横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の113 畑かん西幹線用水路を歩く6・御所見支線から円行へ

 今回が畑かん西幹線用水路探索の最終回です。
前回は落合南まで進みました。地図ではその先は500mほど南へ行ったところで横須賀水道みちへ入って行きます。
参考資料は「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」(以下一般平面図)を用いましたが現代の市販の1万分の1の地図には該当する道がなくその上をたどることが出来ません。
そこで前回通った県道42号線の嫁ヶ久保バス停から始まる御所見支線から探索することにしました。御所見支線は横須賀水道みち付近が終点です。横須賀水道みちをたどれば円行の終点まで行くことが出来ます。
神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図
上記「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」(1965年3月神奈川県農政部耕地課)の部分図です。
縮尺は5万分の1です。

10月27日(月)晴れ、小田急相鉄海老名駅南口からバスで綾瀬市役所行に乗車し、嫁ヶ久保バス停下車。

畑かん西幹線御所見支線分岐点
嫁ヶ久保バス停から見た西幹線用水路御所見支線。
真っすぐ南西へ向かっています。

畑かん水路遺構・綾瀬市早川
歩き始めてすぐ御所見支線の右手50m位、農地の中を通る水路跡を発見しました。御所見支線と並行して南西へ向かっています。下流へたどってみました。
栽培している作物はゴボウ、ブロッコリー、ネギなどが見えます。畑かんは米の増産のため陸稲(おかぼ)栽培が当初の目的でした。

畑かん用水路遺構・綾瀬市早川
道路を横断する畑かん支線用水路。伏越(ふせこし)・サイフォンで右から左へ渡っています。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
上記写真右側電柱下の呑口桝。ゴミ捨て場になっています。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
吐口桝です。

畑かん支線用水路遺構・綾瀬市早川
その下流です。水路支持台が残っていました。

畑かん御所見支線水路遺構・綾瀬市早川
これは御所見支線道路沿い右側にあった水路跡です。
上流の嫁ヶ久保バス停方向を望む。土で埋まっています。
断面形状は台形でコンクリートブロック製、水路幅は外径が130cm、内径は90cmでした。この水路は左右に広がる農地向けではなくもっと下流の農地向けと思われます。

畑かん御所見支線水路遺構・綾瀬市早川
上記の下流で見た用水路の遺構です。こちらはコンクリート製現場打ちの用水路です。道路横断直前で伏越呑口桝と思われます。水路幅は外径が71cm、内径は61cmでした。

畑かん御所見支線
その先です。ガードレールに突き当たりました。ガードレールの向こう側は綾瀬市役所方面から来た市道です。ここは切り通し道の崖上になります。御所見支線は目の前の草むら辺りで地下に潜り道路を横断したと思われます。

畑かん御所見支線・伏越で市道を横断
切通しの市道です。海老名方面を望む。畑かん御所見支線は伏越(ふせこし)・サイフォンで道路を横断しています。画面右(上流)から左(下流)へ。

畑かん御所見支線遺構・綾瀬市早川
対岸の切通し崖上道路際まで行き吐口桝を探しましたが雑草が繁茂していて見つからず。その下流で見つけた御所見支線の遺構です。U字フリームというヒューム管の支持台です。内径は67cmありました。

一般平面図を見るとこれから先はほぼ真南に進み吉岡工業団地へ入って行きます。団地内で左折し団地を縦断し中原街道を過ぎた辺りの横須賀水道みちで終わっています。そこから横須賀水道みちに入り一路南東へ歩きました。
上記U字フリームを見てからその先藤沢市葛原まで用水路の遺構を見つけることは出来ませんでした。すべて撤去されたと思われます。

畑かん支線用水路・藤沢市葛原
綾瀬市吉岡から藤沢市葛原に入りました。横須賀水道みちから西の畑へ向かうヒューム管。支持台とセットで残っています。

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
新幹線ガードを南に潜りました。水道みち沿いに放置されたヒューム管。

横須賀水道・海の杭(帝国海軍境界杭・波入り)
近くにあった海の杭(帝国海軍境界杭・波入り)です。
横須賀水道は元々帝国海軍横須賀鎮守府が作りました。
愛川町半原から横須賀逸見浄水場まで延長約53km。

