横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の72 横須賀水道みち・中津の竪下水を訪ねる

2月17日(日)曇りのち晴れ。横須賀水道みち半原系統、愛川町中津の竪下水探索に行って来ました。
竪下水(たてげすい)とは聞きなれない言葉です。横須賀市水道局(現横須賀市上下水道局)発行の「豊かな水へのあゆみ」―横須賀市水道施設写真集―の24ページにその写真が載っています。↓
竪下水(大正11年完成・・・愛甲郡愛川町中津)
この書籍を購入以来興味を持ち、いつか探索に行こうと思っていました。管理人にとって神奈川県営水道みち探索探訪記のような連載物が終わってほっと一息ついた今が探索の適期かなと思い立ち行って来ました。
事前情報は場所が水道坂付近で、竪下水とは導水管内の水の排水(ドレン)施設である。の二点とこの写真です。市販の1万分の1の地図でおおよその見当を付けました。竪下水の完成は大正11年です。今から91年前のことで樹木の成長もあり様子は一変していると思われます。

県道54号線神奈中バス角田バス停下車。今日はここがスタート地点です。

水道みちの道標
角田バス停の東で県道54号線と別れすぐ横須賀水道みちに入ります。愛川町が設置した水道みちの道標。
「ここから水道みち→」と書いてあります。前回ここを歩いたのは去年の10月24日です。その時はこの道標に気づかなかったです。2回目でゆとりが出たのでしょうか?気づかなかったものが見えて来ました。

横須賀水道みち・愛川町角田
その先で小河川に架かる橋を渡ります。これも前回歩いた時は素通りしています。水道みちを探索するにつれて橋を渡るときは橋の下を観察するのが習慣になりました。で、覗いてみました。

水管橋で小河川を渡る半原系、愛川町角田
ばっちり撮れました。水管橋で渡る半原系Φ500mm導水管。2回目のゆとりで発見出来ました。細い配管は空気抜き用でしょうか?

栗沢に架かる橋・愛川町角田
その先で栗沢に架かる橋を渡ります。左が人道橋、右側が車道で間に挟まれたのが半原系の導水管です。

栗沢を水管橋で渡る半原系Φ500mm導水管
橋の下から撮りました。半原系はΦ500mm鋳鉄管が敷設されていますが水管橋部は鋼管を使っているようです。いわゆるパイプビーム形式です。

栗沢・愛川町角田
栗沢上流を望む。下流は中津川に合流しています。

横須賀水道みち・愛川町角田
前方の丘は中津川河岸段丘崖で坂道は水道坂と言います。左側の田んぼの畦道には点々と横須賀市水道局の境界杭が打ってありました。坂の上り口には仕切弁のマンホールフタが2枚連続で見られました。

横須賀市水道部の境界杭 横須賀市水道局の境界杭 横須賀市仕切弁マンホール
左から水道部、水道局の境界杭。裏面には横須賀市、
頭にはYとあり。サイズは15cm角、コンクリート製。
クリックで拡大します。右は仕切弁マンホールフタ。

用水路を渡る水管橋・水道坂上り口
水道坂上り口南側で見つけた水管橋です。用水路を水管橋で渡るΦ500mm鋳鉄管。導水管は10°位の上り勾配で水道坂を上っています。

横須賀水道みち水道坂・愛川町角田
その先水道坂の南側です。ガードレールの左側に上記の幅約1mの用水路が流れています。水路に沿って奥へ進みます。

横須賀水道みち水道坂付近・愛川町角田
水道坂の上り口から300m程進んだところです。
ガードレールの右側が用水路です。奥から手前に歩いてきました。竪下水は画面右側に在りました。

横須賀水道竪下水・愛川町角田
竪下水の放流口です。用水路左岸の水路壁にぽっかり穴が開いています。用水路はこの下流で中津川に合流しています。

横須賀水道竪下水・愛川町角田
放流口の奥の様子です。樹木が鬱蒼と茂り91年前の面影はありません。地図を見るとここは愛川町角田のはずれです。河岸段丘崖の上の台地が愛川町中津で、画面奥になります。

横須賀水道竪下水・愛川町角田
用水路を飛び越えて奥へ進みました。これが91年前に造られた竪下水です。中津川の河原にあるような丸い石を用いて造ったようです。この奥で上り急斜面になります。竪下水路の幅は1m強でしょうか。

