横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の141 畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン


今回はJR相模線・上溝駅近くの相模原畑地かんがい用水路専用隧道・上溝サイフォンの近況です。下の写真は上溝サイフォンです。あれっ、いつもと様子が違う! たまたま通りがかった3月16日(日)に撮りました。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
普段はコンクリートで塞がれている階段の上に穴が開けられ、日曜日で休工中なのか柵で塞がれています。何か工事が始まったようです。しかし現場付近には工事案内看板もなく工事名や工事期間も不明です。近所の人の話では4ヶ月位前に穴が開けられたそうです。まったく気が付きませんでした。知ったからにはその目的や内容が気になります。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
こんな分厚いコンクリートで塞がれていました。厚さは30cm位ありそうです。中は奥行き5m位、コンクリートが打ちっぱなしのがらんどうです。左奥角に鉄板のフタがしてあります。左側の壁面にはコの字型の昇降手すりが付いていて鉄板フタを開ければ下の隧道内へ下りるようになっています。あとで側面図で確認すると下りたところはちょうど隧道からサイフォン管が降下するところです。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
これは平時の上溝サイフォンです。この施設は上溝サイフォンの呑口(流入側)で建設当時はここから工事用の資機材の搬出入、人の出入り、掘削土の搬出口として、また工事完成後は隧道、サイフォンの維持管理点検口として利用されてきました。何年か前に侵入防止のため開口部(コンクリートが白い部分)は塞ぎ工事がされました。
この施設は周りの景色にそぐわない違和感がある存在です。戦争中の防空壕と思っている人もいるようで本当のことを知っている人は少ないと思います。現に私がそうでした。詳しくは 「其の78 相模原畑地かんがい用水路4」 で発表しました。

畑かん用水路専用隧道・上溝サイフォン
これは平日の3月26日(水)に撮りました。16日以来4回目ですがいつもこんな感じで10日前と変わっていません。昨年の3月末に小倉橋の畑かん水路橋の撤去工事が完成しました。水路橋を撤去したら久保澤隧道が出現しました。その開口部はコンクリートで塞がれ出入りのためドアが設置されました。じつはそれと同様のことを想像しました。いつかドアがはめ込まれると見ていました。

気になるので専用隧道の管理者である県企業庁へ照会しました。「導水路維持管理の一環として内部調査を実施中」とのことでした。大掛かりな工事ではなく単なる調査ということでややがっかりです。なお「点検口は再度閉塞する」そうです。私の推測は見事に外れましたが、それにしても再閉塞するとは・・・。閉塞にこだわる訳はよく理解できます。入り込んだ人の命に関わるからです。昔、隧道に入り込んだ中学生がいました。その話は過去記事 「其の80」 のお終いの方で触れていますのでご覧ください。

参考図書「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編」
1965年3月 神奈川県農政部耕地課(相模原市立博物館蔵)

上溝サイフォンの位置です。

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其の140 横浜水道みちの電信柱

3月21日(金)春分の日 晴れ、雨上がりの横浜水道みちを歩きました。

横浜水道みちと大山
横浜水道みち付近から大山を望む。水道みちは畑の中を左右に横切っています。ここは相模原市中央区田名です。

横浜水道みち・相模田名高校前
相模田名高校前の横浜水道みち。上流(城山ダム方向)を見る。

横浜水道空気弁マンホールフタ
横浜市水道局マーク
足元を見るとこんなマンホールフタが見られます。下は横浜市水道局のマークです。
このマンホールフタは空気弁とありますが近くにバタフライ弁マンホールフタもありました。今は水道みち地下20mの深いところにシールド工法によりΦ1500mm鋼管が敷設されています。そのマンホールと思います。昔は地表近くを18、22、36吋の鋳鉄管が敷設されていました。2年前に36吋管の撤去工事を見たことがあります。

横浜水道みち・田名北小前
さて、今日のテーマ、水道みちの電信柱です。田名北小前の横浜水道みちです。水道みち用地内に小ぶりな電信柱が立っています。ここ(田名堀之内)から田名清水にかけて17本の電信柱が連続して立っています。延長約600m、約37.5m間隔に立っています。

横浜水道みち・田名堀之内
田名清水付近。自治会の防犯灯が付いています。電線は通信用ではなく防犯灯の電源です。電信柱に白い標識が貼ってあります。「横浜市水道局専用 谷ケ原下-134」などと書いてあります。上流に行くにしたがって番号が若くなります。昭和31年、津久井分水池近くに横浜市水道局谷ケ原取水事務所が開設されました。そこを起点にした番号と思われます。

