横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の132 曽我梅林の天井川を訪ねる

1月23日(木)晴れ、小田原市下曽我駅付近の中河原梅林内を流れる天井川を探訪しました。鉄道の上を自然な川が横断する面白く珍しい光景です。

JR東海御殿場線・下曽我駅
JR東海御殿場線・下曽我駅です。天井川を潜って下曽我駅へ入構直前の国府津行き電車です。今日はこの駅から歩きました。

JR東海御殿場線
これが今日の探訪対象の天井川です。御殿場線の上を川が渡っています。この天井川を見つけたのは昨年12月、飯泉取水堰を探訪しその足で曽我接合井へ向かう途中でした。200mほど離れた踏切から見たのですが天井川と直感しました。帰宅後googleマップで調べたら当たりでした。おかしなことに地図では御殿場線の下を流れています。航空写真に切り替えると天井川と分かります。いつものように末尾に地図を付けましたので参照ください。所在場所は下曽我駅の北西600m位、中河原梅林に接しています。

JR東海御殿場線・中河原梅林天井川
鉄筋コンクリート製のがっちりした橋で御殿場線の上を渡っています。用水路のような人工的な水路は水路橋とか掛樋(かけひ・かけとい)などと呼ばれていますが、自然な川の水を通す橋はなんと呼べばいいのでしょうか。

砂留田川
土手に上り上流を見たところです。川の名前は手元の地図には砂留田川とあります。読みは「さるたがわ」でしょうか?鉄柵のある部分が御殿場線横断部です。川底には上流からの土砂が堆積して草が生えています。水は左岸寄りを流れています。名前がないと不便なのでここでは敢えて「砂留田川水路橋」(以下水路橋)と呼びます。

砂留田川より御殿場線松田御殿場方面を望む
土手の上の水路橋から見た御殿場線松田・御殿場方面。

JR東海御殿場線・中河原天井川
これは上流側から見た水路橋です。(EL34)
砂留田川と御殿場線との立体交差はこんな感じです。実は管理人が天井川をこんな間近で見たのは生まれて初めてです。滋賀県草津市の草津川が天井川として有名です。東海道本線や国道が草津川の下をトンネルで潜っています。実際に車で何回も通りましたが土手に上ったり川の流れを見たりしたことはありません。今回はせっかくの機会なので観梅を兼ね源流を探訪することにしました。

中河原梅林の砂留田川
水路橋の上流です。中河原梅林内を流れる砂留田川。観梅を兼ねこの日を選んだのですが1週間ほど早かったみたいです。2月1日から小田原曽我梅林梅祭りが始まります。曽我梅林とは中河原梅林、別所梅林、原梅林の総称です。写真のような状況ですが捜したら一株だけ咲いていました。(EL35)

曽我梅林(中河原梅林)
これがその一株です。咲いていて良かったです。

砂留田川・県道72号線
その上流で県道72号線と交差します。普通の川のように県道の下を流れています。(EL43)

砂留田川・瑞雲寺付近
瑞雲寺付近。左岸には梅が植えられています。(EL57)

砂留田川・瑞雲寺・中河原配水池付近
瑞雲寺・中河原配水池付近。川の中に砂防ダムのような段々が見えます。急勾配を流下しています。(EL64)

砂留田川・企業団曽我接合井付近
その上流です。右岸沿いに道が付いています。右手に神奈川県内広域水道企業団・曽我接合井が見えます。(EL76)

神奈川県内広域水道企業団・曽我接合井
ここまで来たら寄らない訳にはいきません。神奈川県内広域水道企業団・曽我接合井です。ここに立っていても上の銀色の円柱状の設備から18.1㎥/秒の凄まじい水流音が絶え間なく聞こえてきます。「ざわっざわっざわざわ~ざわ~~」。探訪記は「其の121 飯泉取水堰を訪ねる」(2013/12/13)で発表しました。

企業団・曽我接合井付近の梅
曽我接合井付近の梅の花です。丁度見ごろでした。

お天気が良かったので富士山も撮りました。
富士山と矢倉岳
曽我接合井より富士山を望む。富士山の手前の形の良い山は南足柄市の矢倉岳(標高870m)です。左側の施設は小田原市水道部の中河原配水池です。

砂留田川
右岸道沿いに上っていくと森の中へ入ります。砂防ダムの堰が源流までに数カ所ありました。

砂留田川源流
砂留田川源流です。20cm位のパイプから清水が流れ込んでいました。川沿いの道もここで行き止まりです。(EL120)

地図上で御殿場線の水路橋から源流までのの延長を測りました。1.1kmでした。写真末尾のELはマピオンで測ったおおよその標高(単位:m)です。1.1kmで高低差86mとなります。素人目で見ても上流からの土砂の流下堆積が激しく天井川が形成された理由が何となくわかります。

砂留田川水路橋より下流を見る
これは水路橋から見た砂留田川の下流です。馬の背中の上を流れ下る感じです。両岸は荒れ地のままで道はありません。(EL33)
帰路、これより下流の砂留田川沿いを歩きました。

