横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の79 相模原畑地かんがい用水路5

前回は上溝サイフォンまで進みました。
今回は相模原畑地かんがい用水路専用隧道の終点虹吹分水池までを投稿します。
探索したのは4月1日(月)晴れの日です。

畑かん一般平面図クリックで拡大します。
これは「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」
(以下一般平面図という)の一部分です。
これを今回の探索行の経路図として使用しました。鳩川サイフォンから虹吹分水池、その先の東西幹支線まで載っています。
専用隧道は鳩川サイフォンを過ぎ、R129を越えると下流はほぼ一直線に虹吹分水池へ向かっています。

陽光台1丁目
上溝サイフォンを後にして相模横山河岸段丘崖上沿いの道を南下しました。ここは相模原市中央区陽光台1丁目です。

陽光台小学校
その先の陽光台小学校。専用隧道はこの辺りを通っていると思います。

丸崎の坂上信号
丸崎の急坂の途中の信号です。切通しの道です。
管理人の推測では専用隧道は信号のすぐ先を画面左から右へ通過していると思われます。ここは陽光台3、4丁目です。

七曲りの坂・中央区陽光台
七曲り坂上付近です。坂を上った先に虹ヶ丘幼稚園があります。専用隧道はその近くを通っていると思われます。
ここは陽光台5、6丁目です。


横浜水道・虹吹分水池
崖上の道を南下し東へ曲がってすぐ左側にある横浜水道虹吹分水池です。相模湖系統の現役です。上流は下九沢分水池で専用の横浜隧道で結ばれています。下流側は1km先の相模原沈澱池経由女子美大付近で水道みちにに入り川井浄水場へ向かっています。昭和24年7月完成。

今回の畑かん用水路探索で色々調べてみたのですが、面白いことに虹吹分水池完成とほぼ同時に畑かん用水へ分水を行っていたことが分かりました。昭和24年(1949)8月に古山の高台80町歩(約79.3ha)に試験的灌漑が行われました。県の畑かん専用導水路(今回辿った専用隧道)が完成したのは昭和38年度(昭和39年3月)です。それまでこの分水池から東隣の畑かん虹吹分水池へ分水していたことが分かります。なんと15年間です。

畑地かんがい用水路・虹吹分水池
こちらは畑かん専用導水路・専用隧道の終点虹吹分水池です。横浜水道の虹吹分水池の東隣です。
画面奥のフェンスの向こう側白い建屋が横浜水道の施設。いつもは草が茫々ですが今日はよく見渡せます。
畑かん専用導水路・専用隧道は県営事業として
昭和34年(1959)12月着工
昭和39年(1964)3月に完成しました。

昭和23年3月から5か年継続の県営事業としてスタートした東幹線(麻溝・大野・大和・藤沢)西幹線(麻溝・新磯・座間・綾瀬)及び支線と団体営(地元)の小支線が完成したのは昭和34年度です。

こうして津久井分水池から末端の小支線まで完成したのですが、畑かんにとって悲しい皮肉な運命が待っていました。都市化の波です(工場や住宅用地需要が急増)。
当初2700haあった受益面積は、昭和44年(1969)には342haまで落ち込みました。
農業に見切りをつけ転用を急ぐ農家が多かったわけです。とうとう昭和45年4月には残存地区へ送水するためだけに、大規模な畑かんの維持管理は困難として土地改良区(受益農家の組合)は解散しました。畑かん事業の終わりです。

畑かん虹吹分水池水門
今日は水門もよく見えました。ゲートは木製のように見えます。一番上に上がった開の状態で止まっています。ここから東西分水工へかんがい用水を送り出していたのでしょう。

畑地かんがい事業の碑
「畑地かんがい事業の碑 」内山岩田郎書(元神奈川県知事)。
畑かん虹吹分水池東側の一角にありました。
区画はフェンスで囲われていて中には入れません。

畑地かんがい事業の碑 碑文
隣に立っている碑文です。文字起し碑文は
其の76相模原畑地かんがい用水路2)に載せました。

虹吹分水池より東方を望む
虹吹分水池より東方向を望む。村富線(県道507号線)の向こうに相模原ゴルフクラブの樹木が見えます。東西分水工はゴルフ場内に現存し相模原市登録有形文化財に指定されています。畑かんのルートは「相模緑道緑地」や「さがみの仲よし小道」として部分的に遊歩道として整備されています。いつか辿ってみたいと思います。