海の杭(海軍境界杭・波マークなし)
竪下水路際で全く予期せぬものを見つけました。
「海」と陰刻されているのが分かりますか?
苔むした海の杭(海軍境界杭・波マークなし)です。うっかり見逃すところでした。あるがままの状態で撮りました。こうした想定外のことがあるから楽しいし、面白いですね~水道みち探索は。サイズは16cm角でした。ちなみに波マーク入りは20cm角です。
なお、ここは今の季節は心配無用ですが暖かくなるとマムちゃんが出そうな雰囲気です。念のため。

去年10月に中津から関口にかけて11本の海の杭(海軍境界杭・波マークなし)を見つけました。(其の44 横須賀水道みち4・・・で投稿済み)参考までにその時厚木市下川入で撮った海の杭です。
海の杭(海軍境界杭・波マークなし)
波マークなしのこのタイプの杭は今日で12本目です。海老名から横須賀逸見浄水場までの水道みちにある境界杭は全て波マーク入りです。マークなしは貴重です。

水道坂の碑
水道みちに戻り水道坂を上りました。坂上の水道坂の碑。

横須賀水道竪下水・愛川町中津
水道坂の碑の近くで西の崖へ向かう水路を発見しました。水路の起点は水道みちで水路の上に鉄板でフタがしてあります。竪下水の始まりです。

横須賀水道竪下水・愛川町中津
水路沿いに進み崖際の橋まで来ました。
奥のフェンスの向こうから崖を下るようです。

横須賀水道竪下水・愛川町中津
崖上の竪下水です。急勾配で崖下へ向かっています。
橋上のフェンス隙間から撮りました。
マピオンで標高を調べました。ここが110mで崖下の用水路への放流口付近が69mでした。何らかの理由でΦ500mmの導水鋳鉄管内の水を捨てる(排水する)際は41mの標高差を一気に流れ下り用水路経由中津川へ戻すようになっています。

横須賀水道みち半原系・水道坂
帰路、水道坂より水道みち愛川町角田方面を望む。
遠回りですが来た道を角田バス停へ向かいました。今回は懸案の竪下水が見られたし予期せぬ海の杭(海軍境界杭・波マークなし)を見つけたりと大満足な一日でした。

今日のスタート地点角田バス停付近の地図です。
竪下水は水色の線で表示されています。

大きな地図で見る


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其の71 小倉橋の灌漑用水路橋3

2月9日(土)晴れ、気になっていた小倉橋の灌漑用水路橋のその後の様子を見に行きました。
今日の東京地方の予想最高気温は7℃でしたが、冷え込みが厳しかった一昨日、昨日とは違って日差しがあり風もなく絶好のウォーキング日和でした。横浜水道みちを田名から大島、小倉橋へといつものようにぶらぶらと気楽な一人旅です。

新小倉橋
大島からは相模川左岸崖上の道を北上し県道510号線新小倉橋まで来ました。前回は1月12日(土)に探訪しました。ちょうど4週間前です。奥にさがみ縦貫道路相模川橋の橋脚が写っています。架橋工事は来るたびに少しずつ進捗しています。

小倉橋灌漑用水路橋撤去工事
まずは新小倉橋から見た撤去工事現場の様子です。残っていた水路橋も橋脚も取り壊され跡形もありません。

小倉橋灌漑用水路撤去工事現場
崖を下って下を通る県道510号線へ出て来ました。
紛らわしいですが新小倉橋の下で交差している県道も510号線です。新小倉橋の県道510号線は後から開通したバイパスです。

小倉橋灌漑用水路橋
これは去年(平成24年)9月26日に撮った同じ地点の写真です。

小倉橋灌漑用水路橋撤去工事
残っていた水路橋もその橋脚もきれいさっぱりと撤去されていました。前回訪ねたときにあった水路橋を支えていた鉄骨はすでに解体され影も形もありません。今日は土曜日にもかかわらず仮設橋の解体作業中でした。
崖に添わせてあるΦ30cm位の錆びた鉄管はそのまま残っています。残された水路橋周りへ進入する仮設階段も撤去されています。この状態で工事は終わりのようです。

小倉橋灌漑用水路撤去工事
水路橋西詰のアップです。奥が津久井分水池から来た隧道で馬蹄型をしています。コンクリートで塞がれ換気ガラリがはめ込んであります。下部のでっぱりは水路橋の橋台です。灌漑用水路橋はPC水路橋です。PCはコンクリートの種類の一つかと思いますがそれにしても強靭なコンクリートですね~。見た目にはしっかりしています。完成が昭和36年だから52年も経っています。

小倉橋灌漑用水路撤去工事
角度を変えて撮った写真です。水路上部左右に開口部があります。水が流れ過ぎた時の溢流堰でしょうか?
水路を左右から挟んでいるコンクリートはなんでしょう?