砂留田川・曽我岸信号東付近
市道曽我岸信号東付近。(EL29)

砂留田川・曽我岸
その先で見た農業用水取水口。右岸の田んぼ向けのようです。

砂留田川・山岸川合流点
砂留田川と山岸川の合流点。下流側を見たところです。左後方から来た川が砂留田川です。これより下流は森戸川になります。源流からここまでわずか1.7kmの小河川でした。(EL22)
下曽我駅はすぐ近くです。

森戸川曽我橋・下曽我駅付近
下曽我駅付近を流れる森戸川。曽我橋より上流を望む。下流は東海道本線国府津駅西で相模湾に注いでいます。

砂留田川と御殿場線の交差点の地図です。(緑色矢印)

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其の131 八瀬川源流を訪ねる③

前回の続きです。探訪したのは1月14日(火)晴れ、16日(木)晴れの二日間です。

八瀬川・田名葭田公園付近
田名葭田(たなよしだ)公園下を流れる八瀬川二筋。右側が田名公民館から来た流れで前回探訪しました。今回は左側の細い流れをたどります。大杉の池が源流と言われています。

八瀬川の説明パネル・田名葭田公園
二つの流れが接するあたりで八瀬川について書かれたパネルを見つけました。参考のため以下に記します。
この川の水はどこから来るのでしょう?
みなさんの前を流れるこの水路の水は、これより少し下流の地点から八瀬川(やせがわ)と呼ばれる川になります。この川の水は、晴れた日が続いても、涸れることなく流れています。では、いったいこの水はどこから流れてくるのでしょう。
昔を知る人の書物によれば、その源流は、田名堀之内地区にある「大杉の池」であると言われています。一方、田名四ツ谷地区から始まる野水路(地面にしみ込まず溢れ出た雨水が流れる堀)も、ところどころで湧き出す水を集めながら、ここ田名葭田公園で八瀬川と合流することから、こちらを水源と呼ぶ人もいます。
源流には諸説があるようですが、段丘崖の下を流れるこの川は、源流から下流まで多くの湧水地をかかえ、そこから湧き出る水が、八瀬川の流れをささえています。つまりこの川は、源流のほかにも水源の多い川であるといえます。相模原市役所 河川整備課
 説明パネルより

八瀬川・田名テラス付近
こんな水路です。左側は田名テラス。右側は河岸段丘の縁でそこに沿って流れています。

八瀬川のカワセミ・田名テラス付近
こんなところでカワセミが魚を狙っていました。水がきれいで餌になる魚が棲息できる環境なんですね。

八瀬川・田名テラス付近
左岸に流れ込む湧水。田名葭田公園からここまで4ケ所流れ込んでいました。ここが最上流部の流れ込みで水量も一番多かったです。ここより上流は水量が減りほんの少しの流れになります。帰りにこの水源を探索しました(後述)。

八瀬川・県道48号線団地入口信号
県道48号線に突き当たりました。団地入口の信号です。地図上で水色の水路表示があるのはここまでです。水路の中を覗きこむとほんのわずか流れがあります。水路の底は白いぬめりがありどぶ川のようです。わずかな流れは県道の向こう側からこちらへ来ているようです。大杉の池の清らかな流れを想像していたのでがっかりです。

県道48号線半在家バス停
県道を横断した所が半在家バス停です。県道を北へ向かいます。八瀬川の源流が大杉の池であればこの歩道の下に水路が通っているはずです。

田名大杉公園付近市道
200mほど進んで県道を左折しました。この先が田名大杉公園で大杉の池があります。細い暗渠水路が続いています。目の前の桝の中を覗くとちょろちょろときれいな水が流れていました。大杉の池から来た流れのようです。

八瀬川源流・大杉の池付近
暗渠水路の上流側の水路を見つけました。同じ流れです。下流側を見たところです。

八瀬川源流・大杉の池付近
上記より上流側を見る。大杉の池から来た水路です。水は澄んでいてわずかですが流れがあります。

八瀬川源流・大杉の池
水路の始まりです。階段を上がったフェンスの向こう側が大杉の池です。

田名大杉公園
田名大杉公園です。

田名大杉公園・大杉の池
田名大杉公園・大杉の池です。小さな池です。段丘崖の湧水が溜まって出来た池です。

大杉の池排水口
これが排水口です。オーバーフロー分だけ流れていきます。

大杉の池
大杉の池の碑。
大きな杉の木があったのでこの名がある。また明治時代にはここに役場があったので「役場の池」とも呼ばれています。碑文より

帰路、途中見た左岸側に流れ込んでいる湧水の水源の探索に行きました。
八瀬川湧水・半在家
放流口の奥は駐車場です。

八瀬川湧水・相模原市中央区半在家
駐車場内草むらの中の導水パイプ。

八瀬川湧水・半在家
駐車場奥の突き当りです。まさかの水路です。奥が上流側で左側のパイプで八瀬川左岸へ導いています。

八瀬川湧水・半在家
下流側です。100m程先で八瀬川に流れ込んでいます。

八瀬川湧水・半在家
上流側です。冒頭で紹介した相模原市役所河川整備課の説明パネルに出て来た「野水路」とは正にこんな水路のことをいうのでしょう。

八瀬川湧水・半在家自治会館
その上流です。左側で泉が湧き出し奥の方へ流れて行きます。自然のままの水路です。ここは半在家自治会館の一角です。

八瀬川湧水・半在家自治会館
正面から見た源泉。ここはなだらかな河岸段丘崖の縁になります。こんなところから湧き出すんですね~。驚きました。八瀬川左岸の流末からここまで延長100m足らずです。

