横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の185 中津川のカワラノギクと愛川町郷土資料館

 10月28(火)晴れ、2年ぶりに中津川のカワラノギクを見に行きました。カワラノギクは相模川水系の 在来種で、昔は石ころ河原では普通に見られたそうです。 上流に出来たダムにより生育環境が変わり今では絶滅 危惧種に指定されている珍しい花です。
2年前にも投稿しましたが、2014年版として短く投稿します。

カワラノギク・愛川町田代・中津川河川敷
愛川町田代運動公園駐車場(朝8時30分から利用可の無料駐車場)から中津川左岸堤防上を上流へ3分位歩くとここへ出てきます。堤防下河川敷のカワラノギク群生地進入路です。保護活動を行っているNPO法人「愛・ふるさと」の幟が立っています。

愛川町田代・中津川 カワラノギク
ゆっくり歩いて10分足らずで到着です。2年前にはなかった水路が通っていました。水路に架かる橋を渡ったところが群生地です。ちょうど見ごろです。環境は水路以外2年前と何ら変わることなく保全されています。

愛川町田代・中津川 カワラノギク
このような石ころ河原が大小3区画再現されていてカワラノギクはそれぞれ見事に花を咲かせています。

愛川町田代・中津川 カワラノギク  愛川町田代・中津川 カワラノギク 
草丈は60cm前後。

愛川町田代・中津川 カワラノギク 愛川町田代・中津川 カワラノギク
蝶や虫が集まっていました。花径は30~50mm位です。

愛川町田代・中津川 カワラノギク
花の色は薄紫、白色、その中間色など。色々です。


帰りに宮ヶ瀬ダム近くの愛川町郷土資料館を訪ねました。
愛川町郷土資料館
県立あいかわ公園内の愛川町郷土資料館です。

愛川町郷土資料館・アケボノゾウ化石標本
アケボノゾウの化石標本(レプリカ)が玄関を入ったところに展示してありました。300万年前の愛川町には「象」がいました。小沢(こさわ)地区から化石が出土したそうです。
館内に常設展示場があり歴史、民俗、考古、自然科学に関する資料が展示されています。三増合戦や中津飛行場(相模陸軍飛行場)の詳細な展示あり、関心をもっていたので勉強になりました。いつか探訪したいと思います。

愛川町田代、カワラノギク群生地の地図です。


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其の184 農閑期になると取水を開始する頭首工

 相模原市当麻に農閑期になると取水を開始する頭首工があります。一般的な頭首工はその逆で田んぼに水を送るころに合わせて取水を開始し稲刈りのころに取水を止めます。
その頭首工は県道508号線(八王子街道)と八瀬川が交差する地点下流にあります。県道から見えますが目立たない存在で知る人は少ないと思います。私は今年1月に八瀬川河口から源流まで探訪した時に見つけました。それ以来、一風変わった頭首工が気になり今日まで注目してきました。

八瀬川の頭首工・八瀬川取水ゲート
 これがその頭首工です。10月24日(金)晴れの日に撮影しました。取水量は0.054㎥/秒のミニ頭首工です。八瀬川の管理者相模原市が造った施設で、ちゃんとした名称があります(後述)。各地の農業用水路は9月いっぱいで通水が止まっています。しかしご覧のように転倒堰は起立し取水しています。今年1月に初めて見た時も同様に取水していました。ここから始まる用水路は相模原幹線用水路(大堀)(以下大堀)を経由して支線用水路へ流れていきます。
 なお説明上、ここでは田んぼへ水を送る時期を農繁期(5-9月)、そうでない時期を農閑期(10-4月)として記述します。

八瀬川の頭首工・八瀬川取水ゲート
 これは農繁期の6月に撮りました。堰は転倒していて取水を止めています。堰を起立させるワイヤーが緩んでいます。はじめはこの頭首工は大堀の通水量の増量を図るのが目的と思ったのですが、そうでもないらしく大堀が通水(5月初め)すると取水を止めるようです。
というわけでこの頭首工は常識とは逆の時期に働く変わった取水施設といえます。すなわち農繁期(大堀が通水中)は休止、農閑期(大堀が通水しない時期)に稼働ということです。

大堀の分水門・下当麻交差点付近
 これは下当麻交差点付近から見た大堀の下流方向です。6月に撮った写真です。勢いよく当麻の田んぼへ向かっています。この水は相模川の清水下頭首工で取水した用水です。
 右側の水門は支線用水路の分水門。当麻のごく一部の田んぼに水を配った後、当麻の町中を流れ最後は八瀬川に注いでいます。後でたどります。
 今は10月で大堀の通水は止まっています。通水が止まると八瀬川の頭首工で取水が開始され、黄色の矢印のように左から大堀に入り、こちら向きに逆流して分水門から支線用水路へ入り当麻の町中を流れていきます。ここから下流50m位、亀形橋(きぎょうばし)際に大堀の制水門と排水ゲートがあり今はどちらも閉じられていています。したがって八瀬川から取った用水は逆流せざるを得ません。

