横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の135 まつだ桜まつりと河南沢探訪記

2月25日(火)晴れ、「寒気和らぐ、穏やかに晴れそう、3月中旬並みの暖かさ」という天気予報に促され久々にウォーキングに行って来ました。1月に「其の132 曽我梅林の天井川を訪ねる」でJR東海・御殿場線の上を渡る天井川を発表しました。それと同じように御殿場線の上を渡る川を地図上で発見しました。それが河南(かなん)沢という小河川で「まつだ桜まつり」会場のすぐそばを流れています。河津桜が見ごろを迎えたので花見をかねて探訪しました。

西平畑公園
小田急線新松田駅から歩きました。これは県道72号線河南沢信号から見た「まつだ桜まつり」の会場西平畑公園です。白い塔は松田山ハーブガーデン。電車の窓からもよく見えます。

園内の河津桜です。
まつだ桜まつり・西平畑公園の河津桜

まつだ桜まつり・西平畑公園河津桜
松田の早咲き桜について
平成8年に町民の手により記念樹として植えられた桜は大島桜と寒緋桜を自然交配した河津桜で、ソメイヨシノよりも桃色が濃く、また花期も長く楽しめます。(松田町HPより)

まつだ桜まつり・西平畑公園河津桜

まつだ桜まつり・西平畑公園河津桜
当日発表の開花状況は七分咲きでした。全部で360本植えられているそうです。

まつだ桜まつり・西平畑公園菜の花
菜の花も楽しめます。

松田山ハーブガーデン
松田山ハーブガーデン。お土産を買いました。

雛のつるし飾り
園内の子供の館で雛のつるし飾りが展示されていました。
第16回「まつだ桜まつり」は2014/2/15(土)~3/16(日)まで開催されています。主催は松田町・松田町観光協会 これからまだまだ楽しめそうです。

この後お目当ての河南沢を探訪しました。まつだ桜まつり会場前の道を西へ進み、河南沢沿いの中央農道へ入り急な上り坂を上りました。

河南沢ダム
200mほど歩いたところで巨大な砂防ダムに出くわしました。手元の一万分の一の地図には「河南沢ダム」とあります。

河南沢ダム注意看板
土石流危険渓流 酒匂川水系河南沢
土石流が発生する恐れがありますので大雨の時は、十分注意してください。
神奈川県 松田町
(看板より)

河南沢ダム銘板
ダム堤体に銘板が貼ってありました。
昭和58.59年度通常砂防工事 河南沢ダム
昭和60年1月完成 神奈川県土木部


河南沢ダムより上流は沢沿いの道がありませんのでUターンし河口の酒匂川を目指します。
河南沢・東名高速付近
東名高速・R246下を流下する河南沢。下流を見る。

河南沢・東名高速付近
これは上記橋から見た上流側の写真です。このような砂防ダムが河南沢ダムまでに3ヶ所ありました。

河南沢
東名高速・R246の下を潜り抜け流下する河南沢。護岸も川底もコンクリートで固められています。下流を見る。

河南沢・県道72号線下流
県道72号線と交差し流下する河南沢。上流を見る。護岸の高さは2m位でしょうか。ここは御殿場線の直前です。

御殿場線を渡る河南沢
JR東海・御殿場線を水路橋で渡る河南沢。右岸鉄柵部分が御殿場線横断部。

御殿場線を渡る河南沢
JR東海・御殿場線と河南沢の立体交差です。

河南沢・御殿場線付近
御殿場線を渡り終えた河南沢。渡ったあと滑り台のように急降下しています。

河南沢・寒田神社付近
その先、新十文字橋沿いに流下する河南沢。下流を見る。

河南沢・酒匂川左岸堤防付近
新十文字橋と河南沢橋を潜り抜け酒匂川に入った河南沢。右側は酒匂川左岸堤防上の道です。左側に青色の水門が見えます。惣領樋門といいます。付近を流れるのは河南沢の他に酒匂川左岸幹線用水路しかありません。何のための樋門か謎めいた水門です。

