横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の56 隠れ横浜水道みちを歩く 田名・大島

11月21日(水)晴れ、相模田名高校前から小倉橋、久保沢まで横浜水道みちを歩きました。
目的は小倉橋の灌漑用水路橋の撤去状況を見るためですが、途中、隠れ水道みちを通りましたので、今回はそれについて投稿いたします。

久保沢道と交差する横浜水道みち
相模田名高校前で久保沢道と斜めに交差する横浜水道みち。
正面の細い道が水道みちで、ここまで10m以上あった道幅がここから半分以下になります。画面奥が水道みち上流の城山ダム方面。舗装道路が久保沢道で大島水場で県道48号線に合流しています。水道みちとほぼ並行して通っています。今日は水道みちではなく隠れ水道みちの久保沢道を歩きます。

久保沢道の道標
福祉施設たんぽぽの家前に建てられた久保沢道の道標。
久保沢道
主に久保沢へ向かう人々が行き来した道なのでこの名が
あります。当麻山無量光寺へお参りに行く人々も通って
いたので「当麻街道」とも呼ばれていました。
道標より。
地元では久保沢街道とも呼ばれています。

田名四ッ谷・石神社
久保沢道は田名四ッ谷で県道54号線と交差します。
これは田名四ッ谷交差点角にある石神社です。

石神社社殿・田名四ッ谷
社殿は石造りで、昭和48年9月に四ッ谷自治会が再建しました。由来書きによると寛永六年(1630)に四ッ谷集落の守り神として奉られたのが始まりで、明和三年(1766)に再建され今あるのは三代目のようです。祭神は不津主神(ふつぬしのかみ)。明和の再建時の大きさは間口一尺二寸(36cm)奥行一尺一寸三分(33.3cm)。
境内には地神塔、道標、道祖神、石造りの古い社殿などが祀られています。
石神社・古い社殿 石神社・地神塔 石神社・石造物←クリックで拡大

久保沢道・四ッ谷自治会館付近
四ッ谷自治会館付近の久保沢道。

久保沢道の道標
ここにもありました。相模原市が建てた久保沢道の道標です。
四ッ谷自治会館前。

久保沢道・四ッ谷北側信号
四ッ谷北側信号まで来ました。信号手前のアスファルト舗装の色が違います。久保沢道の地下には横浜水道の道志川系の導水管110cm鋼管が敷設されていて今は使われていません。昭和16年竣工第3回拡張工事で敷設。今から71年前のことです。このことを知ったのは「道志川系110cm導水管保全工事」の自治会向け回覧チラシです。71年前のことですから地元の人でも知っている人少ないと思います。知っているのは横浜水道局だけだと思っています。

久保沢道の西側を通る水道みちには当時18、22、36吋3条の導水管が敷設され110cmを敷設する余地がなかったためこの久保沢道が利用されたと管理人は想像しています。

36吋鋳鉄管
36吋鋳鉄管説明パネルクリックで拡大
これは西谷の横浜水道記念館憩いの広場に展示してある36吋(910mm)鋳鉄管と説明パネルです。
これが久保沢道の西側の水道みちに18吋、22吋管と合わせて敷設されていました。どう考えてもこれより19cmも太い管を敷設する余地はないですね。

「道志川系110cm導水管保全工事」については「其の2 堀之内から大島へ1」2012/3/21投稿を参照願います。

さて話を戻します。アスファルトの色が違うのはかってここに空気弁弁室と空気弁があって「道志川系110cm導水管保全工事」によりそれらの撤去と復旧工事が行われたためです。

横浜水道空気弁マンホール・四ッ谷北側信号
これは工事着工前の2012/1/19に撮った写真です。
空気弁のマンホールです。自治会の回覧を見て驚いた管理人、へぇー久保沢道に110cmの導水管が通っていたんだあーと痕跡を探しに行き、四ッ谷北側信号前で見つけました。

110cm管撤去跡・田名清水
ここでもアスファルトの色が変わっています。ここは弁室ではなく110cm管を部分撤去し残った鉄管の開口部から中へ入りエアセメントミルクを充填し終え完全復旧したところです。エアセメントミルク充填は将来鉄管が腐食した際の道路の陥没防止対策だと思います。

水場バス停前・横浜水道局用地
久保沢道はこの三角形の横浜水道局用地に突き当り、左へ曲がって県道48号線に合流します。下の写真にあるようにこの用地内には四角いマンホールのエアバルブ弁室が2ヶ所、仕切弁弁室が1ヶ所ありました。今は撤去されてありません。意識してこうして探すと痕跡はあります。まさかここが横浜水道局の用地で大事な施設があるとははだれも気付いていないと思います。管理人がそうでした。さりげなく、ひっそりと存在するのが横浜水道諸施設の大きな特徴です。

エアバルブと仕切弁・大島水場バス停前
横浜水道エアバルブ弁室、仕切弁弁室。大島水場バス停前。
2012/1/19撮影。

大島水場・横浜水道みち
県道48号線に入り一筋目を西へ入り坂道を下ってT字路に突き当りました。見たことのある景色です。
電柱の下に大島水場のヤツボの看板が見えます。

横浜水道みち・大島水場
大島水場ヤツボの看板前です。本来の水道みちに戻りました。ここでも弁室撤去の復旧工事跡が見えます。

渓松園
その先の相模原市老人福祉センター渓松園に到着しました。
円筒形の建物で旧横浜水道大島送水井の建物をそのまま利用しています。昔この裏の崖下の相模川からポンプで揚水し川井浄水場へ送水していました。大島送水井が出来る以前は大島接合井と呼ばれていました。

渓松園トロッコの看板NO.4
渓松園入口のトロッコの看板。
NO.4 三井用水取入所からここまで7.5km。
現在地:旧大島送水井

トロッコの看板について詳しくは
導水線路「緑道プロムナード」の看板をご覧ください。
看板を辿ると創設時の水道みちを野毛山旧配水池(旧野毛山浄水場)まで行くことが出来ます。

大島坂
その先の大島坂へ来ました。100mほど直進してハイキング道に入り小倉橋へ向かうのが創設時の水道みちですが今日のタイトルは隠れ水道みちなので、右側の崖上の道を歩きます。この崖上の道は隠れ水道みちではないかと、管理人は睨んでおります。
創設時の水道みちは崖の中を縫うように通る細い道です。創設時の水道みち探訪は「其の5 大島から小倉橋へ」を参照願います。

大島の隠れ水道みち?
崖上の道です。左側の崖の中腹を創設路線が通っています。

創設期の横浜水道みち・大島
崖下を見ると創設路線が通っていました。

大島隠れ水道みち?
横浜水道境界杭(水色Yの字)クリックで拡大
さらに進むと左手に境界杭がありました。水道みちでよく見かけるおなじみの横浜水道局水色Yの字入り境界杭です。

横浜水道局用地・大島
その先の横浜水道局の用地まで来ました。崖と道路の間にあります。かって資材置き場として使われたのでしょうか。150m位に渡ってトロッコのレールが柵の杭として使われています。数えたら80本ほどありました。

横浜水道局の看板・大島 横浜水道局看板・大島クリックで拡大
敷地内にはこんな年季の入った看板が立っています。

横浜水道局用地スロープ入口・大島
用地内に崖の中腹を通っている水道みちに下りるスロープ状の道があります。これがその入口です。これから先は「其の5大島から小倉橋」を読むと話が繋がります。簡単に言うと久保沢道の110cm管と同じことで18吋、22吋管で目いっぱいの狭い路線に36吋管(910mm)は通せないのでこのスロープ状の道を切り開き、スロープを使って今通ってきた崖上の道に36吋管を敷設し大島接合井(現渓松園)まで通したのではないか? と管理人は想像しました。

おいおいdoushigawaさんよ!そりゃちょっと飛躍し過ぎじゃないのと思われる方はコメントをどうぞ。

道端の石造物・大島
通り道で見かけた路傍の石造りの神仏。相模原市大島にて。
左からお地蔵さんで首欠けです。庚申供養塔、馬頭観世音。右端は牛頭金剛手菩薩。上部に牛の顔が彫ってあります。裏面には明治43年4月1日とありました。102年前です。

