横浜水道みちを行く

横浜水道みちの事なら何でも知りたがり屋の管理人がその水源を目指して探索探訪をします。時には独りよがりな感想意見を述べます。

其の44 横須賀水道みち4・中津から関口へ

 10月24日(水)に愛川町角田から厚木市関口まで横須賀水道みちを探索しました。前回の続きになります。今回は中津から関口までの探索記です。

横須賀水道局の境界杭
河岸段丘崖の長い坂を上りきり、水道坂の碑を過ぎ水道みち沿いで初めて見つけた町中にある水道局の境界杭。頭に横須賀の頭文字Yと刻まれています。愛川町中津にて。

横須賀市水道部の杭
横須賀市水道部の杭
その先で見つけた別の杭です。同じ杭の表と裏です。
道路側には水道部、裏面には横須賀と刻んであります。角田の山の上の管路隧道通気塔の四隅にあった杭には水道局と刻んでありました。杭はコンクリート製で頭にはYの字が入っています。

中津の信号
中津の信号まで来ました。県道63号線と斜めに交差します。

海の杭
信号の先で見つけた海の杭。半原系統の導水設備は帝国海軍横須賀鎮守府が軍港水道として建設しました。「海」は海軍を意味していると思います。大正10年創設時の珍しい貴重な杭だと思います。大きめの砂粒の入ったコンクリート製です。中津から関口まで11本見つけました。

海の杭 海の杭・中津 海の杭・中津
中津で見つけた海の杭。クリックで拡大します。

海の杭・下川入 海の杭・下川入 海の杭・下川入
厚木市下川入の海の杭。

海の杭・下川入 海の杭・下川入 海の杭・下川入
厚木市下川入の海の杭。

海の杭・厚木市山際
11本目の海の杭。厚木市山際で見つけました。
半原系統は大正10年完成ですから今から91年前です。
今でもこうして点々と残っています。これは産業遺産として貴重な価値があると思います。

棚沢の信号より上流を望む
愛川町中津棚沢の信号より横須賀水道みち上流方向を望む。

日本ロジステック前横須賀水道みち
棚沢の信号を渡って下流方向を望む。左側一帯は内陸中津工業団地です。

水道みちの道標・車検事務所前
水道みちの道標がありました。相模車検事務所前にて。

銀杏並木
その先の銀杏並木。紅葉したら見ごたえがあるでしょう。

水道みちの道標
愛川町が設置した水道みちの道標。桜台団地入口の信号付近にて。

県道65号線と交差する水道みち
六本松バス停付近で県道65号線と斜めに交差する水道みち。
63号線もそうでしたが水道みちは斜め交差が多いように感じます。愛川町から厚木市に入りここは下川入です。

南東へ向かう水道みち・下川入
真っすぐ南東へ向かう横須賀水道みち。厚木市下川入。

細い水道みち・厚木市関口
厚木市関口に入りました。この辺りは道幅が狭く待避車線が設けてあります。

寺道の碑
懐かしい寺道の碑です。今年6月相模川右岸幹線用水路(西部用水路)の中津川サイフォンを探索に行ったときに寺道を通りました。その時に水道みちと交差しました。

寺道
長坂住民は元は殆ど関口(東)に居住していた。年代は明瞭ではないが、この長坂に耕地を求めて居住した。先祖の寺は大信寺であったので、墓参りや念仏講中など大信寺に行く機会も多くこの道を頻繁に往来したことから寺道と言うになった。

碑文より

寺道と交差する水道みち
寺道と交差する横須賀水道みち。上流方向を望む。
右側に寺道の碑が見えます。

県道42号線と交差・関口
県道42号線直前から水道みち下流方向を望む。
横断歩道を渡った下を東西に42号線が通っています。

県道42号線信玄跨道橋から中津川大橋方面を望む
長坂信玄跨道橋から県道42号線中津川大橋方面を望む。

県道42号線長坂立体
横須賀水道みちの導水管は42号線に架かるこの長坂立体の橋桁?の中を通ります。表から目にすることはできません。

今回の探索はここまでです。次回は相模川に架かる水管橋を見るのが楽しみです。

10月24日のスタート地点、角田八幡神社付近の地図です。

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其の43 横須賀水道みち3・角田から中津へ

 前回の続きです。角田(すみだ)バス停の先で県道54号線は左へ大きくカーブして水道みちから離れていきます。今回は角田から中津までの横須賀水道みち探索記です。

横須賀水道みち・角田
角田の交差点で県道54号線と別れ下り坂を東進する横須賀水道みち。車道の左側に歩行者用の道があり車を気にすることなく歩けます。この歩行者用の道の下に導水管が敷設されているようです。