これらの電信柱を見て横浜水道創設時の水道みち沿いの風景を連想しました。
創設時の横浜水道みち・溝村、田名村
導水線路高座郡溝村付近(トロッコの看板より)

水道鉄管布設線路 其二十 相模原鶴間村
水道鉄管布設線路 其二十 相模原鶴間村(横浜水道百年の歩みより)
当時も同じように電信柱が立っています。横浜水道百年の歩みに関連記事がありましたので引用します。
専用電話線
水源から市内に至る間に、三井村、大島村、鶴間村、川井村及び野毛山の各所に出張所を設けその連絡通信のため山下町にある本庁と各出張所に専用電話を設置した。この電話施設工事は明治18年10月25日着工し、翌明治19年1月21日大島まで落成した。その後更に三井村取入所まで延長し、その延長は46.8kmに達し、工事費は3,261円67銭1厘を要した。この特設電話と軌道の施設は、前者は工事の打ち合わせ上に、後者は長大区間の重量物輸送上に便宜をもたらしたもので、当時のわが国においては斬新なものとして注目をあびた。
(横浜水道百年の歩みより)

現代に残る田名地区の電信柱は水道局に照会したところ青山沈澱池・西谷浄水場間に引かれた専用通信線用でした。今は他の通信手段に変わり使われていません。そのほとんどが撤去されましたが田名地区は田園地帯が多く残されたと思います。堀之内自治会、清水自治会、半在家自治会の防犯灯用に使われています。

粁杭と100メートル杭
過去記事と重複しますが付近の百米杭(水色)と粁杭です。
百米杭には120Y.W.W、粁杭には十二粁横濱市水道局と刻まれています。水源の三井用水取入所からの距離12kmを示しています。
この辺りには貴重な百米杭が連続して残っています。其の61 横浜水道みちの粁杭と百米杭 で投稿しました。

横浜水道みちトロッコの看板
トロッコの看板
近くのトロッコの看板NO.5 
三井用水取入所からここまで11km 現在地:田名
水道みち沿いの大澤村、田名村、溝村、麻溝村の名前が見えます。

この後古清水のヤツボを見るためその先で横浜水道みちと別れ神沢坂を下りました。
神沢坂
神沢坂です。ここは相模原市緑区大島古清水です。

古清水上組のヤツボ
崖の中腹の古清水上組(こしみずかみぐみ)のヤツボです。崖から水が湧きだし溜まるところをヤツボと言います。

古清水上組ヤツボの案内看板
相模原市が設置した古清水上組のヤツボの案内看板。

マムシ注意看板
まむし(へび)の注意看板。この辺は棲んでいそうです。夏は要注意。

神澤不動尊長徳禅寺
神沢坂下の神澤不動尊長徳禅寺。

神澤不動尊前桃の花
神澤不動尊前の桃の花?です。梅でも桜でもなく多分桃の花と思います。新芽が伸びています。

ここまで来たので相模川の流れを見て帰ることにしました。スポーツ広場を過ぎ右手崖下の大きな岩がごろごろしたオフロードバイクの練習場を過ぎ河原の灌木地帯を抜け川縁に立ちました。
相模川・相模原市緑区大島
石ころ河原ではなくこのように湖の縁のようなところです。野ばらの新芽が出始めていました。この下流約800mのところに烏山用水探訪のときに行った清水下頭首工があり、その影響で湖のようになっています。夏場はジャングルのようになるでしょう。ここに立てるのは今の季節だけです。

今日のスタート地点、相模田名高校付近の地図です。

其の139 三ヶ木発電所跡を訪ねる(続編)

昨年12月に「其の120 三ケ木発電所跡を訪ねる」を発表しました。その後、不明確であった発電用水の取水口の所在場所を調査し内容を[追記]で投稿し明らかにしました。その内容は文書や図面上のことで今回はそれらを参考にして現地を再探訪しました。取水口所在場所や導水路、隧道の位置なども合わせて考えてみました。2月から3月にかけ探訪しました。
関連記事
其の120 三ケ木発電所跡を訪ねる (2013/12投稿)

