の内側沿いに流下しています。

酒匂川左岸幹線用水路・定光沢立体交差
サイフォン吐口から150mほど下ったところで隧道(トンネル)へ入ります。今は農閑期で用水の流れはありません。湧水を集めてわずかな流れがあるのみです。用水の需要期には6.23㎥/秒の水がとうとうと流れます。
隧道の上を横切っているのが道路と今日の主役、定光沢(じょうこうさわ)です。言わば自然な川と左岸用水路の立体交差です。この情景を見て天井川を連想しました。気になるとは天井川では?ということです。周りの土地より高い位置を流れるのが天井川ならば、明らかに用水路沿いの道より高い位置を流れています。

定光沢より酒匂川左岸幹線用水路を望む
交差する道路から見た左岸用水路です。この狭い場所限定の天井川と言えると思いますが、皆さんはどのように感じますか?

定光沢・足柄上郡松田町松田庶子
左岸用水路との交差点からみた定光沢上流です。急斜面を下る普通の川です。源流は前方の山です。護岸や川底は石垣やコンクリートで固めてあります。

定光沢河口
酒匂川左岸堤防外側から見た定光沢河口です。左岸用水路交差点から70mほど下流です。

定光沢・足柄上郡松田町松田庶子
左岸用水路交差点から上流へ歩いてみました。砂防ダムのような形の落差工。ほかにも何か所かありました。

御殿場線を潜る定光沢
JR御殿場線を潜る定光沢。定光沢の東を流れる河南沢は水路橋で御殿場線を横断していました。

双体道祖神・定光沢・御殿場線付近
御殿場線手前、定光沢沿いに祀られた双体道祖神。なにかお互いそっぽを向いているような感じがして面白いです。

県道72号線を潜る定光沢
県道72号線を潜る定光沢。手前の落差工のように見えるのは松田用水の暗渠水路上部です。松田用水と定光沢の立体交差です。

県道72号線より定光沢上流を望む
県道72号線より定光沢上流を望む。落差工が見えます。

R246と東名高速を潜る定光沢
R246と東名高速をトンネルで潜ります。左側白い柵が定光沢。

定光沢・常光沢ダム
トンネルを出たところで川の流れにしては巨大すぎる砂防ダムが出現。手元の地図には常光沢ダムとあります。ダム堤体左上方に銘板らしきものがありましたが木々に遮られ撮影できず。多分河南沢ダムと同じく、神奈川県土木部が築造したと思われます。
一万分の一の地図によると、これより先は尾根沿いに馬草山農道が通じていますが、沢へ下りるのは困難とみて探訪はここで打ち切りました。

山北町のレトロバス・ボンネットタイプ
帰路、小田急線新松田駅でばったり山北町のレトロバスに出合いました。これは2台あるうちのボンネットタイプです。今日の良き探訪記念になりました。

山北町のレトロバス
これはボンネットのないタイプです。山北町内循環バスといいます。JR御殿場線山北駅前にて(2013/11/24撮影)。

地図上で河口から常光沢砂防ダム下までの延長を測りました。476mでした。マピオンで標高を測ると河口が55m、常光沢砂防ダム下が87mでした。

参考までに酒匂川サイフォンは
「其の107 酒匂左岸用水を歩く」 (2013/9投稿)
水路橋で御殿場線を渡る河南沢は
「其の135 まつだ桜まつりと河南沢探訪記」 (2014/2投稿)
で発表しました。

酒匂川左岸幹線用水路と定光沢交差点の位置です。


FC2Ad