新小倉橋・県道510号線
新小倉橋に到着しました。これより先、小倉橋の灌漑用水路橋の撤去については前回投稿いたしました。

今日は二つの隠れ水道みちを歩きました。二つ目は管理人の妄想かも知れませんが・・・。

今日のスタート地点相模田名高校付近の地図です。

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其の55 小倉橋の灌漑用水路橋

11月21日(水)晴れ、小倉橋の灌漑用水路橋のその後の様子を見に行きました。9月26日に新小倉橋下の県道510号線で「水路橋撤去工事」の看板を見つけ拙ブログ「其の38横浜水道みち短信」で発表しました。その後は横須賀水道みち探索にかかりっきりでしたがこのことは気になっていました。読者の方から11月14日朝には半分ほど撤去されていましたよとコメントをいただき、今日遅ればせながら見に行きました。

新小倉橋・県道510号線
自宅からウォーキングを兼ねた探訪です。相模川左岸崖上の道を北上しました。相模川に架かる新小倉橋まで来ました。奥の方にさがみ縦貫の工事中の橋脚2脚が見えます。どのようにして橋桁が架けられるかこれからが見ものです。

新小倉橋・県道510号線
県道510号線に架かる久保沢人道橋から新小倉橋を望む。
新小倉橋の下に灌漑用水路橋が通っています。正面の山は城山です。

小倉橋の灌漑用水路橋
まずは新小倉橋の歩道から下を通る県道510号線を撮りました。県道の道幅分の水路橋が見事に切り取られています。

小倉橋の灌漑用水路橋
残された水路橋です。

新小倉橋の崖道
久保沢人道橋を南へ渡り、こんな崖道を下って下の県道510号線へ出ます。途中、藪の中をウグイスがチャ!チャ!と鳴きながら動き回っていました。カメラに収めるのは動きが早すぎて無理でした。ちょっとしたハイキング気分が味わえました。

撤去された灌漑用水路橋
下の県道へ出ました。いつもの見慣れた水路橋が撤去されて見えません。

小倉橋・灌漑用水路橋
橋脚の左に水路橋の右岸側橋台へ上る仮設の階段が設けてあるのが見えます。残る水路橋も間もなく撤去されるでしょう。撤去工事の工期は平成25年3月15日までです。

小倉橋・撤去された灌漑用水路橋
県道の東側です。見事に切り取られています。

久保澤隧道の銘板
正面からアップで撮りました。なんと隧道に銘板が!
驚きました。水路橋の先は隧道で虹吹分水池へ向かっているのは知っていましたが、「久保澤隧道」という名前が付いていたとは。驚き桃の木です。今回の工事は水路橋の撤去工事で隧道部分は対象外だと思います。どうかこの隧道入口と銘板は残りますように・・・。

写真には写っていませんが久保澤隧道の銘板内の右端に昭和36年3月竣工と刻んでありました。今から51年前です。老朽化、耐震性などを考慮してまず一番に危害の及ぶ県道に架かる部分から撤去したようです。

水路橋の長さはPC水路橋L=54.0mです。
出典:相模原開発畑地かんがい地区一般平面図より。

小倉橋・灌漑用水路橋
これは谷津川右岸の水路橋西詰です。護岸にΦ300位の錆びた鉄パイプが添わせてあります。何回かこの辺を歩いているのですが、初めて気が付きました。パイプを下へ辿ると鉄パイプの端末は谷津川の水面より上でした。上記のかんがい地区一般平面図には谷津川右岸に土砂吐(どしゃばけ)という文字が見られます。多分この赤さびたパイプがその排水用パイプではないかと推定します。溢流水の排水も兼ねているのかも知れません。これも撤去されるのかな?

小倉橋・灌漑用水路橋
残された灌漑用水路橋。
谷津川右岸、廃橋の久保沢橋から撮りました。

撤去前の水路橋の写真です。2012/3/8に撮影しました。
最後の1枚は2012/9/26撮影。クリックで拡大します。
小倉橋・灌漑用水路橋 小倉橋・灌漑用水路橋 小倉橋・灌漑用水路橋

小倉橋・灌漑用水路橋 CIMG3056_convert_20130328214531.jpg
 

この辺りを散策する人なら誰でも目にする名物的な水路橋が無くなってしまいなんとなく寂しい感じがします。

水路橋撤去工事看板
近くにあった水路橋撤去工事の看板。発注者は神奈川県企業庁 相模川水系ダム管理事務所。

なおついでながら管理人はこの用水路の末端に近い藤沢市葛原で灌漑(かんがい)用水路の遺構を多数見つけました。横須賀水道みちを歩いていてたまたま見つけました。興味のある方は「其の52 横須賀水道みち10・・」をご覧ください。

横浜水道久保沢隧道水路橋
県道510号線の坂道を上って行くと二つ目の水路橋があります。横浜水道の水路橋です。久保沢隧道の水路橋部分で長さは40mあります。名前が奇妙に灌漑用水路橋と同じですがこちらは現役バリバリの水路橋で道志川系の水を2.0㎥/秒川井浄水場へ送り続けています。

久保沢隧道
中沢接合井から上大島接合井に至る
3,311mの隧道。高さ幅とも1.9mの馬蹄型
導水隧道で途中愛川~川尻県道横断立体交差部を
水路橋で渡り、上大島接合井付近の下流側は暗渠
を設けた。第3回拡張工事2期昭和16年竣工。
隧道:3,187m  水路橋:40.0m
暗渠:84.1m
横浜市水道局「横浜水道百年の歩み」より抜粋


上記は完成時のことでその後昭和40年城山ダムが完成し、中沢接合井は水没、久保沢隧道も一部(左岸から91m)が水没。それに伴い各施設の切り回し工事がダム完成前に行われました。水没する中沢接合井に代わり城山ダム左岸に第3接合井が新たに築造されR413の地下を隧道で潜り今の中沢中学の南辺りで久保沢隧道に接続されました。

横浜水道久保沢隧道水路橋
北側から見た久保沢隧道水路橋。久保沢隧道の上流方向はこちらから見ると神奈川県企業庁谷ケ原浄水場の地下を潜り城山ダム際にある神奈川県城山ダム管理事務所の方へ向かっています。

女瀧不動明王
久保沢隧道水路橋西詰めにあった女瀧不動明王の祠です。

モミジと欅の紅葉
神奈中バス久保沢バス停へ向かう途中、久保沢南公園で見た欅とモミジの紅葉。同じモミジの木でありながら赤く紅葉した葉っぱとまだ紅葉していない緑色との対比がが何とも言えないくらい味わい深かったです。写真ではうまく表現できません。

其の54 横須賀水道みち12・引地川から境川へ

横須賀水道みち探索探訪記の12回目です。
前回は藤沢市葛原から引地川右岸までを投稿いたしました。今回はその続きでそこから境川右岸までを投稿いたします。探訪したのは11月15日(木)晴れの日です。

横須賀水道引地川水管橋
引地川左岸から見た横須賀水道引地川水管橋です。有馬系Φ1,000mmと半原系Φ500mm2条が並んで渡っています。手前にススキの穂が出ています。

引地川左岸段丘・引地川水管橋下流
引地川左岸の急な段丘崖を上ります。上りきった道の西側に海の杭(海軍境界杭)が2本。2本目は状態が良く結構見ごたえがあります。ここは円行から亀井野に入っています。

海の杭(海軍境界杭)藤沢市亀井野 海の杭(海軍境界杭)藤沢市亀井野クリックで拡大

水道みち上の家庭菜園
水道みちの上が家庭菜園になっています。亀井野と天神町の境界辺り。畑の中に皇帝ダリアが咲いています。

皇帝ダリア
皇帝ダリア。我が家の近くでも6、7年くらい前から見かけるようになりました。それまではこんなでかい木のようなダリアは見たことがありありませんでした。

横須賀水道みち・天神3丁目信号付近
南東へ向かう横須賀水道みち。天神3丁目信号前。家庭菜園の延長線上にあるこの歩道の下を半原系と有馬系の2条の導水管が通っていると思われます。