河南沢河口
酒匂川本流です。手前が河南沢河口です。

地図上で河南沢ダムから河口までの延長と標高を測りました。延長961mでした。標高は河南沢ダム付近128m、御殿場線交差点70m、河口が50mでした。高低差78mを一気に流れ下っています。

お終いに今日見つけた路傍の石像です。
馬頭観世音像・西平畑公園付近
西平畑公園付近の農道で見つけた馬頭観音像。馬頭観音ばかり13体が集められていました。そのうちの2体です。

双体道祖神・新松田駅前
新松田駅前の双体道祖神。この世界ではかなり有名な道祖神だそうです。
今日の一石二鳥の旅、桜もタイミングが良く河南沢も良かったです。

河南沢・御殿場線交差点の地図です。

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其の134 津久井町の横浜水道創設記念噴水塔

相模原市緑区中野の津久井総合事務所(旧津久井町役場)前に横浜水道創設記念噴水塔が立っています。所用で同事務所を訪ねた時に見つけました。横浜水道みちの上流部は三ケ木発電所跡、前回の小倉橋の奇妙な塔で(今のところ横浜水道の施設跡か定かではありませんが)全て探訪し尽くしたと思っていました。横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人が知らない所はまだまだ残っています。

横浜水道創設記念噴水塔
津久井総合事務所前の駐車場の一角に洋風庭園があります。どこかで見たことがある塔が立っています。2月4日に降った雪がまだ融けないで残っています。

横浜水道創設記念噴水塔
全景です。西谷の横浜水道記念館構内にこれと同じものが保存されています。

津久井町・噴水庭園の碑
生垣の間に噴水庭園の碑がありました。
噴水庭園
この噴水塔は、明治20年に横浜水道の創設を記念して、旧横浜停車場前広場に設置された噴水塔の複製です。横浜水道100周年にあたり、取水地・津久井町との交流のシンボルとして、庭園とともに、横浜市から寄贈されました。 
昭和62年9月20日 津久井町 
碑文より

横浜水道創設記念噴水塔
噴水塔正面下部。H.S.パーマーさんの名前が刻まれています。
YOKOHAMA GOVERNMENT WATERWORKS
DESIGNED AND CONSTRUCTED 1885-7 BY
COLONEL H.S.PALMER ROYAL ENGINEERS
碑文より

横浜水道創設記念噴水塔
裏面の碑文です。明治20年9月 神奈川県知事沖守固の碑文が刻まれています。

横浜水道創設記念噴水塔
これは本物の横浜水道創設記念噴水塔です。今はこちらに保存されています。平成24年5月に西谷の横浜水道記念館を見学した時に撮影しました。
横浜市水道局HPに解説記事がありましたので引用いたします。
創設記念噴水は、日本近代建築の父と呼ばれ、鹿鳴館や山手聖公会などを設計したジョサイア・コンドルにより選定され、英国のアンドリュー・ハンディサイド社で製造されました。  鋳鉄製で、高さ約4.4メートル、重さ約1.3トンあり、イルカ、葉アザミ、ライオンなどの模様が施されています。  近代水道百選に選定され、現在は横浜水道記念館に保存されています。  
 また、水道創設100周年を記念してレプリカが製作され、創設当時の水源地であった津久井町(現・相模原市緑区)と港の見える丘公園に設置されています。
(横浜市水道局HPより)

横浜水道創設記念噴水塔
当初、鉄道が日本で初めて開通した新橋・横浜間(現桜木町駅)駅前に立てられました。横浜鉄道停車場前噴水基と書いてあります。(画像は「横浜水道百年の歩み」より)

20時現在、早朝から降り続ける雪がまだ止みません。20cmくらい積もったみたいです。関東地方では16年ぶりの大雪だそうです。ここしばらくウォーキングは無理みたいです。折角咲いた曽我梅林の梅の花がかわいそうです。

横浜水道創設記念噴水塔の位置です。(緑色矢印)

大きな地図で見る

其の133 小倉橋の奇妙な塔

相模原市緑区の相模川に架かる小倉橋のたもとに奇妙な塔が立っています。昔からその存在は知っていましたが、水道みちを歩くようになってから妙に気になりいつか調べてみようと思っていました。