下当麻交差点
 分水門の先は前方の下当麻交差点を渡ります。八王子街道と県道52号線の立体交差です。

県道52号線・下当麻交差点
 交差点から見た県道52号線の原当麻駅方面。支線用水路はこの県道を横断します。

大堀支線用水路・下当麻交差点
 県道52号線を横断した支線用水路は南側のこの桝に入ります。横断の仕方は路面下を管水路、または県道52号線の下を伏越で渡っていると思われますが判断しかねます。多分管水路ではないかと思います。

大堀支線用水路・下当麻交差点付近
 上記の桝は5mほど離れたこの分水桝につながっています。角落しで水位を上げ左側の小支線用水路から田んぼへ配水しています。当麻の広大な田んぼのこの辺り一角のみに配水し、残りは大堀から配水しています。この写真は田植え直後の6月に撮影。以下の写真も6月に探訪した時の撮影です。

大堀支線用水路・相模原市南区当麻
 大堀の支線用水路を八瀬川の放流口までたどってみました。
分水後当麻の町中を流れる支線用水路。分水は上記の1ケ所のみでした。

大堀支線用水路・当麻
 当麻の町中を流れる支線用水路。

ホースノズル格納庫・当麻
 水路脇のホースノズル格納箱。農閑期に通水するのは何か訳があるはずで、防火用水が考えられます。防火水槽を探すも見当たらず。ホースノズル格納箱は別にもう1カ所ありました。

大堀支線用水路・八王子街道沿い
 八王子街道沿いを流れる支線用水路。このすぐ先が昭和橋北詰です。

大堀支線用水路・昭和橋北詰
 昭和橋北詰堤防の内側です。ここは以前、神奈川県営水道みち・北相送水管中津支管をたどった時に通りました。神奈川県企業庁の空気弁のマンホールフタが見えます。ほかの水路から流入があるらしく水量が増えています。水門の方へたどります。

大堀支線用水路・相模原市南区当麻
 流下する用水路。上流を見る。周りに人家はありません。

大堀支線用水路・当麻ポンプ場脇
 前方に田名原河岸段丘崖が見えます。段丘崖に沿って八瀬川が流れています。左側は相模原市のポンプ場。崖上にJR相模線下溝駅があります。

大堀支線用水路・八瀬川に放流
 ポンプ場脇の八瀬川に放流していました。はるか上流の清水下頭首工で取水された相模川の水が八瀬川を経由して近くの相模川へ戻っていきます。それは農繁期のことで農閑期は今見たように八瀬川で取水され八瀬川から相模川へ流れて行きます。

相模原市に八瀬川の頭首工について照会しました。
頭首工の名称:八瀬川取水ゲート
取水量:0.054㎥/秒
用水路の名称:当麻13号①
水路の終点:準用河川八瀬川

なお、水路の通年通水は水路の維持管理上行っていて、水路沿いには公設消火栓があり消防用水を兼ねることもなく防火水槽もないとの事でした。

八瀬川取水ゲートの位置です。


其の183 矢田川伏越を訪ねる

 今回は名古屋の矢田川伏越の話です。伏越に興味を持ち始めた頃、名古屋の矢田川に架かる三階橋に、その昔船で矢田川を潜った伏越があると知り以来興味を持ちました。10月10日(金)晴れ、所用で名古屋へ行く機会があり探訪しました。

堀川・黒川樋門
名古屋城の西や北を流れる堀川上流部、夫婦橋から見た黒川樋門です。後ろの建物は名古屋市上下水道局三階橋ポンプ所。ポンプ所の北側は矢田川左岸の堤防です。
今日は高校の同級生で地元在住のNさんに案内してもらいました。三階橋ポンプ所は昔、天然プールといって子供の頃に泳いだことがあるそうです。Nさんの兄さんがこの樋門から下流の堀川に流され大騒ぎになったそうです。今の時代はこんなことは絶対にありえないことで、フェンスで囲い、もし中へ入ったら警察へ通報されてしまいます。昔はおおらかな時代でした。
天然プールは矢田川を潜った伏越の吐口で分水池です。名前は黒川分水池といい庄内用水、堀川(黒川)、御用水など5カ所へ分水していました。三階橋ポンプ所が出来る昭和55年まで存在していました。黒川樋門は堀川への分水門ですね。

堀川・黒川樋門
樋門の上は通行可能です。水門開閉機に銘板が貼ってありました。
制水扉
呑口寸法:1800×1580
手動開閉方向:右ヒラキ
製造年月:1980-3
クリモト