今回歩いた畑かん専用導水路・専用隧道の延長をマピオンで測りました。延長9.8kmでした。思ったより短いです。水道みちを歩くと空気弁、仕切弁、水管橋などの地上施設が見れますが、専用隧道の上ではまれにしか見れません。そのような中、上溝のサイフォン流出口(吐口)飛出しコンクリートと鳩川サイフォンの流入口(呑口)コンクリートマンホールフタの発見はラッキーでした。このことが今回の探索行で一番面白く楽しかったですね~~。
二番目は謎の施設上溝サイフォンを解明出来たことです。鳩川サイフォンについてもよく理解できました。

畑かん用水路のはかなさも実感できました。
小倉橋の久保澤隧道は昭和36年3月竣工です。 
水路橋も同時に竣工したと思いますがこの度の撤去工事で名物的水路橋はその姿を消しました。
昭和45年に畑かん事業は終わりました。前述のように畑かん専用導水路の完成は昭和39年(1964)3月です。実働わずか6年の命でした。

なお参考までに専用隧道の所有者とその維持管理に
ついて記しておきます。
今回歩いた専用隧道区間(津久井分水池-虹吹分水池)の維持管理については、現在は神奈川県企業庁、横浜市水道局及び横須賀市上下水道局の共有資産のため、三事業者で維持管理を行っています。実際には三者が協定を結び企業庁が維持管理業務を行っています。

本探索探訪記は以下の文献等を参考にしました。
・「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編」
 1965年3月 神奈川県農政部耕地課
・「相模原市市史 現代通史編」
 平成23年3月31日 相模原市
・「横浜水道百年の歩み」横浜市水道局 
 昭和62年(1987)10月17日
・神奈川県企業庁水道部 こまごまとした質問に懇切丁寧
 な回答をいただきました。ありがとうございました。

今回のスタート上溝サイフォン付近の地図です。

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其の78 相模原畑地かんがい用水路4

 前回は横山公園前まで進みました。
県道503号線を潜った専用隧道は横山公園に入り南東にある虹吹分水池へ向かっています。探索したのは4月1日(月)午後晴れの日です。

畑かん一般平面図クリックで拡大します。
これは前回と同じ相模原開発畑地かんがい地区一般平面図の一部です。(以下一般平面図という)

横山公園前・県道503号線
県道503号線から見た横山公園の桜です。
専用隧道はこの辺りの県道の下を横切っていると思われます。(画面左から右へ)。

横山公園
園内の赤、白、ピンクの桃の花がちょうど満開でした。

上溝中学校西
横山公園を通り抜け上溝中学校グランド西を南下しました。専用隧道は公園を抜け中学の敷地内を南東へ向かっていると思われます

上溝中学校正門
上溝中学校正門前を通過し坂道を下りました。

専用隧道上溝サイフォン流入口
その先坂道を下りきった右側にありました。
畑かん用水路専用隧道上溝サイフォン工流入口です。
場所は上溝駅の近所で中学校南側の土手にあります。
南東向きです。妙なものがあるな~と昔から気になっていました。周りの景色に全くそぐわないコンクリート製の構築物です。コンクリートの一部が白いのは後から塞ぎ工事をしたためです(後述)。階段を上ってみました。踏み代が浅く急勾配できわめて使い勝手の悪い階段でした。

上溝サイフォンから虹吹方面を望む
これは上記階段の上から見た真正面、虹吹分水池方向です。中央の青色の小型トラックの方向です。
上溝サイフォンのサイフォン部はこのラインを通っています。内径Φ1800の導水管です(後述)。
サイフォンの流出口施設があるとすれば青色の小型トラックの向こう側の歩道、石垣付近にあるはずです。

上溝駅付近市道と県道57号線
これは上記を西から見たところです。上溝駅前横断歩道橋から撮りました。左側の道は相模原市役所前へ通じています。右側の道は県道57号線。
こうして地形を見ると左側は上溝中学の土手で右側も急な崖であることが分かります。この地下、北西から南東へ畳一枚ほどの大口径の導水管が通っています。
現地検分をしてあらためて驚きました。凄いな~。