相模川・小倉橋・新小倉橋
相模川左岸から見た小倉橋と新小倉橋。その塔はこのすぐ先に立っています。

小倉橋の妙な塔
小倉橋の奇妙な塔
これが奇妙な塔です。鉄筋コンクリート製の廃墟で近所の人の話では30~40年前からこのような状態だそうです。どことなく違和感があります。白い看板は神奈川県城山ダム管理事務所の城山ダムの放流による急な増水に注意!の警告看板です。

小倉橋の奇妙な塔
水面近くから見上げるとこんな風です。

小倉橋の奇妙な塔
対岸から見ました。今は使われていませんが、かって何か重要な働きをしていたと思われます。1月はそれを究明するためにこの近辺に数回足を運びました。関連がありそうな役所を訪ねたりメール照会もしました。結果はいまだに断定的な答えは得ていません。調査を一区切りつけたところでとりあえず発表いたします。ご意見、感想、異論など歓迎です。コメント頂ければ幸いです。

歩いた結果、以下三通りの説が出てきました。
1.農業用水の取水施設跡説
2.横浜水道の取水施設跡説
3.相模川水位観測所跡説

順番に説明します。
1.農業用水の取水施設跡説
小倉橋取水口跡
奇妙な塔の20mほど下流の取水門跡。水門巻き上げ機も残っています。

小倉橋取水口跡
同上流側から見る。水路隧道の起点のようです。地元の方でしたがこの水門と奇妙な塔がセットで農業用水の取水施設ではないかというお話しでした。

2.横浜水道の取水施設跡説
これは横浜水道みちファンである管理人の意見でもあります。その根拠は次の写真です。
横濱市水道向原揚水機竣工紀念絵はがき
これは絵はがき写真です。右書きで「横濱市水道相州津久井郡川尻村向原揚水機竣工紀念(其二)揚水機場裏面並びに上昇導水管布設全影」と書いてあります。(津久井郷土資料室蔵)
私はこの写真は相模川右岸から妙な塔がある辺りを撮った写真と思っています。赤丸は私が加筆しました。丸の中は揚水機場の取水口のように見えます。前掲の対岸から見た写真と見較べると塔より下の部分が良く似ています。この写真は工事中の明治44年撮影と思われます。水面は現在より高かったようです。揚水機場の建物は現在の桂川亭駐車場の辺りと思われます。

横濱市水道向原揚水機場竣工紀念絵はがき
これは左岸崖上から撮ったと思われる絵はがきです。「横濱市水道相州津久井郡川尻村向原揚水機竣工紀念(其一)揚水機場前面全影」とあります。(津久井郷土資料室蔵)
水槽が二池見えます。1銭5厘の郵便切手に消印は神奈川久保澤44.9.29とあります。明治44年9月29日の消印です。
(この2枚の写真は津久井郷土資料室様の承認を頂き掲載しました。)
絵はがきの向原揚水機場について「横浜水道百年の歩み」「横浜市水道七十年史」に向ケ原ポンプ場仮設工事として記述があります。参考までに抜粋して以下に記します。
このポンプ場は第2回拡張工事によって導水路線の変更が完成するまでの間の対策として計画されたもので、上流側に事故が発生した際には直ちに相模川からポンプ揚水を行って口径22吋(560mm)導水管に注入送水することを目的にしており、更に施工中の第2回拡張工事の口径36吋(910mm)導水管の下流部分が完成すればこれと連結し、上流導水管及び水源工事が未完成でも、市内給水の増量を行えるという一石二鳥の計画であった。
明治43年(1910)4月25日着工 明治45年3月末日完成。
この工事が完成後は幸いにして水害による被害もなく、第2回拡張工事の完成後はこの設備は全く不必要となったので同設備及び送水鉄管は大正5年(1916)7月24日から9月20日までの間に、撤去工事を完成した。