横須賀水道みち・善行4丁目付近
善行4丁目付近の水道みち。広い直線道路が1.5km位続きます。こんな道をただ坦々と歩きました。

水道部境界杭
水道部の境界杭がこんなこんな風に使われていました。善行4丁目歩道脇にて。

小田急江ノ島線と交差・藤沢市善行
小田急江ノ島線の手前で広い道は右へカーブして水道みちから離れていきます。そのまま直進して小田急線と交差する横須賀水道みち。善行駅の北約1km付近です。

南東へ向かう横須賀水道みち・小田急江ノ島線東
小田急江ノ島線と交差して南東へ向かう横須賀水道みち。水道みちを境に東側が亀井野、西側が善行6丁目です。

南東へ向かう横須賀水道みち・善行、亀井野
その先の下り坂。坂下には必ず川が流れています。そしてまた上り坂になります。海老名から綾瀬そして藤沢とこのパターンの繰り返しです。それでも頑なに真っすぐ南東へ向かう横須賀水道みち。管理人もなんだか似てきました。それにしても水道みちには感心します。帝国海軍の威光ですね。そこのけそこのけ海軍様のお通りじゃ。

帝国海軍について横須賀水道100年史にこんな話が載っています。その要旨です。
海軍より先に中津川半原の水源に目を付けたのは横浜水道で取水地点まで特定していたそうです。ただ地元住民の反対で難航中でした。その後帝国海軍が水源調査を始めたと知り、横浜水道は機敏に方針転換を図りました。一方横浜水道には反対していた地元住民は海軍には協力し土地買収に応じたそうです。当時の帝国海軍とは自治体にとっても地元民にとっても、そうした存在であり、国民にとっては国防は第一義的な務めとされた時代だったのです。

海軍が中津川取水計画の現地調査を開始したのが明治40年(1907)です。その2年前の明治38年(1905)には日本海海戦で聯合艦隊はロシアバルチック艦隊を壊滅させております。当時はこんな時代背景でした。

今の日本の周辺の状況も似たようなものです。国防は第一義的に考えないと。特に国会議員は。などと管理人は愚考します・・・。
話が横道にそれました。水道みちに戻ります。

横須賀水道みち・善行6丁目
坂下の川に架かる橋の手前まで来ました。右側のフェンスで囲われたのは横須賀水道局の泥吐弁施設です。

泥吐弁の杭クリックで拡大
フェンス内に泥吐弁の杭が立っていました。導水管内に溜まった泥や砂をこの川へ流すための施設でしょうか。

川と交差する横須賀水道みち・善行6丁目
いつものように橋の下を覗いてみました。導水管が見えます。川の流れはありません。フタをして暗渠(あんきょ)化したようです。

橋の下を潜る導水管・善行6丁目クリックで拡大
導水管部アップです。地表から2m位のところに鉄橋が架けられΦ1,000の導水管とその奥には錆色のΦ500の鋳鉄管が添架されています。

仕切弁マンホール 空気弁マンホールクリックで拡大
橋の近くにあった仕切弁マンホールとその先の坂上にあった空気弁マンホール。

海の杭(海軍境界杭)善行6丁目
海の杭(海軍境界杭)。引地川左岸以来の海の杭です。畑や土手の上には結構残っていますが、町中では貴重です。

横須賀水道みち弁室・立石2丁目信号付近
県道467号線、立石2丁目信号付近で見つけた弁室。奥に見える円筒形のものはなんでしょう?

海の杭(海軍境界杭)・立石1 海の杭(海軍境界杭)・立石1 海の杭(海軍境界杭)立石1クリック拡大
その先の土手上の畑に海の杭が3本続けて並んでいました。波入り海軍境界杭です。

境川へ向かう横須賀水道みち・立石1
上りがあれば下りがある。いつものパターンです。下ったところに境川が流れています。立石1丁目付近。

横須賀水道境川水管橋
横須賀水道境川水管橋です。あれ!導水管が1条しかない!
有馬系統のΦ1,000mmだけです。半原系統のΦ500mmは?

横須賀水道境川水管橋
半原系Φ500mmの痕跡が残っていました。昇降階段の左側に立ち上がっていたようです。

横須賀水道境川水管橋
見上げて撮りました。有馬系のΦ1,000、中央に歩廊、その左に半原系のΦ500が添架されていました。平成20年(2008)発行の横須賀水道100年史には大小2条で渡る境川水管橋の写真が載っています。前述のように平成18年(2006)4月に半原系統の取水は休止されました。中津川半原取水口付近の水質の回復は見込めないと判断してΦ500mmは最近になって撤去したようす。

横須賀水道境川水管橋
下流の大清水橋から境川上流を望む。境川水管橋の遠景です。

今回はここまでです。次回は境川左岸からスタートし逸見浄水場を目指します。

本探索探訪記では下記図書を参考にしております。

・横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」
 平成20年(2008)12月25日発行
・横須賀市水道局「―豊かな水へのあゆみ―
 横須賀市水道施設写真集」 昭和58年3月31日発行

今回のスタート地点引地川水管橋付近の地図です。

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其の53 横須賀水道みち11・葛原から引地川まで

横須賀水道みち探索探訪記の11回目です。
11月15日(木)晴れ、横須賀水道みち半原系統と有馬系統の合流点の藤沢市葛原から境川右岸までを歩きました。今回はその内の葛原から引地川右岸までを投稿します。

長後駅より富士山を望む
この日の天気予報は晴れ。12月並みの寒さで日中の予想最高気温は15℃。富士山も大山もくっきり望めました。寒いくらいの方が歩くにはちょうどいいです。小田急江ノ島線長後駅から見た富士山です。相模原市からは丹沢の山々が目前にあり日頃見ることは出来ません。湘南の人はいいですね~。晴れればいつも見られて。

横須賀水道みち・藤沢市葛原新幹線南
長後駅で神奈中バス吉岡工業団地行に乗車し天沼で下車。
付近を通る水道みちに入りました。
新幹線ガードを南に潜って南東へ向かう横須賀水道みち。
この地点で有馬系統の導水管が水道みちに加わり2条の
導水管が並列して横須賀へ向かっています。

相模原畑地かんがい用水路遺構
水道みち沿いにあった相模原畑地かんがい用水路に使われた水路溝。今は使われなくなり道沿いに並べてあります。相模原畑地かんがい用水路の遺構については前回投稿しました。

海の杭(海軍境界杭・波マーク入り)
今日初めての海の杭(海軍境界杭・波マーク入り)です。以前綾瀬市吉岡でフルサイズの杭を見ました。約20cm角で長さは約90cmあります。以下は葛原地区で見つけた海の杭です。状態は千差万別です。クリックで拡大します。

海の杭(海軍境界杭・波マーク入り) 海の杭(海軍境界杭・波マーク) 海の杭(海軍境界杭・波マーク入り)

海の杭(海軍境界杭・波マーク) 海の杭(海軍境界杭・波マーク) 海の杭(海軍境界杭・波マーク)

海の杭(海軍境界杭・波マーク) 海の杭(海軍境界杭・波マーク)

横須賀水道みち・藤沢市葛原
県道42号線付近の横須賀水道みち。上流(綾瀬、海老名)方面を望む。

水道部の杭
これは途中で折れた水道部の境界杭で、頭はYの字入り。Φ3位の鉄筋が入っていました。県道42号線付近の水道みちにて。

空気弁のマンホール
県道22号線を渡ったところにあった空気弁マンホール。
広い道路の前後や坂の上でよく見かけます。

県道22号線付近通行止め
県道22号線を横断し県道沿いの神奈川県内広域水道企業団葛原供給点の奥で水道みちは通行止めです。

横須賀水道みち・藤沢市石川
大きく迂回し水道みちに戻りました。ここは藤沢市石川。
バス停加温処理場前付近です。

塀の一部になった海の杭
その先で見つけた海の杭。海の杭が塀の一部になっています。
忍者のように塀の一部に溶けこんでいます。
下がアップ写真です。クリックで拡大します
海の杭(海軍境界杭・波入り)