青山川河口
これは道志川左岸から見た青山川の河口です。横浜水道青山沈澱池はもう少し上流にあります。左側の建物は三太旅館です。

道志川左岸より水道橋方面を望む
青山川河口から150m位下流です。下流の水道橋方向(紅白の送電線鉄塔方向)を望む。明治44年9月に発電所建設業者が神奈川県知事に提出した「水利使用及水路新設許可願」(以下許可願い)には水路総延長290間9分8厘(529m)とあります。既設の上川原灌漑用水路堰を利用し右岸に取り入れ水路を設け木樋に引水とあります。この辺りにその堰があったと思われます。発電所は大正末年頃まで運転していました。90年近く前です。河床は当時より低下しており痕跡は何も残っていません。
許可願い添付図面によると三ヶ木村字上川原(上河原)は道志川の流れと右岸土手に挟まれた河原の畑地帯です。画像の枯草地帯がそれにあたります。

水道橋
南側から見た水道橋です。潜った正面奥下に三ヶ木発電所の貯水池(上池水槽)が現存しています。

水道橋付近の横浜水道みち
水道橋から5、60m南の横浜水道みちです。画面奥突き当りを右へ曲がったところが水道橋です。許可願いによると延長44間(80m)の隧道を掘り木樋を通すとあります。歩き回った結果この写真のガードレールが切れた辺りがその位置(隧道の入口)と思われます。

水道橋付近横浜水道みち
上記写真より水道橋寄りの崖の様子です。切り立った崖です。念のためこちら側から斜面を下り崖下の隧道跡を水道橋の下の辺りまで探索しました。許可願いによると隧道のサイズは幅が9尺(2.73m)、高さ7尺5寸(2.27m)もあり、中に木樋を通すように設計されていました。その遺構があればすぐ分かるはずです。残念ながら発見できず。手前の斜面(何らかの原因で土砂が積もった)の下に隧道跡があると思われます。実は「コンクリート会社と水道橋の間にトンネル跡があり子供の頃に中へ入って遊んだ」という地元の方の話を聞き、隧道の発見を今回の探訪の一番のテーマにしていました。図面などを参照するとここでほぼ間違いないと思われます。

道志川左岸から水道橋を望む
対岸から見ました。赤丸の辺りが隧道の入口と思われます。左端に水道橋が見えます。

三ヶ木発電所木樋導水路
これは木樋導水路と隧道のイメージです。取水口から上川原(上河原)の畑を通って来た木樋導水路が隧道に入るところです。入口で右へ30°向きを変え真っすぐ貯水池(上池水槽)へ向かっています。
木樋は幅4尺8寸(1.45m)、高さ3尺5寸(1.06m)、水深2尺5寸(0.76m)、側板底板共厚さ2寸5分(7.6cm)の松板を使用。地盤の高低により地中埋設又は掛樋とし、松丸太上に架設。木樋延長271.3間(493m)(許可願いより)。

水道橋
北側から見た水道橋。撮影地点の背後に三ヶ木発電所貯水池(上池水槽)の遺構があります。2月の大雪がまだ残っています。(3月15日撮影)

三ヶ木発電所の遺構説明看板
三ヶ木発電所の遺構と説明看板
三ヶ木発電所の遺構
横浜水道第2期拡張工事の中でも最大な難工事として城山隧道(4358.5m)が掘られました。この隧道工事でトンネル内部の送気、排水ポンプ、電燈、コンクリートミキサー、坑内自動車の動力電源として明治44年ごろに建設されたものです。工事完成後も相甲電気に受け継がれ大正末年頃まで発電が続けられたと伝えられております。
 説明看板より

遺構の様子を前回とは角度を変えて眺めてみました。以下の説明でもたびたび尺貫法の数値が出て来ますが「許可願い」からの引用です。カッコ内は管理人注。
三ヶ木発電所の遺構
ここを初めて訪ねたのは去年11月28日です。その時はまだ草が茂っていてよく見れなかったのですが、土砂吐け用の開口(黄色矢印)がはっきり見えました。ここに排砂水門が設けてありました。
写真正面の壁が一段低くなっています。余水吐け(溢流用の堰)です。
水槽出口には「ゲートヴァルブ」を取り付け送水量の調整を行っていました。
水圧鉄管取付け部の開口は見た目以上に大きく1m以上あります。外に向かってテーパー付でギザギザの跡が付いています。内径3尺(91cm)、長さ85尺(25.8m)の鉄管が取り付けられました。

三ヶ木発電所の遺構
貯水池右側の余水吐け水路。崖下の発電所放水路と合流して道志川に放流されました。

三ヶ木発電所の遺構
出口側から見た貯水池です。寸法は内法で長さが12尺(3.64m)、幅9尺(2.93m)、高さ8尺2寸(2.5m)。
上段の水路(橋の下)の奥に取水口から来た水路の出口(隧道の出口)があります。