畑かん用水路遺構・藤沢市市葛原
横須賀水道みち沿いの畑かん施設跡。右が上流側で左が下流側です。落差を付けています。
中はこんな風になっています。左が上流側、右が下流側。
畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原 畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原


以下は横須賀水道みち沿いに敷かれた支線から畑へ向かう小支線用水路です。
畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
真っすぐ東へ伸びるヒューム管の水路。外径265mm、
内径は215mmでした。

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原

畑かん用水路の遺構・藤沢市葛原
こうして見ると水道みち沿いの水路は吉岡工業団地からの西幹線用水路御所見支線の延長のようです。地図上では中原街道の先の横須賀水道みちで終わっていますが実際には葛原まで延びていたと思われます。

畑かん用水路の残骸・藤沢市葛原久保地
水道みち沿いで見た用水路の残骸。これが今日の探索行で見た最後の遺構となりました。ここは藤沢市葛原久保地です。

横須賀水道みち・藤沢市葛原
その先です。県道42号線西山田信号近くです。この辺りで落合南から西幹線用水路がここ横須賀水道みちに入って来たと思われます。

横須賀水道みち・県道22号線交差
その先県道22号線を横断したところで横須賀水道みちはいすゞ自動車の工場敷地内へ入って行きます。
一般平面図によると西幹線用水路は近くの北門辺りから水道みちに並行して工場内を南東へ向かっています。そしてその終点は現在の工場南門付近(土棚と円行の境)となっています。

ところで、調べたらこの工場の操業開始は昭和37年です。
畑かん上流部の専用導水路(津久井分水池、虹吹分水池間)の完成が昭和39年3月です。それまでは横浜水道虹吹分水池から分水を受け昭和24年から通水を開始し、その後畑かんの幹線、支線、その先の小支線が完成したのが昭和34年度でした。
畑かんがまだ盛りのころにこの工場は操業を始めています。
この辺りでは工場や住宅用地需要が急増する都市化の波が早かったと言うことでしょうね。
一般平面図に明確に路線が表示してあるので実際にこの通り施工されたものの、超短命に終わったと思われます。

横須賀水道みち・いすず藤沢工場南門付近
これはいすゞ工場内を通過して出て来た横須賀水道みちです。
下流の鎌倉方面を望む。ここはいすゞ藤沢工場南門付近です。

さて、一般平面図を見ると西幹線用水路終点までの途中、「藤沢排水」が枝分かれしています。これが本当の西幹線用水路の終点です。5万分の1の地図を現代の1万分の1の地図にあてはめたらぴったり同じところが見つかりました。

畑かん西幹線用水路藤沢排水終点
藤沢排水は藤沢北警察署前の信号から約200m南へ進み、円行2-7を東へ入った突き当りのT字路で止まっています。このT字路交差点が藤沢排水の終点です。正面は幼稚園ですがその東側には引地川が流れています。ここは藤沢市円行2丁目です。

柳橋より引地川下流を望む
付近の引地川に架かる柳橋から見た下流の景色です。
おそらく藤沢排水はこの川に放流されていたと思います。
橋の下流へ歩いて見ましたがその後の護岸改修のせいか放流口は確認できませんでした。

畑かん西幹線用水路の探索行はここまでです。
この後柳橋から坂を上り近くの小田急湘南台駅へ向かいました。

畑かんの水源は相模原市緑区にある津久井分水池です。
そこから相模原市南区陽光台の虹吹分水池までの専用導水路約10kmを歩き、さがみの仲よし小道の起点(相模原ゴルフC南側)からここまで歩いてきました。御所見支線経由で延長約21.5kmです。津久井分水池から約31.5km歩いたことになります。

虹吹分水池に「畑地かんがい事業の碑」が立っています。
その碑文には
神奈川県央相模原横山大地は、北は相模原市より南は藤沢
市に至る「八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で古くから水なき台地と呼ばれた。作物は天水に頼るのみで、ひとたび日照りが続けば年々旱魃の被害を受けること多く・・・