栗沢と立体交差
栗沢に架かる橋を渡ります。左から人道橋、右側が車道です。
間に挟まれたのが導水管(径500mm鋼管)です。
管の天端までは地表から30cm位。

栗沢に架かる水管橋
下から撮りました。水管橋で栗沢を渡ります。水管橋部は鋳鉄管ではなく鋼管が使われています。いわゆるパイプビーム形式です。

橋上から栗沢上流を望む
栗沢はこんな川です。橋上から上流を望む。下流は中津川に合流しています。

空気弁マンホール 安全弁マンホール 仕切弁マンホールクリック拡大
歩道上にマンホールが立て続けにありました。
左から横須賀水道局空気弁、安全弁、仕切弁です。

コスモスと柿
鈴なりの柿と盛りを過ぎたコスモス。水道みち左側角田にて。
この辺りはまだ角田です。

河岸段丘へ向かう横須賀水道みち
中津川河岸段丘に向かう横須賀水道みち。

横須賀水道境界杭
水道みちと田んぼの間に点々と横須賀水道局の境界杭が続きます。前方の森は中津川河岸段丘。

中津川河岸段丘崖手前
中津川河岸段丘崖直前まで来ました。横須賀水道みちはこの坂を上ります。管理人も上ります。

横須賀水道みち・河岸段丘崖上り口
右側面から見た坂道の上り口です。結構きつそうです。
手前に開口部があります。下に川が流れているようです。

河岸段丘崖を上る導水管
開口部の中を覗いたらこんな風になっていました。
嬉しい発見です。導水管が通っています。やはり予想通り用水路が流れています。
導水管は水管橋で用水路を渡っています。半原の二つ目の隧道の手前で見たのと同じ錆色の鋳鉄管です。
導水管は10°位の上り勾配です。

河岸段丘崖上り坂から上流を望む
坂道の途中から中津川の上流方面を撮りました。半原は左手前の山と右手の低い山の狭間のその奥の方でしょうか。

水道坂の碑
坂を上りきったところにあった水道坂の碑。
「大正7年にできた横須賀水道の敷地を利用した坂道です」     碑文より
昭和54年12月に愛川町教育委員会が建てました。

マピオンで段丘崖の坂下の標高を調べました。68mでした。
水道坂の碑がある坂上の標高は111mでその差は43mもあります。前述のように半原の取水口の標高は130mでした。
だから43mの高低差があっても導水管内の水は上ってしまうのですね~・・・。

横浜水道の導水管が相模横山河岸段丘崖を上るのですが同じことが言えます。
横浜水道みちを探索した時に詠んだ駄句です。

「水道みち 自然流下で 崖上る」  doushigawa


南東へ向かう横須賀水道みち
一直線に南東へ向かう横須賀水道みち。

ここから先厚木市の関口までは次回投稿いたします。

県道54号線角田交差点近く(角田八幡神社)の地図です。

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其の42 横須賀水道みち2・角田大橋の隧道

 10月24日(水)晴れ。前回時間切れで探索が十分出来なかった角田大橋バス停前の三つ目の隧道の出口の探索をはじめ、厚木市関口までの横須賀水道みちを歩きました。今回から2、3回に分けてその探索探訪記を投稿いたします。

角田大橋バス停前横須賀水道管路隧道入口
横須賀水道みちの一回目「其の40横須賀水道みち・半原から角田へ」で登場した三つ目の隧道の入口です。全景はこんな感じです。東へ向かう水道みちが何故かこの隧道は北向きになっています。地図によると北へ約150m進みそこで東へ向きを変え約360m進み南に折れ東進する水道みち(県道54号線)に戻っています。
横須賀水道局発行の「豊かな水へのあゆみ」を見るとこの三つ目の隧道の写真の横に導水管路隧道通気塔の写真が載っています。場所は同じ愛川町角田です。通気塔の探索を兼ねて隧道上の山に登ってみることにしました。写真の右側フェンス沿いに山へ入りました。末尾に地図を付けました。参照ください。

横須賀水道・角田大橋バス停前隧道上の山道
こんな道を登りました。実際にはもっと竹が茂りうっそうとした暗い山道でした。この山道は地図には載っていません。

横須賀水道角田大橋バス停前隧道上の山道
間もなく上の舗装道路に出ました。

山上の景色
山の上から南の厚木方面を望む。

角田導水管路隧道通気塔
うろうろ探索してやっと見つけた管路隧道通気塔です。
角田大橋バス停近くで潜って北へ進み東へ向きを変えた辺りと思われます。近所の方を訪ねて教わりました。迷った時は地元の人を訪ねて教えを乞うのが一番です。ついでにもうひとつこれと同じ通気塔がある場所も教わりました。なお隧道の出口は見たことが無いというお話しでした。