上溝サイフォン流出口
歩道橋を渡り青色のトラックが止まっていた辺りへ行って見ました。そして見つけたのがこれです。
コンクリート施設の一部が石垣の下に飛出しています。なんとなく不自然ですね~。幅は歩測で4歩、約3mでした。この歩道は県道に後付で工事が行われたはずです。よく壊されずに残ったもんです。一般平面図を見るとサイフォン部の延長は88.9mです。市販の1万分の1の地図ですが測るとちょうどぴったりです。上溝サイフォン工流出口施設の一部に違いありません。

上溝サイフォン流入口
これは上記流出口から見た流入口です。駐輪場の屋根の向こう側です。真正面に見えます。

あくる日に相模原市立博物館へ技術誌図面編を見に行きました。縮尺100分の1、B4判の図面です。
上溝サイフォン工流出口構造図(その1)に上記飛出し施設が載っていました。側面図を見ると確かに石垣から飛出したコンクリートが描いてあります。これ以外は地下に隠れています。飛出しコンクリートの下約7mが流出口の基礎でその上に導水管部が描かれています。飛出しコンクリートの幅は断面図を見ると2950と書いてありました。管理人の推測通り当たりですね~。

上溝サイフォン工流入口構造図も見ました。
上溝サイフォン工までは内径2250馬蹄型隧道です。
階段も描いてありました。側面図を見ると階段の奥約7mまで隧道が来ています。そのレベルと高さは階段とほぼ同じです。つまり階段を壊して撤去するとその奥約7mにぽっかりと隧道の開口が出現するわけです。上溝サイフォン工内部でサイフォン部が急角度で地下に潜るのが分かります。サイフォン部導水管の内径はΦ1800と書いてありました。

こんなわけで専用隧道がこの辺りを通過するのになぜサイフォンを採用したかよく理解できました。サイフォンにしないと専用隧道が地上に出てきてしまうからです。


今年1月に畑かん用水路探索に備えて神奈川県企業庁に上溝のコンクリート施設について照会しました。
回答を頂きましたので要約して簡潔に以下に記します。
(原文はもっと丁寧に書いてあります。)

当該箇所は相模原畑地かんがい用導水路施設のうち
・サイフォン部への進入口として設置しました。
・工事における進入口として掘削土、資材及び人等の
 通路に利用して、道路下に導水管を敷設しました。
・完成後は維持管理用の進入口として利用していました。
・現在同施設は使用していないので、侵入防止のため
 コンクリートで塞ぎました。

サイフォンを採用した理由は
・導水管は自然勾配で流下するよう計画していました。
・JR上溝駅付近の地形は市道及び県道が切通です。
・道路部分の標高が周りに比べて低い。
・そのため導水路が道路より高くなってしまうことが判明。
・逆サイフォンにして道路部分の下を横断しました。


という事でございます。流出口の飛出しコンクリートについては照会していません。なぜならば今回の探索で初めて発見したことですから。なお、逆サイフォンという用語が出ましたがサイフォンと同じ意味です。いろいろな表現がありますが管理人は伏越(ふせこし)が一番適切な表現ではないかと思っています。語感も好きです。

企業庁情報、博物館の技術誌図面編情報、今日の現地検分で上溝のコンクリート施設の謎が解けました。

長くなりますので今回はここまでです。次回は終点の虹吹分水池までを投稿いたします。

横山公園の地図です。

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其の77 相模原畑地かんがい用水路3

 前回の続きです。前回は四ッ谷さくら橋まで進みました。この後はここから相模横山河岸段丘崖を上り上段の台地上にある虹吹分水池を目指します。探索したのは3月29日(金)、4月4日(木)晴れ、の両日です。

畑かん一般平面図クリックで拡大します。
この地図は「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」(1965年神奈川県農政部耕地課発行の神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編の図面1)の一部です。(以下一般平面図という)
サイホン工区L=882.5m表示が鳩川サイフォンです。
鳩川をサイフォン(伏越)で潜った専用隧道は大きく右へカーブしR129、JR相模線と交差しほぼ一直線に虹吹分水池へ向かっています。一般平面図は5万分の1の縮尺です。これ以上の詳細は分かりませんが現在の1万分の1の地図と見較べながら歩くことにします。

