横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の74 山崎川源流を訪ねる

今回はブログタイトル「横浜水道みちを行く」とは丸っきりかけ離れた名古屋の山崎川の話です。
3月9日(土)に中学の同期会が名古屋市内のJR中央線千種駅近くのホテルで開催され出席しました。
せっかくの旅行なので名古屋に3泊し市内観光やら宝塚、大阪まで足を延ばして来ました。
16日はその中学の東京版同期会があり出席しました。普段はヒマな管理人ですがこの3月は割合忙しくて水道みち探索の時間がなかなか取れません。今回は番外編として山崎川探訪記を投稿いたします。

山崎川は小学生のころよく遊んだ川で私にとっては忘れがたき故郷(ふるさと)の川です。前日に名古屋入りして思い出深い山崎川に沿って歩いて来ました。

山崎川・大島7号橋
日岡町と大島町の境に架かる大島7号橋。
真っすぐ東へ行くと急坂があり上りきって右折すると伊勝神社の森へ行けます。小学生の頃の遊び場でした。
今回はこの橋から山崎川の源流の一つ鏡池を目指して歩きます。

山崎川・大島7号橋より上流を望む
大島7号橋から見た山崎川の上流。この辺りでは北から南に流れています。護岸改修で流れが狭くなっています。昔の面影は残っています。

山崎川・日岡橋
100mほど上流の日岡橋。ここで東へ曲がります。
川幅、深さも水量も当時のままです。護岸(垂直部)の高さは今の三分の二位で小学生でも容易に川へ下りることが出来ました。左岸のカーブ部は上流からの土砂が堆積して陸地になっていました。夏休みになるとそこから川へ入り魚獲りをしました。道具はタモや仲間と来るときは四手網でした。獲物はドジョウ、モロコやザリガニ。でかいオタマジャクシ(食用ガエルの子供)も獲れたように思います。

日岡橋から山崎川上流を望む
日岡橋より山崎川上流を望む。両岸の木は桜です。
昔から山崎川は桜の名所でした。昭和区の石川橋より下流が桜の名所として有名です。
護岸の傾斜部の覆いと高さ以外は当時のままです。
右岸(向かって左側)沿いには上流からの土砂の堆積物でできた陸地があり水生植物が生えていました。
魚たちの格好の隠れ場になっていました。
昆虫類はギンヤンマ、オニヤンマ、シオカラトンボなどのありふれたトンボの他にオハグロトンボ、糸トンボなど水辺のトンボを思い出します。蛭に吸い付かれたことも度々あります。川から上がって気が付きます。
一度川に入ると約1km上流の田代本通りまで行かないと途中で川から出ることは出来ません。魚獲りはそこまで続きます。

山崎川・田代本通り4丁目付近
約1km上流の田代本通り4丁目付近です。
山崎川はここで北へ向きを変えます。
真っすぐ末盛から姫ヶ池方面へ至る流れと途中、田代本通り3丁目(昔の栄町行バス停の起点)で鏡池通りへ入り城山中学の東を北上して猫ヶ洞池へ至る二本の流れがあります。
今日向かうのは鏡池です。方向は画面正面、焦げ茶色のビルの左側の道です。

山崎川・田代本通り4丁目付近
上記のアップです。当時は今辿ってきたような普通の川でしたが、いつの頃からかこのようにフタがされ暗渠の川になってしまいました。フタの上の道は地図を見ると県道30号線とあります。左側の暗渠が山崎川本流で右側が鏡池からの支流と思われます。
昔は写真左側に高さ1m位の堰があり堰の下は深い淵になっていました。堰を越えてそれより上流へ行くことは小学生では無理で1、2度位しか行った記憶はありません。獲物もあまり無かったように記憶しています。堰の手前右側にΦ1m位の水路トンネルの出口があり、それを潜ると幅2m位の川へ出ます。鏡池からの支流です。水路トンネルの長さは10mか20mはあったでしょうか。潜るときは結構ひやひやドキドキでした。

山崎川・鏡池支流
左右に横切っているのが県道30号線。その向こうが鏡池から来た支流です。本流と同じようにフタがされ暗渠になっています。一見普通の道路です。当時の面影は丸っきりありません。

山崎川支流
水路トンネルを潜り抜けたらこんな川でした。当時の印象を基に描いてみました。両岸は丸太の杭が打ってあり土留は木製の板だった思います。
右も左も田んぼか畑で民家や橋は記憶から抜け落ちています。元々無かったのかもしれません。ただ記憶にあるのは水の流れと両岸の様子だけです。
護岸の高さは1mほどで水深は15cm位、急流でした。川底は大きめの角張った礫でタモとバケツを持って靴を履いたまま歩いたような気がします。獲物はこの川特有のハゼに似たドンコが獲れました。不思議なことにドンコは下流の本流では獲ったことがありません。今は暗渠化されて絶滅したと思います。