角田管路隧道通気塔
近づくと意外に大きなサイズです。直径3.5mはあります。
中の構造は分かりませんが、奥の茶色の石臼のようなものの中央に耳を近づけると流れる水の音が聞こえて来ました。地下の隧道内に流れる湧水の音かも知れません。

基準点の銘板
通気塔のフタの上にこんな銘板が貼ってありました。
「基準点 十字 竪NO1 横須賀市水道局」

横須賀水道局杭 横須賀水道局杭←クリックで拡大
通気塔のまわり四隅にあった横須賀水道の杭の内の2本。
水道局、横須と読めます。

通気塔遠景
広い道路から見た通気塔です。畑の中にあります。
二つ目の通気塔は県道54号線の角田八幡神社の西を斜めに北へ入って突き当りの上の道沿いにあると教わりました。この道を東へ行けばその左側にあります。

角田管路隧道通気塔・八幡神社上
それがこの場所です。この奥にあるようですが表から見たところ確認はできませんでした。横須賀市上下水同局有馬浄水場の不法投棄禁止の看板が掲げてありこの場所に違いないと思いますが、いかんせん中の状況が悪過ぎでした。中へ入るのはちょっと尻込みします。水道局の「豊かな水へのあゆみ」に載っていた通気塔の写真は地形を見比べるとこの奥にある通気塔のようです。

不法投棄注意看板
上記の不法投棄注意看板です。有馬浄水場名になっています。これと同じ看板が隧道入口にもありました。

角田通気塔付近
通気塔の前にある県道54号線へ戻る道です。下りると県道沿いの角田八幡神社の西側へ出ます。

柿
階段を下りて県道へ戻る途中にあった柿の木。色づいています。別の枝には小鳥についばまれた熟柿も見られました。

横須賀水道みち・角田通気塔
県道まで下りてきました。通ってきた道を振り返りました。
この道の地下に隧道か導水管が通っています。隧道出口はやはり見つかりませんでした。

帰宅後地図で施設間の距離を測ってみました。
角田大橋バス停前の隧道入口から通気塔まで約127m。
そこから東の二つ目の通気塔まで約325m。
そこから角田八幡神社の西、県道54号線まで約110m。
計約562mの大迂回でした。

この続きは次回、角田バス停からスタートします。

角田八幡神社付近の地図です。

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其の41 宮ケ瀬ダムを訪ねる

 10月13日(土)横須賀水道みちの探索途中に足を延ばして宮ケ瀬ダムを訪ねました。R412の中津川に架かる愛川大橋北詰にあるローソン裏の道を川沿いに道なりに上っていくと自然に行き着きます。
ビジターセンターやバーベキュー広場、クリスマスツリーがある宮ケ瀬湖畔エリアは何度か行ったことがありますがダムサイトは初めてなので訪ねてみました。

石小屋ダム
初めに見えてきたのが宮ケ瀬ダムの副ダム、石小屋ダムです。宮ケ瀬ダムの約800m下流にあります。宮ケ瀬ダムと同時期に国交省が造りました。宮ケ瀬ダムの本格運用開始は平成13年(2001)4月です。今から11年前です。

石小屋ダム
型式:重力式コンクリートダム
堤高:34.5m
堤頂長:約87m

石小屋ダムの役割
1.下流水量の安定供給
2.津久井導水路への水位確保
3.宮ケ瀬ダムの放流水の減勢
国交省相模川水系広域ダム管理事務所パンフより

石小屋ダム
ダムの内側です。城山ダムのように放流用水門はなく自由越流堤になっています。

愛川第2発電所・利水放流設備
これは右岸から見た石小屋ダム直下です。
正面上の建物は愛川第2発電所で神奈川県企業庁の県営発電所です。石小屋ダムで貯めた水を7.0㎥/秒使って24時間常時発電をしています。最大出力1,200kw。

左下にパイプが2本顔をのぞかせています。国交省のパンフによるとこれはダムの利水放流設備です。発電所が使う7.0㎥/秒以上の水を放流する場合にこの設備を使います。

石小屋ダム・津久井導水路取水口
津久井導水路取水口です。約5km離れた青山の道志川右岸に放流口があります。国交省のパンフによると水の総合運用で、相模川本川が水不足で中下流域の磯部頭首工、相模大堰、寒川取水堰などで取水に支障をきたす可能性がある場合に上流の津久井湖へ水を補給するための導水路だそうです。道志川へ放流すれば下流の津久井湖の水位が上がります。