横須賀水道みち・桐原工業団地内
桐原工業団地内を通る横須賀水道みち。道路より一段高いところを通っています。建設重機が入って何やら工事をやっています。上流方向を見る。

上下水道局工事看板クリックで拡大
その先にあった横須賀市上下水同局の工事看板です。
「有馬・半原系管理用地土留改良工事」とありました。

横須賀水道・引地川水管橋
馬渡橋の下流にある引地川水管橋の西詰めまで来ました。
半原系と有馬系導水管2条が並んで引地川を渡っています。

横須賀水道引地川水管橋
下流から見た引地川水管橋。
横須賀水道局発行(昭和58年)の横須賀市水道施設写真集にこの水管橋のカラー写真が載っています。説明文を引用します。
引地川水管橋
(昭和44年完成・・・藤沢市円行)
有馬系Φ1,000mm鋼管(半原系Φ500鋳鉄管は伏越)

当時は有馬系だけが水管橋で渡り、半原系は伏越で川底を潜って渡った事、その後の改修工事で今の形になったことが分かります。

引地川のマガモ
今回も鳥の写真を撮りました。マガモのペアが2組餌を探していました。一羽はフレームの外にいます。もうカモが飛来しているのですね~。この秋初めて見ました。そういえば10日位前に我が家の近くでジョウビタキをを見ました。冬鳥がどんどん渡って来います。今のカメラでは頑張ってもこれが限界です。近頃は水道みちを歩き回る度に鳥の写真を撮っています。小鳥用の望遠のきくカメラが必携になりました。

引地川の取水口
引地川水管橋の少し下流にあった取水口。灌漑用水の取入れ口でしょうか。青色の水門巻上機を見るとついつい目が行ってしまいます。取水口は水面から2~3m位のところにあります。引地川は浅い川できれいな水がさらさらと流れています。地図で上流へ辿ってみました。厚木飛行場の東から更にその先は大和市の森の泉公園に至りそこが源流のようです。

引地川の堰
取水口から30~40m位下流です。護岸に三角定規のような色違いの部分があります。水面を三角形の底辺、護岸の高さを三角形の高さとすると斜辺(40°位)部にスリットが切ってあります。角落としと言っていいかどうかわかりませんが、水圧に耐える板状のものをスリット溝にはめ込んで行けば堰になると想像します。対岸から見たらこちら側(右岸)にもスリットが切ってありました。三角形の高さ方向にも何か仕掛けをして補強するかもしれません。おそらくこれより上流は小さな湖のようになっていると思います。斜辺より上流側に貯めた水面跡がはっきり残っています。水跡を取水口まで辿るとばっちり合っています。これなら取水出来ますあれこれ想像するのも面白いですが、来年の灌漑用水の需要期に見に来ればわかることです・・・。

横須賀水道みち探索から脇道へそれてしまいました。
引地川右岸から先は次回投稿いたします。

横須賀水道みちの初回で述べましたが本探索探訪記では下記図書を参考にしております。

・横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」
 平成20年(2008)12月25日発行
・横須賀市水道局「―豊かな水へのあゆみ―
 横須賀市水道施設写真集」 昭和58年3月31日発行

今日のスタート地点藤沢市葛原天沼付近の地図です。

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其の52 横須賀水道みち10・相模原畑地かんがい用水路の遺構

11月15日(木)晴れ、横須賀水道みち半原系統と有馬系統合流点の藤沢市葛原からその先境川右岸までを探索しました。スタート直後の葛原で思いもよらない相模原開発畑地かんがい用水路の遺構を多数見つけました。
神奈川県営の畑地かんがい事業については横浜水道みちを歩いた時に、虹吹分水池や「畑地かんがい事業の碑」を見たり、9月には小倉橋でかんがい用水の水路橋撤去工事の看板を見たりと浅からぬ縁があります。今回は今日見たかんがい用水路の遺構について投稿いたします。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
まず初めに目についたのがこれです。使われなくなった水路管が水道みち沿いに並べてあります。管というより溝ですね。コンクリート製で断面はこのように半円です。ここは藤沢市葛原。横須賀水道みちの新幹線ガードを南に潜った辺りです。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
その傍の畑に桝がありました。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
桝の先の農道を奥へ進むと敷設された状態のままの水路が遺されてました。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
これは水道みちの西側にあったコンクリート製の施設。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
上の写真の南側です。用水路は北から南へ流れていますので下流側になります。どんな機能を果たしていたかは?です。左側は牛舎です。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
傍にあったこれは形状からみて水路溝の支持台ですね。

以下の写真はすべて南西へ向かう用水路です。
新幹線南から南東へ約1kmの間の水道みちで撮りました。
相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
これは上の写真の南から見たところです。水路溝を支える支持台が写っています。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
こちらでも支持台が写っています。手前にYの字横須賀水道局の境界杭が見えます。こうして見ると横須賀水道みち沿いに幹線用水路が通じていてそこからこのような施設を介して畑に配水していたようです。ただ今一理解が出来ないことは虹吹分水池からこの辺りまで自然流下で送られて来たはずで、上の写真にあるように各畑への配水(分水)施設は地表より一段高くなっています。幹線用水路と配水(分水)施設との接続方法と形、流量調整の方法。このことが良く分かりません。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
これは横須賀水道みちの上流(綾瀬・海老名方面)を見たところです。西側に水路溝と支持台が転がっています。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
これは水道みち西側にあった桝です。手前と水道みちと交差する道を挟んで奥にも桝があります。

相模原畑地かんがい水路・藤沢市葛原
同じところを東側から見ました。車止めの南と北に桝があります。こんなところにも伏越が・・・。とやや驚いた管理人です。多分、北側の桝が呑口桝(のみくちます)、南側が吐口桝(はけくちます)だろうと思います。今日見た遺構はざっとこんなところです。

虹吹分水池の畑地かんがい事業の碑によるとこの事業は昭和23年に起工し昭和38年に完成しています。水路延長は県営事業の共用導水路、東西幹支線、排水路93,300m、団体営事業支線水路71,200mに及びます。3市3町、2,700ヘクタールの畑地にかんすいし地域農民の経営改善と食糧増産に寄与するためなどと記してあります。

手元にある相模原開発畑地かんがい地区一般平面図を見ると虹吹分水工の東にある東西分水で分かれた西幹線という幹線用水路があります。それを南に辿ると西大和支線、御所見支線で分水した後ちょうど今日見た葛原では横須賀水道みちと約1kmに渡って重なって南下しています。その後は約1.5km先にある藤沢排水で終わっています。

東西分水は現相模原ゴルフクラブ内に現存し相模原市登録有形文化財(建造物)になっています。


今回登場した畑地かんがい事業の碑の碑文全文は
「其の23 菖蒲園と相模原沈澱池②」2012/6投稿

小倉橋の畑地かんがい水路橋については
「其の7 小倉橋から谷ケ原浄水場外周道まで」2012/3投稿

同水路橋の撤去については
「其の38 横浜水道みち短信」2012/9投稿
で触れています。

今日は思わぬものをたくさん見ることが出来て良かったです。
次回は横須賀水道みち11を投稿いたします。

其の51 横須賀水道みち9・有馬系統水道みち・葛原から社家へ

11月8日(木)、半原系統の水道みち海老名市大谷から藤沢市葛原の新幹線交差地点まで歩きました。今回はそこから有馬系統の水道みちを有馬浄水場へ、さらに社家取水所までを探索探訪します。