とあります。今回延べ5日間かけ西幹線用水路を歩き「八里橋なし九里の土手」に少しだけ触れた気がいたします。

先の大戦の敗戦で国力の落ちた中、食糧増産のためにこれだけの大事業をよくやったな~~・・・。急速な都市化の波で畑かん事業は短命に終わったとはいえ日本という国、ご先祖さまは大したもんだというのが率直な感想です。
それから水源地から末端の小支線まで自然流下で送水されました。素人では考えが及ばない発想の大胆さとそれに応えた技術力に敬意を表します。

今回の参考資料は本文に記載の通りです。
他には「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術史」
1965年3月神奈川県農政部耕地課(相模原市立博物館蔵)
を参考にしました。

今回のスタート地点嫁ヶ久保バス停付近の地図です。

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其の112 畑かん西幹線用水路を歩く5・さがみ野駅から落合南へ

 前回の続きです。前回は相鉄線さがみ野駅西、西幹線用水路が相鉄線と駅前通りを伏越(ふせこし)・サイフォンで潜った吐口桝付近で探訪を終えました。
10月21日(月)晴れ、そこから用水路沿いを綾瀬市落合南まで歩きました。どのような施設跡が残っているか楽しみです。
いつものように末尾に地図を付けましたので参照願います。

西幹線用水路・さがみの仲よし小道、海老名市東柏ケ谷
東柏ケ谷2丁目のさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
この辺りは海老名市が現在歩行者専用路の整備工事中です。

西幹線用水路伏越吐口跡・東柏ケ谷2
道路を伏越で横断する西幹線用水路の呑口桝跡。
相模原市、座間市、海老名市と歩いてきましたが伏越の呑口桝、吐口桝のデザインはいずれもこのようなレンガ巻で共通しています。例外もありますが・・・。
東柏ケ谷2丁目1丁目境界付近にて。

西幹線用水路・東柏ケ谷1丁目
東柏ケ谷1丁目でさがみの仲よし小道は途絶えています。
西幹線用水路は前方の小高い丘を隧道(トンネル)で潜り抜けたようです。こちらは丘を越えて追いかけました。

西幹線用水路隧道出口・綾瀬市寺尾台4丁目
綾瀬市寺尾台4丁目で隧道の出口を見つけました。
隧道跡は見れませんが奥の石垣下に出口があったと思われます。ピラカンサスの実が色づき始めました。
ピラカンサス・綾瀬市寺尾台4

綾瀬市寺尾台4丁目・さがみの仲よし小道
上記地点より下流方向を望む。さがみの仲よし小道です。

西幹線用水路伏越・寺尾台2丁目
道路を伏越・サイフォンで横断する西幹線用水路。
奥が呑口桝です。道路横断部に補修跡が見えます。

さがみの仲よし小道・寺尾台2丁目
さがみの仲よし小道・綾瀬市寺尾台2丁目。

さがみの仲よし小道
さがみの仲よし小道道標・綾瀬市寺尾台2丁目。

さがみの仲よし小道・西幹線用水路暗渠、寺尾台2
同じく寺尾台2丁目です。暗渠フタの水路が残っていました。
通気口が付いています。フタの幅を測りました。180cmでした。

さがみの仲よし小道・コンクリート管、寺尾台2丁目
その傍に展示中のコンクリート管です。
寸法は長さ240cm、内径は100cmちょうどでした。
ここに置いてあるのは畑かん用水路ゆかりのモニュメントということでしょう。私の想像では伏越の道路横断(推進工)部分と見たのですが、如何でしょう・・・。
コンクリート管の後ろに珍しい(私にとっては)蝶が休んでいたので撮影しました。末尾に載せました。

西幹線用水路・天台小西
整備されたさがみの仲よし小道が終わり、天台小西で見つけた西幹線用水路跡。地図では水色の水路表示がありますが実際はこんな風です。

西幹線用水路・天台小西
その先もこのようになっていて水路は寸断されています。

西幹線用水路・天台小西
その先で見つけた水路跡と橋。

西幹線用水路より下流を望む・天台小西
上記より下流を望む。事業所の構内になっています。
その先は東西に走る県道40号線です。切通し道です。
西幹線用水路は切り通しを伏越(ふせこし)・サイフォンで横断していたと思われます。
40号線を横断後は県道42号線沿いの事業所敷地の西側を一路南下します。県道から西へ入る道が3カ所あり、水路跡を探索するも残念ながら見つからず。