ポンプやその他施設についての記述もあります。
揚水ポンプ:180馬力×2台、うず巻ポンプ:5馬力×2台、蒸気機関:260馬力×2台。
揚水量:1分間300立方尺(8.35㎥)
揚水管:内径12吋(300mm)鋳鉄管、吸水管:内径12吋(300mm)鋳鉄管、送水管:内径18吋(460mm)鋳鉄管、水槽:内径21尺(6.4m)深さ8尺(2.4m)鉄筋コンクリート造り×2池。
なお、この設備は当時の国産ポンプとしては大型のものであり、ポンプの権威者井口工学博士の設計によるものであった。また、このポンプ場に初めて鉄筋コンクリート構造を採用するなど、注目すべきものがあった。


完成後わずか4年ちょっとで撤去されました。第2回拡張工事のメインは城山隧道です。大正4年3月に第2回拡張工事が完成するまでは青山から三ケ木、三井の創設路線(相模川左岸の危険極まりない崖中腹の路線)が頼りでした。城山隧道築造により危険な路線を回避できます。向ケ原ポンプ場仮設工事と撤去は野球でいえばブルペンで肩を温めたリリーフ投手が先発投手の頑張りで出番がなくなったということです。水道局としては大枚をはたいてでも絶対に断水を避けたかったのでしょう。当時外国人居留地にも給水していたので大日本帝国のメンツがあったかもしれません。

話がわき道にそれそうです。奇妙な塔の真相は横浜市水道局に問い合わせるのが一番早いと思いメール照会しました。回答を頂きましたが遺構かどうかはわからないが資料を読むとそうかもしれない?とのことでした。なにせ撤去後100年近く経っているのでそうかもしれません。向ケ原ポンプ場仮設工事について「横浜水道百年の歩み」「横浜市水道七十年史」のなかの関連するページを資料として提供頂きましたので上記のように引用させていただきました。

さて、拙ブログの初めの頃「其の5大島から小倉橋」で触れていますが、この近くを横浜水道創設路線が通っています。今はハイキング道になっています。向ケ原ポンプ場とも関連がありトロッコの看板が立っていますので紹介します。

トロッコの看板NO.2向原2丁目
大島坂から来たハイキング道の終点(起点)です。トロッコの看板NO.2が立っています。
ここは県道510号線のヘアピンカーブから南へ100mほど入ったところです。かってここに18、22、36吋3条の鋳鉄製導水管が通っていました。創設時の横浜水道みちです。奇妙な塔は前方左手下の方にあります。向ケ原ポンプ場仮設工事で取水した水はここを通っている22吋管に注入送水していました。

トロッコの看板NO.2向原2丁目
看板のアップです。「三井用水取入所からここまで6km 
現在地:向原2丁目」
この看板は横浜市水道局が近代水道創設120周年を記念し設置しました。設置場所は創設当時の路線上の26か所です。詳しくは導水線路「緑道プロムナード」の看板概要図をご覧ください。

3.相模川水位観測所跡説
三つ目の説です。近所の方を訪ねたら私が子供の頃に「水位観測所」と聞いたことがある。とのお話しを伺いました。県が管理していたはずとのことで訪ねたのが城山ダム左岸の神奈川県企業庁相模川水系ダム管理事務所です。アポなしで突然訪ねましたが親切に応対していただきしばらく待つと「昔の水位計の跡かも知れないが断定はできない」とのことでした。

おしまいに奇妙な塔のすぐそばに祀られている水天宮の紹介です。
小倉橋・水天宮
川尻地区の向原にある水天宮は、人々の信仰が深く、現在も祭日には漁業関係者による式典が催されています。この宮は昭和2年5月に川尻地域の漁業組合の人々が、この宮の近くの淵で水難事故に遭う人が多いので、鎮魂と今後の安全祈願のために勧請して建立したものです。・・・「小倉・向原地域今と昔めぐりガイドブック」大島・向原・小倉・葉山島地域観光振興推進協議会発行より一部抜粋。
ガイドブックは調査のため城山総合事務所内城山経済観光課を訪ねた時に頂戴しました。残念ながら奇妙な塔については不記載でした。

奇妙な塔の地図です。(緑色矢印)

大きな地図で見る

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