有馬系の水道みち・新幹線高架下
これは有馬系統の水道みちで新幹線南側から見たところです。この背後で半原系統の水道みちへ加わり半原系統の導水管と並行して横須賀へ向かっています。前方は西方向へ一直線に有馬浄水場へ向かっています。管理人はこのガードを潜り西へ向かいました。時刻は14時をすこし過ぎていました。

有馬系統水道みち・藤沢市葛原
農道のような水道みち。下流の半原系統合流点方面を望む。藤沢市葛原にて。

有馬系統水道みち・葛原吉岡境界付近
こんな森の中を抜けました。綾瀬市吉岡と藤沢市葛原の境界付近です。

有馬系統水道みち・吉岡葛原境界付近
同じく綾瀬市吉岡と藤沢市葛原の境界付近です。下流方向を望む。有馬浄水場の立ち入り禁止看板が立っています。恰好のハイキングコースといった感じです。

水道部境界杭
途中で見つけた境界杭。頭に横須賀のYの字、正面は水道部、側面に3と刻んであります。側面の数字入りは初めて見ました。大きさは20cm角位。

水道部境界杭クリックで拡大
少し離れた所にあった別の杭です。こちらは数字が2.5です。引き抜かれて転がっています。サイズは20cm角、長さは90cm位。前回吉岡で見た海の杭と同サイズです。側面の数字は有馬浄水場からの距離(粁程)を表していると思います。

有馬系統水道みち・弁室
森の中の水道みちで見つけた弁室? 横浜水道みちで見たエアバルブ弁室とよく似ています。半原系統との合流直前、中原街道沿いなど有馬浄水場までに5ヶ所位見つけました。サイズは2m角、高さは1m位で上にマンホールが1ヶ所あり。

謎の鉄パイプ・中原街道沿い弁室脇
これは中原街道沿いの弁室の傍らにあった鉄パイプ。径180位。径500の鋳鉄管のような錆色です。水道みち上にあるので有馬系統の何かの施設か、全く関係のないただのパイプかも知れません。それにしてもいったいなんだろう。気に掛かる。

有馬系統水道みち・藤沢市用田
中原街道を横断し西へ向かう水道みち。藤沢市用田。
これはもう水道みちと言うよりハイキングコースです。

有馬系統目久尻川水管橋
丘を抜け平坦地へ下りてきました。目久尻川水管橋です。
目久尻川左岸が藤沢市用田、右岸は綾瀬市吉岡。
有馬系統Φ1,000mm鋼管。昭和48年完成。
横須賀水道・目久尻川水管橋クリックで拡大
下から見るとこんな風になっています。2本管です。

有馬系統水道みち・弁室
目久尻川右岸の段丘崖を上ったところにあった弁室。
写真奥が段丘崖です。

有馬のハルニレクリックで拡大
県道406号線沿いにある有馬のハルニレを見に行きました。
ハルニレは通称ナンジャモンジャと言われています。
神奈川県指定天然記念物です。樹高20m、根回り13.8m。

神奈川県教育委員会設置の説明看板です。
有馬のハルニレ説明看板クリックで拡大

横須賀水道有馬浄水場
有馬のハルニレから水道みちへ戻り、1km先の有馬浄水場に着きました。日が西へ傾きあいにく逆光線になりました。日没寸前です。急いで先へ向かいます。

有馬系統は昭和14年ごろ新たな軍港水道として海軍が建設を始め、完成したのは横須賀市が引き継いだ戦後の昭和20年11月です。横須賀水道100年史には
建設当時の有馬系統については、詳細なことは今なお不明
な点が多くあります。軍の機密に属する施設だったため、連合国軍の進駐を控えた終戦時、旧軍当局の命令により関係文書や図面が焼却されたからです。そのため着工も昭和14年ごろと伝えられるにとどまり・・・
と書かれています。秘密のベールに包まれています。

社家取水口から来た導水管
有馬浄水場の西側を流れる永池川まで来ました。
社家取水口から来た原水の導水管。永池川を水管橋で渡り前方の丘の上にある有馬浄水場へ向かっています。

相模川左岸用水路と交差クリックで拡大
導水管路上を辿ってさらに西へ向かいました。途中交差した相模川左岸用水路。農閑期を利用したメンテナンス工事中でした。

有馬系統水道みち・海老名市中河内
社家取水口から有馬浄水場に通じる水道みち。有馬浄水場の建物が電信柱の間に見えます。

ゴイサギ・海老名市中河内の排水路にて
今日も偶然、鳥の写真を撮りました。排水路の橋の下を観察しようと下を見たら鳥が羽繕いをしていました。こちらに気づいたところをガシャ!フラッシュに驚いて橋の下へ飛んでいきました。帰って図鑑で調べたらゴイサギでした。
橋の下に導水管が通っていました。黒っぽくて径も分からず現役の導水管か否かは分かりません。海老名市中河内にて。

富士山・海老名市中河内
富士山も撮りました。私が住んでいる相模原市は目の前に丹沢の山々があり日常は富士山を見ることは出来ません。

横須賀水道局社家導水ポンプ所
17時少し前、横須賀水道局社家導水ポンプ所前に到着。薄暗くて中の様子は良く分かりません。事務所のようです。
門の中に水利使用標識が立っていました。取水量0.916㎥/s。日量に換算すると79,000㎥/日です。毎日これだけの水を有馬浄水場へ送り続けているという事です。

相模川に架かる水管橋海・老名市社家
横須賀水道局社家導水ポンプ所前より西方を望む。
相模川に架かる水管橋が見えます。上部は工事中のさがみ縦貫です。今日は日没ぎりぎりにゴールインしました。相模大堰、取水口など他にも見所がありますので後日再訪することにします。
帰宅後施設間の距離を測りました。
半原系統合流点→有馬浄水場 約3.1km
有馬浄水場→社家導水ポンプ所 約2kmでした。

藤沢市葛原の地図です。

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其の50 横須賀水道みち8・東名高速から葛原へ

横須賀水道みち半原系統を巡る探索探訪記の8回目です。11月8日(木)晴れ、海老名市大谷から藤沢市葛原の新幹線交差地点まで歩きました。前回は海老名市大谷から東名高速まで投稿しました。今回はその先藤沢市葛原の新幹線との交差地点までです。

釜坂川源流
東名高速の吉久保橋の先は下り坂で国分寺台第4児童公園の辺りで上り坂になります。奥のフェンスが水道みち沿いのフェンスできつい上り勾配です。川は第4児童公園と水道みちの下から現れた釜坂川。下流は永池川に合流して有馬浄水場の西を流下しJR相模線倉見駅の西で相模川に注いでいます。

ヨコスカ杭
大谷南5丁目で見たヨコスカ杭。カタカナ文字の境界杭は初めて見ました。

杉久保北3・長い上り坂
第4児童公園から続いている長い上り坂。導水管はこの歩道下を通っています。

三体地蔵堂
上り坂の頂上付近にあった三体地蔵堂。子育地蔵尊、知徳地蔵尊、延命地蔵尊が祀られています。中にお参りの仕方が書かれた紙が貼ってありました。

県道406より横須賀水道みち上流を望む
坂上の県道406号線(八王子街道)から横須賀水道みちの上流を望む。一直線の道の奥は東名高速の吉久保橋。遠くの山々は水源地のある半原の辺りでしょうか。

県道406号線から横須賀水道みち下流を望む
県道を渡ると綾瀬市です。坂上から下流方面を望む。上りがあれば下りがある。下ったところに目久尻川が南北に流れています。川を橋で渡ってまた丘を上ります。

野を越え丘を越え川を越えそれでも一直線に南東へ向かう横須賀水道みち。道に迷うこともなく非常に分かりやすい道です。今のところここまでは。

ヨコスカ杭と海の杭
目久尻川までに見つけたヨコスカ境界杭と海の杭。
付近にあと2本ありました。

海の杭(海軍境界杭) 海の杭(海軍境界杭) 500仕切弁マンホール←クリックで拡大
右端は目久尻川直前にあった500の仕切弁マンホールです。 

目久尻川を渡る導水管
堀之内橋に添って架けられた橋で目久尻川を渡る導水管。ここでは鋳鉄管のような継ぎ目がなく鋼管が使われているようです。

堀之内橋から目久尻川上流を望む。
堀之内橋から目久尻川上流を望む。この写真にあるように目久尻川にはサイクリングロードが整備されています。南北に流れているのでいろいろな水関係施設が東西に横切っています。水源から河口へ、あるいは逆にサイクリングロードを歩いてみるのも面白いかもしれません。カワセミが見られるかも知れません。

横須賀水道みちの車止め
堀之内橋を渡って切通しの坂道を上って行く途中にありました。なんじゃこれは! 強烈な違和感あり。人はそのまま奥まで行って左側の階段で上に上がれます。上がったところが坂道の頂点です。突き当りは車止めのようです。左右のコンクリート壁は土砂崩れ防止かな?