ここを船が通ったのでしょうか。上下にスライド式ではなくドアのように開閉するタイプのようです。傍らに「都市景観重要建築物等 黒川樋門 名古屋市」のパネルが掲げてありました。

庄内用水分水門
こちらは西側の庄内用水分水門です。昔は黒川分水池で5カ所に分水していましたが、今は三階橋ポンプ所の中で庄内用水と、堀川の二方向へ分水されています。

庄内用水路
分水門から庄内用水路下流方向を望む。
庄内用水路は明治9年(1876)黒川開削と同時に新設された用水です。現在庄内川より取水された水は、北区・西区を通り荒子川へ至る間に農業用水・工業用水として利用されています。総延長28km。 (現地案内パネルより抜粋)

三階橋より矢田川上流を望む
三階橋より矢田川上流を望む。中央を横断しているのが矢田川伏越の上部と思われます。

矢田川右岸より対岸を望む・三階橋上流
三階橋を渡り矢田川右岸より対岸を望む。水色の建物が三階橋ポンプ所。川の流れのやや左寄りが伏越の上部と思われます。右は三階橋。三階橋の名前の由来はNさんによると矢田川を潜る伏越が一階で、上を流れる矢田川が二階、その上を渡る橋が三階橋だそうです。

矢田川伏越呑口
矢田川右岸堤防の内側です。矢田川伏越の呑口に当たるところに名古屋市上下水道局守西ポンプ所があります。中央に水門が見えます。位置的に伏越の呑口と思われます。
伏越・サイフォンというと呑口で降下し推進工で潜った後立ち上がると思いがちですが、矢田川伏越は船が通るくらいですから単純な河川と用水路の立体交差ということです。矢田川は堤防が高く河床も高い天井川っぽい川なのでこの形になったと思います。

堀川の流れ・庄内用水元圦下流
その上流の橋から堀川上流を望む。明治10年に開削された人工的な川とは思えないですね。船が行き交ったころはもっと水深があったと思います。

庄内用水元圦
そこから少し上流の庄内用水元圦です。中央に銘板がはめ込んであります。右書きで「庄内用水元圦 明治四十三年五月改築」とあります。中を通る船頭さんのために高さを十分にとっています。鉄の鎖を通すための鉄の輪が残っていて、船頭さんは鎖を伝って船を進めたそうです。 元圦(もといり)の圦は「池の土手などに埋めて水の出入りを調節する樋(とい)。水門。樋口(ひぐち)。 」の意。 三省堂大辞林より

庄内用水元圦
水門が二つ連続して設置されています。水門巻き上げ機?か開閉機は船の舵輪のような珍しい形をしています。奥が庄内川左岸です。

庄内用水元圦・取水口
水分橋から見た庄内用水元圦取水口。水色の格子(スクリーン)が取水口です。
ここから庄内川水系1級河川堀川が始まります。下流端は名古屋港で延長は16.2km。

庄内川頭首工取水堰
水分橋から庄内川頭首工取水堰を望む。手前から固定堰、スライドゲート、魚道、転倒ゲートが見えます。

水分橋より庄内川上流を望む
水分橋より庄内川上流・八田川河口を望む。小牧空港へ降りる飛行機が写っています。その下が八田川河口です。八田川から新木津用水、木津用水とさかのぼると犬山城の下にある犬山頭首工取水堰に至ります。どのような施設、景観が見られるか興味があります。いつかたどってみたいですね。

堀川左岸より納屋橋を望む・夜景
これは中区栄付近でNさんと食事後、散策がてら広小路通りや錦通りを西へ進み、左岸上流から見た堀川の夜景です。前方の橋は広小路通りの納屋橋です。

翌日午前中は名古屋港や名古屋城の周りを歩き、午後はサッポロ浩養園で高校の同期会に出席し一宮泊。翌日は墓参後「のぞみ」で新横浜経由帰相。台風19号と競争です。追いつかれなくて良かったです。

堀川の歴史は名古屋城築城から始まっています。一度や二度の探訪ではほんの上っ面をなでる程度です。Nさんからの提供資料や堀川に関する「何でも百科事典」の下記サイトを参考にさせていただきました。
「堀川に清流を 資料編」 名古屋堀川ライオンズクラブ

黒川樋門の位置です。



其の182 有馬系統横須賀水道みちを歩く・円覚寺から材木座へ

前回の続きです。探訪したのは10月4日(土)晴れ、8日(水)晴れの両日です。前回は円覚寺前まで進みました。今回は鎌倉市材木座の水道みち交差点までです。

有馬系統横須賀水道みち・円覚寺
その先の水道みちで見た横須賀市の消火栓用マンホールフタ。この地下には径1000mmの有馬系送水管が敷設されています。いざという時のためですね。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉街道踏切
県道21号線(鎌倉街道)の踏切まで来ました。奥は扇が谷トンネルから鎌倉駅方面です。有馬系統送水管は水道局で見た経路図ではこの先で線路を横断し隧道で鶴岡八幡宮の方向へ向かっています。隧道入り口を探索しました。浄智寺参道や踏切を渡った線路沿いの細い道を扇が谷トンネルの入り口近辺まで探すも行き止まりで発見できず。諦めて鎌倉街道の坂道を上りました。