隧道出口
水路隧道出口です。去年11月に初めて見た時は草が茂っていました。径50cm位かと思ったのですが、とんでもない! 水路幅目一杯(約1.5m)ありました。

三ヶ木発電所導水路出口
隧道内部の様子です。当初計画では木樋を通すための隧道でした。工事途中に地質都合により設計変更し、隧道の途中からコンクリート巻水路隧道に変わりました。入口側のサイズは前述のように幅が9尺(2.73m)、高さ7尺5寸(2.27m)です。

三ヶ木発電所の遺構付近
発電所遺構(右中央)付近から見た道志川(津久井湖)。3月15日撮影。その日の城山ダムの水位は-2.09m=EL121.9mでした。貯水池直下は湖です。

三ヶ木発電所跡付近より道志川を望む
これは上の写真とほぼ同じ位置から見た道志川(津久井湖)です。(2月6日撮影)
2月4日に降った雪が残っています。水位が低下していて歩けそうなので崖下を探索しました。

三ヶ木発電所跡
貯水池・上池水槽(黄色矢印)の下の様子です。落差47尺(14.2m)で発電機・水車を回していました。貯水池の下に間口6間(10.9m)、奥行き5間(9.1m)(30坪)の発電所建屋があり60吋横動フランシスタービン水車が据付けられていました。
目の前に何やら基礎らしきものがありますが、落差47尺から推測すると建屋はもっと低い位置にあったと思われます。

旧道志橋
廃橋(旧道志橋)の橋台や橋脚が姿を見せていました。去年の8月には異常渇水でこの辺りは城山ダム完成以前の元々の道志川の流れを見せていたと思います。去年の8月にこの下流の沼本ダム付近の湖底を歩きました。其の100 三井用水取入所・沼本ダムを訪ねる2 でその様子を投稿しましたので興味のある方はご覧ください。

お終いに道志川といえばこの辺りは三太物語の舞台として有名です。三太の碑を見つけました。

三太旅館
横浜水道みち沿い、青山川河口に接する三太旅館です。

三太の碑・三太旅館内
旅館玄関脇の三太の碑。
おら三太だ ここが道志川の主 仙爺さまの家だ 人玉になる術まで使い 川の見廻りに出たんだ  青木茂
NHKのラジオドラマで流れた少年の声「おらあ三太だ」を覚えています。齢が知れますね。作者の青木先生は良くこちらの旅館に泊まられたそうです。なお子供の頃トンネルに入って遊んだのはこちらのご主人です。

参考文献「津久井郡役所土地回議録 明治四十五年大正元年」
発電所建設業者が神奈川県知事宛てに提出した水利使用及水路新設許可願い(明治44年9月1日付)
(神奈川県立公文書館蔵)

発電所建設業者は許可願いには個人名になっています。東京市京橋区本八丁堀参町目壱番地 中野喜三郎とあります。同氏は中野石材工業(株)の創業者で中央線の笹子トンネル工事、国会議事堂、日本橋石工事など偉大な業績を残されています。現在は五代目社長に引き継がれています。HPに書かれていること以外にも主に電車架線工事(京王電鉄、京浜電鉄)、京浜地帯電力工事等も受注しています。三ヶ木発電所工事は同社の得意とする分野であったことがよく分かります。

今回1枚目の写真、青山川河口の位置です。

其の138 相模原幹線用水路を訪ねる②

前回の続きです。相模原幹線用水路(大堀)(以下大堀)を下流へたどっています。前回は相模川左岸の望地河原南端の上当麻隧道入口まで進みました。

相模原幹線用水路(大堀)・上当麻隧道出口
上当麻隧道出口です。県道48号線沿い旧石器ハテナ館( 史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館)の坂を下ったところで見つけました。隧道延長は752mです。

相模原幹線用水路(大堀)・上当麻隧道下流
上当麻隧道の下流です。圏央道の相模原愛川ICの方へ向かっています。

相模原幹線用水路(大堀)
その下流、神奈川県内広域水道企業団相模原水路橋の下を流れる大堀。崖上に企業団相模原ポンプ場があります。

相模原幹線用水路(大堀)
企業団相模原水路橋の下を流下する大堀。ただし水は滞留していて流れはありません。下流側を見る。

相模原幹線用水路(大堀)・相模原愛川IC内
その先です。圏央道相模原愛川ICは平成25年春に開業しました。IC内の残工事か付帯工事かよく分かりませんがこんなところを通りました。ブルーシートの先大堀の上に新しいコンクリートのフタがしてあります。暗渠化されました。