今まで見てきたように八瀬川源流の一つといわれる大杉の池から確かに流れ出ています。県道までの流れは確認しました。県道から団地入口信号間200mは流れを確認できません。団地入口信号前の八瀬川への流入は少量の汚水で大杉の池からの水とは思えません。断定はできませんが別系統の水かも知れません。この泉の流末より下流の八瀬川は水量が増え川らしくなります。多数の湧水が八瀬川の流れをささえています。その中でも最上流部にあり水量も豊かな湧水がこの泉です。というわけでただ今現在の八瀬川源流は半在家自治会館内で湧き出る泉が事実上の源流ではないかと思います。これが今回の探訪で得た率直な感想です。

河口から大杉の池までの延長を地図上で測りました。6320mでした。

蚕影山神社・相模原市中央区田名堀之内
田名大杉公園近くの蚕影山(こかげさん)神社に参拝しました。

蚕影山金色姫の由来蚕影山金色姫の由来
蚕影山金色姫の由来
蚕影山の祭礼は、昔から養蚕を行っている人々の家内安全と、その年の豊蚕を祈願し、またご神体の金色姫のご冥福を祈る祭りです。例祭の四月十八日と十月十八日の春秋二回御開帳されます。
この蚕影山の祭礼は明治時代から百余年にわたって伝承され、今なお引き続き堀之内自治会の行事として、家内安全地域発展の祈願のために続けられています。田名堀之内自治会
 
説明パネルより抜粋

蚕影山道祖神・相模原市中央区田名堀之内
蚕影山神社の隣に道祖神が祀ってあります。庚申塔も見えます。

蚕影山神社道祖神陽石 道祖神由来記・相模原市中央区田名堀之内
陽石道祖神と道祖神由来記。

道祖神由来記
道祖神は塞の神 性の神とも言い旅の安全縁結び妊娠出産育児無病息災から増産までつかさどる神でたんに邪悪妖魔を防ぐだけでなく里人の生活を善導し幸福を招く導きの神としても尊崇され道路の岐路に建てられていた 本講中の道祖神の双体像(市教委に文化財として保管中)と陽石は近郷稀にみる逸品でもと城坂上にあったが道路改修の都度移転された 今回県道田名バイパス建設にあたりこの地に移転したので記念のためしるす
昭和四十六年一月十四日 堀之内 中村講中
 碑文より

烏山領制札場跡
おしまいに大杉公園近くの相模原市登録史跡 烏山領制札場跡です。
烏山領制札場跡説明パネル
烏山領制札場跡の説明パネル。
相模原市登録史跡 烏山領制札場跡
制札場は高札場とも言われ、江戸時代に幕府や藩の命令、知らせなどを立てた場所です。田名村は享保13(1728)年以降明治維新まで烏山藩(現在の栃木県那須郡烏山町)大久保氏の領地でした。この制札場跡は、地域の人々が石碑を立てるなどして大切に保存されてきました。登録年月日平成14年4月1日 相模原市教育委員会
 説明パネルより

今回のスタート地点田名葭田公園の地図です。

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其の130 八瀬川源流を訪ねる②

前回の続きです。前回は河口からスタートし渓谷を流れる八瀬川など異なる表情の八瀬川を見て来ました。

八瀬川・さかい橋より下流を望む
さかい橋より八瀬川下流を望む。人の手が入っていない原生林の渓谷はここまでです。

さかい橋付近より八瀬川上流を望む
さかい橋の上流からは百八十度景観が変わります。両岸は住宅街です。

ロウバイ・八瀬川あじさい橋付近
寒さに負けずロウバイが開花していました。あじさい橋付近。(1月14日撮影)

八瀬川・もみじ橋上流
もみじ橋上流。

八瀬川・塩田さくら橋上流
塩田さくら橋上流。右岸側は住宅街で左岸側は田名原河岸段丘崖の縁に沿って流下しています。左岸側は蛍が鑑賞できるそうです。川の中には小魚が群れています。相模川河口から遡上したのでしょう。

天地社・田名塩田
塩田さくら橋近くの天地社に参拝しました。
天地社は延歴17年(798年)の勧請とされ、古くは天地大明神、天地宮と称した。田名八幡宮の的祭は元々天地社で行われていたともいう。相模原市教育委員会資料より