海軍境界杭波マーク入り
吉岡で見つけた海の杭(海軍境界杭・波マーク入り)。びっくりしました。水道みち沿いの道端に転がっていました。サイズは20cm角、長さは90cm位。フルサイズの杭を初めて見ました。このまま放りっぱなしにするのもあれなので翌日の9日に上下水道局へメールで通報しておきました。

横須賀水道みち・綾瀬藤沢境界付近
その先は何事もなく真っすぐな水道みちを坦々と歩きました。舗装道路が農道のような道になります。綾瀬市と藤沢市葛原の境界付近です。

横須賀水道みち・新幹線と交差
そのまま直進したらここへ出てきました。水道みちは新幹線の高架下を潜ります。

南東へ向かう横須賀水道みち・新幹線南側
新幹線を潜り抜けて南東へ向かう横須賀水道みち。
この地点で西から来た有馬系統の導水管が半原系統の水道みちに加わります。ここからは2本の導水管が並列して横須賀へ向かいます。

有馬系の水道みち・新幹線高架下
これは先ほど潜った半原系統水道みちの50m位西の高架下を通る道です。真っすぐ西へ向かっています。その先に有馬浄水場があります。有馬系統の水道みちです。いつものように末尾に地図を付けました。地図を見れば一目瞭然です。

波マーク入り海の杭・新幹線付近 波マーク入り海の杭・新幹線付近クリックで拡大
新幹線を挟んで北側と南側で見つけた波マーク入り海の杭(海軍境界杭)。もうおなじみになってしまいました。これから先いくつ見つけられるか楽しみです。

コスモス・藤沢市葛原にて
最後に元気いっぱいに咲くコスモスを見つけました。藤沢市葛原にて。14:11撮影。

この後管理人は時間的に微妙だったのですが有馬系統の水道みちを西へ辿りJR相模線社家駅へ向かいました。もちろん有馬浄水場や社家取水所を探訪した上での事です。
これについては次回投稿いたします。

11月8日(木)の出発地点海老名消防署付近の地図です。

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其の49 横須賀水道みち7・大谷から東名高速まで

横須賀水道みち半原系統を巡る探索探訪記の7回目です。
11月8日(木)晴れ、海老名市大谷から藤沢市葛原の新幹線交差地点まで歩きました。今回と次回の2回に分けて投稿いたします。前回は海老名消防署前の相模川左岸用水路との交差地点まで来ました。

相模川左岸用水路と交差する横須賀水道みち
相模川左岸用水路と斜めに交差する横須賀水道みち。
水道みちの上はレンガブロックが敷かれ緑道になっています。左奥の上流方向から南東へ向かっています。
相模川左岸用水路上の「水と花と緑のこみち」から撮りました。ここは海老名市大谷、奥の建物は海老名消防署です。

水と花と緑のこみちの案内看板
これは「水と花と緑のこみち」の案内看板の一部です。
相模川左岸用水路の断面も描かれています。遊歩道の地表から水路の基礎底部まで2.5~3.0mはありそうです。
横須賀水道100年史を読むと海老名耕地では送水管の埋設深度が3m以上に及ぶため、つねに地下水の湧出にも悩まされました。とあります。
厚木市関口のさがみ縦貫インターチェンジ工事現場で見た導水管は地表から1m位の浅いところに埋設されていました。この相模川左岸用水路との交差は導水管が用水路の基礎の下を潜っているようです。もし関口のように浅い所であれば後年に完成した左岸用水路は逆に水道みちの下を伏越で潜ることになったと思います。管理人の想像ですが・・・。
前回見た海老名総合病院の東、中央排水路との交差では深さ3mの導水管を避けるため排水路は伏越で潜らざるを得なかったと想像します。埋設深度3mを知り疑問が解けました。

相模川左岸用水路交差地点から下流を望む
相模川左岸用水路交差地点から下流を望む。真っすぐ南東へ向かっています。

東部排水路・KKアツギ本社南側
進行方向南側に突然出現した川。東部排水路です。
地図を見るとKKアツギの北で地図から消え南で出現しています。北側へ見に行きました。厚木ナイロンバス停近くで潜っていました。水量が少なく断定できませんが伏越だと思います。この写真は南へ回り込んで撮りました。
正面奥のフェンスの向こう側を左右に水道みちが通っています。伏越の吐口らしく水深がありそうです。メダカのような小魚が群れて遊んでいました。

いつものように末尾に地図を付けましたので参照下さい。

横須賀水道みち・大谷北3大谷南2辺り
平坦地から丘にかかりました。真っすぐに切通しを上ります。
この丘は地図を辿ると横浜水道相模原沈澱池や相模原公園がある大昔に相模川が作った相模横山と呼ばれる河岸段丘が南に延びている台地だと分かります。水道みちを境に左側が大谷北3丁目、右側が大谷南2丁目に分かれています。

海の杭・海老名市大谷北3
大谷北3丁目で見た海の杭(海軍境界杭)と水道局の杭2本。

海の杭(海軍境界杭)・大谷北3 海の杭・海老名市大谷北3クリックで拡大
付近にもう一本ありました。これからも見つけた海の杭は全て載せるつもりです。

丘の上から水道みち上流を望む
上り坂の頂上付近から水道みち上流方向を望む。
マピオンで測るとこの辺りで標高51mです。坂下で20mでした。右側の土手上は畑になっています。そこに海の杭が3本並んでいました。

海の杭・海老名市大谷北3 海の杭・海老名市大谷北3 海の杭・海老名市大谷北3←クリックで拡大 
波マーク入り海の杭(海軍境界杭)は厚木から海老名に入った上郷で初めて見つけました。以来ずうっと波マーク入りばかりでそれがが当たり前になってしまいました。
愛川町や厚木市下川入で見た波マークなしの海の杭がなんだか懐かしくなってきました。どちらが珍しくて貴重なのかはまだわかりません。 

東名高速・吉久保橋
東名高速道路に架かる橋の直前まで来ました。橋の名前は吉久保橋。

横須賀水道みち・吉久保橋
東名高速に架かる横須賀水道みちの吉久保橋。
導水管は橋桁の中を通ります。ここから目にすることはできません。

吉久保橋上の横須賀水道局マンホール
導水管を見ることは出来ませんが、橋上にこんなマンホールが3枚ありました。マンホールのふたを開けるとそこには何が見えるでしょう? 径500mmの導水管とそれに取り付けられた空気弁かな?
橋上から南西方向を見ると海老名SAが目の前でした。

今回はここまでとします。次回はこの先の藤沢市葛原の新幹線との交差地点までを投稿いたします。

横須賀水道みちの初回で述べましたが本探索探訪記では下記図書を参考にしております。

・横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」
 平成20年(2008)12月25日発行
・横須賀市水道局「―豊かな水へのあゆみ―
 横須賀市水道施設写真集」 昭和58年3月31日発行