相模原幹線用水路(大堀)相模原愛川IC付近
その先、IC付近の大堀。ここは開渠水路です。地図を見ると大堀はIC付近を西から東へ横断しています。

相模原幹線用水路(大堀)・下当麻交差点付近
県道52号線、508号線が交差する下当麻交差点信号付近です。左側フェンスが大堀です。

熊野稲荷前新堀の碑
下当麻交差点手前の熊野稲荷神社前の「新堀の碑」です。
新堀 この用水は江戸時代の中ころにこの村の名主であった関山庸左衛門通久によってつくられました。村の名前から「当麻用水」とも呼ばれています。 (碑文より)
現在は相模原幹線用水路(大堀)です。

相模原幹線用水路(大堀)下当麻交差点付近
県道508号線(八王子街道)を潜る大堀。水は滞留しています。流れはありません。

相模原幹線用水路(大堀)県道508号線東
県道508号線を潜った大堀。あら不思議!急に水の流れが・・・。それもこちらに向かって逆流です。近くの県道508号線際八瀬川の取水口から取り入れた水が10m位先で大堀に入り右側の水門から流出しています。この時期だけの一時的な現象かどうか農繁期にどんな流れになるかあとで確認したいと思います。多分農繁期になると大堀が通水するので普通の流れになり、右側の水門は分水門になると思います。八瀬川の取水口から取り入れた水は大堀の補給水になると思われます。

相模原幹線用水路(大堀)亀形橋付近
その先の八瀬川に架かる亀形橋(きぎょうばし)付近の大堀です。水路正面は余水吐け兼排水口で八瀬川に繋がっています。大堀は左の水色の水門を経て当麻の田んぼへ流れて行きます。

ステンレス製転倒堰
上記水路奥に設置された転倒堰です。今は倒れています。左側が排水口で八瀬川に繋がっています。
ステンレス製転倒堰 寸法:1.2m×0.9m 製造年月:2006.10 大同機工(株) (メーカー銘板より)

相模原幹線用水路(大堀)排水口・亀形橋付近
八瀬川左岸から見た相模原幹線用水路(大堀)の排水口、フラップゲート。

相模原幹線用水路(大堀)新当麻橋付近
亀形橋の施設下流の暗渠水路と桝です。上流の亀形橋を見る。大堀はこの桝に入った後県道52号線を潜ります。左側に石碑が立っています。昭和39年に当麻土地改良区が建立した当麻地区農地区画整理完成記念碑です。

相模原幹線用水路(大堀)新当麻橋際
県道52号線を南へ渡った大堀。桝から県道の歩道沿いに奥へ進みます。

相模原幹線用水路(大堀)当麻
30m位先で当麻地区の田んぼへ向かう大堀。

相模原幹線用水路(大堀)当麻
区画整理された広大な農地内の幹線道路沿いを流下する相模原幹線用水路(大堀)。並行してもう1本幹線道路があり同様に流下しています。

相模原幹線用水路(大堀)当麻終点
当麻の田んぼの南東の端です。ガードレールの向こう側は八瀬川です。田んぼを潤した用水の余水排水は段丘崖沿いに流れる八瀬川に放流されます。遠く田名清水の頭首工で取水した用水は八瀬川経由近くの相模川へ戻って行きます。水の旅の終わりです。
地図上で清水下頭首工から当麻の八瀬川放流口までの水路延長を測りました。6858mでした。

今回は農閑期の探訪で残念ながら水の流れを見ることが出来ませんでした。農繁期にもう一度歩いてみたいと思います。
今までなんとなくぼんやりとした知識の烏山用水や段丘崖沿いの用水路を今回の探訪で清水下の取水口から当麻の八瀬川放流口まで明らかにしました。相模原幹線用水路(大堀)という立派な名称がついていることも今回初めて知りました。まさかその水路が当麻の水田まで来ているとは・・・そのことも初めて知り新たな発見の連続でした。説明パネルや碑文を読み実際に歩いてみて先人の苦労がしのばれます。この用水を拓いた先人の偉業にあらためて敬意を表します。

お終いにもう一度徳本念仏塔です。其の136 水郷田名の烏山用水を訪ねるの冒頭で山王坂の徳本念仏塔を紹介しました。この近くの無量光寺にも立っています。独特の書体をご覧ください。「南無阿弥陀佛」と刻まれています。
徳本念仏塔・無量光寺
相模原市登録有形民俗文化財 無量光寺の徳本念仏塔(とくほんねんぶつとう)
徳本は江戸時代後記に念仏を広めて歩いた僧で、文化14年に無量光寺を訪れました。念仏塔は52世他阿上人がその独特の書を求め建てたものです。相模原市教育委員会  
(説明パネルより)