八瀬川・こぶし橋上流
こぶし橋の上流からはまた景観が変わりこのように田園地帯になります。右手の段丘崖の森から湧き出した水を集め流下しています。

八瀬川・取水門
この辺りでは農業用水路の顔を見せる八瀬川です。水路幅は2m位、清流です。名前も知らない小魚の群れが泳いでいます。水中では水草がゆらゆらと揺れています。

八瀬川取水門・相模原市中央区田名
今回二つ目の取水用水門。取水口は一つ目と同様右岸側です。左岸側の田んぼは段丘崖からの湧水を使っているようです。

八瀬川取水門・相模原市中央区田名
三つ目の取水用水門。途中右へ直角に向きを変えました。河岸段丘崖の方から流下しています。

八瀬川・田名葭田公園付近
田名葭田(よしだ)公園付近の八瀬川。川の中が二筋に分かれています。一見複雑そうですがじっくり眺めると理解できます。左側は今回たどって来た八瀬川の流れです。源流は大杉公園の大杉の池と言われています。次回以降探訪します。
右側の流れは田名公民館からの流れです。源流は今回これからたどります。この場所で写真のようにL字形の固定堰で流れが止められています。奥の角落堰で水位を上げています。左側の流れとの仕切には水門がありもっと水位を上げれば合流させることも可能です。農繁期には多分そうしていると思います。

八瀬川・田名葭田公園付近
右岸から見たL字形固定堰。左岸に開口がありゴミ除けの格子が付いています。どこへ流れて行くのでしょう?気になります。この先に田名バーディゴルフ場があります。ゴルフ場の中を水路が通っています。もしかしてそれが流末かと探索しました。と言うのは八瀬川左岸側の田んぼに水を配るために流れを変えたのではと推測したからです。探索の結果は崖下に別の水源がありゴルフ場通過後は八瀬川左岸へ流入していることが分かり推測は外れました。市役所担当部署に照会すれば分かることです。回答を得ましたがここでは探訪意欲を失いますので発表は差し控えます。最後まで読むと分かります。

八瀬川・田名葭田公園付近
田名葭田公園(右側)下を流れる八瀬川二筋。30年ほど前画面奥の公園のはずれに「浄化施設」と書かれた遺構を見た記憶があります。今から思うと田名公民館から来た八瀬川の水をきれいにする装置の跡であったと思われます。その施設は後年撤去され今の田名葭田公園の形になりました。

八瀬川・田名葭田公園付近
大杉の池系統の八瀬川と別れ田名原段丘崖へ向かう八瀬川。段丘崖斜面を流下しています。

田名原河岸段丘崖の森・相模原市中央区田名
田名原河岸段丘崖上の道路です。ガードレールの切れ目から階段を下りました。

ヤツボ・田名原河岸段丘崖
崖の中腹のヤツボです。崖から水が湧きだし溜まるところをヤツボと言います。石垣が組んであり清水が湧き出しています。足音に驚いてザリガニの子供が数匹逃げ回っていました。

八瀬川・相模原市中央区半在家
近くを流れる八瀬川左岸に流れ込むヤツボの湧水。これより上流には流れがありません。この湧水が事実上の八瀬川源流と思われます。これより下流でも湧水を集めていると思われます。

八瀬川・やむかい橋より下流を望む
上流のやむかい橋より八瀬川下流を望む。流れが全くありません。

八瀬川・やむかい橋
やむかい橋の看板です。

八瀬川・やむかい橋
やむかい橋より八瀬川上流を望む。やはり流れがありません。
現在、旧相模原市内はどこも公共下水道が完備され生活雑排水はすべて下水道に流しています。この水路がいつ出来たか知りませんが下水道が未整備だった昔は台所、洗面所、風呂場、トイレ(浄化槽)などの生活雑排水はすべてこの水路に流していたと想像します。生活雑排水は田んぼのかんがい用水として不適切です。前述のL字形固定堰は大杉の池から来た八瀬川に合流させないための施設と分かりました。市の回答は「下水道扱い」だそうです。
L字形固定堰の先は下水道です。想像もしていないことで意表を突かれました。でもよくよく考えると納得ですね~~。ヤツボから湧いた清水はちょっと先で下水道行です。もったいない。今は生活雑排水の流入がない清流なので全量大杉の池系統八瀬川に合流させてやれば良いと思います。

八瀬川源流・田名公民館
河岸段丘崖の上(田名原段丘面)まで来ました。地図上の八瀬川源流(起点)です。突き当りが田名公民館です。左側の建物は田名郵便局。

八瀬川源流・田名公民館
田名公民館前道路下の暗渠水路出口です。田名公民館の駐車場下を通ってその先は?です。
地図上で河口から田名公民館前までの八瀬川延長を測りました。全長6143mでした。相模原市が発表している延長5kmとは差があります。

さかい橋の地図です。(緑色矢印)