山崎川支流・名大付近
暗渠上の道路を真っすぐ東へ1kmほど進むと名大の用地に突き当たります。地図を見ると名大付属高校とあります。

山崎川支流・名大付近
姿を現した山崎川支流。ここで北へ曲がりその先で付属高校に沿って東へ向きを変えます。

山崎川支流・鏡池付近
東へ向きを変えたところです。突き当りが鏡池です。
水門が見えます。水量が意外なほど少なく感じます。

鏡池
鏡池通りから見た鏡池です。昔に比べて水位が上がっています。子供の頃はもっと広い池と思ったのですが、
今は少し狭くなった感じがします。西側(画面右側)の堰堤から下の岸辺に下りて魚釣りや模型の船を浮かべたりして遊んだ記憶があります。
この池には鮒の大物がいて吸い込み釣りをする大人もいました。子供はもっぱらモロコ釣りでした。遊びに来た回数ではこの池が一番です。

鏡池
鏡池西側の堰堤へ通じる入口に名大の門がありました。
昔は門も何もなく通行はフリーでした。昔通りフリーで中へ入らせてもらいました。

鏡池の水門
当時は無かった水門がありました。山崎川源流の一つがここから始まります。

鏡池の南西付近
鏡池の南西です。学校の体育館やグランドがあります。
当時はこの辺りは湿地帯で直径10m位のすり鉢型の池がありました。四つか五つくらい固まっていたように思います。米軍による名古屋大空襲の傷跡で、爆弾によって出来た池です。不気味な池で中へ入ったことはありません。

二つ池
池と言えば懐かしい池があります。
椙山女学園近くの二ツ池です。3年前に帰省した時に撮りました。今は埋め立てられ二ツ池公園になっています。
この池にもよく遊びに行きました。魚やザリガニ獲りです。池の周りに水田跡があり、ザリガニの巣穴に腕を突っ込んで真っ赤なザリガニを獲ったことを思い出します。池の水面には水草の菱が浮いていました。

山崎川・城山中学付近
鏡池の帰りに城山中学付近を通りました。
城山中学の東を流れる山崎川です。鏡池通り2丁目で暗渠の川が普通の開かれた川に戻ります。河川改修で当時の面影は丸でありません。

中学生になると大人用の自転車を乗り回せるようになり、遠出をするようになりました。小学生のころは器用に三角乗りで操っていました。この川の上流は猫ヶ洞池で山崎川の源流です。自転車で行ったことがあります。河口は名古屋港で自転車で途中ま辿ったことがあります。新瑞橋で日没近くになり引き返しました。
我ながら子供の頃から川を辿るのが好きだったんだな~と今あらためて思います。

城山中学
城山中学正門です。同期会で誰かがこんなことを言っていました。「山崎川と鏡池を知らずして城中を語るべからず」うまい表現です。みんな川や池で遊んだのですね~当時は。

この後近くの末盛城址を訪ねましたが切りがないのでこの辺で止めにします。私の一番上の孫がもうすぐ小4になります。同じ年頃にじいじが遊んだ故郷の様子を本探訪記で伝えられたら嬉しいです。
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其の73 城山隧道・竪坑と横坑を見つけました

2月28日(木)晴れ、城山隧道の竪坑と横坑の探索に行って来ました。きっかけは去年8月7日に横浜市開港記念会館で開催の横浜市水道局主催近代水道創設125年記念講演会に出席して「町中に残っている竪坑」のことを知ったからです。あくる日の8日に早速探索に行くも見つからず、たまたま崖下へ下りる道を見つけて城山隧道の第2横坑を発見しました。
探索探訪記(其の30城山隧道・横坑を見つけました)は8月14日に投稿しましたので参照願います。

今回は(其の30城山隧道・横坑を・・)の続きになります。暖かく天気が良かったので急に思い立って行って来ました。津久井湖岸の花の苑地第2駐車場からスタートしました。

城山隧道・竪坑
R413を中野の日赤病院目指して歩きました。125年記念講演会で見た大画面の映像では町中にある竪坑は民家の一角に在りました。そのイメージで探しましたが見つからないはずで、R413沿いにありました。地元の方に尋ねて独楽寿司の付近と教わり見つけました。バス停太井付近です。
広さは2.7m×2.3m位、フェンスで囲われています。竪坑の上はグレーチングフタでしっかりガードしてあります。フタ越しにのぞくと直径2m位のレンガ造りの竪坑が見えました。
国道側フェンスに注意看板が掲げてありました。
風雪にさらされて消えかかった文字を読んでみます。
この施設は横浜市管理の城山ずい道換気孔です。地下24mに水道管を布設してありますので、ゴミや石等を投げ捨てないで下さい。又落下の危険がありますのでフェンス内には絶対に立ち入らないで下さい。
連絡先 横浜市水道局青山水源事務所0427-84-0633
    注意看板より。