建長寺
建長寺前を通過。

鎌倉街道・巨福呂坂洞門
鎌倉街道巨福呂坂洞門です。洞門の隣になんと隧道入り口があります。「巨福呂坂送水管路ずい道 横須賀市水道局」の表示があります。あとで調べたら昭和55年に横須賀市水道局が造った有馬系統の送水管路隧道です。踏切からここまで横須賀水道の境界杭もマンホールも見かけなかったので多分山の中を隧道で抜けてきたのでしょう。

巨福呂坂送水管路隧道
巨福呂坂送水管路隧道の入口です。

巨福呂坂送水管路隧道
隧道の中の様子です。なにか筒状の物が置いてあります。災害用資材置き場として利用しているようです。天井にはレールが敷かれています。資材を運ぶためのモノレールでしょうか。

巨福呂坂送水管路隧道出口
巨福呂坂下の隧道出口です。地図で測ると隧道延長は約210mです。

巨福呂坂下の庚申塔
付近の道端の庚申塔です。日月、青面金剛六臂、三猿。宝暦六丙子十一月と刻まれています。258年前の庚申塔です。

巨福呂坂下の庚申塔 巨福呂坂下の庚申塔クリック拡大
こんな庚申塔もありました。正面に庚申供養塔の文字、下の方にお猿さん(言わざる)が一匹。もう一体は青面金剛の文字塔です。

有馬系統水道みち・巨福呂坂下
巨福呂坂送水管路隧道出口を背に南の鶴岡八幡宮へ向かう有馬系統水道みちを望む。下り坂です。

有馬系統水道みち・鶴岡八幡宮西
鶴岡八幡宮西側(県道21号線)沿いに南へ進む有馬系統水道みち。

鶴岡八幡宮の大銀杏
八幡宮に参拝しました。倒れた大銀杏のその後の様子です。平成22年3月に強風にあおられ根元から倒伏しました。西側に移植された親木の根元から新しい芽が出ていました。元々の場所にも新芽が伸び高さ2m位に育っていました。

有馬系統水道みち・若宮大路
八幡宮沿いに進み三ノ鳥居前からは参道(若宮大路・県道21号線)を南下します。この道沿いにまさか有馬系統の送水管が敷設されているとは・・・。知らなかったです。

有馬系統水道みち・小町1
二の鳥居を過ぎ横須賀線手前です。有馬系統の送水管路はここを左へ入ります。

有馬系統水道みち・大町橋
左折してすぐに滑川を渡ります。滑川に架かる大町橋。上流側から見ましたが水管橋は見えません。伏越・サイフォンで横断しています。

有馬系統水道みち・魚町橋
その先の大町四つ角交差点の信号を右折します。逆川に架かる魚町橋(いをまちはし)。やはりここでも伏越・サイフォンで渡っているようです。水管橋は見えません。

有馬系統水道みち・大町2横須賀線踏切
その先の横須賀線の踏切手前です。空気弁マンホールがあります。水道みちの交差点は間近です。

有馬系統水道みち・アクアンのマンホールフタ
あまり見かけない横須賀上下水道局のイメージキャラ「アクアン」のマンホールフタです。今回の探訪で見るのは2枚目です。新型のマンホールフタみたいです。

鎌倉市材木座・水道みち交差点
水道みち交差点に到着しました。右が藤沢市柄沢方面から来た半原系統の水道みちで、左が逗子方面で田浦配水池から逸見浄水場へ通じています。有馬系統はここで合流(半原系統径500mm導水管と並行)し田浦配水池へ向かいます。

鎌倉市材木座・水道みち交差点
信号機に水道路の表示。バス停も水道路(すいどうみち)です。

横須賀水道みち・材木座2丁目
逗子方面へ少し歩いてみました。右側に海の杭(海軍境界杭・波入り)が見えます。

海の杭(海軍境界杭・波入り)材木座2丁目
海の杭(海軍境界杭・波入り)。懐かしいですね~久しぶりの再会です。サイズは20cm角です。全高は99cmあります。

有馬系統横須賀水道みちシリーズはこれで終わりです。
この先は 「其の58 横須賀水道みち14・深沢から逗子へ」 (2012/12投稿)へ続きます。

今回の有馬系統水道みち探訪を振り返ると径1000mmの送水管を直接見たのは県道312号線を渡る水管橋のみでした。隧道は3カ所見ました。境界杭やマンホールフタは随所で見ましたが、中でもアクアン入りのマンホールフタはこの探訪で初めて見せてもらいました。今回歩いた有馬系統はどちらかといえば目立たない地味な存在という印象を受けました。