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其の129 八瀬川源流を訪ねる①

1月13日(月)晴れ、14日(火)晴れ、2日間かけて相模原市内を流れる八瀬川を探訪しました。小さな川ですが流域の景観が変化に富んでいて前々から興味を持っていました。河口から源流まで通しで歩きましたのでその様子を投稿いたします。

まずは八瀬川の概要です。相模原市HPより引用いたします。
八瀬川は、田名地区から麻溝地区の一級河川相模川に流れ込む延長5.0キロメートルの準用河川です。沿川の概況は、中流域にある閑静な住宅地と上・下流域に一団とある水田や段丘斜面の樹林帯、そして段丘崖からの湧水が水路により導かれ流量も比較的豊富な自然環境が良好な中小河川であり、相模原市の都市部における住民や生物にとって貴重な水辺空間となっています。
「準用河川」とは、一級河川及び二級河川以外の河川で市町村長が指定したものをいいます。(河川法第百条第一項) 相模原市では、鳩川(上溝地内千年橋より上流)、八瀬川、姥川(いずれも一級河川相模川水系)がこれにあたります。(相模原市HPより)

JR相模線下溝駅からスタートしました。
下溝駅付近県道46号線より相模川を望む
下溝駅前の県道46号線から見た相模川です。昭和橋や企業団相模川水路橋のアーチが見えます。

下溝駅前県道46号線より相模川、八瀬川を望む
同じくこちら側から奥の相模川へ合流する八瀬川です。

八瀬川河口
八瀬川河口です。夏場は草が繁茂していて多分ここまで近づけないと思います。

八瀬川・新八瀬橋
河口を背に上流を望む。相模川左岸の崖沿いに流下しています。左の橋は新八瀬橋。

新八瀬橋より八瀬川上流を望む
新八瀬橋より八瀬川上流を望む。川に向けて木の枝が3本ほど立ててあります。カワセミの撮影スポットのようです。

八瀬川・桧橋付近
護岸整備改修工事中でした。桧橋付近。

八瀬川・桧橋水管橋
神奈川県営水道の桧橋水管橋です。谷ケ原浄水場から来た北相送水管・中津支管(内径800mm)で昭和橋を水管橋で渡り愛川町の中津配水池へ向かっています。ちょうど1年前に神奈川県営水道みちを歩いた時にここを通りました。(カテゴリ:神奈川県営水道みち)

八瀬川・桧橋付近
桧橋付近から見た八瀬川上流。画面左側、相模川と八瀬川に挟まれた一帯は田んぼです。河口からここまで見た野鳥はアオサギ、コサギ、カワセミ、キセキレイなどです。

八瀬川・県道52号線付近
その先、県道52号線の南側を流れる八瀬川。

県道52号線・相模原市南区当麻
県道52号線です。町田方面を見る。圏央道相模原愛川ICが去年春に開業しました。それに合わせた長年の工事でこんな立派な道路に生まれ変わりました。工事前は片側1車線の急坂でした。昔の面影は残っていません。

県道52号線から八瀬川上流を望む
県道52号線と交差し北側を流れる八瀬川。上流を望む。

右側一帯は無量光寺境内です。参拝しました。
無量光寺
時宗当麻山無量光寺山門。

無量光寺・説明パネル無量光寺説明パネル。
無量光寺(むりょうこうじ)
この寺は山号を「当麻山(たいまさん)」といいます。鎌倉時代、時宗の開祖一遍(いっぺん)上人は「亀形峰(きぎょうほう)」と呼ばれるこの丘の上に「金光院(こんこういん)」と呼ばれる庵を結び、修行に励んだといわれています。その後、嘉元元年(1303年)に弟子の真教(しんきょう)により「無量光寺」が開かれました。しかし明治26年(1893年)の大火により二脚門を除く大半の建物は焼失してしまい、現在は仮本堂となっています。なお、当寺にある木造一遍上人立像と古文書は市の重要文化財に、さらに寺の境内は市の史跡に指定されています。相模原市 相模原市観光協会  
説明パネルより

無量光寺山門
無量光寺山門 相模原市指定有形文化財。

無量光寺山門説明パネル
無量光寺山門 相模原市指定有形文化財の説明パネル。

当麻山無量光寺・一遍上人像
一遍上人像。

八瀬川取水施設・県道508号線付近
八瀬川に戻りました。
県道508号線(八王子街道)手前にあった取水施設。水門と転倒堰、転倒堰開閉機が見えます。堰が立っているので取水中です。どこの田んぼへ行くのかな?農繁期に探訪したくなりました。楽しみが増えました。