そのさき寺小橋北側信号付近で42号線を横断し県道東側に沿って一路南へ流下しています。
寺小橋北側交差点では伏越で県道を横断したはずです。
呑口吐口施設などの遺構を探索するも手がかりはありませんでした。

その先で東名高速と立体交差します。(していたはずです)。
というのは畑かんの幹線、支線、その先の小支線が完成したのが昭和34年度で、東名高速東京IC厚木IC間開通が昭和43年です。横浜水道虹吹分水池が完成したのが昭和24年です。畑かんは当初横浜水道虹吹分水池から分水を受けていたので工事が先行していた支線、小支線には昭和34年以前からその恩恵を受けていたと思います。

従って西幹線用水路の下に堀のような東名高速が通ったからには何か付け替え工事で対応したはずです。
多分水路橋に付け替えて東名高速を渡ったと想像するのですが・・・。これらのことは非常に興味深いのですが何分にも年月が経ち過ぎています。観察するもそれらしき跡は見つかりませんでした。真相は?です。

ちなみに海老名SA付近を通る横須賀水道半原系統の導水管(大正10年完成)は水管橋(吉久保橋)で東名高速を渡っています。

県道42号線嫁ケ久保バス停
東名高速に架かる寺小橋を過ぎ県道42号線嫁ケ久保バス停まで来ました。県道東側歩道を歩きましたがただ黙々と歩くのみで畑かんゆかりの遺構は皆無です。県道は今は片側2車線ですが昔は1車線だったと思います。拡幅工事の際に畑かん施設の遺構は整理されたと思われます。

畑かん西幹線御所見支線分岐点
これは嫁ケ久保バス停前の畑かん西幹線用水路御所見支線です。ここで分水し真っすぐ南西へ向かっています。

県道42号線・綾瀬市役所南
県道42号線。綾瀬市役所南付近。

綾瀬市役所南から見た田園風景
綾瀬市役所南、県道42号線から見た西側の田園風景。
地図を見ると碁盤の目のように区画整理された農地です。
歩けば畑かんの小支線用水路の遺構が見られると思います。

この後中原街道交差点を過ぎ落合の信号を左折しました。
この先42号線沿いを歩いても遺構の発見は期待薄と見たので地図にある短い支線を探索することにしました。

畑かんセグメントパイプ・綾瀬市落合南
セグメントパイプを発見しました。道路南で忽然と姿を表しました。

畑かんセグメントパイプ・綾瀬市落合南
南側から見たところです。道路南端の桝に繋がっています。
この桝が始まりのようです。落合の信号からたどって来たのですが、それらしき遺構は何もなく諦めかけていたところで発見しました。今日の探索の良いお土産になりました。ここは落合南6丁目と7丁目の境です。下流へたどってみました。

畑かん支線用水路・綾瀬市落合南
流下する畑かん小支線用水路。田んぼの用水路と並行して敷設されています。

畑かん小支線用水路・綾瀬市落合南
その先です。まるで道路側溝のようです。

畑かん小支線用水路・綾瀬市落合南
終点の桝近くのセグメントパイプ。

畑かん遺構・綾瀬市落合南
その先で見た小支線用パイプの遺構。裏向きにして畑と道路の仕切として利用しています。

落合南バス停
その後県道42号線へ戻り、再び西幹線用水路をたどりました。ここは神奈中落合南バス停です。地図によるとこの辺りで向きを変え藤沢市葛原で横須賀水道みちに入り南東へ向かっています。西幹線用水路の終点はまもなくです。
今日の探索行はここで終え14時22分発小田急長後駅西口行のバスに乗りました。

アサギマダラ アサギマダラ
寺尾台2丁目のコンクリート管に止まっていた蝶です。
図鑑を見たらアサギマダラでした。

今回の参考資料です。
・「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編
  一般平面図」1965年3月 神奈川県農政部耕地課
・国土地理院地図閲覧サービス
及び市販の一万分の一の地図を併用しました。国土地理院の地図には青色破線で西幹線用水路が示されています。