作の口小学校
作の口三谷バス停付近から見た段丘上の作の口小学校。専用隧道は作の口小の辺りで大きく右へカーブしています。

作の口小外周道
これは作の口小北側に向かう外周道です。石垣の上が校舎です。かなり急坂です。管理人は初めはこの道の地下を専用隧道が通っていると思いました。

作の口小学校南西側
こちらは南西側の外周道から見た作の口小学校。
木立の向こうの石垣の上が校庭です。手前のコの字形のコンクリート擁壁はなんでしょう。畑かん用水路の専用隧道を探索中なので少し気になります。学校の敷地になじまない一角です。

R129作の口小前歩道橋
南西側外周道をそのまま進みR129に出て来ました。
左側が作の口小学校です。前方の橋は作の口小学校前歩道橋。管理人は専用隧道が作の口小学校校庭の一角を横切りこの辺りで国道の下を潜っているのではないかと想像しています。つまり作の口小南西側ルートです。
一般平面図が古く縮尺が5万分の1で専用隧道ルートの推定に一番頭を悩ますところです。意見コメントをいただければ幸いです。

JR相模線下の原第2踏切
作の口小学校前歩道橋を渡りJR相模線まで来ました。
下の原第2踏切です。

河岸段丘崖下の四ッ谷さくら橋からここまで上って来ました。
マピオンで標高を調べてみました。
四ッ谷さくら橋交差点:106m、
ここ下原第2踏切:126mで20mの標高差でした。

畑かん専用導水路は津久井分水池から虹吹分水池まで自然流下で送水されています。専用隧道は水道管と同じことで閉ざされた水路です。起点と終点の落差があれば途中の起伏は問題にならないという事です。とはいえ崖を平気で上るのは不思議ですね~。いつもそう思います。
何でも知りたがり屋の管理人、ついでに起点と終点のHWLを調べてみました。
横浜市水道局HP相模湖系のフローシート図を参考にしました。
津久井分水池HWL115.3m→下九沢分水池112.3m
→虹吹分水池HWL107.97m 下九沢分水池、虹吹分
水池間は4.33mの落差です。
専用隧道と同様、隧道で自然流下で送っています。

畑かん専用隧道の起点は同じ津久井分水池、終点の虹吹分水池は横浜水道の隣です。虹吹分水池のHWLが同じとしてその落差は7.33mです。

JR相模線下の原第2踏切
下の原第2踏切より上溝駅方面を望む。
管理人は国道を潜った専用隧道はこの踏切近辺上溝駅寄りで交差していると推測しています。画面の右から左へ、横山小学校の方へ向かっています。

その理由は
次回訪ねる上溝中学の南側土手に専用隧道の地上施設が遺されています。この施設と虹吹分水池を直線で結ぶとその延長線上付近に下の原第2踏切があります。当たらずとも遠からずでそれほど大きく外れていないと思います。
管理人は市販の地図にマーカーペンで直線を引きそれをリュックに入れて持ち歩いています。

横山小学校
その先の横山小学校。専用隧道はこの近辺を通っていると思われます。

榎神社
管理人が推測した専用隧道のルートに近い榎神社に参拝しました。伝説の美女照手姫を祀っています。

榎神社説明パネルクリックで拡大します。
榎神社説明看板です。
榎神社
 この神社は「榎さま」として親しまれ、伝説の人物「照手姫(てるてひめ)」をまつっています。照手姫は武将横山将監(よこやましょうげん)の娘で、敵方の武将小栗判官(おぐりはんがん)と恋仲になる悲劇の主人公です。
神木であるこの大榎は、明治18年(1885年)に植えられた二代目ですが、初代の榎は照手姫がさした杖が根づいたもので、枝が下を向いた「逆さ榎」であったと伝えられています。相模原市 相模原市観光協会

説明看板より

榎神社の榎クリックで拡大します。
ご神木の榎。かながわの名木100選。

横山公園前県道503号線
その先横山公園前の県道503号線です。相模横山河岸段丘崖を開いた切通しの道です。北西方向から来た専用隧道はこの辺りの県道地下を潜り画面左側の横山公園へ入って行きます。