竪坑とは言わず換気孔と称しています。
横須賀水道(愛川町角田)の管路隧道通気塔と同じ役割と思います。今日、2回目の探索で割合あっさりと見つけました。

その先の横坑の探索に向かいました。いつものように末尾に地図を付けましたので参照願います。日赤病院の北西と北東に隧道マークが見られます。北西が第1横坑、北東が去年見つけた第2横坑です。

津久井赤十字病院西
R413日赤前の信号を右折しました。
右側の建物が日赤(津久井赤十字病院)です。

津久井赤十字病院西
上記の突き当りです。ここから湖岸へ下りる道が始まります。去年8月はここから少し入ったところで断念しました。装備不十分(半袖シャツ着用でした)のためです。今から思うとそれが正解でした。今は冬場で樹木の繁茂は夏ほどではありません。当時は「危険なダニ」問題もニュースになっていませんでした。今日は季節柄当然ですが長袖ジャンパーに長ズボン、帽子に皮手袋着用、首にはタオルを巻いて完全武装です。

横浜市水道局境界杭
入口から3分位歩いたところで横浜水道のYの字境界杭を見つけました。進行方向右側です。
傍らに青色に塗ったトロッコのレールも立っています。

横浜市水道局境界杭
7、8m進んだところでもう一本見つけました。トロッコのレールの他に神奈川県の境界杭も並んでいます。どうやらこの下(杭と杭の間)に横坑が通っているようです。

城山隧道第一横坑進入路
こんな道を歩きました。緩やかな下り坂です。倒木が多く所々道が塞がれていました。右へ入る道を探しながらゆっくり進みました。正面と右下方向が津久井湖畔です。

城山隧道・第壱横坑
右へ入る細い道を発見し、けもの道のような人一人が通れるような道を約100m歩いた所で見つけました。
横浜市水道局城山隧道・第1横坑です。

城山隧道・第壹横坑銘板
銘板です。右書きで第壹横坑。

城山隧道・第壱横坑
横坑入口です。看板には「関係者以外立ち入り禁止
横浜市水道局」とあります。

城山隧道・第壱横坑
横坑内部の様子です。169.1m先に城山隧道が通っています。

R413小網バス停付近より城山を望む
帰路、R413小網バス停付近より城山を望む。
城山隧道のネーミングはこの山から採っていると思います。

白梅 R413小網バス停付近
同帰路、R413小網バス停付近にて。管理人は5日前の23日に東海道を茅ヶ崎から平塚まで歩きました。やはりこんな感じで咲いていました。

横浜水道・太井隧道
横浜水道・太井隧道の遺構です。R413北根小屋バス停付近にて。津久井湖の水位がいつもより下がっています。

横浜水道・第1接合井と太井隧道クリックで拡大します。
横浜水道の第1接合井(手前)と太井隧道の遺構。
R413北根小屋バス停付近にて。

横浜水道・城山隧道下口と第1接合井クリックで拡大します。
横浜水道・城山隧道下口と第1接合井(手前)。
R413北根小屋バス停付近より。

城山隧道の概要を記します。
断面形状 内法拱径間 3.03m 中央高さ2.42m
       馬蹄形
延長   4358.5m
その他  横穴2延長226.3m 堅穴延長26.7m
      第1横坑169.1m 第2横坑57.3m 
着工   明治44年(1911)2月27日
      上口、下口、第1第2の横坑4カ所から導坑
      の掘削を開始
完成   大正3年(1914)4月4日

横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋

城山隧道説明看板・青山沈澱池構外
参考までに青山沈澱池構外の城山隧道上口にある城山隧道説明看板です。近代水道百選施設です。

中沢接合井・川尻隧道・津久井発電所取水塔
お終いに今日の津久井湖です。R413城山大橋から撮影。
津久井発電所取水塔に表示の黄色線が124m、青色線が120mの水位です。今日の水位は116m位。水位は平時より6mほど下がっています。
中央のレンガ色は川尻隧道の遺構、その左側は中沢接合井の遺構です。ここまで下がっているのは初めて見ました。

今日は半年がかりで懸案を達成出来、ほっとしたというかすっきりした感じです。満足感もあります。

今日のスタート地点花の苑地第1第2駐車場の地図です。

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