今回のスタート地点付近の地図です。

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其の111 畑かん西幹線用水路を歩く4・行幸道路からさがみ野駅

 10月13日(日)快晴、この5月以来5ヵ月ぶりに畑かん西幹線用水路(さがみの仲よし小道)を歩きました。前回は5月21日に新磯野から行幸道路の先小田急線手前まで進み探訪を終えました。6月にその先を探索予定でしたが現役の用水路(通水中の用水路)を優先したため遅れてしまいました。

畑かん西幹線用水路小田急線伏越
さて前回は小田急線手前の伏越(ふせこし・サイフォン)呑口桝まで進みました。写真中央の白杭の向こう側、レンガが吐口桝です。この写真は前回投稿の最後に掲載した写真です。

小田急線踏切座間市相模が丘2
西幹線用水路の南西100mの小田急線の踏切です。
西幹線用水路はこの地下を推進工で横断しています。

西幹線用水路小田急伏越吐口
踏み切りを渡り伏越の吐口桝へ来ました。左側レンガ造りの施設がそれです。向こう側(呑口桝)に桜の大木が茂っています。

畑かん西幹線用水路相模が丘2
その先で道路を伏越(サイフォン)で横断する西幹線用水路。
右が呑口桝で上流側です。座間市相模が丘2丁目。

相模野基線中間基点説明看板
用水路沿いでこんな看板を見つけました。相模野基線中間基点の説明看板です。
相模野基線中間基点
明治15年(1882)3月15日、測量の基線を置くことになり、当時の下溝村八の芝野(現在の相模原市麻溝台2099番地)に相模野基線の北端点が置かれた。南端点はひばりが丘一丁目にある。この南北両端の基点の間を測量して正確な距離を算出した。
この場所はその基線の中間点である。
北緯35度30分27秒034
東経139度25分24秒666

説明看板より抜粋

相模の基線中間点
付近道路上の相模野基線中間点。緯度経度は上記。
サイズは普通のマンホールフタより小さめです。
ウォーキングすると色々勉強になります。

さがみの仲よし小道桜伐採工事区間
さがみの仲よし小道で桜の大木の伐採工事をやっていました。
相模が丘3丁目にて。

西幹線用水路・さがみの仲よし小道
工事区間が終ったさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
道は変化をつけて蛇行しています。上流を望む。

さがみの仲よし小道・西幹線用水路
その先相模が丘4丁目です。フェンスに突き当たりました。
この辺りでまた桜の大木が多くなりました。名札を見ると染井吉野や大島桜とありました。

西幹線用水路伏越で道路横断
フェンスの向こうは道路でした。道路を横断しました。
西幹線用水路は伏越(サイフォン)で道路を横断しています。
奥が呑口側で手前が吐口側です。

西幹線用水路呑口桝・小松原信号
そのすぐ先で県道50号線と立体交差します。
小松原交差点手前の伏越呑口桝の遺構です。当時の状態のままで残っています。

西幹線用水路・小松原信号
呑口桝を背に県道50号線小松原交差点より下流を望む。
吐口側の施設は解体されたようで痕跡がありません。
これより先は両側が工場や事業所の建物が続きます。

西幹線用水路・西大和支線分水地点
西大和支線分水地点。左斜めに分かれます。西幹線は直進。
小松原交差点から南はずうっと道路東側の歩道を歩きました。
ここはひばりが丘1丁目です。

西幹線用水路・東原桜並木
東原に入ると道路西側に大木の桜並木が続いています。
並木の西側が西幹線用水路です。暗渠でフタがしてあります。

畑かん西幹線用水路暗渠フタ・座間市東原
暗渠フタです。鉄筋コンクリート製、幅は2.5m位。
通気口もあります。

東原桜並木案内看板
東原桜並木案内看板です。
この桜は、昭和28年栗原地域の芹沢、下葉原、大下地区の農家155戸が私財を出し合って畑かん水路の完成を記念して植えたとされています。現存する桜の本数は約130本、並木の延長は約1.3km。  昭和63年1月  座間市
看板より抜粋