小倉橋灌漑用水路橋撤去工事
こんな風になっています。角度を変え新小倉橋歩道橋から撮りました。溢流水はここを経由して崖に添わせてある錆びた鉄管を通して谷津川へ排水していたと思われます。土砂吐機能はどうなっているか写真では良く分かりません。こちらの隧道には銘板がありません。名無しのようです。

小倉橋灌漑用水路撤去工事クリックで拡大します。
排水管の端末です。当初は土砂吐の排水管と推測したのですが溢流水の排水管のようです。

相模原畑地灌漑用水路・久保澤隧道
相模原畑地灌漑用水路・久保澤隧道
県道510号線東側、久保澤隧道入口です。
工事用足場が撤去されています。こちらもこの状態で工事は終わりのようです。これからはいつ来てもモニュメントとしてこれを眺めることが出来るわけです。まずは良かった良かった。
ちなみに隧道銘板には
「久保澤隧道 昭和三十六年三月竣工」とあります。

この後管理人は坂道を上りR413久保沢バス停まで歩き、神奈中バスに乗車。JR橋本駅経由帰宅しました。約7.5kmのウォーキングでした。

其の70 下九沢分水池を訪ねる

1月30日(水)晴れ、下九沢分水池を訪ねました。
ここは自宅から近からず遠からずの適当な位置に在るにもかかわらず一度も訪ねたことがありませんでした。道志川系の横浜水道みち探索探訪に偏っていたせいかも知れません。
前回まで神奈川県営水道の水道みちを歩きました。その起点は谷ケ原浄水場で隣の津久井分水池から原水を取水していました。津久井分水池と大型隧道で繋がっているのが下九沢分水池です。県道508号線六地蔵の信号近くに在ります。

県道54号線の鳩川に架かる鳩川新橋から鳩川沿いの道へ入り上流の下九沢分水池へ向かいました。いつものようにウォーキングを兼ねた気楽な一人旅です。

鳩川・四ッ谷さくら橋上流
途中、四ッ谷さくら橋から見た鳩川上流。広い両岸の土手の間を細い水路が通っています。これが平時の鳩川の流れのようです。橋より下流は普通の川で、カワセミが川面を下流へ飛び去って行きました。カワセミが棲めるような環境のようです。
普段、ここは車で何回も通っていますが川の中の水路は気づきませんでした。冬場で草が枯れていたのも幸いしウォーキングならではの発見でした。カワセミの発見もそうです。右上の土手沿いの道は県道508号線・八王子街道です。県営水道みちで歩いた昭和橋や上依知の旧街道堂坂などに通じています。

鳩川・県道508号線下九沢宮下バス停付近
200m上流の下九沢宮下バス停付近の橋から見た鳩川。左が上流です。水路の右側に溢流堰が見えます。洪水になった時溢れた水は右側の広い空地に貯めるようになっています。川幅が広いのは洪水調節池としての役割を果たすためでした。ウォーキングでいろいろと勉強になります。
それから四ッ谷さくら橋からこの辺りを相模原畑地灌漑用水路の鳩川サイフォン(伏越)が鳩川を潜っているはずですが、それらしき遺構は見つかりませんでした。

相模原市緑区下九沢
久沢橋で鳩川と別れ、塚場の信号で八王子街道とも分かれます。塚場の信号を左折しすぐに斜め右に入ってこんな住宅街を歩きました。緩い上り坂です。

下九沢分水池
突然前が開けごうごうたる水音が聞こえてきます。進行方向左(南)側、下九沢分水池に到着です。分水池の北側が道路でそこから丸見えです。右が流入側で左へ流れています。住宅街に突然大河が出現した感じです。この写真は2日後の2月1日に撮りました。実は分水池の周りは高いフェンスで囲われていて写真が上手く撮れません。別の日に車で出直し車を脚立代わりにしてフェンス越しに撮りました。ここからの写真は1月30日、2月1日の両日に撮った写真です。