上当麻隧道出口の地図です。

其の137 相模原幹線用水路を訪ねる①

3月9日(日)晴れ、11日(火)晴れ、2日間かけて相模原幹線用水路(大堀)(以下大堀)を探訪しました。水路の名称は違いますが前回(烏山用水路)の続きです。2回に分けて投稿します。

相模原幹線用水路(大堀)滝隧道出口
相模川ふれあい科学館北で顔を出した大堀、滝隧道の出口です。隧道出口に貼られた銘板には次のように書かれています。
滝隧道 1988年3月 神奈川県 
延長352.92m(コンクリート及び?プレート覆工) 
幅=1.20m 高さ=1.60m 厚さ=0.20m


相模原幹線用水路(大堀)
相模原ふれあい科学館(左側白い建物)東を流下する大堀。

相模原幹線用水路(大堀)説明パネル
近くで見つけた大堀の説明パネル。クリックで拡大します。
参考のため内容を以下に記します。
相模原幹線用水路(大堀)
相模原市の米作りは、相模川沿いの大島、田名、当麻、磯部、新戸の水田が中心です。昔の人々は、「一粒でも多くのお米を作りたい」との願いから江戸時代より相模川沿いの土地を大規模に開墾し、堤防を築き、開田して水を引き、お米を作っていました。
しかし、大雨のたびに川は増水し堤防が決壊したり、川の流れが変わってしまうため「お米作りのための水」を確保するのは大変難しいことでした。
この用水路は、相模川の河床の低下などにより水田への取水が困難になったため、堰の統合と合わせて昭和22年から昭和31年にかけて作られ、清水下頭首工を取水口とし、久所、望地、当麻までの水田を潤しています。この用水路の完成によって農家の皆さんが安心してお米作りができるようになりました。 
(説明パネルより)

江成久兵衛翁像
水路東側に設置の烏山用水開拓の祖 江成久兵衛翁像です。大堀の方を向いています。

江成久兵衛翁顕彰碑文江成久兵衛翁顕彰碑文です。クリックで拡大。

相模原幹線用水路(大堀)
水郷田名団地住宅街を抜け県道54号線を潜る大堀。水郷田名ひがし公園付近。

ひの坂・陽原河岸段丘崖
大堀は陽原河岸段丘崖に沿って流下します。段丘崖の火の坂(狸坂ともいいます)。

火の坂・狸菩薩
火の坂下の狸菩薩。ご利益はなんでしょう。火の坂の由来とともに「ズームイン田名-12-平成10年5月」に詳しく紹介されています。

相模原幹線用水路(大堀)
段丘崖沿いに流下する大堀。手前のマンホールフタは前回登場した烏山用水の流末(雨水下水)です。

相模原幹線用水路(大堀)・望地隧道入口
その下流で見つけた望地隧道の入口(左側の水門)です。右側は大堀の制水門。水門は開いていますが水の需要期には当然締め切られます。両水門の間に間口の狭い水門が見えます。今は使われていないようです。

相模原幹線用水路(大堀)望地隧道出口
望地弁天付近の望地隧道出口です。滝隧道と同じように銘板が貼ってあります。

望地隧道銘板
望地隧道 1989年3月 神奈川県 
延長333.4m(コンクリート覆工) 
幅=1.20m 高さ=1.60m 厚さ=0.20m

コンクリート覆工とはなんでしょう?「清水滝・望地・向原上当麻隧道 農業用施設防災対策事業 完成記念碑」の碑文にこんなことが書かれています。
しかし、当初の幹線用水路の隧道は素掘りであったため、落盤の危険や維持管理の困難性があり、神奈川県施工の農業用施設防災対策事業として、昭和54年度より、隧道内面に対しコンクリートで補強する工事を実施することとなった。とありコンクリート補強のようです。元々は素掘りの隧道であったことが分かります。

相模原幹線用水路(大堀)望地隧道下流分水
隧道のすぐ下流で分水しています。左が大堀、右が支線用水路で下流でまた合流します。ここでは水の流れはほとんどありません。奥の建物は望地弁天キャンプ場の事務所です。

清水下頭首工完成記念碑
望地弁天の前に「清水下頭首工完成記念碑」が立っていました。まさかこんなところに・・・。他にも「望地河原開田記念碑」「清水滝・望地・向原上当麻隧道 農業用施設防災対策事業 完成記念碑」が立っていました。