以下桜並木で見た碑や案内・説明看板などです。
桜花の碑 畑かん櫻の碑 なかよしこみちの歌詞
左から櫻花の碑、畑かん櫻の碑、なかよしこみちの歌詞。

座間八景 高座海軍工廠
座間八景と高座海軍工廠説明パネル。

さがみの仲よし小道・さがみ野駅入口付近
さがみ野駅入口付近のさがみの仲よし小道。左から歩道、仲よし小道、車道。上流方向を見る。ここは座間市さがみ野2。

西幹線用水路右へカーブ・さがみ野駅付近
さがみ野駅直前で右へ急カーブする水路跡を見つけました。

畑かん西幹線用水路呑口桝・さがみ野駅付近
その先へ回り込みました。手前の四角いコンクリートへ繋がっているようです。これは相鉄線線路下を潜る伏越(ふせこし・サイフォン)の呑口桝と思われます。伏越の発進立坑でここで地下深く潜り、推進工で線路下を横断していると推測します。ここは海老名市東柏ケ谷3丁目です。

相鉄線さがみ野駅
相鉄線さがみ野駅北口です。駅を越えて南側の伏越吐口を探しに行きました。

畑かん西幹線用水路吐口桝跡・さがみ野駅西
さがみ野駅西で工事中のさがみの仲よし小道・西幹線用水路を見つけました。駅前通り沿いです。

畑かん西幹線用水路吐口桝跡・さがみ野駅西
一見花壇のように見えますが、このレンガ造りが相鉄線と市道を伏越で潜った伏越吐口桝跡と推測します。現役の頃ここに立つと吹き上がる水流が見れたと思います。

畑かん西幹線用水路・さがみの仲よし小道
その先南東へ向かうさがみの仲よし小道・西幹線用水路。
今日の探訪はここで切り上げ、さがみ野駅へ向かいました。
今日は意外に伏越(サイフォン)遺構が多く見れました。東原の暗渠水路も遺されていました。この先どんな道を通り何が見つかるか次回の探訪が楽しみです。

金木犀
今日の花です。座間市小松原、さがみの仲よし小道にて。

今日の参考資料です。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編一般平面図」1965年3月 神奈川県農政部耕地課
一般平面図は5万分の1の地図です。市販の1万分の1の地図と併用しました。

関連記事
其の86 畑かん西幹線用水路を歩く3・新磯野から行幸道路
(2013/5投稿の前回記事です)
畑かん用水路探索探訪は津久井分水池がスタート地点です。
津久井分水池からここまで歩いて来ました。過去記事は右欄のカテゴリ「相模原畑かん用水路」から入れます。

今日のスタート小田急線との交差地点の地図です。

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其の110 相模発電所を訪ねる

 10月9日(水)晴れ、相模発電所を見学しました。
相模発電所は管理人が今年のウォーキング初めに選んだ相模ダム直下にある神奈川県営の発電所です。1月5日に歩きましたが、その時は表から眺めただけでした。
念願がかないその中を見学する機会を得、期待に胸を膨らませて行って来ました。
参加したのは神奈川県企業庁主催の「あいかわ・つくい次世代エネルギーパーク第2回バスツアー」です。7月ごろにはがきで応募したところ抽選で当たりました。年に1回しか見学のチャンスはありません。ラッキー!LUCKY!ですね~~。
小田急本厚木駅南口を朝9時に大型観光バスで出発、愛川町の愛川太陽光発電所を見学、次に宮ヶ瀬ダムの観光放流を見物し宮ヶ瀬ダム水とエネルギー館でレクチャーと見学、昼食後に今日のメイン相模発電所に向けて出発しました。

神奈川県企業庁相模発電所正門
相模発電所正門前の標札と相模発電所改造事業記念碑。
記念碑の碑文を記します。
相模発電所改造事業記念
相模発電所のおいたち
相模発電所は、相模川河水統制事業として昭和20年2月に2号機が、また、昭和22年7月には1号機が完成し、最大出力28,700KWのダム式発電所としてスタートしました。
その後、昭和36年に最大出力31,000KWの発電所に増強され、県営発電所の中でも重要な発電所として働き続けてきました。
しかし、運転を開始してから40年余りを経過し、水車や発電機をはじめ水路設備、建物など発電所の各所に劣化現象が目につくようになりました。そこで、神奈川県企業庁電気局では発電所を新しくするための相模発電所改造事業を計画し、昭和61年4月から工事に着手しました。そして昭和63年4月1日に2号機が、平成元年7月1日に1号機がそれぞれ運転を開始し、相模発電所は新しく生まれ変わりました。
記念碑より