「人知れず 田浦へ向かう 有馬系」 doushigawa

有馬系統は軍港水道と言われるように旧海軍が計画しました。横須賀水道100年史を読むと、建設当時の有馬系統は、詳細なことは今なお不明な点が多くあるそうです。軍の機密に関する施設だったため、連合国軍の進駐を控えた終戦時、旧軍当局の命令により関係文書や図面が焼却されたからです。そのため着工も昭和14年頃と伝えられるにとどまり、すべての工事完成は戦後横須賀市に移管されてのちのことになります。有馬系統はどことなく秘密めいたところが面白いですね。興味をそそる水道みちです。

有馬系統シリーズの参考図書です。
・「水の旅横須賀水道100年史」 横須賀市上下水道局 平成20年12月25日発行
・「豊かな水への歩み―横須賀市水道施設写真集―」 横須賀市水道局 
 昭和58年3月31日発行
・有馬系統送水管経路図(柄沢橋・水道みち間) 横須賀市上下水道局

今回のスタート地点、円覚寺前水道みちです。

其の181 有馬系統横須賀水道みちを歩く・柏尾川から円覚寺へ

 前回の続きです。前回は最後まで日が差すことがなく撮った画像も暗く少々不満が残りました。そこで10月8日(水)晴れの日に再度探訪しました。今回も水道みち交差点まで歩きました。

柏尾川
山崎跨線橋を渡り県道304号線沿い柏尾川左岸から上流を見ました。こちらから見ても有馬系統水管橋は見当たりません。

有馬系統横須賀水道みち・三菱電機付近
柏尾川を伏越・サイフォンで横断した有馬系統送水管は県道304号線を東進し山崎バス停付近信号で県道から離れそのまま東進します。この信号を右へ入って行きます。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市山崎
東進する有馬系統水道みち。足元には横須賀水道空気弁マンホールフタが見えます。ここは鎌倉市山崎。

庚申塔・鎌倉市山崎
一方通行の入口付近、水道みち道端の庚申塔です。四体の内二体で、どちらもお猿さんが三匹(見ざる言わざる聞かざる)彫られています。左側の青面金剛は八臂(腕八本)です。鎌倉市山崎。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市山崎
一方通行を抜け東へ向かう水道みち。この道にも水道局の境界杭が道の両側に打ってありました。鎌倉市山崎。

有馬系統横須賀水道みち・湘南モノレールと交差
湘南モノレールと交差。モノレールの下は天神下交差点です。

横須賀水道境界杭 横須賀水道境界杭真鍮製 横須賀水道・空気弁マンホールフタクリック拡大
この付近で見た水道みちの証、境界杭・マンホールフタです。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市台
その先で行き止まりです。工事用のシートが張られています。シートの向こう側は自動車教習場でした。ここは鎌倉市台3丁目。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市台
水道みちはまっすぐ進む性質があるので迂回して教習場の東側へ向かいます。すぐ見つかりました。その証拠に境界杭や空気弁マンホールフタがあります。東へ向かう水道みち。鎌倉市台。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市台
民家の庭先~?を通る水道みち。これが水道みちです。 矢印に注目。目の前の道が南東へ向かう横須賀線沿いに走る県道302号線です。有馬系統送水管はここで右折します。ここは鎌倉市台5丁目。

横須賀水道境界杭
矢印の先、柿の木の下は横須賀市水道局の境界杭です。

小袋谷川
横須賀線と県道302号線の間を流れる小袋谷川。ローソンストア100の南100m付近です。有馬系統送水管はこの川と横須賀線の地下を横断し横須賀線の東側へ出ます。その位置はローソンストア100のあたりと思われます。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市小袋谷2
横須賀線の東側線路沿いの有馬系統水道みちです。ここは鎌倉市小袋谷2丁目です。
ここより少し大船駅寄りの小袋谷2丁目4番地(線路沿いの電柱表示)からこの辺りにかけてその証拠がぞろぞろと出てきました。線路西側にはローソンストア100が見えます。

横須賀水道境界杭鋳鉄製 横須賀水道境界杭鋳鉄製 横須賀水道境界杭クリック拡大
付近で見た境界杭です。鋳鉄製もありました。ほかに水道局の3級基準点標識なども見つけました。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市小袋谷2
横須賀線沿いの有馬系統水道みち。足元は空気弁マンホールです。鎌倉市小袋谷2丁目。