逆のケースもあります。宮ケ瀬ダムの水量を確保するため、道志川の道志ダムから道志導水路(約8km)で宮ケ瀬ダムに導きます。

横浜水道青山沈澱池・旧青山取水口
この写真は今年1月に横浜水道青山沈澱池を見学した時に撮った明治30年に造られた旧青山取水口の写真です。手前の茶色の施設が取水口です。近代水道百選にも選ばれています。写真右側は道志川です。

偶然ですが国交省の津久井導水路の放流口が写っていました。後ろの白い建物が放流口です。

welcome宮ヶ瀬ダム
ウエルカムで迎えてくれました。宮ケ瀬ダムに到着です。

宮ヶ瀬ダム
新石小屋橋から見た宮ケ瀬ダムです。
その雄大さに圧倒されそうです。

大沢の滝
左側の山に滝が流れていました。新石小屋橋から見た大沢の滝です。

大沢の滝説明看板←大沢の滝の説明看板です。

ロードトレイン「愛ちゃん号」
ロードトレイン「愛ちゃん号」。料金は大人200円(子供100円)。

愛川第1発電所
宮ケ瀬ダム直下の愛川第1発電所。
愛川第1発電所は宮ケ瀬ダムの落差を利用し、ピーク発電を行い、直下の愛川第2発電所は一定流量で連続発電を行い、中津川へ必要流量を放流します。
神奈川県企業庁相模川発電管理事務所パンフより

使用水量は22.0㎥/秒、最大出力2,4200kw。

愛川第1、第2発電所説明パネル
愛川第1・第2発電所の説明パネルです。

宮ヶ瀬ダム
ダム直下に来ました。
宮ケ瀬ダム
型式:重力式コンクリートダム
堤高:156m
堤頂長:375m
有効貯水量:183,000,000㎥
宮ケ瀬ダムは、堤高156mの重力式コンクリートダムで、関東地方でも有数の貯水量を誇っています。堤体下から見上げるダムの姿は、圧巻のスケール感があります。

国交省相模川水系広域ダム管理事務所パンフより

宮ヶ瀬ダム観光放流看板←宮ケ瀬ダム観光放流の案内看板です。
月、曜日、時間限定のダムの観光放流をやっています。

宮ヶ瀬ダム監査廊
ダム上部に上がるためにエレベータが設置されています。
ダム直下の入口から堤体内に設けられたこの監査廊という通路を歩いてエレベータ乗り場に向かいます。

堤体内121mを1分で昇ります。エレベータまで付いているとはびっくり仰天。驚きました。
他にインクラインで昇ることが出来ますが、これはダム側面をケーブルカーのように昇るのですが見るからに怖そうです。
こちらは有料です。大人往復300円子供半額。

宮ヶ瀬ダム・宮ヶ瀬湖
ダムの上(天端)から宮ケ瀬湖を望む。

宮ヶ瀬ダム・宮ヶ瀬湖
宮ケ瀬ダム右岸より左岸を望む。対岸の建物は国交省相模川水系広域ダム管理事務所。住所は相模原市緑区津久井町青山です。ダム天端右側は愛甲郡愛川町半原。こちらの右岸側は愛甲郡清川村と愛川町の境界辺りです。

宮ヶ瀬ダム天端
これは右岸から見たダムの上(天端)です。本当に雄大なスケールです。幅は29mあります。堤頂長375mです。天端から下流を見ると彼方に横浜のランドマークタワーが見えました。

このあと管理人は来た道を戻り、横須賀水道半原水源地へ向かいました。その探索探訪記は前回投稿いたしました。

半原の愛川大橋付近の地図です。

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其の40 横須賀水道みち・半原から角田へ

 この夏、相模川右岸用水路(西部用水路)や相模川左岸用水路を歩いた時に横須賀水道みちと交差したことがありました。
中津川サイフォンを探索した時に厚木市長坂の寺道で、貫抜制水門へ行く途中の海老名消防署近くの2ヶ所です。細くて一直線な道が印象に残っています。
横須賀水道みちについてもっと詳しく知りたくなり、横須賀市上下水道局のHPをながめていたら同上下水道局発行の書籍「水の旅―横須賀水道100年史―」の紹介ページを見つけ、ちら見をしました。それによると
横須賀市の6つある水源系統の内、半原系統は大正10年(1921)3月に完成してから76年にわたって、横須賀へ水を送り続け管路沿いには今も送水設備が点在しています。
とありました。
この夏用水路沿いを歩いた時に厚木と海老名で交差したのは半原系統の横須賀水道みちでした。
今も送水設備が点在しているという事で、実地に歩いてそれらを見聞したくなりました。管理人の気質にぴったりの探索探訪コースであることが分かりました。
用水路沿いの伏越探索は面白いのですがこの時期は通水がストップもしくは通水量を大幅に絞っていますのでそれは来年の田植え時期までお預けにしておきます。で、早速「水の旅―横須賀水道100年史―」購入申し込みをし、10月13日(土)半原の取水口、水源地(沈澱池)などの探訪探索に行ってきました。
交通機関はJR横浜線淵野辺駅南口から神奈中バス半原行が1時間に一本出ているのでそれを利用しました。途中の県道54号線石橋で乗車し半原の終点下車、あとは自由気ままにいつものウォーキングを兼ねた探索探訪です。