相模原畑地かんがい用水路探索の初日はここまで来て終えました。この続きは次回投稿いたします。

作の口小学校付近の地図です。

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其の76 相模原畑地かんがい用水路2

 相模原畑地かんがい用水路探索の2回目です。
探索したのは3月29日(金)花曇りの日です。前回は小倉橋の灌漑用水路橋撤去工事現場まで進みました。

県道510号線新小倉橋下
久保澤隧道は新小倉橋の真下を潜って上大島の方へ向かっています。水路橋撤去工事現場から新小倉橋下を過ぎると左手に崖の上へ通じる道の上り口があります。写真正面の白い柵沿いの道です。

新小倉橋・さがみ縦貫相模川橋架橋工事
崖上へ上りました。崖上の道から見た新小倉橋。奥はさがみ縦貫道路の相模川橋架橋工事です。
工事は来るたびに少しずつ進捗しています。

ここから相模原畑地かんがい用水路を虹吹分水池まで辿るわけですがまずはその参考資料です。
相模原開発畑地かんがい地区一般平面図クリックで拡大します。
これは「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」の一部(津久井分水池~上溝サイフォン間)です。
経路図と言えば唯一この一般平面図が頼りです。
1965年(昭和40年)神奈川県農政部耕地課発行
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編」
に載っています。五万分の一の縮尺です。48年前の平面図ですが現在市販の一万分の一の地図と見較べながら歩きたいと思います。

次に予備知識として相模原畑地かんがい用水路の概要です。終点の虹吹分水池に「畑地かんがい事業の碑」が立っています。その碑文を記します。(其の23菖蒲園・・2012/6に投稿済記事の再掲です。)
概要
神奈川県央相模横山台地は、北は相模原市より南は藤沢市に至る「八里橋なし九里の土手」ともいわれた丘陵で古くから水なき台地と呼ばれた。作物は天水に頼るのみで、ひとたび日照りが続けば年々干魃の被害を受けること多く、その生産性は極めて低かった。
このようなことから地域農民の「この農地に水あれば」の声に先覚者たちによって相模原開田開発が叫ばれたが、経済的、土木技術的に相模川よりの取水は困難視されて実現に至らなかった。たまたま横浜、川崎両市における上水道、工業用水の増加計画に伴って昭和十五年に相模原開田開発の水利用とを調整して相模川河水統制事業に着工し、ここに相模ダムが建設された。県営相模原畑地かんがい土地改良事業は、相模ダムを水源として、三市三町二、七〇〇ヘクタールの畑地にかん水し、地域農民の経営を改善すると共に時代の要請であった食糧の増産に寄与するため昭和二十三年に起工された。本事業は県営事業の共用導水路、東西幹支線、排水路の工事、総事業費九三三〇〇余米、総額十億六、四〇〇余万円、更に団体営事業の支線水路工事に延長七一、二〇〇余米、総額八八五〇余万円を投じ、十六ヶ年の長年月をかけて、昭和三十八年度に完成をみた。顧みるに、この事業は我が国初めての大規模な工事で高度の技術を必要とし、かつ戦後の苦難な時期をも克服して完遂したことは、農林省及県当局関係者の指導援助ならびに土地改良区関係各位の熱意によるものである。而しながら今日の相模台地は経済の高度成長に伴い首都圏の一環として、環境は目覚しく発展しつつありこの台地に導入された水並びに、本事業施設の利用については、今後地域農政のみならず県政伸展の上からも一層活用されることを望むものである。
  碑文より

「相模原開発畑地かんがい地区一般平面図」(以下一般平面図という)を見ると津久井分水池から虹吹分水池までは「専用隧道」と書いてありますので以下この名称を使います。

前置きが長くなりました。では出発です。
一般平面図によると新小倉橋で地下に潜った専用隧道(久保澤隧道)は大島渓松園辺りまで相模川左岸に沿って南東方向へ向かっています。相模川左岸崖上の道は一本しかありません。専用隧道はこの道の下か近辺を通っていると推測します。まずはその道を辿りました。

相模原市緑区向原3丁目
こんな道です。右側にちらちらと相模川が見えます。崖の中腹にはかって創設期(明治20年)の横浜水道の導水管が通っていました。今は神奈川県水の北相送水管(Φ1100)が敷設されています。右手の森からはウグイスのこの時期にしては上手な鳴き声が聞こえてきました。ここは相模原市緑区向原3丁目です。