成福寺
成福寺前を通過。

有馬系統横須賀水道みち・県道21号線踏切
県道21号線(鎌倉街道)踏切まで来ました。この道を左折し北へ向かうと横浜市栄区役所や栄署、JR根岸線本郷台駅に至ります。その一帯は旧海軍施設、大船海軍燃料廠があったところです。有馬系統は前述のように海軍が軍港水道として計画しました。計画図によると有馬浄水場で40,000㎥/日の浄水を作り大船海軍燃料廠に15,000㎥/日を送り、残りの25,000㎥/日を田浦配水池から浦郷地区、池上地区の海軍施設、久里浜海軍通信学校、大楠木海兵団などに給水する計画でした。
日本が敗戦しなければこの交差点で分岐していたのではと想像します。柄沢橋で半原系統と分かれたのはこのためだったと分かります。

さて、現在の水道みちに戻ります。前方にビルがありビルの裏には小山があります。有馬系統送水管はこのまま直進し隧道で小山を抜けます。

鎌倉市台の隧道
山沿いに迂回し隧道(トンネル)を見つけました。高さ2m位の素掘りです。水道みちとは無関係の生活道路です。ひっきりなしに人が通ります。隧道を抜けると突き当りが横須賀線です。

有馬系統横須賀水道隧道出口・鎌倉市台
民家の庭先に顔を出した有馬系統送水管路隧道出口。立ち入り禁止看板がかかっています。「この先立ち入ると法律で罰せられます。横須賀市上下水道局 大船警察署」
家のご主人にお願いして許可を頂き撮影しました。隧道は横須賀線沿いにあり車窓から見えます。

有馬系統横須賀水道みち・北鎌倉駅付近
横須賀線沿いの水道みち。北鎌倉駅近くです。

有馬系統横須賀水道みち・北鎌倉駅前
北鎌倉駅下り線ホーム沿いの水道みち。空気弁マンホールフタと素掘りの隧道です。有馬系統はこんなところを通っています。あらためてびっくり。

円覚寺
北鎌倉駅近くの円覚寺前を通過。
踏切を渡り駅前のそば屋で昼食。ざるそば普通盛り600円也。美味しいそばでした。長くなるので今回はここまでです。次回は終点の水道みち交差点までを発表いたします。

今回の参考文献です。
「水の旅横須賀水道100年史」 横須賀市上下水道局
平成20年(2008年)12月25日発行

今回のスタート地点(柏尾川)の地図です。

其の180 有馬系統横須賀水道みちを歩く・柄沢橋から柏尾川へ

10月4日(土)晴れ雲多し、有馬系統横須賀水道みちを柄沢橋から鎌倉市材木座の水道みち交差点まで歩きました。今日の東京地方予想最高気温は26℃です。予報ではお日様マークが並んでいました。大型台風18号が接近中です。台風が近づくとしばらくは探訪が出来ないので思い切って行って来ました。

横須賀水道みち・柄沢橋
小田急江ノ島線藤沢本町駅下車。30分ほどでここ県道302号線と横須賀水道みちの交差点柄沢橋へやって来ました。交差点より横須賀水道みち下流、鎌倉方面を望む。現在通水が止まっていますが、半原系統径500mm鋳鉄管が逸見浄水場まで敷設されています。

横須賀水道みち・柄沢橋
これは上記交差点の約100m上流(北)地点の横須賀水道みちです。有馬系統径1000mm送水管はこの辺りで分かれ左(東)へ向かいます。これから先は有馬系統の水道みちになります。鎌倉市材木座の水道みち交差点で再び半原系統の横須賀水道みちに戻ります。
なお、半原系統の横須賀水道みちは市販の一万分の一の地図に表示があり直線的で分かりやすいのですが、有馬系統水道みちは表示がありません。ここは電柱にあるように藤沢市大鋸(だいぎり)1001です。

有馬系統横須賀水道みち・滝ノ川
分れてすぐに滝ノ川と交差します。上流から見ても少し下流のここから見ても水管橋は見当たりません。川底を通過しているようです。

有馬系統横須賀水道みち
柄沢橋バス停前を通過し県道302号線を東へ向かいます。上り坂です。ここは藤沢市柄沢。

有馬系統横須賀水道みち
村岡消防署前交差点直前です。南北に走る県道312号線と立体交差します。

有馬系統横須賀水道みち・村岡消防署付近
交差点直前で横須賀水道のマンホールフタを見つけました。ここまでなにも手掛かりらしいものがなかったのでほっと一息。
横須賀水道マンホールフタ・村岡消防署付近クリック拡大
星マークの横須賀水道マンホールフタ。

有馬系統横須賀水道みち・R312を渡る水管橋
柄沢跨道橋南側を水管橋で渡る有馬系統径1000mm送水管。下を通るのは県道312号線。

有馬系統横須賀水道みち・渡内信号
その先、渡内交差点の信号です。ここを右折します。

有馬系統横須賀水道みち・藤沢市渡内
渡内中央バス停を過ぎバス通りから離れ、ゆるくカーブしてから東進する有馬系統水道みち。上り坂です。右側に横須賀水道境界杭を見つけました。