相模発電所案内看板
傍に掲げてあった相模発電所案内看板。

相模発電所変電設備
正門を入った右側の変電設備。11,000Vで発電し154,000Vの高圧にして東京電力に送電(売電)しています。
発電所はこの下相模川右岸崖下に建っています。

相模発電所
相模発電所全景。(当日配布資料より)
相模ダムからの撮影と思われます。
建物前の広場にインクラインのレールが見えます。

相模発電所の概要
発電所型式:ダム式
発電所運用形態:調整池式(ピーク式)
最大出力:31,000KW
最大使用水量:85.0㎥/秒
有効落差:43.5m
台数:2台
運転開始:昭和20年2月28日
所在地:相模原市緑区若柳字西原6-5

当日配布資料より

相模発電所より相模ダムを望む
崖を下る途中で見た相模ダム。変電設備からの送電線と鉄塔が見えます。管理橋はこの7月に完成しました。各種関連工事を施工中で一般の通行は先になりそうです。

相模発電所インクライン
急な階段を下りきったら発電所建屋前の広場でした。
インクラインのレールです。

相模発電所
レールの先は発電所建物内の発電機室です。台車が止まっていました。前方のフェンス下に発電機が据付けてあります。

相模発電所
今日のバスツアー参加者40人が2班に分かれて、ここから見学開始です。

相模発電所・発電機
発電機が2台。手前から1号機と2号機です。

相模発電所・発電機
相模発電所の発電機は上部の励磁機から下部の水車部まで同一フロアに据付けてあります。城山発電所、愛川第1発電所とは違っています。

相模発電所・クレーン
高い天井を見上げると巨大なクレーンがありました。
ちょうど台車の上あたりでしょうか。日立製で90t25t。
高い天井と天井クレーンはどこの発電所も共通です。

相模発電所・発電機・水車・変圧器銘板クリックで拡大。
相模発電所主要機器(改造前の機器)銘板が掲げてありました。
発電機、変圧器は三菱電機製、水車は三菱重工製。
1号機2号機それぞれの使用期間が書いてあります。
発電機1号機の銘板に「皇紀2607年3月」とあります。
戦後の昭和22年(1947)のことです。格好いいですね~。
2号機には「皇紀2604年12月」とあります。
昭和19年(1944)で戦争中でした。

相模発電所・水車
発電機下の水車と主軸です。

相模発電所・水車ガイドベーン
水車ガイドベーン。今は閉の状態だそうです。
茶色部分は作業見学用の通路です。

相模発電所・水車主軸
主軸です。この後15:00から発電するとのことでした。
主軸の回転と回転音を見聞したかったのですが残念!

相模発電所・発電機専用工具置場
発電機専用工具置場です。

相模発電所・制御盤室
制御盤室です。相模発電所は通常は無人運転です。
職員は誰もいません。城山発電所を見学した時に入室した発電総合制御所で遠隔制御しています。

相模発電所・圧油タンク
三菱重工製の圧油タンク。入口弁の開閉は油圧制御です。
今思い出しましたが水圧鉄管と入口弁を見逃しました。

相模湖公園・相模発電所発電機モニュメント
これは相模湖湖畔、相模湖公園に展示中の相模発電所初代発電機のモニュメントです。相模発電所正門前の記念碑にあるように昭和61年に改造工事に着手し昭和63年4月に2号機が平成元年7月に1号機がそれぞれ運転を開始しました。バスツアーの前日10月8日に撮影しました。

相模ダム
相模ダムです。手前2門が発電所の取水口です。
10月9日現在の相模湖の水位は-1.96m、貯水率86%。

相模ダム
相模発電所より相模ダムを望む。
ダム堤体は昭和22年完成時そのままだそうです。

相模ダムの概要
型式:重力式コンクリートダム
高さ:58.4m
長さ:196.0m
完成年月日:昭和22年6月14日
貯水池・調整池:相模貯水池(相模湖)
総貯水容量:63,200,000㎥