相模原市緑区大島
その先です。右側の広場は横浜市水道局の用地です。
柵の杭にはトロッコのレールが80本ほど使われています。お天気のせいで写真があまりぱっとしません。

大島坂
大島坂を右手に見ながら南下します。

渓松園
拙ブログではおなじみの相模原市老人福祉センター渓松園前まで来ました。ここまで相模川左岸崖上の道を歩いてきました。なおここからは4月4日(晴れ)の日に撮り直しに行った時の写真を使用します。

渓松園前
渓松園(右側)前から見た進行方向です。
専用隧道は一般平面図を見るとこの先でやや東へ向きを変え真っすぐ中ノ郷の方へ向かっています。崖上の道から離れていくことになります。手元の一万分の一の地図では法性寺の方向です。方向は分かりますが該当する一本道はなくその上を辿ることは出来ません。いつものように末尾に地図を付けましたので合わせて参照願います。

なお一般平面図を見ると東へ向きを変える地点で大型隧道が小型隧道に変わっています。横坑もあります。
「神奈川県相模原開発畑地かんがい技術誌図面編」
(以下技術誌図面編という)で隧道のサイズを調べました。
内径縦横とも2400 馬蹄型と
内径縦横とも2250 馬蹄型の2種類がありました。
内径2400が大型隧道で2250が小型隧道のようです。

法性寺付近
県道48号線大島北信号を左折して左手に法性寺を見ながらその先の3差路まで来ました。右の道へ入ります。この道は今年1月神奈川県営水道みち(北相送水管)を探索した時に通りました。県営水道みち探索計画中にこの道が畑かん用水路と似ていることに気づき農作業中の人に確認したりしました。(其の65神奈川県営水道みち2 カテゴリ神奈川県営水道みち)

この先鳩川に架かる四ッ谷さくら橋手前の5差路までは北相送水管と共通の道なりの一本道です。ここからは専用隧道の上を辿ります。

畑かん用水路専用隧道・緑区
車幅制限1.7m、車止めの杭が打ってあります。
専用隧道はこの地下を通っています。

畑かん用水路専用隧道・緑区田名
畑の中を進む畑かん用水路の専用隧道。
車止めでしっかりガードしています。前述のようにこの道は専用隧道上のみちでもあり、神奈川県水北相送水管の水道みちでもあります。

畑かん用水路専用隧道・緑区田名
同専用隧道上のみちです。辿って来た道を振り返って撮りました。中央の山は城山で津久井分水池はその右側の方になります。

専用隧道・中央区田名
田園地帯を抜け住宅街に入ってきました。
真っすぐな道です。ここは相模原市中央区田名です。

専用隧道・金刀比羅神社前
その先の進行方向左側の金刀比羅神社です。
前回この前を通ったのは神奈川県営水道みち探索の時で1月12日でした。その模様は(其の66神奈川県営水道を歩く3)で投稿しました。
その中でこんなことを述べています。
水道みち左側の金刀比羅神社。この付近で灌漑用水路隧道はサイフォン(伏越)となって鳩川を潜るため水道みちから離れていきますが、明確な場所は特定できません。地上に何かの施設が顔を出していれば良いのですが。今後調査してみます。

一般平面図によると鳩川を潜るサイフォンはL=882.5mと書いてあります。一万分の一の地図で測るとサイフォンの起点(流入口・呑口)はここら辺りになり上記のように推測したわけです。引用文の中で
灌漑用水路隧道は・・水道みちから離れていくと
書きましたがこれは管理人の思い違いでした。四ッ谷さくら橋までこのまま道なりの一本道を進みます。

で、調査をした結果を発表します。なんと鳥居の真ん前にあるコンクリート製のマンホールフタがそれでした。

金刀比羅神社前のマンホール
金刀比羅神社前より進行方向を見たところです。
マンホールフタは実にさりげなく存在しています。
鳩川サイフォン呑口側マンホールクリックで拡大います。
小倉橋で久保澤隧道の遺構を見て以来初めて専用隧道の地上施設に出遭いました。コンクリート製のどこにでもあるありふれたマンホールフタです。フタのサイズはΦ670でした。