横須賀水道境界杭・藤沢市渡内
横須賀水道境界杭です。頭にYの字、寸法は15cm角、「水道局」まで読めます。境界杭やマンホールフタが水道みちの目印になります。コース通りに歩いている証で一安心です。

有馬系統横須賀水道みち・藤沢市渡内
その先、渡内の上り坂の水道みち。丘の頂上はまだ先です。マンホールフタが見えますが、神奈川県営水道のフタです。

有馬系統横須賀水道みち・空気弁マンホール
その先で、見つけた横須賀水道空気弁マンホールフタと、仕切弁フタ。
空気弁には横須賀上下水道のイメージキャラ「アクアン」と「W・100」、仕切弁には「DR・75」などの表示があります。
付近の電柱の表示には藤沢市渡内三丁目8とあります。

横須賀水道・渡内ポンプ所
有馬系統水道みち探訪のため9月に横須賀市上下水道局をアポ訪問し経路の予習をしました。それによるとこの辺りに山越えのための隧道入り口があります。あちこち探索するも見つからず。代りにこのポンプ所を見つけました。左右の門柱表札に「横須賀市水道局」「渡内ポンプ所」とあります。建屋の背後は山です。よく分かりませんがポンプ所から隧道が始まっていると考えれば良いのでしょうか。マピオンでポンプ所の標高を測ると49mです。
渡内ポンプ所
昭和45年完成・・・藤沢市村岡東4丁目 600kw×2台 

(横須賀市水道局発行 横須賀市水道施設写真集より)


ポンプといえば、有馬系統は相模川社家取水口で原水を取入れ有馬浄水場で浄水にした後ポンプで田浦配水池へ送っています。2年前に藤沢市葛原から社家まで有馬系統水道みちを歩きました。その時、有馬浄水場正門前にモニュメントとして展示してあったポンプを撮影しました。説明パネルには有馬浄水場の歴史にも触れていますので参考までに以下に記します。

有馬浄水場・旧送水ポンプ
有馬浄水場・旧送水ポンプ説明パネルクリック拡大
旧送水ポンプ(モーター付属)
ゐのくち式ポンプ 口径35cm
昭和17年 荏原製作所製
有馬浄水場は、昭和14年ごろから昭和20年にかけて旧海軍により施設能力40,000㎥/日の浄水場として創設されました。太平洋戦争後、その経営管理が本市にゆだねられるにいたって第4回および第5回拡張事業によって施設能力60,300㎥/日となり、以来施設能力の増強を行いながらその機能を果たしてきました。ところで浄水場といえば水の製造工場といえます。この工場の心臓ともいうべき大切な役割をになっているのがポンプです。
太平洋戦争から人間が宇宙旅行をする時代へと世の中も移り変わったなかで、このポンプは昭和53年4月まで36年間という長い年月を日夜休むことなく働き続けてきました。 
(説明パネルより)

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市植木隧道出口
ぐるっと大回りして山の南側の隧道出口へやって来ました。ヤブガラシや蔓性の雑草が生い茂って隧道出口をふさいでいます。目を凝らすと青色の鉄格子を確認できます。ここの標高は18mで、落差が31mもあります。地図で測ると渡内ポンプ所からここまでの距離は230mです。急勾配で下っています。
ここは藤沢市から鎌倉市に入っています。地図を見ると鎌倉市植木です。

有馬系統横須賀水道みち・鎌倉市植木
隧道を背に東進する有馬系統水道みちを望む。

有馬系統横須賀水道みち・境界杭 有馬系統横須賀水道みち・境界杭クリック拡大
道の両側にはこのように横須賀水道の境界杭が打ってあり、水道みちと分かります。

有馬系統横須賀水道みち・柏尾川付近
その先です。湘南鎌倉総合病院前を通り、柏尾川前の信号まで来ました。

有馬系統横須賀水道みち・柏尾川
信号前の柏尾川。有馬系統の送水管が見当たりません。水管橋ではなく伏越・サイフォンで横断しているようです。前方は東海道本線の橋です。
長くなるので今回はここまでです。次回は柏尾川を渡ります。今日は予報が外れ残念ながら最後まで青空を見ることが出来ませんでした。

有馬系統の過去記事です。
「其の51 横須賀水道みち9・有馬系統水道みち・葛原から社家へ」(2012/11投稿)
「其の81 横須賀水道社家取水口を訪ねる」 (2013/5投稿)