県道508号線より八瀬川を望む
県道508号線から見た八瀬川。山から平地へ流下しています。

ひかげ坂
こちらも坂を上りました。ひかげ坂と言います。坂上は相模川が作った河岸段丘で陽原(みなばら)段丘面と言います。

R129・相模原市南区谷原
R129の上に出て来ました。橋本、八王子方面を望む。八瀬川は150m位先で国道の下を潜っています。

八瀬川・R129八瀬川橋下
R129八瀬川橋下を流下する八瀬川。下流側を見る。

八瀬川・R129八瀬川橋下
同上流側を見る。

八瀬川・相模原市南区谷原
いったん表通りに戻り神奈川県内広域水道企業団・相模原ポンプ場を過ぎた辺りで右折し急な斜面を下って川辺へ下りました。上流を望む。まるで渓谷の趣です。今の季節だからこそ平気で下りることが出来ました。夏場はちょっと躊躇します。なぜって?竹が密生した斜面にマムちゃんが棲んでいそうな雰囲気があります。

この続きは次回投稿します。

八瀬川河口の地図です。(緑色矢印)

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其の128 相模川右岸の相模川水路橋

前回の続きです。中津川をサイフォンで横断した神奈川県内広域水道企業団(以下企業団)酒匂川導水路トンネルは中津原台地の地下を潜り相模川右岸の崖へ向かっています。

愛川町中津・一本松交差点
前回の帰り道に撮った写真です。一本松交差点から東の中津工業団地の方向を見たところです。酒匂川導水路トンネル(内径3800mm馬蹄型)はこの道の地下を通っています。工業団地内の東外3丁目交差点を過ぎるといよいよ相模川右岸です。

相模川右岸崖沿いの市道・厚木市上依知
相模川右岸崖沿いの市道まで来ました。写真右側崖下が相模川です。中津川サイフォンを探訪した翌日に車で見に行きました。崖上に何か地上施設があるのでは?と思ったのでこの付近をウロウロ探索しましたが何も見つからず。何も無いことが分かりました。左側オレンジ色の塔は東京電力「中津線9」送電線鉄塔です。

神奈川県内広域水道企業団・相模川水路橋
上記から見た企業団・相模川水路橋。今の季節だからこのように見通せます。

神奈川県内広域水道企業団・相模川水路橋
やや南東よりから見た企業団・相模川水路橋。

神奈川県内広域水道企業団・相模川水路橋
ぐるっと大回りをして昭和橋から県道511号線に入り、相模川右岸崖下まで来ました。企業団・相模川水路橋の南詰です。水路橋の上は圏央道(さがみ縦貫道)です。

神奈川県内広域水道企業団・相模川水路橋
水路橋の取出し部です。巨大なコンクリート壁に繋がっています。多分これは大きな水槽(接合井)と思われます。入口側は中津川サイフォン下口接合井から来た内径3800mm馬蹄型トンネルが接続されていて出口側の水路橋(鋼製箱桁型)に接続するための接合井と思われます。通水量は飯泉取水堰の取水量に社家ポンプ場からの送水分を加え、伊勢原浄水場への分水分を引いた1,465,300㎥/日(16.9㎥/秒)となります。毎日、毎秒これだけの水道用原水が人知れずここを流れています。凄いですね~。

相模川水路橋の概要です。
幅3.4m×高さ3.8m、鋼製箱桁型 橋長 873.0m
供用開始=昭和49年4月
企業団HPより


神奈川県内広域水道企業団・相模川水路
これは昨年6月5日、小沢頭首工幹線水路を歩いた時に同地点から撮った相模川水路橋です。初夏で新緑が美しい頃です。わざわざ県道からここまで入り右岸取出し部を確認しました。思えばここでこの水路橋を見たのが企業団の施設探訪のきっかけになった気がします。以来相模原ポンプ場から淵野辺接合井、昨年暮れからは飯泉取水堰、曽我接合井から始まる酒匂川導水路トンネル地上施設探訪と、今日ここへ来て双六でいえば振出しに戻った感がします。それから大元の水源、三保ダムも探訪し想定外の水力発電所巡りへと発展しました。新たな発見が続き自身にとっても随分と勉強させてもらいました。この企画は良かったと思っています。
どちらかと言えば地味で縁の下の力持ち的存在の水道施設の中でもこの酒匂川系は見所が多く一般人にアピールする力が大きいと思います。前述のように曽我接合井から相模原ポンプ場まで約30.7kmを自然流下で送水しています。酒匂川系は企業団設立からわずか5年で供用を開始しています。設計測量するだけでも大変なことなのに供用開始までわずか5年です。驚くべきことです。それから神奈川県の2大河川酒匂川流域と相模川流域を越えて川崎市の西長沢浄水場まで導水しています。これにも驚きます。飯泉取水堰から淵野辺接合井までが43km、そこから川崎水道第2導水隧道に入り西長沢浄水場まで約12km合わせて55kmです。素人には想像もできないことをやってくれました。実に壮大で驚嘆の連続です。

お終いに訪ねた施設の印象を一言ずつ。

・飯泉取水堰 「取水堰 ここから始まる 水の旅」doushigawa

・飯泉ポンプ場 「導水管 ポンプアップで 上曽我へ」  〃

・曽我接合井 「接合井 自然流下の 始まりだ」   〃

・中井竪坑  「山の中 ポツンと寂しい 円柱形」  〃

・秦野サイフォン 「導水路 秦野盆地で 顔を出し」   〃

・伊勢原浄水場 「浄水場 地下を流れる ブレンド水」  〃

・中津川サイフォン 「導水路 サイフォンで潜る 中津川」  〃

・相模川水路橋 「導水路 とうとう着いたよ 相模川」  〃

 
今回は国土地理院「地図閲覧サービス」と企業団HPを参考にしました。

前回探訪の中津川サイフォン下口接合井の地図です。(緑色の矢印)