半原日向橋から中津川上流を望む
終点の半原(はんばら)バス停は中津川に架かる日向橋のたもとです。日向橋から中津川上流を望む。半原系統はこの上流の中津川右岸から取水しています。

半原日向橋から中津川下流を望む
日向橋から見た中津川の下流はこんな景色です。
前方の山に遮られ大きく東へ向きを変えています。

中津川左岸より半原水源地を望む
まず半原系統の中津川右岸に設けた取水口を見るために日向橋を渡り中津川左岸を遡りました。途中見た半原水源地です。対岸の白色の堤防沿いの東側が水源地です。

半原取水口下流の堰
半原取水口の堰が見えてきました。地図を見ると日向橋の上流800m位の地点です。

横須賀水道中津川取水口
取水用の堰を過ぎ最大限近づいて撮りました。この先は藪で道はなく前に進むことはできません。横須賀水道中津川取水口です。撮影時には取水口に気を取られ気づかなかったのですが手前の木の葉が早くも紅葉しています。

余談ですが堰からここまで道はなく小さな角張った岩伝いに歩きましたが、私がいつも恐れている細長いヤツにとうとう出遭いました。相手の方が先に気づいてするすると岩の間に逃げていきました。ほんの一瞬でしたが黒色と褐色の縞模様が目に入りました。この後宮ケ瀬ダムを訪ねたらパネルにこの辺りにはヤマカガシ、マムシなどの毒蛇が棲んですると書いてありました。私が見たのはそれらではなかったようです。

横須賀水道中津川取水口
同じ地点からズームアップで撮りました。
中津川にある取水口は、幅1.2m、高さ1.9mの大きさで、水はゲートをくぐって、導水管を通り、半原水源地内へと入っていきます。
横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」より

中津川取水堰下流
これは取水堰のすぐ下流で撮りました。川底の小石に藻が付いて一面緑色になっています。
平成18年(2006)4月に半原系統の取水は休止されました。取水口の上流約500mに石小屋ダムと続いて宮ケ瀬ダムがあります。
横須賀水道100年史によると理由は水質悪化のためで、平成13年(2001)に完成した宮ケ瀬ダムにより急激に水環境が変化しBOD、過マンガン酸カリウム消費量、大腸菌群および微小生物の増加が確認され、これらが半原系統の緩速濾過浄水処理方式に適さないため休止にしたようです。川底の藻が付いた緑色の石は水質悪化を示しているかも知れません。

中津川取水堰から下流を望む
取水堰の少し下流から見た中津川下流方向。前方の橋はR412愛川大橋です。取水口から下流の右岸の崖に沿って半原水源地に導水管が通っていますが木々に覆われて確認することが出来ませんでした。

半原水源地
R412愛川大橋から見た横須賀水道半原水源地です。休止中なので水は少ししか見えません。

この後管理人は上流の石小屋ダム、宮ケ瀬ダムの見学に行きました。見学後、半原水源地を訪ねました。石小屋ダム、宮ケ瀬ダム探訪は稿を改めます。

横須賀市水道局半原水源地正門
ダム見学を終え横須賀市水道局半原水源地に来ました。
ここが正門です。門の正面に年代を感じさせる建物が見えます。

半原水源地ベンチュリーメーター室
建物の正面扉上にベンチュリーメーター室と表示があります。
中にはイギリス製のベンチュリーメーターが設置されています。
送り出す水の計量室のようです。大正10年完成時そのままのような建物に見えます。

半原水源地事務所
構内にあった洋館。昭和27年完成の事務所でしょうか。
北側のフェンス越しに撮りました。

横須賀水道半原水源地
南側から見た半原水源地。奥の池は沈澱池で4池あります。
手前のコンクリート製のジグザグの通路になった池は排砂池か混薬水路でしょうか。沈澱池は大正10年に完成しました。