柄沢橋付近の地図です。


其の179 神奈川県の天井川を訪ねる・平塚市岡崎の鈴川

 今年9月9日、NHKニュースウォッチ9で「危険な天井川その実態は」が放映されました。私はその番組を知らなかったのですが、その時間帯に拙ブログのアクセス数が異常に上昇(一時間で約200アクセス)し、気づいたのは放送終了後で、新聞のテレビ番組欄を見てNHKの放送が原因と分りました。来訪者はいずれも「神奈川 天井川」の類の検索キーワードで来訪、初めは冗談かいたずらかと思いました。一日のアクセスが多くて100前後のひっそりとやっている拙ブログにこのアクセス、びっくりしました。番組の内容は関西の天井川だったようですが危険な天井川に対する県民の関心の高さとNHKの影響力の大きさに驚かされました。
 神奈川県内の天井川は私が投稿した曽我梅林の天井川以外にはあまり聞いたことがありません。「神奈川 天井川」で検索しても私の曽我梅林の天井川くらいしかヒットしません。で、調べたところ鈴川の一部区間が天井川であることが分かりました。知ったからには一刻も早く現地を確かめたくなります。天気の良い日を選んで行ってきました。9月28日(日)に探訪しました。

秦野市鶴巻の田んぼ
小田急線鶴巻温泉駅下車。ガーデンシティひかりの街内を縦断する水路沿いに歩くと東南に開けた田んぼに出てきます。ここから東へまっすぐ約1km歩くと北から南に流れる鈴川の堤防に突き当たります。

平塚市岡崎の田んぼ
途中で見た田んぼの風景です。こちらの田んぼは収穫を終え稲わらを干しています。里芋畑や落花生畑もありました。

鈴川・平塚市岡崎
鈴川の堤防下に着きました。道路は鈴川の川底を潜らないで橋で渡ります。トンネルで潜るほどの天井川ではないということです。

「二級河川すずかわ神奈川県」の看板
「二級河川すず川 神奈川県」の看板。鈴川は神奈川県が管理する川です。

鈴川・柳橋より下流を望む
堤防に上がったところにある橋が柳橋です。柳橋より鈴川下流を望む。鈴川が右岸側の田んぼより高い位置を流れているのが良く分かります。

鈴川・東橋より下流を望む
柳橋の約160m下流の東橋より下流を望む。やはり見た目水面の方が高い位置にあります。

鈴川・東橋より上流を望む
東橋より上流を見たところです。護岸の様子が分かります。背景の山は大山。

鈴川右岸堤防下より上流を望む
右岸堤防下より上流を望む。東橋下流付近。堤防の高さは5m以上あるでしょうか。

鈴川の古い橋平塚市岡崎
東橋の約200m下流の古い橋(欄干親柱に橋名が刻まれていますが高浦橋か富浦橋?判読できません)。欄干親柱によると昭和6年3月にできた橋です。左岸の民家の屋根と堤防を較べると極端な天井川ではないことが分かります。

鈴川の古い橋平塚市岡崎
古い橋より右岸の田んぼを望む。この位置から見ると天井川ですね。

鈴川・町屋橋
さらに下って古い橋の下流約310mの町屋橋。左岸の民家と比較するとこの辺りでは普通の川です。鈴川はこの下流130mの県道63号線に架かる大畑橋下流付近で板戸川、大根川と合流し東へ流れていきます。

鈴川・町屋橋より上流を望む
町屋橋より鈴川上流を望む。

今回はとりあえず見たままをお伝えしました。周りの土地よりも高い位置を流れるのが天井川です。今日歩いた鈴川は一見、天井川らしからぬ天井川というのが私の印象です。地元の農作業中の方と話をしましたが、鈴川は昔、蛇行する川でおじいさんの代(数十年前)に河川改修が行われ今の形になったそうです。近年、幸いに鈴川の氾濫はなく水災害はないそうです。左岸側の一部の田畑には鈴川の水が染み出るところがあるそうです。これは田畑より河床が高い証です。
北側に丹沢の山々があり大雨のたびに大量の土砂が運ばれてくると思われます。河川改修によりこれ以上の天井川化が抑えられているのが現在の状況と感じました。また定期的に河床の浚渫作業などの管理が行われていると想像します。
これより上流の伊勢原市を流れる鈴川を見たくなりました。どのような景観の変化が見られるかいつか探訪したいと思います。

今回の探訪記念です。
ツクツクボウシの交尾・平塚市岡崎赤坂
帰り道でツクツク法師の蝉時雨に出合いました。蝉も最後まで頑張っています。鳴き声がピタッと止んで電信柱を見ると目的を成就しています。良かったね! 平塚市岡崎赤坂にて。
今日出かける前の読売朝刊の天気予報では、東京地方の今日の予想最高気温は26℃でした。8月に仙台下頭首工から始まる用水路を歩いた時が33℃でした。それに比べると天国です。

本文で触れた関連記事です。
「其の132 曽我梅林の天井川を訪ねる」 (2014/1投稿)

鈴川・柳橋の位置です。

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