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其の127 中津川サイフォンを訪ねる

昨年12月11日に神奈川県内広域水道企業団(以下企業団)飯泉取水堰、曽我接合井を訪ねて以来、相模川右岸に至る酒匂川導水路トンネル上の地上施設探訪を続けて来ました。今回はその続きです。伊勢原浄水場の次に目を付けたのは中津川です。相模川を立派な水路橋で渡っているのに隣りを流れる中津川を水路橋で渡っているとは聞いたことがありません。水路橋でなければ私好みの伏越(ふせこし)・サイフォンで横断しているはずです。国土地理院「地図閲覧サービス」を参考にし、地上施設所在場所の目星をつけ探索に行って来ました。
1月3日(金)晴れ、神奈中バス半原行に乗車し箕輪辻下車。県道65号線沿いに歩きました。今年のウォーキング初めです。

信玄道の碑
県道65号線愛川東中学校付近で見た信玄道の碑。
信玄道(しんげんみち)
三増合戦の折、武田信玄の軍が通ったという伝承がある古道。現在は、その大部分が県道に重なっている。愛川町教育委員会
 石碑より。

横須賀水道みち・帝国海軍境界杭
中津で横須賀水道みちとX字形に交差します。交差点信号付近で見た海の杭(帝国海軍境界杭・波マークなし)。相模川以西の横須賀水道みちはこのタイプで希少な珍しい境界杭です。川を渡った海老名市以東横須賀市までは波マーク入り海の杭になります。横須賀水道みちは一昨年の秋に半原水源地から横須賀の逸見浄水場まで53kmを歩きました。懐かしいです。

二宮金次郎像・中津小学校
一本松の信号を右折し中津川を目指します。途中、道路沿いの中津小学校で見た二宮金次郎像。柴を背負い読書をしながら歩く金次郎像が一般的ですがこの像は草鞋(わらじ)を手渡そうとしています。蛇籠の上に立っているので酒匂川の堤防が決壊しその復旧工事中の村人に自らが編んだ草鞋を配っているところと思われます。こんな金次郎像もあるんですね~。初めて見ました。
道々いろいろ見聞できるのがウォーキングの良いところです。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
さて本題に入ります。中津小の先、中津大橋の上から見た中津川です。眼下にサイフォンの施設とその延長線上対岸の山裾(黄色矢印)にサイフォンの呑口と思われる施設が見えます。労することなくあっさり見つけました。

ハ菅橋より中津川上流を望む
対岸の施設を見るため八菅橋(はすげばし)を渡りました。八菅橋より中津川上流を望む。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン呑口
中津川サイフォンの呑口(入口)です。位置は鳶尾山の山裾です。秦野サイフォン上口接合井と同じような形状です。換気装置(ルーフファン)も同じです。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン呑口
後ろから見ました。伊勢原浄水場地下を通りここまで来た内径3800mm馬蹄型導水トンネルはここで地下に潜り中津川を横断します。推進工部分は内径4000mm(セグメント・コンクリート管)が敷設されたと思います(後述)。酒匂川導水路トンネルと中津川の立体交差です。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン呑口立ち入り禁止看板
立入禁止看板。企業団・相模原浄水場とあります。秦野サイフォンのように標札も看板もありません。だからgoogleマップに載っていません。ここでは説明上「上口接合井」と呼びます。

道端の石像・愛川町棚沢
近くの道端で見た石像。山王大権現 宝暦十二壬午年と刻まれています。西暦1762年で252年前の像です。左側草むらの中に馬頭観世音像が二体ありました。歴史を感じさせます。愛川町棚沢にて。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
八菅橋を渡り中津川左岸へ来ました。左岸堤防上から見た企業団のサイフォン施設。この道の地下を導水路トンネル(サイフォン推進工部分)が通っています。白い橋は中津大橋。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
円柱形で上に換気装置が付いています。標札は無し。あるのは立ち入り禁止と不法投棄禁止看板のみで企業団の施設であることは分かります。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
中津大橋から見るとこんな感じです。小ぶりですが中井竪坑とそっくりです。サイフォンの吐口(出口)で中津川を潜った原水はここで吹き上がっていると思います。説明上敢えて名前を付け「中津川竪坑」と呼びます。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
上記施設の奥50mのところにもう一つ施設があります。中津川左岸崖際の施設です。形状は秦野サイフォン・上口、下口接合井と同じです。やはり標札無しです。ここでは説明上「下口接合井」と呼びます。