半原水源地より中津川下流を望む
半原水源地の北西角から中津川下流を望む。
前方の橋は朝渡った県道54号線の日向橋です。

横須賀水道みち・水源地から県道54号線へ
横須賀水道局半原水源地正門を後にして水道みちを下流へ辿りました。前方の車が横切っている道が朝バスで通った県道54号線です。1万分の1の地図によると水道みちは水色の点線で表示してあります。県道54号線に沿って横須賀へ向かっています。

ここで横須賀まで水道みちを辿るにあたって、半原系統のプロフィールを簡単に記しておきます。横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」より要旨抜粋しました。

1.元々は帝国海軍横須賀鎮守府が軍港水道として建設を計画、実行。計画給水量は1万3千㎥/日。
増加の一途だった艦船給水、工廠用水に対応するため 従来の走水(はしりみず)系統に見切りをつけ、明治40年(1907)新軍港水道調査開始。
2.明治45年(1912)2月着工。
相模川の支流・中津川において同川右岸の山すそをくり抜いて取水口を設けそこから取入れた原水→沈澱池(4池)→逸見浄水場→逸見配水池→市内給水へ。
取水口から逸見浄水場までは海軍が建設。逸見配水池以降は横須賀市が建設。
3.大正7年(1918)10月一部通水開始。
大正10年3月全工事完了。
4.その他
取水口の標高は130m
逸見浄水場の標高は60m 
その落差は70mで自然流下で送水。
導水管は径500mmの鋳鉄管が使われた。
その延長は約53kmに及び、その間トンネル12ヶ所、
河川の横断に大小10余りの橋梁がかけられた。

県道54号線バス停学校入口付近
県道54号線を東へ歩いてバス停学校入口付近まで来ました。
県道は前方の小高い山を避けて左へ坂道を下っていきます。
横須賀水道みちはこのまま直進します。

横須賀水道管路隧道・半原小付近
県道54号線から見えました。横須賀水道管路隧道(トンネル)です。煉瓦巻の立派な隧道です。管路隧道なので横浜水道の現役の城山隧道と同じイメージでしたがこちらは敷設した鉄管が見当たりません。隧道内に埋設されているようです。隧道の銘板を探しましたが見当たりません。名前はないようです。

横須賀水道管路隧道の内部・半原小付近
天井には照明が付いています。地元の住民の生活道路として使われています。学童も通学に利用しているそうです。私も中を歩いてみました。高さは意外に低く手を伸ばせば届きそうです。2.2m位と思います。

横須賀水道管路隧道・半原小付近
隧道の出口(東側)です。隧道の長さは歩測で140m位。
出口の高さは2.4m位でした。こちら側にも隧道の銘板はなく名前はないのかも知れません。
地元の方の話では昔、半原の貯水池に溜まった土砂をここへ運び隧道内に敷きつめたことがあったそうです。それまでは500mmの鋳鉄管は露出して敷設されていたかもしれません。管理人の想像ですが・・・。

横須賀水道管路隧道・愛川橋付近
一つ目の隧道の先300m位のところで見つけた管路隧道。
こちらは入口に柵が設けてあり通行不可です。地元の方の話では昔は利用していたが隧道内の天井からの漏水がひどくなり通行出来なくなったということでした。

横須賀水道管路隧道内部・愛川橋付近
中の様子です。やはり漏水があるようで水溜まりが出来ていました。小高い山が二つ続いているため、山すその標高に沿って鉄管を敷設すると大回りになって配管距離が長くなり工事費が高く付くので隧道を掘ったと思われます。

横須賀水道小河川と交差・愛川橋付近
これは二つ目の隧道の手前にあった小河川との立体交差です。行き止まりの隧道から県道54号線へ戻るときに見つけました。小河川はgoogleマップをズームすれば見られます。

横須賀水道と小河川立体交差・愛川橋付近
水がほとんど流れていなかったので小河川の川床に下りて撮りました。500mmの鋳鉄管が小河川を水管橋で渡っています。管を通す開口は手前にもあります。2本通すように造られてています。上は水道みちで二つ目の隧道を見るために先ほど画面右から左へ渡りました。

県道54号線愛川橋下流
愛川橋を過ぎ中津川右岸沿いの県道54号線を歩いています。
地図を見ると水色の点線はこの道路に沿って南西に向かっています。

県道54号線愛川トンネル
山が北へ大きくせり出しています。県道54号線はトンネルで山を潜り抜けます。横須賀水道の導水管はもやはりこの愛川トンネルの右側を潜ります。中津川は北へ大きく蛇行し旧道も川沿いに蛇行していますが大回りになります。
愛川トンネル:H5年3月神奈川県が造りました。
長さ146m 幅9.75m 高さ4.5m