今回のスタート地点海老名消防署付近の地図です。

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其の48 横須賀水道みち6・金田から大谷へ

 前回からの続きで横須賀水道みちの6回目です。
前回はあゆみ橋の手前で終わりました。

じょうばしの碑
これはあゆみ橋西詰のたもとにあったじょう橋の碑です。厚木市が建てました。
相模橋のことを言う。れっきとした名前がありながら庶民の思いにより愛称されたじょう橋。昔は渡船で渡ったが明治末期に常設橋が架かり、常に在る橋、常に渡れる待望の橋、そんな思いから自然に言い伝わってきたロマンを秘めた橋。現在はあゆみ橋。碑文より。

あゆみ橋
あゆみ橋を西(厚木市)から東(海老名市)へ渡りました。

中津川河口・相模川左岸より
あゆみ橋を渡り海老名市に入り、相模川左岸沿いを上流へ歩きました。対岸に中津川の河口が見えます。左からは小鮎川が合流しています。橋は前回渡った第一鮎津橋です。

サイクリングロード
さがみ縦貫が建設工事中で所々迂回路を進みました。
途中通ったサイクリングロード。この先の上流にある相模三川公園に通じています。

横須賀水道・上郷水管橋
水管橋が見えてきました。相模川左岸から見た上郷水管橋です。

横須賀水道・上郷水管橋東詰
横須賀水道上郷水管橋東詰より上流(北西方向)を望む。
上郷水管橋
相模川右岸:厚木市金田~相模川左岸:海老名市上郷。
橋長497m。導水管は内径500mmの鋳鉄管。大正10年完成。


上郷水管橋東詰より下流を望む
上郷水管橋を背に横須賀水道みち下流方向を望む。
真っすぐ南東へ向かっています。

横須賀市水道部境界杭 横須賀市水道局境界杭クリックで拡大
前回の関口金田間では3、4本しか見かけなかった境界杭がぞろぞろと出てきました。左が「水道部」右が「水道局」の杭。
海老名市上郷1丁目にて。大きさは15cm角位です。

海の杭(波入り)
同じく関口金田間では1本もなかった海の杭です。
水道みちの左右に眼を配って歩いたのですが、見落としたかも知れません。とにかく久しぶりの海の杭です。
愛川町中津、厚木市下川入の杭とは書体が違うし海の文字の上に波のマーク?が入っています。その違いの意味するところは分かりません。どちらも「海軍境界杭」であることは間違いないと思います。大きさは20cm角位で横須賀市の境界杭よりは大きめです。
海老名市上郷1丁目にて。近所にあと2本ありました。

海の杭・海軍境界杭(波入り) 海の杭・海軍境界杭(波入り)クリックで拡大

横須賀水道みち・県道51号と40号の間
県道51号線を斜めにわたり40号線へ向かう水道みち。

宅地開発工事現場・県道40号線沿い
県道40号線とJR相模線を渡ったところで住宅用地の開発現場に突き当たりました。開発工事が完成したら水道みちの部分は緑道になるのでしょう。前進できず、迂回します。

畦道の海の杭(海軍境界杭)
小田急線高架橋手前、水道みち右側の田んぼです。
畦道に打ってある海の杭(海軍境界杭)を見つけました。
海の杭・海軍境界杭(波入り) 海の杭・海軍境界杭(波入り)クリックで拡大

中央排水路・海老名総合病院沿い
横須賀水道みちは小田急高架橋下を抜けその南の海老名総合病院の敷地内をかまわず真っすぐに南東へ向かいます。管理人は迂回をして病院の東側沿いを南北に流れる中央排水路へやってまいりました。中央排水路下流を望む。右側(西側)が海老名中央病院です。

中央排水路を渡る水道みち
中央排水路を斜めに渡る横須賀水道みち。排水路の向こうからは海老名市が整備した緑道になります。レンガブロックが敷いてあります。

ここで思わぬ発見がありました。径500mmの導水管はこの橋の下を水管橋で渡るものと思い込んでいたのですが念のため橋桁の下を覗いてみました。

中央排水路に架かる橋
これがその写真です。橋の下に500mmの導水管が見当たりません。おまけに護岸の高さが3m近くあるのに写真のように地表から1mのところが一面コンクリートで覆われています。

伏越呑口桝
上流へ戻ってよく観察したら解けました。
ペットボトルがいっぱい浮いているのが伏越呑口桝(ふせこしのみくちます)で、中央排水路は横須賀水道の導水管の下を潜っていることが分かりました。

伏越吐口
橋の下流側です。コンクリート板の下が伏越吐口桝(ふせこしはけくちます)です。水は湧水のようにきれいです。水量が少なく吹き上がってはいません。多数の鯉がゆうゆうと泳いでいました。

径500mmの導水管だから水管橋で渡れば費用も安く上がるのになぜこのような形にしたかは?です。500mmの鋳鉄管以外に何か重要なものが通っているのでしょうか。素人には考えが及びません。とはいえ、伏越マニアの管理人にとっては想定外の嬉しい発見でした。

カワセミの写真↓
中央排水路のカワセミクリックで拡大
探索中にカワセミが上流から下流へ、下流から上流へと行き来していました。運よく目の前の護岸に止まってくれたので急いで撮りました。ペットボトルが浮いているのにカワセミが棲めるようなきれいな川なんですね・・・。餌になる小魚もたくさん棲んでいるのでしょう。地図を見ると下流は貫抜川放水路に合流しています。カワセミがばっちり撮れるようなカメラが欲しくなりました。

横須賀水道みち・海老名消防署付近
水道みち沿いに咲くキバナコスモス。海老名消防署付近。

横須賀水道みち・大谷海老名消防署付近
見覚えのある道に出てきました。今年9月に相模川左岸用水路の貫抜制水門を訪ねたときに通りました。左岸用水路は画面の車道の手前を暗渠水路で北から南に流れています。
ここは海老名市大谷の海老名消防署の南側です。水道みちは斜めに交差して綾瀬の方へ向かいます。今日は予定通り大谷まで来ました。この続きは次回投稿いたします。

上郷水管橋西詰付近の地図です。

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其の47 中津川のカワラノギク

 11月2日(金)晴れ、午後から相模原市の隣町、愛川町田代へカワラノギクを見に行きました。カワラノギクは相模川水系の在来種で、昔は石ころ河原では普通に見られたそうです。上流に出来たダムにより生育環境が変わり今では絶滅危惧種に指定されている珍しい花です。こんなことをニュースで知り早速行って来ました。

愛川町田代・カワラノギクまつり
県道54号線田代バス停から中津川に架かる平山橋まで歩きそこから中津川左岸堤防上を上流へ10分ほど行った河原にあった「カワラノギクまつり」の案内看板。

愛川町田代・カワラノギクまつり
河原の中にこんな道が切り開かれています。

愛川町田代中津川河原のカワラノギク
案内看板からゆっくり10分位歩いたところにありました。
石ころ河原が再現され群生するカワラノギクです。

愛川町田代中津川河原のカワラノギク

愛川町田代中津川河原のカワラノギク

愛川町田代中津川河原のカワラノギク

愛川町田代中津川河原のカワラノギク
花径は4cm位。うす紫色の可憐な花です。
まだ開花前で蕾だけの株もありました。まだしばらくは見られそうです。
良いものを見せていただきました。NPO法人愛・ふるさとの皆さんありがとうございました。

中津川平山橋
中津川に架かる平山橋。帰路バス停へ行く途中に撮りました。

中津川に架かる平山橋
平山橋全景です。

中津川平山橋北詰
平山橋北詰です。平成15年すぐ下流に平山大橋が出来、今は人道橋として使われています。
大正2年左岸側3分の一が鉄橋、残りが木製の橋で開通しました。全てが鉄製の橋になったのは大正15年になってからだそうです。また登録有形文化財にもなっています。
(案内看板による)

右岸側にかながわの橋100選の銘板が貼ってありました。

平山橋案内看板 平山橋登録有形文化財クリックで拡大
左岸の橋のたもとの愛川町教育委員会が建てた案内看板と登録有形文化財証です。

今日は珍しい花と橋を見ました。有意義なひと時でした。 

其の46 横須賀水道みち5・関口から金田へ

10月31日(水)うす曇り、厚木市関口から海老名市大谷まで横須賀水道みちを探索探訪しまた。
今回はその内関口から厚木市金田までを投稿いたします。まずはJR相模線相武台下駅から県道42号線をスタート地点の関口へ向かいました。