神奈川県内広域水道企業団・中津川サイフォン
背後から見た中津川サイフォン下口接合井。鳶尾山山裾の上口接合井まで一直線です。中津川竪坑間約50mは導水トンネル(内径3800mm馬蹄型か内径4000mm円型)で結ばれていると思われます。接合井の出口側は内径3800mmの馬蹄型導水路トンネルで中津原台地の下を潜り抜け相模川右岸に至ります。

地図上で施設間の延長を測りました。
上口接合井から中津川竪坑までの延長は541m。
中津川竪坑から下口接合井までの延長は50m。
企業団HPには中津川サイフォンについて、所在地や概要についての記述はありません。以下に管理人の私見(個人的な感想)を記します。中津川竪坑はシールド機の発進基地として掘られたと思います。従ってサイフォン推進工部分(541m)は内径4000mm(セグメント・コンクリート管)が敷設されたと思います。ひょっとすると下口接合井まで50mも浅い位置を内径4000mm管が敷設されたかも知れません。
中井竪坑は「其の124 中井竪坑・震生湖を訪ねる」で触れました。

下口接合井側面に施工業者の銘板が貼ってありました。
中津川サイフォン銘板
神奈川県内広域水道企業団
導水路中津川サイフォン工事
施工 フジタ工業株式会社
竣工 昭和48年6月30日 
銘板より

新坂(にいさか)
帰りは中津原台地に上るため下口接合井の背後にある新坂(にいさか)を上りました。相模原の七曲によく似た坂です。

愛川町・小沢坂(こさわざか)
来た道を通りましたがバスの時刻表を見て県道63号線に入り小沢坂(こさわざか)を下り水郷田名まで歩きました。相模川右岸の急な崖道です。坂道を下りきったところで小沢頭首工(こさわとうしゅこう)から来た小沢頭首工幹線水路が交差しています。

小沢坂の碑
小沢坂(こさわざか)
中津原大地の上段中津角田境と下段の小沢を結ぶ坂。道路整備前は屈曲の多い道で大山道とも呼ばれました。愛川町教育委員会 
石碑より。

今回の参考資料は本文に記載の通りです。合わせて企業団HP「施設と仕事」を参考にしました。

中津川サイフォン(上口接合井)の地図です。

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其の126 新春の小沢頭首工を訪ねる

初日の出・相模川高田橋より
皆さま新年明けましておめでとうございます。
私の今年の初詣は神奈川県の母なる川といわれる相模川の初日の出です。相模川に架かる高田橋から初日の出を拝んできました。「今年も健康でウォーキングが出来ますように・・・。」

高田橋
初日の出から1時間後の高田橋です。かながわの橋100選。

小沢頭首工
高田橋の上流にある農業用水の取水施設・小沢(こさわ)頭首工です。半年ほど前に右岸側施設を見学したことがあります。左岸側は近くから見たことがないので寄ってみました。

小沢頭首工
取水堰です。ここまで近づくと凄まじい水音で迫力十分です。

小沢頭首工・洪水吐門転倒ゲート
取水堰近景。洪水吐門転倒ゲートといい4門あります。可動堰で壁面に扇形の跡が残っています。堰は今全開で貯水していない状態です。

小沢頭首工
右岸側の施設です。崖の中腹の建物は操作室。青色の昇降階段、堰の向こう側に取水口の水門が見えます。取水口の背後は小沢隧道の入口で小沢頭首工幹線用水路の起点になります。

小沢頭首工
左岸側はコンクリート製の固定堰です。固定堰の端から右岸側を見たところです。転倒ゲートは倒れた状態です。扇のかなめ部分(転倒ゲートの底辺)を軸にしているのが良く分かります。

小沢頭首工・固定堰
固定堰下より右岸を見る。固定堰は高さ3m位。近くに来ると思った以上に巨大です。

小沢頭首工・固定堰
固定堰上より右岸を見る。ゲートは開放されているので上流側に水は貯まっていません。

小沢頭首工・魚道
右岸よりに設置された魚道。魚道の左が土砂吐門フラップゲートで赤いゲートが少し見えます。

崖の中腹の操作室入口に掲げてある銘板です。(昨年5月31日見学時に撮影)
小沢頭首工水門銘板クリックで拡大します。
操作室の中には操作盤があり転倒ゲート、フラップゲート、取水口スライドゲートはボタン一つで操作可能になっています。
門扉名 洪水吐門 てんとうゲート 22.5×1.35m 4門
     土砂吐門 フラップゲート 6.5×2.6m  1門
     取入水門 スライドゲート 2.5×1.7m  2門
昭和42年3月完成 
小沢頭首工水門銘板より

小沢隧道
およそ630mほど下流の小沢隧道出口の様子を見に行きました。通水は完全に止まっています。流れがなく水が澄んでいます。水際線跡が残っているので比較できます。苗代作りが始まるころに通水が始まるのでしょうか?

関連記事:其の88 小沢頭首工幹線水路を歩く・小沢頭首工を訪ねる(2013/6投稿)

小沢頭首工の地図です。(緑色矢印)

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