なお前述の技術誌図面編は相模原市立博物館2階の市民研究室で閲覧出来ます。詳細を知りたい方は技術誌図面編鳩川サイフォン工流入口構造図を参照して下さい。

ここで何でも知りたがり屋の管理人の素朴な疑問です。
サイフォンで鳩川を潜るにはせいぜい100mもあれば十分かと思いますが、なぜ882.5mの延長になったのでしょうか?サイフォンの流入口流出口の地上施設の有無と合わせて神奈川県企業庁に照会しました。こんなことが分かりました。
鳩川のサイフォン工区は、鳩川を含むその周辺全体の標高が低く、その地形に対処するために882.5mの延長となりました。という事でした。なるほどね~~。
人間の目はいい加減なもので実際に測量してみないとこんなことは分かりません。勉強になりました。

従って金刀比羅神社の辺りから専用隧道は徐々に深度を深めて行くことになります。サイフォン区間の材料は技術誌図面編によると内径Φ1930のコルゲートパイプ(鉄製のジャバラ管のようなもの)が使われています。

専用隧道・中央区田名葛輪
その先です。道なりの一本道と言いましたがこの五差路を左斜めに入ります。普通の十字路に取って付けたように造られた道です。専用隧道のために開かれた道と思います。

専用導水路・県道63号線葛輪バス停付近
左斜めに入ってその先で県道63号線と交差します。
神奈中葛輪バス停前です。県道を渡ったその先の道も周りとは違和感があります。普段管理人が抜け道として利用しています。これも専用隧道を通すために開かれた道と思います。

専用隧道・中央区上溝
その先のまた5差路です。専用隧道は直進しますが、法性寺先の3差路から道連れであった北相送水管(Φ1100送水管)とはここでお別れです。右斜めの道に入り鳩川の上三谷橋へ向かっています。ここは相模原市中央区上溝です。

鳩川・四ッ谷さくら橋
その先の鳩川に架かる四ッ谷さくら橋まで来ました。
突き当りの道路は県道508号線・八王子街道です。正面の丘は相模横山河岸段丘で鳩川をサイフォンで潜った専用隧道は段丘崖を上って上の台地に至ります。
鳩川左岸に専用隧道の地上施設土砂吐がありましたが今の四ッ谷さくら橋に架け替え工事が行われた際に撤去され見ることが出来ません。サイフォンの流出口(吐口)地上施設も存在しないという事でした。

四ッ谷さくら橋から鳩川上流を望む
四ッ谷さくら橋から鳩川上流を望む。

四ッ谷さくら橋から鳩川下流を望む
同下流を望む。専用隧道はサイフォン(伏越)でこの川底を潜っています。

今回はここまでです。次回は段丘崖を上ります。

本シリーズの出発点津久井分水池付近の地図です。

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其の75 相模原畑地かんがい用水路1

3月29日(金)花曇り、相模原畑地かんがい用水路の探索に行って来ました。この一年横浜水道みち、横須賀水道みち、神奈川県営水道みちを歩いてきましたが、その道沿い各所で相模原畑地かんがい用水路と出くわしました。その様子は過去記事で全て触れています。
今回から相模原畑地かんがい用水路(以下畑かん用水路)の専用導水路(津久井分水池から虹吹分水池まで)を初めて通しで歩く予定です。初日は津久井分水池から横山公園まで歩きました。今回から2、3回に分けて探索探訪記として発表いたします。

津久井導水路・改修工事用搬出入口
JR横浜線橋本駅から神奈中バス三ケ木行に乗車し谷ケ原下車。津久井分水池へ向かいました。途中、相模川発電管理事務所構内北側に在った円筒型の施設。直径は10m近くありそうです。これは津久井導水路改修工事用の資機材搬出入口です。
この下に沼本ダム際から来た津久井導水路(隧道)が通っています。1月に通った時は改修工事中でした。
神奈川県企業庁に工事内容について照会しました。
津久井導水路は完成から約70年が経過しており、経年的な劣化が発生していることから、劣化箇所の補強や補修等の工事を行っております。具体的には導水トンネル内壁にコンクリートを巻いて補強する工事や、クラック箇所にセメントを充填して補修する工事等を行っております。とのことでした。
それにしても通水しながらの作業だと思います。
どうやってやるんでしょうね~。不思議です。

相模川発電管理事務所前の桜
相模川発電管理事務所南側の桜です。花見を兼ねたウォーキングのつもりで出かけたのですがこの天気・・花曇りです。真っ青な空に満開の桜なら映えるんですが残念です。