清水下頭首工完成記念碑は相模原用水組合連合会が昭和44年6月21日に建立しました。今回探訪中の烏山用水と大堀の取水口は今まで見てきたように清水下頭首工です。参考までに碑文の内容を記します。
清水下頭首工完成記念碑 沿革
清水下頭首工は、もと明治44年烏山用水路延長工事の際、取水口として設置された。旧烏山用水は藩侯の命により農民粒粒辛苦の結果、久所耕地を潤すにいたった歴史的なものであった。星移り昭和22年「相模川沿岸当麻望地農地開発事業」の実施に伴い両耕地を加えて受益面積83ha余に達した。当初、望地は宗祐寺下、当麻は弁天下と別れ取水していたが、相模川の河床低下、耕地保水力の減少、相つぐ水害に農民の心労その極に達し相寄り相集い、昭和35年3月「相模原用水組合連合会」を結成し、地域内用排水路の整備、取水堰の統合を図り、現地点に水門を設けた。昭和40年9月、台風24号の被害は激甚をきわめ永年の労苦は徒労に帰するかに思われたが関係機関の配慮により、5600万円あまりの巨費をもって昭和42年3月完成したものである。
ここに沿革を記し幾多先人の功を称え関係者一同永くその喜びを共にせんとするものである。
(記念碑より)

早咲き桜・望地弁天キャンプ場
望地弁天キャンプ場駐車場で見た早咲き桜。(11日撮影)
今年のキャンプ場開場は3月15日だそうです。

相模原幹線用水路(大堀)・望地河原
望地キャンプ場付近の河岸段丘崖の森と望地河原の田んぼ。

相模原幹線用水路(大堀)・望地河原
段丘崖沿いに流れる大堀。段丘崖から湧き出る清水が流れを作っています。キャンプ場から下流約1.5kmの区間は夏(6月初め)になるとゲンジボタルが見られます。水路沿いはこのように遊歩道化されています。自転車バイクは通行不可。

相模原幹線用水路(大堀)望地河原
上流を望む。ゲンジボタルにはこのような環境が必要なようです。リバーサイド田名ホーム下付近。

相模原幹線用水路(大堀)・上当麻隧道入口
その先望地河原田んぼ南端の上当麻隧道入口です。右側は制水門で今は開の状態です。湧水の流れは100mほど下流で相模川本流へ注いでいます。

相模原幹線用水路(大堀)・相模川へ放流
相模川本流です。左手前の茶色の草やごみが浮いているのが大堀です。

次回は上当麻隧道の出口から探訪します。

滝隧道出口の地図です。

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其の136 水郷田名の烏山用水を訪ねる

3月6日(木)晴れ、相模原市中央区水郷田名の町中を流れる烏山用水(新堀用水)を探訪しました。市内ではかなり知られた観光名所的用水路です。地元なので私も歩いたことがありその一部は知っています。今回は水源から流末まで通しで探訪しました。流末は意外なところでびっくりしました。

徳本念仏塔・山王坂
山王坂を通り水郷田名へ向かいました。坂上の徳本念仏塔(とくほんねんぶつとう)です。
相模原市登録有形民俗文化財 田名山王坂の徳本念仏塔
徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の独特の書を求め念仏塔を建てました。相模原市教育委員会
(説明パネルより)

山王坂
相模川左岸崖上沿いの道、山王坂です。左側に山王坂の碑が立っています。右手は宗祐寺。この付近に崖下へ下りる道があります。

烏山用水取水口跡
急な階段を下りました。崖下の水門です。取水口と思ったのですがよく観察するとそうではなく排水兼流量調整用水門のようです。ここは昔の取水口跡を利用した分水施設です。あとで烏山用水案内図(後掲)を見つけたので理解できました。

相模川・相模原市水郷田名
これは翌日対岸から見た相模川と取水口跡付近の風景です。
約700m下流に小沢頭首工があり水位が上がっています。

烏山用水取水口跡
対岸から見た取水口跡の水門です。余水放流中です。

烏山用水図クリック拡大
大鷲神社付近の用水路で見つけた案内図です。黄色矢印が取水口跡です。右下から来た隧道(水源地の清水下頭首工取水口から来た隧道)が取水口跡で二手に分かれます。直進が烏山用水(新堀)、左斜めが相模原幹線用水路(大堀)です。破線は隧道(トンネル)を表しています。