当日配布資料より

1時間ほどで見学を終え、解散場所のJR橋本駅へ向かいました。途中城山ダム近くの花の苑地で休憩しました。

城山ダム
花の苑地から城山ダムを望む。水位は通常に回復しています。
奥の芝生は城山ダム展望台です。

津久井発電所取水塔
花の苑地から津久井発電所1号機取水塔を望む。
10月9日現在の城山ダムの水位です。
-6.65m=EL117.35m、貯水率94%。台風18号のお蔭で回復しました。

この後無事橋本駅へ到着し解散しました。添乗、施設説明の職員の方々大変お世話になりありがとうございました。発電所に対する理解が深まり勉強になりました。
愛川太陽光発電所は快晴の日に再訪し、稿を新たに発表したいと思います。

関連記事
其の62 相模ダムから名手橋へ(2013/1投稿)

相模発電所の地図です。

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其の109 鳩川水管橋跡を訪ねる

 10月3日(木)晴れ、台風22号が東の海上を通過した翌日です。久々に晴れ間が出たので横浜水道鳩川水管橋跡のその後の様子を見に行きました。

横浜水道鳩川水管橋跡
これは鳩川水管橋撤去工事直後の今年7月26日に撮影した写真です。
水管橋は前日までに撤去され影も形もありません。鳩川右岸、鋼管の切断面には塞ぎ工事待ちでブルーシートがかけてあります。隣の橋は「水道橋」です。

横浜水道鳩川水管橋跡
これは今日の様子です。鉄筋コンクリートで塞がれました。
左下の黒いパイプはドレン管です。

横浜水道鳩川水管橋
厚みがあってガッチリしています。橋台にでもなりそうです。
伸縮可とう管の脚の跡が残っています。

横浜水道鳩川水管橋跡
左岸側も同じように塞がれました。

水道橋より鳩川下流を望む
水道橋より鳩川下流を望む。

鳩川水管橋撤去工事概略縦断図
これは工事中現場に掲げてあった鳩川水管橋撤去工事概略縦断図です。図のように水管橋は伏越(ふせこし・サイフォン)に替わり鳩川を横断します。(図の赤色表示部分)

横浜水道鳩川サイフォン到達立坑
到達立坑があった辺りです。平面で見ると円型の立坑で深さは約17m掘削されました。
新しいマンホールが設置されています。フタには「空気弁」とありました。水道みちの復旧工事中で、フェンスで囲われています。中には入れません。
当初9月24日の工期が延長戦に入ったようです。

横浜水道鳩川サイフォン発進立坑付近
こちらは発進立坑付近です。左右に盛り土があります。その辺りが発進立坑と思われますが近づけません。立坑は平面で見ると小判型で深さ約17m掘削されました。到達立坑と同じように空気弁が取り付けられたのでしょうか。

あざみがや交差点・トロッコの看板
あざみがや交差点付近の横浜水道みちとトロッコの看板。
鳩川水管橋はここから南東約200m先に架かっていました。

トロッコの看板・あざみがや交差点
トロッコの看板のアップです。「三井用水取入所からここまで17km 現在地:当麻」とあります。

看板の説明文を記します。
この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、1887年(明治20年)我が国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。

この看板は横浜市水道局が近代水道創設120周年を記念し設置しました。設置場所は創設当時の路線上の26か所です。
詳しくは導水線路「緑道プロムナード」の看板概要図をご覧ください。

コスモス・横浜水道みちにてクリックで拡大。
コスモスが花盛りでした。
横浜水道みちとJR相模線交差付近にて。

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其の82 横浜水道みち短信・鳩川水管橋が撤去されます
(2013/5投稿)
其の83 横浜水道みち鳩川水管橋撤去(2013/5投稿)
其の94 横浜水道みち鳩川水管橋が撤去されました
(2013/7投稿、撤去工事の様子を見学しました。)

鳩川水管橋跡付近の地図です。(緑色の矢印)
航空写真に切り替えると水色の水管橋はまだ見られます。

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