座架依橋より相模川上流を望む
今日の相模川。いつもより水が澄んで水面が鏡のようです。釣り人が2、3人、リール竿を立てていました。鯉を狙っているようす。県道42号線座架依橋より上流を望む。

県道42号線とさがみ縦貫
県道42号線を跨ぐさがみ縦貫。今年6月に中津川サイフォンを探索するために通った頃は紅白の巨大クレーンが3基活躍していました。今は残工事をやっているようです。座架依橋を渡り坂を上ったところがR129厚木市関口中央の信号です。

横須賀水道みち・厚木市関口
横須賀水道みちに入りました。一直線に伸びる水道みち。上流の愛川町方面を望む。厚木市関口にて。

横須賀水道みちR129と交差
R129中依知の信号付近で斜めに国道と交差する水道みち。国道を渡って上流方向を望む。

横須賀水道・空気弁マンホール 横須賀水道マンホール・仕切弁 横須賀水道マンホール・仕切弁クリック拡大
R129を渡ったところに横須賀水道のマンホールがありました。この先の上郷水管橋の手前にもありました。左からR129の空気弁。残り2枚は上郷水管橋手前にあった仕切弁のマンホールです。

さがみ縦貫インターチェンジ工事
その先のさがみ縦貫厚木インター工事現場にかかった水道みち。径500mmの鋳鉄管が露出しています。地表から管上端までm位の浅いところに敷設されています。直管の長さは目測で4m位でしょうか。

横須賀水道みち・R246と交差
厚木市金田でR246と交差します。前方の高架橋が東西に走るR246です。水道みちは柵で塞がれているので迂回します。

南下する横須賀水道みち・R246南
R246を潜り南下する横須賀水道みち。この先で大きく南東へカーブして相模川へ向かいます。

さがみ縦貫を潜る横須賀水道みち
建設工事中のさがみ縦貫。水道みちの上を高架橋で跨いでいます。相模川に架かる上郷水管橋はもうすぐです。

横須賀水道上郷水管橋西詰
相模川右岸堤防上に上郷水管橋が見えてきました。

横須賀水道上郷水管橋西詰
西詰から見た上郷水管橋です。地図を見ると南東へ向かっています。

横須賀水道上郷水管橋橋台
西詰の橋台です。

横須賀水道上郷水管橋
相模川を渡る上郷水管橋。壮観です。青色の橋と赤色の導水管が良く目立ちます。雲に邪魔されました。なければもっと見映えのする写真が撮れたかも。もっとスキルアップしなければ・・・。
上郷水管橋
相模川右岸:厚木市金田~相模川左岸:海老名市上郷。
橋長497m。導水管は内径500mmの鋳鉄管。
大正10年完成。

500mm鋳鉄管
500mm鋳鉄管
気づいたのでこんな写真を撮りました。
上の写真は直管の接続部にリングがはめ込まれボルトナットで固定しています。多分地震による管の抜け防止対策と思われます。水道局が昭和58年に発行した水道施設写真集ではこのようになっていません。下の写真は橋脚の上部です。よく見えませんが上の写真より複雑です。目的は同じだと思います。

第一鮎津橋から中津川上流を望む
相模川を左岸へ渡るため下流のあゆみ橋へ向かいました。その途中の第一鮎津橋から見た中津川上流です。遠くに相模川西部土地改良区の昭和用水頭首工が見えます。同下流を見たのが下の写真です。

相模川に合流する中津川
相模川に合流する中津川。半原からのお付き合いでした。相模川になったこの水はその一部がこの下流の有馬浄水場社家取水口で取水されます。奥に見えるアーチ形の橋があゆみ橋です。

この後管理人はあゆみ橋を渡り相模川左岸沿いの道を北上し、上郷水管橋東詰へ向かいました。それについては次回投稿いたします。

厚木市関口中央付近の地図です。

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其の45 秋の左岸用水路・座間サイフォン付近

 10月31日(水)、横須賀水道みち探索のためにJR相模線相武台下駅からスタート地点の厚木市関口まで歩きました。途中の通り道沿いに左岸用水路が流れているのでその様子を見てきました。今回は秋の左岸用水路の様子を投稿いたします。

稲わら乾燥・座間市新田宿
これはその日、座間市新田宿で見た田んぼの風景です。
稲わらを立てて乾しています。9月の20日頃左岸用水路沿いを歩いた時はどこも稲刈り直前の状態でした。あれから一月以上経っているので当たり前の事なんですが・・・。稲の切り株から出て来たひこばえで田んぼが緑色になっています。

左岸用水路・相武台下駅付近
JR相模線相武台下駅近くの左岸用水路です。
田んぼが上記のような状況ではさもありなん。送水は完全にストップしています。

平和橋から上流を望む
その下流の平和橋から見た用水路の上流です。
左が左岸用水路。右側は鳩川で左岸用水路より5m位下を流れています。

相模川左岸用水路・平和橋より下流を望む
同下流を望む。左岸用水路にかかっている小橋の向こうに伏越呑口(ふせこしのみくち)があります。

相模川左岸用水路・座間サイフォン呑口
小橋の上から見た伏越の呑口です。通水期であれば呑口桝の上に設けた除塵機の格子を介して大量の水が桝に吸い込まれていきます。通水量は推定7.0㎥/秒。

この伏越の名前は座間サイフォンと言います。
神奈川県相模川左岸土地改良区の管理下にあります。

相模川左岸用水路・座間サイフォン除塵機
除塵機です。今は通水していませんが今年5月に初めて訪れたときはその凄まじい流水音にびっくりしたものです。右側には水路壁に溢流用の切り欠きが見えます。

相模川左岸用水路・座間サイフォン吐口
呑口側から見た対岸の鳩川左岸です。
呑口桝から地下に潜った用水は鳩川の川底をくぐって対岸の吐口桝で吹き上がります。中央のフェンスで囲った向こう側に吐口桝(はけくちます)があります。右側の白い建物は下宿公民館です。

相模川左岸用水路・座間サイフォン呑口
鳩川左岸から見た伏越呑口。正面の護岸の開口は排水口。
排水門は全開です。

相模川左岸用水路・座間サイフォン吐口
下宿公民館前に架かる下河原橋から見た伏越吐口です。
格子の奥の桝で吹き上がります。今は落ち葉が散らばっていますがその吹き上がる水音の迫力にいたく感動しました。いつも変なことに感動する管理人です。伏越の出口の水流を当時は「湧き上がる」などと表現しましたが、「噴き上がる」とか「吹き上がる」がぴったり合っているように思います。

私の初めての伏越探訪記はこの座間サイフォンです。
東林間で横浜水道みちが相模緑道緑地(昔の灌漑用水路跡地)と立体交差しています。それがきっかけで伏越をどうしても見たくなり、地図上で狙いをつけて初めて見つけたのがこの伏越、座間サイフォンです。私にとっては思い入れのある伏越です。以来伏越に取りつかれて15ヶ所位伏越を見つけました。用水路と河川との交差だけでなく、中には道路や鉄道との立体交差もあり、興味が尽きない面白いテーマだと思っています。

座間サイフォン探索探訪記は2012/5/29「其の18伏越を見てきました」で投稿しました。

相模川左岸用水路・下河原橋より下流を望む
同下河原橋より下流を望む。橋脇の水路壁に水位目盛が貼ってありました。10cm刻みで最高100cmでした。

相模川左岸用水・座間跨線橋東詰
県道42号線座間跨線橋付近まで下ってきました。
春から秋にかけて大量に灌漑用水を送り続けた左岸用水路は今は一服状態です。これから春の通水期に備えてメンテナンスや清掃をやるのでしょう。

この後管理人は県道42号線を西へ向かい相模川に架かる座架依橋を渡り厚木市関口へ向かいました。

下宿公民館付近の地図です。


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