横須賀水道馬渡水管橋
馬渡橋(まわたりばし)水管橋で中津川を渡る横須賀水道導水管。ここで水道みちは初めて中津川右岸から左岸へ渡ります。

水道みちの碑
「水道みち」の碑。昭和63年3月に愛川町教育委員会が建てました。愛川田代局前バス停近くにて。
水道みち
旧海軍の横須賀軍港水道の敷設地上にある道路。
横須賀までに至る水道管が敷設されています。

碑文より

横須賀水道隧道入口・角田大橋バス停前
今日三つ目の隧道です。県道54号線角田大橋バス停前で見つけた隧道の入口です。東へ向かう水道みちなのにこの隧道は奇妙なことに北向きになっています。地図を見ると約150m北へ向かいそこで東へ向きを変え360m進んだところで南に折れて東進する水道みち(県道54号線)に戻っています。湧水か強固な岩盤があって直進が出来ず大きく迂回したと思われます。謎の大迂回です。
この隧道の出口は次のバス停の宮上付近ですが発見できず、先へ進みました。

横須賀水道みち角田バス停
県道54号線角田(すみだ)バス停まで来ました。県道はすぐこの先で左へカーブして横須賀水道みちから離れていきます。水道みちは真っすぐ愛川町の方へ向かいます。これから横須賀水道みち特有の真っすぐな道が続きます。

タイミング良く来た16時6分発1時間に一本の淵野辺駅南口行のバスに飛び乗りました。この続きは次回の楽しみという事で今日の探索探訪を終えます。

今回の探索探訪にあたり次の図書を参考にしました。
・横須賀市上下水道局「水の旅―横須賀水道100年史―」
 平成20年(2008)12月25日発行
・横須賀市水道局「―豊かな水へのあゆみ―
 横須賀市水道施設写真集」 昭和58年3月31日発行

半原バス停、日向橋付近の地図です。

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其の39 羽村の投渡堰・残堀川伏越探訪記

 10月4日(木)、東京都の羽村取水堰と残堀川伏越を見に行きました。きっかけは今年の4月12日(日)にNHK朝の番組「小さな旅」で「玉川上水上流を巡る旅」を見て面白い堰があるのを知ったからです。
6月から9月にかけて用水路を巡る伏越探索は相模川右岸左岸どちらも全て歩き終えました。一段落したところで管理人としては珍しく東京まで遠出をしました。

NHKで放映された玉川上水について要点をメモしました。
・羽村取水堰は投渡堰(なげわたしのせき)と言う世界的に
見てもここだけの珍しい堰。
・玉川上水は羽村、新宿間43km。
・取水量は9㎥/秒 都民の生活用水の20%をまかなって いる。
・起点終点間は92mの高低差。21cm/100mの勾配。
・当時の測量技術、夜提灯を点けて測った話。
・玉川兄弟の話。
・平成15年に国の史跡に指定。
・福生市の熊川分水の話。

羽村取水堰取水口
JR青梅線羽村駅西口下車、道なりに歩いて15分位で着きました。奥多摩街道に突き当り信号を渡ったところが羽村取水堰です。これは取水口です。

玉川上水・羽村取水堰付近
これは取水口を背に玉川上水下流側を見たところです。
水量豊かに滔々と流れています。かなり急流です。
水利使用標識を見ると上水道取水17.200㎥/秒とありました。

羽村取水堰
これが今日のお目当て羽村取水堰です。
傍らに説明看板がありましたので記します。
羽村取水堰
この堰は、多摩川をせき止め水道用の原水を玉川上水路に引き入れるために造られたもので固定堰や投渡堰(なげわたしのせき)と呼ばれる珍しい構造の堰からできています。
※投渡堰は、川に鉄の桁を渡し、これに松丸太、そだ(木の枝を束ねたもの)、砂利などを取り付けて作ります。

玉川上水
玉川上水は、羽村取水堰から新宿区の四ッ谷大木戸に至る延長43kmの上水路で、1654年(承応3年)当時、江戸の飲料水供給のために造られたものです。(現在は、羽村取水堰から小平監視所までの間約12kmが、上水路として利用されています。)
写真の横に渡してある水色が説明看板にある鉄の桁です。今は洪水でもなんでもない平時なので堰としての役割を果たしています。

羽村投渡堰
この写真は洪水時の羽村投渡堰です。5月4日、大雨の翌日に撮りに行きました。水色の桁が上に引き揚げてあるのが分かります。松丸太、そだ、砂利は下流に流されて見えません。こうすることによって堰本体を守っているわけです。「小さな旅」では世界的に見てもこの堰だけと言っていました。