津久井分水池
今日の津久井分水池です。様子はいつも通りです。
私が今立っている地下に津久井導水路が通っていてこの瞬間にも津久井分水池へ水を送り続けています。津久井分水池について詳しくは(其の64神奈川県営水道みちを歩く1)を参照ください。
右欄の月別アーカイブ「2013/1」、またはカテゴリ「神奈川県営水道みち」から入れます。

沼本ダム・沼本調整池
ちなみにこれが津久井導水路の起点沼本ダム際の取水口です。内側は沼本調整池で奥は津久井湖です。
津久井導水路の概要を調べましたので記します。
着工年月 昭和15年11月
完成年月 昭和18年12月
長さ    約6.3km
幅と高さ 幅・高さとも6.0mの馬蹄型
工法   山岳工法
送水量  最大で毎秒約53立方メートル
送水方法 自然流下

照会先:神奈川県企業庁相模川水系ダム管理事務所

津久井分水池
津久井分水池2号機水槽東側の水道業者が分水を受ける分水池です。畑かん用水路もここから取水して隧道(水路トンネル)で虹吹分水池へ送っていました。神奈川県の相模川河水統制事業計画平面図を見ると取水量は「相模原畑かんへ3.75㎥/sec」とあります。

津久井分水池
これは東側から見た津久井分水池です。
西側の水槽の側面に開口が見えます。これは分水池の西側にある調圧水槽から来た連絡水路の開口部です。西側と東側の水槽の間に黒いU字形の開口が見えます。溢流堰と思われます。溢れた水(余水)は相模川へ放流するようになっています。
放流の様子はめったに見られません。たまたま見たことがあります。↓クリックで拡大します。
津久井発電所放流口、津久井分水池放流口
右側が津久井分水池の余水放流口です。
左は津久井発電所の放流口。

津久井分水池余水放流口
上記のアップ写真で津久井分水池の余水放流口。
ただ今放流中です。 (2012/12/19新小倉橋から撮影)

谷ケ原浄水場外周道
津久井分水池を後にして谷ケ原浄水場外周道を歩いています。左が浄水場、右が相模川左岸の崖です。
畑かん用水路の隧道はこの地下を通っています。

ショカッサイ(諸葛菜)
谷ケ原浄水場外周道から県道510号線への抜け道に群生する諸葛菜(ショカッサイ)・ハナダイコンの花。今が花の真っ盛りです。県道に入り横浜水道久保沢隧道水路橋を潜り抜けます。

相模原畑地かんがい用水路小倉橋水路橋遺構
その先です。去年の秋から始まった畑かん用水路の水路橋の撤去工事がこの3月15日で終わり、谷津川右岸側は結局こんな形で遺されました。土砂吐、溢流水用錆色の排水管は無事でした。

畑地かんがい用水路水路橋谷津川右岸
これは上記のアップ写真です。津久井分水池から来た隧道の端末です。水路橋撤去前の去年11月に撮影。
今はコンクリートで塞がれ換気ガラリがはめ込まれています。水路左右の開口は水が流れ過ぎた時の溢流堰と管理人は推測しています。

相模原畑地かんがい用水路・久保澤隧道
県道510号線の東側の水路橋はこんな形で遺されました。水路橋を撤去したら久保澤隧道の入口が出現しました。入口はコンクリートで塞がれドアが取り付けてあります。銘板には「久保澤隧道 昭和36年3月竣工」と刻んであります。隧道の上は県道510号線の新小倉橋です。
冒頭、津久井分水池から虹吹分水池までの専用導水路と言いましたがここからは終点の虹吹分水池まで専用隧道となります。隧道の端末や入口を見たりしたここまでと違って地下に隠れている隧道の上を探索することになります。それらについては次回以降投稿いたします。今回は距離的には短いですがここまでです。

水路橋の撤去工事については下記記事を投稿しました。
工事の進捗と在りし日の水路橋の写真が見られます。
其の55 小倉橋の灌漑用水路橋  2012/11投稿
其の63 小倉橋の灌漑用水路橋2 2013/1投稿
其の71 小倉橋の灌漑用水路橋3 2013/2投稿

今回のスタート地点津久井分水池付近の地図です。

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