相模川・清水下頭首工
これが現在の取水口です。取水口跡から約800m上流の田名清水にあります。
名称は清水下頭首工(しみずしたとうしゅこう)といいます。昭和35年に神奈川県が三耕地(久所、望地、当麻)83haの灌漑用水取水のために造りました。取水量は2.1㎥/秒。(県央地域県政総合センター doushigawa調べ)
2月の2度にわたる大雪で大木が倒れ進入階段が壊されました。これ以上誰も近づけません。目の前に赤色の水門巻き上げ機が見えましたが探訪はここまでです。

清水下頭首工・昇降階段
こんな階段を昇降しました。昔は赤色塗装で通称「赤い階段」と呼ばれていたと記憶しています。

ゲート遠方操作盤
崖上の階段降り口にあった遠方ゲート操作盤。こんな時に遠方操作は役に立ちます。


水郷田名の町中を流れる水路の要所に烏山用水についての説明パネルが掲げてあります。その内容を記します。
烏山用水(新堀)
この水路は、「烏山用水」といって今から130年前に田名村の領主下野の国(今の栃木県)烏山藩の大久保氏が、久所河原へ用水を引いて、水田を広げるため、滝の宗祐寺近くの山王崖から隧道(トンネル)を掘り相模川の水を引き入れてつくったものです。
これをつくるためには、地元農民の血のにじむ努力と、500両近い大金が掛けられました。
その後、江成久兵衛の努力や、大正2年の第2期工事以来、引き続いた改修により「新堀」と呼ばれるようになり、永い年月、久所や望地の水田を潤し私たちの生活を支えてきました。
ところが、世の中の移り変わりにより水田もなくなり、用水としての使命がうすれ、水路の水も汚れ魚もいなくなってきました。
そこで祖先が大事に守ってきたこの水路を昔のようにきれいな水路に戻し、水郷田名の名にふさわしい水路として守って行こうというみんなの願いから、今回の大改修が完成し、魚の住めるきれいな水路に生まれ変わりました。
これからはみんなで力を合わせ、この水路を愛し守っていきましょう。
平成3年3月 新堀用水路を愛する会
(説明パネルより)

以下水郷田名の町中を流れる烏山用水路です。
烏山用水
隧道の出口です。地図上ではここから水路が始まります。水郷田名1丁目。

烏山用水石積み
相模原市登録史跡・烏山用水の石積み。
安政5年(1858)、領主の烏山藩大久保氏によって作られたものです。石積みは川床から約2mの高さがあり、隧道出口付近の原形を残すものとして伝えられています。相模原市教育委員会 (説明パネルより)

烏山用水
その下流で木製の水門で分水していました。
水路幅は約2.5m。

烏山用水
烏山用水の碑。水路半分に木道が設置されています。水路には真鯉や錦鯉が泳いでいます。

蘇った用水路クリック拡大
蘇った用水路 農村景観百選に入選の説明パネル。

烏山用水・大鷲神社付近
大鷲神社付近の烏山用水路。水郷田名2丁目。

久兵衛土堤の碑、由来
県道54号線を潜り抜け水郷田名4丁目に入った烏山用水。水路沿いに立てられた久兵衛土堤と久兵衛土堤の由来の碑。

烏山用水
途中左へ直角に向きを変え河岸段丘崖(陽原段丘崖)へ向かう烏山用水。

烏山用水
段丘崖直前のT字路まで来ました。前方の白いフェンスの向こう側は段丘崖沿いに流下してきた前述の相模原幹線用水路(大堀)です。ここまで来て烏山用水は道路を潜って当然相模原幹線用水路に合流して右手の方へ流れて行くものと思いました。が、さにあらずです。白いフェンスから大堀を覗きこんでも流れ込んでいる様子がありません。

烏山用水終点(流末)
はい、これがその答えです。これは白いフェンスを背に烏山用水の上流方向を見た写真です。上の写真を逆から見たところです。ごうごうと音を立てて落下する水音がマンホールのフタ越しに聞こえてきます。マンホールフタには相模原市の市章マークと雨水の文字が刻まれています。下水管のマンホールということは最後は茅ヶ崎の終末処理場行きです。意外な結末でびっくり仰天です。田名公民館系統の八瀬川の流末がやはり下水道行きでした。そのことを思い出しました。

陽原段丘崖と相模原幹線用水路(大堀)
T字路から陽原段丘崖と相模原幹線用水路(大堀)上流を望む。次回はこの大堀を上流の隧道出口から探訪する予定です。

清水下頭首工の位置です。


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