下九沢分水池
下九沢分水池は円筒分水と言われています。津久井分水池で取り入れた水を横浜水道と川崎水道に等分に分水する重要な施設です。これは入口側のアップ写真です。正面奥が津久井分水池から来た相模隧道の出口で下九沢分水池の入口でもあります。
水の流れは
①入口からまず写真左の内槽と言われる内径16m
 深さ3.15mの円形水槽に入ります。内槽周壁に設
 けられた多数の円孔を通過して
②その外側の内径29m深さ3.15mの円形外槽に
 流出します。写真中央の水槽です。更に外槽周壁
 に設けた量水堰堤を溢流して
③外周水路(幅2m、深さ4.15m)に入ります。
 右端の水路です。
④そこから横浜・川崎市の専用隧道へ分流する構造
 になっています。

下九沢分水池の長径は52m、短径は35mの長円形です。長径は相模隧道の出口から両市の専用隧道入口までの距離になります。

相模隧道出口・下九沢分水池入口クリックで拡大します。
相模隧道出口・下九沢分水池の入口です。
右書きで「相模隧道」と刻まれています。

下九沢分水池・内槽
内径16mの内槽です。中央に差し渡してあるコンクリートの柱か壁?はどんな役割なのでしょうか?昭和29年撮影の写真を見るとこれはなく内槽だけです。

下九沢分水池・内槽と外槽
内槽周壁円孔から外槽へ流れ出る様子です。

下九沢分水池・溢流と横浜隧道へ
外槽から外周水路へ溢流の様子です。画面左隅の横浜水道専用隧道(横浜隧道)へ流れていきます。

下九沢分水池・川崎隧道入口
これはその北側の川崎隧道入口です。ゴミ除けの鉄格子も写っています。左側垂直面には静止画をズームアップすると右書きで「川崎隧道」と刻まれているのが分かります。横浜水道の方は確認できませんが「横浜隧道」と右書きされていると思います。

下九沢分水池は横浜水道相模湖系統の水道施設の一部です。
水源が相模湖→相模発電所で放流→沼本ダムで貯水(沼本調整池)→津久井導水路(隧道)→津久井分水池→相模隧道→下九沢分水池→横浜隧道→虹吹分水池→相模原沈澱池→川井浄水場の流れです。元を辿ると相模湖の水なので相模湖系統と呼ばれているようです。

下九沢分水池は
 昭和16年12月に着工 昭和24年8月に完成。
 横浜川崎両市の等分負担による共有施設です。

相模隧道(大型)は
 長さ4219m、内径3.5m 馬蹄型の隧道。
 横浜川崎両市の等分負担による共有施設です。
横浜隧道(小型)は
 長さ5695m、内径2.6m 馬蹄型の隧道。
 横浜市の専用施設です。
両隧道は昭和17年1月着工 昭和24年7月完成。

通水量は其の64 神奈川県営水道みちを歩く1で
触れました。横浜水道(上水)4.55(工水)1.00
川崎水道(上水)4.40(東京分水2.66含む)
(工水)1.15 計11.1㎥/秒です。日量95万9千トン。

下九沢分水池正門
下九沢分水池正門です。看板は昭和24年完成時そのままのような古さで風格があります。

相模隧道竣功碑(下九沢分水池構内)
正門脇に相模隧道竣功碑が見えました。但し背面です。
「横浜水道百年の歩み」には正面に相模隧道竣功碑と右書きで彫られ中央には隧道のシンボル馬蹄型が陽刻された碑の写真が載っています。
また百年の歩みには隧道工事の様子も詳しく書かれています。先の大戦中の工事着工で湧水、地盤の悪さ、セメントや坑木、ガソリンなど資材物資不足、人手不足で工事は難航し中断。戦後になって米軍のセメント特別放出を得、工事再開。7年有余に渡る長期工事を完成通水させたとあります。昭和20年5月の横浜大空襲で市内中枢は焦土と化しました。戦災復興中の市民にとっても米駐留軍にとっても水道は必須でした。
昭和24年7月18日、関係者やアメリカ軍関係者ら多数を下九沢分水池に招いて盛大な落成式をあげ、通水を祝った。
との記述があります。文面からその時の完成の喜びが伝わってきます。

今回の探訪記は下記を参考にしました。
横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」
横浜市水道局HP水道施設フローシート図

下九沢分水池の地図です。

大きな地図で見る
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