羽村投渡堰
これは上流側から見た羽村投渡堰です。堰の内側に砂利が盛ってあるのが分かります。

玉川兄弟の像
玉川兄弟の像 羽村の人で名は庄右衛門、清右衛門。
玉川上水築造に貢献した玉川兄弟に東京都民の感謝の意を永遠に伝えるため昭和33年9月に建立されました。
像背面の碑文より抜粋

玉川水神社
玉川水神社。案内看板によると祭神は
彌都波能賣(みつはのめのかみ) 
水分大神(みくまりのおおかみ)
玉川上水が完成した承応3年に建立され水神社としては最も古いそうです。彌都波能賣(みつはのめのかみ)は横浜水道青山沈澱池構内に在る水源神社の五祭神の内の一祭神と同じ神様です。

東京都水道局羽村取水所
水神社隣の東京都水道局羽村取水所庁舎。

村山貯水池向け分水
羽村取水堰の少し下流にあった分水施設。帰って調べたら村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)への分水施設であることが分かりました。奥多摩街道沿いにありました。写真左側がその隧道入口のようです。

この後羽村駅へ向かうのは上り坂だし、時間もあるのでこのまま玉川上水路沿いを歩くことにしました。

堂橋から下流を望む
堂橋から下流を望む。分水後で流れがゆったりしています。
これがNHKの「小さな旅」で言っていた9.0㎥/秒の流れだと思います。

新堀橋手前散策路
新堀橋付近の散策路。上水は左手フェンス下を流れています。
自然が残されていて気持ち良く歩けました。

宮本橋から下流を望む
宮本橋から下流を望む。森の中のような散策路はここまでだったような気がします。

熊野橋下流
繁茂した水草の刈り取り作業中。機械で刈り取っていました。水深は膝まで位です。熊野橋下流にて。

熊川分水取水口
熊川分水に親しむ会の道標に従って見つけた熊川分水取水口です。1m角位の桝が足元にありましたが分水量はわずかでした。

日光橋から下流を望む
拝島駅近くの日光橋まで下ってきました。日光橋より下流を望む。ここで腕時計を見たら15時ちょうど。今日のもう一つの目的、残堀川伏越探訪をする時間が微妙になってきました。秋の日は釣瓶落としと言います。そこで生まれて初めて西武拝島線に乗りました。伏越は二つ目の武蔵砂川駅の近くです。

西から東へ流れる玉川上水は駅から250m位西で南北に流れる残堀川と立体交差します。武蔵砂川駅付近の地図を付けましたのでズームアップして見てください。

上水橋より残堀川上流を見る
これは上水橋から見た残堀川上流です。水が流れていません。深さが4、5mありそうな堀のような川です。玉川上水はこの川の底を断面で見ると凹の字型で潜ります。

上宿橋より残堀川下流を見る
上宿橋から見た残堀川下流です。今日初めて見ましたがいつもこんな様子なんでしょうか?

残堀川右岸より玉川上水下流を見る
これは残堀川右岸より玉川上水下流を見たところです。
玉川上水は残堀川の川底を潜って対岸へ渡ります。

残堀川伏越呑口
残堀川直前の玉川用水路。

残堀川伏越呑口
残堀川伏越の呑口桝です。ゴミ除けの鉄格子を介して右側の呑口桝に吸い込まれていきます。桝のふたの上に取り除いたゴミが積んであります。先日の台風で流れてきた木の枝や葉でしょうか。水路幅は8~10m位。伏越の呑口桝付近は流水音がすごいのですがここはそれほどでもありません。静かです。

残堀川伏越吐口
これは対岸(残堀川左岸)の吐口桝です。ここでも水音は全くなく静かなものです。大きな鯉が5、6匹ゆうゆうと泳いでいました。伏越独特の吹き上がりを期待していた管理人、やや拍子抜けです。流水量は9.0㎥/秒で不足はないのですが21cm/100mのゆるやかな勾配の関係でしょうか?良く分かりません。

玉川上水残堀川伏越下流
武蔵砂川駅へ向かう帰り道フェンス越しに撮りました。ケヤキや桜の大木が多く見られました。

玉川上水武蔵砂川駅付近
帰り道、新家橋より玉川上水下流を見る。10月4日なのにまだ彼岸花が咲いていました。

この後管理人は武蔵砂川駅から次の玉川上水駅でモノレール線に乗り換え終点の多摩センター駅下車、京王橋本経由相模線を利用して帰宅しました。別の機会に羽村取水堰から小平監視所まで約12kmを計画を立ててゆっくり歩いてみたいと思います。今日はお目当てが二つとも見られたし、モノレール線は以前から一度乗ってみたかったのでちょうど良かったと思っています。

武蔵砂川駅付近の地図です。

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